『エリザのために』 変えられないなら利用するしかないじゃないか
この作品ではカンヌ国際映画祭コンペティション部門で監督賞を獲得した。
原題は「Baccalaureat」で、英題は「Graduation」。邦題は娘のために奔走する父親の姿をベートーベンのピアノ曲にかけたものだろうか。

留学のために大事な試験を控えたエリザ(マリア・ドラグシ)は、ある朝、暴漢に襲われケガをする。強姦の被害は免れたものの、精神的なショックで翌日の試験の結果はあまり芳しいものではなかった。父親のロメオ(アドリアン・ティティエニ)は、エリザのために自分のコネを最大限に使って留学への道が閉ざされないように奔走する。
同じルーマニア映画の『私の、息子』でも権力者の母親がコネを使って息子の犯罪をもみ消そうとしていたが、この『エリザのために』もまったく同じようなルーマニアという国の汚点を描いている。
舞台となる街がどこなのかはわからないけれど、主人公のロメオは外科医としてそれなり成功した立場にある。警察署長(ブラド・イバノフ)とも懇意にしているし、そのつながりで副市長に助けを求め、便宜を図ってもらう。
『私の、息子』ではバカな息子の罪を傲岸不遜な母親がもみ消そうとするのに対し、『エリザのために』のロメオはそれなりに真っ当に生きてきた人物だし、エリザにも罪はない。たまたま運悪く大事な試験の前日に事件に遭遇したために問題が生じ、そのことでロメオはしがらみを利用して抜け駆けを図ることになる。
※ 以下、ネタバレもあり!

◆ルーマニアという国の現状
私はルーマニアのことをほとんど何も知らないのだが、チャウシェスク後の社会はコネが蔓延しているようだし、街にも活気があるようには見えない。野犬があちこちをうろついているし、白昼堂々の強姦未遂事件があっても周囲の人は自己保身からか知らんぷりをしている。作品の冒頭ではロメオの家に石が投げつけられる。これは一体誰の仕業なのか。その疑問に答えが出ることはないのだが、舞台となる街を荒んだ空気が支配していることを感じさせる。
作品の後半ではロメオは不倫相手サンドラ(マリナ・マノビッチ)の息子マティを一時的に預かる場面があるが、マティは公園の遊具の順番を守らない子供に石を投げつけている。ロメオは慌ててそれをやめさせるけれど、マティに「じゃあ、順番を守らない人をどうすればいいの?」と訊ねられると明確な答えを返すことができない。
ここでの「順番を守らない」という振る舞いは、ルーマニア社会の上層に位置する人たちが自分たちだけを優遇している様を示しているのだろう。ロメオはそれを利用できる立場にいるが、そうではない人も多いはずだ。
エリザを襲った犯人は見つかることはないが、容疑者として集められていたのは明らかに外国人と見られる男たちだった。その面通しの帰り際にロメオが容疑者風の男を追って迷い込む場所は、ロメオが居を構える場所とは違ってバラックのような建物が並ぶ底辺の人たちが暮らす地域だったようだ。
そんな底辺の人たちから見れば、外科医として成功しているロメオは嫉妬の対象となるだろうし、不倫相手の息子マティからしても家族を一番に考えるロメオからいつも放っておかれている立場にあるわけで、ロメオは恨まれるような立場にあるのかもしれない。
◆ロメオの希望と絶望
ロメオは清廉潔白な人間とは言えないかもしれないし、不倫の関係をずるずると続けていることからも褒められた男でもないのかもしれない。しかし、かつては希望も抱いていたことも語られている。
ロメオは1989年にチャウシェスク政権が倒れたあと、妻マグダ(リア・ブグナル)とふたりで祖国へ戻ってきたという設定になっている。自分たちが祖国を変えることできるはずだと考えていたわけだが、今となっては何も変わらないということを思い知らされている。
ルーマニアという国に絶望し、娘のエリザが留学して海外へ出ることが唯一の希望とまで考えているのだ。だからこそ留学のための試験は失敗することのできない人生の最も大事な局面だったわけだが、外部の要因で運悪く躓いてしまったためにロメオは手を汚す羽目になる。
ロメオは自分の国に絶望しているが、それに甘んじて負け組になるのは女房子供を抱えた男としては我慢ならなかったのかもしれない。妻のマグダは清廉潔白を貫き負け組になることを厭わなかったのかもしれないが、ロメオは国を変えることができないならばそのなかで上手く生きる方を選んだ。そのために利用できるものは利用して今の地位を手に入れたということだろう。その違いが夫婦の距離ともなってしまっている。
ラスト、ロメオの裏工作に従わず正攻法で試験を乗り切ったエリザの表情にはどこか希望が感じられる(結果がどうなるかはわからないにせよ)。検察が副市長の汚職を捜査していることからも、ルーマニアで何かが変わりつつあることも匂わせてもいる。
自らの悪事が詳らかにされる前に死んでしまった副市長は逃げ切った世代だし、若い世代にも今後の希望があるのかもしれないのだけれど、転換期を生きるロメオたちは割りを食ったのかもしれないとも思う。それでもルーマニアが変わるなら構わないとでも言うかのようなロメオの態度が悲哀を誘う。
カンヌ国際映画祭が好みそうな作品で、音楽は一切なく、主人公が駆け回る姿を手持ちカメラで追っていく手法はダルデンヌ兄弟のそれっぽい。ルーマニアというほとんど知らない国が対象となっている点ではほかにないものがあるとは言えるかもしれない。シンプルで悪くはないけれども、『4ヶ月、3週と2日』ほど驚きはないかも……。
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