パトリシア・ハイスミス作品の映画化 『ギリシャに消えた嘘』 合理的ではないけれど

 パトリシア・ハイスミスの原作小説『殺意の迷宮』の映画化。
 監督・脚本のホセイン・アミニはこれまで脚本家として活動していた人で、『鳩の翼』『日蔭のふたり』など文学作品からの脚本を担当している。
 4月に劇場公開され、先月ソフトがリリースされた。

ホセイン・アミニ 『ギリシャに消えた嘘』 チェスター(ヴィゴ・モーテンセン)とその妻コレット(キルステン・ダンスト)。いかにも裕福そうなふたり。


 舞台は1962年のギリシャ・アテネ。ツアーガイドをしているライダル(オスカー・アイザック)は観光客の女の子を騙して小銭を稼いでいた。そんなとき亡くなった自分の父親に似た男チェスター(ヴィゴ・モーテンセン)とその妻コレットを見かける。ライダルは夫婦にうまく取り入ってガイドの仕事を得ることになるのだが……。

 ライダルはハーバード大の考古学教授という偉大な父親の窮屈さから逃げてきた若者で、その父親から教え込まれた外国語を武器にガイドで稼いでいる。ライダルがチェスターたちに近づいたのは、彼らがいいカモに見えたからかもしれない。しかし実際は詐欺師としてはチェスターのほうが格上で、チェスターは投資家たちの金を騙し取って追われていたのだ。ライダルが夫妻を案内した晩、チェスターは投資家たちが雇った探偵を誤って殺してしまい、ライダルは巻き込まれる形で彼らの逃亡を助けることになってしまう。

 冒頭では、ライダルがギリシャ神話のテセウスのエピソードを観光客に語って聞かせていた。テセウスはミノタウロスを倒して無事にクレタ島から脱出できた場合は、船に白い帆を揚げて帰還すると父王アイゲウスに約束していた。それにもかかわらず、テセウスはそれを忘れてしまう。アイゲウスは帰還した船が出航時の黒い帆のままだったのを見てテセウスが死んだと勘違いをし、絶望のあまり身を投げて死んでしまう。
 このエピソードでもわかるように父と子の関係こそが中心的なテーマとなっている。しかし、3人の関係は三角関係のように始まる。たしかにコレットはライダルに好意を抱いていて、チェスターはライダルに嫉妬している。ただ、ライダルはコレットに興味があるというよりも、コレットがチェスターの妻だから接近したといったほうが正確だろうと思う。
 というわけで、この映画は三角関係よりもライダルとチェスターとの間の擬似的な親子関係のほうに焦点があるのだ。そんな意味ではコレットを演じるキルステン・ダンストがあまり魅力的でないのも役柄に合っていて、チェスター役のヴィゴ・モーテンセンのほうが歳は重ねていても色気がある。だからこそライダルが惹かれているのがチェスターのほうで、葬式にも出なかった父親の代理としてチェスターを見出して近づいたことに説得力を持たせていたと思う。
 父と息子の関係は複雑な感情が交差する。偉大な父への尊敬が重ね合わされる部分もあれば、同じ女(コレット)を取り合うライバル関係でもあり、事件に巻き込まれた憎しみもある。のちにチェスターが言うように「子供は父親に多くを期待しすぎる」わけで、最初は神のような羨望の的だった父という男も、子供の成長によって失望の対象へと変化していく。ライダルとチェスターの関係もそうで、裕福な紳士風であったチェスターも、次第に酒に逃げるだけの嫉妬深い男へ変わっていく。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ギリシャに消えた嘘』 ライダル(オスカー・アイザック)は観光客の女の子から小銭をちょろまかす。

 原作のパトリシア・ハイスミスは、『見知らぬ乗客』『太陽がいっぱい』(そのリメイク版は『リプリー』)の原作者として知られている。この『ギリシャに消えた嘘』も『太陽がいっぱい』に似ている部分もある。男がふたりに女がひとり登場するところや、中心となるのが男同士の関係となるあたりがそうだ。
 後半でライダルとチェスターが運命共同体として逃亡していくなかで、それを裏切ったのはライダルのほうだが、ラストでチェスターはすべての罪を引き受ける度量の大きさを見せる。ここの部分がいささか唐突だったようにも思えなくもないが、個人的には泣けてしまった。
 パトリシア・ハイスミスの小説は『リプリー』しか読んだことはないのだけれど、ウィキペディアによれば「英雄的な主人公や合理的な展開とは異なる、不合理な展開や不安感がハイスミスの特徴だとか。小説版『リプリー』でも、主人公のトムはディッキーに対して同性愛的な感情を抱いているにも関らず殺害してしまう。到底合理的とは言えないのだが、理詰めで謎解きをしようという小説ではないのだと思う。完全犯罪を描くことが目的ではなく、犯罪の容疑者として綱渡りで生きていく不安を感じさせるところが何とも素晴らしかった。
 そんなわけでこの『ギリシャに消えた嘘』も驚くような展開をするわけではない。事件に巻き込まれたライダルはチェスターから逃げることもできるけれど、自分の無実を証明させるためにはチェスターが必要でもあり、なかなか離れることができない。それでもいつかどちらかが裏切ることになるわけで、そうした複雑で緊張感のある心理戦が見どころとなる。
 結局コレットを巡る戦いはライダルが勝ったのかもしれないけれど、殺人事件の共犯に仕立て上げられたという点では詐欺の腕前はチェスターのほうが一枚上手だったとも言える。チェスターはライダルが父親の姿を自身にダブらせているのを感じ取っていたはずだ。写真に残るライダルと父親と同じように、チェスターもライダルの肩に手を回してみたりもしていたのだから。そんなライダルが擬似的な父親であるチェスターに大きな期待を寄せて彼を見つめているわけだから、チェスターが最後にできることはその期待に応えてやることだったのだろうと思う。合理的ではないけれど、感情的には納得させる終わり方だった。

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Date: 2015.10.28 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

シャマラン最新作 『ヴィジット』 今度は何が出てくるのか?

 『シックス・センス』『アンブレイカブル』などのM・ナイト・シャマランの最新作。
 失敗作が続いてオリジナル作品を作れなくなってしまったようで、『エアベンダー』『アフター・アース』の2作はシャマラン色が薄い作品と思えたけれど、その仕事で稼いだお金で再びシャマラン印の作品へと戻ってきたようだ。制作費が少ないことも幸いして収益の面では大成功だったらしい。

シャマラン 『ヴィジット』 おばあさんはなぜかレベッカにオーブンの掃除をさせたがる。


 ベッカ(オリヴィア・デヨング)とタイラー(エド・オクセンボウルド)のふたりは祖父母の家を初めて訪れる。父親と駆け落ち同然で家を出て以来、ふたりの母親(キャスリン・ハーン)は一度も家には帰らなかったため、ベッカとタイラーも祖父母のことをまったく知らない。母親が彼氏との旅行を楽しむ間、ふたりは初めて会う祖父母と1週間の休暇を過ごすことになる。

 シャマランは『シックス・センス』のオチがあまりに決まってしまったため、その後の作品がいまひとつというのが一般的な印象なのかもしれない。ただ『サイン』みたいな悪ノリ(?)も好きな人も多いわけで、この作品もシャマラン・ファンにはたまらない映画となっているような気もする。個人的には『サイン』の宇宙人を笑いながら楽しめるほどシャマラン・ファンではないのだけれど……。
 予告編ではシャマラン本人が出てきて「あなたはすでに騙されている」などと煽っている。騙されているのは確かで、というのも予告編では「3つの約束」などと出てくるけれど、約束は「夜9時以降は部屋から出ないこと」というものしか登場しない。夕食のシーンすらないのだから、予告編の作り方は反則すれすれとも思える。
 それはともかくとして、シャマラン作品だけに幽霊だとか宇宙人なんかが登場するんじゃないかと勝手に推測し、「THE VISIT」という題名すらも深読みしてしまう。この題名はベッカとタイラーが祖父母の家を訪問することを示しているだけ。ただ、地球を侵略に訪れた宇宙人を描いたテレビドラマ『V』は、「Visitor」の略だったわけでこの作品もそんな類いかと邪推してしまう。

 シャマラン側もそうした観客の期待はわかっているわけで、それを利用している節もある。ベッカとタイラーが駅で祖父母と出会ったときには、ぼんやりした鏡(もしかすると水?)に映る何かを捉えたカットが一瞬だけあったりして、見えない“何か”を意識させるようになっている。
 『ヴィジット』はいわゆるPOV方式で撮られている。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』みたいに登場人物がカメラを抱えて映像を撮影しているという設定だ。だから基本的にはカメラを持つ人の姿は映らない(声は入るけれど)。ベッカが主にカメラを回して、タイラーもサブカメラを回しているのだが、カメラを撮影している人の姿が見えないのが妙に気にかかる。それを撮影している人は本当に存在するのかなんてことも疑い出すことになる。しかもベッカが鏡を見ないことがタイラーに指摘されていて、鏡に映らない存在も推測させないこともない。また、おばあさんの語るおとぎ話のなかには宇宙人が子供を誘拐して、井戸を通してどこかへ送っているといった与太話も含まれる。いったいどんなオチで驚かせてくれるのかとワクワクさせる展開となっている。

シャマラン 『ヴィジット』 鏡を見るとレベッカの後にはおばあさんが……。レベッカは幽霊ではなかったらしい。

 オチを楽しみにしている人も多いと思うのでそれには触れないとしても、かなり怖がらせてくれる作品になっていたと思う。夜9時を過ぎると階下で異様な音が響き、恐る恐るドアを開けて見てみると……。とにかく得体の知れない祖父母の奇行はそれだけで怖いし、唐突な登場の仕方で何度もビクついた。
 屋敷の縁の下でのかくれんぼの場面では、おばあさん(ディアナ・ダナガン)は貞子とか座敷女みたいだった。ゴキブリみたいに這いずり回って怖がらせたおばあさんは高笑いをして去っていくのだけれど、去っていく後姿ではなぜかお尻が丸出しになっているという……。怖いのだけれど、ところどころに笑いが忍ばせてあるのがシャマランらしいところだろう。
 一応、この映画は裏では家族の愛の物語になっている。父親が出て行ったせいでベッカは自尊心を傷つけられ、タイラーは潔癖症になってしまっている。今回の祖父母の家の訪問は、母親と祖父母の関係を探り、家族の問題を解消するためのセラピーみたいなものなのだ。それにしてもタイラーの潔癖症に対するショック療法は凄まじいもので、そっちのほうがかえってトラウマになりそう。

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Date: 2015.10.25 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『トイレのピエタ』 マリアの穏やかな表情に託したもの

 原案はあの手塚治虫なのだそうだ。手塚治虫が病床で書いた日記の最後のページに「トイレのピエタ」というアイディアがあり、「浄化と昇天、これがこの死にかけた人間の世界への挑戦状なのだ!」と結ばれている。この作品はそれを元に、ドキュメンタリー映画を撮っていた松永大司が脚本を書き上げて監督をした劇映画デビュー作。
 今年6月に劇場公開され、今月14日にソフトがリリースされた。

松永大司 『トイレのピエタ』 園田(野田洋次郎)は病院で真衣(杉咲花)と出会う。


 ビルの窓拭きをしている園田宏(野田洋次郎)は突然の病に倒れ、検査結果を聞きにやってきた病院で真衣(杉咲花)という少女と出会う。園田はそこで余命3カ月を宣告されることになるのだが、それを聞いた真衣は「今から一緒に死んじゃおうか?」と園田を誘う。

 園田は美人でエロい彼女(市川紗椰)とも別れ、画家の夢もあきらめて、何となくバイトで食いつなぐ無為な日々を過ごしていた。そんな日々も突然の余命宣告で一変する。園田はビルにしがみつく自分を虫のようだとは思っていたけれど、虫みたいに儚い命とは思っていなかったわけで、そうなると残り少ない時間をどう過ごすのかを考えるようにもなる。
 というわけでこの映画は闘病ものということになる。よくある話ではあるけれど、それを見守る相手はちょっと変わっている。女子高生の真衣は家庭の事情で「死にたい」と考えているのだ。死んだように生きていた男と、死にたいと考えている少女。そんな組み合わせなのだ。

 もともと真衣は園田に何の関係もない人物だ。たまたま病院で出会い、家族のフリをしてくれる人として園田が誘っただけ。だから見ず知らずの園田が余命宣告を受けても、真衣は同情を寄せることもない。真衣は真衣で自分の直面する現実に精一杯なのだ。真衣はうわべだけを取り繕うようなことはしない。そういったことは世間をうまく渡り歩こうとする人(たとえば園田の元彼女)には必要だが、死にたいと思っている真衣には必要ないからだ。そして園田に対しても「自分で死ぬことも生きることもできないじゃん」と痛いところを突く。
 ただ、ふたりには死を身近に感じているという点では共通点もあったわけで、園田は真衣の姿からがむしゃらな生き方を学ぶことになる。真衣は現実逃避から「死にたい」と言うのだが、それが本心か否かはわからない。プールに忍び込んで金魚を放ち、水泳部の男から追いかけられたときには全力で逃げ出したように、本当に間近に死が迫れば真衣も必死になって生きるかもしれないのだ。園田は全力疾走する真衣の姿をたまたま目撃して、自分もそんなふうに生きたいと感じるのだ。
 園田は残り少ない命を削って、自宅のトイレにピエタを描く。壁も天井もすべてを使って描かれたピエタは、真衣がモデルとなった女性が中心に座る園田を抱きかかえるように包み込んでいる。画家を目指していた園田の最後の作品が「トイレのピエタ」だったのだ。

『トイレのピエタ』 ピエタという題材といい、何となくギドク作品を思わせるような気も。金魚は『悪い女』というギドク作品にも登場していた。

 ギドクの『嘆きのピエタ』では、ピエタの“哀れみ”がクローズアップされていた(実際にイタリア語の「Pieta」は「哀れみ」とか「慈悲」を指すらしい)。一方、『トイレのピエタ』ではミケランジェロ「サン・ピエトロのピエタ」が登場するのだが、亡くなったイエスを見守るマリアの表情がとても穏やかであることが強調されている。園田と同じような境遇の息子を持つ母親(宮沢りえ)は、マリアの表情に「死んだ我が子をどうしてこんなに穏やかな顔で抱えていられるんですかね」と不思議そうにしている。それを考えると、園田のピエタも“哀れみ”とは別の何かを表現していたのかもしれないとも思う。
 園田は自分がその中心となるピエタを描いたわけで、真衣に自分がやさしく抱きかかえられるイメージとなっている。ピエタが“哀れみ”を表現するとなれば、園田が描いていたピエタは自己憐憫となってしまう。もちろんそういう感情もあるだろう(何の因果か若くして病に倒れれば、そんな気持ちにもなる)。ただそれだけではないだろう。死んだように生きていた男が最後にちゃんと生きることができたのは真衣のおかげでもあり、園田のピエタは真衣に対するメッセージとしてあるのだろう。そのメッセージは言葉にすると陳腐なものにもなりかねないが、マリアの穏やかな表情に込められたものだろうと思う。
 園田のピエタに託したものはすぐには真衣には伝わらなかった。ただ、そのインパクトは真衣の脳裏に焼きついたはず。夜を彷徨って明け方に涙したとき、真衣には何かが伝わっていたようにも見えたし、その後の人生において真衣は何度も園田のピエタを思い起こすことになるのかもしれない。

 園田を演じた野田洋次郎(「RADWIMPS」というバンドのヴォーカルとのこと)は醒めた雰囲気がよかった。そして、そんな園田をも熱くさせる真衣役の杉咲花の、自由奔放な振る舞いも見どころだと思う。大人がまだまだ子供っぽい女の子に振り回される感じがふたりの組み合わせによく合っていた。ついでに言えば、リリー・フランキーは相変わらずうまい。

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Date: 2015.10.24 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)

アトム・エゴヤンの最新作 『白い沈黙』 誘拐された愛娘が8年後に

 『スウィート ヒアアフター』『アララトの聖母』などのアトム・エゴヤン監督の最新作。
 原題は「THE CAPTIVE」

アトム・エゴヤン 『白い沈黙』 マシュー(ライアン・レイノルズ)は娘のキャスを乗せて家路を行くのだが……。


 マシュー(ライアン・レイノルズ)は娘のキャスと共に家へと帰る途中、夕食用のパイを買いにいつものダイナーへと立ち寄る。ほんの数分目を離した隙に、キャスは忽然と姿を消してしまう。警察に連絡するものの、警察はマシューに疑惑の目を向けるだけで役に立たない。それから8年後、なぜか母親ティナ(ミレイユ・イーノス)の働くホテルの部屋にキャスの持ち物と思われるものが現れるようになり……。


 ※ 以下、早々とネタバレ! ご注意を!

 この映画の観客の多くが、上記のような情報はあらかじめ頭に入っているものと思われる。予告編でも「一体、誰が何のために」と丁寧に観客の気を惹くべく謎が提示されている。しかし、映画が始まるとあやしげな男が金髪の女の子を監禁している様子が映し出されるわけで、「一体、誰が何のために」「誰が」の答えは冒頭で明らかになってしまう。
 そうなると「何のために」という部分が残るわけだが、この答えも意外に簡単に示されることになる。事件を追う刑事の関心は、組織的に幼児を誘拐し商売にしているグループへと向けられているからだ。つまり組織化された悪党たちが金儲けのために幼児誘拐を行っていたというわけで、その事実は衝撃的なのかもしれないけれど、ミステリーとしてはネタが割れてしまっているのだ。
 そして、エゴヤン監督特有の時間軸をシャッフルした手法はこの作品でも健在だったが、それがうまく活かされていたかは疑問だ。8年前の誘拐事件のときと、その6年後の愛娘を誘拐され夫婦仲が崩壊した時期、さらに現在の話へと次々と展開していくから混乱する人もいるかもしれない。
 こうしたシャッフルの手法は、それだけでは意味不明な断片がうまくつながったとき、見えなかった全体が浮かび上がって観客をハッとさせる。わざわざジグソーパズルのエピソードまで出しているのは、そうした手法に意識的だからだろう。エゴヤン作品のなかで個人的にお気に入りの『エキゾチカ』では、過去と現在を結ぶひとつの事件の謎が最後に明らかにされる。ジグソーパズルの最後のピースがはまり、途端に全貌がはっきりとするという見事な構成になっていたと思う。一方で『白い沈黙』は、「一体、誰が何のために」の答えはすでに提示されているわけで、時間軸のシャッフルという手法がはまっているとは思えなかった。

『白い沈黙』 舞台はカナダ・オンタリオ州。『スウィート ヒアアフター』でも印象的だった雪景色が広がる。

 というわけで観客の興味として残されているのは、キャスが両親の元へ帰れるのか否かということだろうか。これに関しては、犯人のマヌケぶりと父親マシューの愛で無理やり解決させてしまったわけで、かなりご都合主義な印象。前作『デビルズ・ノット』は謎が謎のままで終わってしまったわけで、その罪滅ぼしなのかもしれない。
 また、犯人たちが母親ティナの働くホテルを監視していたり、わざわざ両親に接近したりするのも腑に落ちない部分だった。娘を誘拐された親の姿を楽しむという嗜虐的な行為という警察の解釈もあったのだけれど、一方で娘キャスの言い分では母親の姿を見るというのが彼女の慰めだったとも思えるような台詞もあった。誘拐されたキャスは組織のリクルーター役で、彼女がネットを介して少女を集める仕事をしていたようだ。少女を釣るための物語のインスピレーションとして、母親の姿をキャスが必要としていたとも説明されるのだが、このあたりはよくわからない部分だった。
 というのは犯罪組織の仕事がほとんど描かれないからかもしれない。幼児虐待を追う刑事たちだが、映像としては幼児虐待の場面はまったく登場しないのだ(レーティングの問題?)。加えて言えば、誘拐されて成長したキャス(アレクシア・ファスト)はあまりに健康的だし、犯人たちも妙に清潔感があってビジネスマンめいている。組織的に少女を誘拐するという行為のおぞましい部分が感じられないのだ。雪が大地を覆ってすべてを白くしてしまうように、どろどろした部分は隠されてしまったようで、妙にキレイに終わってしまったのが残念だった。

 愛娘を誘拐される母親ティナを演じているのがミレイユ・イーノス。この人が登場するとそれだけで不安定な人間なんじゃないかと疑ってしまう。『サボタージュ』でもキレた目で大活躍していたし、『デビルズ・ノット』でも事件をかき回す役割を担っていて、その行動原理は理解不能なのだけれど、ミレイユ・イーノスの表情だとそんな人もいるだろうなと納得してしまうところがある。

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アトム・エゴヤンの作品
Date: 2015.10.18 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (8)

『仮面/ペルソナ』 念願叶ってようやくこの作品が……

 10月7日からイングマール・ベルイマン『魔術師』『仮面/ペルソナ』『叫びとささやき』の3作品がレンタルにも登場した。今回の目玉はやはり『仮面/ペルソナ』だろう。ベルイマン作品のなかでも重要なものとされているのに、なぜか観るチャンスが極端に少なかった作品だからだ。レンタル店にもないし、日本語字幕付きのソフトも手に入らない状況だったから、英語字幕版を買ってはみたけれどやはり詳細はわからずじまいだったわけで、ようやくまともに観ることができたのは何より嬉しいことだ。(*1)

イングマール・ベルイマン 『仮面/ペルソナ』 鏡の前で絡み合うふたり。あやしい場面だが、そこに至るまでの一連の流れが素晴らしかった。スヴェン・ニクヴィストの撮影もいい。


 舞台女優エリザベート(リヴ・ウルマン)は突然失語症に陥り、ほとんど身動きもとれないような状態になってしまう。それでも看護師のアルマ(ビビ・アンデション)はエリザベートを献身的に看護し、次第に回復に向かっていく。病院から別荘へと転地して療養を続けることになると、ふたりはもっと打ち解けていくようになる。

 “失語症の女”と“しゃべり続ける女”という組み合わせ。片方が何もしゃべらないのならばもう一方がしゃべるしかないのは当然のことで、アルマは次第にエリザベートを聞き手に自らの過去を語ることになる。過去を共有したふたりは仲のいい姉妹のようにも見え、互いを自分の鏡像のように感じているようだし、その後の関係悪化から対峙しあうことになると、今度は分裂した自己のひとり芝居のようにも見えなくもない。
 題名にも表れているように、エリザベートは“仮面”であり、アルマがその“内面”なのかもしれない。ラストで別荘を出て行くのがアルマだけなのも、そんな推測が正しいように思わせなくもないが、その解釈に整合性があるのかと言えばあやしい気もするし、唯一の解釈とも言えないのだろう。
 この作品はふたりの女優(ビビ・アンデションとリヴ・ウルマン)が似ていることから発展したということ。監督のベルイマンは様々な女優との浮き名を流してきた人で、リヴ・ウルマンとの関係は『リヴ&イングマール ある愛の風景』に詳しく描かれていた。そんな意味で、女優たちの表の顔と裏の顔をよく知っていたベルイマンだからこその作品なのかもしれない。ただ、下世話とも言えるそんな題材から、こんな小難しい摩訶不思議な作品が出来上がってしまうのもベルイマンの独自性なのかもしれない。
 ベルイマン生誕95周年のときに開催された「ベルイマン三大傑作選」の劇場用パンフレットの文章によると、『仮面/ペルソナ』はアルトマンタルコフスキーを筆頭に、様々な映画監督に影響を与えているらしい。リンチ『マルホランド・ドライブ』キェシロフスキ『ふたりのベロニカ』あたりも無縁ではないというのだから、ベルイマンの幅広い影響がよくわかるというものだ。

『仮面/ペルソナ』 冒頭の映像の断片は意味不明だがインパクトがある。音楽は派手な武満徹風。

 英語字幕版を観たときは冒頭の映像の断片は一体何だったのか理解できなかったのだけれど、ふたりにはそれぞれ堕胎した子供がいたわけで、あの断片的な映像に登場する男の子は堕胎された子供とも思える。そんな子供が死の世界からこの世を覗いている映像のようにも見えなくもないのだ。中盤でも突如フィルムが焼け落ちるようにして、映像の断片が再び挿入されることになるのだが、その意味不明な展開もさることながら、まったくカットがつながっていない部分なんかもあって、その破綻ぶりもおもしろい。
 それからエリザベートがこちら側を見たまま身動きしないシーンでは、演じるリヴ・ウルマンは約1分ほど瞬きひとつせずに画面のこちらを見つめている。エリザベートは本当は死人なのかもと疑うほど微動だにしないのが恐ろしい。そんななかで次第に照明の光(あるいは陽の光)が落ちていき真っ暗になると、そこで大きなため息を吐く。こういった演出は『岸辺の旅』黒沢清監督もやっていたけれど、『仮面/ペルソナ』も見事に決まっていたと思う。
 結局、日本語字幕版で観てもわかりやすいというわけではないのだけれど、全篇どこを切り取っても惹かれるものがある。よくわからない部分があるだけに何度も繰り返し観てしまう作品だと思う(約80分と短いから余計に)。

(*1) ただ、その日本語字幕に誤字があったりしたのはちょっと興醒めだった。「看護の自信がありません」となるべきところが、「看護の自身がありません」となっていて一瞬戸惑った。まあ、たまにはあるけれど、よりによってこの作品でというのが……。

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Date: 2015.10.14 Category: イングマール・ベルイマン Comments (0) Trackbacks (0)

『岸辺の旅』 ふたりの間にある不自然な柱

 『CURE』『回路』『リアル~完全なる首長竜の日~』などの黒沢清監督の最新作。
 第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門では監督賞を受賞した。
 原作は湯本香樹実の同名小説。

黒沢清監督 『岸辺の旅』 死んだ優介(浅野忠信)と一緒に瑞希(深津絵里)は旅に出る。


 3年前に失踪した夫・優介(浅野忠信)が、ある日突然、瑞希(深津絵里)の前に現れる。「俺、死んだよ」と他人事みたいに報告する優介を、瑞希もすんなりと受け入れる。優介は富山の海で溺れ、身体は蟹に喰われて見つからないのだという。そんな優介に誘われて、3年の間さまよい歩いた場所へ旅をすることになる。

 優介の登場は唐突である。瑞希がキッチンで白玉を作っていると、いつの間にかに靴を履いたままの優介が部屋のなかに現れる。実体らしきものはあるようで、瑞希の作った白玉を「熱いな」などと言いながら口にしたりもする。その後の旅で示されるように、瑞希以外の人とのコミュニケーションもあることから、優介は瑞希の妄想の産物ではない。この作品世界では、死者と生者の差はあまりなく、ともに暮らしているのだ。
 失踪の3年間、優介はそれぞれの場所で仕事をしながら、周囲の人たちとも馴染んで暮らしていたようだ。そして優介だけが特別な存在ではなく、優介と同じような死者もあちこちに登場する。原作には「死んだ人のいない家はない」とも記されているとのことで、どの場所でも死者が生者とともにいるのだ。

『岸辺の旅』 色あざやかな部屋だが、実はそこは廃墟だったことがわかることに……。

 優介が死者であるということは最初から明らかにされている。題名の「岸辺」とはあの世(彼岸)とこの世(此岸)の境界のことだ。ふたりが最後にたどり着く場所は海辺だったし、三途の川のような幹線道路を挟んでふたりが向き合う場面も生と死の境界を意識させるものだった。
 生者と死者は見分けがつかないわけだが、演出上の境界線は常に意識されている。冒頭は瑞希が教え子にピアノの指導をするシークエンスだが、言葉を交わす教え子の母親と瑞希の間にはリビングには不自然な柱が立っている。これは失踪した夫を想ってなかば死んだように虚ろに生きている瑞希と、現実世界に根を張っている者との境界線を示しているのだろう。
 そして優介が唐突に部屋に現れる場面でも、優介と瑞希の間には黒々とした太い柱が境界線を作っている。これはもちろん生者と死者の境界線だ。この作品の題名が『岸辺の旅』であるように、その境界は曖昧なものであり、登場人物は生と死のあわいを行ったり来たりすることになるわけで、瑞希は画面上でふたりを遮っている境界線を越えて優介の胸に飛び込んでいくことになる。

 黒沢清はホラー映画の監督としても有名だが、この映画はメロドラマである。メロドラマの部分はよくあるパターンな気がしてあまり惹かれなかったのだけれど、生の領域を死の領域が侵犯していくような演出には見るべきものが多かった。光(照明)の加減を調節し、風でカーテンが揺れ出すと、いつの間にかに世界がこの世のものでなくなっていく。そんな場面にはホラー映画で培った手腕が存分に活かされていたと思う。
 浅野忠信がいかにも普通っぽい男を演じているのが妙な感じもして、瑞希(深津絵里)にベッドで接触を迫られ、幽霊のくせにそれを拒むあたりがかわいらしくて笑ってしまった。それから1シーンのみの登場だけれど、主役の深津絵里と対峙することになる蒼井優の笑顔の怖さも特筆すべきところがあったと思う。

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Date: 2015.10.06 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (8)

『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』 強くてクリーンな人物でも……

 監督・脚本は『オール・イズ・ロスト~最後の手紙~』J・C・チャンダー
 原題は「A MOST VIOLENT YEAR」
 出演は『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』のオスカー・アイザック、『ゼロ・ダーク・サーティ』のジェシカ・チャステインなど。

J・C・チャンダー 『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』 主人公のアベル(オスカー・アイザック)は融資を得るために銀行家たちをもてなす。隣の金髪が妻のアナ(ジェシカ・チャステイン)。


 1981年のニューヨークは史上最も犯罪件数が多かった年とされる。主人公のアベル(オスカー・アイザック)は、そんな物騒な時代にクリーンなビジネスを信条にオイル会社を大きくしていく。さらなる事業拡大のためユダヤ人の土地を購入しようとするのだが、莫大な手付金を払った矢先、次々とトラブルが発生する。銀行に融資を断られ、途端に窮地に追いやられることになるアベルだが……。

 アベルは信念の男だ。その信念が何を根拠にしているのかはわからないが、とにかく常に正しい選択をしていけば道は開けると考え、それを実行してきた。オイル業界の同業他社がかなりあやしい仕事をしていても、アベルだけは真っ当な手段だけでのし上がってきた。だからアベルは煙たがられているところもある。そのころ頻繁に発生していた輸送トラックの強奪事件も、奪われたオイルの量からして、それを売りさばくための販売網がなければならないわけで、同業他社が犯人を操っているか、もしくは手を貸している可能性がある。それでもアベルは決して自分の信念を曲げることはしない。

◆強さと弱さ
 アベルはこの作品のなかで“強さ”を象徴する人物だ。一方で“弱さ”の部分を担うのが、冒頭で強盗犯に殴られて大怪我をするジュリアン(エリス・ガベル)だろう。ジュリアンは運転手として復帰するのを恐れるが、アベルはジュリアンを励まして仕事に戻す。アベルもジュリアンも同じように移民であり、ジュリアンにとってアベルは成功のモデルケースなのだ。
 しかし人間には強い人物もいれば、そうではない人物もいる。ジュリアンはアベルに憧れつつも、強い人間にはなれない。運転手の仕事に復帰するものの、再び出くわした強盗たちに銃で応戦するというアベルが一番望んでいなかったことをしてしまう。アベルの会社のトラックばかりが狙われるのは、アベルが運転手に武装させていないことを強盗たちが知っているからだろう。ただアベルは持ち前の理想主義から、銃の携帯を許さなかったのだが、ジュリアンの弱さは自分の身を守るために武器を持つこと選択させてしまう。この事件により銀行の融資からは見放されることになってしまう。

 自衛のために武器を持つのは“弱さ”からというのがアベルの考えだが、この作品ではアベル以外はみんな弱い人物なのかもしれない。トラックを襲う強盗たちはジュリアンに銃で応戦されるとたちまち怯んでしまう。運転手を殺してまでオイルを奪うほどの剛毅さはないのだ。だからジュリアンが仕事を放棄して警察から逃げてきたとき、強盗とジュリアンがまるで示し合わせた仲間みたいな会話をしているのは、“弱さ”の面で同情し合ったからかもしれない。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』 トラック強盗犯を追い詰めるアベル。この場面は、オイル業界の裏の面を知らずにアベルが突っ走る感じがよく出ていたと思う。

◆クリーンとダーティ
 会社の危機に対してアベルは金策に走ることになる。同業他社から金を借りたり、自分の所有する不動産を担保にして金を作ったりする。そんなときに手を差し伸べるのが妻のアナだ。アナは会社では経理を担当していて、こっそり帳簿を操作して金を貯めこんでいたのだ。
 この作品ではアベルが“クリーン”な人物ならば、“ダーティ”な部分を請け負っているのが妻アナ(ジェシカ・チャステイン)だ。誤って轢いてしまった鹿に引導を渡す役目を担ったのもアナだったわけで、アナはアベルの代わりにそんな役割を引き受ける。アベルには表舞台のクリーンな仕事を任せ、アナが裏のダーティな仕事を請け負ってアベルを支えていたのだ。
 アベルはアナのおかげでダーティな部分を知らずに突っ走ってきた。知らないからこそ真っ直ぐに正しい道を行くことができていたわけだ。ただアベルも会社に危機に際して、汚れた部分を直視し現実的な手段を選ばざるを得なくなる。アベルはアナが蓄えた裏金を使い、さらにアベルたちを追い詰めてきた検事と取り引きすることで会社を守ることになるのだ。清廉潔白で強さをも兼ね備えたアベルでさえも、それを貫くことはできない。理想主義が現実を前にして挫かれていくのだ。

 自衛のために武器を持つのは“弱さ”からというアベルの考えは、理想主義に過ぎるのかもしれない。そんな言葉は現実を知らないから言える戯言だと、現実主義者はあざ笑うのだろう。こんな図式は今でもよく聞く話で、「われわれは数カ月ごとに銃の乱射事件を繰り返している唯一の先進国だ」とアメリカの大統領が怒りを示しても銃規制は進まないのだろうし、わが国でも理想主義者たちがどれだけデモに参加しても、現実的な政治家によって安保法案もなし崩しに変えられていくのだろうと思う。
 そんな意味ではあと味はとても苦いのだが、J・C・チャンダーは静かな内面のドラマとして見応えのあるものにしていると思う。『オール・イズ・ロスト』でも嵐に立ち向かう前に主人公がヒゲを剃る場面があったが、この『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』でも裏金に手を付ける決断をする前にアベルはヒゲを剃っている。アベルはあの時に自分の主義主張を曲げる決心をしたのかもしれない。
 撮影監督は『セインツ -約束の果て-』ブラッドフォード・ヤング。『セインツ -約束の果て-』は蓮實重彦も「二十一世紀に撮られた最も美しいショット」があると褒めていた作品で、そんな人が撮っただけに手堅く80年代のニューヨークを再現している。だけどツインタワーが見えなかったのはなぜなんだろうか?

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Date: 2015.10.03 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (12)
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