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『素敵なダイナマイトスキャンダル』 思いも寄らぬ人生

 『南瓜とマヨネーズ』『ローリング』などの冨永昌敬の最新作。
 「ウイークエンド・スーパー」「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」といった雑誌の編集長として知られる末井昭。彼の自伝的エッセイ『素敵なダイナマイトスキャンダル』がこの映画の原作となっている。

冨永昌敬 『素敵なダイナマイトスキャンダル』 ダイナマイトで爆発する母親を演じた尾野真千子。撮影は月永雄太。

 この作品は末井昭の半生を追うクロニクル(年代記)である。と同時に、70年代初めから80年代の終わりという昭和の風俗史を描いたものでもある。このころの写真雑誌業界には荒木経惟がいて、そのほかにも南伸坊、赤瀬川源平、嵐山光三郎などのサブカル業界では名前を知られた人がうろちょろしていたらしい。映画のなかでも荒木経惟をモデルにした荒木さんというカメラマン(演じるのは菊地成孔)が登場したり、実在の誰かをモデルとしたらしき風変わりな人々が顔を揃える(嶋田久作が演じたダッチワイフ職人のキャラがいい)。
 もちろん末井自身も色々逸話を持つ人物だ。タイトルのダイナマイトというのは“ものすごい”を意味する形容詞ではない。末井昭という人の母親は、実際にダイナマイトで自殺したのだという。しかも隣人の不倫相手と一緒に。山奥の小さな村にとってはとんでもないスキャンダルで、末井の家族は村のなかで白い目で見られることになる。そんなこともあってか、末井は東京に出て働くことになり、紆余曲折を経てエロ雑誌業界で生計を立てることになる。

『素敵なダイナマイトスキャンダル』 末井昭(柄本佑)は浮気相手・笛子(三浦透子)との逃避行に。

◆思いも寄らぬ人生
 おもしろいのはこの作品が「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」といった雑誌を世に送り出した男のサクセスストーリーとは違うということだろうか。最初はデザインに興味を持った末井(演じるは柄本佑)は、デザイン系の学校に通い、自らの情念を表現したいといきり立つ。そのころ知り合った近松(峯田和伸)とは朝まで芸術論を語り明かしたりもする。
 そんな末井がエロ雑誌業界へと紛れ込むのは成り行き上で、ピンサロの看板描きの仕事からの人とのつながりによる。与えられた仕事をそれなりにおもしろがってやっていたら、いつの間にかに編集長にまでなり、30万部もの部数を記録するまでになってしまう。
 ただこの成功が末井の望んでいたもので、その仕事が彼にとっての自己表現だったのかというと、そうではないのだろうと思う。末井は成功を手にすると現実逃避的に浮気に走ったりもし、それと同時にわけのわからない行動も増えてくる。投資に大金をつぎ込んで散在してみたりするのはわからなくもないけれど、猥褻物を取り締まる警察官(松重豊)とのやりとりは官憲をおちょくってるようにすら見えるし、小銭をばら撒きながら街を徘徊する様子はちょっと狂気めいているのだ。表現者を目指していた人がいつの間にかそれを諦めたということなのかもしれないのだが、末井の姿には空虚ささえ感じられるのだ。
 考えてみれば末井の周囲の人々も、それぞれに思いも寄らぬ場所にたどり着いている。末井の妻・牧子(前田敦子)はペット相手に寂しさを紛らわす主婦となり、浮気相手・笛子(三浦透子)は精神を病み自殺未遂をする。夢を語り合った近松ですら、自分で描いたポスターのことを忘れてしまっている。そして何より末井の母親(尾野真千子)は、ダイナマイトで心中するという思いも寄らぬ最期を迎えたのだ。

 この作品では、昭和40年代後半から、末井が「パチンコ必勝ガイド」を出版する昭和63年までの約30年間が描かれる。上映時間は138分と結構長いし、時代を順に追っていくという構成はのんべんだらりとした印象を与えるかもしれない。前半はそんなところもあるのだけれど、後半になり浮気相手との逃避行でどこかの湖畔に「夢のカリフォルニア」が流れるあたりからちょっと趣きが変わる。夢は破れ――というよりどこかに雲散霧消し、もの悲しさみたいなものが感じられるようになってくる後半がとてもいい。末井が扱いに困っていた母親のダイナマイト心中も、最後には笑い話のように語ることができるようになり、同時に結核を病み医者からも見放され、ふたりの子供を残して死ぬことになった母親の心残りをも感じさせるのだ。
 もっとも実在の末井昭本人がそんなことを考えたかどうかはわからない。ただこの作品で脚本・監督を務めた冨永昌敬の構成した末井という人の半生の物語はそんなことを感じさせるのだ。末井は空っぽなのかもしれないのだけれど、空っぽだからこそ時代の空気を読むことに長け、エロ雑誌が廃刊になってもめげることもなく新しい鉱脈(パチンコ)を見つけ出してくる。そこにほかの人にはない才能とかエネルギーがあることは確かなんだろうと思う。それでもやはりとらえどころのない人という印象は変わらないけれど……。

『素敵なダイナマイトスキャンダル』 末井の妻・牧子(前田敦子)の後年の姿。最初はもっとかわいらしい姿で登場する。

◆昭和の女たち
 南伸坊曰く「ボーヨーとした人物」であるという末井昭。そんなつかみどころがない人物を、やはりつかみどころがないままに演じてみせた柄本佑もいい味を出しているけれど、彼を取り巻く女性陣も印象に残る。
 妻役となる前田敦子はかわいらしいツインテールで登場するものの、寂しい主婦と成り果てるまでを演じている。仕事などで家に寄り付かない末井に、「あなたがいない間、私が何してるか考えたことある」と問いかける場面が結構怖い。
 愛人役の三浦透子『私たちのハァハァ』では女子高校生役だった人。あのときもちょっと狂気っぽい役だったけれど、この作品では精神病院に入院するほどになってしまう。退院した後に末井の職場に姿を現したのは、一体何を求めてのことだったのだろうか。自殺未遂で身体に残った傷痕を見せにきたわけではないと思うのだけれども、末井の見せるやさしさもホテルに行くことだけというあたりもどこかもの悲しいエピソードだった。
 荒木さんの「芸術だから」という口車で裸になる女性たちを尻目に、浴衣をちょっとはだけただけの末井の母を演じた尾野真千子が一番艶っぽい。母親の登場シーンは回想だからか、尾野真千子にセリフはまったくない。その代わりにエンドロールで主題歌「山の音」(音楽の担当は菊地成孔小田朋美)で歌声を聴かせてくれている。しかもデュエットの相手は末井昭本人。この曲がとても素晴らしく、ふたりの歌声が作品を見事に締めくくっている。



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Date: 2018.03.25 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『時間回廊の殺人』 ホラー映画に付け加えたスパイス

 監督は『マッド・ドライバー』などのイム・デウン
 主人公ミヒには『シュリ』などのキム・ユンジン。チラシなどでは主人公と同じ扱いだけれど、実際には脇役の神父を演じるのはオク・テギョン(韓国のアイドルグループ2PMのメンバー)。

『時間回廊の殺人』 


 ※ 以下、ネタバレもあり!

 映画はいきなり事件の真っ只中から始まる。何者かが自宅に侵入し、主人公のミヒ(キム・ユンジン)の夫と長男を殺したというのがそのあらましなのだが、ミヒは訳もわからぬままに殺人事件の犯人として逮捕されてしまうことになる。25年後、仮釈放で自宅に戻ったミヒだが、自宅には何者かの気配が感じられ……。

 郊外の一軒家を舞台にしたホラー映画。冒頭からなかなかビックリさせるこけおどしも盛りだくさん。夫は死に、長男も消えたはずの自宅には、何やら蠢くものがいる気配がするはその家に憑いた地縛霊のようなものなのか。
 霊に対抗するためにはということで登場するのが、『哭声/コクソン』でも登場していた祈祷師。『時間回廊の殺人』の祈祷師は普通の人とのコミュニケーションすら不可能なようで、仲立ち役みたいな人まで付いている。出番は少ないのだけれどほとんど顔芸だけ不気味さを演出していてインパクトあり。途中では日本との因縁もあったりして、ごった煮のように色々と詰め込んだ作品となっている。
 ミヒには夫を殺したという記憶はないし、消えてしまった長男はどこへ行ってしまったのか。そのあたりはラストで一気に謎解きして見せる。それまでの伏線もきれいに回収され、母の愛を感じさせるという展開もエンターテインメントとしてまとまっていたと思う。
 惜しむらくは邦題がネタバレになってしまっていることだろうか(実際には邦題に惹かれて劇場まで足を運んだわけなのだけれど)。英題は「House of the Disappeared」となっている(「失踪者の家」だろうか)。どうやら韓国語のタイトルには“時間”という言葉が入っているようなので、邦題も原題通りなのかもしれない。そんなわけで邦題にある通り、この作品はホラー映画にタイムリープものを掛け合わせたものなのだ。これ以上は言わないけれど、タイムリープものが好きな人はそれなりに楽しめるんじゃないだろうか。

追記:調べてみると元ネタがあったようで、ベネズエラ映画の『マザーハウス恐怖の使者』のリメイクなんだとか。ベネズエラ映画ってところがちょっと惹かれる。

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Date: 2018.03.19 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』 笑えないコメディ

 『ロブスター』『籠の中の乙女』ヨルゴス・ランティモスの最新作。
 カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した作品。
 タイトルはギリシャ神話に基づいているなどとも言われているけれど作品内に説明はないし、公式ホームページにも特段の記載はない。

ヨルゴス・ランティモス 『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』 影絵のようなバリー・コーガンがこの作品の主役と言えるかもしれない。=


 心臓外科医のスティーブン(コリン・ファレル)は、眼科医の妻アナ(ニコール・キッドマン)とふたりの子供を持ち、悠々自適な生活を送っている。そんなスティーブンはこっそりマーティン(バリー・コーガン)という青年と会っている。マーティンとスティーブンの関係は一体?

 ふたりの関係性に妙なあやしさを感じていると、実は想像しているようなものではなくて、マーティンはスティーブンが担当した患者の息子だったことがわかってくる。その患者だった男は、スティーブンの手術を受けたあとに死亡した。そんなわけで父なし子となったマーティンに対し、スティーブンは負い目があるのだ。スティーブンがマーティンを家族に紹介すると、家族に不思議なことが起きるようになる。
 スティーブン家の誰かひとり犠牲にならなければならない。そんなことをマーティンは語る。最初に足が萎え、次第に食欲を失い、目から血が出て、最後に死に至る。そしてその犠牲者はスティーブンが選ばなければならない。そんなルールがマーティンから告げられることになる。

『聖なる鹿殺し』 長女のキムを演じるのはラフィー・キャシディ。足が萎えてしまった状態。

 ヨルゴス・ランティモスの作品では、独自のルールが設定される。『籠の中の乙女』では子供たちを守るため外界との接触を絶ち、犬歯が生え変わらなければ外に出ることができないとされた。『ロブスター』では独身者は動物にされてしまうという奇妙なものだった。
 『聖なる鹿殺し』ではマーティンが黒魔術でも使ったのか否かはわからないけれど、とにかく独自のルールが設定されるとそれは堅固なものとなる。スティーブンがマーティンの父親を医療事故で殺してしまったために、スティーブン家には呪いがかけられたのような事態が生じるのだ。家族がひとり減ったから、相手の家族からもひとり減らす。これは「目には目を、歯には歯を」的なルールと言える。これについては社会学者の宮台真司の簡潔な説明がわかりやすい。

 原初的な社会では民衆が司法に参加していました。血讐原理といいます。自分の部族の者が殺されたら相手方の部族を殺し返すこと。これは権利であると同時に義務です。報復しないと、対抗意思を表明しなかったので権利を放棄したと見做されるからです。


 この血讐原理で言えば、マーティンの家族はスティーブンに父親を殺されたわけだから、スティーブンの家族をひとり殺さなければならないということになるわけだ。
 一応マーティンはその前段で別の方法も検討している。スティーブンを父親としてマーティン家に迎えるという方法だ。スティーブンが妻アナと子供たちを棄て、マーティンの母親(アリシア・シルヴァーストーン)のパートナーなることを受け入れれば、スティーブン家の誰かが犠牲になることもなかったということなのだろう。マーティンは不気味な存在だけれど、意外と配慮があるのだ(だからこそ自分の行動を“正義”とまで言うことができるのだろう)。
 それでもスティーブンは自分の家に戻ることを選択したことで、マーティンのルールが発動することになる。最初は色々と足掻いてみるものの、そのルールが堅固なものであることが判明すると、犠牲になりたくない家族たちは延命のためにスティーブンに擦り寄っていく。その必至さが滑稽だった。この作品はコメディなのだ。
 ラストは運を天に任せたとも言えるわけだけれど、スティーブンは自分を犠牲にすることをまったく考慮に入れていないあたりがかなりブラックな味わい。アナが言う通り子供はまたつくればいいということなのかもしれないけれど、コメディとはいえちょっと笑えない話だった。

 ものすごいことを仕出かすわけではないのに観客を不安にさせるバリー・コーガンがいい味を出していた。『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』でも共演しているコリン・ファレルニコール・キッドマンは脇に回った印象だけれど、どちらも真っ裸になって奮闘してもいる。長女のキムを演じるのはラフィー・キャシディで、彼女は『トゥモローランド』で美少女ターミネーターみたいな役柄だった子。そのラフィー・キャシディがアカペラで歌うポップミュージックすらなぜか不気味なものに聴こえてくるような作品だった。

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Date: 2018.03.13 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『シェイプ・オブ・ウォーター』 様々な愛の形

 『パンズ・ラビリンス』『パシフィック・リム』などのギレルモ・デル・トロの最新作。
 アカデミー賞では作品賞・監督賞など4部門を受賞した。

ギレルモ・デル・トロ 『シェイプ・オブ・ウォーター』 アカデミー賞作品賞を受賞した作品。きれいなグリーンの色合いが印象的。


 政府の研究施設で清掃員として働くイライザ(サリー・ホーキンス)は、アマゾンの奥地から連れてこられた不思議な生き物を目撃し、それに興味を抱く。その生き物は施設の研究材料とされ、警備主任のストリックランド(マイケル・シャノン)はそれを目の敵にしていた。

 半魚人のような生き物と人間の女性の恋物語。そんなふうに要約すると聞こえはいいのだけれど、ディズニーの『美女と野獣』のようなおとぎ話とは趣きが異なる。ギレルモ・デル・トロは『美女と野獣』のラストが気に入らなかったようで、野獣がハンサムな王子様に戻ってしまったら意味がないじゃないかと考えているようだ(「見た目なんか関係ない」って話だったはずだから)。
 『シェイプ・オブ・ウォーター』では半魚人は半魚人のまま女性と愛し合うことになるわけだけれど、人間の側のイライザもお姫様というわけではない。イライザは夜勤で働く中年女性で、夜になると目覚め、朝方仕事から帰ってくるという生活をしている苦労人なのだ。しかも目覚めたあとには風呂で自慰に耽るのを習慣にしている。そんなわけでディズニー作品の主人公とは相容れないようなキャラクター造形なのだ。

イライザ(サリー・ホーキンス)は半魚人と恋に落ちる。

 私自身はモンスター映画には不案内なので、『シェイプ・オブ・ウォーター』の半魚人を最初に見たときは何となく『河童』(石井竜也監督)のクリーチャーを思い出したのだけれど、実は『シェイプ・オブ・ウォーター』には元ネタがあって『大アマゾンの半魚人』からかなりインスパイアされているようだ。モンスター映画がアカデミー賞作品賞というもの珍しいような気もするけれど、エメラルドグリーンの色合いが印象的な水中撮影は見事だったし、セットなどの美術造形も凝っているところが評価されたということなのだろう。
 ギレルモ・デル・トロが子供のころに観た『大アマゾンの半魚人』が出発点だったとしても、それだけではかなりマニアックな作品というだけになりそうなものだけれど、この作品では主人公イライザの部屋の下が映画館となっていて、古い映画への目配せもある。イライザは生まれ持った声帯の傷のために言葉をしゃべることができないという設定で、その相手となる半魚人も人の言葉を解しないために、サイレント作品のような雰囲気も持ち合わせている。それからイライザの周囲には、ゲイの画家ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)とか、黒人の同僚ゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)など、マイノリティの人たちを配置して多様性にも配慮しているようなところもある。そんなあれこれひっくるめてアカデミー会員にウケたということなのかもしれない。
 個人的な感想を言えば、芸術点が高いのはもちろんわかるのだけれど、なぜかあまり琴線に触れなかったというのが正直なところ(アカデミー賞を争った作品のなかでは『スリー・ビルボード』のほうが好み)。半魚人に対する思い入れというものに欠けるからだろうか。
 一方で主役のイライザを演じたサリー・ホーキンスはとてもよかった。『ハッピー・ゴー・ラッキー』などでも白痴すれすれの無垢さを感じさせる人で、イライザにもストリックランドに虐待される半魚人を放っておけないという人のよさが感じられた。それが男女(?)の行為にまで発展していくところも無垢さがあればこそということだろう。タイトルは“水の形”とされている。水は入れ物次第でどんな形にでもなるわけで、それと同様に愛にも様々な形があるということなのだろう。

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ギレルモ・デル・トロの作品
Date: 2018.03.09 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『ハッピーエンド』 今度は皮肉が含まれている

 『白いリボン』『愛、アムール』などのミヒャエル・ハネケ監督の最新作。

ミヒャエル・ハネケ 『ハッピーエンド』 妙に細長いサイズなのはスマホの画面だから。ラストシークエンスの青空はとても晴れやか……。

 『ハッピーエンド』ではフランス北部の町カレーのブルジョア一家が描かれる。家長のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)はすでに引退しており、娘のアンヌ(イザベル・ユペール)がその建設会社を受け継いでいる。その弟のトマ(マチュー・カソヴィッツ)は医者で、二度目の妻と暮らしていたのだが、トマの最初の結婚のときの娘エヴ(ファンティーヌ・アルデュアン)が訳あって一緒に暮らすことになる。

 家業の建設会社では現場で大きな事故があり、アンヌやその息子が対応に追われているのだが、彼らはそれ以外にも様々問題を抱えている。トマは浮気をしているし、ジョルジュは自殺を試みたりもする。しかしながら、彼らはひとつ屋根の下に居ながらもそれらの問題を面と向かって話し合ったりすることはなく、SNSなどのコミュニケーションツールでのほかの誰かとのやりとりで憂さを晴らしている。
 エヴは元々母親と暮らしていたのだけれど、口うるさい母親に嫌気がさしたのか、ハムスターを薬で「静かにさせた」のと同様に、母親のことも「静かにさせた」などと恐ろしい内容をSNSにアップしたりもしている。作品内では実際に母親に薬を盛るシーンはないものの、母親は病院送りとなり死んでしまうことになる。

◆『愛、アムール』の続編?
 『愛、アムール』以来の5年ぶりのミヒャエル・ハネケの新作。この作品でも『愛、アムール』の主演だったジャン=ルイ・トランティニャンが登場し、娘役にはイザベル・ユペールという『愛、アムール』と同じ組み合わせとなっている(役名まで同じ)。
 さらにジョルジュが抱えた秘密が後半で明らかになるのだが、これも『愛、アムール』のジョルジュを引き継いだような形ともなっていて、まるで『愛、アムール』の続編のような趣きとなっている(実際にはまったく別の話)。
 『愛、アムール』では、ジョルジュは愛するがゆえに妻を殺してしまう。私は勝手にジョルジュも死んだんじゃないだろうかと推測していたのだけれど、『ハッピーエンド』のジョルジュは妻を殺しつつも生き永らえているという設定となっている。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ハッピーエンド』 エヴを演じたファンティーヌ・アルデュアン。

◆「現実」と「撮影された映像」
 ハネケ作品では「作品内の現実」とは別の「撮影された映像」が度々導入されることになる。もちろん映画はすべてが「撮影された映像」であるから、それを区別することができない場合もあって、それが『隠された記憶』ではうまく機能していた(『ミヒャエル・ハネケの映画術』のレビュー参照)。
 この作品でも冒頭に登場するのは、エヴがスマホで撮影した母親やハムスターの映像だ。チラシにも使用されている細長い画面は、スマホの映像をそのまま取り入れているから。ほかにも建設現場の監視カメラの映像のなかでは、土砂崩れが発生する瞬間が捉えられる。スマホの画像はその形状からも明らかだし、監視カメラの映像も画面に時間が表示されることで、「作品内の現実」とは明確に区別がなされている。
 そのためこの作品では『隠された記憶』のように「作品内の現実」と「撮影された映像」のレベルが混沌としてくるようなことはない。それでもこの作品のキモであるジョルジュとエヴの対話のなかでは、「作品内の現実」と「撮影された映像」との違いが語られることになる。
 
◆ジョルジュがエヴに伝えたかったこと
 エヴは父親のトマが浮気をしていることを知り、自分が棄てられるのではないかと恐れ、自殺をすることで父親の注意を引く。トマはそんなエヴのことが理解できずに、ジョルジュに助けを求め、ジョルジュがエヴと話し合うことになる。
 ジョルジュはエヴのSNSなど知るはずもないのだけれど、自殺を仕出かした者同士だからか、彼女のことをすべてお見通しであるかのように語りかける。そこで語られることになるのが、ジョルジュがかつて自分の妻を殺したという事実だ。
 そしてそれに続くのが、野生の鳥の話だ(『愛、アムール』でも鳩のエピソードが印象的だった)。野生のなかでは大きな鳥は小さな鳥を餌とする。たとえばそれをテレビのドキュメンタリー番組として見るならば、弱肉強食の野生の掟を示すものとして理解できる。しかしそれが実際に自分の目の前で起きている現実だとすると震えてしまう。そんなことをジョルジュは告白するのだ。
 「現実」と「撮影された映像」との差異がジョルジュの告白のなかには示されている。「撮影された映像」となれば何となく受け入れてしまうこともできるけれど、むき出しの現実には震える。ジョルジュはそんなふうに語りかけるのだ。
 エヴがSNSでやっていることはむき出しの現実を直視しようとはせず、スマホのカメラを通して現実を受け入れやすくするということなのかもしれないのだ(別の言い方をすれば現実逃避とも)。最後にジョルジュはエヴの手を借りて再び自殺を図ることになるのだけれど、エヴはジョルジュに怨みはないわけでその行動に戸惑ってもいる。エヴがその自殺の様子をスマホで撮影するのは悪趣味とも言えるけれど、エヴなりのむき出しの現実に対する対処の仕方だったようにも思えるのだ。
 一方でジョルジュはむき出しの現実と向き合ってきたという自負があるのかもしれない。だからこそ過去をエヴに語ることも辞さなかったし、それを悔いることもない(自殺は自由が奪われてしまうのを拒むということであって、妻を殺したことを悔いるからではないのだろう)。ジョルジュとしては老婆心ながら、むき出しの現実とぶつかることのススメをエヴに説いたということなのだろう。
 これはいつも不快な映画ばかり撮ると言われているハネケの姿勢そのものでもあるのだろう。老夫婦の幻想が描かれる『愛、アムール』は例外的な作品であり、『ハッピーエンド』も嫌な現実を見せつけられる作品となっている。当然、タイトルには皮肉が含まれてもいるのだろう。ラストの青空はハッピーエンドにふさわしい色合いだけれど、起きている出来事はスッキリさせてくれるようなものではないのだ。

 『少女ファニーと運命の旅』ではしっかり者の姉と無邪気な妹の間で、美形でもちょっと影が薄かったファンティーヌ・アルデュアンだけれど、今回の作品では作品の核となる微妙な年頃の少女そのものといった感じでインパクトを残したと思う。

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ミヒャエル・ハネケの作品
Date: 2018.03.07 Category: 外国映画 Comments (2) Trackbacks (4)

『15時17分、パリ行き』 未然、突然、偶然、必然……

 『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』などのクリント・イーストウッド監督の最新作。
 2015年に起きたタリス銃乱射事件の映画化。実際に犯人を取り押さえた3人が、映画のなかでも本人役として登場する。最後はフランスのオランド大統領から勲章を授与されるという実際のニュース映像へとつながっていくのだが、さすがに本人が演じているだけにその移行もスムーズだった。

クリント・イーストウッド 『15時17分、パリ行き』 タリス銃乱射事件の映画化。

 『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』などで何度も実話の映画化してきているクリント・イーストウッド監督。今回のタリス銃乱射事件がほかの実話と異なるのは、事件を未然に防いでしまったというところにある。この事件では乗客の一人が重傷を負うことになったわけだけれど、列車という密室に自動小銃などを持ち込んでテロ行為に及ぶという絶体絶命の状況のなか、被害が最小限で済んだのは奇跡のような出来事だったのかもしれない。
 この映画はそれが奇跡ではなかったということを示してみせようという意図なんだろうと思う。映画のなかでは描かれていないけれど、ウィキペディアによると実際の事件では、事件に気づいた乗務員は乗務員室に逃げ込んで鍵をかけてしまったのだという。そんななか偶然その列車に乗り合わせたアメリカ人の軍人2名とその友人が犯人制圧に成功することになる。

『15時17分、パリ行き』 スペンサー・ストーンは事件に遭遇し自分のなすべきことをなす。

 この作品の脚本はドラマツルギーとしては失敗していると言ってもいいのかもしれない。というのも事件は未然に防がれたからで、ドラマとしては盛り上がりに欠けるからだ。たとえば『ハドソン川の奇跡』でも飛行機事故自体はあっという間に終わってしまうから、視点を変えて3回事故を描いたり、国家運輸安全委員会での聴き取りをクライマックスに持ってきたりもしている。
 しかし『15時17分、パリ行き』では事件は唐突に起き、あっという間に終わってしまう。主役の3人スペンサー・ストーンアレク・スカラトスアンソニー・サドラーは、偶然にもその列車に乗り合わせ、しかも犯人が銃を持って姿を現すことになる一等車両に席を移動している。チャンスは多分一瞬しかなかったはずだ。それでも中心人物となるストーンは、その一瞬に自分のなすべきことをなす決断をすることができたのだ。
 この映画では一応事件が起きることは最初から触れられていて、そこに至るまでの長い時間が追われることになる。3人の出会いから始まって、久しぶりに再会しての初めてのヨーロッパ周遊のエピソードが丁寧に描かれる。つまりは事件の前の何気ない日常の場面が続いていくことになるのだ。
 事件を起こしたテロリスト側から描いたとしたら、緊張感のあるドラマを積み上げていくこともできたはずだけれど、この映画ではたまたま事件に遭遇したヒーローの側から描いていくために、楽しい観光旅行の最中に事件は唐突に生じることになるのだ。

 「幸運の女神には前髪しかない」という言葉がある。幸運の女神をつかまえようとしたら、すれちがって振り返ってからでは遅いということだ(後ろ髪はないから)。つまりはチャンスをつかみ取るには、常に準備をして、待ち構えていなければならないのだ。
 この事件の場合はストーンたちが遭遇したのは女神でもチャンスでもないけれど、決断の瞬間がわずかでも遅れていたら、事件を未然に防ぐことはできなかっただろう。ストーンが紆余曲折あって学んできたことのすべてがその瞬間の決断に活かされ、その後の人命救助にも役立っている。彼が「大きな目的」に向かって動かされていると感じているように、運命的に事件に導かれていったようにすら感じられる。3人が事件に遭遇したのは偶然なはずだけれど、後から振り返ると事件を未然に防げたのは必然のようにも思えてくるのだ。
 それでも突然の事件、しかも未然に防がれた事件を描くというのはなかなか難しい仕事だ。事件が唐突すぎて物語の盛り上げようがないからだ。ただ現実はそんなものだから仕方ない。普通はそんな話を映画化するのは難しそうだ。この企画をほかの監督がやろうとしても企画倒れになったんじゃないだろうか。クリント・イーストウッドだからこそ成り立った作品だと言えるかもしれない。

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Date: 2018.03.04 Category: 外国映画 Comments (11) Trackbacks (7)

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』 ソフィア女子学園の余計なもの

 『ヴァージン・スーサイズ』などのソフィア・コッポラの最新作。
 1971年のクリント・イーストウッド主演の『白い肌の異常な夜』(監督ドン・シーゲル)のリメイク。
 カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した作品。

ソフィア・コッポラ 『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』 女優陣が着こなす白い衣装が印象的。


 南北戦争時代のバージニア州。マーサ・ファーンズワース女子学園に傷を負った北軍兵士マクバニー(コリン・ファレル)がやってくる。敵側の男とはいえ、瀕死の傷を負った兵士を見捨てるわけにもいかず、傷が回復するまで面倒を見ることになる。女だけの学園に闖入した男によって、女だけで保たれていた学園の秩序が乱されていくことに……。

 キノコと一緒にマクバニーを森で拾ってきたエイミー(ウーナ・ローレンス)にとっては彼はペットみたいなものだったかもしれないし、ほかの一部の少女にとっては危険な敵(ヤンキー)でしかないかもしれないし、マーサ園長にとっては厄介事だったのかもしれない。しかし、それと同時に戦争に味方の男を取られた時代にあっては、マクバニーの存在は女たちの欲望を駆り立てるきっかけにもなる。マーサ園長(ニコール・キッドマン)も介抱をしながらも男の肉体になまめかしいものを感じているようだし、ませたアリシア(エル・ファニング)は積極的に迫ろうとする。そして男を知らないらしい教員のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)も気が気ではない。

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』 マーサ園長(ニコール・キッドマン)とエドウィナ(キルスティン・ダンスト)などがひとりの男に翻弄される?

 この作品は一部でホワイトウォッシングだとして批判されているのだという。というのは『白い肌の異常な夜』には登場していた黒人奴隷の存在が省かれているからだろう。ただ、この作品で省かれているのは黒人奴隷だけではない。上映時間は『白い肌の異常な夜』が105分に対し『ビガイルド』は93分。余計なものをそぎ落とした作品になっているのだ。
 『白い肌の異常な夜』から削られたのは多い。園長マーサの過去(兄との近親相姦)もまったく消されているし、マクバニーが絵画のなかのキリストと重ね合わせられる官能的なシーンもない。これらを削ったのは、ソフィア・コッポラが自分の望むように女たちを戯れさせるためには邪魔だったということなのだろう。
 ソフィア・コッポラはもともと社会問題とかよりは、『SOMEWHERE』でも描かれたようなミニマルな自分の世界のほうに関心があるのだろうと思う。『マリー・アントワネット』ですらほとんど歴史を感じさせず、きらびやかな女の子の世界だったし……。
 白を基調とした衣装を身にまとった女性たちが戯れている様子を見ていると、ソフィア・コッポラがやりたかったのは『ピクニックatハンギング・ロック』なんじゃないだろうかとも思えた(振り返ってみると『ヴァージン・スーサイズ』すらその影響下にあるのかもしれない)。白へのこだわりは徹底的で、彼女たちが最後に編み上げることになるある物すらも、かわいらしい純白に仕上げられることになる(『白い肌の異常な夜』のその色とは対照的に)。
 そんな世界では男っぽい男は不要とでもいうのか、普段はもっと男臭いコリン・ファレルもこの作品では好青年といった印象に留まっている。ソフィア・コッポラにとっては女たちの世界こそが重要なのであって、夾雑物を取り除いて彼女好みの統一感を出すことが必要だったのだろう。その分、こじんまりとしてしまった感じは否めないのだけれど……。
 ソフィア・コッポラが自分を重ねていると思われるキルスティン・ダンストはこの作品でも重要な位置にいるけれど、役づくりなのか年増感が著しいような。

ビガイルド 欲望のめざめ


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ソフィア・コッポラの作品
Date: 2018.03.01 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)
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