『インフェルノ』 ラングドン教授/失敗篇
ダン・ブラウン原作の『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』に続くシリーズ第3作目。
監督は前2作と同様にロン・ハワードで、主役のロバート・ラングドン教授にはもちろんトム・ハンクス。共演には『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の主演ということで注目されているフェリシティ・ジョーンズ。

ラングドン教授(トム・ハンクス)は頭に傷を負ってフィレンツェの病院で目覚める。自分がなぜそんな場所にいるのか思い出せないラングドンは混乱するが、そのうちやってきた警官にも命を狙われる。その場は女医のシエナ(フェリシティ・ジョーンズ)に助けられ、自分が巻き込まれている事態を探っていくと、ゾブリスト(ベン・フォスター)という男の存在にたどり着く。
ゾブリストの主張はこうである。このままいけば100年後には人類は滅びる。そのためには人類を今すぐに半分に減らさなければならない。ゾブリストは中世に猛威をふるった黒死病(ペスト)のようなウィルスを世界に撒き散らす計画を立てる。何とも自分勝手にも思えるのだが、一応は人類愛に貫かれている。というのは、自分が居なくなったあとに人類が滅びてしまうよりは、自分も含めた半分を今すぐに間引きすることで人類の存続を図るからだ。
とはいえ常識的にはそんなことは許されるわけもなく、ラングドン教授はその計画を阻止するために奮闘することになる。
宗教象徴学者という肩書きのラングドン教授は前2作でも様々な謎を解き明かしてきたわけだが、今回のネタになっているのはダンテの『神曲』の「地獄篇(インフェルノ)」だ。『神曲』は「地獄篇」のあとに「煉獄篇」「天国篇」と続くわけだが、一番読まれたとされているのが「地獄篇」で、本作のなかでも現在の地獄の概念を作り上げたのがダンテだったと紹介されている。
ただダンテの謎というものが登場するわけではない。ゾブリストが残したボッティチェリの『地獄の見取り図』などに導かれ、フィレンツェの観光案内のように名所を駆け巡り、ゾブリストが隠したものにたどり着くだけとも言える。一応付け加えておけば、ラングドン教授は頭に受けた傷によって、現世に居ながらにして「地獄篇」に描かれた地獄絵図のような情景を目にすることにもなる(幻視は短いけれどそれなりのインパクトがあった)。
ゾブリストの計画と関係のないダンテの『神曲』が選択されているのは、キリスト教を奉ずる国では「地獄篇」が大きな影響を与えているからということなのだろう。ちなみにあやしげな便利屋の総監(イルファン・カーンが軽妙な味)が若者をけなしたあとに、わざわざ「35歳にならないと」などと口走っているのは、「地獄篇」の冒頭で暗い森のなかに迷い込んだダンテが「人生の半ば」である35歳だったとされているからなのだろう。何の説明もなくそんな台詞が口にされるのは、キリスト教国では常識のレベルで理解されるということなのだろうか。

本作『インフェルノ』のなかで何も忘れることがないと自分の記憶力を誇っているラングドン教授だが、今回は頭に傷を負い記憶障害の状態にある。数日前からの記憶が消え、唐突に事態の只中へと迷い込むことになる。そのためにラングドンは今回いくつかの失敗もやらかす(ダンテのデスマスクは自分で盗んだくせにそれを忘れてしまっている)。
さらに『メメント』などでもあったけれど記憶障害のために、ラングドンは自分に接触してくる人物が敵なのか味方なのかがわからない。命を狙っているのか、彼を利用しようとする輩なのか、親切な援助者なのか、それがわからないから誰も信用できない。また事態の全容を見通せていないから謎を解いたとしても、それを誰に知らせればいいのかもわからない。謎解きに驚きはないけれど、そんな五里霧中をさまようサスペンスとしてはなかなか楽しかったと思う。
また、今回は二組のカップルの恋愛ものといった感じもあって、その一組はラングドンとかつての恋人で、もう一組はかなりのネタバレなので一応伏せておく。ただ、そうした恋愛話がかえってスピーディーな展開を寸断しているような感じもした。
ラングドンはかつての恋人と飛行機のなかで向き合ったとき、話好きなのに肝心なことは話さないと非難される。宗教などの薀蓄となればいくらでも滑らかに言葉が出てくるのに、肝心なこと(つまりは今向き合っているふたりのこと)に関しては言うべきことがない。そんなラングドンだったからふたりは別れ、それぞれの道を歩んだということらしい。そんなわけで今回はラングドンの活躍よりも失敗ばかりが目立つ作品だったかもしれない。





監督は前2作と同様にロン・ハワードで、主役のロバート・ラングドン教授にはもちろんトム・ハンクス。共演には『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の主演ということで注目されているフェリシティ・ジョーンズ。

ラングドン教授(トム・ハンクス)は頭に傷を負ってフィレンツェの病院で目覚める。自分がなぜそんな場所にいるのか思い出せないラングドンは混乱するが、そのうちやってきた警官にも命を狙われる。その場は女医のシエナ(フェリシティ・ジョーンズ)に助けられ、自分が巻き込まれている事態を探っていくと、ゾブリスト(ベン・フォスター)という男の存在にたどり着く。
ゾブリストの主張はこうである。このままいけば100年後には人類は滅びる。そのためには人類を今すぐに半分に減らさなければならない。ゾブリストは中世に猛威をふるった黒死病(ペスト)のようなウィルスを世界に撒き散らす計画を立てる。何とも自分勝手にも思えるのだが、一応は人類愛に貫かれている。というのは、自分が居なくなったあとに人類が滅びてしまうよりは、自分も含めた半分を今すぐに間引きすることで人類の存続を図るからだ。
とはいえ常識的にはそんなことは許されるわけもなく、ラングドン教授はその計画を阻止するために奮闘することになる。
宗教象徴学者という肩書きのラングドン教授は前2作でも様々な謎を解き明かしてきたわけだが、今回のネタになっているのはダンテの『神曲』の「地獄篇(インフェルノ)」だ。『神曲』は「地獄篇」のあとに「煉獄篇」「天国篇」と続くわけだが、一番読まれたとされているのが「地獄篇」で、本作のなかでも現在の地獄の概念を作り上げたのがダンテだったと紹介されている。
ただダンテの謎というものが登場するわけではない。ゾブリストが残したボッティチェリの『地獄の見取り図』などに導かれ、フィレンツェの観光案内のように名所を駆け巡り、ゾブリストが隠したものにたどり着くだけとも言える。一応付け加えておけば、ラングドン教授は頭に受けた傷によって、現世に居ながらにして「地獄篇」に描かれた地獄絵図のような情景を目にすることにもなる(幻視は短いけれどそれなりのインパクトがあった)。
ゾブリストの計画と関係のないダンテの『神曲』が選択されているのは、キリスト教を奉ずる国では「地獄篇」が大きな影響を与えているからということなのだろう。ちなみにあやしげな便利屋の総監(イルファン・カーンが軽妙な味)が若者をけなしたあとに、わざわざ「35歳にならないと」などと口走っているのは、「地獄篇」の冒頭で暗い森のなかに迷い込んだダンテが「人生の半ば」である35歳だったとされているからなのだろう。何の説明もなくそんな台詞が口にされるのは、キリスト教国では常識のレベルで理解されるということなのだろうか。

本作『インフェルノ』のなかで何も忘れることがないと自分の記憶力を誇っているラングドン教授だが、今回は頭に傷を負い記憶障害の状態にある。数日前からの記憶が消え、唐突に事態の只中へと迷い込むことになる。そのためにラングドンは今回いくつかの失敗もやらかす(ダンテのデスマスクは自分で盗んだくせにそれを忘れてしまっている)。
さらに『メメント』などでもあったけれど記憶障害のために、ラングドンは自分に接触してくる人物が敵なのか味方なのかがわからない。命を狙っているのか、彼を利用しようとする輩なのか、親切な援助者なのか、それがわからないから誰も信用できない。また事態の全容を見通せていないから謎を解いたとしても、それを誰に知らせればいいのかもわからない。謎解きに驚きはないけれど、そんな五里霧中をさまようサスペンスとしてはなかなか楽しかったと思う。
また、今回は二組のカップルの恋愛ものといった感じもあって、その一組はラングドンとかつての恋人で、もう一組はかなりのネタバレなので一応伏せておく。ただ、そうした恋愛話がかえってスピーディーな展開を寸断しているような感じもした。
ラングドンはかつての恋人と飛行機のなかで向き合ったとき、話好きなのに肝心なことは話さないと非難される。宗教などの薀蓄となればいくらでも滑らかに言葉が出てくるのに、肝心なこと(つまりは今向き合っているふたりのこと)に関しては言うべきことがない。そんなラングドンだったからふたりは別れ、それぞれの道を歩んだということらしい。そんなわけで今回はラングドンの活躍よりも失敗ばかりが目立つ作品だったかもしれない。
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