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『告白小説、その結末』 ネタバレ厳禁! ふたりの関係は?

 『テス』『おとなのけんか』などのロマン・ポランスキーの最新作。
 原作はデルフィーヌ・ド・ヴィガンの小説「デルフィーヌの友情」
 原題「D’après Une Histoire Vraie」で、英題は「Based on a true story」

ロマン・ポランスキー 『告白小説、その結末』 デルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)とエル(エヴァ・グリーン)の関係は?


 人気作家デルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)のサイン会に現れたのは、エルという美しい女性(エヴァ・グリーン)だった。デルフィーヌの気持ちがわかると言うエルは聞き上手で、次の仕事のことで悩んでいるデルフィーヌの話し相手になる。次第にデルフィーヌに近づいたエルは、一緒に生活をするまでなっていくのだが……。

 エルという女がいかにもあやしい存在で、何のために近づいてきたのかというところが気になるところ。人気作家の財産目当てなのか、それともデルフィーヌのことが気に入った同性愛者なのか。
 デルフィーヌは自殺した母親のことを綴った私小説でベストセラー作家の仲間入りを果たしたのだが、次の作品が未だに書けずにいる。“事実に基づいた”作品とは異なり、次回作ではフィクションに挑戦しようと考えているのだが、なぜか書き出そうとして一文字たりとも書くことができない。そんなデルフィーヌの事情を知ったエルは、フィクションではなくかつて書いた私小説(告白小説)の続きを書くべきだと助言することになる。
 後半では田舎の一軒家でたまたま足にケガを負ったデルフィーヌは、エルに監禁されているかのような状態になる。狂ったファンに作家が小説を書くことを強要される『ミザリー』を思わせる展開に……。

 ※ 以下、ネタバレあり! 結末にも触れているので要注意!!

『告白小説、その結末』 エルはデルフィーヌにとって欠かせない友人となっていくのだが……。

 エルはデルフィーヌの良き理解者で、彼女のことを何でもわかっている。しかもエルの仕事はゴーストライターであり、文章を書く仕事をしている。さらにデルフィーヌを次回作に専念させるため、ほかの雑用仕事(たとえば講演会)にデルフィーヌの替玉として参加したりもする。もしかするとエルはデルフィーヌの立場そのものを奪おうとしているのか。そんなことも思いながら観ていたのだけれど、オチが明らかにされてみれば「なるほど」という感じはするものの、そのアイディアのみで突き進んでしまった感もある。多分、勘のいい観客ならば途中でオチに気がつくんじゃないだろうか。
 ネタバレは厳禁という作品だと思うので、以下は要注意のこと(反転するとネタバレ)。
 簡単に言ってしまえば『告白小説、その結末』は、女性版の『ファイト・クラブ』ということになる。つまりはデルフィーヌとエルは同一人物ということだ。次回作が書けずにスランプ状態にあったデルフィーヌは「想像上の友達」としてエルを創造し、自らを鼓舞するように仕向けたということになる(もちろんデルフィーヌ本人すら知らぬ間にということだが)。
 オチを知ればデルフィーヌが異様にどん臭い女でエルの企みにまったく気づこうとしないのも理解できるし、エルのキレっぷりが非現実的なのも肯ける。エルはデルフィーヌの書けないイライラを解消するための幻だったのだろうし(ミキサーを叩き壊すエヴァ・グリーンがちょっと笑える)、デルフィーヌが本当に書かなければならないことを教えてくれる存在でもある。
 ちなみにウィキペディアで「イマジナリーフレンド」の項目を参照してみると、本作のデルフィーヌとエルの関係そのものだった。イマジナリーフレンドは本人に助言を行ったり、時に自己嫌悪の具現化として自ら傷つけることもあるのだとか。まさに本作の解説のようでもあり、そこから抜け出ていないところがこの映画が物足りないところになるだろうか。

 以下はあまり関係ない話だけれど、たまたま読んでいた映画の本に大林宣彦監督のインタビューがあった(『映画の言葉を聞く 早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録』)。そこで大林監督が語っていたのが『ふたり』についてで、『ふたり』も実は姉と妹の話ではなくイマジナリーフレンドの話だったということになる。熱心な大林ファンの間では周知のことなのかもしれないのだけれど、偶然にも『告白小説、その結末』を観たあとにこれを読んだので引用しておこうと思う。

 『ふたり』という作品は赤川次郎さんの原作で、事故死してしまったしっかり者の姉と、姉を頼ってばかりいた妹との奇妙な物語です。石田ひかりが演じた妹が主人公で、亡くなったお姉さんが幽霊みたいに出てくる。でも原作では、その幽霊は妹が自分で成長するために自分でつくりだしていた幻想だったと記されているんですね。


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Date: 2018.06.26 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『母という名の女』 良妻賢母はもう死語?

 『父の秘密』『或る終焉』ミシェル・フランコ監督の最新作。
 カンヌ国際映画祭のある視点部門で審査員賞を受賞した作品。
 原題は「Las Hijas De Abril」で、「アブリルの娘たち」といった意味。

『母という名の女』 母親アブリル(エマ・スアレス)とそのふたりの娘。エマ・スアレスは『ジュリエッタ』に出ていた人。

 バレリア(アナ・バレリア・ベセリル)は17歳で身籠っている。姉のクララ(ホアナ・ラレキ)とふたりだけの生活は自由なもので、お腹ははちきれんばかりなのに朝からマテオ(エンリケ・アリソン)とセックスに励んでいる。一方の姉は、そのあえぎ声を聞きながら平然と(?)朝食を作り、汚れたシーツの後始末をする。
 バレリアは母に妊娠のことを知られたくはなかったようだ。それでもクララは妹のことが心配だったのか、そのことを母親アブリル(エマ・スアレス)に知らせたのだろう。ふたりが暮らす海辺の家に疎遠だった母親が突然姿を現す。
 それまでは母親のことを嫌がっていたバレリアだが、妊娠という初めての経験もあってか、彼女のことを頼りにするようになる。そして子供が産まれて世話をしていくうちに、バレリアは子育ての大変さに根を上げるようになり、アブリルにその世話は回ってくるようになり、アブリルは予想もしなかった行動に出ることに……。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『母という名の女』 アブリルは子供を餌にして父親マテオを自分のところに囲い込むことに……。

 カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得した『万引き家族』は「家族のあり方」を問う作品だったわけだが、『母という名の女』は「母親という女のあり方」を問う作品となっている。かつては家族にしても母親にしてもどこかで普遍的なものが存在しているように感じられていたのかもしれないのだが、近頃ではそうした感覚はあやしくなっているようだ。絵に描いたような家族もあるかもしれないし、良妻賢母の女性だっているかもしれないのだが、そうじゃない場合のほうが多いんじゃないか。そんな多様性の感覚のほうが一般的になってきたということだろうか。
 この作品ではアブリルという母親が自分の娘バレリアから子供を奪い取り、それを餌にして娘の旦那であるマテオまで手に入れ、まるで新婚生活のようなひと時を過ごすことになる。まだ17歳という未熟なふたりだけに、子供を養子に出すという行為はあり得ない話ではないのかもしれないが、何の相談もなく決行するのは常識ハズレなのは言うまでもない。

 なぜアブリルがこんな行動に出たのか。この作品はそうしたことをわかりやすく説明してくれる作品ではない。原題は「アブリルの娘たち」。複数形になっているということは、バレリアと共にクララのことも指しているのだろう。
 ふたりは対照的だ。母親を嫌っているバレリアとは違い、クララは完全に母親の支配下にある。アブリルはクララに対してやさしく接しているけれど、それはクララが従順なときだけなのかもしれない。バレリアの子供を養子に出す手配も、アブリルの指示のもとに、クララが書類作成を手伝っている。クララが母親の行動をどう思ったのかは知らないけれど、クララは唯々諾々と従ったのに対し、バレリアは当然のごとく反発する。そんな関係だから、アブリルは女としての対抗意識を燃やしたということなのだろうか。アブリルは二児の母とはいえ、ヨガのインストラクターとして活躍し、未だに美しい容貌を保っているのだ。
 アブリルの企みがバレリアに知られてしまったときのアブリルの行動もおもしろい。バレリアからすれば母親アブリルから苦し紛れの言い訳くらい聞きたかったんじゃないかと思うのだが、アブリルはそんなやさしさを持ち合わせているはずもなく、すべてを捨てて逃亡することになる。もはや母親と娘の関係というよりは、子供をさらった誘拐犯とその被害者の関係みたいなものだからなのだろう(見知らぬ飲食店に置き去りにされる子供の泣き声が壮絶だった)。
 
 ミシェル・フランコの演出は即物的だ。カメラはミディアムサイズで人物を捉えているが、逆光だったりして登場人物の表情は明らかになることのほうが少ない。だから表情から登場人物の心情を読み取ることも難しいわけで、観客は登場人物の行動を追うほかない。そんなときに印象に残るのが移動シーンで、『父の秘密』でも『或る終焉』でも車での移動や登場人物が誰かを追っていく場面などがあった。
 ミシェル・フランコ監督はインタビューで「車内シーンがよく登場するのは?」という質問に対してこんなふうに答えている(こちらのサイトから引用)。

 劇中で移動するのが好き、ということが一つあります。あと車内というのは親密な空間なので、それを好んでいるというのもあります。車内の設定だと、セリフがないような場面であっても、観客がキャラクターと密着してより親密な空間に身を置くことができるからです。キャラクター達自身が自分の人生を変えるべく、また自分の人生を再訪するべく移動していく物語だとおもうので、移動するということは重要だと思っています。


 本作でも最後のバレリアの行動は「移動する」ことだった。彼女がどこに向かっていて何を目指しているのかが明らかになるのは、その行動にようやく一区切りがついて彼女が安堵の笑みを浮かべたときになる。『或る終焉』のラストを見ている観客としては何が待ち受けているのかハラハラしながら見守っていたのだけれど、最後はホラー映画で得体の知れないモンスターから逃げ出してきた女の子といった感じだった。

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Date: 2018.06.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『万引き家族』 童貞なのに父になる?

 『そして父になる』『海街diary』などの是枝裕和監督の最新作。
 カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作。これは日本映画としては『うなぎ』(今村昌平監督)以来21年ぶりの快挙。

是枝裕和 『万引き家族』 カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作。

 タイトルにあるように“万引き”をするシーンもあるけれど、中心となる元ネタとしては2010年に明らかとなった年金不正受給問題が扱われている。是枝監督は『海街diary』とか『そして父になる』のように稼ぎたいどこか(テレビ局?)からの持ち込み企画と思わしき作品をやりつつも、『誰も知らない』や本作のように社会問題を取り上げてみたりもする。
 さらにそのどちらも商業作品としてある程度成功させつつも、映画作家としてかねてからのテーマ「家族のあり方」を問う作品ともなっている。商業性と作家性の両輪をうまく回しているあたりは稀有な存在なのかもしれない。この『万引き家族』は泣かせる作品にもできたのだろうがそうはせず、冷静な目で家族の行く末を追っていく作品となっている。

 年金不正受給のような問題がメディアで取り上げられる際には、皮相だけを見て「けしからん奴らだ」という論調になりがちだ。個人的にはそういった怒りよりも、親の死を隠蔽してまでその年金を受け取り続けなければ生きていけない家族があちこちにいることが驚きだった。是枝監督は、もしかしたら実際にはこんな事情があったのかもというところに想像力を働かせてこの作品を作り出している。
 ここで登場する家族は、治(リリー・フランキー)が作品冒頭で拾ってきたリン(佐々木みゆ)を含めて6名。治が祥太(城桧吏)に教えているのは“万引き”だから清廉潔白ではないにしても、子供を冬空のベランダに放り出して省みないリンの親よりはマシな家族だろうという気にもなる。しかし実際には、この家族は偽りの家族であることが次第にわかってくることになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『万引き家族』 亜紀(松岡茉優)と信代(安藤サクラ)は拾ってきたリン(佐々木みゆ)を家族としてかわいがる。

◆なぜ偽りの家族が必要だったのか?
 息子に見えた祥太は治が拾ってきた子だし、治と信代(安藤サクラ)も夫婦ではない。祖母に見える初枝(樹木希林)と、治あるいは信代との間にも血縁関係はない。亜紀(松岡茉優)は初枝の元旦那が新しい奥さんとこしらえた子供だから、ここにも血縁関係はない。結局、6人に血のつながりは皆無ということになる。
 それではなぜ偽家族が必要なのか。亜紀は実家に居場所がなくて初枝のところで暮らしている。そのほかも似たようなもので、居場所がないからそこにいるということになるだろう。治たちが初枝の年金をあてにしているように、初枝自身も亜紀との関係を利用しているフシもあり、その絆は善意だけのものではない。しかし、たとえ偽家族がそれぞれを利用し合うような関係だとしても、祥太が語る絵本『スイミー』のエピソードではないけれど、みんなで身を寄せ合うことで生き永らえているという意味で偽家族は必要とされているのだろう。
 おもしろいのは治と信代の関係。ふたりの過去には信代の元旦那を治が殺したという事件があった。しかしそれでいて治と信代は肉体関係がなかったらしい。ふたりのセックスのあとに、治は「できたな」と驚いている。最初は「久しぶりにできた」という意味かと私は思っていたのだけれど、『キネマ旬報』金原由佳の作品評によれば、治は童貞という設定なんだとか。なぜふたりがそんな関係だったのかと言えば、治は様々なことを学ぶ機会がなかったからなんじゃないだろうか(真っ当な男女関係のことすら学ばなかった)。

◆祥太の学んだこと
 この偽りの家族が崩壊するのは、祥太が起こした事件がきっかけとなる。自分が“万引き”をするところまでは許容できた祥太も、妹のようなリンを巻き込むことはためらいがある。家族のことが外部の大人に知られてしまうと、家族の関係性そのものが崩壊してしまうというのは『誰も知らない』にもあったシチュエーションだ。
 しかし『誰も知らない』の明(柳楽優弥)には、学ぶべき大人の存在がなかった。一方で『万引き家族』の治には、“万引き”しか教えられないダメな偽りの父親だったとしても近くに大人がいた。治のような親でも反面教師になることがあるわけで、祥太は治を見てこのままではいけないということを悟ったのだろうと思う。その意味では『誰も知らない』の明よりは、『万引き家族』の祥太のほうがずる賢く生きる力を学んだということになるだろう。
 世の中には様々な家族の形がある。リンの家族は血縁関係があるけれど、共同生活は機能しておらず、リンは存在を否定されている。信代たち偽りの家族がハグによって「ここに居てもいいんだよ」とリンに教えたのとは対照的だ。どんな家族が正しいのかに答えなどないわけで、ダメな家族なら逃げ出す自由があったほうがいい。それに縛られて苦しむくらいならそれを捨てて、血縁とは別の家族のあり方を模索するのも悪くはないのだろう。

 JK見学店で働く松岡茉優のいつもの笑顔とは違う役柄も印象的だったし、樹木希林のおばあさん役もさすがで毒のあることをやりつつも何となく許せてしまうあたりは独壇場だった。なかでも一番光っていたのは安藤サクラだろうか。後半警察に捕まってからの表情には憑き物が落ちて生まれ変わったような美しさがあった。

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キネマ旬報 2018年6月下旬号 No.1782


Date: 2018.06.20 Category: 日本映画 Comments (6) Trackbacks (8)

『Vision ビジョン』 自己陶酔の新しい形?

 『光』『あん』などの河瀨直美監督の最新作。
 カンヌ映画祭の常連の河瀨直美が、そこでジュリエット・ビノシュと出会って出来上がった作品らしい。
 なぜかプロデューサーにはEXILE HIROが名前を連ねている。

河瀨直美 『Vision ビジョン』 ジュリエット・ビノシュ演じるジャンヌは、アキ(夏木マリ)に植物の話を聞くと……。


 フランス人エッセイストのジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)が奈良県吉野の山奥にやってきたのは“Vision”という植物を探すため。ジャンヌはそこで山守を務める智(永瀬正敏)と出会うことになり……。

 これまでの河瀨直美作品が特段難解だと思ったこともなかったのだけれど、この作品はまったく意味がわからなかったというのが正直なところ。
 トンネルを抜けて森の奥に入るとそこは異世界で、時間の感覚が狂い現在も過去も同時に存在するような世界になるらしい。森の中心に位置する神秘的な大木や、その前で森の神に奉納するかのような舞を踊るアキ(夏木マリ)なんかから推測するに、『朱花の月』にも垣間見られた神話的な世界を描こうとしているのだろう。
 ジャンヌが奈良へとやってきたのは“Vision”という植物のためということだったはずなのだけれど、それがいつの間にかに森のなかで起きようとしている1000年に一度の出来事への関心へと移行する。しかし後半では、“Vision”とどんな関わりがあるのかわからないジャンヌの過去の話へと移り、ジャンヌの息子らしき鈴(岩田剛典)という青年の話になっていく。そうこうするうちに森の一部が炎によって焼かれることで何かが回復したらしい。
 自分でも何を書いているのかわからないのだが、この作品をどのように解釈すればいいのか見当もつかない。森のなかの神話的世界に親しく接している人なら理解できるのだろうか。呪術的世界から離れて暮らす多くの凡庸な観客には共有している前提が違うのかもしれない。とにかく「わかる人にはわかる」といった作りになっていて、傲慢さすら感じさせる。
 あまりにわからないので悪口すら言い難いのだけれど、ジュリエット・ビノシュ永瀬正敏のセックスシーンは酷くぎこちなかった。フランスを代表する女優に遠慮してしまったのかもしれないし、河瀨組の演出方法が問題だったのかもしれない。
 河瀨組の撮影現場では役者陣は与えられた役になり切っていて、相手役の人と接するのも撮影のときに限られているのだとか。だから休憩時間や待ち時間に相手とコミュニケーションを図ることすらできないらしい。演出方法としてはおもしろいのかもしれないけれど、演じる場面によっては具合が悪いものにもなっているように感じられた。

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Date: 2018.06.14 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『ビューティフル・デイ』 望んだ自分にはなれなくて

 監督は『少年は残酷な弓を射る』などのリン・ラムジー
 原題は「You Were Never Really Here」
 カンヌ国際映画祭で男優賞(ホアキン・フェニックス)と脚本賞を獲得した作品。
 前回取り上げた『ファントム・スレッド』と同様に、音楽はジョニー・グリーンウッドが担当している。

『ビューティフル・デイ』 ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)とジョー(ホアキン・フェニックス)のふたり。

 売春組織から少女を救い出す仕事を請け負って生計を立てているジョー(ホアキン・フェニックス)。過去のトラウマで自殺願望を抱くジョーは、ビニールを被り呼吸困難に自らを追いやるなど死に囚われた状態にある。それでも仕事をこなしているのは、老いた母(ジュディス・ロバーツ)がいるからで、母の存在だけがジョーをこの世に引き止めている。
 断片的な映像からはジョーの過去に何があったのかを詳細に知ることは難しい。父親からの虐待や、軍人だったころの悲惨な光景、そんな場面が度々ジョーを襲っては苦しめている。この作品の原題は「You Were Never Really Here(あなたはここにいなかった)」であり、この言葉の指すものはジョーの置かれた状況ということだろう。ジョーは自殺願望で今そこに居ながらも、あの世を見ているようでもあるからだ。「心ここにあらず」というやつだろう。
 そして、ジョーが助けることになるニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)という少女も似たような立場にある。ニーナは売春組織に売られ酷い目に遭ったのか、ジョーがそこから救い出してもほとんど茫然自失の状態にあるのだ。

『ビューティフル・デイ』 ジョーは母親を殺した男を痛め付けるのだが……。

 物語は助けたニーナを巡ってさらに血生臭い事態へと展開していくことになるのだが、監督リン・ラムジーが狙っているのは少女を助けるヒロイズムとか暴力描写にあるのではないようだ。
 妙に印象に残るシーンがある。一度は助けたニーナはある男たちに奪い返され、ジョーの自宅では彼の母親も殺害されている。ジョーは母親を殺した男を問い詰めてニーナの居場所を吐かせることになるのだが、その場面がちょっと変わっている。
 というのも、ジョーが男を残酷な方法で殺し、仇討ちをするわけではないからだ。この場面ではラジオから流れる「I've Never Been to Me」という曲を男が口ずさみつつ、ジョーの手を握りながら死んでいくのだ。
 この曲は日本では「愛はかげろうのように」というタイトルで知られているもの。その歌詞は、夢のような生活をしたこともある女性が自らの過去を振り返って、それでも「本当のわたしにはなったことがない」と語るものだ。意訳をすれば、望んだ自分にはなれなかったということになるだろう。この歌詞が死んでいく男の気持ちを代弁しているのは言うまでもない。
 死んでいく男は、ニーナを食い物にする大物政治家の依頼で仕事をしたものの、そのために自分が死ぬ羽目になる。少女を自分のものにしたいがためにあらゆる手段を使うおぞましい人間のために、なぜ自分が死ななければならないのか。そんな虚しさが「I've Never Been to Me」の歌詞と通じているわけで、その男がジョーの手を握ったのは、ジョーの置かれた状況(「You Were Never Really Here」)を察したからなのだろう。誰もがままならない人生を歩んでいるという部分で共通しているのだ。

 この作品のラストには、一応「一筋の光」のようなものが見出せるのかもしれない。それは前作『少年は残酷な弓を射る』でも同様だった。ただ、ラストの「一筋の光」のほうに重きがあるようには思えないのだ。というのも、『少年は残酷な弓を射る』も『ビューティフル・デイ』も、全体的には圧倒的に嫌な気持ちになる作品だからだ。
 この作品の日本版のタイトルは「ビューティフル・デイ」となっていて、これはニーナが外の景色を見てつぶやいた一言だ。それはあまりに唐突と言えば唐突で、逆説的な意味合いとも感じられた。たとえば「死ぬにはいい天気ね」とでも言っているかのように……。最後に「一筋の光」を見せているようでいて、そこまでの真っ暗闇を描きたかったというのがリン・ラムジーの本音なんじゃないだろうか。この暗さがちょっとクセになる。



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Date: 2018.06.07 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ファントム・スレッド』 PTAのオブセッション?

 監督は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』などのポール・トーマス・アンダーソン
 主演にはこの作品が引退作とも噂されるダニエル・デイ=ルイス。前にもそんな話はあったから、またやる気になれば復活するのかもしれないけれど……。
 
『ファントム・スレッド』 仕立て屋のレイノルズ(ダニエル・デイ=ルイス)はアルマ(ヴィッキー・クリープス)をモデルとして見初める。


 1950年代のロンドン。イギリスのファッション業界の中心にいる仕立て屋のレイノルズ(ダニエル・デイ=ルイス)。彼と姉のシリル(レスリー・マンヴィル)が切り盛りするハウス・オブ・ウッドコックは、レイノルズの仕事のための場所であり、それを邪魔するものは排除されていく。ある日、新しいモデルを必要としていたレイノルズが、たまたま入った店でウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)のこと見初めるのだが……。

 出会ったその日に声を掛けられ、家にまで招待されたアルマはウェイトレスの生活から脱出できると喜んだかもしれないのだが、レイノルズが求めるものは普通の男性とは違うことがわかって困惑したかもしれない。
 レイノルズにとってはアルマのよさはその体型の素晴らしさにあって、女性としてアルマを見ているわけではないからだ。完璧主義者で気難しいレイノルズは、アルマの生活音すら嫌悪する。彼にとっては仕立て屋としての仕事がすべてであり、それ以外のことに興味はないのだ。
 一方でアルマとしては自分でも気がつかなかった点を褒められたことは嬉しかっただろうし、社会的地位も経済的豊かさも持っているレイノルズの傍にいることは望むべきところ。願わくばモデルとしてだけではなく、女性としても愛されることを。そんなふうに思うことは自然の流れ。何とかしてレイノルズを振り向かせようと必死になる。

『ファントム・スレッド』 ドレスを着たアルマ。優雅な場面には優雅な音楽が流れる。

 タイトルが指すものはレイノルズに関わることだから主役は男のほうだと思っていたし、どちらかと言えばどんくさいアルマという女性が内に秘めたるものに気づくこともなかったのだけれど、映画が終わってみれば本当の主役はアルマのほうで、彼女がいかにしてレイノルズを攻略していくかという物語だと判明する。
 アルマがどこまで戦略的にそれを狙ったのかはわからないけれど、レイノルズの母親に対する異常なまでの執着は理解していたはず。レイノルズがドレス作りに打ち込むのはそこに亡くなった母の想い出があるからであり、極論すれば母のために仕事をしているのだ。
 だからアルマが毒キノコでレイノルズの身体を機能停止状態にさせることで、自らがレイノルズの母親代わりとなれることを発見したとき活路を見出したのだろう。夢のなかに現れたウェディング・ドレス姿の母親は、アルマが登場することでその位置をアルマに譲る。そのシーンも丁寧に描かれているからアルマが母の代わりであることを見落とすこともないだろう。
 母親のために仕事をしていたレイノルズが、母親代わりのアルマに看病されることに幸福感を抱いたとしてもおかしくはない。もちろん完璧主義者のレイノルズがそれを放棄するまでには紆余曲折があるけれど、赤ちゃんのようにアルマに身をゆだねるのも案外悪くはないんじゃないか。そんな甘美さが最後の共犯関係のような場面には見え隠れしていて、意外にも微笑ましいラストだったのだ。ちなみに町山智浩によれば、ラストは『快楽』マックス・オフュルス監督)のエピソードが元ネタなんだとか……。

 『ファントム・スレッド』を観ながら思ったのは、監督ポール・トーマス・アンダーソンの実体験なんじゃないかということ。町山智浩はインタビューの際にそのことを監督本人に確認しているらしい。とはいえ実体験というだけではなく、主従関係を巡る争いという主題は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』などにも強烈な形で描かれているわけで、ポール・トーマス・アンダーソンにとってのオブセッションとも言える。
 今回は男と女という関係もあり、駆け引きは複雑さを増し、優雅さも加わったようだ。男と男の争いには殺伐とした凄みがあったけれど、ここでは男は女に諸手を挙げて降参する形。それも悪くはないんじゃないかと思った。
 ロマンチックな出会いの場面から、後半の主導権を巡るサスペンスまでを彩るジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)の音楽もとてもいい。

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Date: 2018.06.04 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『レディ・バード』 Ladybird, ladybird, Fly away home.

 『20センチュリー・ウーマン』『フランシス・ハ』などに出演していたグレタ・ガーウィグの監督作品。これまでも脚本などは手がけていたグレタ・ガーウィグの初の単独監督作となるとのこと。
 
グレタ・ガーウィグ 『レディ・バード』 主人公のレディ・バードを演じるシアーシャ・ローナン。赤毛は『20センチュリー・ウーマン』のグレタ・ガーウィグの役柄と共通している。

 この作品は監督で脚本も書いているグレタ・ガーウィグの自伝的要素が入っているとのこと。グレタ・ガーウィグが脚本を書いていた『フランシス・ハ』の主人公も地下鉄構内でオシッコしてしまうような自由さがあったが、『レディ・バード』の主人公クリスティンも、母親との意見の対立から走っている車のなかから飛び出してしまうというメチャクチャな女の子だ。
 主人公を演じたシアーシャ・ローナンは、アカデミー賞に何度もノミネートされていてすでにベテランとすら思えるけれど、この作品ではニキビ面を隠すことなく高校生役を演じている。そんなシアーシャ・ローナンの主演作『ブルックリン』は、故郷のアイルランドを離れ、ブルックリンという都会を第二の故郷とすることになる女性の話だったが、『レディ・バード』は故郷の田舎町サクラメントを離れたくてしかたなかった女の子が、実際に離れることになって初めて故郷の素晴らしさを知る話ということになるだろうか。

『レディ・バード』 最後の場面のレディ・バード。メイクが崩れているのは飲みすぎたから。

 この作品の主人公クリスティンは、親への反抗なのか自分を“レディ・バード”という自らが決めた名前で呼ぶことを周囲に求める。しかし最後の場面では、親から与えられたクリスティンという名前を受け入れることになる。
 友人関係も同様で、一度は日焼けしたカッコいい女の子ジェナ(オデイア・ラッシュ)と親しくなり、以前からの親友でぽっちゃりのジュリー(ビーニー・フェルドスタイン)とは疎遠になってしまうものの、最後にはジュリーとヨリを戻すことになる。
 さらには男性関係も同様だ。最初の彼氏であるダニー(ルーカス・ヘッジズ)は実はゲイだったことが判明し、次の彼氏カイル(ティモテ・シャラメ)とは初体験までするものの彼が嘘つきであることがわかって幻滅する。結局はセックスよりもオナニーのほうがよかったというのも、色々体験して元のところのよさを知るということだろうか。

 それはともかくとしてこの作品でよかったのは主人公レディ・バードと母親マリオン(ローリー・メトカーフ)の関係性だろう。いつも対立しているようでいて、愛情を求めてもいる。女性監督だからこそ描ける母と娘の微妙な関係で、それを具体的に説明することはなかなか難しい。視点は主人公であるレディ・バードのほうにあるのだけれど、時にその視点が母親側に移行する場面もあって、どちらの気持ちもよくわかる。女性がこの作品を観れば色々と共感できたり身につまされたりすることが多いんじゃないだろうか。
 サクラメントをドライブする場面では、ふたりの姿が重ね合わされるように編集されている。ここでは母と娘は違う人間ではあるけれど、同一性を持つ存在のようにも感じられた。母と息子、父と息子の関係だったらそんな感覚は妙なものとなるはずで、母と娘という関係性には独特なものがあるのかもしれないなどと感じた。

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Date: 2018.06.02 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『海を駆ける』 海からやってきた男は何者?

 『淵に立つ』『さようなら』などの深田晃司監督の最新作。
 インドネシアを舞台にした作品であり、重要な役柄を演じるディーン・フジオカは奥様がインドネシア系ということでインドネシア語も披露しているのだが、太賀鶴田真由もインドネシア語の台詞をこなしている。特に太賀の台詞は流暢で、風貌までインドネシア風に見えた。

『海を駆ける』 海からやってきた男を演じるディーン・フジオカ。

 海からやってきた男は何者なのか。
 とりあえずは「ラウ(海)」と名付けられることになった男は、記憶喪失なのか自分の名前すらわからない。たまたま日本語に反応したことから日本人である貴子(鶴田真由)に白羽の矢が立ち、貴子の家の居候としてしばらく暮らすことになる。
 作品の発端に登場するラウだが、その物語の中心に位置することはない。存在感を消し、周りを邪魔することもなく、人のよさそうな笑みを浮かべているだけなのだ。中心となるのは若者たちの青春だろうか。
 父親の遺骨を海に撒くために日本からやってきたサチコ(阿部純子)。そんなサチコのことが気にかかるクリス(アディパティ・ドルケン)は、彼女と仲良くなろうと必死。クリスの幼なじみであるイルマ(セカール・サリ)は、2004年の津波によって家族も家も失い、今はジャーナリストとして活動することを目指して勉強中。貴子の息子であるタカシ(太賀)は、イルマのことが気になっているらしい。
 ちょっと変わっているのは、4人の人種や宗教が様々だということ。サチコは日本人だし、タカシは日本とインドネシアのハーフ、ほかのふたりはインドネシア人。さらにイルマはイスラム教徒だが、クリスは違うらしい。そんな4人だけに色々と食い違いも生じる。クリスは日本人のサチコに告白するために、友人であるタカシに相談するのだが、インドネシアでの暮らしが長く、日本の事情に疎いタカシはクリスに変な言葉を教えることになる。
 「月が綺麗ですね」というのがその台詞。これは夏目漱石が「I love you」の日本語訳としたと言われているもの。シャイな日本人がはっきりと告白をするわけがなく、言うことに困ってそんな言葉をつぶやいてしまうということはあり得るだろう。ただ、文化が違う人との間ではそもそもの前提が共有されていないわけで、クリスの想いは通じることがない。月も出ていない晩にそんなことを言われたサチコは、意味がわからぬままクリスの告白をやり過ごすことに……。

『海を駆ける』 左からアディパティ・ドルケン、阿部純子、セカール・サリ、太賀の4人。

 若者たちのコミカルなやりとりの傍らでラウは何をしているのかと言えば、基本は空気のように佇んでいる。『淵に立つ』では、浅野忠信演じる男が消えたあともその存在感に作品が支配されていくようであったのと対照的だ。『海を駆ける』のラウは不思議な男ではあるけれど、目立つ存在ではないのだ。
 ラウは気が向くと死に掛けの魚を生き返らせてみたり、道端で倒れていた女の子に空中から水を取り出して飲ませてやったりもする。最後には海の上を駆けていくという場面もあって、それらの力は奇跡のようにも思える。
 そんなラウのことを「津波の被害者の魂」だと見る人もいた。しかし一方では、ラウは突然貴子の命を奪ったりもし、子供たちを水のなかに誘い込んで溺れさせたりもしたとも噂される。奇跡を行う一方で、見境なく命を奪いもする。それはまさに神ということなのかもしれない(神の御心は測り知れない)し、「ラウ」の呼び名のままに海の擬人化と捉えることもできるだろう。ラウが空気のように目立たないのは、自然そのものであるからなのだろう。
 不思議な作品ではあるのだが、やや食い足りなさも残る。作品の最初と最後をやさしく包み込むようだったディーン・フジオカ演じるラウ。人に害をなす悪いディーン・フジオカの姿が見られれば、さらに良かったのかもしれないとも思う。とは言うもののラウという役柄は、人助けと同じような笑みのまま、人に害をももたらすのだろう。神のことは知らないけれど、自然は何かの意図をもって人に恩恵を与えたり、生命を奪ってみたりするわけではないわけだから……。

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Date: 2018.06.01 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)
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