『ローリング』 クズどもへ 水戸より愛を込めて
キネマ旬報ベスト・テンでは、日本映画ベスト・テンの第10位に選ばれている。
昨年6月に劇場公開され、今月になってソフトがリリースされた。

権藤(川瀬陽太)はかつて水戸で教師をしていたのだが、女子更衣室の盗撮がバレて教師を辞めて東京へと逃げていた。その後、諸事情で東京にも居られなくなった権藤は、キャバクラ嬢のみはり(柳英里紗)と共に水戸へと帰ってくる。
権藤は教え子の裸を盗撮するようなクズだから、水戸に戻っても居場所があるわけでない。かつての女子生徒たちに追いまわされたりもするのだけれど、意外にも早く地元の生活に馴染んでしまう。というのは権藤もしみじみと語るように、水戸の仲間たちもアホばかりだからだろう。
歓楽街におしぼりを配達している貫一(三浦貴大)は権藤の元教え子。彼はみはりのことを奪うことになるが、教師への敬意などないとばかりに権藤を小突いたりもするし、権藤は権藤で自分がやったことを「恥ずかしい行い」などと言いつつも罪悪感をさほど感じずに元教え子たちとも付き合っている。教え子たちをアホだと語る権藤自身が一番破廉恥な人間なのだ。
この作品は水戸を舞台にしている。水戸は私もそれなりに知っているところなので、とても懐かしく観た。水戸芸術館のタワー(一応上まで昇ることができるがたいしたものは見えない)や千波湖なども登場するのだが、退屈な地方都市といった風情に収まっているところはやはり水戸らしい。
中心の舞台となる水戸・大工町は歓楽街だというのだが、私自身はよく知らない(呑み歩くような年齢ではなかったので)。何となくいかがわしい雰囲気はあったかもしれない。ただ、大工町には「水戸パンテオン」という映画館があって、地元の映画ファンは駅から結構離れた場所にあるその映画館までわざわざ通ったはず。(*1)
監督・脚本の冨永昌敬は水戸短編映像祭が出発点だったとのことで、その関係で水戸を舞台にしてこの作品が誕生したとのこと。地方都市が舞台になれば必ずそこから抜け出したいという若者が登場しそうだが、『ローリング』の登場人物たちは仲間内でそれなりに楽しくやっている。クセのある登場人物が妙におかしくて、ヤクザまがいの連中とのやりとりとか、権藤と隣の巨乳の奥さんとのカラミには笑った。
(*1) 「渋谷パンテオン」ではなく「水戸パンテオン」である。同じ系列の映画館だったのだろうか。どちらもなくなってしまったけれど……。
※ 一部、ネタバレもあり!


公式ホームページによれば、題名の“ローリング”というのは、工場で丸められる“おしぼり”からイメージされているとのこと。工場から配達されるおしぼりは、回収されてキレイになって再び戻ってくる。タイトルバックでカメラがパンしていくあたりにも円環的なイメージを感じさせる。また、冒頭の権藤のナレーションによれば、クズ教師の今の姿は巣の中の雛ということで、さらには輪廻へとつながっていくのだ。
輪廻は因果応報という考え方に基づいている。悪い行いは自分に返ってくる(自業自得)わけで、権藤のようなクズはいつまでも輪廻のサイクルから逃れることはできないだろう。権藤の最後の言葉は「教え子たちよ、ありがとう。また一からやり直しです」となっているわけで、何度も何度もローリングしていくのだ(生まれ変わって雛となったというのは嘘だったわけだけれど←マウスオーバーでネタバレ)。
こうした円環のイメージは同じところをぐるぐると回っているようなもので、退屈な地方都市から出ようともせずにグダグダし、成長することもない仲間たちの姿とも重なり合ってくる。かといってそんな権藤や仲間たちを突き放したり非難しているわけではない。権藤のした悪事もタレントとなった元教え子の朋美(井端珠里)には感謝されるわけで、六道輪廻を経巡るわれわれのような他愛ない存在を暖かく見守っているような印象でもあるのだ。
そんな物語はともかくとしても独特のナレーションで始まるこの作品は、特筆すべき渡邊琢磨の音楽と冨永昌敬の冴えた演出が相まって観るべき価値のある作品になっていると思う。魅力のない県としてしか話題にならない場所から、こんな魅力的な作品が生まれてくるとは思ってもみなかったことで嬉しい発見だった。
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