『アランフエスの麗しき日々』 唐突な世界の終わり?

 監督・脚本はヴィム・ヴェンダース
 原作はペーター・ハントケの戯曲『アランフエスの麗しき日々―夏のダイアローグ』
 『ベルリン・天使の詩』『まわり道』などのふたりのコラボレーションは本作で5作目。

ヴィム・ヴェンダース 『アランフエスの麗しき日々』 男(レダ・カテブ)と女(ソフィー・セミン)の会話劇。

 冒頭ではパリの街が映される。誰もが知っている凱旋門だとかエッフェル塔といった観光地も登場するものの、そこには人の姿はまったくない。この場面で流れるのはルー・リードの名曲「パーフェクト・デイ」。
 空は気持ちよく晴れ上がり、鳥のさえずりと風が木々を揺らす音が聞こえる。そんな完璧な日、夏の日差しのなかガーデンテーブルに陣取った男(レダ・カテブ)と女(ソフィー・セミン)が会話を始める。話題としては女の初体験から始まり、スペイン王室の夏の離宮だったというアランフエスという場所についてなど様々。それはどこに行き着くということもなく続いていく。

 大音量の「パーフェクト・デイ」を聴きながら遠くにパリを望む風景を目にするのはとても心地よいのだけれど、延々と続いていく会話の向かうところがまったく見当もつかないとなると、次第にペーター・ハントケという原作者は一体どんなつもりでこんな戯曲を書いたのだろうかという気持ちになってくる。
 ちなみに映画のあとに戯曲のほうも確認してみたけれど、じっくりと読んでみても映画と同じように何が語られているのか判然としないというのが正直なところ。戯曲の訳者解説にはこんな説明もあった。ハントケの言葉は「物事を覆い隠し、私たちの目を塞ぐ」。しかしまたその言葉は「私たちの目を開き、ものを見させてくれる」ものでもある。語られる言葉を素直に追えば理解できるというものでもないらしい。
 この映画で語られる言葉は何を覆い隠し、そして何を見させてくれたのだろうか。脚本も担当したヴェンダースがそんなことを考えたかはわからないけれど、ヴェンダースはこの映画に戯曲を書くハントケ自身のような映画オリジナルのキャラクターを付け加えている(演じるのはイェンス・ハルツ)。
 このキャラは何もない庭を眺めつつ、タイプライターを叩き、男と女を創造していく。このキャラ次第で原作戯曲のヴェンダースなりの解釈が垣間見られたのかもしれないのだが、このキャラも時々立ち上がってはジュークボックスの音楽をかける程度の役割しか果たしていないようにも思えた。
 ヴェンダースのために一応擁護しておけば、前作『誰のせいでもない』と同じようにこの映画は3D作品として撮影されたものらしい。今回の上映は2D版となっているために本来意図したものとはなっていないのかもしれない。

アランフエスの麗しき日々―夏のダイアローグ


ヴィム・ヴェンダースの作品
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Date: 2017.12.26 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『花筐 HANAGATAMI』 女は悲しく、男はかわいそう

 大林宣彦監督の最新作。
 古里映画『この空の花 長岡花火物語』『野のなななのか』に続く作品。
 原作は檀一雄の処女短編集。

大林宣彦 『花筐 HANAGATAMI』 美那(矢作穂香)は不治の病に侵されている。

 前2作と同じように古里映画という形式を採っているのだけれど、原作では舞台は「架空の町であってもよい」と記されているだけで具体的には特定されていない。大林監督がこの作品の脚本を書いたのは、商業デビュー作『HOUSE ハウス』を撮る前のことで、原作者の壇一雄から助言もあって唐津が舞台となったようだ。
 ただ唐津らしい風景を切り取るつもりはなかったようで、自由な想像力で様々に唐津の風景がコラージュされた大林ワンダーランドが展開されていくことになる。それでも「唐津くんち」の場面は実際の祭りの風景が捉えられていて賑やかな雰囲気が伝わってくる。

 古里映画『この空の花 長岡花火物語』『野のなななのか』では2作とも戦争が題材となっていて、長岡と芦別のそれぞれの戦争の記憶が描かれていた。この『花筐 HANAGATAMI』がちょっと毛色が異なるのは戦争前の話となっているところだろうか。戦争後の話も老いた主人公によってわずかに語られはするけれど、そのほとんどが戦争前の若者たちの青春の描写に費やされる。つまりは決定的な出来事は未だ起きておらず、戦争の予感のなかで展開していく話なのだ。
 ちなみに原作では戦争の影はほとんど感じられない。映画で常盤貴子が演じる主人公のおば圭子は未亡人となっているが、原作では夫が死んだ理由は書かれていない。もっとも原作が書かれた時代(日中戦争の前)ならば、戦争は今そこにある危機だったのかもしれない。しかし、現在の読者が読む限りそこに戦争の予感はあまり感じないんじゃないだろうか。
 映画では時代が第二次大戦前の1941年に変えられている。印象的なのが「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」という主人公の台詞で、これは原作にはないもので大林監督は戦争の予感のなかの青春を際立たせている。
 映画冒頭では大学予備校の授業を抜け出していく3人の男たちのエピソードが描かれる。これは原作では先生の授業が退屈だからというように読めるのだけれど、映画のほうでは戦争の予感が色濃くあるために「こんなことしてはいられない」といった焦燥感が授業を抜け出させたかのように感じられるのだ。

『花筐 HANAGATAMI』 12月8日の真珠湾攻撃の日。その日、前から決まっていたダンスパーティが開かれる。

 鵜飼(満島真之介)は有り余る生命力をどこに向けて発散していいのか困惑している。対照的に病気で寝てばかりだった吉良(長塚圭史)は虚無僧のようだと形容される屈折したキャラだ。そして主人公・榊山俊彦(窪塚俊介)はそんなふたりに憧れている。
 そんな若者の焦燥感は吉良の言葉によく表れている。吉良は鵜飼の「お前は何を待っているんだ」という言葉に対し、「来ないものを待っている」といった禅問答のような回答をする。
 戦争は確かに近づいているらしい。それは誰もが感じているし、実際に召集されている人もいる。それでも実際に戦争の只中に行くことになるのかどうかはよくわからない。不治の病で死んでゆくことになる美那(矢作穂香)の死ほど確実ではないし、戦争は近づいているのかしれないけれどそれを信じることもできない。そんなどっちつかずな状態が「来ないものを待っている」という言葉になっているように思えた。
 もっともこれも原作にある言葉なのだけれど、映画のなかでは近づく戦争を感じさせる言葉として機能している。だからこそ「女は悲しく、男はかわいそう」という映画オリジナルな台詞も染みるものとなったと思う。男たちは若い時代を戦争で消耗し、女たちは夫を亡くし恋人を奪われることになるのだ。

 とにかく大林映画としか言いようのないような作品だった。独特なテンポと台詞回し、アニメとは違うけれど隅々までコントロールされた映像表現で169分もの長尺を見せてしまう。この作品は前2作ほどの情報量ではないけれど、後半は死んでゆく美那の妄想などとも相俟って混沌としてもいる。美那と圭子のヴァンパイアチックな描写とか、丸裸の男ふたりが裸馬に乗って駆けていくといった同性愛を思わせる場面もあったりして、大林監督の妄想が際限なく広がっていくような作品でもあった。
 撮影前にはガンが見つかり余命宣告まで受けていたという大林監督だが、作品のテンションはそんなことを感じさせない大作だった。最後に出てきたディレクダーズ・チェアにはどんな意味合いが込められていたのだろうか?

 血を吐き若き身空で死んでいく美那を演じるのは、いかにも正統派の美少女の矢作穂香『江ノ島プリズム』のときは未来穂香という名前だったが、改名したらしい。池畑真之介がママを演じるバーの場面で登場する女の子も印象に残った(地元のエキストラなんだろうか)。やっぱり大林監督は美少女が好きなのね。

花 筐 (光文社文庫)


Date: 2017.12.21 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 専守防衛という闘い方?

 エピソード8となるスター・ウォーズの最新作。
 監督は『ルーパー』のライアン・ジョンソン。
 レジスタンスのレイア将軍を演じるキャリー・フィッシャーにとっては遺作となった作品。

ライアン・ジョンソン 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 シリーズ8作目。キャリー・フッシャーの遺作となった作品で出番も多い。真ん中のレイアは結構昔の風貌に見えるけれど。


 前作で敵のスターキラー基地(新型デス・スター)を破壊したレジスタンスだが、まだ敵のファースト・オーダーに追われている。ワープで逃げたはずなのになぜかすぐに敵も跡を追ってきて、逃げ場はなくなってしまう。一方、ルークに会いに行ったレイだが、ルークはフォースの強大な力を恐れ、それをレイに教えることを拒むのだが……。

 エピソード4からエピソード6の主人公であるルーク・スカイウォーカーが完全復活。ルークを演じるマーク・ハミルは本当に久しぶりだけれどとても元気そう。『スター・ウォーズ』という作品そのものは大成功だったけれど、主役マーク・ハミルはほかの作品には恵まれなかったためにルークそのものとすら感じられる(ハン・ソロ役のハリソン・フォードが大スターとなって様々なところで出くわすのと対照的に)。そんなルーク=マーク・ハミルが大活躍。様々キャラが入り乱れる群像劇のなかで主役と言ってもいい存在感を示していた。
 シリーズのほかの作品よりもユーモアに溢れているのが特徴的で、敵のハックス将軍(ドーナル・グリーソン)のヘタレキャラを筆頭にところどころに笑いを盛り込んでいる。ルークの絶海の孤島での日常生活も垣間見られて、アザラシ的な動物からミルクをもらい、断崖絶壁での漁もおもしろい場面だった。
 フォースの能力はこれまで作品とはだいぶ趣きを変えている。レイ(デイジー・リドリー)とカイロ・レン(アダム・ドライヴァー)は『機動戦士ガンダム』のニュータイプのように意識を通じ合ってしまうし、一番びっくりだったのは宇宙空間に投げ出されたレイア将軍がフォースによって船に帰還して死を免れたこと。ルークによるフォース講座もあって、それによればフォースはジェダイ個人の力ではなく、万物に宿るエネルギーのようなものであり、それをジェダイが操るということになるらしい。今までになかった考えのような気もする。
 見どころはレイとカイロ・レンが共闘しスノークとその部下たちと大立ち回り演じる場面だろうか。それからルークとレンの師弟対決も大満足だった(塩の惑星という闘いの舞台も素晴らしい)。何の情報も知らずに観たので上映時間すら知らなかったのだけれど、152分の長尺だったらしい。そんなことはまったく気にならないほど楽しめた。全シリーズ中でも3本の指に入るおもしろさなんじゃないかと思う(ほかの2本はエピソード4と5)。

 ※ 以下、ネタバレもあり! 余計な情報を知りたくない人は要注意!!

ライアン・ジョンソン 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 主人公のレイ(デイジー・リドリー)と久しぶりのルーク(マーク・ハミル)。

◆レジスタンスとルークの闘い方
 最後のルークの術はこけおどしとも感じられるし、禁じ手のようなものだろう。岩の上で空中浮揚しながら念を送るという姿は、どこかのカルト教団のグルを思わせなくもない。しかしこの作品が訴えているテーマを考えれば必然的な闘い方だったのだろうとも思える。
 ルークはフォースの強大な力を恐れ、自分がひっそりと死んでいくことでその力を終わらせようとしていた。しかしダークサイドと対抗するためにレイが修行を必要としていることを知り、信念を曲げてレイに修行をつけることになる。
 大きな力はそれを使う人によっていかようにでも変わる。宇宙を滅ぼす破壊の力となるかもしれないし、人々を助け幸福をもたらすための力となるのかもしれない。そうした力の使い方がこの作品の主題となっているのだ。
 新キャラとして登場したDJ(ベニチオ・デル・トロ)の存在は、力は使い方次第で善にでも悪にでもなることをよく示している。DJは暗号解読のプロで、最初はレジスタンスを助ける側として登場するが、途中で敵側に寝返る。というよりもDJは金になるためならなんだってするのだ。彼が言うように武器商人は敵側にも武器を売るが、正義を謳うレジスタンスにも武器を売る。武器商人もDJもそれだけでは悪くはないのかもしれないのだが、つまり問題になるのは力は使い方なのだ。

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 カイロ・レンを演じるアダム・ドライヴァー。ちょっとは大物風になってきた?

 作品冒頭の闘いで成果を挙げたものの特攻精神によって味方に多大な犠牲を出すことにもなったポー(オスカー・アイザック)は、レイアに降格させられる。ポーが戒められるのは、彼のような特攻精神が自殺行為に近いからでもあるし、敵を倒すための闘いだったからだ(特攻精神の否定は全員が闘いのなかで死んでいった『ローグ・ワン』の罪滅ぼしでもあるのかも……)。
 レジスタンス側の闘い方は味方を助けるためのものだというのが、レイアやその跡を受け継いだホルド中将(ローラ・ダーン)の考えなのだ。さらには加えれば塩の惑星ではフィン(ジョン・ボイエガ)が無茶な攻撃を仕掛けると、相棒ローズ(ケリー・マリー・トラン)によって救われる。無謀な男どもを戒める3人の女性たちが語るのは、レジスタンスの闘いは味方を助けるためにするものだということなのだ。

 ルークは多分レイアたち女性陣と同様の答えに独自のルートでたどり着いたのだろう。カイロ・レンとの闘いの前にルークは彼に向かって、「怒りで私を殺しても、お前の心の中に残る」と告げる。レンは父親のハン・ソロを殺したが、それによって相手は消えるわけではなく、さらなる呪縛をもたらすことになったからだ。そうしたことをルークは悟ったからこそ、あの闘い方は必然的に導かれるものなのだ。カイロ・レンを殺すために来たと言いながら、幻影によってカイロ・レンと敵側を撹乱することでレジスタンスが逃げる余裕を与えたわけで、ここでも闘いは味方を助けるためにあるのだ。

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 ルークとカイロ・レンの闘いの舞台と塩の惑星。塩の大地の下に赤土があり、それが巻き上げられるという設定らしい。

◆レイの正体
 前作からファンの関心を集めたネタとしては、レイの出自ということがあるだろう。私も前作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のレビューの際にスカイウォーカーにつながる人物でなければこの物語の主役にはなれないと考え、ルークの娘なんじゃないかと勝手なことを推測していたのだが、大きな間違いだったようだ。
 レイは前作と同様にどこの馬の骨ともわからない存在なのだ。カイロ・レン曰く、レイの両親は飲み代ほしさにレイを金に替えただけ。つまりレイは血統としてはまったくスター・ウォーズ正史の正統にはほど遠い人間なのだ。しかしそんなレイですらフォースを操ることは可能なのだ。ラストではレジスタンスの物語を語り継いでいた辺境の星の少年がフォースを身につけていたことが示される。フォースは努力次第で獲得可能なものだということなのだろう。

 もともとジョージ・ルーカスがこのサーガを構想したとき、それは最初から9部作だったらしい。実際に今こうして8作目『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が作られてみると、今現在の世界情勢が反映されているようにも感じられる(もともとの構想はどんなものだったのだろうか)。今回のエピソード8は武器(力)とそれを使う人の問題を主題としていて、そこに今の現実世界を読み込むこともできるからだ。
 前作のデス・スターの破壊の描写を見ていると核兵器を思わせなくもない(というよりもデス・スターは惑星すら破壊してしまうのだからそれ以上のもの)。そしてデス・スターを操るのはダークサイドに堕ちた者たちだった。フォースは使い方を誤ればとんでもないことになる。ルークが恐れたのはそこで、だからこそカイロ・レンを殺そうとまでしたのだった。
 フォースは特別な人間に宿るものではないことがこの作品で示されたように、核兵器だって(誰にでも持てるものではなくとも)持とうという意志があれば持つことができる。力は使い方次第でいかにようにもなるわけで、危なっかしい人物がその力を保有することになれば、この惑星すら危機に陥れることにもなりかねない。そうした危惧がこの作品の根底にあるものということだろう。
 
 これで外伝を除けば残すところはあと1エピソードということになるわけで、どんなラストを迎えることになるのだろうか。流れからするとカイロ・レンがライトサイドの側に戻ってきて大団円ということのような気もするのだけれど、今回も色々と予想を裏切ってきたわけで悲劇的な展開を見せたりもするのかもしれない。何だかんだで次も楽しみにして待ちたいと思う。

『スター・ウォーズ』シリーズ諸作品
Date: 2017.12.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (10)

『ビジランテ』 一郎、ニ郎、三郎、それぞれの呪縛

 『SR サイタマノラッパー』シリーズなどの入江悠監督によるオリジナル脚本による最新作。
 タイトルの“ビジランテ”とは「自警団」のこと。

入江悠 『ビジランテ』 神藤家の三兄弟を演じるのは、大森南朋と鈴木浩介と桐谷健太。


 地元の有力者であり、神藤家では暴君として振舞っていた父親が死に、二郎(鈴木浩介)は父親の市議会議員としての地盤を引き継ぎ、父親とは距離を保っていた三郎(桐谷健太)はデリヘルの店長として働いている。父親の持っていた土地がアウトレットモールの建設用地として浮上したころ、30年前に失踪した長男の一郎(大森南朋)が遺言状を持って姿を現す。

 舞台となっているのは埼玉県の架空の市。東京などごく一部の大都市を除けばほとんどが北関東とさして変わらない地方都市なわけで、この作品で描かれる北関東の憂鬱は多くの人にあてはまる普遍的なものとなっているのだろう。
 この地方都市は閉鎖的で、一部の有力者が暴力団などの裏社会ともつながり、利権を牛耳っている。どこまで行っても殺風景で特徴のない場所ばかりで、守るべきものなどあまりありそうにもないのだけれど、住民たちは自警団を結成し外国人労働者たちを排除しようとする。それは郷土愛というよりは鬱憤を晴らしにも見え、地方都市の退屈さの表れということなのだろうと思う。
 こうした舞台設定や主題の選択は、『国道20号線』『サウダーヂ』などの空族の作品を思わせなくもない。ただ空族の作品では「ここではないどこか」として、たとえばタイという外国が挙げられたりもして、実際に『バンコク・ナイツ』では舞台をタイのバンコクへと移したりもすることになったのに対し、この『ビジランテ』では登場人物はその地方都市から逃れることはできないようだ。

 二郎が地元に留まったのは、優柔不断で自ら決めることができないだけで、父親や妻の希望通りに動いていくことでその土地に自分を縛り付けている。一郎は借金を抱えているのだけれど、戻ってきた理由は金をつくることではないらしく、祖父が初めて買った土地に執着しているようでもある。
 そして3人のなかでは一番魅力的に映る人物として三郎がいるわけだが、三郎もまた土地に縛られている。30年前に一郎が失踪した夜の出来事が作品冒頭に描かれる(闇のなかの川のシーンが印象的)。なぜか三郎はその事件の記憶を歪曲している。父親に対してナイフで切りつけたのは一郎だったと勘違いしているようなのだ。これはその土地から出て行くべき人間は一郎だったと自分を納得させるためなのだろうか(本当は自分が出て行くべき人間だったにも関わらず)。そんな無意識の後ろめたさが「もっと大事なことを三人で話そう」という嘆願となっていたのかもしれない。とにかく神藤家の三兄弟は三者三様にその土地の呪縛にあるのだ。

『ビジランテ』 久しぶりに会った三兄弟は……。舞台となるのは何もない寒々しい風景の地方都市。

 私は「地方都市の憂鬱」とか、「土地に縛られている」などと書いたわけだけれど、この作品の登場人物がその地方都市を退屈だと考えているのかどうかはわからない。退屈な地方都市出身で今では都会で暮らす観客としては、勝手な思い込みでそんなことを読み込んでいただけなのかも……。作品内の地方都市は確かに魅力的な場所としては描かれてはいないのだけれど、登場人物はそこから逃げ出そうとか外の世界を求めたりはしていないからだ。
 一度は外部に出ていた一郎も邪魔だった父親がいなくなると自ら帰郷したわけだし、この作品のなかでその土地を出て行くのは一郎に酷い目に遭わされたデリヘル嬢だけで、しかもそれは外部に「ここではないどこか」を求めたわけでもないのだ。
 それから二郎の妻(篠田麻里子)は夫が窮地に立たされたことを知ると、自らの身体で地元の有力者を篭絡してまでその土地で生きることを選ぶ。何が彼女にそこまでの覚悟を抱かせるのかはよくわからないし、神藤家の三兄弟をその土地に縛り付けるものも何なのかもわからない。そんな意味では投げやりだし、不親切な部分も多いとは思うのだけれど、『SR サイタマノラッパー』のような緩さとは打って変わった重苦しい神話的世界は悪くなかったと思う。
 いつもはもっとテンション高く弾けるような演技を見せる桐谷健太は、今回は抑えた演技に徹している。それによってノワールな世界観とよくマッチする男になりきっていたのが新鮮だった。

入江悠の作品
Date: 2017.12.14 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『パーティで女の子に話しかけるには』 パンクなエル・ファニングもいい

 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』ジョン・キャメロン・ミッチェルの最新作。原作はニール・ゲイマンの短編小説(『壊れやすいもの』所収)。

ジョン・キャメロン・ミッチェル 『パーティで女の子に話しかけるには』 エン(アレックス・シャープ)は宇宙人のザン(エル・ファニング)と出会う。

 童貞の男の子にとって女の子の存在が宇宙人のように思える。若かりしころにはよくある微笑ましい話をそのままに、「出会った女の子が宇宙人だったら」という物語にしてしまったという作品。
 パンクが大好きな高校生のエン(アレックス・シャープ)が、宇宙人のザン(エル・ファニング)と出会って一気に惹かれ合うという設定は、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』でも描かれていたプラトンの「人間球体説(人間は離ればなれになってしまった片割れを探しているという説)」をも思わせ、とてもストレートなボーイ・ミーツ・ガールものとなっている。
 エル・ファニングがとても無邪気にかわいらしく宇宙人ザンを演じていて、それだけで許せてしまう映画となっているんじゃないかと思う。後半でパンク風メイクのニコール・キッドマン演じるボディ・シーアからメイクを施されパンク風バージョンに変貌したエル・ファニングの変わりっぷりも楽しいし、エンとふたりでかけあいの即興曲を歌い上げるところもよかった。時代設定は1977年となっていて、パンク華やかしころに詳しい人はより一層楽しめるのかもしれない。

 ザンの仲間の宇宙人たちは6つのコロニーに分かれているらしい。それぞれ個性的な衣装をしていて、地球人から見ると何らかの仮装パーティのようにしか見えない。この6つのコロニーは、ヨーガなどで言われる“チャクラ”のイメージから出来上がっているとのこと(このサイトを参照)。深い意味があるのかもしれないけれど、今ひとつそれが消化しきれてはいないようにも思え、単純に安っぽい印象になってしまっているようにも……。宇宙人たちはなぜか子殺しを習慣としているというのだが、一体どんな理由からだったのだろうか。やはり人間にはわからない宇宙人なりの理由があるのだろうか。

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Date: 2017.12.10 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『希望のかなた』 フィンランドのスシ屋には行かないほうがよさそう

 『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』『ル・アーヴルの靴みがき』などのアキ・カウリスマキ監督の最新作。
 第67回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した作品。

アキ・カウリスマキ 『希望のかなた』 登場人物はみんな無表情だが、意外と人がいい。色彩感覚も素晴らしい。


 シリアで家族を亡くし逃げ出してきたカーリド(シェルワン・ハジ)は、フィンランドにたどり着き難民申請をする。しかし、フィンランド政府はカーリドを難民として認めようとはせず、カーリドは強制送還されようとするのだが……。

 この作品は前作『ル・アーヴルの靴みがき』に続き、「難民三部作」と位置づけられている。カウリスマキは公式ホームページ「私がこの映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことです。」と真っ直ぐなメッセージを寄せている。
 確かにカーリドがシリアで起きた出来事を語るシーンには切実なものがあるし、難民を嫌う極右連中が現れてカーリドを痛めつけようとするなどシビアな部分もある。それでもカウリスマキ作品のフィンランドの人たちは不器用ながらもカーリドに手を差し伸べることになるから、観客としても温かい気持ちにさせられる作品になっていると思う。
 登場人物は総じて無表情なのだけれど、見ていると次第にユーモアに溢れているように感じられてくる。そんなカウリスマキのスタイルはこの作品でも健在。私も大いに楽しませてもらったのだけれど、作品について分析めいたことを書こうとするとお手上げといった気持ちにもなる。カウリスマキの作品は理論めいたバックボーンがあるかと言えばそんなものはないようにも見え、「無手勝流」と言ったほうが当たっているような気がするからだ。
 たとえば前作の『ル・アーヴルの靴みがき』のラストは感動的ですらあったのだけれど、なぜそんなラストが導かれるのかと言えばまったくわからないわけで、これはもうカウリスマキがそのように決めたからとしか言えないような展開だったのだ。
 この『希望のかなた』もそのあたりは同様で、カーリドを助けることになるヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)がポーカーで大金を手にするのにも特段理由付けがあるわけでもないし、たまたま拾ったカーリドを匿うようになる動機の説明も特にはない。それからあまり有名とは思えないバンドの音楽を延々と聴かせてみたりするのも、単純にそのバンドがカウリスマキのお気に入りだからなのだろうと思う(終盤でカーリドが奏でる弦楽器の音色も素晴らしかった)。
 小津ファンであるカウリスマキの“日本贔屓”なところも散見され、カティ・オウティネンには「メキシコで日本酒を飲んでフラを踊るの」みたいなことを言わせているし、物語も佳境に入った後半になってヴィクストロムが経営するレストランをスシ屋に改装するといったコントみたいな挿話が登場したりもする(ワサビスシ!)。こういったすべてがデタラメのようでもあり、カウリスマキ独自の呼吸で整えられた名人芸のようでもある。うまく説明することはできないけれど、クセになる魅力があるのもまた間違いない。

アキ・カウリスマキの作品
Date: 2017.12.07 Category: 外国映画 Comments (2) Trackbacks (0)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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