『ブレードランナー2049』 知りたいことはまだ残っている

 1982年公開の『ブレードランナー』の続編。
 監督は『メッセージ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴで、前作の監督リドリー・スコットは製作総指揮を担当している。
 ちなみに前作の舞台は2019年という設定で、この30年の間に何があったかを示す短編3作品も公開されている。こちらも観ておくと理解の助けになる。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『ブレードランナー2049』 ライアン・ゴズリングと同等の扱いのようなハリソン・フォードだが、実際には最後のほうにしか登場しない。


 ブレードランナーのK(ライアン・ゴズリング)は逃亡していたレプリカントのサッパー・モートン(デイブ・バウティスタ)を解任(=殺害)するのだが、そこで地下に埋められた箱を発見する。そのなかにはレプリカントの遺骨が入っており、それには子供を出産していた形跡があった。

◆人間とアンドロイドの違いは?
 前作ではブレードランナーのデッカードがレプリカントのレイチェルを連れて逃亡するところで幕切れとなったわけだが、この続編はきっちりとそれを引き継いでいく。前作でも特別なレプリカントだと言われていたレイチェルは、自分のことを人間だとすら思っていた。本作『ブレードランナー2049』では、さらにレイチェルが子供を産んだことが判明する。
 この作品世界のレプリカントと呼ばれるアンドロイドはほとんど人間のよう。レプリカントは傷を負えば真っ赤な血が出るし、銃で撃たれれば死んでしまう。一応は人間がつくったものだからマシンに違いないのだが、数年経つと感情も生じてくることになる。そして、レイチェルのように子供を産むことまで可能となれば、レプリカントと人間の境界というものは限りなく曖昧なものとなってくる。
 本作ではその子供とその父親デッカードを巡って、Kの属する警察組織とレプリカントを製造するニアンダー・ウォレス(ジャレッド・レト)率いるウォレス社が争奪戦を繰り広げることになる。警察は彼らを消そうとし、ウォレス社はレプリカント繁殖の秘密を暴くために彼らを追う。さらにレプリカント反乱軍などの存在も明らかになる。

『ブレードランナー2049』 撮影はロジャー・ディーキンス。

◆新旧ブレードランナー対決
 前作のブレードランナー・デッカード(ハリソン・フォード)と本作のKとで異なるところは、Kは自分がレプリカントであることを認識しているということだろうか。前作のディレクターズカット版やファイナル・カット版においては、デッカード自身もレプリカントなのではないかと思わせる描写がある。もしかするとデッカードは前作の最後にそれを悟ったのかもしれないのだが、Kは予めそのことを知っている。
 Kは自分がレプリカントだと知っているから何事にも動じない。Kが受けるトラウマテストでは、彼が人間的な反応を示すか否かが試されているようだ(ナボコフ『Pale Fire』の引用にも何やら意味が込められているのだろう)。そんなKが今回の一連の事件で自らのアイデンティティを揺さぶられ、とても人間的な反応すら見せるようになる。
 Kは自分がレイチェルとデッカードの子供なのではないかと考えて戸惑うことになるのだが、さらに一転してそれは間違いであることが判明する。レプリカントは自分が人間もどき(スキン・ジョブ)ではなく本物になりたいと感じているから失望は大きい。これは前作でデッカードやレイチェルが受けた衝撃と同様なものだろう。一度はぬか喜びしている分、落胆の度合いも大きいと言えるかもしれない。
 Kはそれでも人間以上に人間らしく大義のために生きることを選択することになるが、これは前作で反乱レプリカントのリーダーだったロイ・バッデイ(ルトガー・ハウアー)と同様の振舞いを繰り返しているとも言える。本作ではKが前作のデッカードの役目もロイの役目も果たしているのだ。
 私が何が言いたいのかと言えば、この作品ではKがその両方を担っている分、魅力的な敵役が存在しないようにも感じられるということだ。前作ではロイやプリスといったキャラが魅力的で、デッカードはハードボイルドな探偵ものの視点に過ぎなかったのではなかったのか。最後の戦いの場面など、どう見てもルトガー・ハウアーの独壇場になっていたのだから。
 一応本作にも敵役らしきラヴ(シルビア・フークス)というレプリカントが登場し、それなりに鋭い“かかと落とし”などを披露したりはするのだけれど、前作ほどのインパクトは感じられないのだ(ラヴが二度見せる涙の理由は謎)。

『ブレードランナー2049』 ジョイを演じたのはアナ・デ・アルマス。

◆デッカード=レプリカント説についての結論は?
 デッカードがネクサス6型のタイプのレプリカントだとすれば寿命は4年だから、本作のように30年経って生きているということは、そのこと自体でデッカードは人間だとする解釈もあるようだ。
 しかしそれほど単純でもなさそうだ。本作のなかでは、ウォレスがデッカードに対し「あなたが創られた存在ならば」と、あくまで仮定の話として語りかけたりもしている。これは人間として生まれたのではないという意味だろう。ウォレスの説ではレイチェルとデッカードは子供を産むように始めから計画されていたということになる。となるとデッカードもレイチェルと同様の特別なレプリカントであるのかもしれず、寿命だけでは結論としては弱い。ウォレスの言葉に対してはデッカードが明確な返答をすることもないために、結局のところ真相は謎のままということになる。

 しかし、そもそもそんなことに拘泥することに意味があるのかとも思う。『ブレードランナー』の世界においては人間もレプリカントもその境界が曖昧なものとなっていくわけだし……。続編である『2049』においては新たなキャラとしてKの彼女としてジョイというホログラム3Dの女の子が登場する。ジョイ(アナ・デ・アルマス)はウォレス社の商品であり、AIを搭載したヴァーチャルな存在だ。Kは自分がレプリカントと認識しているためか人間の女性を求めようとはせず、ジョイと生活することで満足している。
 本作ではそんな幻影であるジョイですらとても愛おしい存在として描かれることになる(というかアナ・デ・アルマスがとてもかわいらしいのだ)。ジョイはコンピュータープログラムの賜物であり、すべてを「0」と「1」という信号で把握するマシンに過ぎないはずなのだが、Kとジョイの間には互いに対する愛情があり、それは人間たちと何ら変わりないんじゃないかというのがこの作品世界の思想でもあるのだから。

 前作を受け継いだビジュアルは見応え十分なのだけれど、如何せん長すぎることは否めない。2時間以内に収めればもっと引き締まったものになったんじゃないだろうか。ハリソン・フォードが登場してからの部分は謎をさらなる続編へと先延ばししただけのようにも感じられた。「知る覚悟はあるか」というのが、本作のキャッチコピーだが、新しく知ったことは冒頭のレイチェルの出産以外に何かあったのだろうか? あちこち引き回された挙句散々な目に遭うことになるKの末路には同情を感じるのだけれど……。

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Date: 2017.10.31 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (14)

『あゝ、荒野 後篇』 ボクシング≒生きること

 寺山修司原作、岸善幸監督の『あゝ、荒野 前篇』の続き。

岸善幸 『あゝ、荒野 後篇』 主役のふたりの身体はさすがに引き締まっている。

◆親と子の関係
 冒頭は競馬のシーン。競馬では血統というものが重要視されるらしい。優秀な血筋の親から生まれた子ならば、子も優秀である可能性が高いということだろう。それでもそうした血に抗おうとする子だっている。鳶(トンビ)から生まれても鷹(タカ)になろうともがくのだ。
 前篇から引き続いてこの後篇でも多くの親子関係が描かれている。新次(菅田将暉)とその母・京子(木村多江)、建二(ヤン・イクチュン)とその父・建夫(モロ師岡)、芳子(木下あかり)とその母・セツ(河井青葉)など。それぞれ親が子を棄てたり、子が親を見棄てたりする関係となっているのだが、クライマックスの試合会場ではみんなが勢揃いすることになる。

◆それぞれの戦う理由
 新宿新次はボクシングを始めるきっかけでもあった裕二との戦いに向けて気持ちを盛り上げていく。新次は勝つためには何でもするといった戦いを展開し、最後は判定で勝つことになるのだが、新次にとってこの勝利は目標達成により目標を見失うことにもつながる。新次は「これで終わりか」と裕二に問いかけるのだが、その後の新次は一種の燃え尽き症候群となってしまう。
 そんな新次の新たな相手として登場するのがバリカン建二だ。ボクシングでは相手を憎まなければ勝つことはできない。しかし建二は最後まで人を憎むことはできない。建二は新次に対する憧れを理由に新次と戦うことになる。
 なぜ建二が新次を相手として選んだのか? 建二は吃音の赤面症で、なぜか歩き方すらぎこちない。そんな建二は前篇において自殺抑止研究会の一員として登場した恵子(今野杏奈)とベッドインまでしておきながら、「あなたとはつながれない」と途中で逃げ出してしまう。建二がつながりたかったのは新次という憧れの男のほうなのだ。
 建二はベッドの上でも女のなされるがままで、何をやっても常にぎこちなさを感じさせる。ただ建二はボクシングだけは人並み以上なのだ。ボクシングならば自然に身体が動くのだ。建二にとって新次と会話するよりもグローブを交えるほうが多くを語れるということなのだろう。

『あゝ、荒野 後篇』 3人で海へ行ってみたりもする。珍しく建二がはしゃいでいる。

◆誰と戦うべきなのか
 この作品においてボクシングとは生きることそのものだ。生きることは戦うこととも言えるのかもしれない。そんな世界を受け入れられない人は自殺していくことになる。クライマックスの試合は壮絶ではあるけれど、無様なものにも感じられた。というのもこの試合はテクニック以上にふたりの生き方の表れたものであって、その戦いは技の応酬ではなくて感情の応酬だからだ。
 だからふたりの試合が終わったときの感覚は、スポ根ものの作品にあるようなカタルシスとは無縁のものとなるだろう。建二は新次とつながろう(=愛されよう)として自殺めいた戦いをすることになるし、新次はそうした意図を知りつつも徹底的に建二を殴り続ける。結果、建二は死んだのかもしれず、新次は呆然としたまま何かを見つめている。
 そもそもふたりは戦うべき相手だったのだろうか。新次にとってボクシングは裕二を殺すためのものだったわけで、建二とやりあう必然性はないはずだ。それから建二にとってボクシングは自分を変えるための手段ではあったかもしれないけれど、憧れである新次と戦う必要があったのかはよくわからない。
 ちなみに試合会場の外では、前篇から登場していたデモ隊が行進している。彼らの敵は徴兵制度を推進しようとする政府なのかもしれないのだが、その政府の姿は作品中ではよく見えない。さらにそのデモ隊を狙ったのか爆弾テロも発生するものの、これもその意図が明らかになるわけでもない。自分が戦うべき相手のことが見えていないようにも感じられるのだ。

『あゝ、荒野 後篇』 クライマックスはふたりの壮絶な殴り合いとなる。

◆負けは必至!
 建二は新次とつながりたいと感じ、新次との試合を切望する。試合会場では新次と建二は観客の声援を受け、ふたりはつながることになったのかもしれない。しかし会場に集合したふたりの家族や仲間たちは、結局バラバラのままだ。
 ベッドで建二とつながろうした恵子はその会場には来ていないし、後篇の途中で新次の元を去ることになる芳子は会場に姿を見せるものの新次とのコンタクトはない。さらに芳子の母もそこにはいるけれど、母娘は互いにそれに気づくこともない。会場に連れて来られた建二の父は建二の姿を見ることはできないし、ジムの社長(高橋和也)とその愛人である京子も会場では別々の席に座っている。つまりはつながっているのは新次と建二だけで、そのほかは会場入りしていてもバラバラのままなのだ。そうなると建二がつながりを求めたこと自体が勘違いだったようにも思えてくる(人は勘違いや思い込みがあるからこそ生きていけるわけだけれど)。
 ボクシングは生きることそのものだと言ったが、生きることは独りで立つことなのだ。ジムの社長は新次に向かってこんな台詞を吐く。「不完全な死体として生まれ、何十年かかって完全な死体となる」と。この戦いでは負けは必至なのだ。そうしたことが受け入れられない人はやはり自殺に走るだろう。でも一方ではそれに抗う人もいる。新次の母・京子は旦那を自殺で亡くすことになるけれど、それでも「生きるって決めたの」と宣言して息子である新次を棄ててまで独りで生きていくことになる。
 人生はルールもよくわからぬまま放り出されたリングのようなものなのだ。定められた目標などない。ただ、その世界で生きていくためには戦わなければならない。だから建二と戦い終えたあとの新次の表情にはやりきれないような憮然としたものが感じられなかっただろうか。新次も建二も誰も彼も、わけもわからぬままに戦わざるを得ないからだ。

 前篇ほどの高揚感はなかったような気もするけれど、やはり今年を代表する作品のひとつになることは間違いないんじゃないだろうか。5時間以上を費やしても未だまとまりきらない部分もあって、サイドストーリーの自殺抑止研究会のエピソードがどこかへ消えてしまったり、クライマックスのふたりの戦いの間に割り込んでくるデモ隊の場面が(誰もが戦っているという意図はわかるとしても)流れを阻害してしまったりと悪い部分も多々ある。それでも暑苦しいほどの菅田将暉ヤン・イクチュンの戦いには涙を禁じえないものがあったと思う。長丁場を気にしている人には、一度見始めればそんなことは一切気にならないとだけは言っておきたい。

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寺山修司の作品
Date: 2017.10.26 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『婚約者の友人』 フィクションのなかで死に、現実において生きる

 『まぼろし』『17歳』『彼は秘密の女ともだち』などのフランソワ・オゾン監督の最新作。
 この作品はエルンスト・ルビッチが1932年に『私が殺した男』として映画化したものと同じ戯曲が原案となっている。
 原題は「Frantz」で、主人公アンナの亡くなった婚約者の名前。

フランソワ・オゾン 『婚約者の友人』 アンナを演じるパウラ・ベーアはオーディションで選ばれた新人だとか。


 第一次世界大戦後のドイツのある村が舞台。アンナ(パウラ・ベーア)はある日、婚約者フランツ(アントン・フォン・ラック)の墓の前で見知らぬ男性を見かける。その男アドリアン(ピエール・ニネ)は敵国のフランス人で、わざわざ墓参りに訪れたらしいのだが……。

 アドリアンは敵国の男である。この時点では戦争は終わっているものの、ドイツの村にはフランス兵に息子を殺された親たちが多く残されていて「フランス憎し」という感情が渦巻いている。そんな場所に現れたアドリアンはフランツの父親ハンス(エルンスト・ストッツナー)からは追い返されるし、村人からも白い眼で見られる。
 しかしアンナはフランツの墓の前で涙を流すアドリアンの姿を見て、勝手に彼をフランツの友人だと信じこんでしまい昔の話を聞きたがる。そして自分の知らなかったフランツの話を聞いていくうちに、アンナはアドリアンに親近感を抱くようになっていく。

 ※ 以下、ネタバレもあり!



『婚約者の友人』 アドリアン(ピエール・ニネ)はフランツアントン・フォン・ラック)にバイオリンを教えたと語る。映画ではカラーとなるシーン。

◆ミステリー?
 アドリアンはアンナにとって婚約者フランツの友人ということになってしまうのだが、実際にはフランツを殺した張本人であるというのが真相だ。ただ、アドリアンの雰囲気は何かしらの秘密めいたものを感じさせるのでそれほど驚くところではないのかもしれない。
 過去のオゾン作品を知っている人はフランツとアドリアンのふたりが同性愛なのかとちょっと疑ってみたりもするかもしれない。バイオリンの演奏シーンなどはそんな妖しさを感じないでもないからだ。
 ちなみにこの作品では登場人物の感情が高揚する部分となると、いつの間にかにモノクロの映像がカラーへと変化する。フランツとアドリアンのシーンもそうだし、アドリアンとアンナが親しくなっていく場面でもスクリーンが色づくことになる。

◆オゾン版とルビッチ版
 アドリアンは真相をアンナに告白する。戦争という非常事態のなかでやむなく敵であるフランツを殺してしまったこと、未だにアドリアンはその罪に苦しんでいる。そして赦しを乞うためにドイツまでやってきたものの、婚約者アンナの勘違いもあってフランツの友人のような形になってしまい、困惑しつつも嘘の芝居を続けることになる。そうするとフランツの友人だったというドイツの男をフランツの両親たちも受け入れるようになり、まるでフランツの代わりとなってアドリアンが現れたかのような不思議な関係性が生まれることになる。
 ルビッチ版は未見なのだけれど、どうやらこの嘘の関係性を続けるところで終わることになるようだ。すでにフランツの死で悲嘆に暮れた両親に対しさらに真相を知らせることで再び悲しみを大きくするよりも、嘘のほうがみんなのためになるということだろう。
 しかしオゾン版ではさらに先がある。アドリアンを追ってアンナがフランスへと渡ることになるのだ。ドイツのなかの異邦人だったアドリアンと同じように、フランスのなかの異邦人となったアンナは、アドリアンの立場を理解し、彼を赦すことになる。
 ドイツに留まっているだけではフランスに対する憎しみは薄れることはないのかもしれないのだが、フランスへと舞台が移行することで立場が相対化される。どちらも国を愛することは変わらないし、敵を恐れ憎む感情も同様だ。そして、どちらも同じくらい愚か。そんな反戦メッセージがあるのだ。

エドゥアール・マネの絵画「自殺」

◆生きる希望が湧くラスト?
 おもしろいのはラストでエドゥアール・マネの絵画「自殺」が重要なアイテムになっていること。(*1)アドリアンもアンナも自殺未遂をすることになるのだが、それは自分勝手なことだったとの反省がなされることになる。反省と言えば、フランツの父親ハンスは自分たちの世代が息子たちを戦場へと駆り立てたことを悔いてもいた。
 国のための戦争に行くことも否定され、自分勝手に自殺することも否定される。「社会と個人との関係」という様々な映画や小説で繰り返されてきた主題がこのあたりに顔を出している。結局、アドリアンの選択もアンナの選択も、親(社会)の願いと自分の希望との間で葛藤した微妙な部分へと着地しているように見えるのは「社会と個人との関係」が介在してくるからだろう。

 ラストではアンナがマネの絵画「自殺」を前にして「生きる希望が湧く」といった意味のことを語るのだが、自殺の絵を前にして語られる言葉としては逆説的な物言いだ。これはゲーテ『若きウェルテルの悩み』を書いたことと似たようなものなのかもしれない。
 ゲーテは実体験を元にその小説を書くのだが、そこで主人公ウェルテルを自殺させることになる。ゲーテは物語のなかで自分の分身たるウェルテルを自殺させることで、現実においてはその後の長い人生を生きることになる。マネの絵画に関してのエピソードはわからないけれど、アンナの気持ちもゲーテと同様のものだったのかもしれない。絵画のなかの自殺した人と自分を重ねることで、現実の自分はそれから先も生きていくことができるのだ。
 モノクロ作品だからというわけではないけれどクラシカルな雰囲気を持つ作品となっていたのは、ピエール・ニネのいかにも整った顔立ちが古風な出で立ちにもよく似合っていたからだろうか。口ひげはちょっと作り物みたいにも見えるけれど……。

(*1) よく見ると手元には銃を持っている。何となくルイ・マル『鬼火』のラストを思い出させるような気もする。

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Date: 2017.10.24 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『あゝ、荒野 前篇』 昭和95年を生きる

 原作は歌人・劇作家として知られ、いくつもの映画作品も残している寺山修司。この原作は寺山唯一の小説作品とのこと。
 監督は『二重生活』でデビューした岸善幸。『二重生活』には門脇麦演じる主人公の彼氏役で菅田将暉も顔を出していたから今回の主役での起用ということだろうか。もうひとりの主役には『息もできない』のヤン・イクチュン

岸善幸 『あゝ、荒野 前篇』 主役は菅田将暉とヤン・イクチュンのふたり。原作は寺山修司。

 原作は未読なのだが、その時代背景は寺山修司がこの小説を書いた60年代ということになるのだろう。それに対して映画版の時代設定は2021年という未来となっている(どちらも東京オリンピックの後の時代ということにもなる)。ただ、未来の設定とは言え雰囲気的には昭和の匂いが感じられる。というのも舞台が新宿を中心としているからかもしれないのだが、そこでは未だに猥雑で古臭い場所が残っていたりもし、2021年というよりは昭和の時代がまだ続いていて昭和95年というべき世界になっているのだ。この泥臭い感じは寺山修司っぽいと言えるかもしれないし、サイドストーリーの一部には前衛演劇が登場するのも寺山修司を意識しているのだろう。
 この世界では新宿のど真ん中で爆破テロが発生したりもするし、奨学金を返せない貧乏学生は社会奉仕と称して自衛隊に入隊させるといったような物騒な世の中となっている。そのテロがどんな類いの主義主張を持つものなのかは不明なのだけれど、世の中は閉塞感に満ちていて、自殺者も絶えることがない。
 この作品の主人公となるふたりの男もそれぞれに鬱屈を抱えている。親から棄てられた身の上もあり、オレオレ詐欺で高齢者から金を巻き上げていた新宿新次(菅田将暉)。床屋で働く吃音と赤面症のモテナイ男のバリカン建二(ヤン・イクチュン)は、暴力的な父親に反抗することができないでいる。そんなふたりがそれぞれにボクシングに出会うことになる。

『あゝ、荒野 前篇』 かつての新次(菅田将暉)はオレオレ詐欺グループの一員だった。

 直情径行型の新次と、いつもへどもどしてばかりで頼りない建二。対照的なふたりがジムでの共同生活とトレーニングの日々と経るうちに兄弟のような関係となっていく。この作品は前篇だけで2時間37分もある。後篇はさらに2時間以上あり、前後篇合わせて5時間を超える大作だ。それでも少しも退屈するところがないのがすごいところで、前篇が終わるとすぐにでも後篇を観たくなる。そんな作品だ。
 さらに後篇ではふたりの関係にも変化が生じるらしい(前篇終了後に予告編もある)。ボクシングとは要は殴り合いだ。相手を憎むことができなければ勝つことはできない。そのことが何度も強調されている。新次のボクシングを始めるきっかけは、自分が慕っていた男を身障者にしたボクサーの男を殺すためだ。ボクシングをすること自体がそうした衝動から始まっているから、相手を憎むことは当然であり、憎むことが強さにもなる。しかし、バリカン建二は試合相手を憎むことができない。どんなにひどい父親でも反抗することができなかったように……。そんな建二が本気でボクシングをするとすれば、どんなことがきっかけとなるのだろうか。そんな疑問を残しつつ前篇は終わる。

『あゝ、荒野 前篇』 サイドストーリーの自殺抑止研究会の面々。右がリーダーの男。

 ふたりのエピソード以外のサイドストーリーとしては「自殺防止フェスティバルの夜」を開催しようとする自殺抑止研究会の動向も追われていく。この団体のリーダーの男は「自殺防止フェスティバル」を盛り上げようと奔走しているように見せつつ、自分ではそれを「自殺フェスティバル」とも呼んでいて、公開自殺を図るというとんでもない行動に出る。
 彼の目的は自殺の抑止ではなく、何も持たない人間の最後の武器としての自殺の効用を世間に知らしめることであったのかもしれないのだが、このサイドストーリーが本筋にどのように絡んでくるのだろうか。
 リーダーの男・川崎を演じた前原滉は、かつて現実世界の年越し派遣村の村長としても有名になった湯浅誠氏の風貌とよく似ている。弱者に対する味方という表の顔のイメージからこの役者さんが選ばれたということだろうか。
 それから新次の恋人として登場する芳子のスレたキャラもおもしろく、演じる木下あかりの顔も何となく昭和を感じさせる一因となっているような気がしないでもない。この作品がR-15指定となっているのは脱ぎっぷりがいい木下あかりと、これまたほとんど丸出しの菅田将暉の熱っぽいベッドシーンがあるからだ。

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Date: 2017.10.17 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『亜人』 永遠の命を授かったら何をする?

 原作は桜井画門の同名コミック。すでにアニメ化もされているらしい。
 監督は『踊る大捜査線』シリーズや『幕が上がる』などの本広克行

本広克行 『亜人』 キレのあるアクションが楽しめるエンターテインメント作となっている。

 “亜人”というのは絶対に死ぬことのない人間の亜種ということらしい。主人公の永井圭(佐藤健)は交通事故で一度は死亡するものの、直ちに生き返り日本国内3例目の亜人であることが判明する。亜人と判明すると日本政府に保護されるというタテマエとなっているのだが、裏では亜人の特殊能力を使って人体実験が繰り返されている。
 「人類の進化の鍵を解明するため」などという調子のいい理由のもとに実験は正当化されるわけだけれど、実験材料となる亜人にとっては堪らない。どのみち生き返るからと腕を切断してみたり足を切断してみたりとやりたい放題なのだが、亜人も人と同じように痛みは感じるわけで、死に至る痛みを何度も体験するという地獄のような状況に置かれることになる。

 死に対する恐怖というのは自分が存在しなくなってしまうことに対する恐怖でもあるけれど、単純に死に至る苦しみが怖いということでもあるわけで、その恐怖を何度も味わう亜人は何ともかわいそうなばかり。不老不死を求める始皇帝のような気持ちもわからないではないけれど、亜人を見る限りあまりいいことはなさそうに思えてしまう。
 原作は読んでないのだけれど、だいぶ端折られているらしい。亜人発生の原因などの前提抜きで、“死なない人間”と“普通の脆い人間たち”とのアクションに展開していくのがスピーディでよかった(後半は亜人同士の闘いとなる)。ゲームのキャラと同じで、亜人は死んだらすべてがリセットされることになる。中途半端にケガをしたりして動きが鈍ったら一度リセットし(=死んで)やり直せばいいということになる。人間側としては動きを止めるために麻酔銃などと応戦するほかなく劣勢が続く。

『亜人』 亜人同士の闘い。永井(佐藤健)と佐藤(綾野剛)のふたりの決着は?

 物語は実験材料となっていた永井を、佐藤(綾野剛)という亜人が助けるところからスタートする。佐藤は人間を殺すことなど何とも思っていない(彼も過去に実験材料となっていたこともあり人類に対しての恨みがあるようだ)。一方で永井は妹の病気を治すために医者を志すような殊勝な若者だから、人類に牙を剥くような佐藤と手を組むことはできずふたりは対決することになる。
 亜人になってしまったことを悩むことになる主人公・永井のキャラよりも、前半から飛ばしまくるテロリストのような佐藤のキャラがとても魅力的。とはいえ佐藤は死なないことをいいことに人間を殺しまくる狂気の持ち主で、悪趣味極まりない厚生労働省への飛行機での自爆攻撃など人間の理解の範疇を超えてもいる。
 佐藤演じる綾野剛はかなり意図的に大袈裟な台詞回しをしているっぽく、「私はねえ、殺すのが結構好きなんだよ」なんて不気味な台詞もかえって笑えてくる。この作品では亜人は何度も自殺をしているようなものだし、結構グロテスクな部分もあるために、あえてマンガチックにしている部分もあるのかもしれない(最後の最後もそんな感じだった)。原作に対しての思い入れもないしエンターテインメントとしてはそれでいいんじゃないかと思えた。
 亜人のなかの紅一点として体を張ったアクションを展開するのは川栄李奈。なぜか厚生労働省の役人・戸崎(玉山鉄二)のボディガードらしきことをしているのだが、戸崎のサドっ気ある態度に惚れ込んでいるような関係がなかなかよかった。

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Date: 2017.10.06 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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