『素敵なダイナマイトスキャンダル』 思いも寄らぬ人生
「ウイークエンド・スーパー」「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」といった雑誌の編集長として知られる末井昭。彼の自伝的エッセイ『素敵なダイナマイトスキャンダル』がこの映画の原作となっている。

この作品は末井昭の半生を追うクロニクル(年代記)である。と同時に、70年代初めから80年代の終わりという昭和の風俗史を描いたものでもある。このころの写真雑誌業界には荒木経惟がいて、そのほかにも南伸坊、赤瀬川源平、嵐山光三郎などのサブカル業界では名前を知られた人がうろちょろしていたらしい。映画のなかでも荒木経惟をモデルにした荒木さんというカメラマン(演じるのは菊地成孔)が登場したり、実在の誰かをモデルとしたらしき風変わりな人々が顔を揃える(嶋田久作が演じたダッチワイフ職人のキャラがいい)。
もちろん末井自身も色々逸話を持つ人物だ。タイトルのダイナマイトというのは“ものすごい”を意味する形容詞ではない。末井昭という人の母親は、実際にダイナマイトで自殺したのだという。しかも隣人の不倫相手と一緒に。山奥の小さな村にとってはとんでもないスキャンダルで、末井の家族は村のなかで白い目で見られることになる。そんなこともあってか、末井は東京に出て働くことになり、紆余曲折を経てエロ雑誌業界で生計を立てることになる。

◆思いも寄らぬ人生
おもしろいのはこの作品が「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」といった雑誌を世に送り出した男のサクセスストーリーとは違うということだろうか。最初はデザインに興味を持った末井(演じるは柄本佑)は、デザイン系の学校に通い、自らの情念を表現したいといきり立つ。そのころ知り合った近松(峯田和伸)とは朝まで芸術論を語り明かしたりもする。
そんな末井がエロ雑誌業界へと紛れ込むのは成り行き上で、ピンサロの看板描きの仕事からの人とのつながりによる。与えられた仕事をそれなりにおもしろがってやっていたら、いつの間にかに編集長にまでなり、30万部もの部数を記録するまでになってしまう。
ただこの成功が末井の望んでいたもので、その仕事が彼にとっての自己表現だったのかというと、そうではないのだろうと思う。末井は成功を手にすると現実逃避的に浮気に走ったりもし、それと同時にわけのわからない行動も増えてくる。投資に大金をつぎ込んで散在してみたりするのはわからなくもないけれど、猥褻物を取り締まる警察官(松重豊)とのやりとりは官憲をおちょくってるようにすら見えるし、小銭をばら撒きながら街を徘徊する様子はちょっと狂気めいているのだ。表現者を目指していた人がいつの間にかそれを諦めたということなのかもしれないのだが、末井の姿には空虚ささえ感じられるのだ。
考えてみれば末井の周囲の人々も、それぞれに思いも寄らぬ場所にたどり着いている。末井の妻・牧子(前田敦子)はペット相手に寂しさを紛らわす主婦となり、浮気相手・笛子(三浦透子)は精神を病み自殺未遂をする。夢を語り合った近松ですら、自分で描いたポスターのことを忘れてしまっている。そして何より末井の母親(尾野真千子)は、ダイナマイトで心中するという思いも寄らぬ最期を迎えたのだ。
この作品では、昭和40年代後半から、末井が「パチンコ必勝ガイド」を出版する昭和63年までの約30年間が描かれる。上映時間は138分と結構長いし、時代を順に追っていくという構成はのんべんだらりとした印象を与えるかもしれない。前半はそんなところもあるのだけれど、後半になり浮気相手との逃避行でどこかの湖畔に「夢のカリフォルニア」が流れるあたりからちょっと趣きが変わる。夢は破れ――というよりどこかに雲散霧消し、もの悲しさみたいなものが感じられるようになってくる後半がとてもいい。末井が扱いに困っていた母親のダイナマイト心中も、最後には笑い話のように語ることができるようになり、同時に結核を病み医者からも見放され、ふたりの子供を残して死ぬことになった母親の心残りをも感じさせるのだ。
もっとも実在の末井昭本人がそんなことを考えたかどうかはわからない。ただこの作品で脚本・監督を務めた冨永昌敬の構成した末井という人の半生の物語はそんなことを感じさせるのだ。末井は空っぽなのかもしれないのだけれど、空っぽだからこそ時代の空気を読むことに長け、エロ雑誌が廃刊になってもめげることもなく新しい鉱脈(パチンコ)を見つけ出してくる。そこにほかの人にはない才能とかエネルギーがあることは確かなんだろうと思う。それでもやはりとらえどころのない人という印象は変わらないけれど……。

◆昭和の女たち
南伸坊曰く「ボーヨーとした人物」であるという末井昭。そんなつかみどころがない人物を、やはりつかみどころがないままに演じてみせた柄本佑もいい味を出しているけれど、彼を取り巻く女性陣も印象に残る。
妻役となる前田敦子はかわいらしいツインテールで登場するものの、寂しい主婦と成り果てるまでを演じている。仕事などで家に寄り付かない末井に、「あなたがいない間、私が何してるか考えたことある」と問いかける場面が結構怖い。
愛人役の三浦透子は『私たちのハァハァ』では女子高校生役だった人。あのときもちょっと狂気っぽい役だったけれど、この作品では精神病院に入院するほどになってしまう。退院した後に末井の職場に姿を現したのは、一体何を求めてのことだったのだろうか。自殺未遂で身体に残った傷痕を見せにきたわけではないと思うのだけれども、末井の見せるやさしさもホテルに行くことだけというあたりもどこかもの悲しいエピソードだった。
荒木さんの「芸術だから」という口車で裸になる女性たちを尻目に、浴衣をちょっとはだけただけの末井の母を演じた尾野真千子が一番艶っぽい。母親の登場シーンは回想だからか、尾野真千子にセリフはまったくない。その代わりにエンドロールで主題歌「山の音」(音楽の担当は菊地成孔と小田朋美)で歌声を聴かせてくれている。しかもデュエットの相手は末井昭本人。この曲がとても素晴らしく、ふたりの歌声が作品を見事に締めくくっている。
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