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『エリザのために』 変えられないなら利用するしかないじゃないか

 『4ヶ月、3週と2日』(カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作)『汚れなき祈り』クリスティアン・ムンジウの最新作。
 この作品ではカンヌ国際映画祭コンペティション部門で監督賞を獲得した。
 原題は「Baccalaureat」で、英題は「Graduation」。邦題は娘のために奔走する父親の姿をベートーベンのピアノ曲にかけたものだろうか。

クリスティアン・ムンジウ 『エリザのために』 ロメオ(アドリアン・ティティエニ)とエリザ(マリア・ドラグシ)。エリザは優等生だし、親子の関係も微笑ましい。だからこそロメオはエリザのために奔走する。


 留学のために大事な試験を控えたエリザ(マリア・ドラグシ)は、ある朝、暴漢に襲われケガをする。強姦の被害は免れたものの、精神的なショックで翌日の試験の結果はあまり芳しいものではなかった。父親のロメオ(アドリアン・ティティエニ)は、エリザのために自分のコネを最大限に使って留学への道が閉ざされないように奔走する。

 同じルーマニア映画の『私の、息子』でも権力者の母親がコネを使って息子の犯罪をもみ消そうとしていたが、この『エリザのために』もまったく同じようなルーマニアという国の汚点を描いている。
 舞台となる街がどこなのかはわからないけれど、主人公のロメオは外科医としてそれなり成功した立場にある。警察署長(ブラド・イバノフ)とも懇意にしているし、そのつながりで副市長に助けを求め、便宜を図ってもらう。
 『私の、息子』ではバカな息子の罪を傲岸不遜な母親がもみ消そうとするのに対し、『エリザのために』のロメオはそれなりに真っ当に生きてきた人物だし、エリザにも罪はない。たまたま運悪く大事な試験の前日に事件に遭遇したために問題が生じ、そのことでロメオはしがらみを利用して抜け駆けを図ることになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『エリザのために』 容疑者の男たちを前にするエリザ。

◆ルーマニアという国の現状
 私はルーマニアのことをほとんど何も知らないのだが、チャウシェスク後の社会はコネが蔓延しているようだし、街にも活気があるようには見えない。野犬があちこちをうろついているし、白昼堂々の強姦未遂事件があっても周囲の人は自己保身からか知らんぷりをしている。作品の冒頭ではロメオの家に石が投げつけられる。これは一体誰の仕業なのか。その疑問に答えが出ることはないのだが、舞台となる街を荒んだ空気が支配していることを感じさせる。

 作品の後半ではロメオは不倫相手サンドラ(マリナ・マノビッチ)の息子マティを一時的に預かる場面があるが、マティは公園の遊具の順番を守らない子供に石を投げつけている。ロメオは慌ててそれをやめさせるけれど、マティに「じゃあ、順番を守らない人をどうすればいいの?」と訊ねられると明確な答えを返すことができない。
 ここでの「順番を守らない」という振る舞いは、ルーマニア社会の上層に位置する人たちが自分たちだけを優遇している様を示しているのだろう。ロメオはそれを利用できる立場にいるが、そうではない人も多いはずだ。
 エリザを襲った犯人は見つかることはないが、容疑者として集められていたのは明らかに外国人と見られる男たちだった。その面通しの帰り際にロメオが容疑者風の男を追って迷い込む場所は、ロメオが居を構える場所とは違ってバラックのような建物が並ぶ底辺の人たちが暮らす地域だったようだ。
 そんな底辺の人たちから見れば、外科医として成功しているロメオは嫉妬の対象となるだろうし、不倫相手の息子マティからしても家族を一番に考えるロメオからいつも放っておかれている立場にあるわけで、ロメオは恨まれるような立場にあるのかもしれない。

◆ロメオの希望と絶望
 ロメオは清廉潔白な人間とは言えないかもしれないし、不倫の関係をずるずると続けていることからも褒められた男でもないのかもしれない。しかし、かつては希望も抱いていたことも語られている。
 ロメオは1989年にチャウシェスク政権が倒れたあと、妻マグダ(リア・ブグナル)とふたりで祖国へ戻ってきたという設定になっている。自分たちが祖国を変えることできるはずだと考えていたわけだが、今となっては何も変わらないということを思い知らされている。
 ルーマニアという国に絶望し、娘のエリザが留学して海外へ出ることが唯一の希望とまで考えているのだ。だからこそ留学のための試験は失敗することのできない人生の最も大事な局面だったわけだが、外部の要因で運悪く躓いてしまったためにロメオは手を汚す羽目になる。
 ロメオは自分の国に絶望しているが、それに甘んじて負け組になるのは女房子供を抱えた男としては我慢ならなかったのかもしれない。妻のマグダは清廉潔白を貫き負け組になることを厭わなかったのかもしれないが、ロメオは国を変えることができないならばそのなかで上手く生きる方を選んだ。そのために利用できるものは利用して今の地位を手に入れたということだろう。その違いが夫婦の距離ともなってしまっている。

 ラスト、ロメオの裏工作に従わず正攻法で試験を乗り切ったエリザの表情にはどこか希望が感じられる(結果がどうなるかはわからないにせよ)。検察が副市長の汚職を捜査していることからも、ルーマニアで何かが変わりつつあることも匂わせてもいる。
 自らの悪事が詳らかにされる前に死んでしまった副市長は逃げ切った世代だし、若い世代にも今後の希望があるのかもしれないのだけれど、転換期を生きるロメオたちは割りを食ったのかもしれないとも思う。それでもルーマニアが変わるなら構わないとでも言うかのようなロメオの態度が悲哀を誘う。

 カンヌ国際映画祭が好みそうな作品で、音楽は一切なく、主人公が駆け回る姿を手持ちカメラで追っていく手法はダルデンヌ兄弟のそれっぽい。ルーマニアというほとんど知らない国が対象となっている点ではほかにないものがあるとは言えるかもしれない。シンプルで悪くはないけれども、『4ヶ月、3週と2日』ほど驚きはないかも……。

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Date: 2017.01.29 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『新宿スワンⅡ』 ガキのケンカに何か御用ですか?

 13億円という興行収入を上げたという『新宿スワン』の第2弾。
 『ヒミズ』『希望の国』などの園子温監督作品。

園子温 『新宿スワンⅡ』 綾野剛演じる白鳥龍彦と豪華なキャスト陣。

 綾野剛演じる白鳥龍彦は、前作でどん底から這い上がり歌舞伎町でスカウトとして成り上がる。今回は舞台を新宿から横浜に変えて、またもや大騒ぎすることになる。
 ただ今回の横浜篇に関しては、物語の中心となるのは関玄介(深水元基)と滝マサキ(浅野忠信)の関係となっている。この作品の顔である綾野剛の龍彦を脇に退けるわけにはいかないという配慮から、横浜での関と滝の因縁に無理やり龍彦を絡ませたり、ついでにあまり必然性もないヒロイン(広瀬アリス)も関わってくるものだから、物語がとっちらかってしまった印象。

 スカウトたちがケンカしているばかりでさっぱりおもしろみが感じられないのはなぜかと思っていると、龍彦自身がそれを見越したような台詞を吐く。龍彦はスカウト同士のトラブルに顔を出してきたヤクザに向かって「ガキのケンカに何か御用ですか?」と言ってのける。
 スカウトたちは威勢はいいけれど、結局のところ大人たちが決めた安全なテリトリーのなかで無邪気に遊んでいるようなものなのだろう。この作品の冒頭でも龍彦は渋谷から出てきた森長千里(上地雄輔)と派手にケンカをするけれど、ケンカをすれば気が済んでなぜか仲良くなってしまう。それは前作の敵・秀吉(山田孝之)との関係もそうだったし、横浜での関と滝の関係も同様なものだ。
 龍彦たちはヤクザのように命を張ったりはしないし、拳銃とかクスリとか危ないものには手は出さない。そのあたりが中途半端と言えば中途半端で、いつまでもガキのケンカを続けていたかった関と滝の関係は悪くはないのだけれど、だったらもっとふたりの関係を重点的に描いたほうがよかったような気もする。
 主人公の龍彦の視点から見ると前作のようなどん底の焦燥感もなければ、がっぷり四つに組む秀吉のような敵もおらず、おちょくる相手だった洋介(久保田悠来)はクスリ漬けになってしまったこともあって、いまひとつ龍彦のキャラが活きてない気がした。滝を相手に決めた場外への垂直落下式ブレーンバスターだけは破壊力がありそうだったけれど……。

 本作ではガキのケンカに終始したわけだけれど、スカウト会社のなかには大人も混じっていて、裏で何かを企んでいる人物もいる。真虎(伊勢谷友介)とか葉山(金子ノブアキ)は前回同様にあやしいのだが、そうした裏側が明らかにされるまでシリーズが続くのかは疑問。前作は13億円のヒットとなったらしいが、本作の出来は決して褒められたものではないので続編があるのかどうか。
 ヒロインの拙いダンスとか、なぜか演歌「津軽海峡・冬景色」を披露する女とか、首を傾げてしまうようなところが結構ある。龍彦に頼りきるほど悲惨な印象もなく、恋愛対象とも違うヒロインは作品のなかに居場所がない感じで、演じた広瀬アリスがちょっとかわいそうだった。

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Date: 2017.01.27 Category: 園子温 Comments (0) Trackbacks (8)

『沈黙 -サイレンス-』 遠藤周作からスコセッシへ

 『ミーン・ストリート』『タクシードライバー』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などのマーティン・スコセッシ監督の最新作。スコセッシが28年もの長い間企画を暖めていた作品。
 原作は遠藤周作の小説『沈黙』
 日本が舞台の作品だけに、様々な日本人キャストが登場するのも見どころ。以下のレビューでは触れることはできなかったが、浅野忠信はいい味を出しているし、映画監督のSABUとか、某プロレスラーがちょい役で登場したりもする。

マーティン・スコセッシ 『沈黙 -サイレンス-』 ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とキチジロー(窪塚洋介)。


 江戸時代初期、日本は鎖国政策を採っていてキリスト教は弾圧されている。主人公のロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)が日本へとやってくることになるのは、彼の師であるフェレイラ神父(リーアム・ニーソン)が棄教したという報せを受けたからだった。不屈の信念を持つフェレイラ神父に限ってそんなことはないとロドリゴは否定するものの、彼を助けるために危険な場所である日本へと向かうことになる。

 冒頭で描かれるのは白く煙るほどの硫黄が立ち込める雲仙地獄での拷問の様子。煮えたぎる温泉を注がれ肌を赤く爛れさせる隠れキリシタンたち。その傍らには斬られた生首も見える。キリスト教徒にとってはまさに地獄のような場所が当時の日本だった。
 そんな場所に密かに潜り込んだロドリゴと同僚のカルペ神父(アダム・ドライヴァー)だが、彼らの存在は誰にも知られてはならない。見た目ですぐに正体がばれてしまう異邦人の彼らは為す術もない。山の奥深くに隠れつつ隠れキリシタンの村人の告解を聞くなどの役目を果たしているものの、そのうちにその存在がバレて捕まってしまう。

『沈黙 -サイレンス-』 塚本晋也が演じたモキチは壮絶な殉教を果たす。

◆弱き者の居場所
 本作では殉教者として死んでゆく隠れキリシタンの姿が描かれる。最も壮絶だったのは塚本晋也が演じたモキチで、彼は波打ち際に立てられた杭に張り付けにされ波に呑まれるままに衰弱していく。モキチは最後まで信仰心を棄てることなく、杭の上で賛美歌を歌いつつ死んでいく。
 そうした強き者がいる一方でそんな苦痛に耐えられない者もいる。その最たる者がキチジロー(窪塚洋介)で、彼は何度も転ぶ(=棄教)ことになる。さらにキチジローはロドリゴ神父を井上筑後守(イッセー尾形)に引き渡す役割まで演じることになる。キチジローはロドリゴを裏切りつつも、日本で最後の神父となったロドリゴの下に戻ってきて赦しを乞う。ロドリゴはそんな弱くて愚かなキチジローを蔑むような目で見る瞬間もある。それでもキチジローの「弱き者の居場所はないのか」という問いにロドリゴは心を動かされることになる。

◆日本におけるキリスト教徒
 私自身はキリスト教の信者でもないし、原作者の遠藤周作に関してとりわけ詳しいわけでもないのだけれど、この原作小説にも書き込まれているように、遠藤周作は日本におけるキリスト教の信仰というものに疑問を抱いていたという側面があるようだ。たとえばウィキペディアなんかを見ると、「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」がテーマだとされている。
 映画のなかでもフェレイラ神父が語るように、「神のひとり子」が日本では「大日(如来)」として解釈されて受け入れられていた。「Son(息子)」が「Sun(太陽)」になってしまったというよりも、創造主という考え方そのものがないわけで、日本における信仰心のあり方は結局自然を崇拝することにほかならないということだ。キリスト教も日本においては別のものへと姿を変えてしまっているのかもしれない。そうした留保が遠藤周作にはあったのだろう。

◆神の沈黙
 イエスの教えという福音をもたらすために日本にやってきたロドリゴだが、それが日本の信徒たちにとって災いとなっている状況をフェレイラによって知らされる。祈りは何の役にも立たず、神は相変わらず沈黙を続けている。最後の最後でロドリゴは転ぶことになるわけだが、そのとき初めて神の沈黙は破られることになる。

 「踏むがいい、私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」


 この言葉を聞いたのはロドリゴだが、これは原作者の遠藤周作がこの小説を書くことで見出したキリスト教に対する理解ということなのだろうと思う。形式的にとはいえ踏絵を踏むことを是とするような慈悲深く母性的とも言える神の言葉は、キチジローの発した「弱き者の居場所」という問いや、日本においてキリスト教徒であることを考え抜いた結果生まれた言葉ということだろう。

『沈黙 -サイレンス-』 隠れキリシタンの面々。よく観ると小松菜奈と加瀬亮もいる。

◆遠藤周作からスコセッシへ
 遠藤周作の小説は出版された当初は反発も大きかったらしい。というのも正統派の教えからすれば異端ということになるからだろう。
 同じようにスコセッシが監督した『最後の誘惑』(原作はニコス・カザンザキス)も物議を醸した作品だった。この作品ではイエスは神の存在を身近に感じているのだが、それでも自らの使命について人間的に疑問を抱きつつ十字架に架けられる。さらにイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を送るという幻想もあって、いくつものキリスト教の団体から不評を買ったようだ。どちらも正統派の教えとは異なるのかもしれないけれど、弱き者に対する寄り添い方(イエスも人間であり弱さを持つ)という点では相通じるところがあるのだろうと思う。
 何かのインタビューでスコセッシが自身の作品のなかで繰り返し観るものは『最後の誘惑』だと語っていた(ように記憶している)。そんな思い入れの強い作品と通じ合うものがあるからこそ、この『沈黙 -サイレンス-』は企画倒れになりそうになりながらも、28年もの年月を経てもこうして映画化することができたということなのだろう。

◆スコセッシのアプローチ
 この物語にはドラマチックな葛藤がある。信仰を守るために殉教するか、あるいは生き延びるために踏絵を踏むか。そうした部分を盛り上げようとすれば、劇伴で観客の感情を高ぶらせることは可能なはず。しかし、本作では劇伴がほとんどない。一部に控え目には劇伴が流されるが、ほぼ自然の音だけで成り立っているのだ。
 隠れキリシタンたちは神の恩寵など感じることもなく無残に死んでいくことになるわけで、スコセッシはそこに音楽は不要だと考えたということだろう。エンディング・ロールでも虫の鳴き声、風の音、木々のざわめき、雷鳴など自然の音だけが続くのは「神の沈黙」を示してもいるのだろうし、日本における宗教心のあり方(=自然崇拝)をも感じさせるものだった。
 2時間半以上の長丁場の作品だけれど、それをあまり感じさせないほど引き込まれる作品だった。重苦しい作品だし、キリスト教徒以外の者には馴染みがないテーマとも言えるのかもしれない。それでも「弱き者の居場所」という問いは、誰もが真摯に受け止めざるを得ないだろう。遠藤周作もキチジローのような弱き者に自らを重ねていたわけで、私自身も含めた多くの人がそうした立場にあるのだろうし、強き者でありたいと願う者もいつまでもそれが続くとは限らないわけだから……。

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Date: 2017.01.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (13)

『ネオン・デーモン』 美の化身が辿る運命

 『ドライヴ』ニコラス・ウィンディング・レフン監督の最新作。
 主演は『Virginia ヴァージニア』『SUPER 8 スーパーエイト』などのエル・ファニング

ニコラス・ウィンディング・レフン 『ネオン・デーモン』 冒頭のバルテュスの絵画を模したとされるシーン。

 モデルになることを夢見るジェシー(エル・ファニング)は、田舎からロサンゼルスへ出てきたばかり。何の経験もないジェシーだが、持ち前の美貌によって出世街道を駆け上っていく。こんなふうに言うと女の子のサクセスストーリーのようだし、実際にそういう側面もあるのだけれど、そこからの転がり方がおもしろかった。
 極端な赤や青のネオンに彩られた世界、思わせぶりで溜めの多い描写、わけのわからない記号に示される“何か”。説明的な台詞もほとんどないような展開で、観る人によっては苦痛を感じるであろうことは予想される作品となっている。アートっぽい雰囲気で見せていくふうを装っているけれど、後半の展開からすればホラー映画であり、アートだと気構えてわからないと嘆くよりも、ホラー映画として笑い飛ばすのが正しい観方なのかもしれない。
 そんな妖しい世界で主人公ジェシーを演じたエル・ファニングがとても美しい。『マトリックス』の仮想空間のような写真撮影の場面など、この世のものとは思えぬ怪しい魅力を振りまいて周囲を虜にしていく。

 ※ 以下、ネタバレもあり!!


『ネオン・デーモン』 ジェシー(エル・ファニング)はメイクの仕事をしているルビー(ジェナ・マローン)と知り合う。

『ネオン・デーモン』 ジェシーは奇妙な記号に導かれて万華鏡のような世界を通過する?

◆美の化身?
 先ほどはエル・ファニングが美しいと言ったばかりなのだけれど、『ネオン・デーモン』ではそのほかの女優陣もまたとても美しい。重要となる3人はメイクの仕事をしているルビー(ジェナ・マローン)とモデルのサラ(アビー・リー)とジジ(ベラ・ヒースコート)。ファッション業界に生きる3人だけに彼女たちもかなりの美貌を誇っているのだが、作品中ではエル・ファニング演じるジェシーだけが特出した存在として描かれている。
 もちろんエル・ファニングは美しいのだけれど、サラ役のアビー・リーがそれに劣るとは思えない。このあたりは「外見がすべて」と語っているこの映画の主張とはズレが生じる。わざわざルビーに「ジェシーには“何か”がある」と言わせていることからしても、見た目だけでは誰もが有無を言わせず納得するほどの説得力がないとも考えているのかもしれない。ただリアリティを若干無視しても、ジェシーを特別な存在として描いていくことが必要だったということなのだろう。
 『オンリー・ゴッド』では神がタイ人の元警官として顕現したように、『ネオン・デーモン』ではジェシーは美の化身として存在している。それはモデルのオーディションでわざわざふたりを対決させ、サラには何の興味も示さない男がジェシーには生唾を飲み込むほど惹きこまれてしまうという描写にも表れている。
 美の化身たるジェシーは自分の美貌をはっきり意識しているし、それが金になることも理解している。彼女は「ガラスの海の中のダイヤだ」とか「太陽」とか様々な形容でその美が称えられる。しかしその一方でそれが永遠に続かないことも示されている。かつては美貌を誇っていたはずの先輩モデルたちは自分たちが賞味期限切れになりつつあることを知るのだが、同時にジェシーですらそれを逃れられないことも仄めかされる。

◆レズビアン/カニバリズム/ネクロフィリアなど
 冒頭、バルテュスの絵画を模したとされる血を流して死体となったジェシーの描写にあるように、この作品ではジェシーの美が損なわれる運命にあることは何度も予告されている。モーテルでの山猫侵入事件や、夢のなかでのモーテルの管理人(キアヌ・リーヴス)の登場は、性的な不安を感じさせるものだったが、それ以上に美そのものが損なわれることを示していたのだろうと思う。
 美の化身たるジェシーは周りに影響を与えざるを得ない。男たちはジェシーに魅了され、女たちは嫉妬する。最初から妖しい雰囲気だったルビーたち3人の女たちだが、クラブで最初にジェシーと出会ったときの会話は、彼女の身辺調査だったのかもしれない。両親は亡くなり、この街に知り合いもいないし男もいない。ジェシーを消してしまっても問題が生じないかどうかを探っているようなのだ。ルビーたちは美の化身としてのジェシーを分有する(=食べる)ことで、自分たちに美を取り入れようとするヴァンパイアのような女なのだ(そう言えばジェシーはまだ16歳の処女だった)。

 ジジがジェシーの美を受け入れることができなかったのは、彼女が整形を繰り返している偽者だったからだろうか。一方でサラはジェシーの美を分有することで、今までになかった“何か”を手に入れることになる。美というものがこんなふうにして消費されていくというようにも解釈できるのかもしれないのだけれど、単純にレフン監督が変態映画を撮りたかっただけなのかもしれない。
 『オンリー・ゴッド』と同様に唖然としたり、グロい描写には顔をしかめつつも、何だか魅せられてしまう作品だった。とりあえずはレズビアンのネクロフィリアなんて聞いたこともなかったし、今後も真似する人はいないんじゃないだろうか。

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Date: 2017.01.16 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (8)

『シン・ゴジラ』について好き勝手に論じること

「シン・ゴジラ」をどう観るか



ユリイカ 2016年12月臨時増刊号 総特集◎『シン・ゴジラ』とはなにか



 昨年大ヒットした『シン・ゴジラ』に関しては、公開当初からムック本が書店にいくつも並んでいた。それらは『ゴジラ』シリーズについての解説だったり、新作についての話題づくりだったのだが、公開して時間も経った最近になって様々な論者が『シン・ゴジラ』について論じた本も登場している。年末年始の休みに私が読んでいたものは、『「シン・ゴジラ」をどう観るか』『ユリイカ2016年12月臨時増刊号 総特集Ω『シン・ゴジラ』とはなにか』の2冊だが、ほかにも色々と関連本が出版されているようだ。
 こういった本がいくつも登場するのも、監督が庵野秀明ということもあって作品中に散りばめられた謎が話題になっているからなのだろう。たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』のように庵野作品には膨大な情報が詰め込まれているから、論者は好き勝手な読み方をすることも可能で、だからいろんな人がいろんなことを言いたくなる。そう言えば『新世紀エヴァンゲリオン』が話題をさらったときも、解説本らしきものが雨後のタケノコのように出版されていた。
 ちなみに『シン・ゴジラ』における謎とは、たとえば牧教授が『春と修羅』を残していたことの意味合いとは何かとか、ラストでゴジラのしっぽから飛び出しそうになっていたものは何かとか、最後に凍結したゴジラが再び動き出した際の核攻撃のリミットはなぜ3526秒なのかなど様々ある。
 ただ、こうした本を読んでもそれらの謎が解けるわけではない。というのもこれらの答えを知っている人は庵野監督だけだからで、監督自身はそれについて解説したりはしないから。とにかく一度観ただけでは到底すべてを把握できるはずもなく、論者たちはさすがに何度も劇場へ足を運んでいる様子で、一度しか観ていない者としては色々と気づかされる部分も多かった。3月にはソフトがリリースされるようなので改めて確認したいと思う。

『シン・ゴジラ』 コジラの勇姿!

 個人的に一番興味深く読んだのは大塚英志の論考(『ユリイカ』のほうに掲載されている)。
 ゴジラが皇居を襲わないのは戦死者の英霊だからだと論じたのは川本三郎なのだそうが、『シン・ゴジラ』においてもそれは同様で、ゴジラは東京駅で大暴れはするものの皇居までその被害は及ばない。しかし大塚は東京駅前まで仁王立ちとなって凍結されるゴジラの向いている方向に注意を促している。ゴジラが向かおうとしているのは皇居なのではないか。そんなふうに大塚は論を進めるのだが、最後に大塚はそれを否定する。『シン・ゴジラ』の世界は「天皇の断念された世界」なのではないかというのだ。
 『シン・ゴジラ』のなかでは天皇について言及されることはないし、ゴジラという怪獣も初めて登場したという設定になっていた。日本人の多くが『ジン・ゴジラ』に登場する巨大不明生物を3.11のメタファーのように受け取ったわけだけれど、『シン・ゴジラ』の世界で3.11が起きていたのかどうかはわからない。まだ3.11の記憶が新しい日本人が観ると、どうしてもそれを思い出してしまうのだが、どうやら海外ではそのあたりが理解されないという話もあるようだ。そんな意味では『シン・ゴジラ』の世界が「天皇の断念された世界」として設定されているということもあり得るのかもしれない。大塚はそこに庵野監督の成熟を読み込んでいく。『シン・ゴジラ』論というよりは庵野秀明論になっているのだが、予定されている『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を読み解く上でもためになりそうな感じもする。
Date: 2017.01.12 Category: 映画の本 Comments (0) Trackbacks (0)

『The NET 網に囚われた男』 もどかしい現実を直視する

 キム・ギドクの最新作(第22作目)。今回も監督・脚本・編集・撮影までこなしている。
 この作品は個人的には今年一番の注目作なのだが、さらに監督第21作目の『STOP』もこの3月に公開予定とのことでそちらも楽しみ。

キム・ギドク 『The NET 網に囚われた男』 ナム・チョル(リュ・スンボム)は事故によって韓国に流されスパイとして捕えられてしまう。


 北朝鮮で漁師をしているナム・チョル(リュ・スンボム)は、妻と娘の3人で貧しいながらも平穏な生活を営んでいた。ところがある日、漁の最中に船のスクリューに網がひっかかってしまう。全財産である船を捨てることもできずにいるうちに軍事境界線を越えて韓国側へと流されてしまったナム・チョルは、捕えられてスパイの疑いをかけられることになる。

 ナム・チョルは韓国側から取り調べを受けることになる。彼は漁師であり、妻子のためにも北朝鮮に戻りたいと説明しても簡単には信用されない。取り調べ官(キム・ヨンミン)は始めから疑ってかかっていて、無実の人でもスパイに仕立て上げようとするからだ。というのも取り調べ官は朝鮮戦争で親を亡くしているために、北朝鮮に対して個人的な怨恨を抱いているのだ。
 もちろん韓国側のすべてが北朝鮮に対して強硬な姿勢というわけではなく、取り調べ官の上司はもっと現実的に事態を判断しているし、警護官のオ・ジヌ(イ・ウォングン)はナム・チョルのことを信じてやりたいと考えている。
 しかし韓国側にはナム・チョルに対してのスパイ嫌疑が晴れたとしても、北朝鮮という独裁国家にナム・チョルを帰すことにもためらいがある(これは善意の押付けでもある)。できればナム・チョルを転向させて亡命を申請させることで、自分たちの陣営に取り込もうとする。そのために近代化したソウルの街をナム・チョルに見せることで、独裁国家ではない自由な社会の素晴らしさをアピールすることになるのだが……。

 ※ 以下、ネタバレもあり! ラストにも触れているので要注意!!


『The NET 網に囚われた男』 ナム・チョル(リュ・スンボム)と韓国側の取り調べ官(キム・ヨンミン)。同じ構図は北朝鮮においても繰り返される。

◆南北分断の問題
 ギドクが南北分断を描いた作品は最近では『プンサンケ』『レッド・ファミリー』があるし、初期の監督作『コースト・ガード』『ワイルド・アニマル』でもその問題が取り上げられている。今回の『The NET 網に囚われた男』は、最も直接的に南北分断について描いているし、より一層シリアスで政治色が強いものになっている。
 ナム・チョルはアクシデントで軍事境界線を越えてしまうことになるが、紆余曲折を経て北朝鮮に戻ってくることになる。しかし北朝鮮に戻ったナム・チョルが受けた仕打ちは、韓国側で受けた仕打ちとまったく同じものだ。これらのシークエンスは意図的にそっくりに描かれていて、ナム・チョルの後ろに陣取った南と北の取り調べ官が語ることも似通っている。国家というリヴァイアサンを前にしては、個人の存在がいかに踏みにじられるのかということが示されていて、それは韓国であろうと北朝鮮であろうと変わりがないのだ。
 さらに韓国は独裁国家にはない自由な社会があると喧伝するものの、ナム・チョルがソウルで出会った女性は弟のために売春をして仕送りをしなければならない境遇にあった。自由であるはずの資本主義社会でもそうした矛盾が生じているわけで、ギドクはどちらに対しても批判的な態度をとっている。

◆絶望的なラスト?
 北朝鮮当局の取り調べを終えたナム・チョルは、ようやく妻と娘の待つ家へと帰り着く。しかし元のような生活が戻ってくることはない。ラストの展開はあまりにも暗い。作品の冒頭では朝から夫婦の営みに励んでいた精力旺盛なナム・チョルは、今回のトラブルの精神的なダメージなのか妻(イ・ウヌ)の豊満な胸を前にしても性的不能な状態に陥ってしまう。さらには漁師としての仕事も取り上げられたナム・チョルは、ほとんど自暴自棄のような形で死んでいくことになる。

 なぜここまで夢も希望もないような終わり方だったのか?
 ギドクの初期作品では夢や幻想が主人公たちの「救い」となっていた。たとえば『鰐』では川の下の龍宮のような場所(=ユートピア)があったし、『うつせみ』では主人公たちが幽霊のような非現実的な存在になる。現実とは異なる虚構の何かが作品内部には存在して、その意味ではまだ逃げ場が残されていたのかもしれないのだが、『The NET』にはそうした場所はどこにもない。
 ギドクが自伝的要素を盛り込んでつくったとされる『受取人不明』と同様に、『The NET』には「救い」というものがないのだ。『受取人不明』がギドクが生きてきた現実を描いているとするならば、『The NET』は南北分断国家のありのままの現実を描いているということになるのだろう。
 
 前作の『殺されたミンジュ』では、暴走した謎の組織のリーダーは最後に自分が殺されることを覚悟している。リーダー曰く、「人間は本当に哀れだ。生きるのは苦しくて疲れる」。このリーダーの悲哀に満ちた言葉は、『The NET』のナム・チョルの姿と被る。
 『殺されたミンジュ』では自警団がある事件の犯人たちに復讐するという大枠が嘘っぽかったのだけれど、そのほかの部分は意外にもリアルだった。今回の『The NET』もリアルな路線をはみ出していくことはない。この作品のなかで一番嘘っぽいのは、ひとつの民族が南北に分断された国家に住んでいるという“現実そのもの”だったとも言えるかもしれない。
 『The NET』では、ナム・チョルは韓国の取り調べ官にスパイでないことを信じてもらえずに「もどかしい」という言葉を口にする。また、ナム・チョルを転向させようとする女性取り調べ官(ソン・ヒョナ)も同じように「もどかしい」と漏らしている。国や政治の状況がおかしいことはわかっているのに、個人はそれをどうすることもできない。そんな想いが北と南の両者の「もどかしい」という言葉に凝縮されているようだ。この作品はそんなもどかしい現実を観客に直視させる。だからこの作品のラストが絶望的だとするならば、それはとりもなおさず現実が絶望的ということにほかならない。

 『魚と寝る女』のような水の上の船というイメージを登場させながらも、今回も美学とは無縁の政治的なメッセージのほうへと舵を切ったギドクだが、前作『殺されたミンジュ』よりはすんなりと受け入れられたし、撮影までひとりでやってしまうという無理もそれほど違和感はなかったと思う。
 主演のリュ・スンボムは『ベルリンファイル』などにも出演している韓国スターらしいのだが、本当に漁師のように見えて役柄にはまっていた。韓国側の取り調べ官を演じたキム・ヨンミンは初期の『受取人不明』などにも登場しているギドク作品の常連さん。『The NET』での取り調べ官が絶叫する国に対する想いが調子外れに響くのが印象に残る。ナム・チョルが北朝鮮に戻ったときの万歳三唱も同様に白々しいものだったが、これらは初期の『コースト・ガード』のラストの歌に南北統一への想いが込められていたのとは対照的なものだったと思う。今は希望的観測を描くよりも、現実を直視するほうが重要ということだろうか。


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Date: 2017.01.08 Category: キム・ギドク Comments (0) Trackbacks (5)

『聖杯たちの騎士』 人生は解けないパズル

 『天国の日々』『トゥ・ザ・ワンダー』などのテレンス・マリック監督の最新作。
 原題は「Knight of Cups」で、通常「カップの騎士」などと呼ばれるタロットカードの1枚のこと。

テレンス・マリック 『聖杯たちの騎士』 ルベツキの撮影した映像はとても美しいのだけれど……。

 この作品もテレンス・マリックの自伝的なものを含んでいるらしい。『ツリー・オブ・ライフ』にも描かれていた弟の死や頑固な父親といった背景は、この作品とも共通しているようにも感じられる。妙に曖昧な言い方にならざるを得ないのは、物語がはっきりとわかるようなものではないから。すべてが過去から振り返ったイメージのように展開していくのも『ツリー・オブ・ライフ』以来、より一層徹底化してきている。
 主人公リック(クリスチャン・ベイル)はハリウッドで成功した脚本家という設定になっていて、夜な夜なパーティー三昧で過ごしていても物足りないのか「ここではないどこか」を求めて彷徨っていく。タイトルにもあるようにリックは騎士とされていて、女性が求めるべき宝(=聖杯)とされている。
 そのようにして出会う女性が6人いて、現れては消えていく。最後の女性を演じるのがナタリー・ポートマンで、それによってリックが新たなスタートを切るつもりになったということでは、彼女によってリックは救われたということなのかもしれない。

『聖杯たちの騎士』 主人公リックは遍歴の末にある女性にたどり着く。その女性を演じるのはナタリー・ポートマン。

 ナレーションはリックに対して「聖杯を探索するために遣わした」などと言っているのだから、語り部となっているのは神なのかもしれない。そして神に祈るようなリックのつぶやきや、女性との想い出の時を中心にして、エマニュエル・ルベツキの撮影した美しい映像が展開していく。
 監督独自のスタイルがあるというのはいいのかもしれないけれど、どの作品も同じようなものに見えてしまう気もする。『聖杯たちの騎士』のなかでも、海辺でリックが女性と戯れるイメージも、パーティーで前後不覚に陥ったりホテルにふたりの女性を招いていちゃつくという怠惰な生活も、すべてが同じような美しいイメージのなかに収まってしまうのはどうなのかとも思う。

 というわけでエンターテインメントを求める人は遠慮したほうが無難な作品で、上映開始後15分くらいで退出した観客もいた。さすがに早すぎるだろうとそのときは思っていたのだけれど、多分15分観ても2時間観てもあまり変わりがないとも言える。すでにその時点で弟の死とか父親の存在のことは示されていて、あとは代わる代わる新しい女優が登場してくるだけだから。中盤のケイト・ブランシェットとか最後のナタリー・ポートマンには出会えないけれど……。
 「人生は解けないパズル」なんてセリフがどこかにあったような気もするのだけれど、どういう文脈だったかは忘れた。ちょっと前(昨年末)に観た作品だからかもしれないし、緩急のないイメージ展開に夢見心地だったのかもしれない。そんな人生訓がピッタリとはまるかどうかわからないけれど、スッキリした気分になる作品ではないような気がする。

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Date: 2017.01.03 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)
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