『ヤング・アダルト・ニューヨーク』 今さらの「ジェネレーションX」

 『イカのクジラ』『フランシス・ハ』などのノア・バームバックの最新作。
 原題は「While We're Young」

ノア・バームバック 『ヤング・アダルト・ニューヨーク』 ジョシュとコーネリアの40代夫婦はジェイミーとダービーの20代夫婦と知り合いになる。


 ドキュメンタリー映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)は8年間も今の作品に取り組んでいる。妻のコーネリア(ナオミ・ワッツ)は映画プロデューサーで、ふたりは子供のいない自由な生活を送っている。そんなときジョシュの映画のファンだというジェイミー(アダム・ドライバー)とその妻ダービー(アマンダ・セイフライド)と知り合う。ジョシュはクリエイティブな若いカップルと交流することで変わっていくことになるのだが……。

 ジェイミーとダービーの20代カップルはなぜか古臭い生活をしている。CDではなくレコードを聴き、パソコンではなくタイプライターを愛用する。ネットに極度に依存したりもしない。ジェイミーの服装は舞台がブルックリンだからか、イタリア系移民という設定のロッキー風のイメージ(『ロッキーⅢ』の「Eye of the Tiger」も使われる)。導師のような男のもとでドラッグにふける場面あたりはヒッピー世代の雰囲気を感じなくもない。
 そんなジェイミーたちにジョシュが惹かれていくことになるのは、身体にもガタが出始めた40代になり、周りの仲間は子供中心の生活になりつつあり疎外感を覚えたりもし、今後の生き方について迷いを感じていたからだろう。

『ヤング・アダルト・ニューヨーク』 調子のいいジェイミー(アダム・ドライバー)はコーネリア(ナオミ・ワッツ)だけでなく、その父親である映画監督もまるめこんでしまう。

 主人公を演じるベン・スティラーを初めて見たのは下品なところがとてもよかった『メリーに首ったけ』で、それ以来勝手にコメディアンの類いだと思っていたのだが、実際は映画監督もやっているのだそうだ(『LIFE!』も観ていたのに忘れていた)。
 そんなベン・スティラーが20年以上前に監督したのが『リアリティ・バイツ』という作品(ウィノナ・ライダーとイーサン・ホークが初々しい)。これは「ジェネレーションX」と呼ばれた若者を描いた作品で、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』でベン・スティラー演じるジョシュは「ジェネレーションXのその後」というイメージにもなっているようだ。

 「ジェネレーションX」という言葉は、ダグラス・クープランドの書いた『ジェネレーションX~加速された文化のための物語たち』が出所とされる。(*1)本棚の奥から引っぱり出してきてその解説をめくってみると、「ヒッピーからヤッピーへ成り下がった大人たち」への怒りに満ちた揶揄とか皮肉が特色だと書かれている。
 これはそのまま『ヤング・アダルト・ニューヨーク』にも当てはまる。この映画では、ジョシュとコーネリアの40代夫婦とジェイミーとダービーの20代夫婦に加え、コーネリアの父親で著名なドキュメンタリー映画監督であるブライバード(チャールズ・グローディン)という60代も登場する。ブライバードたちの世代に対する羨望と反感を同時に感じているのがジョシュで、ジョシュはブライバードたちにドキュメンタリー映画のすべてをやりつくされてしまって何も残っていないと感じている(だからいつまでも作品を完成させることができない)。
 しかもジョシュはまだ若いジェイミーのように権威に取り入るようなしたたかさを持っていない。思えばジェイミーたちの生活は、ブライバードたちの世代がかつてやってきたことの真似でしかないのだろうと思う(ただ若者がそれをやるとジョシュには新鮮に映ったわけだが)。
 ドキュメンタリー映画論の部分でもジョシュはドキュメンタリーに嘘が交じってはいけないと信じ込んでいるが、ジェイミーはそこに至る過程で嘘が交じってもいいものが撮れれば構わないと割り切っている。ブライバードも「客観性などない」ということを盛んに演説していたし、ジェイミーの味方につくのも当然と言えるかもしれない。『FAKE』森達也監督の本ではないけれど『ドキュメンタリーは嘘をつく』というわけで、ジョシュは自分の甘さを思い知ることになる。
 結局、ジョシュは先行世代からは嫌われ、調子のいい若者からは踏み台にされるという何とも格好の悪い姿をさらす。それがジョシュたち世代の宿命だとは思わないけれど、同世代の人間としてはジョシュの惨めな姿に共感してしまうところがあった。もしかすると割を喰った部分があったにしても、それに気づいて新たなスタートを切ったという意味では、ジョシュとコーネリアはこれからが頑張りどころということだろう。

 アダム・ドライバーはいい奴として登場するものの、最後には嫌な奴へと変貌を遂げる。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではパッとしなかったけれど、頭の固い40代には理解不能なものを感じさせる雰囲気が結構よかった。個人的にはお目当てだったアマンダ・セイフライドの出番があまりに少ないのは残念なところ。
 『イカのクジラ』でのピンク・フロイド、『フランシス・ハ』でのデヴィッド・ボウイとか、音楽の使い方がとてもはまっていたノア・バームバック作品。この『ヤング・アダルト・ニューヨーク』では、ポール・マッカートニーのウイングス時代の曲「Nineteen Hundred And Eighty Five」がいいところで使われている。この曲はこの前の武道館公演でもやった曲で、とりあえずそれだけでもちょっと嬉しくなった。

(*1) ちなみにこの本は体裁に惹かれて買ったもので、本文の脇に脚注として若者用語が解説してあったり(『なんとなく、クリスタル』的な)、リキテンシュタイン風のマンガがあったりする見た目がちょっと変わっている小説だ。しかしその内容はと言えば、読んだはずなのに何一つ記憶に残っていない。


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Date: 2016.07.27 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (7)

『マジック・ユートピア』 “あの世”というユートピア

 共同監督として名前を連ねているのは遠山昇司丹修一
 遠山昇司が企画・脚本を兼ね、丹修一は編集・コンセプトアーティストという部分の担当になっている模様。

遠山昇司・丹修一共同監督 『マジック・ユートピア』 デリヘル嬢のリサを演じるのは『ローリング』に出ていた柳英里紗。

 デリヘルの女と待ち合わせた佐藤(米村亮太朗)は、そのデリヘル嬢のリサ(柳英里紗)に亡くなった友人マユミの面影を見る。そして、リサはなぜかマユミがかつて佐藤に語った白い象の話を始める。
 リサには霊媒師のような能力があるようで、どこからともなく聞こえてくる物語を佐藤に聞かせたのだ。そうした能力はリサの母親ゆずりで、リサの母親は精神的な病と診断されていた。リサの母親は「身体が宙に浮くようになったらユートピアが現れる」とリサに語っていたらしい。そんな母親の話を信じてはいなかったリサだが、佐藤と一夜を過ごしたあとリサの身体は宙に浮くことになる。

◆抽象的な映像
 冒頭では緑色の何かと白い何かが描かれている。ただ、それらが具体的に何を示すのかは不明だ。白い和紙に緑色の液体が染みこんでいくようにも見える。タイトルバックの絵柄も何かが何かと交じり合うようなイメージとなっているし、リサが喫茶店で頼むクリームソーダの色合いにも似ている。
 この映画では白のイメージが全体を覆っている。リサの母親は白い霧のなかに去っていくし、最後に登場する白い象も霧のなかに現れる。さらに加えれば亡くなったマユミは目の病を患っていて、色彩がなくなり暗闇ではなくすべてが白に覆われていく。この作品では白は“あの世”の示す色なのだろう。
 白が“あの世”で緑が“この世”(このイメージは不鮮明だけれど)ならば、冒頭に示されたように白と緑の世界は次第に交わり境界は曖昧になることが予想され、実際にこの作品では“あの世”にいるはずの人から知らせが届くことになる。

 状況設定を手ごろに伝えるためにはカメラを引いて全景を見せるというやり方が一般的だが、この『マジック・ユートピア』では極端に対象に接近している部分があって、スクリーンに映っているものが何なのかはっきりしない部分もある。このあたりはコンセプトアーティストという役割の丹修一監督が関わっている部分なのかもしれない。
 たとえば喫茶店のテーブルを真上から切り取った構図は、四角いキャンバスに3つの丸(コーヒーと水と灰皿)が描かれた抽象画にも見えてくる。工場での捨てられた卵の殻や、削られた鉄くずだけを捉えたカットも、カメラはそれ以外のものをスクリーンの枠から排除しているために幾何学模様のようにも見えてくる(工場にはなぜかゆで卵を食べ続ける男がいる)。
 それから公園でリサにつきまとう男に佐藤が刺されるシーンでは、致命傷を負った佐藤がリサに向かって這っていく姿を真上から捉えている。カメラはスクリーンの上部へと這っていこうとする佐藤の姿を追い越してしまい、何もない地面だけを捉えて進んでいくために、映し出される地面は抽象的な模様のようにしか見えない。
 ただこの抽象的な映像は、リサという女へ佐藤が向かう場面であり、そのリサは死んだマユミを思わせる存在であることを考えれば、佐藤はマユミに会いに地面の下(死の世界)にもぐっていったようにも、あるいは上へ上へという運動からは空(天国)に向かって昇っていくようにも見えるのだ。

『マジック・ユートピア』 高校時代の佐藤とマユミのシーン。全体的に白のイメージ。

◆“あの世”というユートピア
 なぜ佐藤が殺される必要があったかと言えば、この作品では“あの世”がユートピアとされているからだろう。それは後半に登場する老作家(和田周)のエピソードでより明確になる。
 この老作家はリサからの留守電メッセージを受け取っていたリサの祖父であり、娘(リサの母)の亡霊と会話をすることになる。恐らくリサと佐藤の物語は老作家の書いた小説ということなのだろう。しかし、どこまでが現実でどこまでが老作家の書いた小説なのかは曖昧だ。
 常識的には人は宙に浮かんだりすることはないし、亡くなった人が“あの世”から電話をかけてきたりもしない。また、リサの母が語るようなユートピアは、医者(島田雅彦)が説明するように字義通り「存在しえない」ものだ。
 しかし老作家の想像力は“あの世”をユートピアと読み替えることになる。一般に死は忌むべきものだとされるが、本当にそうなのかと老作家は考えるのだ。老作家の亡くなった娘は、港を離れる船を見つめながら「離れていきますね。もしかしたら、何かへと惹きつけられているのか。そうも見えますね」と語る。
 死んでいく者は意思に反して“この世”を去らなければならなかったのだと、残された者は考える。しかし、“あの世”がユートピアだったとすればどうだろうか。亡くなった者はそれに惹かれるようにして“この世”を去っていったのかもしれないではないか。老作家は娘の死を受け入れるために、そうした希望をリサと佐藤の物語に託したのだろう。だから佐藤は死ぬことで“あの世”というユートピアにいるマユミに会うことができたのだろうと思う。

 この作品ではなぜか小説家の島田雅彦が重要な役柄を演じていて、劇中でもユートピアについて論じているのだが、ついでにチラシにも文章を寄せている。そこでは「ユートピアに暮らす死者と対話するマジックのことを祈りと呼ぶ」といかにも的確にまとめているのだが、この映画そのものが脚本を書いた遠山監督の祈りのようにも感じられた。そして丹監督の映像は観客の様々な読みを可能にするような魅力的なものになっていて、ふたりの監督のコラボレーションは結構はまっていたと思う。
Date: 2016.07.19 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『ブルックリン』 ふるさとは遠くにありて思うもの

 アカデミー賞で作品賞・脚色賞・主演女優賞(シアーシャ・ローナン)にノミネートされた作品。
 監督は『BOY A』などのジョン・クローリー。脚本は『わたしに会うまでの1600キロ』などのニック・ホーンビィ

ジョン・クローリー 『ブルックリン』 ラストシーンのエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は明るい陽の光を浴びている。

 仕事のないアイルランドからニューヨークへ移住した女性の物語。時代は1950年代で、主人公のエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は高級デパートで働いている。この設定は『キャロル』を思わせるのだけれど、『キャロル』のほうが都会のど真ん中といった感じで洗練されている。一方、『ブルックリン』の舞台は題名通りブルックリンで、そこはエイリシュのようなアイルランド系やイタリア系など多くの移民たちが住む場所らしく、異国の地で同胞たちが寄り添って助け合う慎ましい姿がある。

 エイリシュは姉のつてで同郷の神父(ジム・ブロードベント)に下宿も仕事も紹介してもらうのだが、家族も友達もいない場所でホームシックで泣いてばかりいる。そうした気鬱に何より効くのが恋愛で、同じく移民のトニー(エモリー・コーエン)という彼氏ができることですっかり元気を取り戻す。
 トニーはイタリア系だが、その軽薄なノリが合わずにアイルランド系の素朴な女の子が気に入っている。そんなだからふたりの付き合いはとても微笑ましいもので、忙しいけれど少しでも話がしたいからと家まで送り届けるだけのデートが幸せそう。
 しかし順調だったブルックリンの生活に突然の訃報が届く。エイリシュのアイルランド行きを応援してくれていた姉が病で亡くなったのだ。エイリシュはトニーと密かに結婚していたのだけれど、アイルランドに戻ることを余儀なくされる。そこで待っていたのはひとりになってしまった母親であり、ジム(ドーナル・グリーソン)という男性だった。トニーのことは恋しいけれど、アイルランドには母親がいるし、故郷の人々はエイリシュが戻ってきたのを温かく迎えてくれる。エイリシュは故郷アイルランドと新天地ブルックリンとの間で揺れ動くことになる。

『ブルックリン』 黄色のワンピースがシアーシャ・ローナンにとてもよく似合っていた。

 この作品は50年代のアイルランドとアメリカを舞台にしているわけだけれど、現代の日本に住むわれわれが見ても共感できる部分が多い。というのは都会に出てきている多くの田舎者にとっては、エイリシュが感じるような故郷に対する思いはごく自然なものだからだ。「ふるさとは遠くにありて思うもの」などという言葉を何となく思い浮かべていたのだが、実はこの室生犀星の詩は都会に居て故郷を思うものではないらしい。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや
  うらぶれて 異土の乞食となるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとおもひ涙ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや

 有名な冒頭部分からは望郷の思いを感じてしまうのだけれど、実はその続きがある。故郷に戻ってそこに居場所はないと知った室生犀星が、遠い都会に帰りたいと詠ったものなのだそうだ。

 『ブルックリン』はこの詩とちょっと似ている。遠くブルックリンで故郷に帰ることを願って泣いていたエイリシュにとって、アイルランドという場所はもちろん素晴らしい場所だ。しかし故郷には田舎なりの窮屈な部分もある。エイリシュは帰郷したことで忘れていたマイナスの部分を再確認し、早くブルックリンに帰りたいと願うのだ。
 アイルランドとブルックリンほどの距離感もないし、室生犀星の詩のように叙情性豊かでなくても、そうしたことは都会にいる田舎者たちの多くは感じている。たまの休みには田舎に帰りたいなどと思って帰ってみるものの、やっぱり田舎は田舎らしく退屈で窮屈で、今度は逆に都会に帰りたいと思うのだ。
 この映画の題名が『ブルックリン』となっているのは、エイリシュにとってブルックリンが第二の故郷だと感じられそこが帰る場所となったからであり、そこで生きていくことを決心したからということなのだろう。

 ラストではブルックリンに帰ってきたエイリシュが、陽の光を浴びてトニーのことを待ちわびている。エイリシュは故郷に母を残すという決断をしたわけだけれど、ラストの希望に満ちた光がエイリシュの未来を示しているようで明るい気持ちにさせてくれたと思う。
 この映画ではこうした色彩感覚がとても見事だった。アイルランドでは緑という色が国の色となっているらしく、エイリシュも出港する船の上では緑色のコートを着ていたり、カーディガンや水着の色にも緑が使われている。(*1)また、ラストの希望の光を思わせるような黄色のワンピースも何度か登場する。その明るい色がエイリシュを演じたシアーシャ・ローナンにとてもよく似合っていた。

(*1) この映画のなかで引用されている『静かなる男』(ジョン・フォード監督作)でも、緑の色はあちこちで使われていた。『静かなる男』はアイルランドの自然の鮮やかさがとても印象に残る作品で、主人公は木々の緑のなかを行く真っ赤なスカートの女性に心を奪われることになる。

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Date: 2016.07.13 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『日本で一番悪い奴ら』 綾野剛ファンは必見の作品かと

 『凶悪』白石和彌監督の最新作。
 稲葉事件と呼ばれる「日本警察史上最大の不祥事」をもとにした作品。この事件に関しては事件の当事者が書いた本『恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白』も出版されている。

白石和彌 『日本で一番悪い奴ら』 諸星要一(綾野剛)とその仲間たち。これでも諸星は警察官である。

 「なんで警察官になったんだ?」という村井(ピエール瀧)の問いに、「公共の安全を守るために」と四角四面な返事をしてしまう諸星要一(綾野剛)は真面目なところが取り柄。大学時代は柔道のチャンピオンで、体育会系の作法に染まっていて、先輩の言うことには何でも「押忍」で通す諸星は、組織内での点数を上げるために村井の教えに素直に従うことになる。
 悪い奴らを捕まえるためには、彼らを知る必要がある。諸星は暴力団のなかに協力者(スパイ)を作り、情報を引き出して自分の手柄にする。時代はちょうど警察庁長官狙撃事件などが発生したころ、警察は組織を挙げて銃器の取り締まりに走る。諸星はスパイのルートから銃を手に入れ点数を稼ぐようになると、上司たちも諸星のルートを当てにするようになる。
 この映画で驚くのは、不祥事の発端となる諸星は自分の手段を上司にも逐一報告していること。つまりは諸星が隠れて悪事に走ったわけではなくて、警察組織はそれを知っていたし、むしろ後押しするような方向で動いているということ。しかも悪事が公になったあとは、諸星だけがトカゲの尻尾切りとして使われ、そのほかはうやむやに処理されてしまうというのも日本の組織らしい。

『日本で一番悪い奴ら』 諸星は銃器対策課のエースとして持ち上げられさらに悪事を重ねることになる。

 前作『凶悪』の悪い奴らの所業はあまりに酷いもので、事実に基づいた映画とはいえちょっと理解不能だった。彼らは生まれついてのモンスターなのかもしれないのだけれど、個人的にはピエール瀧とかリリー・フランキーがそうした人物を演じていても、無理に悪ぶって振舞っているようにしか見えず、あまり凄みは感じられなかった。
 本作の主人公・諸星という男は真面目さから組織のために悪に染まっていく。暴力団幹部の黒岩(中村獅童)と対峙する場面では内心ではビビリながらも、度胸のあるところを見せようと虚勢を張る。ここで諸星は突然痰を吐く。無理に悪ぶって突拍子もない行動をしてしまうところが妙におかしい。
 『凶悪』では無理しているように感じられた悪い奴らの造形が、『日本で一番悪い奴ら』では笑いになっているところがよかったと思う。悪ぶって見せる諸星は次第にそれが板についてきて、最初の目的である「公共の安全を守る」という部分は忘れられてしまう。拳銃摘発のためなら覚せい剤は見逃すという無茶苦茶な取り引きも、諸星の真面目さゆえ起きた悲喜劇となっているのだが、もはやこのあたりになってくると笑うに笑えなくなってくる。

 暴力団員の黒岩(中村獅童)や、諸星をオヤジとして慕う山辺(YOUNG DAIS)、パキスタン人ラシード(植野行雄)などのスパイの面々もいい顔をしていたし、濡れ場を演じた矢吹春奈瀧内公美など女優陣も賑やか。それでも「青年」と呼ばれていた時代から、左遷され落ちぶれてシャブ中になるまでの26年間を演じた綾野剛の映画となっていることは間違いない。ヤクザまがいの警察官のやりすぎ感で笑わせておいて、落ちぶれても未だに組織のために働けると考えているあたりに哀愁を感じさせてしまう綾野剛はとてもよかったと思う。『新宿スワン』もそうだったけれど、綾野剛はちょっと愛嬌があるキャラが似合う。

 私が観たときは白石監督のトークショーが行われた日だった。その日のゲストはプロデューサーの方だったのだが、特別ゲストとしてこの映画の諸星のモデルとなった稲葉圭昭氏が電話での参加となった。
 稲葉氏曰く、この映画は事実のかなり忠実に作られているとのこと。事実と異なるとして稲葉氏が指摘したのは、警察署内でのセックスシーンと、諸星が逮捕されるときの二カ所だけ。この二カ所は演出として嘘が交じっているわけだが、そのほかはほとんど事実というのだからまさに波乱万丈の半生。
 白石監督から感想を求められた稲葉氏は、かつての仲間からも反響があったと語っていた。その仲間は「諸星がシャブを打つシーンなんかを見ると、またやりたくなるよね」みたいな感想を漏らしていたとか……。確かに顔を真っ赤にして涎を垂らしながらの綾野剛の熱演は真に迫っているように見えた。

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Date: 2016.07.10 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『セトウツミ』 永遠のモラトリアム?

 原作は現在連載中の同名マンガ。
 監督は『まほろ駅前多田便利軒』『さよなら渓谷』などの大森立嗣

セトウツミ

 元サッカー部でお調子者の瀬戸(菅田将暉)とクールでインテリの内海(池松壮亮)のふたりが、代わり映えしない河辺でただしゃべるだけ。それだけなのだがなぜかおもしろい。
 ふたりの名前を並べると「セトウツミ」だが、漢字で書くと「瀬戸内海」。そんなふたりが河辺に留まり続けるのは、社会という海に出る前の半端な状況でありモラトリアムということなんだろう。内海は塾通いまでの空いた時間をつぶすために、瀬戸は部活を辞めてしまった退屈しのぎのために、放課後をしゃべるだけで何となく過ごしている。瀬戸には樫村一期(中条あやみ)という片想いの女の子がいるけれど、その樫村は内海のことが気になっていて……。そんな三角関係があったりしても結局は無駄話ばかりで青春の時は過ぎていく。

 マンガを試し読みすると、セリフはほぼそのまま使っていることがわかる。マンガの愛読者には映画版のキャラに違和感を抱く人もいるのかもしれないけれど、映画版を先に観た者としては、役者ふたりの生み出す“間”とかテンポのいい掛け合いとかがあまりにはまっていてすんなりとその世界に入り込めた。意味不明な遊びを持ち出してくる瀬戸と、乗り気でないようでいてそれに付き合って意外と楽しんでいるらしい内海のコンビがとてもよかったし、タンゴ風の音楽もクセになる。
 この作品は75分と短いけれど、続編も期待できそう。予告編として本編には入ってないネタがいくつか公開されている。『ちびまる子ちゃん』のまる子が永遠に小学3年生であるように、瀬戸と内海はいつまでも高校生であり続け、永遠に河辺でしゃべり続けそう。原作マンガは6巻が今月刊行予定とかで、いくらでも続編用のネタはあるんじゃないかと思う。
 印象としては東宝系の映画館でやっている『紙兎ロペ』とよく似ている。この『セトウツミ』は松竹系の映画館で公開していたが、松竹はこれを幕間上映なんかで使わせてもらえばシリーズ化にもつながるし宣伝にもなるかもしれない。松竹は歌舞伎の印象も強くてちょっと堅苦しいイメージだし、たまにはこんなのがあってもいいかと思う。



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『セトウツミ』原作マンガ
Date: 2016.07.06 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『ふきげんな過去』 東京の川でワニを探す

 『ジ、エクストリーム、スキヤキ』前田司郎監督の第2作目。
 前回取り上げた『葛城事件』も演劇界出身の監督のものだが、前田司郎監督も劇団「五反田団」の主宰者。ただし味わいはかなり異なる。『葛城事件』の重苦しいテーマから比べると『ふきげんな過去』は日常的な風景を描いているし、かなりゆるい感じの作品になっている。

前田司郎 『ふきげんな過去』 果子(二階堂ふみ)はいつもふきげんな表情。


 女子高生の果子(二階堂ふみ)は死ぬほど退屈な夏休みをもてあましている。そんなとき18年前に死んだと聞かされていた叔母・未来子(小泉今日子)が突然帰ってくる。慌てふためく家族たちを尻目に「あたし生きてたのよ」と言ってのける未来子は、前科者で今も誰かに追われていて匿ってほしいのだという……。

 東京・北品川にあるエジプト風豆料理屋がこの作品の舞台。果子の家族は、まだ名前の決まっていない子供を背負った母親サトエ(兵藤公美)と、ほとんど何もしない父タイチ(板尾創路)、それからおばあちゃんと料理人でエジプト人の野村さん、さらにいとこの小学生カナ(山田望叶)をいつも預かっていてなかなか賑やかだ。
 そんな場所に帰ってきた未来子は、それまでもみんなの話題となっていた人物。爆弾作りを生きがいとしていて、タイチの指もそれで吹き飛ばしているし、自分もそれによって死んだことになっていたのだ。そんな未来子は突然現れては図々しく果子の部屋に陣取るのだが、果子は父親タイチと未来子の関係をあやしんでいて、実際にその疑いは的中する。果子の本当の母親は未来子だったのだ。

 生き別れた母と娘という題材でも感動も涙もなく、軋轢があってもプロレスごっこのようなじゃれあいに終わる。タイチを巡っての未来子とサトエ(果子の育ての親)の対立関係もそれほどドロドロとしたものは感じられない。爆弾作りという結構危険なネタさえも遊びの延長のように見える。劇中では小学生のカナまでも爆弾の被害に遭ってケガをしたりもするのだけれど、次の場面ではカナはコントのように包帯を巻いた姿で登場する。あくまでゆるい感じでそうした出来事をやり過ごして笑い飛ばしてしまう。
 確かに噴き出してしまう場面もあるし、果子たち家族の息の合ったやりとりはそれだけで楽しいのだが、それだけの作品でもないようにも思う。監督の前田司郎はエッセイ集『口から入って尻から出るならば、口から出る言葉は』のなかで「文章も映像も、いかに情報を出すかってことが重要に思えるが、実は情報をどう隠すかってことが重要なんじゃないかと思う」と記している。
 前作『ジ、エクストリーム、スキヤキ』では自殺に失敗した主人公が、過去の友達に会いに行ったわけだが、この『ふきげんな過去』では自ら望んで死人になっていた未来子が、かつて捨て去った過去(=果子)に会いに戻ってくることになる。『スキヤキ』ではロードムービーの形を採りながらも、その裏には死の匂いが感じられたのだが、『ふきげんな過去』ではゆるい笑いのなかに何を隠しているのだろうか。

『ふきげんな過去』 爆弾を試してみる。カナ、果子、未来子は横一列に並ぶ。

◆時間軸の違う3人の女
 この作品では3人の女性が一列に並ぶ。爆弾を試してみる場面では横一列に、船に乗る場面では縦一列に並ぶ。年齢順に並べれば、未来子⇒果子⇒カナ。前田司郎は「時間軸の違う同じ人間3人が、同じ場所にいる」ということを意識して脚本を書いている(こちらのサイトを参照)。つまり、タイムマシンに乗った自分が、昔の自分に会っているような場面なのだ。カナは成長して果子になり、果子は成長して未来子になる。現実では年齢の違う自分が一堂に会することはないのだけれど、この作品ではそうしたことが意図されているのだ。

 時間軸の違う3人の会話にはかみ合わない部分がある。果子はカナに「おもしろさなんて期待するのが間違いで、同じことの繰り返しのなかで感覚を麻痺させていくのね」と語るのだが、カナには通じない(山田望叶ちゃんの返しがとてもいい)。さらに未来子は果子に「いい話」を聞かせても、果子は「遠くを見てしゃべらないで」と受け付けずに取っ組み合いになってしまう。
 ここでは時間軸の差が経験の差となっているのだ。それなりに歳を重ねた未来子から見れば、果子やカナの年齢のころは無知だったことを理解している。しかし微妙な年頃の果子からすれば、先達である未来子の言葉をすんなり受け入れる気にはならないだろう。その一方で未来子とその母親の間では阿吽の呼吸で理解し合うところがあるようでもあり、ある程度の年齢を超えると経験の差はなくなっていくのかもしれない。

◆「見えないもの」、「ここではないどこか」、爆弾
 果子は川に生息するという噂のワニを探している。もちろん東京の川にワニがいるはずないというのが一般的な反応だ。けれども果子は「見えないもの」を探してしまう。というのも「未来が見える」とつぶやく果子は、日々の出来事はすでに予測可能なもので、何も変わることがないと理解しつつ、それでいて今まで見たことのないような何かを求めている。喫茶店で見かける黒ずくめの男・康則(高良健吾)に興味を抱くのも、そのあやしげな男なら「ここではないどこか」へ連れて行ってくれると期待するからだ。
 そして、未来子も「見えるものばかり見ても仕方がないじゃない」と果子と似たようなことを語る。しかも未来子の言い方は「見えないもの」が実は存在しているということに確信を抱いているように聞こえる。実際に未来子は爆弾作りのための硝石という「見えないもの」のありかを知っていたし、果子が川で探していたワニの存在を疑うこともない。それが未来子と果子の経験の差だろう。しかしふたりには共通していることもあって、果子が「見えないもの」を求めるように、未来子は爆弾作りという手段で退屈な日々を打破しようとしているのだ。
 ただそんなまとめ方は野暮と言えば野暮だろう。康則に「違う世界に連れて行ってほしいんだろう」と言われた果子もそれを認めることはないし、未来子の「いい話」もまともに聞いてはもらえず茶々を入れられることになる。「ここではないどこか」を求める気持ちというテーマがあったとしても、それを正面から打ち出すのは気恥ずかしいわけで、こんな野暮なまとめ方も茶々を入れられることになりそうな気がする。

 果子役の二階堂ふみは『蜜のあわれ』みたいなテンション高い演技とは違い、若いときにありがちなふきげんさを自然に演じている。笑顔は最後の一瞬だけだが、とても魅力的な表情だった。小泉今日子は相変わらず小泉今日子そのものだが、未来子というキャラをすんなり演じられる人は滅多にいないという気もする。カナ役の山田望叶ちゃんがふたりの大物女優を相手にいい味を出しているところも見所だと思う。

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Date: 2016.07.02 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (6)
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