『ヤング・アダルト・ニューヨーク』 今さらの「ジェネレーションX」
『イカのクジラ』『フランシス・ハ』などのノア・バームバックの最新作。
原題は「While We're Young」。

ドキュメンタリー映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)は8年間も今の作品に取り組んでいる。妻のコーネリア(ナオミ・ワッツ)は映画プロデューサーで、ふたりは子供のいない自由な生活を送っている。そんなときジョシュの映画のファンだというジェイミー(アダム・ドライバー)とその妻ダービー(アマンダ・セイフライド)と知り合う。ジョシュはクリエイティブな若いカップルと交流することで変わっていくことになるのだが……。
ジェイミーとダービーの20代カップルはなぜか古臭い生活をしている。CDではなくレコードを聴き、パソコンではなくタイプライターを愛用する。ネットに極度に依存したりもしない。ジェイミーの服装は舞台がブルックリンだからか、イタリア系移民という設定のロッキー風のイメージ(『ロッキーⅢ』の「Eye of the Tiger」も使われる)。導師のような男のもとでドラッグにふける場面あたりはヒッピー世代の雰囲気を感じなくもない。
そんなジェイミーたちにジョシュが惹かれていくことになるのは、身体にもガタが出始めた40代になり、周りの仲間は子供中心の生活になりつつあり疎外感を覚えたりもし、今後の生き方について迷いを感じていたからだろう。

主人公を演じるベン・スティラーを初めて見たのは下品なところがとてもよかった『メリーに首ったけ』で、それ以来勝手にコメディアンの類いだと思っていたのだが、実際は映画監督もやっているのだそうだ(『LIFE!』も観ていたのに忘れていた)。
そんなベン・スティラーが20年以上前に監督したのが『リアリティ・バイツ』という作品(ウィノナ・ライダーとイーサン・ホークが初々しい)。これは「ジェネレーションX」と呼ばれた若者を描いた作品で、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』でベン・スティラー演じるジョシュは「ジェネレーションXのその後」というイメージにもなっているようだ。
「ジェネレーションX」という言葉は、ダグラス・クープランドの書いた『ジェネレーションX~加速された文化のための物語たち』が出所とされる。(*1)本棚の奥から引っぱり出してきてその解説をめくってみると、「ヒッピーからヤッピーへ成り下がった大人たち」への怒りに満ちた揶揄とか皮肉が特色だと書かれている。
これはそのまま『ヤング・アダルト・ニューヨーク』にも当てはまる。この映画では、ジョシュとコーネリアの40代夫婦とジェイミーとダービーの20代夫婦に加え、コーネリアの父親で著名なドキュメンタリー映画監督であるブライバード(チャールズ・グローディン)という60代も登場する。ブライバードたちの世代に対する羨望と反感を同時に感じているのがジョシュで、ジョシュはブライバードたちにドキュメンタリー映画のすべてをやりつくされてしまって何も残っていないと感じている(だからいつまでも作品を完成させることができない)。
しかもジョシュはまだ若いジェイミーのように権威に取り入るようなしたたかさを持っていない。思えばジェイミーたちの生活は、ブライバードたちの世代がかつてやってきたことの真似でしかないのだろうと思う(ただ若者がそれをやるとジョシュには新鮮に映ったわけだが)。
ドキュメンタリー映画論の部分でもジョシュはドキュメンタリーに嘘が交じってはいけないと信じ込んでいるが、ジェイミーはそこに至る過程で嘘が交じってもいいものが撮れれば構わないと割り切っている。ブライバードも「客観性などない」ということを盛んに演説していたし、ジェイミーの味方につくのも当然と言えるかもしれない。『FAKE』の森達也監督の本ではないけれど『ドキュメンタリーは嘘をつく』というわけで、ジョシュは自分の甘さを思い知ることになる。
結局、ジョシュは先行世代からは嫌われ、調子のいい若者からは踏み台にされるという何とも格好の悪い姿をさらす。それがジョシュたち世代の宿命だとは思わないけれど、同世代の人間としてはジョシュの惨めな姿に共感してしまうところがあった。もしかすると割を喰った部分があったにしても、それに気づいて新たなスタートを切ったという意味では、ジョシュとコーネリアはこれからが頑張りどころということだろう。
アダム・ドライバーはいい奴として登場するものの、最後には嫌な奴へと変貌を遂げる。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではパッとしなかったけれど、頭の固い40代には理解不能なものを感じさせる雰囲気が結構よかった。個人的にはお目当てだったアマンダ・セイフライドの出番があまりに少ないのは残念なところ。
『イカのクジラ』でのピンク・フロイド、『フランシス・ハ』でのデヴィッド・ボウイとか、音楽の使い方がとてもはまっていたノア・バームバック作品。この『ヤング・アダルト・ニューヨーク』では、ポール・マッカートニーのウイングス時代の曲「Nineteen Hundred And Eighty Five」がいいところで使われている。この曲はこの前の武道館公演でもやった曲で、とりあえずそれだけでもちょっと嬉しくなった。
(*1) ちなみにこの本は体裁に惹かれて買ったもので、本文の脇に脚注として若者用語が解説してあったり(『なんとなく、クリスタル』的な)、リキテンシュタイン風のマンガがあったりする見た目がちょっと変わっている小説だ。しかしその内容はと言えば、読んだはずなのに何一つ記憶に残っていない。






原題は「While We're Young」。

ドキュメンタリー映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)は8年間も今の作品に取り組んでいる。妻のコーネリア(ナオミ・ワッツ)は映画プロデューサーで、ふたりは子供のいない自由な生活を送っている。そんなときジョシュの映画のファンだというジェイミー(アダム・ドライバー)とその妻ダービー(アマンダ・セイフライド)と知り合う。ジョシュはクリエイティブな若いカップルと交流することで変わっていくことになるのだが……。
ジェイミーとダービーの20代カップルはなぜか古臭い生活をしている。CDではなくレコードを聴き、パソコンではなくタイプライターを愛用する。ネットに極度に依存したりもしない。ジェイミーの服装は舞台がブルックリンだからか、イタリア系移民という設定のロッキー風のイメージ(『ロッキーⅢ』の「Eye of the Tiger」も使われる)。導師のような男のもとでドラッグにふける場面あたりはヒッピー世代の雰囲気を感じなくもない。
そんなジェイミーたちにジョシュが惹かれていくことになるのは、身体にもガタが出始めた40代になり、周りの仲間は子供中心の生活になりつつあり疎外感を覚えたりもし、今後の生き方について迷いを感じていたからだろう。

主人公を演じるベン・スティラーを初めて見たのは下品なところがとてもよかった『メリーに首ったけ』で、それ以来勝手にコメディアンの類いだと思っていたのだが、実際は映画監督もやっているのだそうだ(『LIFE!』も観ていたのに忘れていた)。
そんなベン・スティラーが20年以上前に監督したのが『リアリティ・バイツ』という作品(ウィノナ・ライダーとイーサン・ホークが初々しい)。これは「ジェネレーションX」と呼ばれた若者を描いた作品で、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』でベン・スティラー演じるジョシュは「ジェネレーションXのその後」というイメージにもなっているようだ。
「ジェネレーションX」という言葉は、ダグラス・クープランドの書いた『ジェネレーションX~加速された文化のための物語たち』が出所とされる。(*1)本棚の奥から引っぱり出してきてその解説をめくってみると、「ヒッピーからヤッピーへ成り下がった大人たち」への怒りに満ちた揶揄とか皮肉が特色だと書かれている。
これはそのまま『ヤング・アダルト・ニューヨーク』にも当てはまる。この映画では、ジョシュとコーネリアの40代夫婦とジェイミーとダービーの20代夫婦に加え、コーネリアの父親で著名なドキュメンタリー映画監督であるブライバード(チャールズ・グローディン)という60代も登場する。ブライバードたちの世代に対する羨望と反感を同時に感じているのがジョシュで、ジョシュはブライバードたちにドキュメンタリー映画のすべてをやりつくされてしまって何も残っていないと感じている(だからいつまでも作品を完成させることができない)。
しかもジョシュはまだ若いジェイミーのように権威に取り入るようなしたたかさを持っていない。思えばジェイミーたちの生活は、ブライバードたちの世代がかつてやってきたことの真似でしかないのだろうと思う(ただ若者がそれをやるとジョシュには新鮮に映ったわけだが)。
ドキュメンタリー映画論の部分でもジョシュはドキュメンタリーに嘘が交じってはいけないと信じ込んでいるが、ジェイミーはそこに至る過程で嘘が交じってもいいものが撮れれば構わないと割り切っている。ブライバードも「客観性などない」ということを盛んに演説していたし、ジェイミーの味方につくのも当然と言えるかもしれない。『FAKE』の森達也監督の本ではないけれど『ドキュメンタリーは嘘をつく』というわけで、ジョシュは自分の甘さを思い知ることになる。
結局、ジョシュは先行世代からは嫌われ、調子のいい若者からは踏み台にされるという何とも格好の悪い姿をさらす。それがジョシュたち世代の宿命だとは思わないけれど、同世代の人間としてはジョシュの惨めな姿に共感してしまうところがあった。もしかすると割を喰った部分があったにしても、それに気づいて新たなスタートを切ったという意味では、ジョシュとコーネリアはこれからが頑張りどころということだろう。
アダム・ドライバーはいい奴として登場するものの、最後には嫌な奴へと変貌を遂げる。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』ではパッとしなかったけれど、頭の固い40代には理解不能なものを感じさせる雰囲気が結構よかった。個人的にはお目当てだったアマンダ・セイフライドの出番があまりに少ないのは残念なところ。
『イカのクジラ』でのピンク・フロイド、『フランシス・ハ』でのデヴィッド・ボウイとか、音楽の使い方がとてもはまっていたノア・バームバック作品。この『ヤング・アダルト・ニューヨーク』では、ポール・マッカートニーのウイングス時代の曲「Nineteen Hundred And Eighty Five」がいいところで使われている。この曲はこの前の武道館公演でもやった曲で、とりあえずそれだけでもちょっと嬉しくなった。
(*1) ちなみにこの本は体裁に惹かれて買ったもので、本文の脇に脚注として若者用語が解説してあったり(『なんとなく、クリスタル』的な)、リキテンシュタイン風のマンガがあったりする見た目がちょっと変わっている小説だ。しかしその内容はと言えば、読んだはずなのに何一つ記憶に残っていない。
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