『グランドフィナーレ』 相反するものが同列に置かれること

 アカデミー賞外国語映画賞を獲得した『グレート・ビューティー/追憶のローマ』のパオロ・ソレンティーノの最新作。

グランドフィナーレ 『グランドフィナーレ』 マイケル・ケインとハーヴェイ・カイテルはミス・ユニバースを神と崇める。


 世界的に有名な音楽家であったフレッド(マイケル・ケイン)は、引退後のバカンスをアルプスの高級リゾートホテルで過ごしている。そこにはフレッドの友人の映画監督ミック(ハーヴェイ・カイテル)もいて、ミックは若い仲間たちと一緒に次の作品の脚本を練っている。

 中心となるのはフレッドとミックのエピソードだが、そのほかにも高級リゾートホテルに集う様々な人々の姿も描かれる。次回作の役づくりに滞在している俳優(ポール・ダノ)や、サッカー界の元スーパースター、修行中の仏教僧、会話をすることのない夫婦、客を相手に商売をしている売春婦などが登場する(ミックのミューズとしてジェーン・フォンダも)。それぞれのエピソードは断片的なもので、それらがまとまって何らかの意味を構成するというわけではない。ただ、アルプスの山々の風景とトーマス・マンが『魔の山』を執筆したという高級ホテルでの優雅な日々は、それだけでなかなか魅力的だった。

 高級ホテルが舞台ということで、登場人物は裕福な人が多く、自然と悠々自適の老人の姿が多くなる。フレッドはすでにリタイアして英国王室からの仕事の依頼も断ってしまうし、ミックは『人生最後の日』という自らの遺言となる作品を構想中だ。そんなわけでこの映画は老人たちの話ではあるのだが、原題は「Youth」となっている。
 なぜ「Youth」なのかと言えば、老人たちは次々と記憶を失っていき、若いときの記憶ばかりが甦ってくるからかもしれない。あるいは男たちがいつまで経っても子供っぽい部分を残しているからかもしれない。フレッドとミックは毎日尿の量を愚痴りあうほど身体にガタがきているのだが、スパで全裸のミス・ユニバースと出会ったときには人生最後の恋とばかりにはしゃいだりするのだ(ミス・ユニバースの裸は服を着ているほうがかえって卑猥に見えるくらい自然だった)。



 前作『グレート・ビューティー/追憶のローマ』を観たときに感じたことだが、ソレンティーノという監督は70年生まれということで、映画監督として老年というわけでもないにも関わらず、妙に老成したような雰囲気の作品を生み出している。ただ、そんななかにも妙に若々しく感じる部分もあって、そのあたりのバランスがおもしろかったのだが、今回の『グランドフィナーレ』も老人たちを描きながら「Youth」と付けるあたりにそんなバランス感覚があるのかもしれない。
 『グランドフィナーレ』にも前作以上に若々しい部分が感じられた(一部はバカバカしくもある)。フレッドはクラシカルな音楽の作曲家ということになっていて、映画の最後には「シンプル・ソング#3」という曲を女王の前で披露することになるが、劇中で使用される音楽はもっとポップなものだ。
 冒頭に登場するThe Retrosettes Sister Bandなどはとてもシャレているし、フレッドの娘(レイチェル・ワイズ)から旦那を奪うことになるPaloma Faith(実在のポップスターらしい)には彼女自身のプロモーション・ヴィデオみたいなシーンまであってちょっと呆気にとられる。

 この作品では「老い」と「若さ」が同居しているように、相反するものが同列に置かれているように感じられた。フレッドにマッサージを施す女の子は部屋に戻るとひとり熱心に踊っている。その姿はどこか高尚なものに描かれているだが、実は彼女は単にTVゲームで遊んでいるだけだ。また、フレッドは後半で亡くなったはずの妻と再会することになるが、この妻は在りし日の美しい姿ではなくゾンビめいている。『グレート・ビューティ』でもマザー・テレサ的な人物がほとんどミイラだったことを鑑みるに、そうしたものに何かしらの聖性を見出しているのかもしれない。
 ちなみにソレンティーノは「私は、フェリーニ、マラドーナ、スコセッシ、そしてトーキング・ヘッズからインスピレーションを受けた」と語っているそうだ。フェリーニとマラドーナが同列に置かれるという、何とも統一感に欠ける並びがソレンティーノの感覚なのだろう。
 『グランドフィナーレ』でもマラドーナのような風貌の元サッカー選手が登場する。現在は肥満で動けないのだが、そんな彼がかつての栄光を取り戻したかのようにテニスボールでリフティングを繰り返す場面がある。そのシーンは現実なのか夢なのかはわからない。そのほかにも劇中ではフレッドが牛の鳴き声とカウベルで音楽を奏でてみたり、仏教僧が空中浮遊してみたり、現実も虚構も境界を曖昧にして同列になっていくようだった。

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 ↑ この作品にはトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンが登場している。

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Date: 2016.04.29 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『レヴェナント:蘇えりし者』 ディカプリオ、何もそこまでしなくても……

 アカデミー賞作品賞を獲得した『バードマン』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの最新作。
 この作品はイニャリトゥに2年連続のアカデミー賞監督賞をもたらしたほか、主演男優賞と撮影賞などのアカデミー賞5部門を受賞した。
 音楽には坂本龍一も参加している。

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 『レヴェナント:蘇えりし者』 この映画でアカデミー賞主演男優賞を獲得したレオナルド・ディカプリオ。

 物語は単純で、一言で表せば復讐劇である。グリズリーに襲われて瀕死の重傷を負ったため、仲間のフィッツジェラルド(トム・ハーディ)から見放されたヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は、動けない状態のまま息子を殺されるのを目にする。瀕死の状態にあったグラスはそのまま凍てついた大地に置き去りされるものの、息子の仇を討ちたいという気持ちが彼を蘇らせる。
 冒頭のネイティブ・アメリカン襲撃シークエンスの長回しで一気に物語の世界に引き込まれる。その後は主役を演じたディカプリオの独壇場で、台詞はあまりないものの艱難辛苦に耐え抜く表情で157分を引っ張っていく。グリズリーに散々かわいがられても死なないのは信じられないことだが、この作品は事実をもとにしているらしい(原作は『蘇った亡霊:ある復讐の物語』という小説)。瀕死の傷を負いながらも仇討ちのために匍匐前進していく不屈の精神には恐れ入った。

 この作品でアカデミー賞の主演男優賞を獲得したディカプリオだが、グリズリーに小突かれ振り回されるのが評価されたのかはともかくとして、実際に氷点下の撮影現場で過酷な試練をこなしているのも確かで、ほとんどスタントなしで本人がやっているのだからその根性は認めるほかないだろう。
 個人的には寒さだけでも遠慮したいところだが、川に落とされてみたり、土に埋められてみたり、食べ物がないために草を喰い、バイソンの生レバーまでむさぼり喰うのだから、さすがのアカデミー会員も根負けしての主演男優賞受賞というところだろうか(『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』を思わせるサバイバル術として、馬の腹のなかで一晩過ごす場面も強烈だった)。

『レヴェナント:蘇えりし者』 バッフォローの骨の山が……。自然光を使った撮影が見事。

 とにかく撮影の素晴らしさは圧倒的で、撮影監督のエマニュエル・ルベツキがアカデミー賞において3年連続の撮影賞獲得という史上初の快挙を成し遂げたのも納得だった。『ゼロ・グラビティ』は宇宙が舞台でCGに頼ったものだったが、『バードマン』は室内だけの全編ワンカットという技巧を凝らした作品だった。さらに今回は大自然こそが主役とも言えるほどに壮大な風景を捉えていて、前二作とはまったく違った映像を生み出している。
 この作品は自然光だけを使いマジックアワーと呼ばれる時間帯に撮影されたのだという。かつてそうしたアプローチで評価されたのがテレンス・マリック『天国の日々』(撮影監督はネストール・アルメンドロス)だったわけだが、『レヴェナント:蘇えりし者』はそんなテレンス・マリックを意識したような映像となっていたように思えた。
 というのもエマニュエル・ルベツキはすでにテレンス・マリックとのコンビで『ニュー・ワールド』『ツリー・オブ・ライフ』『トゥ・ザ・ワンダー』を撮っているし、そのときのプロダクションデザインのジャック・フィスクも『レヴェナント』に参加しているからだ。
 『ニュー・ワールド』も開拓地の風景を美しく描いていたが、『レヴェナント』はそれ以上の未開の地の厳しさが捉えられていて神秘的な美しさを感じさせる。それからテレンス・マリックほど宗教に傾いてはいないけれど、しきりに空を見上げるようなカットが挟まれるのは神に何かを祈るような『ツリー・オブ・ライフ』を思わせもし、『レヴェナント』はイニャリトゥ色よりもエマニュエル・ルベツキの手腕が際立っていたようにも見えた。広角レンズを使用したパンフォーカスで画面の隅々までクリアな映像を見せてくれるので、ぜひとも映画館の大きなスクリーンで観ておきたい作品になっていると思う。

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Date: 2016.04.26 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (10)

『スポットライト 世紀のスクープ』 地味ながら誠実なアカデミー賞作品賞

 「カトリック教会の性的虐待事件」という衝撃的な事実をもとにした作品。
 アカデミー賞では作品賞と脚本賞を受賞した。
 監督は『扉をたたく人』『靴職人と魔法のミシン』のトム・マッカーシー

 『スポットライト 世紀のスクープ』とは関係ない話題をひとつ。今回の作品は新宿のTOHOシネマズのSCREEN9で観たのだが、ほかの階の4D作品(恐らく『バットマンvsスーパーマン』かと思う)の影響らしく盛んに振動が伝わってきた。
 つい先日、熊本で大きな地震があっただけにちょっと心配にもなったりして、集中できない部分があった。観客の一部はちょっとざわついていたから地震かと勘違いしている人はそれなりにいたはずで、今回の作品ように台詞が中心の静かな映画のときは問題ありだと思う(たとえば、4D版『バットマンvsスーパーマン』の上映と同時にスタートした2D版『バットマンvsスーパーマン』ならば、同時に揺れが伝わっていいのかもしれないけれど)。それにしても何の振動対策もしていないのだろうか? 
 ちなみにTOHOシネマズ新宿(なぜか新宿のみらしい)では、木曜日にマスターカードを使うと割引になるサービス(モク割)というのがあるらしい。これはちょっとありがたいサービスだと思うのだけれど……。

トム・マッカーシー 『スポットライト 世紀のスクープ』 「スポットライト」のコーナーを担当する4人と編集長。

 2002年、ボストン・グローブ紙が「カトリック教会の性的虐待事件」について報じた。この作品は、同紙の「スポットライト」という特集記事を担当する4人が中心となり、その事実に迫っていく様子を追っている。
 きっかけはよそ者の編集長バロン(リーヴ・シュレイバー)が赴任してきたことから。新編集長は小さなコラムに載っていた神父の性的虐待に関して、なぜそれを掘り下げなかったのかと「スポットライト」チームの面々に訊ねる。ボストンはカトリックが多い土地でボストン・グローブ紙の読者の約半分がカトリックだ。そんな町では教会に関して誰も疑問を抱かない。「スポットライト」チームのメンバーもカトリックの影響下にあるわけだが、新編集長はボストンには何のしがらみもないわけで怖いものはないし、ユダヤ人だから色眼鏡で見ることのなく状況を把握したのだ。

 この作品の結末はすでにわかっている。けれどもそこにたどり着くまでには紆余曲折がある。性的虐待を受けた被害者は通常でもそれを公表したがらない。ましてやこの場合の被害者は歳若い少年ばかりで、しかも加害者は神父である。神父を訴えることは神に楯突くと同じこと、そう信者の多くは考えているのだ。そんな地域では教会の正しさを信じるあまり、神父が幼い子供に性的虐待をするなどとは考えられないのだ。万が一、それが事実だと認めたとしても、今度はそれを隠蔽する方向に進む。なぜなら教会の善は明らかであって、大きな善のためには小さな犠牲はやむを得ないからだ。
 ボストンの町を守るためには、教会に過ちがあってはいけない。だから間違いを犯した神父は「病気療養」などの名目で転属し、被害者には教会が雇った弁護士が金を払い口をつぐませる。作品冒頭で登場するゲーガン神父は70年代にすでに性的虐待で問題となっていたのだが、その後、30年もの間カトリックのシステムに守られてほかの土地でも性的虐待を繰り返していたのだ。

『スポットライト 世紀のスクープ』 集合写真風の1枚。地味な映画だけにあまり絵面は変わらない。

 とても地味な映画だ。「スポットライト」チームの頑張りによって最後にはカトリック全体を揺るがすような記事が公になる。ただ派手な盛り上がりはないし、記者たちは感情をむき出しにして争ったりもしない。マイク・レゼンデス(マーク・ラファロ)の勇み足の部分がかえって浮いてしまうほど誰もが地道に仕事をしているのだ。
 もっと感情に訴えかけるような作りにすることは簡単だが、禁欲的にそうした方法を避けているようだ。何人か登場する被害者たちに寄り添うこともできたはずだし、もっと記者たちをヒーロー然とした存在として扱うこともできただろう。それから、この作品ではなぜか加害者である神父の顔がほとんど見えない。たとえば『トガニ』などではあのおぞましい顔があったからこそ観客に訴えるところがあったはずで、『スポットライト 世紀のスクープ』は意図してそれを避けている。
 というのも、おぞましい神父を糾弾することで被害者や観客が溜飲を下げてしまうのは真の目的に適わないからだ。同じように、記者たちがヒーローにならないのも、悪を懲らしめて正義が凱歌をあげ、それで物事が済んでしまったかのような終わり方にしないためだろう。
 編集長が言っていたように、ひとりの加害者神父を糾弾することが目的ではないのだ。個人を攻撃するだけでは教会は特殊な個人の問題としてそれを処理してしまうことになる。そうではなくてカトリックのシステム全体の問題を示すことが目的なのだ。この作品のラストでは、記事を読んだ被害者からの反響のあとに、そうした事件が明らかになった都市のリストが示される。びっくりするほどの数のリストが続くことで、カトリックのシステム全体に広がっていた問題の根深さがじんわりと感じられるのだ。

 とはいえ、そうした手法が映画製作者の目的には適っていて誠実だったとしても、観客としてはもの足りなさを感じる部分があったことも確か。「スポットライト」チームのリーダーであるロビー(マイケル・キートン)は、かつて神父の性的虐待の記事を担当したことがあった。ただ記者のハードワークに紛れてしまったのか、ロビーは知っていたのに何もしなかったことになる。そんなロビーの葛藤を掘り下げれば、昨年の『バードマン』に続いてマイケル・キートンはアカデミー賞主演男優賞を狙えたかもしれないのに残念な気もした。それから編集長を演じたリーヴ・シュレイバーが脇役ながら印象に残った(あの静かな熱意はどこから来たのだろうか)。

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Date: 2016.04.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (12)

『COP CAR コップ・カー』 のん気な子供と必死なケヴィン・ベーコン

 ケヴィン・ベーコンが主演・製作総指揮を務めた作品。

ジョン・ワッツ監督 『COP CAR コップ・カー』 主役と製作総指揮にはケヴィン・ベーコン。

 この作品のジョン・ワッツという監督は、次の『スパイダーマン』シリーズの監督に決定している注目の人物とのこと。最初の監督作はYouTubeにフェイクの予告編を投稿し、冗談でイーライ・ロスの名前を製作総指揮としていたところ、本当にイーライ・ロスから連絡が来てデビューしてしまったという幸運の持ち主。
 そのデビュー作『クラウン』は、主人公が子供のためにピエロ(=クラウン)の衣装を着たものの、それは呪われた衣装で次第に主人公の身体は何かに乗っ取られていくというもの。『ホステル』シリーズのイーライ・ロスが製作なだけにグロテスクな部分もあるのだけれど、自らのすべてがモンスターに支配されていくという状況に『ザ・フライ』のような悲哀を感じさせる作品だった。

 今回の第2作『COP CAR コップ・カー』は、少年ふたりがたまたま見つけたパトカー(=コップ・カー)を調子に乗って乗り回しているうちに、とんでもない事件に巻き込まれてしまうというもの。
 予告編などを観ると狂人警官に追い回されるサスペンスという印象だけれど、実際にはちょっと違う。家出をしているらしいトラヴィス(ジェームズ・フリードソン=ジャクソン)とハリソン(ヘイズ・ウェルフォード)が果てしなく広がる平原を歩いてくる。大人から禁止されている言葉を言い合いながらの旅には『スタンド・バイ・ミー』のような雰囲気もあって、少年たちの冒険物語を思わせる。
 少年たちは家出をしていても臆病で、パトカーを見つけてもすぐには近づけない。それでいてあまりに無防備なところもあって、銃口を覗き込んではしゃぐほどに幼い。だからこの作品では追ってくる警官ミッチの怖さよりも、少年たちの未熟さのほうにハラハラさせられる。

『COP CAR コップ・カー』 ハリソン(ヘイズ・ウェルフォード)とトラヴィス(ジェームズ・フリードソン=ジャクソン)はパトカーから銃を持ち出して……。

 少年たちにパトカーを奪われてしまう詰めが甘いミッチ・クレッツァー保安官を演じるのがケヴィン・ベーコン(製作総指揮も兼ねているだけに楽しそうに悪役をこなしている)。ちょっとした用事でパトカーを離れたミッチが戻ってくるとあるべきところに車がないことに唖然とする。ミッチの用事とは死体の処理で、パトカーにはほかにもヤバいものが隠されているためにランニング姿で必死になって平原を走り回ることになる。
 保安官ミッチは、見た目は口ひげにサングラスでいかにも悪そうだが、少年たちのいたずらにとことん振り回されるかわいそうな役柄。少年たちはパトカーを乗り回して楽しんでいるのに、一方のミッチは身の破滅を前にして最悪の気分。ミッチは警察無線でパトカー泥棒が少年たちであることを知ると、ふたりに無線で「遊びは終わりだ」と凄むのだけれど、警察ごっこに夢中になっているふたりには伝わらない。焦りまくって必死になる大人たちと、のん気な子供たちというコントラストがとてもいい。

 少年たちが何から逃げるために家出してきたのかはわからないけれど、厄介なトラブルに巻き込まれ大人たちの危険な世界を垣間見たあとには子供のままではいられない。ラストでは「ファック」という禁止用語を言えなかったハリソン少年も、その言葉を必死に叫ぶことになる。暗闇のなかパトカーを時速100マイルで走らせる姿には、トラブルに遭遇したことで成長したハリソンを見て取れるだろう。90分に満たない小品だけれど、観逃すには惜しい作品。

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Date: 2016.04.20 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『ドローン・オブ・ウォー』 戦争をしつつ家庭の平和を享受することは可能か

 『ガタカ』『TIME/タイム』『ザ・ホスト 美しき侵略者』などのアンドリュー・ニコルの作品。原題は「Good Kill」
 昨年10月に劇場公開され、先月にDVDがリリースされた。

『ドローン・オブ・ウォー』 イーガン(イーサン・ホーク)が働く戦場は冷房のきいた快適な場所だった。

 無人戦闘機(ドローン)による空爆という現在いまの戦争」を描いた作品。
 空軍兵士たちはアメリカに居ながらアフガニスタン上空のドローンを操って空爆する。その爆撃システムはゲーム機「Xbox」をモデルとしていて、新人兵士の半分はゲームセンターからリクルートされる。モニターを見ながらターゲットを撃つというシューティングゲームと同じ感覚なのが「現在の戦争」なのだ。
 もしかすると新人世代はそうした戦争にすぐに対応して、ゲームと同じように戦争も謳歌するのかもしれない。ただ主人公イーガン(イーサン・ホーク)はちょっと前までは戦闘機で敵地を飛んでいたわけで、自分にはまったく危害が及ばない戦争のやり方を臆病者のすることだと感じてもいる。

 臆病者の戦争以外にも問題はある。イーガンは毎朝ラスベガスの空軍基地に通勤する。冷房のきいたオペレーションルームで戦争をして、夜は郊外の自宅へと戻る。そこでは美しい妻とかわいいふたりの子供たちが平和に暮らしている。戦争という非日常的な出来事が、家庭という日常生活と並行してあるわけで、このこともイーガンにとって問題を増やす一因になっている(戦争をしながらも子供の送り迎えに関して妻とけんかをしたりもする)。
 人を殺すことには普通は抵抗感があるわけで、兵士になっても簡単に人を撃てるわけではない。『フューリー』でも描かれたように通過儀礼を経て、ようやく人を撃つことできるようになる。戦場での兵士はいわば変性意識状態にあるようなもので、それは日常生活とは別の状態なのだ。だからドローンで敵兵を殺したあとに家庭に戻って家族団欒という生活がすんなりいかないのもわからないではない。凄腕のスナイパーだった実在の人物を描いた『アメリカン・スナイパー』でも、主人公は戦場からアメリカに戻ってもすぐには自宅に帰ることができずにいたわけで、戦争と家庭生活を両立させるのは難しいことなのだろうと思う。

『ドローン・オブ・ウォー』 イーガンは妻モリー(ジャニュアリー・ジョーンズ)につらい胸のうちを語るのだが……。

 イーガンは途中からCIAが指揮する作戦に参加することになるが、「テロとの戦い」を名目とするその作戦は民間人が犠牲になるのもやむを得ないという酷いものだった。前回に取り上げた『ボーダーライン』以上にイーガンは善悪の境界に悩むことになる。
 CIAはターゲットばかりでなく、救出にあたる一般市民をも殺すことを命令するし、さらには犠牲者の葬式に集まった親戚一同まで一網打尽にするという徹底ぶりで、CIAの正義は無差別テロ以上に悪質かもしれない(このあたりは観ていてかなりイヤな気持ちになる)。
 イーガンは味方が休息をとるための見張りの仕事をしたときには、「今日はいいことをした」と妻に語っている。何も知らない妻には「いつもは違うの?」と問い返されるわけだが、イーガンにとっては到底正義の戦いとは感じられないからこそ精神的な均衡を失っていくのだろう。
 アメリカの戦争で「正義」がやたらと強調されるのは、自分たちがどうやら悪いことをしていることは何となく感じて、それでも「いいこと」をしていると信じさせるための自己暗示の側面が大きいのかもしれない。

 派手な見た目の妻モリー(ジャニュアリー・ジョーンズ)はイーガンの告白を聞いたにも関わらず家を出て行ってしまったり、その後には同僚のスアレス(ゾーイ・クラヴィッツ)との関係がほのめかされたりする終わり方には締まらない感じは残るけれど、『ドローン・オブ・ウォー』はこれからの戦争のあり方の問題提起として興味深い作品だった。
 イーサン・ホーク演じるイーガンが戦闘機に乗っていたころを懐かしむように青い空を見上げる様子は、『ガタカ』でイーサン・ホークが演じた宇宙に憧れるヴィンセントという主人公の姿を思わせる。アンドリュー・ニコル作品としては久しぶりに満足度が高い作品だったと思う。

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Date: 2016.04.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『ボーダーライン』 善悪の境界とは関係なく、ごく個人的な復讐

 『プリズナーズ』『複製された男』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の最新作。
 原題は「Sicario」であり、スペイン語で「殺し屋」を意味する。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『ボーダーライン』 日本版のポスターのコピーはこんな感じ。


 誘拐事件を担当していたFBI捜査官のケイト・メイサー(エミリー・ブラント)は、捜査中に麻薬カルテルのアジトに踏み込み大量の死体を発見する。仕事の成果が評価されたケイトは国防総省のマット・グレイヴァー(ジョッシュ・ブローリン)の特殊チームに加わり、麻薬カルテル撲滅のための作戦に参加することとなる。

 冒頭から派手な展開で驚かせる。麻薬カルテルのアジトへの突入は家を壊さんばかりだし、そのアジトからは壁に埋め込まれた死体が次々と発見される。特殊チームに派遣されたケイトが連れて行かれるのはファレスというメキシコの街で、そこでは見せしめとして首がない死体が高架線から吊られていたりもする地獄のような場所だ。
 ケイトは自分が何をすべきかもまったくわからずにチームに編成され、何の説明もされずにただ引き回されることになる。ケイトの視点は麻薬カルテルや危険な国境地帯など知るはずもない観客の視点そのものとなっていて、重低音を響かせるヨハン・ヨハンソンの劇伴はいやがうえにも緊張感を煽り、何が起きるかわからない不安を駆り立てられたまま物語は進んでいく。

 ※ 以下、ネタバレもあり!


『ボーダーライン』 ケイトたち特殊チームはトンネルのなかへと入っていく。

 邦題は『ボーダーライン』となっていて、アメリカとメキシコの国境を思わせ、同時に善悪の境界をも示しているようだ。というのも、マットが率いる特殊チームは麻薬カルテルを潰すためには超法規的な捜査も辞さないからだ。チームのコンサルタントとされているアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)は、実は妻と娘を殺された私怨によって動いている殺し屋なわけで、アメリカはそれを知っていて利用しているのだ。
 何も知らないケイトは生真面目に法の遵守に忠実であろうとするのだが、結局マットたちには無視される。FBIのケイトが特殊チームに編成されているのはCIAの都合によるもので、ケイトはただその場にいることだけしか求められていないのだ。ケイトは観客のための案内役みたいなもので、本当の主人公Sicario(=殺し屋)であるアレハンドロが敵地へ乗り込んでからはほとんど役割を終えてしまうのだ。
 だからケイトが善悪などと悩んだところで意味がないわけで、邦題は余計なバイアスがかかったものと思えた。この作品では空撮を使って盛んに国境の街を映しているけれど、国境線の様子が強調されることはない。麻薬カルテルは国境線を無効化するトンネルを保持していて、ケイトたち特殊チームが地平線の下の暗闇へと消えていくあたりには境界線を感じなくもない(ロジャー・ディーキンスの撮影が見事)。ここではアメリカは善と悪のグレーのラインでうろついているというよりは、完全に黒に染まっているとも言えるのかもしれない。

 そんなわけでこの映画は善悪のボーダーラインに悩むケイトが主人公なのではなく、アレハンドロという男の復讐の物語なのだ。だからやはり原題の「Sicario」のほうがこの映画には相応しいだろう。麻薬カルテルのボスの屋敷に乗り込むアレハンドロの姿にはある種の美学みたいなものが感じられた。クライム・サスペンス映画としてとても見応えがある作品だったと思う。
 ちなみにこの作品には続編が計画されているらしい。その題名は「Sicario2」と予定されている。今回の作品のラストでケイトがアレハンドロを撃つことができなかったのは、アレハンドロのやり方を完全に否定できなかったからだろう。ケイトが続編でもさらにそんなボーダーラインに悩むとは考えにくいから、アレハンドロと共闘することになるのだろうか。
 それから妙に印象に残るメキシコ人警官のエピソードだけれど、ラストではその息子が銃声に耳を澄ましているわけで、親を殺されたその息子が新たな殺し屋になる可能性を示していたのかもしれず、もしかすると続編に絡んできたりもするのかもしれない。

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Date: 2016.04.14 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (12)

『LOVE 3D』 3Dでの性描写という点はともかくとして……

 『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』などのギャスパー・ノエ監督の最新作。
 3Dでのセックス描写という宣伝がエロ目当ての客を呼ぶよりもかえって敬遠されてしまったのか、劇場はガラガラだった。3Dでそんなものを見るなんて気恥ずかしいという人も結構多いのかもしれない。

ギャスパー・ノエ 『LOVE 3D』 マーフィー(カール・グスマン)とエレクトラ(アオミ・ムヨック)のくんずほぐれつを真正面から3Dで捉える。


 1月1日の朝、マーフィー(カール・グスマン)は電話の音で夢から醒める。電話の相手はかつての恋人エレクトラ(アオミ・ムヨック)の母親からで、しばらく連絡がつかない娘を心配する伝言が入っていたのだ。マーフィーはマーフィーの法則(「失敗する可能性のあるものは、失敗する」)を思い出して不安に駆られる。

 マーフィーは妻オミと息子と暮らしているが、その結婚は望まないものだったらしく、内心では妻に対して暴言を吐いている。オミ(クララ・クリスタン)が心ここにあらずといったマーフィーを放って息子を連れて外出してしまうと、マーフィーは音信不通となっているエレクトラとの想い出のなかへと入り込んでいく。
 この映画のなかでマーフィーはマンションの部屋から一歩も出ることがない。マーフィーはエレクトラの母親に連絡する以外は何もせず、脳内の記憶のなかへトリップしていく。最初はマーフィーのなかで強く印象に残っている場面が羅列される。エレクトラとのセックスや、現在の妻であるオミを交えた3Pの想い出もあり、そうした鮮烈な記憶をフックとして様々なエピソードが詳細に綴られることになる。

 話題を提供した3Dでのセックス描写に関して言えば、それほどインパクトがあったようには思えなかった。ひとつには日本ではボカシが不自然に画面を汚すことになるために、監督が意図したものが伝わっていないということもあるだろう(そそりたつ男性器も、迸る精液も隠されていてよくわからない)。しかしそれと同時に、現在の3Dの技術では人の顔の凹凸や女性の胸のふくらみまでを立体的なものと感じさせるものではないとも言えるかもしれない。
 たとえば、マーフィーとエレクトラが窓越しに隣人オミに声をかけるような奥行きのある場面では、3Dの効果はよく出ている。しかし、その後に3人がベッドに移行すると、ベッドに横たわる3人を真上から捉えることになり奥行きのない構図となってしまう。ベッドに横たわった人物と背景との距離はほとんどないわけで特段立体的に感じられないのだ。
 たとえば『ザ・ウォーク』みたいに背景との差異(『ザ・ウォーク』の場合は地上との距離)を際立たせるためになら3Dは効果的なのだけれど、ベッドを真上から捉えたことで奥行きをなくしたために3Dがほとんど意味のないものになってしまっているのだ。
 とはいえギャスパー・ノエがやろうとしているのはセックスの疑似体験ではないはず。題名も『SEX 3D』というわけではないわけで、セックス描写はたしかに長いのだけれど、それはあくまでもLOVEのなかの自然の営みとしてあるということなのだろう。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『LOVE 3D』 マーフィーたちは隣に越してきたブロンドの少女を誘う。奥行きがある構図の場合は3Dの効果が……。

 この作品ではエレクトラがどうなったのかは最後まで明らかにされない。ただひたすらマーフィーは記憶にすがり、終いにはバスルームで息子に「人生は辛い」と語りながら泣き出すに至る。とても女々しいのだ。とはいえ『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』ではどぎつい映像で隠されていた芯の部分が見える作品でもあるように思えた。
 『アレックス』は時間を遡る手法でなければ成り立たない作品だった。「後悔先に立たず」ということわざもあるように、今になって振り返るという視点がなければラストは意味を持たない。『アレックス』のDVDには時間軸通りに再生する機能もあるようだが、その場合、主人公が悲劇的な事件に翻弄されるというだけの話になってしまうだろう。
 「Irréversible(取り返しがつかない)」という原題を持つ『アレックス』では、最後に幸福だった瞬間にたどり着いたのは主人公ではなくて観客だったわけで、おそらく主人公自身は刑務所でかつての記憶のなかに逃げ込むことになったのかもしれず、それは『LOVE 3D』のマーフィーと変わらない。「永遠の今」的な何かを感じるのと、過去を悔いて女々しく泣くのは裏腹の関係にあって、過去に遡ってカタルシスを与えようとすれば『アレックス』になって、そこからまた現在へと戻り「取り返しがつかない」とクヨクヨすれば『LOVE 3D』になるのだろうと思う。

 『LOVE 3D』のラストで今まで見てきたものが映画作品であることを示しているのは、マーフィーがギャスパー・ノエの分身でもあるからだろう(ギャスパー・ノエの本名はギャスパー・フリオ・ノエ・マーフィーなのだとか)。マーフィーは映画監督になりたいと考える若者であり、「血と精液と涙の映画」を撮りたいと願っていたのだ。そして、この作品の息子役にはギャスパーという自分の名前をあてがっているし(ノエやフリオという登場人物もいる)、監督自身もカツラを被って出演までしているわけで、ギャスパー・ノエの素の部分がよく出ているところがあるように思えた。『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』みたいな眩暈を誘うようなカメラワークもないし、極端に暴力的なシーンもなく、ごく普通の若者のLOVEを描いている点で意外にもこれまでで最もとっつきやすい作品なのかもしれない。

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Date: 2016.04.09 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『蜜のあわれ』 人を好きになるということは、愉しいことでございます。

 室生犀星の同名原作の映画化。
 監督は『狂い咲きサンダーロード』『シャニダールの花』などの石井岳龍

石井聰亙改め石井岳龍 『蜜のあわれ』 赤井赤子(二階堂ふみ)は老作家(大杉漣)の妄想から生まれる。

 成瀬巳喜男『あにいもうと』『杏つ子』の原作者として室生犀星という名前は知ってはいても作品そのものは読んだことがなかったのだけれど、この原作小説は会話だけですべてが成り立っている破格な作品。状況を説明する地の文が一切ないから、そこがどこなのかも時代がいつなのかもわからないし、金魚でもあり女の子でもある赤井赤子の造形に関しても語られることがない。たとえば赤井赤子はこんなふうに老作家に言う。

 おじさま、そんなに尾っぽをいじくっちゃだめ、いたいわよ、尾っぽはね、根元のほうから先のほうに向けて、そっと撫でおろすようにしないと、弱い扇だからすぐ裂けるわよ、そう、そんなふうに水をさわるように撫でるの、なんともいえない触りぐあいでしょう、世界じゅうにこんなゆめみたいなものないでしょう。


 これは金魚の言葉でもありながら女の子の言葉でもあるわけで、女の子のそれとして聞くと妙になまめかしい。原作ではこのあたりは官能小説風に読まれ、読者は好き勝手な想像を膨らませることもできる。けれど映画化となると会話からすべてを想像して世界を構築しなければならないわけで、これはなかなか厄介な映画化だったのではないかという気もする。
 金魚が人間のように振舞うというアイディアは『崖の上のポニョ』みたいだけれど、それアニメではなく実写でやるとなると演じる側が大変だ(ヘタすればまったく酷い代物になる可能性もある)。この作品の二階堂ふみは原作小説が好きだったとのことで、難しい役柄を思い切りよく愉しそうに演じていてこの作品を牽引していたと思う。

『蜜のあわれ』 二階堂ふみの衣装は金魚をイメージした赤が基調となっている。

 赤子は終始赤い衣装で登場し、昭和風のイントネーションでどこか別世界の雰囲気を醸し出している。自分を「あたい」と呼ぶ赤子はまだまだあどけない部分はあるけれど、妙に艶っぽい女となる瞬間もあって、二階堂ふみは『この国の空』に続いてギリギリのところまで露出して張り切っている(クローズアップの真ん丸いお尻だけは代役か?)。
 官能的で幻想的でもあるけれど、コミカルな要素も大きい。赤子は動くたびにポチャンという水の音を響かせ(サザエさんちのタラちゃんみたいに)、本当は3歳っ子の金魚だということを思い出させる。加えて二階堂ふみ自身が振り付けしたという創作ダンスというミュージカル的な側面もあって、珍品だけれどとても愉しい作品になっていると思う。
 金魚の赤に対抗するように白い装束の幽霊も登場する。これもまた作家の妄想が呼び出したものだろう(映画のなかでは誰かが会いたいと思ってくれるとこの世に現れることができるとされる)。この幽霊を演じるのが真木よう子で、なぜか脈絡なく観客へのサービスのごとくに赤子といちゃついて、二階堂ふみの胸を揉みしだくシーンもある。

 作家の妄想が作品そのものとなっているあたりは『女が眠る時』あたりと似ているのだけれど、その妄想のはじけっぷりは『蜜のあわれ』のほうが愉しい。金魚が女の子になるばかりか、それが胃のなかに入って、そのぬめぬめで胃潰瘍を治してくれるなんてバカバカしいことを平気で語ってしまうのだから。
 映画版では原作には登場しない芥川龍之介(高良健吾)が登場する。若くして自殺した芥川に比べ老作家は駄文を書いて生き永らえているという劣等感もあるようで、小説『蜜のあわれ』は室生犀星の晩年の作らしいのだけれど、どこかやぶれかぶれみたいに感じられるところがいい。老作家(大杉漣)は自分が創造したはずの赤子に翻弄され、次第に持て余すようになり、赤子と本気になって喧嘩を始めるあたりもおかしい。

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蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ (講談社文芸文庫)


Date: 2016.04.06 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)
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