『ハドソン川の奇跡』 過不足なく逸脱なく
クリント・イーストウッド監督の最新作。
「ハドソン川の奇跡」と呼ばれた2009年1月15日に起きた「USエアウェイズ1549便不時着水事故」についての映画化。
原題は「Sully」で、1549便の機長だったチェズレイ・サレンバーガーの愛称を指す。

日本でもそれなりに話題になった現実の事故に基づいた作品である。日本では乗客・乗員全員が無事だったという“奇跡”の部分が伝えられただけだったように思うのだが、実際には奇跡を起こしたはずのサリー機長は国家運輸安全委員会によって調査されることになったようだ。ハドソン川への不時着は乗客を危険にさらすもので、空港へ戻ることが可能だったのではないかと疑いをかけられることになる。巷では英雄として称えられたサリー機長だが、調査の過程では容疑者のような扱いになる。
国家運輸安全委員会の質問事項にはたとえば「飲酒をしていたか」というものもある。(*1)これはヒューマン・エラーがなかったかを確認するためにあらかじめ用意された質問なのだろうが、疑われる側となってみればあまり気持ちのいいものではない。サリー機長(トム・ハンクス)は「9日間飲酒はしていない」と答えるのだが、委員会での調査は自分の選択に対する疑問を生むことになる。しかも委員会のコンピューター・シミュレーションでは1549便は空港へ戻ることが成功したという結果もあり、サリー機長は追い込まれていくことになる。
(*1) ちなみにロバート・ゼメキスの『フライト』は、機長がアル中だったというフィクションを交えているけれど、「ハドソン川の奇跡」を参考にしているのだとか(『映画秘宝』に町山智浩が記している)。

『ハドソン川の奇跡』は脚本の構成がよくできていたと思う。実際の事故では、バードストライクが生じてからハドソン川に不時着するまで208秒しか経過していない。それをいくら引き延ばしても作品にするには短すぎる。それでもこの作品では事故のシーンは3回に分けて別の視点から描くことで、一時は容疑者扱いされたサリー機長の失地回復のドラマを生み出している。
冒頭から唐突に始まるシーンは、実は事故後にPTSDに苦しむサリー機長の悪夢で、操縦不能となった1549便がニューヨークの街並みへと突っ込んでいくという最悪の事態を迎える。この事故が起きたのは2009年であり、9.11から8年後のこと。それ以降、航空機が低空で飛んでいくというのは、不穏なものを感じさせる映像の最たるものとなっている(最近では『イレブン・ミニッツ』にもそうした場面があった)。
次にはサリー機長の回想をきっかけにして、事故が乗客の目線で追われていく。平穏な旅が突然緊急事態に襲われ、あっという間に不時着し、真冬の寒さのなかで何とか救出されるまでが描かれる。ここではあり得たかもしれない悪夢と現実に起きた出来事が並べられる。それに加えてコンピューターのシミュレーションより別の結果も示され、サリー機長の判断が本当の正しいものだったのかという疑問が呈される。
そして最後は国家運輸安全委員会に呼び出され、衆目のなかで録音テープを聴く場面。ここではコックピット内に焦点が当てられる。国家運輸安全委員会の論点はヒューマン・エラーがあったか否かだが、シミュレーションではそうした人的要因が排除されている。バードストライクの次の瞬間に空港に戻るという対応はどのマニュアルにも記されていないことで、現実にはあり得ない絵空事だ。サリー機長の長年の経験があったればこそ、マニュアルでは到底対応できない事態にも対処することができたのであり、サリー機長とジェフ副機長(アーロン・エッカート)は突然の緊急事態に慌てることもなく最善の選択をしたことが誰の目にも明らかになる。
とにかく過不足がない映画だった。サスペンスを盛り上げようとすれば色々と方法はありそうなものだが、乗客がパニックになって騒ぎたてることがなくとも、劇半に頼ることがなくとも、最後まで緊張感を維持している。また過度にお涙頂戴に流れるわけでもなく、トム・ハンクスの演技は抑制されたものでも静かな感動を呼び起こすのに十分だったと思う。サリー機長の失地回復のあとにジェフ副機長のウィットに富んだ一言でちょっと場を和ませるあたりもさりげなくうまい。
サリー機長の対応がプロフェッショナルなものだったのと同じように、イーストウッドの撮り方もプロフェッショナルで文句もつけようがない。的確すぎて96分というイーストウッド作品のなかで最も上映時間が短い作品となったこともあり、まったく逸脱というものが感じられないくらいで、こうやってブログで感想を記す側としてはあまり膨らませどころがないのが困ったところだろうか(誰もが似たり寄ったりの感想になりそう)。

「ハドソン川の奇跡」と呼ばれた2009年1月15日に起きた「USエアウェイズ1549便不時着水事故」についての映画化。
原題は「Sully」で、1549便の機長だったチェズレイ・サレンバーガーの愛称を指す。

日本でもそれなりに話題になった現実の事故に基づいた作品である。日本では乗客・乗員全員が無事だったという“奇跡”の部分が伝えられただけだったように思うのだが、実際には奇跡を起こしたはずのサリー機長は国家運輸安全委員会によって調査されることになったようだ。ハドソン川への不時着は乗客を危険にさらすもので、空港へ戻ることが可能だったのではないかと疑いをかけられることになる。巷では英雄として称えられたサリー機長だが、調査の過程では容疑者のような扱いになる。
国家運輸安全委員会の質問事項にはたとえば「飲酒をしていたか」というものもある。(*1)これはヒューマン・エラーがなかったかを確認するためにあらかじめ用意された質問なのだろうが、疑われる側となってみればあまり気持ちのいいものではない。サリー機長(トム・ハンクス)は「9日間飲酒はしていない」と答えるのだが、委員会での調査は自分の選択に対する疑問を生むことになる。しかも委員会のコンピューター・シミュレーションでは1549便は空港へ戻ることが成功したという結果もあり、サリー機長は追い込まれていくことになる。
(*1) ちなみにロバート・ゼメキスの『フライト』は、機長がアル中だったというフィクションを交えているけれど、「ハドソン川の奇跡」を参考にしているのだとか(『映画秘宝』に町山智浩が記している)。

『ハドソン川の奇跡』は脚本の構成がよくできていたと思う。実際の事故では、バードストライクが生じてからハドソン川に不時着するまで208秒しか経過していない。それをいくら引き延ばしても作品にするには短すぎる。それでもこの作品では事故のシーンは3回に分けて別の視点から描くことで、一時は容疑者扱いされたサリー機長の失地回復のドラマを生み出している。
冒頭から唐突に始まるシーンは、実は事故後にPTSDに苦しむサリー機長の悪夢で、操縦不能となった1549便がニューヨークの街並みへと突っ込んでいくという最悪の事態を迎える。この事故が起きたのは2009年であり、9.11から8年後のこと。それ以降、航空機が低空で飛んでいくというのは、不穏なものを感じさせる映像の最たるものとなっている(最近では『イレブン・ミニッツ』にもそうした場面があった)。
次にはサリー機長の回想をきっかけにして、事故が乗客の目線で追われていく。平穏な旅が突然緊急事態に襲われ、あっという間に不時着し、真冬の寒さのなかで何とか救出されるまでが描かれる。ここではあり得たかもしれない悪夢と現実に起きた出来事が並べられる。それに加えてコンピューターのシミュレーションより別の結果も示され、サリー機長の判断が本当の正しいものだったのかという疑問が呈される。
そして最後は国家運輸安全委員会に呼び出され、衆目のなかで録音テープを聴く場面。ここではコックピット内に焦点が当てられる。国家運輸安全委員会の論点はヒューマン・エラーがあったか否かだが、シミュレーションではそうした人的要因が排除されている。バードストライクの次の瞬間に空港に戻るという対応はどのマニュアルにも記されていないことで、現実にはあり得ない絵空事だ。サリー機長の長年の経験があったればこそ、マニュアルでは到底対応できない事態にも対処することができたのであり、サリー機長とジェフ副機長(アーロン・エッカート)は突然の緊急事態に慌てることもなく最善の選択をしたことが誰の目にも明らかになる。
とにかく過不足がない映画だった。サスペンスを盛り上げようとすれば色々と方法はありそうなものだが、乗客がパニックになって騒ぎたてることがなくとも、劇半に頼ることがなくとも、最後まで緊張感を維持している。また過度にお涙頂戴に流れるわけでもなく、トム・ハンクスの演技は抑制されたものでも静かな感動を呼び起こすのに十分だったと思う。サリー機長の失地回復のあとにジェフ副機長のウィットに富んだ一言でちょっと場を和ませるあたりもさりげなくうまい。
サリー機長の対応がプロフェッショナルなものだったのと同じように、イーストウッドの撮り方もプロフェッショナルで文句もつけようがない。的確すぎて96分というイーストウッド作品のなかで最も上映時間が短い作品となったこともあり、まったく逸脱というものが感じられないくらいで、こうやってブログで感想を記す側としてはあまり膨らませどころがないのが困ったところだろうか(誰もが似たり寄ったりの感想になりそう)。
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