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『光』 冥府へと続く道しるべ

 原作は『舟を編む』『まほろ駅前多田便利軒』などの三浦しをんの同名小説。
 監督は『まほろ駅前多田便利軒』や『さよなら渓谷』などの大森立嗣

大森立嗣監督 『光』 主要な4人のキャスト。井浦新、瑛太、長谷川京子、橋本マナミ。


 故郷の島でかつて起きた殺人事件。中学生だった信之は、恋人の美花が森のなかで犯されているのを見つけ、相手の男を殺してしまう。25年後、島を出て妻子と暮らしていた信之の前に、事件を知っている幼なじみのたすくが現れる。

 美花と信之は恋人同士だが、信之の近くにはいつも輔がいた。輔は暴力的な父親に殴られてばかりだが、信之のことを“ゆきにぃ”と呼んで跡を追い回している。信之は鬱陶しく思いつつも、父親から酷い目に遭わされている輔のことを不憫にも思ってもいるようだ。そして、暑い夏のある日、事件は起きるのだが、その後津波が発生して島は壊滅状態になったために、殺人事件の証拠は輔が撮った写真以外は流されてしまう。
 25年後、信之(井浦新)は市役所で働き、妻・南海子(橋本マナミ)と娘とで暮らしている。南海子はある男と浮気をしているのだが、この男が成長した輔(瑛太)である。輔は信之の弱味を握るために南海子に近づいたのだが、単純に金ばかりが目的ではなさそうでもある。というのも金が欲しければ最初から昔の殺人事件のことを持ち出せばいいわけで、実際に輔の父親(平田満)が現れると、そのことをネタに今では女優となって活躍している美花(長谷川京子)と信之を脅すことになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

大森立嗣監督 『光』 信之(井浦新)と輔(瑛太)は幼なじみ。輔は信之の秘密を握っている。

◆タイトルの“光”とは?
 輔が信之に近づくのは金だけじゃないというのは、何らかの親しみを感じているということもあるのだが、それ以上に信之ならば自分のことを殺してくれるだろうという予感があるからだ。信之が一度殺人を犯しているということもあるが、父親の暴力には未だに恐れを抱いているところを見ると、殺されるならば相手は信之でなければならないという執着のようなものすら感じられるのだ。
 なぜ輔がそんな破滅願望を抱くことになったのか。輔は島の暑い夏のせいにしてみたりもするのだが、どうにも説得力には欠ける。輔が魅入られたのは津波の夜に海を照らしていた月の光なのだろうと思う。

 たまたま今年の邦画でまったく同じタイトルを持つ河瀨直美監督の『光』では、“光”とは弱視の主人公が感じたであろう太陽の光を指していた。そして、その“光”は何かしら希望のメタファーとして捉えられることになるだろう。しかし、今回の大森立嗣版の『光』においては、“光”とは月の光であり、暗いなかに浮かび上がる青白い光なのだ。
 タイトルバックでも木の洞のなかに青白いものが浮かび上がり“光”という文字を形作っていた。この作品の“光”は明るい希望を指し示すのではなく、暗闇のなかに浮かび上がる光であり、それは冥府へと続く道しるべのようなものなのだ。

 輔は信之に殺されることを望んでいるし、信之も死んだように冷たい目をしている。そして信之は未だに執着を断ち切れずにいた美花に突き放されることになると、感情を露わにして自殺めいた場面を演じたりもする(投身自殺したかのように地面に横たわる信之の周りを赤い椿の花が散っている)。
 輔を彼の希望通りに始末し、妻と子供の待つ家に戻った信之は一体何をしに帰ったのか。父親の帰宅にうるさいくらいにはしゃぎまわる娘の椿(早坂ひらら)は信之の暴力的衝動を引き出そうとするかのように喚き続ける。椿が描いた絵には暗い夜に輝く月が描かれていたことも示されているわけで、娘にもそうした死への願望めいたものが受け継がれているのかもしれないとすら思わせるシーンだった。

大森立嗣監督 『光』 橋本マナミが演じるのは信之の妻・南海子。

◆島の自然と人為的な音楽
 冒頭、鬱蒼とした緑が生い茂る島の風景が描写されていくのだが、この場面の劇伴はジェフ・ミルズの大音量のテクノ・ミュージックで、とにかく違和感この上ない。島の自然と対比される人為的な音。音楽はすべて人の生み出すものなのかもしれないが、たとえば鳥の鳴き声を模したメロディとか自然に似つかわしいものだってあるはずだが、この作品のテクノはまったく自然にそぐわないのだ。
 人間だって本来は自然の一部のはずだが、岸田秀(『ものぐさ精神分析』)的に言えば人間は本能が壊れてしまっているから自然のなかの異物となっている。この作品のテクノの異物感は、自然のなかの異物としての人間を示しているように感じられた。
 そうした異物としての人間が抱えているのが過剰な“暴力”というものであり、この作品では“暴力”が重要な主題となっている。「暴力には暴力で返すしかないんだよ」というのは信之の言葉だが、最初に信之の暴力を誘発した美花は「暴力に暴力で返した者は、この世界には居られないのかも」とつぶやいたりもする。美花は周囲の男を手玉に取るという能力を駆使して生き残ってきた。それでも「あの日以来、何も感じないの」と語るなど、その表情には壊れたようなところもあり、輔や信之と同じように死に近いところにいるのかもしれない。
 ラストシーンでは家のなかを突き破るようにして大木が育っている様子が描かれる。ただそれだけのシーンなのだが人為的なものが滅び、自然が再び盛り返した“終末世界”のようにも感じられた。この作品の青白い“光”が導くところはそうした世界なのだろうか。

 怖いくらい冷たい目をした井浦新と、やけっぱちのように笑う瑛太のやりとりは緊張感があって見応えがあった。撲殺シーンでの効果音の使い方が結構怖くて、頭が潰れる音が一撃ごとに微妙に違ってくるように、断末魔のうめき声も悲痛さも増していくようだった。劇伴のテクノの使い方はかなり挑戦的な試みで、それがぴったりはまったかどうかは微妙なところだけれど、心意気はいいと思う。それから長谷川京子のラストの壊れた表情と、橋本マナミのおしりも見逃せない(ついでに言えば平田満のおしりもたっぷり拝める)。

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Date: 2017.11.29 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ジャスティス・リーグ』 お祭りだし、いいんじゃないか

 『マン・オブ・スティール』『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』に続く作品。DCコミックスのヒーローたちが集結する作品。
 監督は一応ザック・スナイダーだが家族の不幸により途中降板したため、残りはジョス・ウェドンが担当したのだとか。

justice-league

 前作でスーパーマン(ヘンリー・カヴィル)が死んでしまい、その隙に乗じて世界を狙う奴が登場する。ステッペンウルフという敵はマザーボックスというアイテムを手に入れて、世界をその手に治めようと企む。
 バットマン(ベン・アフレック)は到底自分だけでは敵を阻止することは無理と判断し仲間を募ることになる。ということで『七人の侍』的に仲間探しがあり、最終的にはみんなで力を合わせて敵を撃退しましたということになる。わかりきった話だが様々なキャラが登場して賑やかでそれなりに楽しい。
 バットマンはひとりで責任を感じているのか未だに暗い顔をしているのだけれど、ワンダーウーマン(ガル・ガドット)はのっけから派手な活躍をするし、新加入のフラッシュ(エズラ・ミラー)のとぼけた味わいもあって前作よりもエンターテインメント作品らしくなっていたと思う。「魚と話せるんだって」となぜか二度もバットマンに突っ込まれるアクアマンというキャラが一体どんなヒーローなのかと疑わしい目で見ていたのだが、これを演じるジェイソン・モモアの身体のすごさもあってか、“海神”という特徴が活かされたとは言えずとも男臭いキャラが目を引いた。(*)
 ただ、どうにも敵のキャラのステッペンウルフが魅力的とは言い難いのが残念な点だろうか。3つに分かれたマザーボックスが三位一体になるとさぞかしすごいことが起きるのかと期待しているとそうでもなかったし、思わせぶりだけれど肩すかしを食った感じ。それから最終兵器としてのスーパーマンがあまりに強すぎた。サイボーグ(レイ・フィッシャー)のようにその能力ゆえに孤独なヒーローたちが、強大な敵を前にして仲間になるというところがこの作品なんだろうと思うのだけれど、「スーパーマンさえいれば」ということにもなりかねないほどの強さだった。

(*) ジェイソン・モモアという人は、『ゲーム・オブ・スローンズ』という向こうのテレビドラマでは重要な役をやっているらしい。全然関係はないけれど、『ゲーム・オブ・スローンズ』というタイトルは、前回取り上げた『ローガン・ラッキー』にも登場していた。囚人たちが立てこもりの際に要求する条件が、『ゲーム・オブ・スローンズ』の本の新刊を読ませろというものだった。それほど誰もが夢中になるコンテンツらしい。

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Date: 2017.11.27 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ローガン・ラッキー』 この作品で強盗に遭ったのはあなただけ?

 『サイド・エフェクト』(2013年)を最後に引退と謳っていたスティーヴン・ソダーバーグの復帰作。
 脚本は、この作品が最初の脚本だというレベッカ・ブラント

スティーヴン・ソダーバーグ 『ローガン・ラッキー』 ダニエル・クレイグ、ライリー・キーオ、チャニング・テイタム、アダム・ドライヴァーのローガン一味を演じる出演者たち。

 ソダーバーグが引退した理由は作品のすべてをコントロールできるような環境ではなかったかららしいのだが、今回のカムバック作品は自分の会社などを設立して自分のやり方で映画を撮ることができるようになったようで、それだからかはわからないけれどとてもご機嫌な作品に仕上がっている。
 都会的でシャレている『オーシャンズ11』シリーズとは対照的に、田舎者で野暮ったい登場人物ばかりの『ローガン・ラッキー』。オーシャンたちがプロの犯罪集団だったのに対して、ローガン一味の面々は言ってみれば社会の落ちこぼれ組。そんな面々がNASCARレースの売上金を盗もうと画策するのだけれど、計画は杜撰であちこちでマヌケさを見せるのだが……。

 ジミー(チャニング・テイタム)はアメフトの有望選手だったけれど、ケガでリタイアして建設現場で働いている。弟のクライド(アダム・ドライヴァー)はイラクで片腕(ではなく片手?)を失くして帰還した。金庫破りのジョー・バング(ダニエル・クレイグ)のふたりの弟はとても頭が悪そうだけれど、倫理的に間違っているから犯罪には加担しないと言ってのける(変な理由で義憤に駆られたのか結局に参加することになるのもアホっぽい)。みんな愛国者であり、人がいい奴ばかりなのだ。だからやっていることは犯罪でも痛快なのだ。
 しかもこの事件で損をしたのは誰もいない。カーレースの運営会社は保険会社から被害額以上の金を受け取っているかもしれないし、ローガンたちは欲張らずにそれなりに再スタートが切れるほどの金をせしめたらしいし、協力者たちにもそれなりの謝礼金が届けられる。エンドロールで「この作品で強盗に遭ったのはあなただけ」といった言葉が示されるのも粋だった。
 ジミーの娘が「カントリー・ロード」を歌うシーンが泣かせるのだけれど、懐かしい場所に帰ってきたソダーバーグの心情が反映されているようにも感じられた。
スティーヴン・ソダーバーグの作品
Date: 2017.11.25 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (6)

『南瓜とマヨネーズ』 「迷子の誰かさん」って誰のこと?

 監督は『ローリング』などの冨永昌敬
 原作は『strawberry shortcakes』『blue』などの魚喃キリコの漫画。

冨永昌敬 『南瓜とマヨネーズ』 主要キャストの3人。臼田あさ美、太賀、オダギリジョー。


 ツチダ(臼田あさ美)は売れないバンドマンのせいいち(太賀)と暮らしている。バンド仲間とうまくいかず、職もなく、自堕落に過ごしているせいいちのために、ツチダはライブハウスのバイト以外にキャバクラの仕事も始め、尽くす女に徹している。さらにキャバクラで出会った客(光石研)と愛人契約をしてまで稼ごうとするのだが、そのことがバレてけんかになってしまう。その後、せいいちもようやく働き始め、生活も軌道に乗ったかと思うと、ツチダはたまたま出会ってしまった昔の男・ハギオ(オダギリジョー)との関係に夢中になってしまう……。

 ミュージシャンを目指しつつも迷いがあるのか悶々としているせいいちにしても、女にモテすぎるからかヒモみたいな生活をしているハギオにしても、あまり褒められた人間ではないのだけれど、主人公であるツチダのやっていることもまたよくわからない。せいいちに対して尽くす女を演じていたかと思うと、その関係修復もままならぬうちにハギオと一夜を過ごしたりしてしまうのだ。傍から見ていると「何をやっているんだろうか、この女は」と疑問を感じてしまう。
 すると、そんな観客の気持ちを見透かしたかのようにツチダのモノローグが響く。「自分のやってることがわからないよ」と。その後のツチダの行動はちょっと痛々しいものにも感じられる。ハギオとキャバクラの友達・可奈子(清水くるみ)を連れてわざわざ自宅でせいいちの帰りを待つのは悪趣味だし、ツチダはなぜか修羅場となるかもしれない現場で楽しそうな笑いを浮かべているのだ。
 ツチダの行動はせいいちとの関係の息苦しさからなのだろう。ふたりは終わっているのに、それでも居場所がないから一緒に居るしかない。また一方で、ツチダはハギオのことを未だに好きなのも確かなのだけれど、それがいつまでも続くものではないことも理解している。ハギオとの情事は、せいいちとの関係から目をそらすための逃避であり、どちらにも進むことができないツチダの破れかぶれにも映る。計算高くせいいちから別れの言葉を引き出そうというよりは、わけがわからなくてどうでもよくなってしまっているのだ。

『南瓜とマヨネーズ』 ツチダ(臼田あさ美)は売春がバレて、せいいち(太賀)とぶつかることになってしまう。

『南瓜とマヨネーズ』 オダギリジョー演じるハギオはそれほど顔がアップになるわけではないのだけれど、声のトーンやその振舞いでいかにもモテそうに見える。

 『パビリオン山椒魚』『パンドラの匣』『ローリング』などを観ると冨永昌敬は様々な語り口を持つ監督で、観客の興味を惹き付け、作品をリズムにのせることもできるはず。しかし、この『南瓜とマヨネーズ』はどこに向かうのかわからないような感覚がある。というのも、主人公ツチダ自身が自分がやっていることがわからない迷子の状態にあるからなのかもしれない。作品そのものも真っ直ぐに進むわけにもいかずにうろちょろすることになるのだろう。
 冒頭ではいくつかの断片が提示される。誰かが奏でるギターの音、シャワー室の足元のアップとそれに踏みつけられている黒いもの、ショートパンツ姿の女の子たちのおしり、業務用の掃除機の回る様子。これらの断片が何なのかは映画を観始めた観客にはよくわからない。
 断片を散りばめたとしても、たとえば「輝かしい青春の一場面」とか「若者たちの怠惰な日々」とか、何かしらの意味合いを持たせることは可能なはずだが、ここでは意味不明なまま進んでいく。
 ギターを弾いているのが誰なのか不明だし、シャワー室で踏みつけられているものが何なのかもわからない(ツチダが客に着せられたスクール水着だろうか)。これらの断片は作品中の一場面なのだけれど、意味連関もなくコラージュされただけで、この作品が何を描いていくのか、どこに向かうのかまったくわからないのだ。
 もちろんこれは意図的なものなのだろう。作品中には劇伴は排除されているし、せいいちも最後の最後まで歌うことはないし、最後の歌ですらパーカッションのリズムによる“語り”のようにも聴こえるのだ。(*1)美しい旋律を奏でるように作品がスムーズに流れていかないのも、迷子の登場人物を表しているのかもしれない。

(*1) せいいちがギターの伴奏で歌うのは、風呂場でふたつの歌が交差するように歌ったもので、結局きちんと曲を歌い上げることはなかったような気がする。

 最後のせいいちの歌はツチダのためにつくったのではないと語られるのだが、その歌詞のなかに登場する「迷子の誰かさん」はツチダのことを指しているようにも思える。ともかくそれを聴くツチダの泣き笑いは、ツチダがその曲に自分のことが歌われていると感じたからだろう。
 ツチダは独りよがりにせいいちに尽くし、勝手に自滅したわけだけれど、彼の歌が好きなのは本当なのだ。そして、せいいちが自分のこと的確に把握していたことに涙したのだろう。もっとも、迷子なのはツチダの家を出て流浪状態のせいいちも一緒だし、さらに言えばあちこちの女を渡り歩くハギオも同様とも言えるかもしれない。
 途中まではイタい女にしか感じられなかったツチダだけれど、最後にせいいちの歌を聴くころには何ともいとおしい存在に感じられてもらい泣きした(臼田あさ美の泣き笑いの表情がとてもよかった)。何と言うか「迷子の誰かさん」をほかの誰かのことだと思える人はよっぽど満ち足りた人なんじゃないかと思う。とても身に染みた作品。

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冨永昌敬の作品
Date: 2017.11.22 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』 「彫刻の森美術館」で会いましょう

 『ポネット』などのジャック・ドワイヨン監督(『少女ファニーと運命の旅』のローラ・ドワイヨンのお父さん)の最新作。
 今年の11月に没後100年を迎えたという“近代彫刻の父”オーギュスト・ロダンの半生を描いた作品。

ジャック・ドワイヨン 『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』 ロダン(ヴァンサン・ランドン)のアトリエのシーン。陰影に富んだ撮影が印象的。

 誰でも知っている「考える人」などを製作したロダンの話。邦題では弟子であり愛人でもあったカミーユ(イジア・イジュラン)との関係がクローズアップされているようにも映るけれど、主役はロダン(ヴァンサン・ランドン)である。
 わざわざカミーユの名前が副題につけられているのは、1988年の『カミーユ・クローデル』(イザベル・アジャーニ主演)が映画ファンにはよく知られているからだろう。この『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』でも、カミーユとの関係はやはり重要なエピソードとはなっているけれど、カミーユが精神状態を崩してロダンの人生からフェイドアウトしていったあともロダンの人生は続いていく。
 『カミーユ・クローデル』で描かれたカミーユの生涯がドラマチックな展開をするのに比べると、ロダンの実生活は意外と普通なのかもしれない(女性関係は派手だったようだけれど)。カミーユが全身全霊を込めて彫刻とロダンとの関係に燃え尽きてしまったのとは対照的に、ロダンはカミーユと共に芸術に打ち込みつつも、内妻であるローズ(セヴリーヌ・カネル)とは平穏な生活を送っているようにも見えて、ロダンのズルささえも感じられる。芸術の名の下にそれは免罪されるということなのだろう。
 「ユーゴー像」製作のエピソードでは、ポーズをとることを嫌うユーゴーに対し、ユーゴー宅に居候してまで製作するとか具体的なエピソードはなかなかおもしろい。「バルザック像」の7年もの製作過程も、ロダンの彫刻作品に詳しい人が見ればさらに楽しめる内容を含んでいるのかもしれないとは思うのだけれど、エピソードにあまりつながりはなく伝記的事実の羅列に終わっているようにも……。陰影に富んだアトリエ場面の撮影は良かったと思う。

 なぜか最後は箱根の「彫刻の森美術館」で締めくくられる。ロダンの彫刻が世界中に広まっているということ証しなのかもしれない。ラストシーンでは「バルザック像」が箱根の森の緑のなかに据えられており、その向こうの空には「人とペガサス」という像が捉えられている。「人とペガサス」はロダンの助手であったカール・ミレスという彫刻家の作品で、個人的にちょっとは思い入れがある彫刻でもあったので、意外なところでロダンとつながりを感じたりもした。

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ジャック・ドワイヨンの作品
Date: 2017.11.19 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『予兆 散歩する侵略者 劇場版』 東出宇宙人大活躍の巻

 『散歩する侵略者』のスピンオフドラマの劇場版。
 WOWOWにおいて全5話で放映されたものを140分にまとめたもの。

黒沢清 『予兆 散歩する侵略者 劇場版』 主役の三人。東出の役は『散歩する侵略者』のときとは別のもののようだ。

 『散歩する侵略者』と設定は同じで、ほぼ同じころに別の場所で起きていたことを描いていく。主人公の山際悦子(夏帆)の周囲の人物が普段と何かしら違うように感じられるという描写から始まる。夫の辰雄(染谷将太)はベランダから遠くの空を見てぼんやりしているし、同僚のみゆき(岸井ゆきの)は家に幽霊みたいなものがいると助けを求めてくる。
 『散歩する侵略者』を観ている人ならば、彼(女)らは宇宙人に乗っ取られたのか、あるいは何かしらの“概念”を奪い取られてしまって腑抜けになったのだろうと推測することになる。なぜか勘の鋭い悦子は、そうした不穏な予兆を感じ取り怯えることになる。

 ※以下、ネタバレもあり!


『予兆 散歩する侵略者 劇場版』 真壁(東出昌大)は悦子(夏帆)から“概念”を奪おうとするのだが……。

 夫の辰雄が何かしら怪しいように感じられたのは、実は彼は宇宙人のガイドであり、職場の医師・真壁(東出昌大)により支配されているからだ。辰雄は真壁に右手に苦痛を埋め込まれ、それによりガイドとなることを強要されている。辰雄は真壁が概念を奪うターゲットを選別する役割を担うことになり、辰雄が気に入らない人間から順に真壁の餌食となる。この状況を利用すれば神のように振舞うことすらできるかもしれないのだが、辰雄は人間ではなく宇宙人の側に味方することに耐えられなくなっていく。
 『散歩する侵略者』ではガイドの桜井(長谷川博己)がなぜか宇宙人と友情を育んでしまうことになっていたが、『予兆』の辰雄のほうがより一般的な態度なんじゃないかとも思う。桜井は一匹狼的存在だったから例外であり、人間としてはこっそり敵側のスパイとなるような状況は耐え難いからだ。

 もともと観客を劇場へと走らせるための壮大な予告編という意味合いもある『予兆 散歩する侵略者』だけに、『散歩する侵略者』と並べると目新しい感じもないのだけれど、『予兆』には最強の宇宙人たる東出昌大がいるところが見どころだろうか。
 東出の無表情は傍若無人な振舞いもよく似合うし、死の概念を知ってなぜか無邪気に喜んでみたりするところも妙におかしい。黒沢監督も東出宇宙人が気に入ったのか、真壁はほかの宇宙人にはないほどのしぶとさがあり、いつまでも悦子たちを苦しめることになる。悦子を演じる夏帆が激しくふっ飛んでいったときには、「東出、やり過ぎ!」とスクリーンにツッコミを入れたくなった。
 概念を奪うときの光の演出とか、風に揺れるカーテンなど、黒沢清らしさが十分に楽しめる作品になっている。冒頭に登場する山際夫妻のベランダのつくりもおもしろいし、いつものように廃墟も登場する。夏帆が銃を構えつつゆっくりとそこを移動していくのは、廃墟をたっぷり見せたいがためのものとすら感じられた。

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Date: 2017.11.14 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『彼女がその名を知らない鳥たち』 谷崎的マゾヒズムの世界?

 原作は『ユリゴコロ』などの沼田まほかるの同名小説。
 監督は『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』などの白石和彌

白石和彌 『彼女がその名を知らない鳥たち』 十和子(蒼井優)と陣治(阿部サダヲ)の関係は愛なのか?


 十和子(蒼井優)は陣治(阿部サダヲ)の家に居候している。働きもせずに陣治がくれるわずかばかりのお小遣いで自堕落な生活をしているのだ。彼女は8年前に別れた男・黒崎のことを未だに引きずっているようで、ある日、彼とよく似た水島という男と出会い、彼との情事に溺れていく。

 十和子と陣治の関係はちょっと不思議なものにすら感じられる。十和子からすれば陣治はかなり歳の離れたおじさんだし、何と言っても陣治は薄汚いからだ。食事の際には差し歯をはずしてテーブルの上に置いてみたり、臭ってきそうな靴下を脱いでみたりと、女性が嫌がりそうなことばかりしているのだ。
 十和子はそんな陣治に依存して生きている。家事などは何もせず水島(松坂桃李)との不倫関係に夢中になる十和子は、陣治のことを利用しているようにしか見えない。それでも陣治は「十和子のためだったら何でもできる」と言い切ってはばからない。
 陣治はなぜそこまで十和子に尽くすことができるのか。そこには過去の男・黒崎(竹野内豊)のことが関わってくるらしい。実は黒崎は失踪してしまったというのだが、その失踪事件には陣治が関わっているのかもしれない。陣治はいったい何をしたのか?

 ※ 以下、ネタバレもあり!
 

『彼女がその名を知らない鳥たち』 十和子は黒崎(竹野内豊)との再会を妄想するのだが……。

『彼女がその名を知らない鳥たち』 水島(松坂桃李)との情事に溺れていく十和子だが、結局都合のいい女なのかもしれない。

 それまでのふたりの関係が一変するしたようにも感じられるところは感動的でもあったのだけれど、陣治の最後の行動が予想外にも感じられて戸惑ってしまった。というのも、ふたりの関係を見ながら私が勝手に思い浮かべていたのは、『春琴抄』とか『痴人の愛』なんかの谷崎潤一郎の世界だからだ(谷崎の影響下にある映画『月光の囁き』なんかも)。
 『春琴抄』『痴人の愛』には谷崎潤一郎という男性作家による女性崇拝の色合いも濃く、どんなに酷い目に遭っても崇拝する女性によって恍惚とさせられる瞬間があったはずだ。しかし『彼女がその名を知らない鳥たち』の陣治にはそんな瞬間があっただろうか。ただひたすらに十和子に尽くすばかりで報われることが皆無だったようにも思うのだ。十和子の笑顔が見られればなどとは言うものの、陣治はちょっといい人過ぎないだろうか。
 もっともこの作品に谷崎的なマゾヒズムを読み込んだのは私の勝手な思い込みであって、単にそれは間違いだったのかもしれない。というのはこの作品の原作は沼田まほかるという女性作家によるものだから。ちなみに白石監督も原作を最初に読んだとき、ラストには疑問を持っていたようだ(この記事を参照)。白石監督は男性目線で原作を読んでいたのだろう。
 この作品の主人公はもちろん十和子であり、十和子の視点ですべてが描かれている。十和子はすでに死んでいる黒崎と幻想のなかで海辺に遊んだり、水島との情事の後ではタッキリマカン砂漠の妄想を抱いたりもする。そんな十和子の妄想のひとつとして陣治という男も存在しているのかもしれない。
 十和子は男にだらしなく、自制心にも欠けるどうしようもない女だ。それでも、そんなダメな十和子のことを真摯に気にかけてくれる陣治のような男に出会うこともある。そんな原作者の妄想がこの作品に結実しているようにも感じられたのだ。とはいえ陣治の行動が十和子の幸せにつながっていったのかどうかは微妙なところでもあるのだけれど……。

 ラストに関しては微妙だけれど、登場してくるキャラは色合い豊かで楽しめる作品だったと思う。世間では不倫関係がバレただけでタレントなんかは散々な目に遭うことになっているのに、この作品でのキャラクターのクズっぷりはとんでもない(特に竹野内と松坂の演じた男ども)。世間の共感なんか「クソ喰らえ」とでもいうこの作品の姿勢にはかえって好感を抱く。
 白石監督はロマンポルノのリブート作品『牝犬たち』なんかも撮っているからか、結構艶かしい場面もあった。そんななかで蒼井優も大人になったということなのか、『オーバー・フェンス』以上にかなり際どい場面も演じている。蒼井優が女子高生役だった『リリイ・シュシュのすべて』は15年以上も前の作品なのだなあとちょっと感慨に耽ったりもした。

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Date: 2017.11.11 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (6)

『ノクターナル・アニマルズ』 衝撃的な冒頭と味のあるラスト

 監督・脚本は『シングルマン』でデビューしたトム・フォード。トム・フォードは有名なファッションデザイナーで、『007』シリーズにもスーツを提供しているのだとか。
 原作はオースティン・ライトの同名小説。

トム・フォード 『ノクターナル・アニマルズ』 スーザン(エイミー・アダムス)はアートギャラリーのオーナーとして成功をつかんでいる。その後ろにあるのは……。
 

 アートギャラリーのオーナーであるスーザン(エイミー・アダムス)のもとに、ある日、元夫のエドワード(ジェイク・ギレンホール)から彼が書いた小説が送られてくる。「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」というタイトルのその小説は、暴力的な内容のものだった。エドワードは20年も経ってなぜそんなものを送ってきたのか?

 スーザンは今の仕事ですべてを手に入れているはずなのだが、それでも満たされないものがある。現在の夫ハットン(アーミー・ハマー)はほかの女と浮気をしており、スーザンとの関係は上辺だけのものとなっているのがその一因かもしれない。
 そんなときに元夫エドワードからの小説が送られてくる。タイトルの「ノクターナル」とは「夜行性の」という意味。エドワードはかつてスーザンのことを「夜の獣」と呼んでいたのだという。今現在のスーザンは不眠症で、ほとんど寝ていない状態にあるのも「夜の獣」という呼び名に相応しいとも言えるかもしれない。

◆作品の構成
 この作品は重層的な構成となっている。「スーザンの現在の生活」、「小説『夜の獣たち』の世界」、「スーザンによる元夫との回想シーン」、この3つのパートが絡み合う。満たされない生活の空虚さが小説を読ませ、その内容が現在の生活を脅かしたりもしつつも、それを書いた元夫との過去の出来事を想い起こしたりもしながら展開していく。
 おもしろいのはスーザンが眠れぬ夜を過ごすために読むことになる小説『夜の獣たち』のパートでも、その主人公をジェイク・ギレンホールが演じていることだろうか。小説『夜の獣たち』の主人公トニーと、それを書いているエドワードは同一人物ではないのだが、スーザンはほとんど同一視しているのだ(このパートはスーザンが小説を読み、頭のなかで映像化されたものということだろう)。
 エドワードが書いた小説について、スーザンは「自分のこと以外を書くべき」などとアドバイスをしていたりもしたわけで、スーザンにとってはエドワードが書く小説の登場人物はどうしてもエドワードの姿に思えてしまうということだろう(エドワードは未だに自分をモデルとした小説を書いているということでもあるかもしれない)。

 それからこれは単に私の勘違いなのだけれど、劇中劇である『夜の獣たち』においてトニーの妻を演じているのもエイミー・アダムスだと思っていたのだ。実際トニーの妻を演じているのはアイラ・フィッシャーという女優さんである。彼女はスーザン役のエイミー・アダムスとよく似ていて、ネットでふたりの名前を検索すると「まるで双子」などと出てくるから、似ている人物を選んでいるのだろう。スーザンは元夫が書いた小説のなかの主人公を元夫と同一視し、その主人公の妻を自分によく似た誰かと考えているのだ。
 とにかくスーザンはエドワードが書いた小説が、かつて夫婦であった自分たちをモデルとして描かれていると推測していることは確かだ。スーザンは小説のなかのトニーの妻とその娘が殺されたことに驚き、自分の娘に電話をして安否を確認したりもしているからだ。
 
 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ノクターナル・アニマルズ』 劇中劇の『夜の獣たち』はテキサスが舞台となる。

◆小説『夜の獣たち』についてのあらまし
 トニーという主人公は妻と娘を乗せてハイウェイを走行中、レイ(アーロン・テイラー=ジョンソン)と仲間たちに襲われる。舞台となるのは誰もいない夜のテキサスで、妻と娘は暴漢たち拉致されて残虐に殺されることになる。
 トニーは妻と娘を助けることはできなかったわけで、その弱さを悔やむことになるわけだけれど、肺がんで余命1年という保安官(マイケル・シャノン)の助けを借り、法律を犯してまで復讐を果たすことになる。しかし同時にトニーという主人公自身も死んでしまうことになる。

◆エドワードとスーザンの過去
 回想で描かれるスーザンはエドワードと同様に芸術に関心を抱く学生だったのだが、自分の才能を信じることができずに方向転換する。エドワードとの関係も同様だ。ゲイの兄を認めないような保守的な両親の考えを否定しようとして、スーザンは母親が反対するエドワードと結婚することになるのだが、ここでも方向転換することになるのだ。エドワードはいつになっても芽が出ずに、もとのブルジョアな生活が懐かしくなったのか、スーザンはエドワードとの子供を堕ろして彼を棄てることになる。

◆ラストの解釈
 ラストシーンではエドワードとの再会を約束したスーザンが寂しく待ちぼうけを食うことになる。エドワードは約束をしておきながら、それをすっぽかしたのだ。わざわざ小説を送りつけたのは“復讐”だったと考えるのが一番すんなりくるのではないだろうか。
 スーザンは小説『夜の獣たち』の完成度を褒め称えていたけれど、エドワードがそれに込めた意味合いにはその時点では気づいていない。スーザンは恐らく小説の登場人物のなかでは主人公トニーの妻と自分を重ね合わせている。それは小説のなかでは被害者の側となるわけだけれど、作者であるエドワードの意図は違う。エドワードはスーザンがやったことは小説のなかの暴漢レイがやったことと同じなのだと仄めかしているのだ。
 スーザンはエドワードの子供を殺すことで今の優雅な生活を手に入れた。それによってエドワードは小説のなかのトニーと同じように精神的には死んだということなのだろう。それと同時にトニーは自分の側に正義があると信じ復讐を完遂したのと同じように、エドワードも復讐をやり遂げることとなったわけで、エドワードはスーザンが自分のやったことの酷さに気がついていないことも復讐計画の一部に組み込んでいたということなのだろう。

 復讐が完遂したことでさすがに鈍感なスーザンだって自分の能天気さに気がついただろう。待ちぼうけの間にスーザンがどんなことを思い巡らしたのかはわからないけれど、エドワードはそれをどこかで見ていたのかもしれないし、あるいは小説同様に死んでしまったりしたのかもしれない。そのあたりを余韻のなかで感じさせるラストはなかなか味がある。
 それにしても冒頭のアレは衝撃的だった。スーザンの仕事のジャンクさを示しているのかもしれないのだけれど、そのインパクトに仰け反った。スーザン自身も回想シーンでは美しいのに、現在の場面では妙にけばけばしくてグロテスクにも見えてくるのもそのインパクトが効いているからだろうか。

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Date: 2017.11.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (7)
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