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『リバーズ・エッジ』 ラストの解放感?

 原作は『ヘルタースケルター』などの岡崎京子の同名漫画。
 監督は『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』『円卓』などの行定勲
 原作は岡崎京子の代表作とされる作品とのこと。一応、私自身もどこかで読んだ記憶はあるのだけれど、リアルタイムではなかったし、内容に関してはほぼ忘れていた。映画の最後にウィリアム・ギブソンの名前が出てきたときになって、ようやく“平坦な戦場”という言葉を急に思い出したけれど……。

行定勲 『リバーズ・エッジ』 若草ハルナ(二階堂ふみ)と山田一郎(吉沢亮)。二階堂ふみの熱望もあって実現した作品とあって、ヌードまで披露して難しい役どころを演じている。


 女子高生の若草ハルナ(二階堂ふみ)は恋人・観音崎にいじめられている山田一郎(吉沢亮)を助けたことから、山田が大切にしている宝物を見せてもらうことになる。それは河原の藪のなかで見つけた死体だった。

◆“平坦な戦場”のキツさ
 この作品が舞台としている90年代がどんな時代だったのか。そんなことはわからないけれど、“平坦な戦場”という感覚は、多くの若者が持ち合わせていたものだったのかもしれないとも思う。
 原作が連載されたのが1993年~94年。その後の95年には、地下鉄サリン事件が起きている。それを論じた本のなかで、社会学者の宮台真司は“終わりなき日常”というキーワードを使ったのだけれど、これは“平坦な戦場”とも通じ合う言葉だろう。大雑把にまとめれば、オウム信者たちが“終わりなき日常”に耐え切れなくなったことが事件へとつながるひとつの要因となっているということになるだろう。なぜ耐え切れないかと言えば、“終わりなき日常”はキツいからだ。
 『リバーズ・エッジ』では、普通の高校生ではあり得ないような出来事が次々と起きる。到底“平坦”とは言えない“過酷”な戦場とも思える。山田一郎はいじめられているし、いじめる側の観音崎(上杉柊平)も家庭環境に問題を抱えている。山田と一緒に死体を宝物としているこずえ(SUMIRE)は摂食障害であり、小山ルミ(土居志央梨)は妊娠してしまう。
 そんななかで周囲のトラブルに巻き込まれることになるハルナだけは取り立てて問題がないようにも見える。ただ、ハルナはほとんど感情的になるところがない。子猫が殺されたときには号泣するけれど、あとはタバコを吸いながら醒めた目で周りを見ている。観音崎と浮気相手のルミのセックスが濃厚なものだったのに比べ、観音崎とハルナのセックスの味苦なさにもよく表れているように、ハルナがその大きな目で見つめているのは日々の“ダルさ”なのだ。“平坦な戦場”のキツさは、この“ダルさ”にこそあるんじゃないだろうか。
 山田やこずえが死体を宝物としているのは、どのみちすべてがご破算になるという事実から勇気をもらったり、キレイぶった世の中に対してザマアミロと感じさせてくれるからでもある。そしてまた“平坦”な日常に一瞬でも風穴を開ける何かを求めていたからでもあるのだろう。山田がもうひとつの死体に出会ったときの歓喜の表情にはそんな気持ちが表れていた。しかし現実には死体はその辺に転がっているわけではないし、戦場とも言える“平坦”な日々が続いていくことになる。

『リバーズ・エッジ』 出演陣の顔ぶれはこんな感じ。昨年の『花戦さ』もよかった森川葵が印象に残った。

◆ラストの解放感?
 この映画で原作漫画にはなく、映画独自に付け加えられているのがインタビュー・シーンだ。インタビュアーの質問に答えているのは登場人物でもあり、それを演じる役者そのものでもある。役者は登場人物になりきって答えているはずなのだけれど、インタビュアーは自由な質問を投げかけ、それに対する答えが用意されているわけでもない。だから田島カンナを演じた森川葵のように言葉に詰まってしまうような場合もある。行定監督には原作が描いた90年代と現在とを、それを演じる若者の言葉によってつなげる意図があったようだ。
 個人的にはこのインタビュー・シーンには、インタビュアーである大人と答える側にいる若者との隔たりのようなものを感じた。インタビュアーはスクリーンの外にいるために見えることはないけれど、その声は行定監督のものなのだという(そのツッコミが『A』などの森達也のように思えたのだけれど)。
 インタビュアーの質問はやや抽象的でもあり、的外れとは言わないまでも、若者たちの気持ちを掬い取るには至っていない。というよりも若者にとってインタビュアーのような大人は、自分たちと同じ戦場を生き抜いた先達とは見えていないのかもしれない。
 この映画のなかでは学校が舞台となっているにも関わらず、先生の姿は授業中にちょっとだけ見られるくらいで、みんなが授業をサボり、屋上でタバコをふかしていても一切注意されることもない。大人の気配がほとんどないのだ。自分たちとは違う世界に住む大人に、若者が感じている何かをうまく説明できるはずもないのかもしれない。
 そして不思議だったのがラストで、ここではすべての事件が終わった後、ハルナと山田とが川に架かる橋の上で語り合う。山田とハルナの間には死体を通じた奇妙なつながりが芽生えているけれど、だからと言ってハルナが安堵のような涙を見せる理由が私にはいまひとつ掴めなかった。私自身が若者の心を理解しないような大人になってしまったということなのかもしれないのだけれど、それだけではなくハルナ自身にもうまく説明できないような感情だったのかもしれないとも思う。
 ラストシーンではそれまで狭苦しいスタンダードサイズだったスクリーンが、ビスタサイズになっていたのだという(雑誌『映画芸術』の監督インタビューによる)。カットが切り替わる瞬間にサイズが変わるために、多くの観客は気がつかないようだ(私もまったく気がつかなかった)。けれどもスクリーンサイズの変更によって、ラストに妙な開放感があったことは確か。それによってハルナはちょっとだけ“ダルさ”からも解放されたようにも感じられ、その後に続く小沢健二が希望を込めて書き上げた曲もそれを後押ししていた。
 大人側にいる行定監督としては、若者の気持ちの機微はうまくわからなくとも、映画のテクニックでそれを伝えようとしたということなのかもしれない。もっとも、簡単に伝わるようなことならば岡崎京子は漫画を描かなかっただろうし、行定勲もそれを映画にしようともしないだろうとも思う。

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Date: 2018.02.20 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『グレイテスト・ショーマン』 ミュージカルらしいミュージカル

 P.T.バーナムという実在した興行師を描いたミュージカル作品。
 監督はマイケル・グレイシー。本作が長編映画のデビュー作で、これまではミュージック・ビデオなどを手がけていたとのこと。
 音楽はジャスティン・ポールベンジ・パセックのソングライターコンビ。このふたりは『ラ・ラ・ランド』では作詞を担当していたらしい。

マイケル・グレイシー 『グレイテスト・ショーマン』 P.T.バーナムを演じたヒュー・ジャックマン。

 P.T.バーナムを演じたヒュー・ジャックマンは、すでに『レ・ミゼラブル』でも歌声を披露していて歌える人だということはわかっていたのだけれど、台詞もすべて歌になっていた『レ・ミゼラブル』はどちらかと言えば変化球だったような気もするわけで、『グレイテスト・ショーマン』のほうがいかにもミュージカルらしいミュージカルだった。とにかくショービジネスの世界の話だけに、賑やかで色鮮やかで躍動感のあるダンスも満載だった。
 バーナムという人が最初にやったのは見世物小屋のようなものだったわけで、彼らを食い物にしているというところもある。ただ、バーナム自身も底辺から這い上がった人だっただけに、フリークスに対しての偏見はなかったという点ではダイバーシティ(多様性)という観点からは美点とも言える。一時は上流階級に対する憧れからか、大切な妻(ミッシェル・ウィリアムズ)と子供との生活を忘れ、過大な夢を追いすぎて失敗することにもなるけれど、仲間たちの助けを得て再起して今あるサーカスの原型のような形を作り上げることになる。

 冒頭のカッコいい「グレイテスト・ショー」で一気に引き込まれ、通奏低音のように映画全体に響いていく「ア・ミリオン・ドリームズ」はこの作品一番の聴きどころだろうか。アカデミー賞主題歌賞にノミネートされた「ディス・イズ・ミー」のメッセージはアカデミー賞会員にはウケがいいだろし、ラブ・ロマンスの部分は「リライト・ザ・スターズ」でといった感じで、どれもこれも耳馴染みのいい曲が揃っている。
 映画として革新的なところはないし、わかりきった話でもあるのだけれど、バーナムという人の信念は「最も崇高な芸術とは人を幸せにすることだ」というわけで、余計な人間ドラマなんか必要なく、ミュージカルらしく歌と踊りで十分に楽しませ、幸せにしてくれる作品となっている。

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Date: 2018.02.18 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『マンハント』 比べちゃいけないのかもしれないが……

 『フェイス/オフ』『ミッション:インポッシブル2』などのジョン・ウー監督の最新作。
 高倉健主演で中国では大ヒットしたという『君よ憤怒の河を渉れ』(佐藤純彌監督)のリメイクとのこと。
 主演に福山雅治を据え、舞台も大阪ということで、かなり日本を意識した作品。

『マンハント』


 国際弁護士のドゥ・チウ(チャン・ハンユー)は朝起きると隣には女の死体が転がっている。いつの間にかに殺人犯に仕立て上げられてしまったドゥ・チウを追うことになるのは、刑事の矢村(福山雅治)。矢村はあまりに証拠が揃いすぎている事件に次第に疑惑を抱くようになり……。

 香港映画の多くは物語などあってないようなもののような気もするし、ツッコミどころ満載で滅茶苦茶なところがあってもいいと思うのだけれど、あまりノレなかったのはなぜだろうか。
 福山雅治が演じる矢村という男が福山雅治にしか見えなかったからかもしれないし、なかなか男臭い面構えのチャン・ハンユーこそが本当の主役であるはずなのに、日本のファンに遠慮したのか次第に印象が薄くなっていってしまったからだろうか。アクションはそれなり満載なのだけれど、どのシーンにも既視感があるし、ジョン・ウー自身が自らのヘタなパロディをやっているようにすら感じられてすっかり醒めてしまった。
 そんななかでも一番いい動きを見せていたのは、ふたり組の女殺し屋のぽっちゃりさんのほう。実はこの人アンジェスル・ウーと名前で、ジョン・ウーの娘さんだということが判明する(クレジット後の福山雅治とジョン・ウーの対談による)。まあ縁故採用とはいえ、動きはよかった。褒めるところを見つけようとすればということだけれど……。
 ジョン・ウー作品のなかでは『男たちの挽歌』が一番のお気に入り。チョウ・ユンファの二丁拳銃のカッコよさに痺れたし、ティ・ロン(渋い!)とレスリー・チャン(初々しい!)の兄弟のドラマは涙なしには観られないと今でも思う。それと比べてしまうと『マンハント』は残念だったしか言いようがない。



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Date: 2018.02.15 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『犬猿』 キラキラとドロドロ

 『ヒメアノ~ル』などの吉田恵輔の最新作。
 脚本も吉田恵輔の『麦子さんと』以来のオリジナル。

吉田恵輔 『犬猿』 主演の4人。窪田正孝、新井浩文、江上敬子、筧美和子。

 二組の兄弟・姉妹を主人公としたコメディというのが大雑把な要約になるのだけれど、笑わせながらもシリアスな側面も感じさせる作品となっている。一組目は、印刷会社の営業担当の金山和成(窪田正孝)と、その兄で刑務所から出たばかりの卓司(新井浩文)。もう一組は、和成の仕事相手の下請け会社の女社長・幾野由利亜(江上敬子)と、その妹で芸能活動をしている美人の真子(筧美和子)。
 タイトルは“犬猿”となっていて、「犬猿の仲」という言葉通り、この作品の兄弟・姉妹はとても仲が悪い。それは同性だけに色々と比べられたりすることが多いからなのだろう。持たざる者は持つ者に憧れつつも、嫉妬し劣等感を抱く。「兄と妹」とか、「姉と弟」といった関係だったらそれほど問題にはならないような気がする。
 もちろん持って生まれたものに差があるということもある。由利亜と真子の容姿の差は歴然としているし、頭の良さでは優劣は逆転する。粗暴な卓司がデカい一発を狙ってばかりいるのに、和成が大人しくてコツコツやるタイプなのは性格もあるのかもしれないけれど、兄の失敗から何らかを学んだ結果ということもあるのかもしれない。そんな正反対の兄弟・姉妹だからことあるごとに衝突することにもなる。
 ただ兄弟・姉妹だけに縁は切っても切れないわけで、悪口を言いつつも憎みきれない部分もある。どちらかと言えば普通に見える和成が元犯罪者の兄・卓司を罵ったり、女の武器で世の中をうまく渡って行きそうな真子が堅物の由利亜を悪く言ったりもしても、それぞれの兄・姉を他人から非難されるとなぜか擁護してやりたくもなる。そのあたりの微妙な関係を自然な会話に乗せていく脚本がとてもうまい。

『犬猿』 和成はふたりに会わせたくなかった兄・卓司と食事を共にすることになってしまう。

 冒頭に“キラキラ映画”の予告編パロディがある。“キラキラ映画”の定義は明確ではないけれど、近頃よくある女子高生など10代の若者の恋を恥ずかしげもなく描く映画のことを指すらしい。この作品の冒頭ではそんな“キラキラ映画”を皮肉っているのだ。
 吉田恵輔の作品だって見た目ではそんなふうに見えなくもない。『さんかく』とか『机のなかみ』などはそうした類いとも見えるかもしれないのだが、“キラキラ”だけでは済まさないところが異なる部分だろうか。“キラキラ”の裏側には“ドロドロ”としたものが隠されているのだ。
 『ヒメアノ~ル』でも前半のコメディから、一気に転調してダークな部分を見せたように、この『犬猿』も登場人物の光の部分と影の部分をうまい具合に配合している。「人間“キラキラ”だけじゃないよね」という部分は結構ヒリヒリさせもするけれど、あまり深刻になりすぎないのは全体的には大いに笑わせてくれる作品となっているからだろう。
 藤山直美を思わせる女芸人の江上敬子は顔芸でも笑わせるし、身体に似合わぬ切ない恋心も微笑ましく映る(新井浩文との絡みでの「ノーチェンジの卓司」には爆笑)。バカな妹役の筧美和子は、脚本が彼女にあて書きされているのか、違和感なく作品に溶け込んでいたし、エロ担当としてのサービスカットもあり。あまり演技経験のない女優陣をうまく盛り立てた窪田正孝新井浩文もやはりうまかったと思う。吉田恵輔の作品にはハズレというものがないと改めて感じさせる1本だった。

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Date: 2018.02.14 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『羊の木』 魚を埋めると何が芽吹く?

 原作は山上たつひこいがらしみきおの同名漫画。原作は読んでいないのでわからないのだが、映画版は原作とはかなり異なる内容になっているとのこと。
 監督は『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』『美しい星』などの吉田大八

吉田大八 『羊の木』 多種多様な主演者たち。


 寂れた港町・魚深に6人の男女が移住してくる。その受け入れを担当するのは市役所職員の月末(錦戸亮)。実はこの6人は全員が元殺人犯。田舎の過疎問題と、受け入れ先が難しい元受刑者にとっての新天地問題を、この極秘の国家プロジェクトによって一気に解決しようというのだ。

 日々のニュースではあちこちで凶悪な事件が伝えられる。犯人はそれぞれ刑に服することになっているはずだ。しかし、その後の話はニュースなどでは報じられることはない。刑期を終えた元受刑者たちはひっそりと社会のなかに戻ってきているということになるのだろう。
 「犯罪者の更生」はタエマエとしては賛成だけれど、現実的にはどうなのだろうか。確かにまったくやり直しがきかない世の中は息苦しい。この作品に登場する元受刑者のなかには、人を殺してしまったけれど同情を禁じえないようなケースもある。そうした人ならば刑期を終えれば社会に戻ってくるのは当然とも言えるのだが、なかには「犯罪者の更生」という言葉がお題目に過ぎないような元受刑者もいるから、問題は簡単ではないのだろう。隣に住んでいる人が何度も殺人を繰り返しているような人物だったら、あまり落ち着いては眠れないんじゃないだろうか。
 この作品内では市民に元受刑者受け入れプロジェクトのことは知らされていない。偏見なしに元受刑者を受け入れるという意図だが、これはわれわれの社会そのものとも言える。6人は魚深市のなかに溶け込むことはできるのだろうか?

『羊の木』 タイトルとなっている“羊の木”のイメージはこんな感じ。

◆タイトルとなる“羊の木”とは何か?
 映画のなかではタイトルについて特段説明はない。昔、ヨーロッパで羊毛を見た人が、それを綿花と勘違いし羊が生る木があるという想像をしたことから来ているらしい。
 冒頭に引用されているのはこんな文章だった。

   その種子やがて芽吹き タタールの子羊となる
   羊にして植物
   その血 蜜のように甘く
   その肉 魚のように柔らかく
   狼のみ それを貪る 
                『東タタール旅行記』


 ここから推測して勝手なことを述べれば、“羊の木”とは「社会そのもの」ということになるのではないか。子羊たちがいて、狼がそれを貪る。これは作品内で言えば、魚深市の市民が子羊で、犯罪者が狼ということになるだろう。
 魚深市の祭りではのろろ様という神様が祭られている。のろろ様は海からやってくる幻獣で、かつては住民の誰かを人身御供として差し出すことになっていた(幻獣は退治された後に神様として祭られることになる)。つまりは、のろろ様は狼で、住民は子羊ということだろう。どちらにしても、のろろ様や狼という荒ぶる存在を鎮めるためには、誰かが犠牲になる必要があったということになる。

 さらに栗本清美(市川実日子)は土のなかに死んだ鳥や魚を埋めるという奇怪な行動をしているが、この行動は何なのか? これはお墓を作って供養しているわけではない。栗本は魚を二尾買ってきて、一尾を食べたあとに、残ったもう一尾を土に埋める。供養ならば片方を食べてしまうはずもないわけで、栗本は魚や鳥を増やそうとしているのだ。
 昨年の『草原の河』という作品でも同様の場面があった。主人公の女の子がクマのぬいぐるみを増やしたくて、それを土のなかに埋めるのだ。なぜ少女が土に埋めるとクマのぬいぐるみが増えると考えたのかと言えば、麦やジャガイモなどの植物は大地に埋めると、それが芽を出して最初に埋めたもの以上の収穫をもたらすことになることを知っていたからだ。『草原の河』の少女と、『羊の木』の栗本は同じことをやっているのだ。
 人が一定の土地に集まって暮らしていれば、男と女が居ていつの間にかに人は増えてくる。社会は人を生み出す木のような役割をしている。ただそんな場所にも狼はいる。どこからか狼は現れて、住民の一部が犠牲になるのだ。
 羊と狼というのはあくまで比喩であり、人間の場合はちょっと違ってくる。人間の場合は羊の皮を被った狼がいたりもするし、その逆に狼のような面がまえの羊もいるかもしれない。そして、羊という一般市民から狼という捕食者に変貌してしまう場合もあるのかもしれないし、さらに改悛して狼からまた羊の側に戻る人もいるのかもしれない。
 「犯罪者の更生」というタテマエからすれば、それは可能でなければならないはずだ。元受刑者の多くは魚深の一市民として暮らしていくのかもしれないのだが、この作品のある人物の様子を見ているとやはり例外もあるということなのだろう。

 タイトルが呼び起こすイメージは秀逸。ただ元受刑者たちの引き起こす騒動はちょっと地味だったかも。インストゥルメンタルバンドをしている主人公月末と石田文(木村文乃)たちがかき鳴らすギターの音が、田舎の退屈さをやり過ごす手段としていい雰囲気を醸し出している。なぜかエンドロールではニック・ケイブ(この人は『アランフエスの麗しき日々』にもちょっと登場していた)が歌う「Death Is Not the End」が流れるのだが、どういう意図なんだろうか?

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Date: 2018.02.10 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『スリー・ビルボード』 叡智の言葉はどこからやってくるか

 監督・脚本のマーティン・マクドナーは演劇の世界ではすでにかなり評価されている人とのこと。長編映画としては『ヒットマンズ・レクイエム』『セブン・サイコパス』がある。
 原題は「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」

マーティン・マクドナー 『スリー・ビルボード』 ミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は町外れに警察を非難する広告を出す。

 舞台は米ミズーリ州の架空の田舎町エビング。その町外れに3つの広告が掲げられる。そこにはレイプ殺人の犯人が未だに捕まっていない事実を、警察署長であるウィロビーに問いかける言葉が記されていた。
 なかなか秀逸なオープニングで一気に物語に引き込まれるのだが、観客が予想するであろう展開はことごとく裏切られることになる。

 広告を出したのはミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)という女性。彼女は娘をレイプされ焼き殺されるという悲劇の主人公なのだが、その一方で空気を読むことをしない傍迷惑な人間だ。警察署長を非難するという行動も大胆だけれど、彼女の車に物を投げつけた子供に対しても暴力で応じるという非常識な大人なのだ。
 ミルドレッドの標的とされた警察署長のウィロビー(ウディ・ハレルソン)だが、実際には彼の職務怠慢によって事件が解決しないというわけではない。ウィロビーは人格者で町の人から慕われる存在なのだが、ミルドレッドにとっては娘の死について誰かが責任を取らなければならないということになる。
 そんなウィロビーはガンによって余命わずかという状態であり、狭い田舎町ではそのことを誰もが知っている。だからミルドレッドは殺人事件の被害者遺族としては同情されたとしても、ウィロビーの最期の日々をざわつかせたことで多くの人を敵に回すことになる。
 その急先鋒として登場してくるのがウィロビーの部下で差別主義者のディクソン(サム・ロックウェル)。彼はウィロビーのことを慕うあまりミルドレッドの行動を怨み、またその広告を手配した広告会社のレッド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)のことも目の敵にすることになる。

『スリー・ビルボード』 警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)と部下のディクソン(サム・ロックウェル)

 善と悪とを明確にし、それを対立する図式にすれば、物事はわかりやすいのかもしれないのだけれど、現実にはそんなことはない。『スリー・ビルボード』の登場人物もそうで、ある人物はいい奴でもう片方は悪い奴などと決め付けることはできない。それぞれの登場人物にいいところもあれば、悪い部分も存在する。登場人物にリアリティがあって、図式的なものに収まっていないのだ。
 たとえばミルドレッドとディクソンの関係では、ウィロビーに対する態度では対立することになるが、レイプ犯を捜索するという目的においては協力することにもなる。人は様々な関係のなかに置かれている。地縁や血縁など逃れがたいつながりもあれば、欲望や愛で結びつく場合もあるし、憎悪によって相手に近づこうとする場合もある。エビングのような町では誰もが少なからず互いのことを知っているから、そうした関係はより複雑なものとなる。
 この作品の脚本が独特なのは、そんな登場人物の関係性があちらでは衝突し、こちらでは助け合い、はたまた誤解によってあらぬ方向へと進んでいったりするところだろう。物語の流れが一直線に進んでいかず、どこへたどり着くのかわからないような展開をしていくのだ。

 感動的だったのは広告屋のレッドが、自分をこっぴどく痛めつけたディクソンに親切な言葉を投げかけるところ。この場面ではディクソンはある出来事で火傷を負い全身包帯に覆われている。つまりはレッドにとってそのミイラ男は、自分と同じつらい目に遭った男としてしか見えていないのだ。ふたりはエビングという共同体の関係の網の目から自由になれれば敵対することもなかったかもしれないし、互いにやさしい言葉をかけあうこともできたということなのだろう。それでも実際にはそれぞれの立場で守るべきものがあり、敵対することになってしまうのだ。
 ただそうした関係性もわずらわしいものばかりというわけでもない。犯人捜しのためにミルドレッドに協力するのはディクソンだし、そのミルドレッドに無意味な復讐を考え直すきっかけとなる言葉は意外なところから届けられる。こんがらがった関係性はトラブルを呼ぶけれども、それを修復する場合もあるのだ。
 事件は解決することはないのだけれど、紆余曲折を経てミルドレッドもディクソンも何かを学ぶことになる。そこまでの道のりは血だらけだ。それでもたどり着いたところはちょっと暖かい光に満ちている。

 脇役に至るまで書き込まれた脚本はもちろん、それを具現化する役者陣も素晴らかったと思う。フランシス・マクドーマンドサム・ロックウェルはアカデミー賞も大いに期待できそう。
 監督・脚本のマーティン・マクドナーのことはまったくノーマークだったのだが、『スリー・ビルボード』がとてもよかったので、『ヒットマンズ・レクイエム』『セブン・サイコパス』という過去作品にも当たってみた。どちらもブラックな笑いにつつまれているのだが、とりわけ『ヒットマンズ・レクイエム』がおもしろい。こんな才能を見逃していたとは何とももったいない。

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Date: 2018.02.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (10)

『ジュピターズ・ムーン』 ヨーロッパにおける奇跡待望論?

 『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』コーネル・ムンドルッツォ監督の最新作。
 タイトルの“ジュピターズ・ムーン”とは、いくつもある木星の衛星なかの「エウロパ」のことを指している。「エウロパ」には生命体が存在する可能性があるとも言われており、「エウロパ」つまり「ヨーロッパ」に新しい可能性が秘められているかもしれないという希望が込められているようだ。

コーネル・ムンドルッツォ 『ジュピターズ・ムーン』 アリアン(ジョンボル・イェゲル)はなぜか空中浮遊する能力を獲得することになり……。

 この作品はハンガリーを舞台にしている。ハンガリーはEUの辺境にあり、EU以外の国と接するところに位置していることから、ヨーロッパ諸国で問題となっている移民問題がより深刻なものとなっているようだ。この作品の冒頭もシリア難民たちの不法入国の場面からスタートする。
 国境警備隊の見つかった難民たちは四方八方に散らばりつつ無我夢中で逃げ惑う。全速力で走り抜けていく主人公アリアン(ジョンボル・イェゲル)をカメラが併走してながら追いかけていくという長回しの撮影がとても見事(後半のスリリングなカーチェイスも)。主人公となる少年アリアンはこの際に国境警備隊の銃弾に倒れてしまうのだが、なぜかアリアンは死ぬこともなく、あろうことか重力に反するように身体を宙に浮かべる能力を獲得してしまう。
 この空中浮遊の撮影がまた幻惑的で、無重力空間を漂うようなアリアンを、カメラも彼の周囲をぐるぐる回りながら捉えていく。何が起こっているのかわからないままに展開していく“つかみ”の部分はとても素晴らしかった。このあたりだけでも「一見の価値あり」とも言えるかもしれない。

『ジュピターズ・ムーン』 医師シュテルン(メラーブ・ニニッゼ)はアリアンの能力を金儲けに利用しようとする。

 ただ、このアリアンの空中浮遊という能力を登場人物ばかりか、製作陣も使いあぐねているようにも感じられる側面もあった。「空中浮遊できたから何?」というツッコミも当然あるだろうし、実際にアリアンを利用して金を稼ごうという医師シュテルン(メラーブ・ニニッゼ)の方法も見世物の類いを超えるものではないからだ。
 さらにアリアンの能力は空中浮遊だけではなく、重力そのものを操ることであり、その能力を神の戒めの如くに使い人を殺めたりするエピソードによって、アリアンの立場がどっちつかずなものに感じられてしまうところもある(見世物としておもしろいのだけれど)。

 『ジュピターズ・ムーン』での空中浮遊は“奇跡”の象徴ということになるのだろう。そうした超自然現象を前にして、アリアンを利用するつもりだったシュテルンも、アリアンを撃ってしまって自ら立場を危うくしたラズロ(ギェルギ・ツセルハルミ)にも、回心(改心)のような瞬間が訪れることになるというラストはよかったと思う。
 難民の問題は土地の問題ということになるだろう。人間は地べたを這って生きるほかないわけで、空を見上げるよりも足元ばかりを気にしている。空を見上げればそこには何の境界もないわけで、土地にだって本来何の境界もないはず……。そんな希望が空中浮遊という奇跡には込められているようだ。

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Date: 2018.02.04 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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