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『パパが遺した物語』 何がケイティに起こったか?

 『幸せのちから』ガブリエレ・ムッチーノ監督が贈る新たな親と子の物語。
 今回は試写会にて鑑賞。
 劇場公開は10月3日(土)から。

ガブリエレ・ムッチーノ 『パパが遺した物語』 ラッセル・クロウと子役のカイリー・ロジャーズ。


 小説家のジェイク(ラッセル・クロウ)は事故で妻を亡くしてしまう。事故の後遺症でジェイクも長期の入院をすることになり、娘ケイティ(カイリー・ロジャーズ)の面倒を見られなくなり、亡くなった妻の姉であるエリザベス(ダイアン・クルーガー)にケイティは預けられることになる。

 この映画はラッセル・クロウ演じるジェイクとケイティ(子役)の過去の話と、アマンダ・セイフライドが演じる25年後の現在とが交互に語られていく。
 父親のジェイクは病院からは戻ってきたものの、突然けいれんが起きる後遺症が残っている。そして、しばらくケイティと過ごしたエリザベスは、ジェイクの病気を理由に彼女を養子にもらおうと画策してくる。ジェイクが子供を育てられない状況と認められれば、裁判でケイティを奪われてしまいかねないわけで、ジェイクは敏腕弁護士を雇うために必死になって小説を書き上げる。
 一方、大人になったケイティは大学院で心理学を学んでいる。親を亡くして一言もしゃべらない女の子に真摯に向き合う熱心な学生なのだが、私生活では病んでいる部分もある。ケイティは性依存症であり、行きずりの男とすぐに関係を持ってしまう悪癖を持っているのだ。ケイティはジェイクの小説が好きなキャメロン(アーロン・ポール)と出会うことになり、本気で愛し合うようになるが、それでも性依存症が完治されたわけではなくて……。

 ※ 以下、ネタバレもあり! 結末にも触れているのでご注意を!


『パパが遺した物語』 アマンダ・セイフライド演じるケイティはなぜか闇の部分を抱えている。

 この作品の最大の問題点は、ラッセル・クロウの過去パートとアマンダ・セイフライドの現在パートがほとんど結びついてこないということだろう。子供時代のケイティを成長したケイティが見ているシーンも一部はあるのだけれど、過去と現在がほとんど分離したままだから、作品の構成自体からして間違っているように感じられてしまう。
 また、邦題『パパが遺した物語』は、父親が遺した最後の小説に何か大事なことが書かれていることを推測させる。それを読んだケイティが滂沱の涙を流すであろうといった内容だと観客に思わせておいて、それは見事に裏切られる。最後の小説『Fathers and Daughters』の中身にまったく触れられないわけで、邦題は完全に観客をミスリードをしている(原題は単純に「Fathers and Daughters」である)。
 邦題に関しては配給会社の売り方の問題だから、それが涙ぐましいほどの酷いやり口だとしてもとりあえずは措くとしても、ケイティの性依存症の原因について何の説明もないというのも謎だろう。ケイティがジェイクから“ポテトチップ”と呼ばれるのに理由がないのと同じで、それにも理由がないという設定なのだとすればそれも変な話だ。
 無理に解釈をすれば、ジェイクが亡くなったあとに養子にもらわれることになるエリザベスとの関係なのかとも思えなくもない(エリザベスのケイティに対する執着はちょっと異常にも見える)。エリザベスの「あのころ私は厳しかったから」みたいな反省の弁あとにくるのが、ケイティがバスタブで胸元だけを隠すというショットだからだ(アマンダ・セイフライドのファンにとってはサービスカット)。ここだけで性的虐待が仄めかされているのかどうかは曖昧なのだが、トラウマの原因としてはありがちな話ではある。とにかく取ってつけたようなハッピーエンドだったけれど、何も解決していないという滅茶苦茶な脚本だったと思う。試写会に呼んでいただいたにも関らず、こんな悪口ばかり書きたくもないのだけれど……。

 主題歌である「Close to You」は、父親を恋しく想う娘の気持ち(あるいは娘を恋しく想う父親の気持ち)を代弁しているわけで、在りし日のふたりがそれを歌う場面は微笑ましい。だから「Close to You(あなたのそばにいたい)」マイケル・ボルトンの声で歌われるのも、成長したケイティがそれに合わせてデュエットするためだとは思うのだけれど、やはりカーペンターズの曲はカレンのあの声でなければとも思う。

 ↓ 以下はカーペンターズの「Close to You」。ついでにお気に入りのひとつ「雨の日と月曜日は」も。





40/40



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Date: 2015.09.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)

石井隆監督 『GONINサーガ』 19年前と今の違い?

 『死んでもいい』『フィギュアなあなた』などの石井隆監督の最新作。
 1995年公開の『GONIN』シリーズの3作目。このシリーズには『GONIN2』(1996年)もあるけれど、これは1作目の女性版としてのリメイクのようなものであり、この最新作『GONINサーガ』こそが『GONIN』の物語を引き継いでいる作品ということになる。
 出演は東出昌大、桐谷健太、柄本佑、土屋アンナ、安藤政信など。

石井隆監督 『GONINサーガ』 五人の面々。本当の五人目は根津甚八だろうか。

 『GONIN』では、暴力団五誠会大越組の金を奪った五人の男たちが、組織が雇った殺し屋(ビートたけし)に狙われて次々と殺されていった。壮絶な銃撃戦で死んでいったヤクザ者たちにも子供たちがいて、巻き込まれて死んだ警察官にも子供がいた。『GONINサーガ』は19年後の子供たちの物語である。
 さらに『サーガ』が『GONIN』から引き継いでいるものは、氷頭要を演じた根津甚八の存在だろう。死んだと思われていた氷頭は植物状態のまま生きていて、事件の唯一の証人として担ぎ出されることになる。
 石井隆作品には“村木と名美”というキャラクターが登場するが、根津甚八は“村木”的な男を石井作品で何度も演じてきた盟友である(『サーガ』の“名美”は土屋アンナ演じる“麻美”だが、読み方は“アサミ”となっている)。石井隆は病などで役者の引退を余儀なくされた根津甚八に、役者としての死に場所を用意して今回限りの復帰を準備したわけで、ラストで佐藤浩市の手助けを得て役目を果たす根津甚八の姿は見どころだろう。
 それからもうひとりの石井隆の盟友である竹中直人は、『GONIN』では落ちぶれたサラリーマン役だったが、『サーガ』では殺し屋として登場する。酸素ボンベを引きずりながらもほとんど不死身というやりすぎ感のあるキャラは竹中直人だからこそかもしれない。この殺し屋がハエを嫌うというのは、『GONIN』のキャラを受け継いでいるわけで、1作目を観ている人はちょっと笑える。

『GONINサーガ』 後方のスクリーンに登場人物の影が増殖している。手前は安藤政信。

 序盤は『GONIN』と『サーガ』とのつながりを説明しようとするあまりテンポが悪い。事件以来不遇な立場にあるヤクザの息子たちと、事件の巻き添えで殺された警官の息子が上位組織の五誠会に乗り込んでいくわけだが、それが親から受け継いだ因縁として描かれていく。
 ただ、そんな説明が必要だったのかとも思う。たとえば『GONIN2』では、宝石店強奪の現場にたまたま居合わせたのが五人の主人公だったわけだし。「破滅の美学」をやるためにはそれなりの理由が必要なのかもしれないけれど……。
 そうなると1作目の男たちの佇まいが「破滅の美学」へ突き進むのを納得させるような匂いがあったのに対し、本作の登場人物を演じた若い俳優たちがまだそこまでではなかったからかもしれないとも思う。決して悪くはないのだけれど、1作目の面々と比較するとちょっと分が悪い。

 石井隆の映画はいつも湿っぽい。今回も雨のシーンばかりである。シリーズすべてに登場するディスコ「Birds」のシーンでは、わざわざ室内にスプリンクラーからの大量の水を降らせている。五誠会三代目組長(安藤政信)の披露宴のために用意されたスクリーンには、水の反射なのか登場人物たちの姿が増殖するように映っていたのが印象的だった。
 エンドロールで映し出される東京の夜は、19年前のそれと比べても圧倒的に光の洪水になっているのに驚かされる。バブル崩壊後のころよりも今のほうがきらびやかな夜になっているとは……。

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Date: 2015.09.27 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (9)

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』 巨人の謎、世界の謎

 前篇『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』を受けての後篇。
 前篇からの期間が短いのはいいのだけれど、前篇が色々な意味で評判が悪かったので、その印象が薄れないうちに公開がかえって逆効果だったのか、公開初日にも関わらず空席が目立つあり様だった。

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』

 前篇のほうは突っ込みどころも満載だったけれど圧倒される部分もあった。しかし、この後篇は謎解きと物語を終わらせるのに精一杯で、狭い世界になってしまったように思えた。後篇では人間に見えてしまう通常サイズ巨人がほとんど登場せず、主要キャラ以外のエキストラの姿もなく、ごく限られた範囲の話になっているからだ。そして、エレン(三浦春馬)たちの目的が壁の穴を塞ぐことばかりで、巨人の強大な力を獲得してもやってる仕事に妙にこじんまりとした感があったのは否めない。
 原作はまだ終了していないということで、後篇は前篇以上に原作とは別のものとなっている。映画では脚本を担当した町山智浩が巨人の謎を解き明かす独自な展開を考えたようだ(今月の『映画秘宝』にはそのあたりが詳しく書かれている)。特にエレンの兄の存在は映画のオリジナルだ。ただ、それが誰のことなのかはうやむやになってしまう(大体の察しはつくのだがすっきりするわけでもない)。『2001年宇宙の旅』を思わせる白い部屋の場面で明らかにされる過去では、誰が巨人化するのかわからないなどという説明もあったのだが、どのようにしてそれが拡散したのだろうか(巨人化するのはウィルス性の病みたいなものなのだろうか)。

※ 以下、ネタバレもあり!

樋口真嗣 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』 巨人の姿は迫力があるのだけれど……。

 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』では、巨人誕生の謎は意外にもすぐに明らかにされる。巨人は人間が人間を薬で改造して作り上げた兵器のようなものだったのだ。しかし脚本の眼目は、それよりも巨人を利用した新たな世界の構築のほうにあるのだろう。
 かつては自由で日々進歩していく世界があった。そこでは人間は驕り高ぶって人と争い、他国と戦争を始めたりもする。だから進歩を生み出す科学技術を捨て、昔ながらの生活を取り戻すのをどこかの誰かが選択した。
 そのために必要とされたのが巨人の恐怖だ。人間を喰らう巨人という敵を避けるため、人間たちは自分たちを壁の内側へと閉じ込めることになる。そこでは貧しくても皆が平等な世界がある。これは例えれば、焼夷弾を避けて防空壕に逃げ込んだ人間たちが、狭くて不便な防空壕のなかで一時の平安を得ているようなものだ。
 しかし巨人の恐怖も長くは続かない。人間は人類の敵のことすら忘れてしまうからだ。恐怖を忘れた人間が外部に興味を抱き、調査兵団が壁の外側へ出ていくことになったとき、壁が壊され再び巨人たちが姿を現すのは、巨人の恐怖を改めて人間に思い知らせるためだ。そして子々孫々にまで恐怖を伝え、壁の外側へ出ようと考えることすらしないように人間を矯正するのだ。

 そんなわけで一部の人間が世界をコントロールして、家畜のように人類を飼育しているということが明らかになる。シキシマ(長谷川博己)はそうしたすべてをぶち壊して革命を起こそうと考える(前篇の反乱分子はシキシマの手下だったようだ)。クバル(國村隼)は世界の残酷さには人類は耐えられないからと、壁の内側の世界を保守することを選ぶ。
 脚本の町山智浩によれば、これは右と左の対立であり、この映画ではその両翼がぶつかってどちらもつぶれていくことになる。そしてエレンたち若者が未来を担うというのだが、映画ではエレンたちはどっちつかずで壁の穴はふさがれたけれど元の状態に戻っただけのようにも見える。もちろんエレンは壁の外の世界を見ることになったわけで、そこは違うわけだけれどエンドロール後のオチでも明らかなように、世の中を牛耳っているごく一部の人間がいなくなったわけではないのだから。

 “特定秘密違反”という言葉が作品のなかに登場するのは、「特定秘密保護法案」を意識しているのだろう。この作品の登場人物は日本人という設定なのだし、壁のなかの世界も日本を意識しているはず。特定の秘密は大衆には知らせずに、ときおり恐怖を煽って大衆をコントロールするというのはまさに日本の現状なのかも。
 そんな意味では巨人というのは戦争のメタファーなのかもしれない。それが忘れられてしまったから隣の国が攻めてくるかもしれないという空気を何となく醸成し、安保法案までもなし崩しに変えてしまおうする(あるいは外に出ることで戦争の恐怖を呼び込むつもりなのかもしれない)。壁の内側へ閉じこもるか、世界へ出て行こうとするかでは正反対なのだけれど、恐怖を煽り一部の人間が大衆を支配するという点では似ている。
 このあたりにこの作品の社会批判がほの見えなくもないのだけれど、出来上がった作品はあちこちで人間から巨人へと変身する者が現れて、登場人物たちはやたらに叫びまくるばかりといった感じで、つい冷めた目でスクリーンを見つめていたというのが正直なところだろうか。

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Date: 2015.09.21 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (7)

『私たちのハァハァ』 女子高生というブランドだけで何とかなる?

 監督は『アフロ田中』『自分の事ばかりで情けなくなるよ』などの松居大悟
 『自分の事ばかりで情けなくなるよ』でもクリープハイプというバンドを取り上げていた松居監督。今回はクリープハイプ・ファンの女子高生を主人公にしたロードムービーとなっている。
 主演の4人中3人は素人みたいなものらしいが、皆、とても自然だった。井上苑子はメジャーデビューしたてのシンガーソングライターらしく、弾き語りの見せ場もある。

松居大悟 『私たちのハァハァ』 なぜか制服姿で旅はスタートする。

 「次のライヴも」とメンバーに誘われたからと言って、北九州から東京まで自転車で走破しようというのは無謀な試みだ。それでもクリープハイプが大好きな4人の女子高生は意外にも簡単に旅をスタートさせる。
 リーダーというより盛り上げ役のさっつん(大関れいか)、ギターをかついだ家出少女の一ノ瀬(井上苑子)、クリープハイプのボーカル尾崎世界観が好きで堪らない文子(三浦透子)、みんなと一緒にいたくて参加したけれど途中までは冗談だと思っていたチエ(真山朔)。彼女たちの無謀さは単に無知なだけなのかもしれないが、意外にも事はスムーズに進む。いい加減疲れ切って自転車を乗り捨ててヒッチハイクへと移行するけれど、着実に目的地へと近づいていく。
 これは女子高生というブランドを彼女たちが無自覚に信じているからなのかもしれない。松居大悟作品『男子高校生の日常』では、若くて何の経験もなく頼りなさげな男子高校生たちと比べ、女子高生たちは妙に自信に満ちていて何でも許されるものと理解しているようだったが、それと同じだろう。自転車で夜通し走って朝を迎えるのも、知らない街の公園で野宿するのも楽しいし、途中からはあっけらかんと知らない男(池松壮亮も登場)の車に乗り込み、金が尽きればキャバ嬢の真似事をして稼いだりして無謀な試みを現実化していく。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『私たちのハァハァ』 ライヴのために東京まで自転車で!

 松居監督の映画はその主人公が男の場合、異性に対する凝り固まった考えが笑わせる。『アフロ田中』『スイートプールサイド』では男が抱く妄想がどんどん突っ走っていくところがよかった。それに対して『私たちのハァハァ』の女子高生はもっと現実的かもしれない。
 たとえばファンでもその本気度は人それぞれだから、クリープハイプに一番夢中になっている文子の暴走でけんかが生じたりもする。文子の尾崎愛は妄想だけれど、女の子同士の濃密なコミュニケーションはそれをこじらせるほどの隙を与えない。気まずくなって口を利かなくともLINEのやりとりで何となく仲直りしてしまうわけで、男同士の冷淡さが男の妄想をこじらせ拡大させてしまうのとは大きな差異があるのだ。
 そんな意味ではこの作品はほどよい青春映画には収まっているのだが、突き抜けたところがない分ちょっと寂しい気も。松居監督の女性崇拝妄想(願望?)が、女の子が主人公になると妙な品のよさを見せてしまうのかもしれない。彼女たちのハァハァ(興奮? 胸の昂ぶり?)がそれなりの失望を味わうことになるというのも多くの人の共感を得やすい部分ではあると思うのだけれど、もっと壊してみてもよかったんじゃないかとも……。
 個人的な好みとしては橋本愛が主役を演じた『ワンダフルワールドエンド』なので、そんなことも思った。『ワンダフルワールドエンド』も女の子たちの話だけれど、思いもよらない場所へとたどり着いてしまう話だったから。

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Date: 2015.09.18 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『ヒューマン・ハイウェイ』 ニール・ヤングのおバカ演技はファンには必見?

 ニール・ヤングが自己資金を投じ、監督・主演と務めたインディペント映画。
 オリジナル版は1982年の製作だが、今回の≪ディレクターズカット版≫は2014年にトロント映画祭で上映されたもの。

『ヒューマン・ハイウェイ』 ニール・ヤングの映画。いかにもセットっぽい雰囲気。

 ニール・ヤングは70年代から今に至るまで活躍し続けている稀有なミュージシャンだ。私自身はだいぶ遅れてたまたま「Harvest」という名盤を聴いてはまってしまった。そんなわけでリアルタイムで聴いたわけではないのでそれほど詳しくはないのだけれど、その影響は幅広いのだろうと思う。
 ニルヴァーナのカート・コバーンが、ニール・ヤングの歌詞を遺書に記していたのは有名な話。最近の邦画『日々ロック』でも、二階堂ふみ演じる病気になったミュージシャンが引用するのが「It’s better to burn out than to fade away(徐々に色あせていくくらいなら、いっそ燃え尽きたほうがいい)」というニール・ヤングの歌詞だった。また、ポール・トーマス・アンダーソンが70年代を描いた『インヒアレント・ヴァイス』では、主人公の造形(あのモミアゲとか)はニール・ヤングを参考にしたということで、70年代を象徴する人物のひとりなのかもしれない。

 そんなニール・ヤングがなぜ映画を製作したのかと言えば、「新鮮さを保ち、音楽を客観視するためにも、音楽以外のなにかをやる必要があった」(自伝より)というわけで、息抜きみたいなものだったらしい。とにかく製作費を自分で出しただけあって好き勝手にやっていて、楽しんでいるのがよくわかる(『ブルーベルベット』で本格復帰する前のデニス・ホッパーも登場する)。
 ニール・ヤングは映画のなかでライオネルという整備工を演じているのだが、このキャラがあまりに間が抜けていて「キャリアを絶たれてしまう」とまで心配されたらしい。たしかにロック・ミュージシャンとはまったく見えない、薄汚れたオタクキャラに最初はどれがニール・ヤングなのかと探してしまったほどバカ演技に徹している。YouTubeで見る昔の映像や、クレイジー・ホースとのツアーを追ったドキュメンタリー『イヤー・オブ・ザ・ホース』ジム・ジャームッシュ監督)のイメージともまったく違うのでかなり戸惑う。
 それでも「Hey Hey My My」DEVOと共に演奏して大暴れするあたりは楽しいし、ライオネルの夢のなかでの「Goin' Back」は聴かせる部分になっていると思う。ニール・ヤングは夢の部分に不満を抱いていて、そこを修正する作業をしていたようだから、この≪ディレクターズカット版≫はその辺が変更されているのかもしれない。自伝には『ヒューマン・ハイウェイ』のことが何度も登場するし、1982年の作品を掘り返してくるくらいだから、ニール・ヤングにとっても愛着のある映画なのだろう。

 ニール・ヤングには政治的な歌もあるし、この作品には“原発反対”みたいなメッセージも感じられなくもない。原発作業員たちを演じるDEVOの面々は、放射能汚染で赤く光っているのに、それを誰も気にしていない。そんなDEVOが演奏するのが「Worried Man」。「心配性の男が心配してる。だけどそれも長くはない」みたいな歌詞で、ブラック・ユーモアとも言えるだろうが、そんなことよりも能天気なパフォーマンスがとてもクセになる。



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Date: 2015.09.16 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『天使が消えた街』 3人の天使とそれに対するアプローチ

 『バタフライ・キス』『ひかりのまち』などのマイケル・ウィンターボトム監督の最新作。
 この作品はある事件が題材とされている。2007年に起きた「アマンダ・ノックス事件」だ。公式ホームページによれば、この事件はイギリス人留学生がノドを切り裂かれて殺害されたもの。それだけでも扇情的なネタだが、逮捕されたアマンダ・ノックスが若く美しい女性だったため、事件とは別のゴシップなどが世間を賑わせることになった。裁判の結果は二転三転したものの、最終的には2015年3月に無罪が言い渡されたのだが、真相のほどはどうやらあやしいものらしい。

マイケル・ウィンターボトム 『天使が消えた街』 左上がカーラ・デルヴィーニュ。ちょっと悪魔っぽいような……。

 映画では舞台をイタリア・トスカーナ州の古都シエナに変更したり、登場人物の名前が変更されていたりもするものの、一応は事件を追う形になっている。映画監督トーマス(ダニエル・ブリュール)が事件を追った本(『天使の顔』)を書いたジャーナリストのシモーン(ケイト・ベッキンセイル)と会うところから始まる。それから控訴審を取材していくが、事件に興味を抱いてこの映画を観た人は、遅々として進まない犯人探しにイライラするかもしれない。とはいえ、この作品は謎に包まれた事件を前に悩む映画監督が主人公なのだ。

 そんなわけで事件に関してはこの作品だけではよくわからない。被害者エリザベスのルームメイトだった留学生ジェシカが逮捕され、一審では有罪とされたジェシカが控訴審で無罪を主張しているということはわかる。それでもなぜエリザベスが殺されたのか、なぜジェシカはその事件に関わっているのか、そのあたりの謎は解けない。さらにジェシカの恋人やもう一人の逮捕者なども登場してくるわけで雑然としているのだ。
 トーマスの仕事は行き詰まりを見せ、同時に彼の私生活での行き詰まりも明らかになってくる。トーマスは離婚した妻と親権問題を抱えていて、公私ともに厄介事を抱えているのだ。そして現実逃避なのかドラッグに手を出し、『天使が消えた街』という作品はトーマスの夢にも浸食されて事件の真相からは遠のいていく。

◆作品に対するアプローチ
 映画監督トーマスは悩みながらも、事件に対するアプローチを検討していく。トーマスというキャラはウィンターボトムがモデルになっているのだろう。『いとしきエブリデイ』のときにも書いたけれど、ひとりの監督のものとも思えないくらい多彩な作品で様々なアプローチを試みているのがほかならぬウィンターボトムだから。ちなみに前作『イタリアは呼んでいる』(未見)はグルメ紀行だというから、ウィンターボトム作品の多彩さがよく表れている(今回の作品はメタ・フィクショナルなアプローチだろう)。
 トーマスは事件の真相は不明のままで提示する方法を考える。しかし、この手法はかなりの冒険だ。たとえば「ウェスト・メンフィス3」と呼ばれる未解決事件を扱った『デビルズ・ノット』(アトム・エゴヤン監督)のように、観客としては何とも消化不良な印象ばかりが残る映画になるだろう。
 またダンテ『神曲』を下敷きにしたアプローチも検討する。ここでは人生半ばにして暗い森に迷い込んでしまうダンテの姿と、事件の迷宮を彷徨う映画監督の姿が重ねられている。ただ、トーマスは自分の娘をベアトリーチェ(通称:ビー)と名付けるほどだから、単純に自分の好きな文学作品に近づけているだけの自己満足とも言える。観客が望むのは真犯人という答えであり、美しい犯罪者の秘密といった下世話なネタである。そんな路線からはほど遠いトーマスのアプローチは製作陣に却下されることになる。

『天使が消えた街』 ラストのエリザベスの微笑。背景が『モナ・リザ』のそれと似ている?

◆“天使”のような女たち
 事件の加害者(ジェシカ)と被害者(エリザベス)はよく似ている。どちらも留学生だし、栗色の長い髪で、その風貌がとても似通っている。シモーンが書いた『天使の顔』では、被害者エリザベスが“天使”とされたわけだが、事件が世間の注目を浴びて加害者ジェシカが実は無実かもしれないといった噂が飛び交うようになると、ジェシカが“天使”とされるようになる。
 そして、もうひとりの“天使”がメラニーという留学生だ(有名モデルのカーラ・デルヴィーニュが演じ、様々な表情を見せている)。メラニーはロケハンに来たトーマスの案内役になるわけだが、彼女は“天使”のようにも見えるし“悪魔”のような邪悪さも感じさせる。メラニーはトーマスにダンテの『新生』を教えて希望を示す一方で、裏社会に詳しいと自認するエドゥアルドとも親しくしている。そんな意味ではメラニーには二面性があるのだが、それはごく一般的なことでジェシカにしてもエリザベスにしても“天使”の部分も“悪魔”の部分もあるということだろう。最後は世間からは忘れられた被害者エリザベスへの想いへと傾くのだが、結局、映画は企画倒れに終わったわけで、そんな失敗の過程がこの作品となっている。

 現在のシエナにベアトリーチェが出現するというロケの雰囲気はいいのだが、ドラッグと夢に逃避したあとの現実への帰還があまりにあからさまだったのはいただけない。また、商業主義に流れがちな業界への批判を交えるのはいいのだけれど、愛の映画を撮りたいという心情だけの自己満足でまとめてしまったのはいささか性急な気もした。
 それでも最後にトーマスが思い描くエリザベスの微笑は、ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』の微笑のようにも思えて強い印象を残したと思う。エリザベスの背景が『モナ・リザ』に描かれた背景を思わせるからで、ウィンターボトムは意識的にイタリア的なものを借り出してきて締めくくったのだろうか。

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Date: 2015.09.11 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『夏をゆく人々』 終わったあとにじわじわとくる感じ

 第67回カンヌ国際映画祭のグランプリ作品。
 監督のアリーチェ・ロルヴァケルはイタリアの新鋭で、本作は長編としては2作目。ちなみに『眠れる美女』に出ていたアルバ・ロルヴァケルは彼女の姉とのこと。アルバ・ロルヴァケルも一家の母親役として『夏をゆく人々』にも出演している。

アリーチェ・ロルヴァケル 『夏をゆく人々』 長女ジェルソミーナと次女マリネッラのふたり。ジェルソミーナの顔には蜜蜂が……。

 養蜂家の父と娘が描かれるとなると『ミツバチのささやき』を思い出してしまうのだが、この作品は監督・脚本のアリーチェ・ロルヴァケルの自伝的要素を含んでいて、実際にアリーチェ・ロルヴァケルのドイツ系の父は養蜂を営んでいたようだ。
 『ミツバチのささやき』では少女が映画のなかのフランケンシュタインに魅せられていくが、『夏をゆく人々』では主人公ジェルソミーナが魅せられるのはテレビ番組「ふしぎの国」の女神様みたいなキャラクターだ。その女神をモニカ・ベルッチが演じている。海の泡のような白い髪ときらびやかな衣装で非現実的でとても美しいのだけれど、テレビという虚構の俗っぽさもある不思議なキャラだった。

 舞台はイタリア・トスカーナ地方。ジェルソミーナの家族は頑固親父のヴォルフガング(サム・ルーウィック)を中心に、母親と4人の娘と居候の叔母という構成。父親のお気に入りは長女ジェルソミーナ(マリア・アレクサンドラ・ルング)なのだけれど、彼女は大人になりかけの時期で、田舎の暮らしよりもほかの世界へと気持ちが動いている(テレビ番組「ふしぎの国」に出演したいと望むのもそんな気持ちから)。次女のマリネッラはちょっとぽっちゃりの母親大好きの甘えん坊。しっかり者の長女に比べると仕事をサボりたがるなまけ者でもある。下のふたりの妹はまだ幼く、ほとんど裸のまま夏を過ごしている。

 この作品ではある夏のジェルソミーナの体験が日記のように描かれていく。ジェルソミーナがこき使われる養蜂家としての仕事や、幼い妹たちがはしゃぎ回る水遊びなど、陽光溢れるイタリアの夏の生活がほとんど脈絡のない形で捉えられていく。ハチミツ作りでの大失敗も一時は大騒ぎになるけれどうやむやになってしまうし、ジェルソミーナが魅せられたテレビ番組への出演というイベントも、家族のいい思い出になったとも思えないまま終わる。
 一家には「少年更生プラン」のプログラムで、非行少年マルティンがやってきたりもするのだが、ジェルソミーナとマルティンの関係がとりわけクローズアップされるわけでもない。父親以外男手のない一家では、父親から頼りにされるマルティンという男手に対するジェルソミーナの嫉妬もあるし、その反面で強権的な父に対する反発もあって、ジェルソミーナの父親に対する複雑な感情も仄めかされる。ただそれでいてジェルソミーナの感情に寄り添うというよりは、どこか観客の感情移入を拒んでいるようにも思える。これはなぜなのだろうか?

『夏をゆく人々』 父親のヴォルフガングとまだ幼い下の妹たち。右端には母親役のアルバ・ロルヴァケル。

 この土地の近くには古代エトルリアの遺跡があり、そこが劇中のテレビ番組のロケ地となっている。エトルリアの遺跡は2000年以上も前のものだそうだ。ジェルソミーナ一家はその近くで伝統的な養蜂業を営んでいる。父親ヴォルフガングの意向で昔からの製法を守り続ける一家の生活にも変化はやってくる。近くの農地で使われた農薬で蜂がやられ、役所の規制は衛生面などに配慮した施設を要求してくる。一家の昔ながらの生活も長くは続かないのだ。
 エトルリア遺跡の洞窟でのジェルソミーナとマルティンの夜のシーンでは、映画は急に夢・幻のような雰囲気を漂わせる。洞窟の壁に映るふたりの影は、プラトンの「洞窟の比喩」の話を思わせる。われわれが見ていると思い込んでいるものは、「実体の影」にすぎないというわけだ。洞窟から家に戻ったジェルソミーナを家族一同が迎えることになるが、そうした家族団欒すらもすべて夢だったかのように思わせるラストは、“時の流れ”を一瞬にして感じさせて見事だったと思う。(*2)
 エトルリアの人々が遺跡だけを残して消えていったように、ジェルソミーナたちが去ったあとには廃墟のような邸宅だけが残されている。ラストでこれまで描かれてきたことがすべて過去のことだったと明らかにされるのだ。
 ただ、この視点は成長したジェルソミーナが過去を振り返っているというわけではないだろう(そうだとすればもっとノスタルジックなものになる)。個人の視点というよりは、“時の流れ”を超越したような存在からの視点と思えるのだ。だからジェルソミーナの様々なエピソードも、どこか感情移入を拒むような描き方になっていたのだ。少女の夏の出来事という形式を採用してはいても、主題は“時の流れ”のほうにあったからこその手法の選択だったのだろうと思う。

(*1) 映画のなかには時代背景を示すものはあまりない。公式ホームページによれば、ジェルソミーナとマリナッラが踊るヒット曲(曲名は不明)は90年代のものとのことで、90年代が想定されているのかもしれない。

(*2) カメラがパンするだけで時の流れを表現するというのは、アンゲロプロスの作品などではもっと優雅な感じで披露されていたように記憶しているが……。

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Date: 2015.09.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『懲罰大陸★USA』 容赦ない政府批判の声を

 『傷だらけのアイドル』で知られるピーター・ワトキンス監督のフェイク・ドキュメンタリー。その衝撃的な内容に公開当時(1971年)、4日で公開が打ち切りになったという作品(テレビで放映されたこともないとのこと)。日本での公開ももちろん初めて。
 原題は「PUNISHMENT PARK」

ピーター・ワトキンス 『懲罰大陸★USA』 砂漠でのゲームは警官たちの訓練も兼ねている。


 1970年、アメリカ政府は政府転覆を企てる破壊分子とみなした者たちを一方的に拘束していく。彼らはほとんど理由もなしに逮捕され、裁判を受けさせられ、懲役刑とされることになる。しかし、もうひとつの選択肢もある。それは懲罰公園と呼ばれる砂漠でのゲームに参加することだった。

 これは偽のアメリカの姿であるが、いかにもドキュメンタリー風に撮られている。アメリカ政府は自分たちの政治体制を疑わず、何も隠すべきことなどないという判断から、撮影スタッフが入ることが許され一部始終を撮影しているという設定なのだ。
 この作品は拘束された破壊分子たちが受ける裁判の様子と、その後の懲罰公園でのゲームが交互に描かれる。裁判の場面では矯正集団638と名付けられたグループが裁かれ、懲罰公園では矯正集団637グループがゲームに参加している。その両方を同時進行で描いていく。矯正集団に連番が付されているのは、これまで600を超えるグループが同じ裁きを受けているということだろう。
 懲罰公園でのゲームは単純だ。砂漠のなかを85キロほど先にあるアメリカの旗が掲げられたゴールまで辿り着けばいい。ただコースを外れてはならないし、一定時間を越えると警官たちが後を追うことになる。そして捕まってしまえば、長い長い懲役刑に服することになるというのだが……。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

 ゲームに参加した反体制側の者たちが次第にいくつかのグループに分かれていくのは、同時期の日本の新左翼が細かい主義の違いによって分裂していく様子にも思われた。「暴力的にならないと政府は動かない」としてある場所に留まって体制側と戦うべきだと考えるグループもあれば、ゴールに辿り着く可能性があるのならば先を急ぐべきだと考えるグループもある。暴力に訴えるのが気が引けるのも確かだが、体制側の決めたルール(つまり懲罰公園でのゲーム)のなかで生きていくことが本当に彼らの勝ちになるのかといった疑問も生まれてくる。
 しかも政府は嘘つきである。中間地点に用意されているはずの飲み水はないし、警官たちが暴力は使わないというのもあくまで彼ら反体制側が指示に従えばという条件付きである。さらに政府側はそれまでのルールを変更する権力までを握っているわけで、反体制側に勝ち目はないのかもしれない。
 政府が嘘つきだとか、ゲームのルールを変更する権力を握っているという指摘は、アメリカだけではなく今の日本にも当てはまることだろう。この映画の直接的な訴えは裁判の場面によく表れている。設定自体にリアリティがあるとは言えないけれど、裁判場面での体制側と反体制側のやりとりはとても熱を帯びたものになっている。40年以上前の映画だけれど、未だ古びていないメッセージがあったと思う。



Date: 2015.09.03 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)
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