『光』 冥府へと続く道しるべ
監督は『まほろ駅前多田便利軒』や『さよなら渓谷』などの大森立嗣。

故郷の島でかつて起きた殺人事件。中学生だった信之は、恋人の美花が森のなかで犯されているのを見つけ、相手の男を殺してしまう。25年後、島を出て妻子と暮らしていた信之の前に、事件を知っている幼なじみの
美花と信之は恋人同士だが、信之の近くにはいつも輔がいた。輔は暴力的な父親に殴られてばかりだが、信之のことを“ゆきにぃ”と呼んで跡を追い回している。信之は鬱陶しく思いつつも、父親から酷い目に遭わされている輔のことを不憫にも思ってもいるようだ。そして、暑い夏のある日、事件は起きるのだが、その後津波が発生して島は壊滅状態になったために、殺人事件の証拠は輔が撮った写真以外は流されてしまう。
25年後、信之(井浦新)は市役所で働き、妻・南海子(橋本マナミ)と娘とで暮らしている。南海子はある男と浮気をしているのだが、この男が成長した輔(瑛太)である。輔は信之の弱味を握るために南海子に近づいたのだが、単純に金ばかりが目的ではなさそうでもある。というのも金が欲しければ最初から昔の殺人事件のことを持ち出せばいいわけで、実際に輔の父親(平田満)が現れると、そのことをネタに今では女優となって活躍している美花(長谷川京子)と信之を脅すことになる。
※ 以下、ネタバレもあり!

◆タイトルの“光”とは?
輔が信之に近づくのは金だけじゃないというのは、何らかの親しみを感じているということもあるのだが、それ以上に信之ならば自分のことを殺してくれるだろうという予感があるからだ。信之が一度殺人を犯しているということもあるが、父親の暴力には未だに恐れを抱いているところを見ると、殺されるならば相手は信之でなければならないという執着のようなものすら感じられるのだ。
なぜ輔がそんな破滅願望を抱くことになったのか。輔は島の暑い夏のせいにしてみたりもするのだが、どうにも説得力には欠ける。輔が魅入られたのは津波の夜に海を照らしていた月の光なのだろうと思う。
たまたま今年の邦画でまったく同じタイトルを持つ河瀨直美監督の『光』では、“光”とは弱視の主人公が感じたであろう太陽の光を指していた。そして、その“光”は何かしら希望のメタファーとして捉えられることになるだろう。しかし、今回の大森立嗣版の『光』においては、“光”とは月の光であり、暗いなかに浮かび上がる青白い光なのだ。
タイトルバックでも木の洞のなかに青白いものが浮かび上がり“光”という文字を形作っていた。この作品の“光”は明るい希望を指し示すのではなく、暗闇のなかに浮かび上がる光であり、それは冥府へと続く道しるべのようなものなのだ。
輔は信之に殺されることを望んでいるし、信之も死んだように冷たい目をしている。そして信之は未だに執着を断ち切れずにいた美花に突き放されることになると、感情を露わにして自殺めいた場面を演じたりもする(投身自殺したかのように地面に横たわる信之の周りを赤い椿の花が散っている)。
輔を彼の希望通りに始末し、妻と子供の待つ家に戻った信之は一体何をしに帰ったのか。父親の帰宅にうるさいくらいにはしゃぎまわる娘の椿(早坂ひらら)は信之の暴力的衝動を引き出そうとするかのように喚き続ける。椿が描いた絵には暗い夜に輝く月が描かれていたことも示されているわけで、娘にもそうした死への願望めいたものが受け継がれているのかもしれないとすら思わせるシーンだった。

◆島の自然と人為的な音楽
冒頭、鬱蒼とした緑が生い茂る島の風景が描写されていくのだが、この場面の劇伴はジェフ・ミルズの大音量のテクノ・ミュージックで、とにかく違和感この上ない。島の自然と対比される人為的な音。音楽はすべて人の生み出すものなのかもしれないが、たとえば鳥の鳴き声を模したメロディとか自然に似つかわしいものだってあるはずだが、この作品のテクノはまったく自然にそぐわないのだ。
人間だって本来は自然の一部のはずだが、岸田秀(『ものぐさ精神分析』)的に言えば人間は本能が壊れてしまっているから自然のなかの異物となっている。この作品のテクノの異物感は、自然のなかの異物としての人間を示しているように感じられた。
そうした異物としての人間が抱えているのが過剰な“暴力”というものであり、この作品では“暴力”が重要な主題となっている。「暴力には暴力で返すしかないんだよ」というのは信之の言葉だが、最初に信之の暴力を誘発した美花は「暴力に暴力で返した者は、この世界には居られないのかも」とつぶやいたりもする。美花は周囲の男を手玉に取るという能力を駆使して生き残ってきた。それでも「あの日以来、何も感じないの」と語るなど、その表情には壊れたようなところもあり、輔や信之と同じように死に近いところにいるのかもしれない。
ラストシーンでは家のなかを突き破るようにして大木が育っている様子が描かれる。ただそれだけのシーンなのだが人為的なものが滅び、自然が再び盛り返した“終末世界”のようにも感じられた。この作品の青白い“光”が導くところはそうした世界なのだろうか。
怖いくらい冷たい目をした井浦新と、やけっぱちのように笑う瑛太のやりとりは緊張感があって見応えがあった。撲殺シーンでの効果音の使い方が結構怖くて、頭が潰れる音が一撃ごとに微妙に違ってくるように、断末魔のうめき声も悲痛さも増していくようだった。劇伴のテクノの使い方はかなり挑戦的な試みで、それがぴったりはまったかどうかは微妙なところだけれど、心意気はいいと思う。それから長谷川京子のラストの壊れた表情と、橋本マナミのおしりも見逃せない(ついでに言えば平田満のおしりもたっぷり拝める)。
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