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『リップヴァンウィンクルの花嫁』 陶酔しきった3時間

 『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』『花とアリス殺人事件』などの岩井俊二監督の最新作。ちなみに岩井俊二は原作・脚本・編集もこなしている。

岩井俊二 『リップヴァンウィンクルの花嫁』 七海(黒木華)は真白(Cocco)とのふたりだけの結婚式を挙げる。
 

 七海(黒木華)はごく普通の女の子。大学を卒業して臨時教員をしているけれど、声が小さいことを生徒たちにからかわれるようなどんくさい部分もある。あまり自己主張というものがなく、他人の意見に何となく流されてしまう。
 SNSで見つけた彼氏(地曵豪)との結婚もそんな感じで決めてしまうだが、親戚の数があまりに少ないのを気にした七海は代行サービスで人を集めることにする。代行サービスを請け負ったのが“何でも屋”の安室(綾野剛)で、安室が引き回し役となって七海が知らなかった世界が開けていく。

◆岩井俊二の少女趣味
 なぜか「長編実写の日本映画としては『花とアリス』以来12年ぶり」の岩井作品という宣伝がなされていて、『ヴァンパイア』なんかも飛ばして無理やり『花とアリス』との関係を謳っている。というのも『リップヴァンウィンクルの花嫁』は岩井俊二の少女趣味が全開になっている点で『花とアリス』以来の王道作品ということになるからだろう。その分、岩井俊二ファンにとってはいつまでも作品世界に浸っていたくなるような作品だと思う。
 この作品では二度の結婚式が描かれる。一度目は彼氏との結婚式で、これは寒々しい茶番劇となっている。そして、二度目が七海と真白(Cocco)の結婚式だ。女同士の夢のような結婚式はひとつのクライマックスであり、スローモーションを多用したとても美しいシークエンスになっている。
 旦那とのキスがおざなりに済まされるのに対して、七海と真白のキスはベッドの上で何度も繰り返される。こんなふうにあからさまに対照的に描かれる結婚式からしても、女同士の関係にしか岩井俊二は興味がないのだろうと推察する。ふたりの関係に性的な匂いは感じられないのだけれど、最初の結婚式のような空々しい嘘がない至福の時だったと思う。

◆リップヴァンウィンクルとは?
 リップヴァンウィンクルというのは西洋版の浦島太郎と呼ばれる話(この映画ではSNSでの真白のハンドルネームが“リップヴァンウィンクル”)。浦島太郎が龍宮城から戻ってくると長い年月が経っていたように、リップヴァンウィンクルも山の奥へと迷い込んで戻ってきたときには20年もの時が経過している。浦島太郎のお話は“仙境淹留譚”などと呼ばれる類いもので、異界へ迷い込んで戻ってくると長い時間が経過しているという点でリップヴァンウィンクルと共通している。
 この『リップヴァンウィンクルの花嫁』では、七海が離婚を言い渡され、茫然自失で見知らぬ場所を彷徨することになる。「わたし、どこにいるんですか」と哀れな声を発するあたりですでに異界へと迷い込んでいたのかもしれない(七海が真白と過ごすことになる洋館の雰囲気も浮世離れしている)。
 ただし、そこから戻って来た七海にとって世界がそれまでと一変したかどうかはわからない。もしかするとこれからも安室に翻弄されることに変わりはないのかもしれない。ただひとつ言えるのは観客にとっては、この作品世界は一種の異界であって、浦島太郎にとって龍宮での日々があっという間だったように、この作品の3時間という上映時間はあっという間に過ぎ去ることは間違いない。

『リップヴァンウィンクルの花嫁』 この作品のイメージカット。『リリイ・シュシュのすべて』のときの田んぼのなかで音楽を聴いている場面みたいなものだろう。

◆この作品の魅力?
 ネットでは誰もがハンドルネームという偽名を使ってやりとりしているし、“何でも屋”が用意する偽家族も結婚式を円滑に進めるために必要な嘘。七海は両親が離婚していることを旦那に隠すことを別段悪いこととも思っていない。世の中は嘘にまみれているのだ。
 ただ騙されていることに気づかなければ意外と問題は生じないとも言える。七海は安室の大きな嘘には気づいていない。気づいていないから幸せに過ごせることもあるのだ。これは七海がちょっとトロいからでもあるけれど、最後まで騙し続ける安室はプロに徹しているとも言える。
 一方で安室の行動原理はいまひとつ理解できない。七海をカモと考えているのは明らかだけれど、それが七海のためにもなっているようでもあるのが不思議なところ。また、末期ガンだった真白の後始末を丁寧に取り計らうのは金をもらっているからだとは思うのだけれど、真白の母親(りりィ)に対する共感はちょっと滑稽ではあったけれど本心であるようにも見え、安室という男はどうにも捉えどころがない。(*1)
 この作品自体もそんな捉えどころのなさもあって、岩井俊二はインタビューでこの作品について「ピントの合わない映画」とか「一番“迷い”の多かった映画」とも語っているようだ。たしかに整然とした説明をしかねるようなあれもこれもを孕んでいるのだけれど、それが決して退屈なものにはなっていなかったし、何より黒木華という対象を撮り続けることにこそ意義があったようにも感じられた。
 そんな『リップヴァンウィンクルの花嫁』の魅力を語ろうとすれば、物語云々よりも具体的なシーンをただ羅列したほうが適切なんじゃないかとも思う。たとえば、離婚後の七海が放つ「くそう」というかわいい悪態、窮地に陥ったときに七海の目に浮かぶ涙、七海と真白がウェディングドレス姿でその巻き毛の長い髪をなびかせるところ、その他数え上げればキリがない。(*2)世慣れなくて頼りない七海の姿はとても愛おしくてどうにも目が離せないのだ。とにかく陶酔しきって白痴のようにスクリーン見つめ続ける至福の3時間だった。

(*1) AV女優だった真白のことを恥じている母親を演じているのがりりィ。母親は人前で脱ぐことを非難するのだが、それを演じるりりィもかつて大島渚の映画(『夏の妹』)で脱いでいたようにも記憶している(もしかしたら違う人かも)。そんな意味で皮肉を込めているのかと思っていると、突然、その母親が脱ぎだすという展開にはびっくり。

(*2) ここで挙げたいくつかの場面は、雑誌『キネマ旬報』で漫画家の魚喃キリコが取り上げていたところ。もちろん私自身がとても気に入っている場面でもある。女の子同士関係を描いた魚喃キリコの『blue』は映画化もされているけれど、漫画自体がとてもよかったと思う。


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Date: 2016.03.31 Category: 日本映画 Comments (2) Trackbacks (8)

『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』 遠回りの果てに……

 バットマンとスーパーマンの対決が前面に出ているけれど『マン・オブ・スティール』の続篇で、前作の場面を引き継いで始まる。
 監督は『マン・オブ・スティール』『300〈スリーハンドレッド〉』などのザック・スナイダー
 なぜか映画が始まる前に監督からのメッセージがあった。「これから映画を観る人のためにもネタバレをしないように」ということなのだが、ネタバレすると色々と批判にさらされると思っているのかもしれない。さもありなんという気はするが……。

ザック・スナイダー 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』 スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)とバットマン(ベン・アフレック)。

 前作でメトロポリスを破壊しまくったスーパーマン(ヘンリー・カヴィル)は、異星人からの侵略を防いだ神のような存在として崇められる一方で、闘いのなかで被害にあった市民からは恨まれてもいた。職場を破壊されたブルース・ウェイン=バットマン(ベン・アフレック)もスーパーマンを危険な存在として見ていた。
 互いに正義の味方のはずだが、バットマンの正義とスーパーマンの正義には違いがあって、それによって齟齬が生じることになる。バットマンは「1パーセントでも敵になる可能性があれば敵」という物騒なことを言い出すし、スーパーマンも自警団的に悪を懲らしめるバットマンのやりすぎには懸念を抱いている。
 だからと言ってすぐにふたりが闘う理由はないと思うのだが、そこにもうひとりの登場人物レックス・ルーサー(ジェシー・アイゼンバーグ)が絡んでくる。ルーサーがやっていることがいまひとつよくわからないままに進むのだが、後になってみればスーパーマンの力が邪魔になりバットマンとスーパーマンを闘わせようと画策していたということが明らかになる。

 以下、ネタバレもあり!

『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』 ワンダーウーマン(ガル・ガドット)は絶妙なタイミングで登場して大活躍!

 結局のところルーサーにふたりが踊らされているわけで、闘う必然性がないのに無理やり闘っているあたりに違和感が残る。バットマン対スーパーマンと言っても、ナチュラルな能力は異星人であるスーパーマンに敵うわけはないわけで、バットマンはなかなかきつい。スーパーマン対策用のスーツとかで武装して何とかやりあうわけだけれど、ずんぐりむっくりしていてこれまでの印象とは違うものに。
 バットマンの夢が何度か登場するのも、そうでもしなければスーパーマンが土台とする世界でバットマンの活躍を描けなかったからかもしれない。夢の場面は妙に異質なところがあって、これもふたつの世界を無理やりに結合させているからかも。
 この世界ではこれまでのノーラン版やバートン版のバットマンの世界とは違うようで、メタヒューマンと呼ばれる種族がいる世界らしい。これがこれからのシリーズ化(ジャスティス・リーグ)につながるものなのだとは思うのだけれど、アメコミに詳しくない者としては海底に住む超人(アクアマン)とかが突然登場しても何だか意味がわからなかった。

 黒幕ルーサーが「鐘は鳴ってしまった」と不敵な笑みを浮かべるように、バットマンの正義が不気味に燃え上がったところでラストとなる。ただバットマンの正義は「1パーセントでも敵になる可能性があれば敵」という危険思想だから、ワンダーウーマン(ガル・ガドット)はそれに異議を唱えてもいた。アメリカの正義を疎ましく思う者も多いことが反映されているのだろう。ヒーロー同士の対立が既に生まれているわけで、シリーズ化の際はそのあたりがテーマなのかもしれない。
 それにしてもあれだけ正義について語っていたのに、途中からは忘れられてスーパーマンの髪が乱れるほどのお祭り騒ぎの様相を呈するのだが、そこまでが長すぎる印象は否めない。遠回りしても結局闘うんじゃないかというツッコミはあるだろうと思う。ワンダーウーマンの活躍などはそれなりに楽しいのだけれど……。

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Date: 2016.03.27 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (15)

『ぼくらの家路』 子の心親知らず

 ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品され、主人公の子役イヴォ・ピッツカーの演技が絶賛されたという作品。
 監督・脚本はエドワード・ベルガー
 原題は主人公の名前を採った「JACK」
 昨年9月に劇場公開され、今月にソフトがリリースされた。

エドワード・ベルガー 『ぼくらの家路』 ジャックとマヌエルは母を訪ねてベルリンをさ迷う。まだ幼いマヌエルは天使みたいにかわいい。


 10歳のジャック(イヴォ・ピッツカー)は弟マヌエル(ゲオルク・アルムス)の世話で慌しい日々を送っている。母親はいつも留守がちで、家事をこなすのはジャックの役目だからだ。ある日、事故でマヌエルが火傷を負い、母親は管理責任能力を問われ、ジャックは施設に預けられる。年上のいじめっ子がいる施設を抜け出したジャックは、知り合いの家に預けられていたマヌエルと一緒に母のところへ向かうのだけれど……。

 朝から甲斐甲斐しく弟の世話をするジャックには「偉いなあ」と感心しきり。朝食を用意したり、靴紐を結んでやったり、車道を渡るときにはしっかりと手を取る気遣いを忘れないあたりにも世話焼きぶりが滲み出ている。そんなふたりが並んで歩いていく姿はそれだけでかわいらしいのだけれど、母親の行方が知れずベルリンをさ迷う様には「不憫だなあ」とますます感情移入してしまう。
 ふたりを酷い目に遭わせる母親には怒りを感じなくもないのだけれど、母親も悪気があるわけではないらしい。ふたりの子持ちとはいえ遊びたい年頃でもあるし、男遊びが真実の愛を求めるという勘違いであったとしても、そのことが母子家庭からの脱出とさらには子供たちの幸せにもつながると考えている部分もあり、かえって始末が悪いのだ。

『ぼくらの家路』 ジャック(イヴォ・ピッツカー)は最後にある決断をすることになる。

 ジャックは母の彼氏たちのことをあまり快くは思っていない。夜中に寝室に闖入して彼氏を驚かすのも、母親が指摘する嫉妬というよりは抗議の一種であったようにも思う。まだ大人の助けが必要だという訴えは、家に入れずに母に宛てた手紙にも切々と感じられる。3日間の放浪生活のあとでも母親を信じきっているマヌエルは覚えたての靴紐結びを披露して安穏としているほど幼いけれど、ジャックは再会の嬉しさもほどほどに先を見据えている。子供を愛していても子育てというものが苦手な親もいるわけで、ジャックの大人びた表情はそんな残酷な事実を悟ってしまった故なのだろう。

 主人公の行動を逐一カメラが追って行くという手法はダルデンヌ兄弟のそれを思わせる。『少年と自転車』の主人公のようにジャックも赤い上着を着ているし、脇目もふらずに突進していくような姿は『ロゼッタ』を思わせなくもない。ダルデンヌ兄弟の作品が好きなので惹かれるところも多かった。
 イヴォ・ピッツカーの演技はもちろんよかったけれど、演出として素晴らしかったと思うのはジャックの感情を動きで示しているところ。ジャックはとにかく忙しなく動き回る。立ち居振舞いがガサツな感じなのは母親のそれとよく似ている。迎えに来る約束を反故にされたときのぶつけようのない思いは乱暴にバッグを片付ける仕草に充満しているし、母親に向かっての全力疾走は身体中で喜びを発散しているようだった。ヘタに怒りや悲しみを表情のなかに捉えようとせず、動きですべてを表していているところに好感が持てた。

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Date: 2016.03.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『リリーのすべて』 トランスジェンダーの先駆者とそれを支えた人

 『英国王のスピーチ』『レ・ミゼラブル』のトム・フーパー監督作品。
 原作はリリー・エルベという実在の人物をモデルにした小説。日本語訳では『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』となっているが、原題は「The Danish Girl」となっていて、「デンマーク人の女の子」という意味。
 邦題に違和感はないし、『イヴの総て』など似たような題名の作品だって多いとは思うのだけれど、どこかで『リリイ・シュシュのすべて』のことを意識しているようにも感じてしまう。

トム・フーパー 『リリーのすべて』 アイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)はモデルとしてバレエの服装を……。

 きっかけは些細なことから。デンマークでも指折りの風景画家と評価されているアイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は、妻で肖像画家のゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)のためにバレリーナの服装を身に付けることになる。アイナーはそこで何かを感じてしまう。
 ストッキングの手触りとかシルクの肌着の光沢のようなフェティシズムを感じさせるが、それはあくまできっかけにすぎず、本当の自分探しというテーマのほうが重要なのだろう。アイナーは異性愛者の男性として生きてきたわけだけれど、本当に自分は異性愛者なのか、あるいはジェンダー・アイデンティティ(性自認)は本当に男性なのだろうかという疑問を抱くようになる。
 女装したアイナーはリリーを名乗るようになり、男性の同性愛者であるヘンリク(ベン・ウィショー)と親しくなったりもするのだけれど、アイナー=リリーの自己認識としてはあくまで自分は女性であり、ヘンリクと親しくすることはヘンリクの性的対象が男性であるから問題ないということになるらしい(何だか混乱するけれど)。
 アイナー=リリーの性自認が女性ということになると、アイナー=リリーの身体には余計なものがついていることになるわけで、アイナーが鏡の前で股間の余計なモノを太ももに挟んで女性になってみるという恥ずかしいシーンも切実なものなのだろう。自らそれを切り取って本当の自分の身体になろうとする勇気は尋常なものではないのだから。

 そんなわけでアイナーは性別適合手術を受けて男性器を切除し、女性器の形成を初めて行なった先駆者となる。ちなみにモデルとなったリリー・エルベはそれだけではなく、母親になることを求めて子宮形成の手術までしていたようだ。男性への子宮移植手術は未だに成功していないようで、リリーは前人未到の領域を切り開いたということになるのだろう。
 トランスジェンダーを描いた作品は今では珍しくはない。以前に取り上げた『彼は秘密の女ともだち』『わたしはロランス』などもそうした作品だが、リリーのような先駆者がいなければ後に続く者は現れなかった可能性だってあり得るわけで、先駆者の切り開いた世界は過小評価されているくらいなのかもしれない。

『リリーのすべて』 ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)と女装してリリーとなったアイナー。

 先駆者となったリリーだが、その隣にはそれを支える人物がいる。この作品の感動的な部分は、妻のゲルダの存在によるのだろうと思う。最初のきっかけを作ったのもゲルダだし、遊び半分で女装をさせてさらにそれを助長してしまうのもゲルダなのだけれど、ゲルダの予想を超えた領域まで行き着いてしまうリリーを見放すことがないし、最後までリリーの自由を尊重する。そんなゲルダの支えがなければリリーも先駆者にはなれなかったに違いない。
 原題の「The Danish Girl」というのはもちろんリリーのことを指しているのだろうが、一方でゲルダのことでもあるのかもしれない。この作品でアカデミー賞で助演女優賞を受賞したアリシア・ヴィキャンデルだが、ほとんど主演女優と言ってもいいくらいだった。ゲルダはタバコを片手に絵を描き、アイナーには自分から声をかけるくらい男勝りな女性なのだけれど、リリーの前で困惑して涙を流す場面では、ほとんど表情を変えないのに涙だけをポロポロととめどなく流していて妙に感心してしまった。

 監督トム・フーパーは『レ・ミゼラブル』での女優陣(アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライド)の描き方があまりにみすぼらしかったのが印象に残っているのだが、『リリーのすべて』ではゲルダにしてもリリーにしてもとても美しく描かれていたと思う。ミュージカルでおとぎ話の『レ・ミゼラブル』のほうはリアルな人物造形で、逆に事実をもとにした『リリーのすべて』のほうは美しく飾り立てているということなのかもしれない。その意図に関してはちょっと測りかねるところもあるけれど……。脇役のウラ(アンバー・ハード)や、ハンス(マティアス・スーナールツ)なんかも妙に見目麗しくて、多分に美化されているところがある話なのだろうとは思う。

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Date: 2016.03.20 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (16)

『AUTOMATA オートマタ』 そしてネクスト・ステージへ

 人工知能を題材にしたSF作品。監督・脚本はスペインのガベ・イバニェス

ガベ・イバニェス 『AUTOMATA オートマタ』 主演のアントニオ・バンデラスとセックス・ロボットのクリオ。

 時代は2044年。太陽風の増加で地球は砂漠化が進み、人類は滅亡を前にしている。街では人間に代わる労力として人型ロボット(オートマタ)が活躍していて、人工知能を搭載されたそれには制御機能(プロトコル)が組み込まれている。

 プロトコル1:生命体への危害の禁止
 プロトコル2:自他のロボットの修正(改造)の禁止


 このふたつのプロトコルがある限りオートマタは人間にとってコントロール可能な存在だったはずだが、ある日、そのプロトコルが無視され自身の身体を改造しているオートマタが発見される。オートマタの製造会社の保険部から派遣されたジャック・ヴォーカン(アントニオ・バンデラス)は、オートマタを背後で操る黒幕を追うことになる。

 数少ない人類は砂漠のなかに壁を築いて暮らしている。人工的に雨を降らせるため空には飛行船らしきものが浮かび、夜になるとなぜかホログラムのあやしげな女が踊り狂う世界。雨が降る街をヴォーカンがレインコートでうろつく様子は『ブレードランナー』を思わせる。オートマタの造形はどこかで見たような印象ではあるのだが、ヴォーカンの丸坊主の頭と並ぶと妙に人間に似ている感じがしてくるところがよかった。破壊されたオートマタも血の代わりにオイルを流すような人間的な描き方になっている。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『AUTOMATA オートマタ』 ピルグリムと呼ばれる型のオートマタとヴォーカンの風貌はよく似ている。

 『AUTOMATA オートマタ』で重要となってくるのは、プロトコル2の「自他のロボットの修正(改造)の禁止」のほうだ。人工知能が自分やほかのオートマタを修理・改造することを学ぶとどうなるか? ヴォーカンが調査の最中に出会ったデュプレ博士(メラニー・グリフィス)によれば、われわれ人間が猿から700万年かかった進化の過程をオートマタは数週間でたどることになり、それからの進化は予想もつかないと言う。
 『生物と無生物とのあいだ』という本では、「生命とは何か」という問いのとりあえずの答えとして挙げられるのが「自己複製を行うシステム」というものだった(その本ではそこから始まってさらに別の答えへとたどり着く)。オートマタは自分や他のオートマタを修理・改造することでさらに何かを学び、ついには新しいオートマタを生み出してしまう。人間が子供を産むことで自分の遺伝子を複製していくように、オートマタも「自己複製を行うシステム」となって限りなく生物に近づいていく。しかも8日目には人間と会話が通じなくなるほどの知性を兼ね備えているわけで、人間以上の存在へと進化していくのだ。

 生き残った人間たちがどうなるかは示されていないのだが、子供が産まれたヴァーカンたち家族が海を発見するところはラストで声だけで示されるだけで、どこか嘘っぽく感じられる。一方でオートマタは人間の手の届かない土地へとしっかりとした足取りで去っていく。人間が猿から何がしかを受け継いで進化したように、人間が人に似せて生み出したオートマタには人類の何がしかが受け継がれた。新生オートマタが人間を傷つけるのは、人間の凶暴性から自らの身を守る術を学んだということなのだろうと思う。おそらく人類は滅び、オートマタが次代を担うのだろう。
 ただ、そのオートマタの新形態は人間とは似ても似つかないものなので、人間としては複雑ではある。それにしてもアレはしぶとく生き延びるものだなあと感心する。オートマタ改造の黒幕の謎は会話で語られるだけでわかりづらいようにも思えたのだけれど、『幼年期の終わり』『第四間氷期』のような人類のネクスト・ステージを描いた作品として興味深かった。

 アントニオ・バンデラスは以前のギラついた感じはなかった。滅亡しつつある人類の生き残りだからかもしれないし、白い砂漠のなかを延々と引き回されたからかもしれないのだが、元奥様のメラニー・グリフィスとの離婚寸前の共演作品ということで精神的に疲れていたということもあるのかも。

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Date: 2016.03.14 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『ロブスター』 設定は抜群におもしろいのだけれど……

 ギリシャ映画『籠の中の乙女』ヨルゴス・ランティモス監督の初の英語作品。
 コリン・ファレルレイチェル・ワイズレア・セドゥベン・ウィショージョン・C・ライリーという豪華な顔ぶれを見ると、この監督の作品がいかに期待されているかがわかる。私は観ていないのだけれど『籠の中の乙女』は評判がいいらしい。

ヨルゴス・ランティモス 『ロブスター』 かなり豪華な出演陣が名を連ねている。今回のレア・セドゥはエロを封印している。


 ルール1 45日以内にパートナーを見つけること
 ルール2 独身は罪
 ルール3 捕まれば動物になって頂きます

 妻に去られ独身になったデヴィッド(コリン・ファレル)は独身者たちが収容されたホテルに送られる。そこで45日間にパートナーを見つけることができなければ動物に変えられてしまう。デヴィッドの連れている犬も兄の変えられた姿だ。デヴィッドは果たして無事にパートナーを見つけて動物になることを回避できるのか?

 設定は抜群におもしろい。この設定は現実世界の姿を誇張したものだ。世の中に独身者など必要ないという世間一般のごく穏当な考えをグロテスクにして表現したものだろう。この作品世界ではカップルであることが自然の姿とされていて、何らかの理由でひとりになったときは強制合コンみたいなホテルへ収容されカップルになることを強いられる。
 ホテルでするべきことと言えばパートナー探しだけなのだが、なぜか森へ人間狩りに出かけることも日課となっている。森に潜む社会不適合者たちを狩ることで動物にされる日付を先送りすることもできる。実はこの森に住む人間はカップルになることを拒否した独身者たちなのだ。

 もちろん現実世界でもカップルであることは推奨される。というのは次世代が生まれてこなければ社会は成り立たないからだ。この『ロブスター』でもカップルの性交渉は望ましいものとされているらしく、そのために独身者はマスターベーションを禁止され、しかもホテル従業員の扇情的な行為で欲望をさらに駆り立てられ、すぐにでもパートナーを見つけることを強要される。しかし、ホテルでは同性愛カップルも認められているので(なぜかバイセクシャルはダメ)、次世代のことを考えているわけではない。ここではカップルであることが強迫観念のようなものになっているのだ。
 カップルになることを拒否すればこの社会では生きられないわけで、そうなると森のなかに逃げ込むしかない。それでも森のなかに自由があるわけでもない。カップルを強制されない代わりに、恋愛やセックスは禁止される。そして社会をつくらないことを前提としているからか、助け合いは禁止され、自己責任で自己完結しなければならない。自分の墓は自分で掘り、死ぬときは自分で墓に入るべしという極端な取り決めもある。
 
 ※ 以下、ネタバレもあり! 結末にも触れているのでご注意を!

『ロブスター』 デヴィッドは森のなかでレイチェル・ワイズ演じる女と恋に落ちるのだが……。
 
 現実を誇張した作品世界はたしかにおもしろい。そんな世界で登場人物たちはいかにも真面目な顔でバカらしいことをやってのける。そのあたりのギャップが笑いどころなのかもしれない(ベン・ウィショーとジョン・C・ライリーのじゃれ合い以外ほとんど笑えないけど)。
 この作品では設定にしても、登場人物の背景にしても特に説明はない。意味がないことにお付き合いできて楽しめる人ならこの映画には適しているのかもしれないけれど、「なぜなのだろうか」というウブな疑問を持ってしまうような人には合っていないかもしれない(私は後者)。「なぜ動物に変えられるのか」「なぜ人を狩るのか」「なぜカップルに共通点が必要なのか」という疑問は、当然のことと考えられているのかもしれないけれど特段の説明はないのだ。
 主人公デヴィッドがホテルで惹かれる女は、血も涙もない女なのだけれど、そのキャラは背景もなければ意味もないまま放り出される(とても興味が沸くキャラだと思うのだが)。また、カップルたちは互いの共通点探しに夢中になり、共通点を作るために涙ぐましい努力を積み重ねているのだけれど、谷崎潤一郎『春琴抄』的なラストが説得力を持つほど登場人物の内面が掘り下げられているとは思えなかった。
 ちなみに題名はデヴィッドがなりたいと思っていたのがロブスターだったから。本当かどうかは知らないけれど、ロブスターには寿命がなくて生殖能力が落ちることもないのだとか……。

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Date: 2016.03.13 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『マネー・ショート 華麗なる大逆転』 マーク・トウェインの警句が沁みる

 リーマン・ショックと呼ばれる世界的金融危機を察知した人たちの実話に基づく物語。
 監督は『俺たちニュースキャスター』などのアダム・マッケイ
 アカデミー賞では作品賞、監督賞、助演男優賞(クリスチャン・ベール)、編集賞、脚色賞にノミネートされ、脚色賞(チャールズ・ランドルフとアダム・マッケイ)を獲得した。
 原作はマイケル・ルイスのノンフィクション『世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち』で、映画の原題は「The Big Short」

 公式ホームページによれば、「株や債券が将来値上がりすると予測し、値上がりする前に買うことをロング。所有している株や債券の価値が下がると予測したら、価格が高いうちに売ってしまうことをショート」と言うらしい(だから邦題はちょっと変)。そのほかにも金融用語が頻出するから、「モーゲージ債」「CDO」「CDS」などのキーワードは知っていたほうがいいかもしれない。私はまったく知らなかったけれど、門外漢でも何となくわかるような解説もあって物語がわからないということはないとは思う。
アダム・マッケイ 『マネー・ショート』 ブラッド・ピットはプロデューサーも兼ねる。そのためか最後のカッコいい台詞は持っていく。

 『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』ではリーマン・ショック後の世界が描かれていたが、この『マネー・ショート 華麗なる大逆転』はそのバブル経済崩壊を予測していたごく一部の人たちの物語だ。なぜか邦題では「華麗なる大逆転」と謳っていて、ダン・エイクロイドとエディ・マーフィーが共演した『大逆転』みたいな爽快な結末を想像してしまうのだが、これはミスリード。そう言えばダン・エイクロイドとエディ・マーフィーはサタデー・ナイト・ライブ出身だったが、この作品の監督アダム・マッケイも同じくサタデー・ナイト・ライブ出身で笑える部分も多いのだけれど、躁病的な騒ぎのあとに鬱になる感じなのがミソかと思う。アカデミー賞でもそのあたりが評価されたのかもしれない。
 ちなみに登場人物たちは結託してウォール街を騙すわけではない。それぞれが独自に平行して動いているだけだ。マイケル(クリスチャン・ベール)が最初にバブル経済崩壊の兆しに気づいて動き出し、ハイエナのように聡い銀行家ジャレド(ライアン・ゴズリング)がその情報をヘッジファンドのマーク(スティーヴ・カレル)に調べさせ、これも偶然にジャレドの情報を知った若者ふたりが伝説の銀行家ベン(ブラッド・ピット)を助け舟にして絡んでくる。それぞれが主役と言える群像劇となっている。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『マネー・ショート』 マイケル(クリスチャン・ベール)はメタル好きでTシャツで仕事をしているが数字を読む目だけは間違いない。

『マネー・ショート』 マーク(スティーヴ・カレル)はいつでも何かに怒っている。というか間違いがあれば糺さなければ気が済まないらしい。この人物が一番主役っぽく感じられた。

 住宅ローン市場は誰もが安全で問題ないと考えているなかで、その崩壊を予測した4人はそれをチャンスに変える。アメリカ経済崩壊に賭けた彼らは、あとはそれがやってくるのを待つだけになる。前半はバブル経済の浮かれ具合を示すように細かいカットをあわただしくつなぎ、流れてくる音楽もテンションが上がるようなものが多い(Led Zeppelin、Guns N' Roses、Nirvanaなど、ちょっと毛色は違うけど徳永英明も)。いよいよ崩壊の序曲が始まり、これから大逆転となるべきところではNeil Youngの「Rockin' In The Free World」のイントロが軽快に流れてくるのだが、Neil Youngが歌い出すとすぐに中断されてしまう。(*1)大逆転のつもりが予想通りにはいかないからだ。
 怒れるマークが金融業界のお偉いさんと対談したあたりでは、すでにバブル崩壊は見えていたわけで、それが予想通りにならないのはシステムを守ろうと誰かが弥縫策を講じていたということなのだろう。そもそもの始まりにおいて、アメリカ経済そのものをぶち壊して稼ごうと考えていた誰かがいるわけではないはずだ。「誰もが心の奥底では世の終末の到来を待ち受けている」というのは村上春樹の文学世界ではあるのかもしれないが、現実の一般大衆やウォール街も当然崩壊を望んではいない。
 「やっかいなのは何も知らないことではない。実際は知らないのに知っていると思いこむことだ」というマーク・トウェインの警句のように、経済を知ったつもりになって住宅ローン市場は安全という神話を疑うこともなかったような連中がバブルを生み出してしまったのだろうとも思うのだけれど、映画内の金融用語の解説を見ただけでわかったようなつもりになってしまうわれわれ観客も似たようなものなのかもしれない。
 マーゴット・ロビーセレーナ・ゴメスがゲストで登場して、サブプライムローンはクソであり、CDOは腐った食材と新鮮な食材と合わせてシチューにしたものであると言われると、煙に巻かれたように感じつつも笑いながらわかったつもりになってしまうのだから。

 もともとシステムを信用していなかったジャレドだけは素直に巨額のボーナスを喜んでいるわけだけれど、マイケルにしてもマークにしても儲けてもむなしさばかりが残る。というのもベンが指摘するように、彼らの勝ちの裏にはアメリカの負けがあるということだからだ。
 ウォール街の連中は失敗したのかもしれないし、その痛手は一般大衆に回されるわけで怒りも感じなくはないのだけれど、かといって金融業界に悪意があったというわけでもないのだろうし、勝ち負けと言っても敵の姿がよく見えないだけに釈然としないし憂鬱な気分にもなる。とはいえシステムの信用せずにハイエナのように生きるのは誰にでもできることではないわけで、ジャレドはそんな稀な人物だから事態を客観的に分析し、この映画の語り部らしく観客に語りかけてきたりしていたのだろう。

(*1) この曲は「低所得者層がまともに生きていけなくなってきているという80年代末のアメリカの社会状況を歌った曲」だそうで、経済崩壊への兆しが見えたところでこの曲が流れるのは意味的にも合っているのだが、その曲が出鼻を挫かれて中断するのは4人の予想が外れた感じもうまく出していたと思う。

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Date: 2016.03.08 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (8)

『女が眠る時』 生きているときの最期の姿

 『スモーク』ウェイン・ワン監督作品。
 原作はスペイン人作家ハヴィア・マリアスによる短編小説「WHILE THE WOMAN ARE SLEEPING」。原作は日本が舞台ではないのだろうと思うのだが、映画版では日本が舞台となっており、出演陣も日本人(ビートたけし、西島秀俊、忽那汐里など)である。川端康成『眠れる美女』のことが念頭にあってのことなのかもしれない。

ウェイン・ワン 『女が眠る時』 佐原(ビートたけし)は美樹(忽那汐里)の眠る姿を見守る。


 作家の健二(西島秀俊)は処女小説で有名な文学賞を受賞して以来、次の作品が書けないでいる。編集者の妻(小山田サユリ)の仕事を兼ねた旅に付き合い、健二も伊豆のホテルに滞在していると、プールサイドで若い女と初老の男という不思議なふたりを目撃する。健二はその関係に興味を抱くようになる。

 小説家だから世の中の出来事を観察するのは仕事の一環のようなもので、健二はふたりの様子を遠目に見るだけでは飽き足らなくなり、部屋の様子をこっそり覗き見るようになる。すると男はいつくしむように女に接し、ベッドに眠る女の姿をビデオカメラに収めている。
 ウェイン・ワン監督の『スモーク』では、街角の様子を毎日撮影している男が登場する。同じ街角の風景も日々少しずつ変わっていく。その記録として写真はあったわけだが、『女が眠る時』の佐原という男(ビートたけし)の撮影もそれと似ているがちょっと違う。佐原は撮影した美樹(忽那汐里)の映像を上書きしてしまうからだ(実は気に入ったものだけは保存している)。
 佐原が撮りたいと望むのは、美樹の日々の成長よりも美樹が生きているときの最期の姿なのだ。亡くなったときの姿を写真に残すというのは『アンジェリカの微笑み』にもあったからめずらしいわけでもないのだろうが、生きているときの最期の姿を記録に残すのは死期がわかっている人でもない限り難しい。
 美樹は病で死を待つ身ではない。佐原は大人になりつつある美樹がいつ裏切るのかという不安で、愛が死ぬくらいならば自分が美樹を殺すほうがいいとまで考えるようになる。最期の姿を望むのは佐原の独占欲からで、佐原のビデオ撮影は性的なもの以上に死の匂いを感じさせる。

『女が眠る時』 佐原たちの関係に興味を抱いた作家の健二(西島秀俊)は……。

 自分の子供ほどの年齢の女の眠る姿を撮影し続けるという佐原という男は、いかにもあやしい雰囲気を醸し出している。ただ佐原の姿はすべて健二が覗き見したものであり、どこまでが現実の佐原なのかは曖昧模糊としている。小説家の創造力(想像力)はプールサイドでのふたりの仲睦まじい様子を発展させ、途中からは健二の小説の登場人物としてのふたりの妄想が膨らんでいくからだ。
 健二の妄想が現実と乖離すればするほど、カメラは健二の姿を斜めに捉えていく。スクリーンの垂直線に対して平行だったホテル室内の線が、次第に角度を増していくのは健二の歪んだ妄想を示しているようだ。ときに妻の登場が正常な位置関係を取り戻させたりもする。
 ただそんなふうに浸っていく妄想が魅力的だったかと言えば疑問だ。佐原は死の匂いを感じさせつつも、結局はプールサイドで足だけ水に浸けてバチャバチャともがくだけだし、美樹は健二を振り回すものの崖の上で雨に打たれるだけだった。妄想の飛躍のなさが健二という作家の創造力の欠如を表してしまっているようだった。

 加えて言えば、英語で書かれた脚本を日本語に翻訳しているからか、「愛が死んだとき」とか「どれだけ愛しているか」とか、日本人が到底言いそうにない言葉ばかりでそれだけで興醒めだった。そんな台詞を発する佐原を演じるビートたけしはさぞかしやりづらかったんじゃないだろうか。
 悪口ばかりでは気が滅入る感じもするので、最後に逆のことをしておけば、『スモーク』がよかったのはポール・オースターの創造力に溢れた脚本がとても魅力的だったからだろうと思う。

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Date: 2016.03.05 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)
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