『ナイトクローラー』 人の血を求めるヴァンパイアの一種

 監督・脚本は『落下の王国』や『ボーン・レガシー』の脚本を務めていたダン・ギルロイで、今回が初監督作品。
 主人公ルーにはジェイク・ギレンホール。いつもなら二枚目のギレンホールだが、痩せこけて不気味な雰囲気を漂わせている。テレビ局のディレクターを演じるレネ・ルッソは監督ダン・ギルロイの奥様だとか。
 
ダン・ギルロイ 『ナイトクローラー』 主人公のルーを演じるジェイク・ギレンホール。何となくドラキュラを思わせるような……。

 最近では、素人が携帯のカメラで撮影した事件や出来事がニュース映像として流されることも多い。そうした映像が視聴者に求められているということなのだろう。とは言っても、突発的な事故がテレビ局のカメラが現場に到着するまで待っていてくれるわけではないわけで、アメリカではそんな凄惨な映像を狙って夜通し街を徘徊するような職業が存在するらしい。彼らの多くはフリーランスで、撮れた映像の衝撃度合いで金額を交渉する。
 買う側のテレビ局も視聴率を稼ぐために必死だから、さらに衝撃的な映像を求める(アメリカの一部のテレビでは、警告を出しつつ凄惨な映像を流すらしい)。フリーランスの“ナイトクローラー”たちは会社組織に属していないために、歯止めをかけるものがない。アクセルだけの車みたいなもので、会社組織のようにブレーキ役をする者はいないわけで、彼らは報道の領域を踏み越えていくことになる。

 もともと主人公のルー(ジェイク・ギレンホール)は法を守るという意識は薄い。夜を徘徊してコソ泥をするのが彼のなりわいだったわけで、警備員に見つかれば殴り倒して時計を奪うことくらいのことはやってのけるのだ。“ナイトクローラー”という職業は交通事故で瀕死の人にカメラを向けたりもするわけで、彼らの命よりも血にまみれた凄惨な絵を撮ることが優先される。見栄えをよくするためにちょっとだけ死体を移動させてみたり、強盗犯の情報を知っていてもそれを自分のために利用するのも厭わない。
 ルーが倫理感に欠けるのは、彼がテレビとネットの情報のなかで生きてきた人間だからだ。彼にとっては現実世界よりも映像としてフレームに切り取られたもののほうがリアルに見えるのだ。倒錯的かもしれないけれど、近所で目撃した事件をニュースとして見ることで初めて事実として認識するということは誰でもやっているわけで、それほどルーのことを異常だとも言い切れない。

 ※ 以下、ネタバレもあり。

『ナイトクローラー』 ルーは救護の名目で強盗にあった邸宅に忍び込み惨劇を撮影する。

 悪いやつらが最後に破滅していくのが勧善懲悪を旨とするハリウッド映画だが、『ナイトクローラー』はルーのサクセスストーリーになっているのがおもしろい。ネットで聞きかじった成功哲学によって武装したルーは、実際に仕事の覚えが早く、警察無線の符丁なども学んで、誰よりも早く真っ赤なダッジチャレンジャーで現場へ急行することを実践していく。ルーは努力家なのだ。地元のテレビ局のニナ(レネ・ルッソ)からは視聴者が望む映像を学んで、確実に成功を手中に収めていく。
 ルーにはほとんど葛藤もないし、怒りを表すこともない。はした金で雇っていた助手(リズ・アーメッド)が欲を出してルーとギャラ交渉をしたときも、彼を動かす方法を考えているし、あわよくば邪魔者としてうまく片付ける方途も探っている。
 そんなルーが一度だけ狂気の片鱗を見せるのが、鏡の前で歪んだ顔で絶叫する場面。この場面は作品全体からすると幾分浮いている感じで、いつものルーは冷静に状況判断をしている(ちなみに『キネマ旬報』によれば、この場面はギレンホールのアドリブだったようだ)。計算高く人の道に外れたことをやっているわけで逆に怖いとも言える。
 もしかするとこの映画ではルーは人間としては描かれていないのかもしれない。冒頭とラストには大きな月が顔を覗かせている。そんな夜に痩せて落ち窪んだギレンホールの目が暗闇のなかであやしく光る。どこか怪奇映画の雰囲気もあり、事件を追っていない場面での彼の歩き方はほとんどゾンビめいている。ルーを焚き付けてエスカレートさせていくニナとの場面では、ふたりの姿はヴァンパイアに見えるのだ(ニナのどぎついメイクもあってそんなふうに見えるのかも)。人の血を求めているという意味では、“ナイトクローラー”もヴァンパイアも似た種族と言えるわけだし……。

 最後にはルーがお膳立てした舞台設定のもとに、突発的な事件がカメラの前で生じることになる。観客としては何だかんだ言ってもドキドキしながらその瞬間を待ってしまうわけで、やはり衝撃映像というのは世間が求めてしまう見せ物なのかもしれない。そんな欲望が“ナイトクローラー”という職業を支えているということになるわけだが。
 新たな設備投資で新事業を展開していく際のルーの演説がすごい。「自分がしないことは君たちにはやらせない」と偉そうに言うのだが、これはもちろん悪い冗談でしかない。エンドクレジットの音楽も妙にポップな印象で、皮肉が効いていたと思う。

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Date: 2015.08.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (11)

『自由が丘で』 加瀬亮主演のホン・サンス映画

 ホン・サンス監督の最新作。
 昨年12月に劇場公開され、先月末ごろDVDがリリースされた。
 昨年は3本のホン・サンス作品が劇場公開された。以前に取り上げた『ソニはご機嫌ななめ』と、劇場には行きそびれた『ヘウォンの恋愛日記』、そしてこの『自由が丘で』だ。
 ちなみに『ヘウォンの恋愛日記』もすでにDVDがリリースされている。『ヘウォン』も相変わらずのホン・サンス節なのだが、同時期に公開された『ソニはご機嫌ななめ』よりも、より自由で楽しそうでもある。『ソニはご機嫌ななめ』の主演チョン・ユミよりも、『ヘウォンの恋愛日記』の主演チョン・ウンチェのほうがお気に入りだからなのかもしれない(撮り方にそんな感じが表れているような)。チョン・ウンチェは『自由が丘で』にもちょっとだけ顔を出している。

ホン・サンス 『自由が丘で』 加瀬亮主演の韓国映画。


 主人公の日本人モリ(加瀬亮)は年上の韓国人女性クォン(ソ・ヨンファ)に会いにソウルへやってくる。しかしクォンはそれを知らない。玄関にメモを残したり、家の前で待ち伏せをしたりするものの彼女は一向に現れない。クォンが好きだった「自由が丘8丁目」という喫茶店でゆっくり読書などをして時間を潰しているうちに、そこの女主人のヨンソン(ムン・ソリ)と懇意になってしまう。

 冒頭、クォンの勤める語学学校に手紙が届いている。それはモリからの手紙だった。突然の愛の告白みたいな文章にクォンはよろめいて手紙を階段に落としてしまい、その順番はデタラメになってしまう。そんな手紙を読み進めると共に物語は進んでいく。
 この作品は手紙の順番と同様に、時間も前後しつつ進行していく。たとえば、喫茶店の女主人ヨンソンと酒を飲み交わすエピソードのあとに、ふたりが仲良くなるきっかけである迷い犬のエピソードへと時間を遡ったりするわけで、観客としてはちょっと混乱する。
 ちなみにモリが読んでいるのは吉田健一『時間』というエッセイ。この本は難解で途中まで読んではみたものの理解にはほど遠いのだが、ごく簡単に要約すれば時間には現在しかないということになるらしい。未来は存在しないし、過去というものがあったと考えるのも人間の妄想に過ぎない。過去があって、現在があり、未来がやってくる。そんな直線的な時間というものは否定されているわけだ。
 そんなわけでここでは因果関係を無視して、唐突にエピソードだけが示される。エピソードには夢や妄想らしきものが交じっていたりもする。人間が夢を見ているときはそれを夢とは思わないし、妄想のなかに浸っているときも同じで、それを体験している現在においては、それは現実と変わらない質感を持つものとされているのだろう。

 ※ 以下、ネタバレあり。 ラストにも触れていますのでご注意を!

『自由が丘で』 主人公のモリ(加瀬亮)は常に『時間』の文庫本を持ち歩いている。

 この作品を観終わったときには、モリがクォンに再会するハッピーエンドかと一瞬は考えた。ラストにヨンソンとのエピソードが加えられているのは、クォンが拾い忘れた手紙に書かれた内容なのかもしれないと推測した(こっちの解釈も決して間違いではないだろう)。
 しかしDVDを観直してみるとちょっと違うように思えてくる。というのは、手紙はクォンがそれを受け取る一週間前の消印になっているからだ。一週間以上前に書かれた手紙にモリがソウルで過ごした日々が記されているわけだから、クォンが手紙を読んでいるのはモリのソウル滞在のすべてが終わったあとのことのはずなのだ。多分、モリはすでに日本に帰ってから手紙を出しているのではないだろうか。
 ホン・サンスはクォンが手紙を読む場面の間に挟み込むようにモリのエピソードをつないでいる。その流れで手紙を読んでいたクォンがモリに会いにきたと観客に思わせてしまうのだが、ソウル滞在中にモリが手紙を書くシーンもないし、愛しい人に出す手紙にほかの女(ヨンソン)と寝たという話をわざわざ書くというのもいかにも奇妙なのだ。
 クォンとモリの再会の場面は、モリの夢に過ぎないのだろう。再会したふたりがあっという間に日本に去っていき、ふたりの子供に恵まれたという結末はいかにも空々しい。しかも、そのシーンはモリが宿で目覚めるシーンへと引き継がれるわけで、ここでも再会は夢だと示されている。
 結局、この映画はクォンには会えなかったモリの別れの手紙みたいなものだったのかもしれない。だとするとモリのキャラもかなり嫌なやつにも思えてくるし、妙に明るい終わり方なのは観客を煙に巻くためなのかもしれない。やはりホン・サンスの映画は油断ならないところがあるなあと思う。

 ホン・サンス作品に特徴的な「ホン・サンス・ズーム」だが、この作品ではズームアップ(ズームイン)だけでなくズームバック(ズームアウト)も多用していて、より自由度を増している。67分の小品だけれど色々なアイディアが詰まっているし、主役は日本の加瀬亮ということもあって、ホン・サンスが初めてな人にも取っ付きやすい作品ではないだろうか。

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Date: 2015.08.25 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『祖谷物語-おくのひと-』 “祖谷”と書いて「いや」と読みます

 監督は84年生まれの蔦哲一朗。ちなみに蔦監督の祖父は、甲子園でお馴染みだった池田高校の蔦文也監督(こちらは野球の監督)とのこと。
 昨年劇場公開され、今月になってDVDがリリースされた。
 この作品に興味を持ったのは、以前たまたま祖谷を訪れたことがあったから。映画のなかにも登場するかずら橋を見てカラフルなバスにも乗ったけれど、たかが観光なのでほとんど知らないのと同じなのだが、公式ホームページなどによると祖谷(いや)は「日本最後の秘境」とか呼ばれているとか。

蔦哲一朗 『祖谷物語-おくのひと-』 春菜を演じた武田梨奈。お爺を探して雪山を駆け回る。

 徳島県の山奥・祖谷に住むお爺(田中泯)は、事故に遭ってひとり取り残された子供を拾う。長じて高校生になった春菜を武田梨奈が演じている。武田梨奈はアクション女優として活躍しているそうで、セゾンのCMにも登場している。最近では『進撃の巨人』にも顔を出していた。イチャつくカップルとして登場し、相方が殺されると空手仕込の蹴り技を炸裂させてちょっとだけ見せ場を作っていた。
 武田梨奈がこの『祖谷物語-おくのひと-』の主役に選ばれたのは、起伏が激しい山のなかを駆け回る役回りだったからだろう(雪のなかをセーター一枚で走り回り、頬を染めるあたりがとてもいい)。祖谷の土地は勾配が急で、カメラで撮られた映像はどこに水平面があるのかよくわからなくなるような感覚だ。東京のような平野とは違う世界なのだ。後半では東京も舞台となるのだが、そこでも春菜は祖谷を懐かしむようにビルの屋上の際に腰掛けて下を見下ろす位置にいる。

 お爺の存在は、祖谷の自然の化身なのだろう。背中に苔が生えてくるというのもそのことを示しているし、お爺に拾われた春菜が「オオカミ少女」と呼ばれていることからもそんな推測が成り立つと思う。
 ちなみに「オオカミ少女」とは「オオカミ少年」の女の子版のことではないわけで、オオカミに育てられた少女ということだ。昔は教科書にも出ていたこともあるという「アマラとカマラ」の話が有名だ。『オオカミ少女はいなかった』という本によると、「アマラとカマラ」の話自体は嘘だったらしいのだが、人間の子供がオオカミやほかの動物に育てられたという伝説の類いは世界各地にあるとのこと。この作品ではお爺はオオカミの役割を果たしていて、春菜は自然の化身に育てられた少女だということだ。
 お爺はその辺の石や木みたいにしゃべることをしない。そんなお爺が珍しく興味を持って見つめるのが、都会からドロップアウトして祖谷に逃げ込んだ青年工藤(大西信満)だ。お爺は農作業を始めた工藤のことをただ見つめている。それだけなのだがお爺は工藤の素質みたいなものを感じているのだろう。工藤は山のなかで動物のように木の実か何かを食いながら生活していくようになっていく。

『祖谷物語-おくのひと-』 お爺(田中泯)は死期が近づいたのか山へ還ろうとする? 田中泯は歩き方からして異彩を放っている。

 後半に役者として河瀨直美が登場してくるのは、その手法を意識しているからなのだろうか。この作品はドキュメンタリー的な手法を交えて進行していく(ちなみに次回作は、祖父・蔦文也を追ったドキュメンタリーだとか)。地元の村人が役者として登場するし、害獣駆除のシーンなどは、地元の猟友会に撮影クルーが同行して撮影されている部分があるように見える。しかし、お爺の背中に苔が生え出す中盤以降にはファンタジックな色合いが濃くなっていく。
 地元のおばあさんが手作りしていたカカシが動き出し、お爺が春菜を育てた家は自らを折りたたむようにしてつぶれていく。以降、この家は二度と登場しないところに鑑みると、あの家自体も狐や狸に化かされた幻だったのかもしれない(『雨月物語』の屋敷が消えてしまったように)。

 祖谷は山深い。この作品はその自然を35ミリフィルムで捉えている。『羅生門』を思わせる森のなかの横移動撮影とか、最後には山全体を捉えた空撮などもあり、祖谷の美しい自然を見事にフィルムに収めていて陶然とさせるところがある。
 そんな祖谷にも開発の波はある。元からの住民たちは便利さを選ぼうとするが、外部からやってきて新たに自然を発見した外国人グループは自然保護を訴える。彼らは資本主義に毒された都会のサイクルを“悪循環”だと考える。そして、その反対の自然のサイクルは称揚される。
 都会からやってきた工藤は、祖谷の山を彷徨っていると血のようなものを吐く。また、春菜も夢のなかで自分が祖谷にやってきたときのことを再び体験したあとで、血のようなものを吐く(春菜の両親と思われる人物は都会からやってきたようだ)。都会で汚れた身体が、祖谷の自然で浄化され、悪い血が吐き出されたということなのだろう。
 ここでは自然の浄化作用と汚れた都会の悪循環が対比されている。終盤、春菜は東京へ出て水を浄化する研究に励む。研究成果は経済が回ることを優先する資本主義の論理によって抹殺されることになるが、春菜はマリモみたいな成果物を隅田川に投下して水の浄化を図る。自然が育んだ春菜が、自然に恩返しをしているのだ。(*1)
 最後は都会で汚れたカカシを抱いて祖谷に戻ってくる春菜だが、そこで待っていたのはお爺のように自然と同化した工藤の姿だった。お爺=自然に育てられた春菜が、その自然に恩返しをするというのは、鶴の恩返しみたいなおとぎ話めいたものを感じるが、すべてが自然の手の平のなかの出来事でもあり、この作品の主人公は自然そのものだとも言えるのかもしれない。何はともあれ169分の長尺を気にせずに観るべきだと思う。そんな稀有な作品だ。

(*1) その恩返しが都会を迂回しなければならないのは、最先端の科学技術へのアクセスのしやすさよりも、蔦監督が影響を受けたという宮崎駿『風の谷のナウシカ』(特に漫画版)の腐海と人間たちの関係が意識されているからだろうか(漫画版をちゃんと読んでないので勝手な推測だが)。

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Date: 2015.08.19 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『彼は秘密の女ともだち』 普通の男ではもう物足りない?

 『まぼろし』『8人の女たち』のフランソワ・オゾン監督の最新作。

フランソワ・オゾン 『彼は秘密の女ともだち』 赤毛のクレール(アナイス・ドゥムースティエ)とその向こうにはダヴィッド=ヴィルジニアが。


 主人公クレール(アナイス・ドゥムースティエ)には運命的なものさえ感じたローラという女ともだちがいた。しかし、ローラは病に倒れ、若くして亡くなってしまう。クレールは残された夫ダヴィッド(ロマン・デュリス)と子供を守ることをローラに約束する。しばらくして訪ねたローラの家で、クレールは女装してミルクを飲ませているダヴィッドの姿を見てしまう。

 「彼は女ともだち」という奇妙な題名は、ダヴィッドが実は女装趣味を持つ男だったということからで、この作品はトランスジェンダーを題材としている。監督のフランソワ・オゾンはゲイであることを公表していて、作品にも同性愛がテーマとして取り上げられることも多いが、今回は女装である。ダヴィッドは女装をしていても性的対象としては女性を好むというあたりは、グザヴィエ・ドラン『わたしはロランス』を思わせる。
 同性愛とトランスジェンダーはまったく違うものなのだろうが、「LGBT」といった言い方もあるし、性的マイノリティという意味で近しい位置にあるものなのかもしれない。ただ、この作品でも「女装よりもゲイのほうがマシ」という台詞もあって、同性愛よりも女装のほうがより困難な立場なのかもしれない。
 ちなみに女装趣味に関しては、オゾンの処女短編である『サマードレス』でもすでに描かれている(『海を見る』のDVDに所収で今回初鑑賞)。『サマードレス』では、ゲイカップルの片割れがたまたまサマードレスを着る破目に陥ると、ゲイのふたりがなぜか急に燃え上がってしまうという話だった。『サマードレス』では「Bang Bang」という曲が印象的に使われている。この曲はドランの『胸騒ぎの恋人』でも使われていたわけで、ドランは先輩であるオゾンに対するオマージュとしてこの曲を使っていたのだろうか。

 ※ 以下、ネタバレあり。ラストにも言及しています。

『彼は秘密の女ともだち』 ダヴィッド=ヴィルジニアを演じたロマン・デュリス。

 『彼は秘密の女ともだち』は女装趣味の男が描かれているけれど、それよりもクレールが新しい女ともだちを得ることで変わっていくところがキモだろう。ローラとクレールの関係は、ありがちな金髪と赤毛の関係を踏襲していて、赤毛のクレールは金髪のローラに憧れている(子供時代のふたりの姿はフランス人形みたいだった)。それがローラの死をきっかけに変わらざるを得なくなる。
 クレールは自らの憧れの存在を喪ったけれど、ローラの旦那ダヴィッドが新しい女ともだちになると、クレールのほうが憧れられる存在になっていく。女装趣味のダヴィッドにとって女性は常に先生のようなものだからだ。クレールはヴィルジニア(女装したダヴィッドの名前)という女ともだちを得たことで、クレール自身が女性として輝きを増していくのだ。
 クレールには素敵な旦那ジル(演じるラファエル・ペルソナはいかにも二枚目)もいる。それでもジルはごく普通の異性愛者で、会社で昇進することが喜びというまっとうな社会適合者だ。妻が赤いドレスを着てハイヒールを履いたからって、その姿を女ともだちみたいに関心を持って見てくれるわけではない。クレールにとっては他愛のないおしゃべりができる女ともだちが必要だったということだろう。

 ここまでは女同士は素晴らしいといったことでもあり、それは男なんかいらないという話でもあるのかもしれない(前作『17歳』でも主人公の少女が憧れるのは女性だった)。逆に言えばゲイにとっては、女なんていらないということでもある。ただ、クレールとダヴィッドは女ともだちだけの関係ではない。ダヴィッドは女装好きでも性的対象は女性で、クレールを性的対象としても愛しているからだ。
 クレールとしてはダヴィッドをそのまま受け入れるのは簡単ではない。事故に遭ったダヴィッドがヴィルジニアとして復活するというアクシデントを経て、ラストでその後のふたりの関係が示される。旦那のジルがどうなったのかはわからないのだけれど、ヴィルジニアは女装というかほとんど中性的な印象で、寄り添うクレールと共に自然に地域社会に溶け込んでいる。ふたりの間に入るフランス人形のような子供も、そんな関係をごく当たり前なものとして受け入れているようだった。

 フランスでは同性愛者の結婚が法律で認められたときには、反対する保守的な人々の声も強かったようだ。『キネマ旬報』のインタビューでは、オゾン監督はこの作品はそうしたことに対する政治的なメッセージとしてもあると語っている。ただ闘争的なメッセージというよりは、おとぎ話として楽しめるような作品になっていると思う。
 ダヴィッド=ヴィルジニアを演じたロマン・デュリスは、男くさい感じを完全には消しきれてないのがいい。仕草は女性的なのだけれど、アゴあたりの隠しきれない感じが妙にリアル。

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Date: 2015.08.15 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『奪還者』 他人を押しのけてまで生きたい理由とは?

 「『マッドマックス』以来の最高の世紀末映画!」タランティーノからお褒めの言葉をいただいている作品とのことだが、劇場はガラガラだったからあまり話題にはなっていないらしい。
 監督は『アニマル・キングダム』が絶賛されたデヴィッド・ミショッド(『アニマル・キングダム』は今回DVDで鑑賞したが素晴らしかった)。



 オーストラリアを舞台にしたある種の世紀末を描くというあたりは『マッドマックス』を思わせなくもない。ただ『マッドマックス』のような熱狂はなく、『奪還者』はひたすらに重苦しいために観客を選ぶ作品でもあるだろう。
 『奪還者』の世界も『マッドマックス』と同じように、かつての秩序はすでにない。この世界では経済が破綻して、人々はそれぞれに銃で自らの身を守るという状況にある。主人公のエリック(ガイ・ピアース)はかつて不倫をした妻とその相手を殺害したのだが、警察組織がなくなったのか逮捕されることもない。殺人という大罪を犯したにも関わらず、その罪を贖わせるべき社会が機能していないのは、エリック本人にとっても予想外だったようだ。もう人生が終わったものと覚悟していたのに、さらに生かされることになったわけで呆然としているのだ。
 冒頭、エリックが車のなかで佇んでいる。ただ空虚を見つめているといった風情はエリックが抱える深い絶望を予感させる。そんなエリックだが自分の愛車を強盗たちに奪われたことで、突然目覚めたように行動に移る。愛車を取り返すという一念だけがエリックを動かしている。一度は強盗たちに返り討ちに遭うものの、追跡の途中で強盗たちの仲間レイ(演じるロバート・パティンソンは傷ついた子犬みたいだった)を見つける。レイは強盗の際にケガをして見捨てられたのだ。エリックはレイを脅し、愛車を奪ったレイの兄たちを追跡することになる。

デヴィッド・ミショッド 『奪還者』 エリック(ガイ・ピアース)はレイ(ロバート・パティンソン)に道案内をさせる。

 エリックがなぜそこまで愛車に執着するのかはわからない。とにかくエリックにとってはその目的だけがすべてで、もはや善悪の見境はない。銃を買おうとしてオーストラリアドルを拒否されると、ためらいもなく売り手を撃ち殺してしまうし、旅の過程でエリックを邪魔するものは次々と死体となって転がることになる。
 一方のレイは家族である兄に見捨てられたことを信じられないでいるが、エリックと行動するうちにそうした狂った世界で生きていく術を学んでいく。「闘わなければ死ぬぞ」というのがエリックの教えだ。

 デヴィッド・ミショッドの前作『アニマル・キングダム』でも、主人公の青年は動物のような弱肉強食の環境のなかに投げ込まれ、良くも悪くもその環境に適応していく。『アニマル・キングダム』では家族が窃盗団という状況で、家族といることは悪に染まることだったが、他方には主人公を真摯に助けようとする正義漢の刑事(これもガイ・ピアースが演じている)もいた。しかし『奪還者』では、強盗団の兄にしても、「人生終わっている」エリックにしても、どちらもまともではない。というよりも世界が異常なわけだから、それに適応しようとすればまともでいられるわけもないのだ。
 レイは最後に兄を発見すると、その兄に銃を向ける。兄は「いったい弟に何をしたんだ?」とエリックに叫ぶ。エリックに感化されたレイはそれまでとは変わったわけだけれど、かつては悪い仲間でも信じるものがあったわけで、エリック側に寝返ることがよかったのかどうかは疑問だ。エリックが教えたのは真実かもしれないが、そうやって生きていくことはかなりきついことだからだ。
 エリックは関係のない他人を殺してまで生き残り、なぜ愛車を取り戻したかったのか。それはラストで明らかにされる。しかし、それに観客の多くが納得させられるかどうかはわからない(人間的だとも言えるけれど)。そうまでした結果が途轍もなく虚しいものだと感じさせられることになるかもしれない。事を成し遂げたあとにエリックが見せる涙はそうした類いのものだったようにも思えるのだが……。

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Date: 2015.08.11 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

荒井晴彦 『この国の空』 わたしが一番きれいだったとき

 『さよなら歌舞伎町』『海を感じる時』の脚本家・荒井晴彦の監督作品。荒井晴彦が監督業をするのは、『身も心も』以来18年ぶりとのこと。
 原作は高井有一が1984年に谷崎潤一郎賞を受賞した同名小説。

 この作品は昭和20年3月から始まり、同年8月14日(つまり終戦の前日)で終わる。今年の夏は戦後70年ということで、戦争を扱った映画がいくつも公開されているが、『この国の空』もそんな1本である。ただこの作品は戦争を直接扱っているわけではなく、銃後の生活が描かれていく。
 舞台は東京都杉並区で、戦時下で防空壕が掘られたりもしているが、かろうじて普通の生活が営まれている。3月10日の東京大空襲では下町で10万人が亡くなったということだが、西の杉並までは被害は及ばなかったようだ。杉並の中央線沿線にはバラックみたいな建物が並んだ飲み屋街が未だにあるが、それは戦災を逃れたからということだろう。

荒井晴彦 『この国の空』 里子を演じる二階堂ふみと、市毛役の長谷川博己。

 そんなわけでこの作品では母とふたりで暮らす里子(二階堂ふみ)と、その隣で妻子を疎開にやってひとりで暮らしている銀行員・市毛(長谷川博己)との関係が追われていく。銃後の生活を描いた映画はあったかもしれないけれど、ほとんどが兵隊に取られた人を待っている側であったりして、銃後にあっても戦地に想い馳せている場合がほとんどだったように思える。そんな意味でもこの作品で里子が戦況に無関心に見えるのは珍しい。
 また、この作品は食べ物に関してのエピソードが多い。食べることが生きることだからだ。横浜の空襲から逃れて里子の家に転がり込んだ叔母(富田靖子)は、里子の母親とけんかをやらかす。そこで問題となるのは常に食糧に関してのことだ。里子が市毛の家で一夜を過ごすときも、トマトが敷居を跨がせるきっかけになる。
 そんな里子の心を占めているのは、空襲警報で眠れぬ夜を過ごす怖さでもなければ、ひもじい思いでもなければ、国に尽くそうといった愛国心でもない。母とふたりで暮らす日々の侘しさなのだ。死の恐怖が差し迫っていない場合、生の味気なさのほうが際立つのだ。
 里子は19歳だ。誰かの結婚の話を聞かされて、「里子もそろそろだね」なんてことを言われるものの、実際にはそんな相手はいない。若い男は戦地に取られ、子供たちは疎開させられる。残ったのは女たちと老人と、徴兵検査で丙種とされた男ばかりなのだから(市毛も丙種のひとり)。里子はもどかしさを感じながら、畳の上をゴロゴロと転げ回る。満たされない何かが身をよじらせるわけで、周囲で唯一の壮年男性である市毛に里子が興味を抱くのも当然のこと。夏になればセミが鳴き出すのと同じように、生物として自然な成り行きということだろう。

『この国の空』 里子はもどかしさを抱えて転がる(これは2度目の転がり)。

 里子は戦況に無関心のようにも見える。叔母が空襲の惨劇を語っているときも、缶詰のパイナップルを丁寧に味わっているし、市毛が極秘情報として終戦が迫っていると告げるときも、食卓を片付けていて話を聞いていない。終戦になれば市毛の妻と子供が戻ってくるということもあって、単純に終戦を喜べないということはもちろんだろう。だがそれだけではなく、里子の態度には誰かが勝手に始めた戦争に対する“怒り”もあるのだと思う。
 市毛と里子が始めて唇と重ね合わせる場所には神社が選ばれていて、“天皇”という言葉がわざわざ第三者から持ち出されている。(*1)ここにはこの作品の製作陣の戦争に対する批判が見て取れるだろう(公式ホームページには、戦後批判」という言葉が示されていて、戦争責任の問題とも絡めている)。荒井晴彦が脚本を担当した『共喰い』では、原作にはなかった“あの人”という存在について登場人物に語らせている。“あの人”とは“昭和天皇”のことである。
 また、8月14日の夜に戦争が終わるらしいという情報が告げられても、それすらも誰かが勝手に終わらせたように里子には感じられているのだと思う。荒井晴彦脚本の『戦争と一人の女』では、終戦が決まったあとに、「日本中がやられるまでやめちゃダメだ」と泣き叫ぶ登場人物がいた。やめるんだったら何故もっと早くやめないのかというほうが本心であり、誰かが勝手に戦争を始めたり終わらせたりしているという感覚があるのだ(このことはもちろん戦争責任の問題につながっていく)。
 だからこそ里子の表情に迫っていくラストでは、その表情に強い意志と共に“怒り”が感じられた。エンドロールで朗読される茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」も同様だ。「わたしが一番きれいだったとき」を蹂躙する権利なんか誰にもない。そんな里子の“怒り”がその詩にはたしかに表現されている。『共喰い』『戦争と一人の女』のような直接的な批判よりも、里子のごく個人的な感情のほうが私には滲みるものとして感じられた。

(*1) 市毛が里子に迫る場面の演出が笑いを誘うようなものだったのは、揶揄が交じったものなのか、単に失敗だったのかは私には測りかねた。

 里子を演じた二階堂ふみは後姿のヌードまで披露しているのだが、そんな娘を後押しする形になる母親(工藤夕貴)が夏の日差しを浴びる川辺で諸肌を脱ぐ場面では、腋の黒々とした様子が背中からでも窺えて、こちらも鮮烈な印象だった。
 加えて言えば、二階堂ふみは昭和の女に見えるのだが、いかんせん長谷川博己はコスプレのように見えてしまった。『進撃の巨人』のイカれた戦士シキシマとか、『ラブ&ピース』ではダメ男からロックスターまで違和感なくこなしていた長谷川博己だけれど、この作品の市毛には無理があったような……。

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Date: 2015.08.09 Category: 日本映画 Comments (2) Trackbacks (5)

『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』 トム・クルーズは不死身か?

 トム・クルーズのライフワークみたいなものにもなってきた『ミッション:インポッシブル』シリーズの第5弾。
 監督・脚本は『アウトロー』のクリストファー・マッカリーで、『ユージュアル・サスペクツ』なんかの脚本にも参加していた人とのこと。
 タイトルの「ローグ・ネイション」とは「ならず者国家」で、今回の敵となるシンジケートのこと。

『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』 トム・クルーズは実際にこのスタントをやっているという……
 
 タイトル前のごあいさつ代わりのアクションがすごい。急上昇する軍用機にイーサン・ハント(トム・クルーズ)がしがみつくシーンだ。前作『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』では世界一高いビルでヒヤヒヤさせたわけだが、今回はそれより上を行く高度1,500メートルの上空まで到達したわけで、実際に軍用機にへばりつくアクションをスタントなしでこなしているトム・クルーズはちょっとどうかしている。イーサン・ハントは今回も死にかけるが、こんなアクションばかりしていたらトム・クルーズ自身もかなり危険だと……。
 今回もCIAからは見離されてしまったイーサンたちIMFの面々が、多国籍スパイ集団“シンジケート”の存在を突き止めるために奔走する。冒頭の空でのアクションに加え、酸素ボンベなしでの水中でのアクション、第2作目みたいなバイクでの追っかけっこなど、とにかく見どころはいっぱいで131分はあっという間だった。トム・クルーズの走りっぷりは相変わらず気持ちいいし、手錠をかけられ逆さまのまま筋力だけで柱を登るという離れ業までやって見せる。とても50歳を越していている人間とは思えない。

『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』 トムはこの後逆さまになって柱を登る! いったいどんな鍛え方をしているのだろうか?

 今回の『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』はアクションもあるけれど、サンペンスの要素がより際立っていた。特にオペラ「トゥーランドット」観覧中の要人暗殺の場面では、明らかにヒッチコック『知りすぎていた男』のラストをコピーしている。『知りすぎていた男』ではシンバルの音に合わせて銃弾が発射されることになるわけだが、譜面をカメラが追っていき、シンバルがいつ鳴らされるかを示すカットまでほとんど同じように撮られている。このシリーズはスパイ映画なわけで、やはりヒッチコックのサスペンスには学ぶところが多いということだろう。
 この場面で太腿も露わに要人を狙うイルサを演じたレベッカ・ファーガソンもよかった。イルサはシンジケートに潜入しているイギリス側のスパイで、彼女がイーサンたちの味方なのか、はたまたイーサンを利用するだけの敵なのかという謎を含んだまま展開していく。サスペンスの盛り上げ方は意外にあっさりしているところもあるような気もするのだけれど、楽しめる作品であることは間違いないところだと思う。

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『ミッション:インポッシブル』シリーズ


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Date: 2015.08.08 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (25)

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』 巨人は何のメタファー?

 原作は発行部数累計4000万部を超えるという諫山創による人気漫画。
 監督は『ガメラ 大怪獣空中決戦』『ガメラ2 レギオン襲来』などの特撮監督であった樋口真嗣。樋口監督は来年公開予定の『ゴジラ』の新作でも監督をすることが決まっているとのこと。

樋口真嗣 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』 大人気漫画の映画化!


 舞台は巨大な壁に囲まれた世界。その壁は100年以上前の巨人の侵攻をきっかけにして築かれたもの。100年の間に巨人たちは伝説と化していた。主人公のエレンたちも巨人の存在を信じることはなく、壁の外の世界に思いを馳せていた。しかし、ある日突然、巨大な壁をも越えるほどの巨人が現れ、それまでの平和な時代は終わることになる。

 テレビアニメやCMなど大々的なメディアミックス戦略もあってか、この映画版『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』もスタートダッシュでの興行収入もかなりなもので、予想では50億円を超えが見込めるとか。その反面、実際に映画を観た人の評価は著しく低い。ひとつには原作漫画を大きく改変している部分があるからだろう。
 原作では主人公エレン(三浦春馬)の守護天使だったミカサ(水原希子)だが、映画版ではエレンの想い人みたいな存在になっている。それをシキシマ(長谷川博己)に奪われ、エレンは頭を抱えて泣き叫ぶ……。そんなふうに登場人物の人間関係まで大胆に変更しているあたりは、原作ファンから集中砲火を浴びているようだ。
 私自身は原作漫画を一度だけ読んだという程度の生ぬるいファンなので、そのあたりは気にはならなかったのだが、巨人の造形が明らかになるところでずっこけた。最初に登場する超大型巨人は「人体の不思議展」の筋肉むきだし模型のようでカッコいいのだけれど、それが消えたあとに登場する通常サイズの巨人たちは裸の人間にしか見えなかったからだ。
 通常サイズ巨人が登場する場面では、それを見つめるエレンたちと見られる巨人とが「切り返し(リヴァース・ショット)」で捉えられている。人間も巨人も画面上では同じサイズとして登場するために、巨人たちも人間と変わらぬサイズに感じられてしまい、色艶の悪い妖怪みたいにしか見えなかったのだ。もちろん超大型巨人の穿ったデカい穴から入ってきたのだから、そのサイズ感は明らかだろうという言い訳もあるとは思うけれど、最初くらいはその巨大さを強調してもよかったんじゃないかと思う。
 巨人たちがエビフライでも食べるように人間をむさぼり喰らう場面は残酷なのだけれど、ふとした拍子に人間っぽいところが見えてしまう。油断するとちょっと笑えてきてしまい、薄気味悪い部分は感じられても、原作にあったかもしれない絶望的な気持ちにまでは至らなかった。

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』 ハンジを演じた石原さとみ。脇役だけれど場面を凍りつかせるようなところが……。

 そもそも脚本に参加しているのが映画評論家の町山智浩というあたりからも、この作品の方向性はマニアックな特撮映画といったあたりにあるのだろう(私は偏った映画ファンなので、そっちの方面はほとんど知らないけれど)。町山智浩は雑誌『映画秘宝』の初代編集長であり、『映画秘宝』は文芸作なんかよりも特撮ものだとかホラーやエログロなんかを特集しているわけで、そんな意味でもマニアックなファンに向けて作られた部分があるのだと思う(どことなく円谷プロの「ウルトラマン」みたいな懐かしさがあった)。そんな趣向の作品が、メディアミックスの超大作的な宣伝で登場したものだから、ハリウッドの娯楽作をイメージしていた一般的なファンはそのギャップについていけなかったのかもしれない。

 そんなわけで悪口ばかりが目立つようにも思えるけれど、後半になると立体機動装置が登場して、人間たちも巨人に対抗する手段を得る。その動きは日本版『スパイダーマン』のようでもあり、それ以上に自由に空中を飛び回り、巨人たちをズバズバと切り裂いていくあたりは爽快だった。
 とりあえずこれは前半戦。エレンに起きた出来事はいったい何なのか、爆弾を盗んでいった反乱分子たちはどこに関わってくるのか、そんな様々な謎を残したままだけに、9月の後半戦を楽しみに待ちたいと思う。原作漫画もまだ終わっていないなかで、巨人の存在の謎にどんなふうに答えてくれるのだろうか。

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原作漫画『進撃の巨人』
Date: 2015.08.05 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (5)
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