『毛皮のヴィーナス』と『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』 打たれるべきか、打つべきか

 サディストの男が登場する『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』と、“マゾ”という言葉の語源とされるザッヘル=マゾッホ原作の『毛皮のヴィーナス』のSM2編。両作品とも今月DVDがリリースされた。

ロマン・ポランスキー 『毛皮のヴィーナス』 エマニュエル・セニエとマチュー・アマルリックのふたり芝居。

『毛皮のヴィーナス』
 『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』では、サディスト男が女にプレゼントする本がなぜか『テス』だった。『テス』の映画版では、ナスターシャ・キンスキーが散々虐げられるわけで、サディスト好みの小説だったのかもしれない。そんなふうにナスターシャ・キンスキーをいじめ抜いたロマン・ポランスキーの最新作は、一転してマゾッホ『毛皮のヴィーナス』である。
 登場人物はふたりだけ。劇作家のトマとオーディションに現れた女。トマは『毛皮のヴィーナス』を翻案した劇の主役ワンダを探している。オーディションに2時間も遅れてやってきた知性の欠片すらなさそうな女もワンダと名乗る。強引にオーディションに付き合わされるトマだったが、ワンダが一度演技を始めるとトマが思い描いていたワンダの姿があり、たちまち惹きつけられることになる。トマは劇中のマゾヒスト・セヴェリンを演じ、ワンダはその支配者を演じることになり、ふたりだけの芝居は続いていく。
 ワンダ役のポランスキーの奥様エマニュエル・セニエと、ポランスキーによく似ているトマ役マチュー・アマルリックの組み合わせは、ポランスキーとセニエの関係を思わせなくもない。終わり方はセニエだけでなく女性崇拝を強く打ち出すようでもあった。最後に取り憑かれたように踊り出すセニエの姿が見所。
 ふたり芝居にも関わらず、何ともおもしろい。マゾッホの登場人物を描きつつも、それを演じるワンダを名乗る女と劇作家の関係を重ね、さらに役者ふたりの姿を通して現実のポランスキー夫妻の関係にも重層的に言及しているように思えるからだろうか。

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『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』 ダコタ・ジョンソンとジェイミー・ドーナンはどちらも初々しい。

『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』
 ひょんなことからイケメン起業家と出会ったアナスタシア(ダコタ・ジョンソン)は、その男からデートに誘われる。実はこの男クリスチャン・グレイ(ジェイミー・ドーナン)はサディストであり、その性的趣味に付き合えるパートナーを探している。普通っぽいアナのどこにパートナーの素質を見出したのかはわからないが、グレイはアナに性的パートナーとなる契約を提案する。

 ダコタ・ジョンソンはいかにも普通の女の子に見えるのだが、実際にはハリウッドのサラブレッド。母はメラニー・グリフィス、父親はドン・ジョンソン。いきなりの主演作というのも肯ける。お母さんのメラニー・グリフィスも『ボディ・ダブル』なんかで脱いでいたわけで、ダコタ・ジョンソンも初主演作でも潔い脱ぎっぷり。お母さんはどちらかと言えばセクシーなイメージだったけれど、娘さんはスレンダーでかわいらしい。相手役のジェイミー・ドーナンも初めて見る顔で、新鮮味がある組み合わせだったと思う。
 
 うぶな女子学生が大金持ちにデートに誘われヘリなんかに乗せてもらったりしたら、誰だって参ってしまうわけで、あとになって「SM」とか言われてもよく知らないし、イケメンだから「まあいいか」といった軽い感じで、いけない世界に足を踏み入れてしまう。
 劇場公開時にはあまりに味気ないボカシが画面を飛び交い、かなり不評だったというこの作品。さすがに反省したのか、DVDではそんなことはなかった。ただ、ボカシを入れるほどすごいカラミかと言えばそんなことはなくて、あくまでも一般客が見る程度のソフトなSMに収まっている。鞭とかロープとか道具も登場するけれど、危険な匂いはまったくなく、グレイはサディストと呼べるのかちょっと疑問も……。

 ※以下に続く。ネタバレもあり!

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『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の原作


『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』 こんなシーンがあったかどうかは不確かだけれど、それなりにカラミもある。

 SMの世界に詳しいわけではないので、ここから先はドゥルーズ『マゾッホとサド』を参考にしてみたいと思う。通常、何げなく「SM」とか「サド=マゾヒズム」といった感じでふたつのものを組み合わせて使ってしまう。しかしドゥルーズによれば、マゾヒズムはサディズムの裏返しではないのだとか。サディストは鞭打たれたいと願う人をいじめようとは決して思わないわけで、サディストの相手がマゾヒストというわけではないのだ。
 逆にマゾの場合も、マゾヒストはサディストを拷問者に選ぶわけではない。『毛皮のヴィーナス』のワンダも、トマ=セヴェリンをいじめたいというサディストではない。トマ=セヴェリンがワンダに支配されたいと願い、ワンダを教育して拷問者へと仕立て上げていくのだ。ドゥルーズによればマゾッホが描いているのは、「拷問者を養成し、説得し、この上なく奇妙な企てのためにそれと盟約を結ばずにはいられない犠牲者」の姿であるとのこと。
 上記の引用にあるように、マゾヒズムには契約がつきもの。一方でサディズムにおいては契約なんてものはまったくない。マルキ・ド・サドの描いたサディストたちは何でもありで、鞭打つ相手を慮ったりはしない。殺人も含め、おぞましい近親相姦だとか、食人や食糞、ありとあらゆるいかがわしい行為をやりつくすわけで、契約に縛られるようなものではないからだ。
 映画版『毛皮のヴィーナス』でも契約書が交わされているわけだが、なぜか『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』でもサディスト=グレイが契約を申し出ている。これはやはりサディストとしては奇妙な存在だろう(アナに対して教育者として振舞っているし)。

 またドゥルーズによれば、マゾヒズムに特徴的なのは“宙吊り”の状態にあるという。サディズムにおいては、性的行為は反復し速度を早めていく。他方のマゾヒズムにおいて“宙吊り”の状態であるというのは、そのプレイ中にそうした姿勢にされることでもあるわけだが、それ以上に性的快楽の到来が最大限に引き延ばされるということだ。マゾヒストは拷問者に縛られ鞭打たれることによって快楽は先延ばしされ、未決定状態に置かれることが重要なのだ。
 そんな意味では『グレイ』の終わり方も結末を先延ばしにしている。この作品はシリーズ化され、あと2作品の映画化が予定されているとのこと。アナとグレイは1作目の最後で別れてしまうのだけれど、これものちのちの快楽を先延ばしするための戦略とも思えるわけで、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』という作品の本質はマゾヒズムにあるのかもしれない。
 『グレイ』はもともと『トワイライト』シリーズの2次創作として生まれたものとのこと。作者の主婦は当然アナに自己を投影しているわけで、マゾッ気のある女性が空想でサディスト男を創りあげて書いた作品だからこそ、マゾヒズムに特有の契約関係が出てきたり、サディスト=グレイが妙に優しかったりということが生じているのだろう。
 まあエロティックな小説や映画を消費する側としてはそんなことはどうだっていいのかも。「愛してはいけない」なんて台詞を吐く男にそれほど興味を抱けるものかはわからないけれど、そんな台詞も最後の最後になって「愛してる」と言わせるための“宙吊り”のように思えてくる。

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Date: 2015.07.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『嗤う分身』  「本当の自分はこんなんじゃない」という叫び

 ドストエフスキーの原作小説(岩波文庫版は『二重人格』という題名)の映画化作品。
 同じ原作を映画化したものでは、『ベルトルッチの分身』もある。
 監督はリチャード・アイオアディ。日本では限定的な公開しかされていない『サブマリン』という処女作で注目された人。
 昨年劇場公開され、今月に入ってDVDがリリースされた。

リチャード・アイオアディ 『嗤う分身』 ジェシー・アイゼンバーグは二役を演じ分ける巧みさを見せた。中央はハナ役のミア・ワシコウスカ。

 大佐と呼ばれる人物が支配する主人公の職場は全体主義を思わせるけれど、かつてのソビエトとは違うようで、どの時代のどこの国なのかもわからない世界観が魅力的な作品だった。一度たりとも太陽が顔を見せることはなく、常に暗闇が支配している。会社に向かう通勤電車も車内は薄暗く、どこかシュールな雰囲気を醸し出している。そんな妖しい世界になぜか日本の歌謡曲が流れ出す。ディストピア的世界に坂本九「上を向いて歩こう」ブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」など昭和の歌謡曲というミスマッチ感が何とも言えない奇妙な味になっている。

 “分身”を題材にした小説や映画は結構多い(以前取り上げた『複製された男』もそうだろう)。たとえばエドガー・アラン・ポーの短編「ウィリアム・ウィルソン」における“分身”は、主人公の“良心”の具現化であるとされる。ここでは邪悪な主人公をいさめる役割を“分身”がしていて、最後はふたりが対決することになる(オムニバス『世にも怪奇な物語』のなかの「影を殺した男」として映画化もされている)。また、よくある多重人格の話では、幼少期のトラウマが原因となり、元の人格を防衛するために、別の人格が生じるというケースがほとんどだ。ここでは“分身”はもとの自分を守る役割なのかもしれない。
 そんなふうに“分身”と言っても様々なケースがあるのだと思うが、この『嗤う分身』の“分身”は主人公の理想像の具現化と言えるだろう。主人公サイモン・ジェームズ(ジェシー・アイゼンバーグ)は職場では怒鳴られ、母親からもダメ出しばかりされている冴えない男だ。想いを寄せる同僚のハナ(ミア・ワシコウスカ)に声をかけることもできない(マチコ巻き的なハナのスカーフの使い方は昔風)。そんな自分には嫌気が差すわけで、「本当の自分はこんなんじゃない」という思いを抱えている。「大佐の会」というパーティで閉め出しを食らったサイモンは「これは僕じゃない」と叫ぶと、そのあとに“分身”であるジェームズ・サイモン(ジェシー・アイゼンバーグの二役)が登場する。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『嗤う分身』 分身の登場に驚く主人公だが、周りは誰も気にしていないというのも奇妙な……。

 ジェームズは見た目はサイモンと瓜二つだが、性格は正反対。仕事も人間関係もうまくこなすし、女性ともすぐに仲良くなる。それもそのはずで、ジェームズはサイモンの理想像が具現化したものなのだから、サイモンができないことをジェームズがうまくこなすのは当たり前なのだ。
 次第に“分身”であるはずのジェームズが、サイモンのすべてを奪っていく。サイモンが考案した仕事のアイディアも、想いを寄せるハナもすべてがジェームズのものになり、サイモンはその存在意義を失っていく。それでも理想的な自己像(ジェームズ)が生き残れば、冴えない自己像(サイモン)なんかいらないと割り切ることができないというのが人間の複雑なところだろうか。「本当の自分はこんなんじゃない」という叫びがジェームズを生んだのに、それが優位になってくると元のサイモンからすればジェームズは偽者であると感じられるわけで、逆に「本当の自分はジェームズなんかじゃない」と叫ばなくてはならなくなるという……。
 サイモンが最後に発する言葉は「特殊な存在(ユニーク)でありたい」だった。自分だけが唯一無二の存在になりたいという、どうにも抑えようのない自我というものが“分身”を生み出してしまった正体ということなのだろう。

 ちょっと怖かったのは、サイモンが自殺する場面をもうひとりの自分であるジェームズが見てしまうところだ。自分が自殺する場面を目撃するなんて、そんな怖いことがあるだろうか。
 サイモンは作品の前半で、一度ほかの男の自殺を目撃している。最後のサイモンの自殺場面になったときには、一度目の自殺はサイモンの未来の姿だったようにも見えるのだ。
 一度目の自殺ではすべてを目撃したサイモンは、その騒動をきっかけにしてハナと話す機会を得る。実は、ハナは自殺した男のことを知っていて、ストーカー的につきまとわれていたのだ。ハナはその男を激しく非難する。「ただ私を見つめて、気持ちが伝わる? 見つめていれば、そのうち私からキスするとでも? つきまとわないで!」と。その結果としてストーカー男は自殺したわけだが、ハナの非難を聞かされているサイモンにもその言葉は深く突き刺さる。サイモンは向かいのマンションからハナの姿を覗くことを趣味にしているからだ。
 一度目の自殺の時点で、ストーカー男はサイモンの姿と重ね合わせられていたわけで、だから最後にジェームズがサイモンの自殺を目撃する場面では、一度目で予告されていた自殺が実際に起きてしまったようで、余計に怖いものがあったのだ。しかもその事態を自分が見ているという……。

追記:先日、ポランスキー『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)を観たら、かなり『嗤う分身』とカブるところがあって驚いた。向かいから覗かれているとか、飛び降り自殺なんかもあったりして結構パクっていると思う。

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Date: 2015.07.25 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ぼんとリンちゃん』 “肉便器”救出作戦の顛末は?

 昨年の劇場公開では観逃したのだが、一部でとても評判がよかったようで気になっていた作品。先月にDVDがリリースされた。
 監督は『ももいろそらを』小林啓一

小林啓一 『ぼんとリンちゃん』 オタクのふたり組を描いた作品らしいポスターになっている。


 16歳と62カ月を自称する女子大生“ぼん”(佐倉絵麻)と、彼女を慕う美少年“リンちゃん”(高杉真宙)は、ボーイズラブ好きのオタクな幼なじみ。ふたりは彼氏にDVを受けているらしい友人“肉便器”を救出するために東京へ向かう。もうひとり冴えないアニメオタク“ベビちゃん”(桃月庵白酒)も加わって救出作戦はスタートする。

 『ぼんとリンちゃん』では、「コミックとらのあな」とかメイド喫茶なんかを舞台に彼女たちの会話が続いていくのだけれど、ごく普通の映画ファンとしてはちょっと戸惑う。“ぼん”はアニメとかゲームのキャラになって意味不明の台詞を口走るし、3人の妙なコミュニケーションは普通の人にはなかなか馴染みにくいものだからだ。
 “ぼん”はボーイズラブ(BL)の同人誌を描いていて、“リンちゃん”はその弟子だ。“リンちゃん”は“ぼん”を「ねえさん」と呼び、“ぼん”は“リンちゃん”をペットみたいに扱っている(宮崎アニメのペットの名前で呼ばれたりもする)。ふたりの師弟関係も奇妙だが、“ぼん”は42歳の中年“ベビちゃん”を前にしても、平気な顔で「肉棒」とか「アナル」などと言って反応を楽しんでいる。というよりも、それが日常のことで何とも思ってないらしい。ちなみに言えば、“ぼん”は耳年増になっているだけの処女であり、“リンちゃん”も童貞、“ベビちゃん”も未だに素人童貞というなかなかのトリオなのだ。

 この作品に描かれているキャラが現実に存在するオタクと似ているのかはわからないのだけれど、妙にリアリティがあるように感じられる。“ぼん”というキャラは、「オタクというキャラを演じている女の子」みたいに見えるのだが、メディアで見かけるオタクもそんなふうに見えるからだ。また、脇役として“ぼん”と“リンちゃん”の妹たちが登場するが、彼女たちはオタクをこじらせた姉と兄を醒めた目で見守っているのだが、そんな女子高生の姿も妙にリアルなのだ。
 監督・脚本の小林啓一がオタクなのかどうかは知らないし、女子高生の生態に精通しているのかもわからないけれど、若者たちのごく自然な振舞い演出するのが非常にうまいようだ。前作の『ももいろそらを』を観てみると、こちらの女子高生たちも別世界の住人みたいでいて、その煩わしそうな関係性とかは妙にリアルだった。

『ぼんとリンちゃん』 “ぼん”と“リンちゃん”は“肉便器”救出のために奔走する。

 そんなオタクの“ぼん”だが、“肉便器”ことみゆ(比嘉梨乃)に近づくにつれて様子が変っていく。みゆもBL好きのオタク仲間だったのだが、彼氏が出来て現実世界に出て行ってしまったのだ。“ぼん”は汚れた現実世界から元の世界へと戻るように説得を試みる。3人のときはオタクごっこに終始していた“ぼん”も、彼女をキャラの名前ではない「なっちゃん」と呼ぶ幼なじみと会うと調子が狂うのかもしれない。
 みゆと“ぼん”の対決シーンは10分以上も続く長回しになっている。デリヘルで稼いでいるみゆは「お客さんが喜んでくれることが楽しい」と言うのだが、“ぼん”はアニメや古今亭志ん生なんかの他人の言葉で説得を試みる。みゆはそんな知識はなくても経験で世間のことを学んでいるわけで、そうした古臭い知識に説得されるわけもない。
 逆に“ぼん”が「傷つくことを恐れているだけ」と指摘する。考えてみれば、BLでは女の子は排除されているわけで、女性読者は自分を当てはめる対象がない。その分、純粋な空想としてあるいは他人事として楽しめるわけで、登場人物に感情移入して自分が傷つく心配もないのだ。

 長い長い対決シーンで次第にわかってくるのは、“ぼん”はオタクキャラを取り払ってしまえば、友達想いの意外に堅い女の子だということかもしれない。切羽詰った状況に自分を飾っていたキャラが剥がれ落ちて、素の部分が露呈してしまうのだ。最初はまったく別の世界の人を見るような目で彼女を眺めていたわけだけれど、急に近しい存在に感じられてくるところがとてもよかったと思う。
 みゆの反論に“ぼん”のほうが主義主張を変えるようなショックを受けたようにも思えるのだけれど、最後には「アナルは出口でなく入口だよ」などと見得を切ってみせる“ぼん”はこじらせた感がいっぱいで、まだまだオタク卒業には時間がかかりそうな気もする。

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Date: 2015.07.22 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

バフマン・ゴバディ 『サイの季節』 詩人が示す沈黙

 監督のバフマン・ゴバディはイラン出身のクルド人(ウィキペディアによれば、クルド人は「独自の国家を持たない世界最大の民族」とのこと)。ゴバディは2009年に『ペルシャ猫を誰も知らない』を無許可で撮影したために、亡命生活を余儀なくされ、この作品はトルコで撮影されたもの。実在するクルド系イラン人の詩人サデッグ・キャマンガールが、主人公サヘルのモデルとなっている。

バフマン・ゴバディ 『サイの季節』 ミナを演じるのはモニカ・ベルッチ。若い時代から、初老までひとりでこなしている。


 サヘルは詩集『サイの最後の詩』を出版し、美しい妻ミナ(モニカ・ベルッチ)と共に幸せな日々を送っていた。ミナは司令官の娘であり、彼らは運転手付きの車を持つほど裕福な生活だった。しかし1977年にイラン革命が起きると状況は一変する。サヘルは「反体制的な詩を書いた」としてミナと共に逮捕される。

 イラン革命が目指したもの何なのかよく知らないのだけれど、革命後には世界は一変し、支配者が被支配者に取って代わられることになる。それまで政府の中枢にいたものはことごとく逮捕され、それまで不遇の立場にいた者が凱歌を挙げる。上の者が下になり、下の者が上になるだけが革命の本義ではないのだろうが、なかには政治の混乱をうまく利用したものもいる。
 混乱に乗じてサヘルたち夫婦を陥れたのは、彼らの運転手だったアクバルという男。アクバルはふたりに仕えながらも、ミナに横恋慕していたのだ。アクバルは髭で覆われた顔からは想像もつかないほどロマンチストらしく、こっそり彼女の口紅を舐めたりもする(なかなか破壊的なシーンで、アクバルを演じるユルマズ・エルドガンのねちっこい感じがいい)。さらにその想いを秘めていることもできずに、ミナに愛を告白して司令官の部下たちにボコボコにされたりする。
 不遇な立場にあったアクバルは、革命後には新体制側に回る。そして裏でうまく立ち回り、サヘルとミナの仲を引き裂き、サヘルを死んだことにしてミナを自分のものにしてしまう。30年経ってようやく牢屋から出てきたサヘルは、自分の墓標を発見することになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『サイの季節』 作品中にこの場面そのものがあったかは記憶が不確かだが、ここでは現在のサヘルと過去のサヘルがいる?

『サイの季節』 30年後のサヘルは沈黙を貫く。

 若いときのサヘル(カネル・シンドルク)はミナと夢を語り合っていたが、30年後のサヘル(ベヘルーズ・ヴォスギー)は沈黙を保っている。(*1)サヘルはミナを追ってトルコにたどり着くのだが、最後までミナに正体を打ち明けたりはしない(もはやミナにとって彼は死者であるわけだから)。詩人が操るのは言葉であるはずだが、言葉にできない30年分の“何か”をサヘルのその沈黙が感じさせる。
 監督のバフマン・ゴバディは、その沈黙を表情のクローズアップと背景のコントラストで示す。何げないシーンのようで妙に印象深いのは、近景と遠景の差異を意識させる画面づくりがなされているからだろうか。車のフロントガラス越しに視線の先にあるミナの家を眺める様子は胸に迫ってくるものがあるし、黒い海が広がる手前で白い波しぶきが上がったりもする場面は鮮烈だった。

 時代に翻弄されるふたりの物語はわかりやすいが、動物たちが登場してくるエピソードはその意味を掴みかねる部分もある。サヘルが詩に詠んでいたサイの姿も登場するのだが、この場面は現実なのか彼の詩のイメージなのかは曖昧だ(トルコでは野生のサイが群れをなして走り回るのは普通の風景なのだろうか)。
 さらには『マグノリア』のカエルみたいに亀が空から降ってくる場面もあるし、車の助手席には馬が親しげに顔を突っ込んでくる。その意味はわからないが、サヘルの心象風景が詩的なイメージとなって表現されているのだろう。サヘルという詩人の、言葉にできない想いがそうした幻想として表現されているのかもしれないし、ゴバディ監督の過去作には『亀も空を飛ぶ』とか『酔っぱらった馬の時間』という作品もあるらしいので、そのあたりとの関係があるのかもしれない。

 サヘルがその身体に刻むのは、「境界に生きる者だけが、新しい祖国を作ることができる」という言葉。しかも、それは彫師をしているミナの手によって刻まれる。サヘルは生者であり死者でもある存在だ。そんな境界に生きる彼の決断は、ミナと彼女の子供たちにとっての「新しい祖国」という“自由”につながることになったのだろうと思う。(*2)

(*1) 30年後のサヘルを演じるベヘルーズ・ヴォスギーは、イランのかつての大スターだった人だとか。ベヘルーズ・ヴォスギー自身もイラン革命後に映画に出ることができなくなり、本作品が35年ぶりの復帰作。

(*2) かなり特殊な三角関係の物語でもあるわけで、ラストは某フランス映画を想起させるような……。

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Date: 2015.07.18 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 シュワルツェネッガー復活で再出発の第5作

 『アバター』『タイタニック』ジェームズ・キャメロンの出世作『ターミネーター』シリーズの最新作。
 今回は5作目となるわけだが、第4作には一部顔を見せるだけだったアーノルド・シュワルツェネッガーが復活して、新シリーズとなる予定とのこと。

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 復活したシュワルツェネッガーのT-800とエミリア・クラーク演じるサラ・コナー。

 第1作目『ターミネーター』ではシュワルツェネッガーは悪役だった。2029年、人類に反乱を起こしたスカイネットという人工知能に世界は支配されていた。しかし、人類はジョン・コナーという指導者の下に抵抗軍を組織する。人類の救世主ジョン・コナーをこの世から消すために、スカイネットはジョンの母親サラ・コナー抹殺を画策し、1984年にターミネーター(シュワルツェネッガー)を送り込む。しつこいくらいにサラ・コナー追ってくるターミネーターに、ハラハラドキドキさせられっぱなしの作品だった。
 前作よりもスケールアップした第2作『ターミネーター2』では、シュワルツェネッガーがその後に人気者となったことも影響してか、ターミネーター(T-800)はプログラミングを書き換えられて善玉になる。サラ・コナーを守る側に回ったT-800が、新たな刺客T-1000を迎え撃つ。液体金属性T-1000はほとんど無敵で、これまた手に汗握る作品で、シリーズ最大のヒット作となった。

 最新作『ターミネーター:新起動/ジェニシス』では、この2作品をリブートしたような内容になっている。第1作でターミネーターとそれを追ってくるカイル・リースのタイムトラベルシーンを忠実に再現している。1作目とまったく同じところに戻ってくるわけだが、そこからが違う。突如として現れたもう一体のやや年老いたT-800が、もう一体の邪魔をするのだ。30年前のシュワルツェネッガーと、今のシュワルツェネッガーの戦いという、夢の対決が実現する。
 この年老いたT-800は、サラが9歳のときに彼女を守るために派遣されたもので、1984年に新しいT-800が来るまで待っていたらしい。ここではターミネーターの外皮は人間と同じように劣化していくという設定。だからマシンであるはずのターミネーターも、シュワルツェネッガーの年齢に合わせて見た目が変化するという理屈。マシンだって使っていればガタがくるわけで、T-800は「俺は古いが、ポンコツじゃない」と人間っぽいことまで言ってみせる。また、長らく人間社会へ融け込み色々と学んだらしく、妙に科学的な理論を振りかざすインテリ風ターミネーターとなっている(全体的に人間っぽいT-800は幾分コミカルな印象に)。
 そして新サラ・コナー(エミリア・クラーク)もかつてのサラ・コナーと違う。9歳のときから未来の救世主の母となるべく、“オジサン”と呼ぶT-800から訓練を受けた女戦士になっている。第1作のサラは何も知らないウェイトレスだったわけだが、こちらの世界のサラは銃器で新しいT-800をやっつけるし、T-1000対策用の罠まで準備している。はじまりは第1作と同じなのだが、途中からパラレル・ワールドに分岐していくのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』 新型ターミネーターのT-3000の最終形態? マンガ『コブラ』のゼロというキャラみたいだった。

 新旧T-800対決はそれほど悪くないし、新たなT-1000(イ・ビョンホン)を意外にあっさりと倒してしまうのも、周到に用意した罠のためと納得しなくもないのだが、そのあとはどうもゴチャゴチャしてくる。
 T-800はタイムトラベル装置まで開発し、舞台は2017年へと飛ぶ。この時代に開発された“ジェニシス”というOSらしきものが、スカイネットの新しい姿ということになっている。それから2017年に飛んだサラとカイルを追って、ジョン・コナー(ジェイソン・クラーク)まで登場する。実はジョン・コナーは新たなターミネーター(T-3000)で、ジョン・コナーはスカイネット側に取り込まれていたのだ。
 ジョン・コナーはスカイネット側に立ち、ジェニシス起動を阻止しようとする要素を排除しようとする。サラ・コナー殺害を命じられているわけでもないのかもしれない(自分の母親なんだし、殺したら自分も消えてしまう?)。そんなわけでジョン・コナーはサラやカイルと会ってもすぐには殺そうとしない。サラを守るT-800とサラ抹殺を狙うT-3000という関係ではないわけで、その後のアクションも派手さはあっても単発に終わり、手に汗握る感じはほとんどなかったと思う。
 それにしてもT-3000=ジョン・コナーは何をしたかったのだろうか? ジョンは一応人間でもあり、マシンと交じり合った何かでもあるらしいのだが、サラとカイルという家族を自分と同じ境遇に誘おうとしているようでもあった。つまり人間がマシンと交じり合うことで新たな進化を遂げるみたいなことを匂わせているようにも思えたのだが……。

 シリーズを振り返ってみれば、キャメロンの撮った第1作と第2作は別格とするとしても、第3作は過去作の踏襲でしかなかったわけで、それを振り切って新しい『ターミネーター』を見せたのが『ターミネーター4』だった。「審判の日」以降のジョン・コナーの活躍を描いた第4作は、その荒涼とした世界観もアクションシーンも今回の第5作よりも数段よくできていたと思う。シュワルツェネッガーが出演していないということもあって、興行成績としては大失敗だったらしいが……。
 このシリーズの顔であるシュワルツェネッガーの動向に影響されてしまうのはやむを得ないとしても、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』は元のパターンに逆戻りしてしまったようにも思える。本当に新起動したのは『ターミネーター4』だったのにうやむやになってしまい、今回再起動を図ったということだろうが、先行きはあやしいようにも思える。
 
 新サラ・コナーを演じたエミリア・クラークは妙にかわいらしい。第2作のリンダ・ハミルトンみたいな変身はやらないと思うけれど、強い母親像としてのサラ・コナーになりきれるのか心配にもなる。というかジョン・コナーを産むのかどうかもわからないし。
 ジョン・コナー(ジェイソン・クラーク)は悪役っぽい顔立ちになってしまうし、カイル・リース役ジェイ・コートニーも第1作のマイケル・ビーンと比べるとちょっと残念。マイケル・ビーンはマッチョっぽくなくて、死闘のさなかにもサラ・コナーと結ばれてしまうという設定にも説得力があったと思う。ついでに言えば、『セッション』で大活躍だったJ・K・シモンズも脇役で登場している。今回はいい人だった。

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ターミネーター:新起動/ジェニシス (字幕版)



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Date: 2015.07.12 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (11)

『フレンチアルプスで起きたこと』 ベタだけれど「男はつらいよ」と言いたくなるかも

 カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した作品。
 監督はスウェーデンのリューベン・オストルンド。ちなみに原題は「FORCE MAJEURE(不可抗力)」で、「TURIST」という題名で上映されたときもあるようだ。

リューベン・オストルンド 『フレンチアルプスで起きたこと』 いかにもそれらしい家族写真を撮ってみせる4人。


 アルプスの山々を臨むフランスのリゾート地にバカンスにやってきたスウェーデン人一家。仕事が忙しいトマス(ヨハネス・バー・クンケ)にとっては、年1回の家族サービスのときでもある。思う存分にスキーを楽しむ4人だが、2日目のランチで思わぬ出来事に遭遇する。白く聳え立つアルプスから雪崩が発生し、4人のいるレストランのテラス席まで雪崩が押し寄せてきたのだ。突然のことに、トマスは妻と子供たちを置いて逃げ出してしまう……。

 危機的状況に陥ったとき、平時と違う人の本性が見えてしまうということはあるのだろう。この作品のパンフにも資料を提示してそのあたりが詳しく説明されていて、オストルンド監督も「似たようなケースを調べると、生死にかかわる大惨事に見舞われた生存カップルの多くは離婚し、また生死がかかったアクシデントに遭遇すると、男性は女性に比べると、逃げ出して自分を守る傾向があるということがわかりました」と語っている。
 しかし、監督自身が男性に肩入れしてくれるからといって、逃げ出したことが男性の本能に備わっているものだからといった言い訳が通用するとも思えない。作品中では、冷静なマッツというキャラがそうした言い訳役を担っているが、それほど説得力があるわけではない。結局大事には至らずそのままランチの続きになるわけだが、妻も子供も席に戻ってきたトマスにかける言葉もない気まずい空気が流れる。
 町山智浩はこうした状況が「男にしか起こらない」「逆のパターンがない」と指摘していて、それはなぜかと言えば、女子供は守られるべき存在で、たとえ逃げ出したとしても許されることに何となくなっているからだ。それが社会の求める役割というものなのだろう。オスの動物的本能としては逃げ出すことが自然なのに、社会的存在としての父(夫)としてはそんなことは許されないわけで、そのあたりの齟齬がアクシデントによって明らかにされるのだ。

『フレンチアルプスで起きたこと』 人工的に起きたはずの雪崩は予想外に大きくなり、4人のいるテラスにまで襲いかかることに。

 トマスはこっぴどくやられることになる。最初は何ごともなかったかのように振舞うけれど、妻のエバ(リサ・ロブン・コングスリ)から糾弾されると「認識の違い」だと抗弁し、最後には追い詰められて泣きじゃくる。本当にひどいあり様なのだが、この『フレンチアルプスで起きたこと』では男のダメさ加減だけが取り上げられるわけではない。
 その後に生じる出来事は、ことごとく場違いで間が悪い。たとえば仲直りのハグをしたときに電話が鳴り、緊迫した議論の最中には子供の操縦するドローンが飛び込んでくる。後半で男ふたりがスキー後のビールを楽しんでいる場面では、女から誘われていい気分に浸っていると実は人違いだったとか、そんなふうに予測され期待される流れを裏切ることが起きることになる。
 そんなふうに出来事も予想を裏切るが、登場人物たちの振舞いも場違いなものだ。ここで“場違い”だと思うのは、その場に正しい振舞いがあるということが共有されているということだ。リゾートに来た4人の家族としては、それらしい振舞いというものがあって、夫婦や子供たちにもそれぞれ役割がある。しかし、彼ら(彼女ら)は期待された役割を裏切るようなことばかりしてしまう。トマスの逃亡もそうだし、妻のエバが会食の際にそのアクシデントを話題にし、友人たちを何とも言いようのない困った状況に巻き込むのもそうだろう。雪崩というアクシデントをきっかけに、そうした役割に沿わない行動が次々と生み出されていくのだ。

 そんなわけでバカンスは惨憺たるものになるが、シリアスになり過ぎずに笑わせるところがこの作品の雰囲気を決定している。場違いな振舞いはその場を緊張させたりもするけれど、それ以上に周囲を呆れさせる。そんな白々しい空気が漂う部分が妙におかしい。トマスは子供たちに配慮して部屋から出てエバと話し合いをしていると、人の目もある場所にも関わらず「自分が嫌になった」とあられもなく泣きじゃくるのだ。このみっともなさにはもはや笑うしかないのだけれど、その後のエバの対応は結構冷めたもので、それもよく理解できるくらいひどい醜態なのだ。
 そんな妙におかしい部分がある一方で、今にも何か起きそうな雰囲気もある。ヴィヴァルディの響き(「四季・夏」)、人工的に雪崩を起こすための爆破音、今にも止まりそうなリフトはハラハラさせるし、ドローンや電動歯ブラシのモーター音は何かの不気味な予兆のようにも思える。
 だから最後に山を下るバスにも不穏なものを感じてしまう。突拍子がないことが起きてもおかしくないわけで、観客の期待を裏切るように、山からバスが滑落して全員死亡とかいった結末さえあり得るように思えたのだ。実際には、ぎごちない運転に恐怖を感じたエバが騒ぎ出して途中でバスを降りることになり、バスは無事に走り去っていく。エバの過剰な反応は、子供たちを守るという役割への執着から来ている。唯一バスに残って山を下りた女は、妻という役割など気にせずに、自由に不倫の恋を楽しんでいた女だった。その女だけは与えられた枠組みなどに囚われずに、事態を冷静に把握していたということなのだろう。

フレンチアルプスで起きたこと [DVD]


Date: 2015.07.08 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)

園子温 『ラブ&ピース』とは、「愛と平和」ではなくて……

 『ヒミズ』『恋の罪』『希望の国』など園子温監督の最新作。

園子温 『ラブ&ピース』 主人公の良一を演じる長谷川博己と、寺島裕子役の麻生久美子。


 かつてはロック・ミュージシャンを目指していた鈴木良一(長谷川博己)は、今では冴えないサラリーマン。同僚の寺島裕子(麻生久美子)に想いを寄せるものの、声をかけることもできない。そんな良一の真の姿を知っているのはミドリガメの「ピカドン」のみだった。ある日、良一は会社の同僚たちにからかわれた末に、血迷ってピカドンをトイレに流してしまう。ピカドンは下水道を流れ、謎の老人のもとに辿り着く。

 今年はほかにも『リアル鬼ごっこ』『みんな!エスパーだよ!』という作品も控えている園子温。5月末から公開された『新宿スワン』みたいな請負い仕事は違って、この『ラブ&ピース』は園子温が好き勝手にやっているという感じが伝わってくる作品だった。『トイ・ストーリー』的ファンタジーと『ガメラ』のような怪獣特撮映画に加え、いじめられっ子が忌野清志郎のみたいなロック・スターに変貌するという展開もあり、ごった煮でハチャメチャな作品に仕上がっている。

 良一はロック歌手として成功するのだが、そのバンド名は「レボリューションQ」。このバンド名は現実世界で園監督自身がボーカルを務めるバンドの名前でもあるらしい(園子温は芸人みたいなことをしてみたりと、どこへ向かわんとしているのかは謎だ)。
 ところで「ラブ&ピース」と聞くと、ビートルズ好きならば、良くも悪くもジョン・レノンを思いだす。「ホワイト・アルバム」に入っているジョンの曲には「レボリューション9」という迷曲がある(前衛すぎてあまり聴かないけれど)。この曲が「レボリューションQ」の元ネタだろう。ここでは「9」が「Q」にズレているわけで、この作品では様々な言葉の意味合いも横滑りしていく。
 「ピカドン」は通常は「原爆」を意味するが、この作品ではミドリガメの名前でもある。良一はそんな「ピカドン」が忘れられなくて、「ピカドンを忘れない」と歌ったものだから、プロテストソングと勘違いをされて評判になってしまう。さらにバンドとしてメジャーデビューをするときには、あまりにも直接的すぎるというプロデュース側の判断で「ラブ&ピースを忘れない」にズレていく。(*1)
 良一の会社は楽器の部品を作っていて、会社名はうろ覚えだが「ピース(piece)・オブ・ミュージック」とかで、良一は「piece」という名札を付けている。また、巨大化したカメは「ラブちゃん」と呼ばれる。つまり「ラブ&ピース」とは、「愛と平和」ではなくて、「カメと良一」のことにもなるのだ。美辞麗句を並べ立てたスローガンを打ち出しながら、そこからは意味をズラして実はごく個人的なことを語っている作品なのだと思う。
 この脚本は園監督が25年前に書いたもので、自ら「魂の集大成」と位置づけているものだけに個人的なものになるのも理解できる。園映画のファンは、やはり園子温という存在そのものに興味を抱いているところがあるわけで、オリジナル脚本の作品はぶっ飛んでいるところがあっていいと思う(この作品は子供っぽい部分がちょっと苦手だけれど)。

(*1) ジョン・レノンの曲「ノルウェーの森」も本当は別の歌詞だったという話を思い出させる。「Isn't it good, Norwegian Wood」という歌詞は、実際には「Isn't it good, knowing she would(彼女がやらせてくれるってわかっているのは素敵だよね)」だったという。

『ラブ&ピース』 イラストで表現されているのが古代インドの世界観。

 地下に住む老人(西田敏行)は不思議なアメを調合して、オモチャたちに言葉を話させたりするのだが、ピカドンには間違って願い事が叶うアメをあげてしまう。ご主人様の良一が大好きなピカドンは良一の願いを叶えるのだが、叶えれば叶えるほどピカドンの身体は巨大化していくことになり、ガメラのようになって街を破壊していく。
 この作品のポスターでは、亀が世界を支えている。これは古代インドの世界観だ。なぜ古代インド人が亀の甲羅の上に世界があると考えたのかは想像もつかないが、園子温の解釈によれば、人間の欲望を一身に引き受けた亀が世界を支えるほど巨大化してしまったということになるだろうか。つまりは欲望が世界を支えているということだ。しかし巨大化した欲望を飼い馴らすことなどできるわけもなく、結局破綻はやってくる。
 ロック・スターから元のわびしい部屋に戻った良一は、もとの大きさに戻ったミドリガメと再会し、想いを寄せていた寺島裕子も姿を見せる。結局、成功以前のところへ戻ったわけで、ラストは巨大化する欲望を戒めるもののようにも感じられた。園監督版の仏教説話みたいな趣きもあるし、今では映画監督として成功を手にした園子温自身の郷愁にも感じられる。
 ただ、長谷川博己が冴えないサラリーマンからロック・スターに変貌して、怪演を披露しているのに、ヒロインである麻生久美子が最後まで変貌することなくダサいままだったのはちょっと残念な気もした。多分、帰るべきところの存在として地味な寺島裕子がいるのだろうとは思うのだけれど……。

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Date: 2015.07.05 Category: 園子温 Comments (0) Trackbacks (10)
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