『パパが遺した物語』 何がケイティに起こったか?
今回は試写会にて鑑賞。
劇場公開は10月3日(土)から。

小説家のジェイク(ラッセル・クロウ)は事故で妻を亡くしてしまう。事故の後遺症でジェイクも長期の入院をすることになり、娘ケイティ(カイリー・ロジャーズ)の面倒を見られなくなり、亡くなった妻の姉であるエリザベス(ダイアン・クルーガー)にケイティは預けられることになる。
この映画はラッセル・クロウ演じるジェイクとケイティ(子役)の過去の話と、アマンダ・セイフライドが演じる25年後の現在とが交互に語られていく。
父親のジェイクは病院からは戻ってきたものの、突然けいれんが起きる後遺症が残っている。そして、しばらくケイティと過ごしたエリザベスは、ジェイクの病気を理由に彼女を養子にもらおうと画策してくる。ジェイクが子供を育てられない状況と認められれば、裁判でケイティを奪われてしまいかねないわけで、ジェイクは敏腕弁護士を雇うために必死になって小説を書き上げる。
一方、大人になったケイティは大学院で心理学を学んでいる。親を亡くして一言もしゃべらない女の子に真摯に向き合う熱心な学生なのだが、私生活では病んでいる部分もある。ケイティは性依存症であり、行きずりの男とすぐに関係を持ってしまう悪癖を持っているのだ。ケイティはジェイクの小説が好きなキャメロン(アーロン・ポール)と出会うことになり、本気で愛し合うようになるが、それでも性依存症が完治されたわけではなくて……。
※ 以下、ネタバレもあり! 結末にも触れているのでご注意を!

この作品の最大の問題点は、ラッセル・クロウの過去パートとアマンダ・セイフライドの現在パートがほとんど結びついてこないということだろう。子供時代のケイティを成長したケイティが見ているシーンも一部はあるのだけれど、過去と現在がほとんど分離したままだから、作品の構成自体からして間違っているように感じられてしまう。
また、邦題『パパが遺した物語』は、父親が遺した最後の小説に何か大事なことが書かれていることを推測させる。それを読んだケイティが滂沱の涙を流すであろうといった内容だと観客に思わせておいて、それは見事に裏切られる。最後の小説『Fathers and Daughters』の中身にまったく触れられないわけで、邦題は完全に観客をミスリードをしている(原題は単純に「Fathers and Daughters」である)。
邦題に関しては配給会社の売り方の問題だから、それが涙ぐましいほどの酷いやり口だとしてもとりあえずは措くとしても、ケイティの性依存症の原因について何の説明もないというのも謎だろう。ケイティがジェイクから“ポテトチップ”と呼ばれるのに理由がないのと同じで、それにも理由がないという設定なのだとすればそれも変な話だ。
無理に解釈をすれば、ジェイクが亡くなったあとに養子にもらわれることになるエリザベスとの関係なのかとも思えなくもない(エリザベスのケイティに対する執着はちょっと異常にも見える)。エリザベスの「あのころ私は厳しかったから」みたいな反省の弁あとにくるのが、ケイティがバスタブで胸元だけを隠すというショットだからだ(アマンダ・セイフライドのファンにとってはサービスカット)。ここだけで性的虐待が仄めかされているのかどうかは曖昧なのだが、トラウマの原因としてはありがちな話ではある。とにかく取ってつけたようなハッピーエンドだったけれど、何も解決していないという滅茶苦茶な脚本だったと思う。試写会に呼んでいただいたにも関らず、こんな悪口ばかり書きたくもないのだけれど……。
主題歌である「Close to You」は、父親を恋しく想う娘の気持ち(あるいは娘を恋しく想う父親の気持ち)を代弁しているわけで、在りし日のふたりがそれを歌う場面は微笑ましい。だから「Close to You(あなたのそばにいたい)」とマイケル・ボルトンの声で歌われるのも、成長したケイティがそれに合わせてデュエットするためだとは思うのだけれど、やはりカーペンターズの曲はカレンのあの声でなければとも思う。
↓ 以下はカーペンターズの「Close to You」。ついでにお気に入りのひとつ「雨の日と月曜日は」も。
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