パトリシア・ハイスミス作品の映画化 『ギリシャに消えた嘘』 合理的ではないけれど
パトリシア・ハイスミスの原作小説『殺意の迷宮』の映画化。
監督・脚本のホセイン・アミニはこれまで脚本家として活動していた人で、『鳩の翼』や『日蔭のふたり』など文学作品からの脚本を担当している。
4月に劇場公開され、先月ソフトがリリースされた。

舞台は1962年のギリシャ・アテネ。ツアーガイドをしているライダル(オスカー・アイザック)は観光客の女の子を騙して小銭を稼いでいた。そんなとき亡くなった自分の父親に似た男チェスター(ヴィゴ・モーテンセン)とその妻コレットを見かける。ライダルは夫婦にうまく取り入ってガイドの仕事を得ることになるのだが……。
ライダルはハーバード大の考古学教授という偉大な父親の窮屈さから逃げてきた若者で、その父親から教え込まれた外国語を武器にガイドで稼いでいる。ライダルがチェスターたちに近づいたのは、彼らがいいカモに見えたからかもしれない。しかし実際は詐欺師としてはチェスターのほうが格上で、チェスターは投資家たちの金を騙し取って追われていたのだ。ライダルが夫妻を案内した晩、チェスターは投資家たちが雇った探偵を誤って殺してしまい、ライダルは巻き込まれる形で彼らの逃亡を助けることになってしまう。
冒頭では、ライダルがギリシャ神話のテセウスのエピソードを観光客に語って聞かせていた。テセウスはミノタウロスを倒して無事にクレタ島から脱出できた場合は、船に白い帆を揚げて帰還すると父王アイゲウスに約束していた。それにもかかわらず、テセウスはそれを忘れてしまう。アイゲウスは帰還した船が出航時の黒い帆のままだったのを見てテセウスが死んだと勘違いをし、絶望のあまり身を投げて死んでしまう。
このエピソードでもわかるように父と子の関係こそが中心的なテーマとなっている。しかし、3人の関係は三角関係のように始まる。たしかにコレットはライダルに好意を抱いていて、チェスターはライダルに嫉妬している。ただ、ライダルはコレットに興味があるというよりも、コレットがチェスターの妻だから接近したといったほうが正確だろうと思う。
というわけで、この映画は三角関係よりもライダルとチェスターとの間の擬似的な親子関係のほうに焦点があるのだ。そんな意味ではコレットを演じるキルステン・ダンストがあまり魅力的でないのも役柄に合っていて、チェスター役のヴィゴ・モーテンセンのほうが歳は重ねていても色気がある。だからこそライダルが惹かれているのがチェスターのほうで、葬式にも出なかった父親の代理としてチェスターを見出して近づいたことに説得力を持たせていたと思う。
父と息子の関係は複雑な感情が交差する。偉大な父への尊敬が重ね合わされる部分もあれば、同じ女(コレット)を取り合うライバル関係でもあり、事件に巻き込まれた憎しみもある。のちにチェスターが言うように「子供は父親に多くを期待しすぎる」わけで、最初は神のような羨望の的だった父という男も、子供の成長によって失望の対象へと変化していく。ライダルとチェスターの関係もそうで、裕福な紳士風であったチェスターも、次第に酒に逃げるだけの嫉妬深い男へ変わっていく。
※ 以下、ネタバレもあり!

原作のパトリシア・ハイスミスは、『見知らぬ乗客』や『太陽がいっぱい』(そのリメイク版は『リプリー』)の原作者として知られている。この『ギリシャに消えた嘘』も『太陽がいっぱい』に似ている部分もある。男がふたりに女がひとり登場するところや、中心となるのが男同士の関係となるあたりがそうだ。
後半でライダルとチェスターが運命共同体として逃亡していくなかで、それを裏切ったのはライダルのほうだが、ラストでチェスターはすべての罪を引き受ける度量の大きさを見せる。ここの部分がいささか唐突だったようにも思えなくもないが、個人的には泣けてしまった。
パトリシア・ハイスミスの小説は『リプリー』しか読んだことはないのだけれど、ウィキペディアによれば「英雄的な主人公や合理的な展開とは異なる、不合理な展開や不安感」がハイスミスの特徴だとか。小説版『リプリー』でも、主人公のトムはディッキーに対して同性愛的な感情を抱いているにも関らず殺害してしまう。到底合理的とは言えないのだが、理詰めで謎解きをしようという小説ではないのだと思う。完全犯罪を描くことが目的ではなく、犯罪の容疑者として綱渡りで生きていく不安を感じさせるところが何とも素晴らしかった。
そんなわけでこの『ギリシャに消えた嘘』も驚くような展開をするわけではない。事件に巻き込まれたライダルはチェスターから逃げることもできるけれど、自分の無実を証明させるためにはチェスターが必要でもあり、なかなか離れることができない。それでもいつかどちらかが裏切ることになるわけで、そうした複雑で緊張感のある心理戦が見どころとなる。
結局コレットを巡る戦いはライダルが勝ったのかもしれないけれど、殺人事件の共犯に仕立て上げられたという点では詐欺の腕前はチェスターのほうが一枚上手だったとも言える。チェスターはライダルが父親の姿を自身にダブらせているのを感じ取っていたはずだ。写真に残るライダルと父親と同じように、チェスターもライダルの肩に手を回してみたりもしていたのだから。そんなライダルが擬似的な父親であるチェスターに大きな期待を寄せて彼を見つめているわけだから、チェスターが最後にできることはその期待に応えてやることだったのだろうと思う。合理的ではないけれど、感情的には納得させる終わり方だった。




監督・脚本のホセイン・アミニはこれまで脚本家として活動していた人で、『鳩の翼』や『日蔭のふたり』など文学作品からの脚本を担当している。
4月に劇場公開され、先月ソフトがリリースされた。

舞台は1962年のギリシャ・アテネ。ツアーガイドをしているライダル(オスカー・アイザック)は観光客の女の子を騙して小銭を稼いでいた。そんなとき亡くなった自分の父親に似た男チェスター(ヴィゴ・モーテンセン)とその妻コレットを見かける。ライダルは夫婦にうまく取り入ってガイドの仕事を得ることになるのだが……。
ライダルはハーバード大の考古学教授という偉大な父親の窮屈さから逃げてきた若者で、その父親から教え込まれた外国語を武器にガイドで稼いでいる。ライダルがチェスターたちに近づいたのは、彼らがいいカモに見えたからかもしれない。しかし実際は詐欺師としてはチェスターのほうが格上で、チェスターは投資家たちの金を騙し取って追われていたのだ。ライダルが夫妻を案内した晩、チェスターは投資家たちが雇った探偵を誤って殺してしまい、ライダルは巻き込まれる形で彼らの逃亡を助けることになってしまう。
冒頭では、ライダルがギリシャ神話のテセウスのエピソードを観光客に語って聞かせていた。テセウスはミノタウロスを倒して無事にクレタ島から脱出できた場合は、船に白い帆を揚げて帰還すると父王アイゲウスに約束していた。それにもかかわらず、テセウスはそれを忘れてしまう。アイゲウスは帰還した船が出航時の黒い帆のままだったのを見てテセウスが死んだと勘違いをし、絶望のあまり身を投げて死んでしまう。
このエピソードでもわかるように父と子の関係こそが中心的なテーマとなっている。しかし、3人の関係は三角関係のように始まる。たしかにコレットはライダルに好意を抱いていて、チェスターはライダルに嫉妬している。ただ、ライダルはコレットに興味があるというよりも、コレットがチェスターの妻だから接近したといったほうが正確だろうと思う。
というわけで、この映画は三角関係よりもライダルとチェスターとの間の擬似的な親子関係のほうに焦点があるのだ。そんな意味ではコレットを演じるキルステン・ダンストがあまり魅力的でないのも役柄に合っていて、チェスター役のヴィゴ・モーテンセンのほうが歳は重ねていても色気がある。だからこそライダルが惹かれているのがチェスターのほうで、葬式にも出なかった父親の代理としてチェスターを見出して近づいたことに説得力を持たせていたと思う。
父と息子の関係は複雑な感情が交差する。偉大な父への尊敬が重ね合わされる部分もあれば、同じ女(コレット)を取り合うライバル関係でもあり、事件に巻き込まれた憎しみもある。のちにチェスターが言うように「子供は父親に多くを期待しすぎる」わけで、最初は神のような羨望の的だった父という男も、子供の成長によって失望の対象へと変化していく。ライダルとチェスターの関係もそうで、裕福な紳士風であったチェスターも、次第に酒に逃げるだけの嫉妬深い男へ変わっていく。
※ 以下、ネタバレもあり!

原作のパトリシア・ハイスミスは、『見知らぬ乗客』や『太陽がいっぱい』(そのリメイク版は『リプリー』)の原作者として知られている。この『ギリシャに消えた嘘』も『太陽がいっぱい』に似ている部分もある。男がふたりに女がひとり登場するところや、中心となるのが男同士の関係となるあたりがそうだ。
後半でライダルとチェスターが運命共同体として逃亡していくなかで、それを裏切ったのはライダルのほうだが、ラストでチェスターはすべての罪を引き受ける度量の大きさを見せる。ここの部分がいささか唐突だったようにも思えなくもないが、個人的には泣けてしまった。
パトリシア・ハイスミスの小説は『リプリー』しか読んだことはないのだけれど、ウィキペディアによれば「英雄的な主人公や合理的な展開とは異なる、不合理な展開や不安感」がハイスミスの特徴だとか。小説版『リプリー』でも、主人公のトムはディッキーに対して同性愛的な感情を抱いているにも関らず殺害してしまう。到底合理的とは言えないのだが、理詰めで謎解きをしようという小説ではないのだと思う。完全犯罪を描くことが目的ではなく、犯罪の容疑者として綱渡りで生きていく不安を感じさせるところが何とも素晴らしかった。
そんなわけでこの『ギリシャに消えた嘘』も驚くような展開をするわけではない。事件に巻き込まれたライダルはチェスターから逃げることもできるけれど、自分の無実を証明させるためにはチェスターが必要でもあり、なかなか離れることができない。それでもいつかどちらかが裏切ることになるわけで、そうした複雑で緊張感のある心理戦が見どころとなる。
結局コレットを巡る戦いはライダルが勝ったのかもしれないけれど、殺人事件の共犯に仕立て上げられたという点では詐欺の腕前はチェスターのほうが一枚上手だったとも言える。チェスターはライダルが父親の姿を自身にダブらせているのを感じ取っていたはずだ。写真に残るライダルと父親と同じように、チェスターもライダルの肩に手を回してみたりもしていたのだから。そんなライダルが擬似的な父親であるチェスターに大きな期待を寄せて彼を見つめているわけだから、チェスターが最後にできることはその期待に応えてやることだったのだろうと思う。合理的ではないけれど、感情的には納得させる終わり方だった。
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