ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作 『雪の轍』 改心すれば風景すら一変して見えてくる

 トルコ映画界の巨匠とされるヌリ・ビルゲ・ジェイラン、その日本での初めての劇場公開作品。DVDでは『昔々、アナトリアで』『スリー・モンキーズ』の2作品がリリースされている。この最新作はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。原題は「Winter Sleep」である。
 物語の下敷きとなっているのはチェーホフの短編「妻」「善人たち」など。

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン 『雪の轍』 ラストで雪に覆われるカッパドキア。


 舞台は世界遺産カッパドキアにあるホテル・オセロ。ロビーからは世界遺産の奇岩の風景を臨むことができ、雪を迎える前の時季で客足は少ないものの、流浪のバイカーや日本人観光客もいる。オーナーであるアイドゥン(ハルク・ビルギナー)は親から遺産としてホテルやその他の不動産を受け継ぎ、妻のニハルや出戻りの姉ネジルと暮らしている。
 ある日、アイドゥンが使用人と街へ出ると、ある少年が走行中の彼らの車に石を投げつけ、危うく事故を起こしそうになる。少年はアイドゥンが家主となっている家の住人だ。家賃滞納のため法律に基づきテレビなどを差し押さえた際、父親のイスマイルが執行官に殴られたことに少年は腹を立てていたのだった。

 この『雪の轍』は投石事件をきっかけにして起きる、長い長い会話劇である。上映時間は196分という長尺で、その大部分が登場人物たちの会話で占められている。それでもこの作品が観客の心を離さないのは、語られるテーマがロシア文学から採られた切実な問題を孕むからだろうか。とにかくなぜか惹きこまれてしまうのだ。

 まずは家主のアイドゥンと店子イスマイルとの間にトラブルが生じる。困窮状態にあるイスマイルたちにとっては、アイドゥンや彼の弁護士たちのやり方は非情すぎるものだが、アイドゥンにとっては契約を履行しないイスマイルは面倒な存在だろう。
 出戻りで退屈な日々を過ごしているネジラ(デメット・アクバァ)は、そんなアイドゥンに「悪への無抵抗」という考えについて問い質す(ネジラの念頭にあるのは離婚した自らの境遇に関してだが、家賃を滞納し続ける店子たちのことも片隅にある)。アイドゥンは悪に対抗しなければ、悪がはびこるばかりだと反論する。ヒトラーという悪に対して、ユダヤ人が自ら収容所へ向かえば、ヒトラーが恥じ入って改心するのか否か。アイドゥンはその答えは明らかだろうと言う。
 アイドゥンは妻ニハル(メリサ・ソゼン)とうわべだけを繕う疎遠な関係だ。アイドゥンは彼女が虚しい生活を慰めるために始めた慈善活動を快く思っていない。ニハルの周りに集まってくる連中が詐欺師のように思えるからだ。暖炉の火を前にして交わされるふたりの会話は、すでに何度も繰り返されたことの再現であり、ニハルは聞きたくないアイドゥンの言葉を遮る。
 それでもアイドゥンのニハルへ向ける目はとても優しい。アイドゥンの態度は「お前にもそのうちわかるだろう。今はおれに任せとけ」といったパターナリズム(家父長的温情主義)であって、それはニハルを“籠の鳥”のように扱うことだ。ニハルはアイドゥンのことを高潔な人だと認めつつ、だからこそアイドゥンは誰も彼もが嫌いで、周囲の人に窮屈な思いをさせると非難する。

『雪の轍』 アイドゥンとその若い妻ニハル。

 姉のネジラはアイドゥンと激しくやりあった後、アイドゥンの前には現れなくなり、作品から姿を消してしまう。だからニハルとの関係も、アイドゥンがイスタンブールへ旅立つと宣言したときに決定的な終わりを迎えるのかと推測した。
 しかしアイドゥンとニハルは、互いに自らの非を認めざるを得ない出来事に遭遇する。ニハルはアイドゥンが冷たくあしらったイスマイルたちに慈善の手を差し伸べようとするのだが、イスマイルはその善意を完全に足蹴にする(ドストエフスキー『白痴』の一場面を髣髴とさせるこの場面は、この作品のクライマックスとも言えるかもしれない)。イスマイルは家が買えるほどの金を受け取らず、あろうことか暖炉の火にくべて灰にしてしまうのだ。
 一方でアイドゥンも自分の目利きを否定される。アイドゥンが詐欺師と疑っていた男は、意外にもまともな人間だったのだ。そして、アイドゥンの改心前に描かれるのは、狩りに出掛けたアイドゥンがたまたま見付けたウサギを仕留める場面だ。弾を受けて息も絶え絶えのウサギの姿が痛ましい。
 実は、その前に「悪への無抵抗」の議論があったとき、アイドゥンは野生馬を購入している。カッパドキアは「美しい馬の地」を意味するのだそうで、その草原には野生馬が群れをなして走っている。そのなかの一頭を生け捕って、縄で首を締め上げ、地面に這いつくばらせて人間に従わせるように訓練するのだ。

 野生の弱肉強食のルールでは人間は生きにくい。野生馬は悪ではないけれど天然自然なわけで、荒れ狂うように暴れる馬をそのまま飼うことはできない。飼い慣らすには人間社会のルールにはめ込む必要がある。悪へ対抗しなければならないというアイドゥンの議論も、イスマイルたちとのトラブルにおいては、法律で決まったルールを守らせるということだろう。アイドゥンは情けよりも社会のルールを優先している。ただ、それはその方が楽だからかもしれない。偏屈なところのあるアイドゥンは考えもせずに、それまでのルールや習慣に固執するのだ。
 そんなアイドゥンが改心したのは、自分の原理原則が正しいと信じてきたにも関わらず、自分の行動が一貫したものではないと悟ったからかもしれない。「社会ルールの遵守(≒悪への対抗)」がアイドゥンの凝り固まった原理原則だとすれば、暴れる馬を飼い馴らすのはまあ腑に落ちるとしても、どう見ても弱い存在であるウサギを撃ち殺すことはどこから導かれるのか。もちろんそんな行動は導かれるはずもない。アイドゥンの行動はデタラメなのだ。
 人間なんてそんなものなのかもしれない。だから、イスマイルとのトラブルにおいても、「社会ルールの遵守」に固執するのではなく、イスマイルの窮状に耳を傾けることも可能だったはずなのだ。アイドゥンには気が向いたら馬を買って、飽きると逃がしてしまうような余裕があるのだから。そんなわけでアイドゥンは大切な気づきを経て、妻の前で我を折って謝罪することを厭わないだろう。

 前言を撤回してホテルへ舞い戻ったアイドゥンは、妻への正直な気持ちをモノローグで謳い上げる。そこにシューベルトピアノソナタ第20番の旋律が重なってくる。映像と音が見事にマッチした、詩情溢れる場面だったと思う(『昔々、アナトリアで』にもそうした部分があった)。ふたりが再会するとき、ホテルは一面の雪に覆われ、それまでの風景とは違う幻想的な姿を見せていてとても美しい。

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Date: 2015.06.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『ターナー、光に愛を求めて』 マイク・リーの新機軸?

 『秘密と嘘』『家族の庭』などのマイク・リー監督の最新作。
 『ハリー・ポッター』シリーズのピーター・ぺティグリュー役でも知られるティモシー・スポールは、カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を獲得した。

マイク・リー 『ターナー、光に愛を求めて』 ターナーを演じるティモシー・スポール。

 イギリスの庶民の生活を取り上げることが多いマイク・リー監督だが、今回の題材は実在したロマン主義の画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775年~1851年)である。(*1)絵画の素人が見ると、印象派っぽいが、時代はターナーのほうが先だ。イギリスでは最も有名な画家とのことで、夏目漱石も『坊っちゃん』のなかでターナーに言及している。
 『ターナー、光に愛を求めて』はそんなターナーの後半生を描いている。様々なエピソードはターナーの伝記的事実から採られている。たとえば、嵐の海を描くためにマストに自らの身体を縛りつけたり、展覧会で隣の画家の絵に対抗して即興で自らの絵に修正を加えたりしたのも、有名なエピソードなのだそうだ。

 マイク・リーのこれまで演出では、事前に脚本はなく、ある程度の設定から即興的に場面を描いていく。こうした手法はいつもの庶民の日常という題材ならば効果を発揮しそうだが、今回のような事実に基づいた物語となると、即興性がどこまで活かされているのかはわからない。その代わり今回の作品で意識されているのは、ターナーが題材を求めて出た旅先で発見する美しい自然の風景の数々だ。
 冒頭、オランダの風車の風景が描かれる。黄昏時の光のなかでスケッチブックにペンを走らせるターナーの姿を捉える、ゆっくりとした移動撮影。こんな審美的な映像はマイク・リー作品には珍しい(撮影はこれまでと同じディック・ポープ)。これまでの作品では、それほど広くはない家のなかで家族の小競り合いが描かれるのがほとんどで、四季を描いていた『家族の庭』ですら描写の対象はすぐそばの庭の風景だったのだ。
 作品中にはターナーの有名な作品も登場するが、それらの作品そのものをじっくりと見せるよりも、ターナーが題材としたその風景を映画のなかで再現することを狙っているようだ。「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号」という代表作に描かれた風景も、ただひたすらに美しい映像として捉えられている。そんな意味ではマイク・リー監督のこれまでの作品とは一味違ったものになっている。

(*1) いつもは現代劇のマイク・リー作品だが、今回はコスチューム・プレイものというかちょっと前の時代の話。日本では劇場未公開だった『トプシー・ターヴィー』は観ていないので詳細はわからないけれど、この作品も「ミカド」という演劇をつくったギルバートとサリヴァンをモデルにしているらしく、現代劇ではないらしい。

『ターナー、光に愛を求めて』 代表作「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号」はこうした風景から生み出された。

 ターナーの人物像は捉えどころがない風変わりな印象。ターナーは父親とだけは良好な関係を築いていて、父親も息子の仕事に協力的で、互いに大事な存在となっている。ただ女中に対するターナーの態度にはぶしつけなところがあるし、気が乗らない人の前などではYESともNOともつかない呻き声を漏らすだけで済ましている。その一方で展覧会などでは妙に社交的に振舞ったりもする。
 また愛人には子供を産ませ、孫までこしらえているにも関わらず認知することはないし、母親を精神病院に入れたらしいのだが、それを気に病む様子でもない。人間的には問題がある人物だが、画家としての評価があれば、そんなことはターナーには関係ないのかもしれない。晩年は港町の宿屋の未亡人と親しくなって添い遂げるものの、最後まで結婚することはない。そんな意味では人付き合いよりも、芸術を愛しているのだ。
 ティモシー・スポールが今までマイク・リー作品で演じてきた役は、どちらかと言えばおどおどして、人生の悲哀に途方に暮れているといった目をしていたのだが、このターナーの目は違う。朝日や夕日の光そのものを捉えようとする鋭い眼光をしているのだ。病いで先が長くないことを知ると「おれの存在が消えるのか」とつぶやくターナーは、それでも最後までスケッチブックを手放すことはない。彼にとっての存在の価値は、そうした光をキャンバスに再現することにあったのだろう。

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Date: 2015.06.25 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

ギドク脚本作 『鰻の男』 中国産の食物は本当に汚染されているのか?

 キム・ギドクが脚本と製作総指揮を担当した作品。
 監督はギドクの弟子らしきキム・ドンフ『レッド・ファミリー』では製作を担当)。
 妙な邦題になっているが、原題は「Made in China」である。

キム・ギドク脚本 『鰻の男』 主演のパク・ギウンは韓国では人気者だとか。彼が演じるのは中国人チェン。


 中国で鰻の養殖業を営むチェン(パク・ギウン)は、韓国へ輸出した自分の鰻が検査で水銀が検出されたことを知る。自分の鰻にプライドがあったチェンは、生きた鰻を持って韓国へ密航する(通常のルートでは生きた鰻は持ち込めないらしい)。韓国の食品安全庁へ辿り着いたチェンは、再検査を求めて女性監視員ミ(ハン・チェア)に掛け合うことになる。

 『鰻の男』では、中国と韓国との関係が描かれる。さらに中国のなかの朝鮮族も登場する(中国にいながらも朝鮮語=韓国語を話すらしい)。韓国は資本主義国として中国からの出稼ぎ労働者を受け入れてきたようだ。密航船では中国人と朝鮮族が韓国に希望を抱いて渡ろうとする。
 それでも韓国は彼らに厳しい。中国はなりふり構わずに近代化を進めたが、その分環境汚染問題などはおろそかになった。隣国の韓国でも中国産の食物は汚染されたものとして、ゴミのような扱いを受けるのだ。主人公チェンの持ち込んだ鰻もそうで、再検査をしてみてもやはり水銀が検出される。
 チェンのプライドにも関わらず、中国産の食物は汚染されていたのだ。中国人としてのチェンは、そうした事実に自分も中国の人間として汚染されているのかと問いかける。一方で韓国のミは、中国産の鰻を閉め出しつつ、実は裏ではその廃棄すべき鰻で金儲けをしている(ヤクザ者も絡んでいる)。廃棄すべき鰻に群がって儲けようとする裏社会の人間、さらには安ければ何でも構わないという消費者もいる。
 しかも、監視員ミはチェンのことを気に入ってその体を求めてしまう。憐れみを覚えたのかもしれないし、若い男が欲しかっただけかもしれない。中国産の食品は毛嫌いしているのに、中国の男はいいのか? チェンはまた問いかける。
 そんな中国人チェンからの問いかけに、韓国のミは自己を省みつつ悩む。中国が汚染されているのではなくて、実は韓国の自分たちのほうが汚染されているのではないか。魂が汚れきっているのではないか。このへんの自虐的とも言える展開はギドクらしい気がする。

『鰻の男』 女性監視員ミを演じるハン・チェア。

 食品の安全をテーマにしているようにも見えるが、ギドクの意図はそれだけじゃないだろう。ギドクはこの作品について「食物に対する偏見は、食物が作られた国に対する偏見でもあるのではないか」と語っている。同じ食物でも「メイド・イン・チャイナ」とか「メイド・イン・コリア」など差別化がなされ、それによって評価が変わったりする。それはその国で生まれた人間も同じことであり、日本を含むアジアの国々でも、それぞれの国に対して偏見を抱いているのではないか。ギドクはそんな方向へ議論を進めようとする。
 ただ、ギドクがこの脚本を書いたのは約5年前とのことだが、その間に中国産食品に対する信頼はガタ落ちになってしまったのだ。たとえば、某ファストフードの中国の加工工場ではとんでもないチキンナゲットがつくられていた。これは大きな話題になったし、某ファストフードでは中国製のナゲットをやめてタイ製に変更した。事実としてこうした報道がなされるとさすがに偏見とだけも言えなくなるわけで、ちょっとタイミングが悪かったような気もする。
 「中国産の食物は本当に汚染されているのか?」という問いかけは、「いや、そうじゃない。」と反語的な意味合いを含んでいたはずが、現実を反映したためか「そうです、汚染されています。」という結論になってしまったわけで、妙に据わりが悪い。チェンは最後には鰻に対する愛情ばかりに支配されているように見え、他国に対する偏見というテーマは忘れ去られてしまったようだ。
 チェン役のパク・ギウンは韓国では人気者だとか(前売りを買ったらポストカードが付いてきた)。相手役のハン・チェアは最後まで厳しい表情を崩さないが、なかなか顔立ちの美人さん。

 『魚と寝る女』のように半身を切られた魚が泳いだりする場面がある。また、チェンは自分の汚染度合いを測るために、自らの肉を切り取り検査機にかける(『嘆きのピエタ』にもそんなシーンがあった)。こうした悪趣味さはギドクの脚本に書かれていたものだろう。
 最近のギドクは、あまり出来の良くない脚本を弟子に監督させているんじゃないかとも思える節もある。この脚本も出来がいいとは言えない。密航の際に助けられた男の恩返しのために、復讐に向かうというエピソードがあるけれど、あまりに説得力に欠けるし、偏見というテーマとも関わってこないので、監督も困ったんじゃないだろうか。弟子にチャンスを与えているのだろうが、その弟子たちがきちんと育っているのかまでは伝わってこないようだが……。

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Date: 2015.06.22 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 試写会で鑑賞したけれど、劇場でもまた観たい

 あの『マッドマックス』シリーズの久しぶりの最新作。本作もシリーズの生みの親ジョージ・ミラーが監督である。
 今回は試写会にて鑑賞。劇場公開は本日(6月20日)から。
 一足先に観られる上に、ちゃんと3Dでの上映ということでありがたい(報知新聞社様に感謝!)。

ジョージ・ミラー 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 手前がフュリオサを演じるシャーリーズ・セロン。

 第1作の『マッドマックス』は、妻と子供を暴走族に殺されたマックスが狂気に陥る映画だったとすれば、『マッドマックス2』は世界そのものが狂気に支配されていた。第1作も近未来が舞台だったが、そこではまだ文明社会というものがあって、無法者を取り締まる警察組織も機能していた。それが2作目になると一気に変貌する。
 大国同士の戦争により世界は荒廃し、水とガソリンを奪うために簡単に人が殺される弱肉強食の掟だけがある。モヒカン刈りのパンクな野郎たちが幅を利かし、改造車が暴走し略奪を繰り返す。なぜジョージ・ミラーだけがそんな世界を構築できたのかわからないが、『マッドマックス2』のビジュアルイメージは圧倒的で、多くの追随者を生み出した。

 私自身は『マッドマックス2』をリアルタイムで観ているわけではない。ただ、だいぶ遅れて『2』を発見したとき、「こいつは『北斗の拳』じゃないか」と思った。日本にはそんな人が結構いるんじゃないかと思う。
 原哲夫の描く漫画のキャラは、映画のなかからパクっていることも多い。漫画『北斗の拳』の主人公のケンシロウはブルース・リーの色が濃いし、一時はスタローン風になったりもした(「修羅の国」篇あたり)。ラオウはもちろんシュワルツェネッガーだし、リチャード・ギア風のキャラとかデヴィッド・ボウイ風のキャラなんかもいた。
 そんななかでも最も影響を受けていると言えるのが、『マッドマックス2』なのだろうと思う(公式HPにも原哲夫のコメントがある)。ケンシロウは拳法使いなのにいつもライダースジャケットというあたりもそうだし、『北斗の拳』という作品全体を貫く世紀末観の多くが『マッドマックス2』の世界観からスタートしている。そんなわけで『北斗の拳』にリアルタイムで夢中になった世代としては、『マッドマックス2』の世界にも何か近しいものを感じてしまうのだ。

 最新作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』も『2』の世界を引き継いでいる(第3作『マッドマックス サンダードーム』は世紀末感は薄まっている)。マックスが元警官だということも、愛車のインターセプターも同じだけれど、亡くなった子供はなぜか女の子に変更されたりもしている。第3作から続きではなく、第2作のリブート作品と言えるのだろう。冒頭のナレーションの部分とか、カゾリンを積んだタンクで荒野から約束の地へ向かうあたりもよく似ている。
 物語はほとんどない。暴漢に追われ捕えられたマックス(トム・ハーディ)が、シタデルという砦を構えた支配者イモータン・ジョーと部下フュリオサ(シャーリーズ・セロン)の争いに巻き込まれ、あとは怒涛のアクションが展開していく。故郷グリーン・プレイスへ向けて逃走するフュリオサたちと、それを追跡するイモータン・ジョーの改造車軍団。CGばかりのアクション映画に辟易している人も、この作品のリアルなアクションには目を瞠るんじゃないだろうか。
 カー・アクションが凄まじいのが『マッドマックス』シリーズだけれど、この最新作もスケールアップして楽しませる(しかも3D)。棒高跳びの要領で車に飛び移るのは第1作でも披露していたけれど、本作では似たことを猛スピードで疾走する車からやっている(車は略奪用に改造されている)。とにかく見たこともないアクション・シーンの連続に2時間はあっという間だった。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 マックス(トム・ハーディ)は輸血用の袋として連れまわされる。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 イモータン・ジョーの妻たちは鎖につながれたマックスと格闘する。このシークエンスもよかった。

 ジョージ・ミラー以下のスタッフが創りあげた新たな世界観も見所だ。イモータン・ジョーは水やガソリンを独占し、民衆を支配下に置く。“ウォーボーイズ”と呼ばれる白塗りの男たちの雰囲気は『地獄の黙示録』のジャングル奥地の原住民のよう(白塗りの子供たちも登場して、そこだけは『呪怨』みたいなのがおかしい)。“ウォーボーイズ”は教祖のジョーの命令に従うことに命を賭けており、ドラッグをキメながら荒野の戦いにおいてジハードさながらに死んでいくことを求めている。
 戦闘部隊は改造車のオンパレードで、士気を鼓舞するためかドラム隊に加え、炎を吹き上げながらギターをかき鳴らす男がいる(この作品で一番のバカキャラだ)。囚われたマックスが車体の前に括りつけられているのは、“輸血用の袋”としてというのがすごい。シニカルな態度で人を「血の詰まった皮袋」と呼ぶのではなく、実地でそれをやっているというのだから何ともイカれている。砦では乳牛の代わりにホルスタイン級の乳を持つ女が搾乳されているし、人を人とも思わないという現実とは異質の世界観なのだ。
 これまでの3作品と違っているのは女たちの存在だろうか。もちろんマックスの奥さんとかティナ・ターナーとか女が登場してこなかったわけではないのだけれど、今回のイモータン・ジョーの妻たちはみんなモデルみたいな風貌で、荒野のなかで水浴びする彼女たちの姿は鮮烈な印象だった。(*1)
 そして、そんな彼女たちのリーダーであるフュリオサを演じるシャーリーズ・セロンは、まったくシャーリーズ・セロンらしさを感じさせない。丸坊主にパンダメイクで片腕という、ほとんど原型を留めていないような姿。『モンスター』でも人相を変えて殺人鬼に化けたシャーリーズ・セロンだけれど、それ以上に気合いが入っている。
 女たちの頑張りの分、主人公マックスが幾分おとなしかった感も否めないけれど、あのメル・ギブソンだって第1作目ではまだまだ野暮ったかったわけだし、トム・ハーディにはここから続く続篇で新しいマックス像を見せてくれることに期待したい。
 こうして『マッドマックス』について色々と感想など書いていると、何だかそんなこともわずらわしくもなり、そんなことよりもう一度映画館でその世界に浸りたいという気分になってくる。感想なんか書くよりも、映画を観るほうが楽しいわけで、もう一度映画館で観たいと思う。

(*1) 個人的には『北斗の拳』でレイの妹のアイリが登場した場面を思い出した。色々「パクッた」とか書いているけれど、『北斗の拳』が大好きなのでお許しを……。『北斗の拳』の何が魅力かと言えば、原哲夫の描くキャラなのである。アニメ版は原哲夫の絵を再現できずに苦労していたように思える。そのくらい原哲夫の筆力は圧倒的なのだろう。

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Date: 2015.06.20 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (26)

是枝裕和の最新作 『海街diary』 「皆まで言うな」という感覚

 原作は吉田秋生の同名漫画(連載は現在も不定期に続いているらしい)。
 監督は『そして父になる』などの是枝裕和

是枝裕和 『海街diary』 幸はすずに鎌倉の家で一緒に暮らすことを提案する。


 鎌倉の古い一軒家に住む三姉妹に父の訃報が届く。父は15年前に離婚して家を出ていたのだ。葬式で初めて顔を合わせたのが、母親が異なる歳の離れた妹・すず。血のつながった父と母を亡くしたすずは、姉たちのいる鎌倉にやってくることになる。

 四人の美人姉妹が織り成す四季折々の生活はそれだけで絵になる。すず(広瀬すず)を呼び寄せたのは長女の幸(綾瀬はるか)だし、初めて四人が並んだときも中心は幸とすずになっていて、物語の中心にはこのふたりがいる。
 原作漫画をネットで試し読みすると、幸と異母妹のすずはその風貌からしてよく似ているし、どこか境遇も似ている。ちなみに姉妹を結び付けている父親は、次女・佳乃(長澤まさみ)と三女・千佳(夏帆)によれば「やさしい人」なのだが、長女の幸からすると「やさしくて、ダメな人」
 幸はそんな父が家を出た後、それをきっかけに姉妹を捨てて出奔した、これまたダメな母を目の当たりにして、妹たちのために母親役をやらざるを得なかった。そのため人当たりがきつい部分もある。片や、すずも父親の不倫の末にできた子供という厄介な身の上で、さらにすずを産んだ母親も亡くなり、新しい母親との生活を余儀なくされていたわけで、まだ幼いわりにしっかり者だ。
 幸たちからすれば、すずは家庭を壊した女の娘でもある。いくら血がつながってはいても「犬や猫じゃないんだから」という大叔母(樹木希林)の心配もわからないでもない。ただそんな厄介事を抱えていても、この家ではそれほど事態が深刻になることもないようだ。ムードメーカーといった感じの佳乃や、マイペースな千佳が自然と中和剤となっているからだろうか。

『海街diary』 漫画版と映画版のキャラはこんな感じ。三女だけ妙に雑な感じだが、いい味を出しているのだろうと推測する。

 雑誌「SWITCH」のインタビューでは佳乃役の長澤まさみが、この作品を評して「重い話がさらっと描かれている」と語っている。まさにその通りで、題材としては結構重い。しかし、鑑賞後はそんな重苦しさを感じさせないさわやかな印象が残る。
 原作漫画は未読だが、題名に「diary」とあるように、日記のような小さなエピソードが積み重なっていくのだろう。映画版『海街diary』も大きな主題があるというよりは、様々なエピソードが積み重なっていく。それぞれの恋の話とか、海猫食堂や山猫亭のエピソードなど、サブエピソードも重要な位置を占める。

 修羅場もある。一番の修羅場は幸たちを捨てて出て行った母親(大竹しのぶ)が顔を出す場面。幸と母親は家のことで言い争いを始めるのだが、大叔母の一言はその場を笑いに収めてしまう。次の日に再び顔を合わせた幸と母親は、気まずい雰囲気ながらもそろって墓参りに向かい、いつの間にかに仲直りをしてしまう。
 また、すずは自分の母親に対する批判として「奥さんがいる人を好きになるなんて、お母さんよくないよね」と語るのだが、それは意図せずに幸へ当て付けた形になってしまう(幸もまた妻子ある男性と付き合っているから)。ただ、そうした事態の解決は曖昧模糊としている。正面切って詫びたりするのではなく、次女の佳乃が関係ない与太話をしているうちにうやむやになっていく。ここでは「皆まで言うな」といった感覚が共有されていて、姉妹が互いを気遣っているということが伝われば丸く収まるのだろう。
 作品全体もそこはかとなく何かを匂わせる感じで、言い換えれば突っ込みが足りなくぼんやりしてもいる(個人的にはやや物足りない気もした)。その分、何気ない日常の風景が楽しく、鎌倉という場所の魅力もたっぷり詰まっている。観光地は外しているけれど、シラス丼とか海の見えるカフェなんかを見れば、一度は鎌倉に遊びに行きたくなるだろう。

 四人の女優陣は皆個性的でよかったと思う。何より浅野すずを演じた広瀬すずは、漫画のキャラそっくりだし、名前まで同じというのだからまさにぴったりの役柄(サッカーがうまいのも本当のことらしい)。そんな広瀬すずに惚れこんだのかどうかはわからないけれど、桜のトンネルの場面で彼女の表情をなめ回すように撮るところは、ほとんどアイドルのプロモーションビデオといった雰囲気すらあった。もちろん広瀬すずは掛け値なしに可愛らしいのだけれど……。

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Date: 2015.06.17 Category: 日本映画 Comments (2) Trackbacks (9)

河瀨直美監督の最新作 『あん』 どら焼きだけに口当たりはいいのだが……

 河瀨直美監督の最新作。
 原作はドリアン助川の同名小説。ドリアン助川は河瀨監督の『朱花の月』では明川哲也という名前で役者として出演しているわけで、そうした縁での映画化ということだろうか。

河瀨直美監督 『あん』 主役の樹木希林。その下の内田伽羅はもちろん樹木希林の孫。永瀬正敏もいい味を出している。


 どら焼き屋「どら春」で雇われ店長として働く千太郎(永瀬正敏)は、桜の咲く季節にある老女・徳江(樹木希林)と出会う。徳江は“年齢不問”という求人広告を見て「雇ってくれるか」と訊ねてきたのだった。千太郎は適当な理由をつけて断るのだが、徳江は手作りの粒あんを持って再び現れ……。

 河瀨作品の今度の舞台は東京である。奈良の山の緑(『萌の朱雀』)もなければ、奄美の青い海(『2つ目の窓』)もない。西武線沿線のごく普通の住宅街だ。ただ冒頭(ラストも)の季節は桜のころで、淡い桜色の風景が心地いい空気を生み出している。
 そんな桜を眺めつつ感に堪えないといった様子の徳江が歩いてくる。物語の始まりはあまり流行っていないどら焼き屋に現れた暇を持て余した老女と、やる気の感じられない店長、さらに常連客の中学生ワカナ(内田伽羅)のふれあいを描いていく。
 徳江は小豆の炊くのにも鍋に顔を寄せ、小豆の声に耳を澄ます。そんな真剣さが伝わるのか、鍋のなかの小豆も一粒一粒が輝いて見える。それまで出来合いの粒あんで満足していた千太郎も徳江の作る粒あんの美味しさだけはわかり、次第にどら焼き屋の仕事にものめり込んで行く。
 しかし、あることが問題になる。徳江は手が不自由だったが、それはハンセン病の後遺症だった。徳江の作った粒あんが評判となり、一時は行列までできた「どら春」だが、ある時期からぱったりと客足が途絶えてしまう。オーナー(浅田美代子)は徳江の病気の噂を聞きつけて、千太郎に徳江を追い出すようにと迫る。

『あん』 樹木希林演じる徳江。ちょっと手に違和感はあるがごく普通の老女。

 前半ののんびりした雰囲気が急展開し、ハンセン病とそれに対する差別が主題化される。ほとんど事前の情報もなく観ていた私はいささか戸惑った(ちなみにチラシには病気のことは何も書かれていない)。徳江は手が不自由なことを除けば、ほかに何も問題はなさそうに見えたからだ。
 ハンセン病(らい病)は聖書のなかでもその存在が記されている病で、それが進行すると手足や顔に変形が生じることから忌み嫌われてきた。日本でも「らい予防法」という法律で患者は療養所の隔離されることになっていたのだ。その法律が廃止されたのは1996年だからそれほど昔のことではない。現在では治療法も確立し、患者たちも自由を取り戻したはずだが、社会の側にはいまだに差別が残る。

 被差別者(徳江)とそれを守れなかった者(千太郎)、さらにもしかすると差別されるきっかけをつくったかもしれない者(ワカナ)。3人にはそんな関係がある。また、3人は“囚われの身”になっている点でも似ている部分がある。療養施設に隔離されざるを得なかった徳江と、借金で「どら春」という店に囲われている千太郎、母子家庭で居場所がないのか「どら春」の常連となっているワカナ(加えればワカナが連れている籠の中のカナリアも)。
 3人は療養所で再会する。千太郎とワカナが徳江を訪ねたのは、似たような境遇にあるとも言える徳江から先達の智慧をもらいたかったからなのかもしれない。そして徳江はそうした智慧を手紙にしたためて死んでしまう。
 徳江は小豆の言葉に耳を澄ませと言っていた。小豆には小豆の言葉がある。風には風の言葉がある。月には月の言葉ある。言葉があるというのは、意味があるということだろう。小豆にも風にも月にも意味はあるし、当然われわれ人間にも意味がある。それは次の徳江の言葉へつながっていく。
 

私達はこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。この世は、ただそれだけを望んでいた。……だとすれば、何かになれなくても、私達には生きる意味があるのよ。


 これは徳江が人生のなかで掴み取った考えで、尤も至極なことである。これを批判することは誰にもできない。それでもこの作品ではそれがあまりにも軽々しく響いた気がしてならなかった。

 なぜかと言えばハンセン病を題材としているわりに、とても口当たりがいいからだ。療養所のなかでは患者らしき人の姿も見られるが、それを如実に映そうとはしない。ワカナがハンセン病の歴史を学ぶための本のなかでは多少は触れられるのだが、具体的な描写は意図的に避けているようにも見える。
 また、徳江を演じている樹木希林はとてもよかったと思うが、良くも悪くも樹木希林にしか見えない。それは徳江の友人・佳子を演じた市原悦子も同じだ。つらい過去を背負ってきたはずのふたりだが、それがいつもテレビで見るお馴染みの顔であるというのは安心はできるけれど、虚構の部分が露わになりすぎて鋭いところまでは届かない気もする。
 ドキュメンタリー作品から出発した河瀬監督ならば、もっと踏み込むことができたはず(見たくない自分の過去なんかも積極的に描いているし)。勝手に推測するに、題材に遠慮があって、その分口当たりがいい泣かせる話になっているようにも思えた(このインタビューでは出資者が見つからなかったと話している)。あまりに塩を効かせすぎると幅広い層の口には合わないということだろうが……。

 そのあたりが気になって映画のあとに原作を読んでみた。原作では徳江の友人・森山(映画では市原悦子が演じた佳子のこと)は「下唇が垂れ、歯茎がのぞいている」ほどハンセン病の後遺症があることになっている。
 徳江から手紙を預かっていた森山は、徳江の言葉を批判する。実際に「小豆の言葉が聞こえるわけがない」と。そして徳江にもそれを認めさせてもいる。しかしそのうえで次のように森山は続ける。

「店長さんたちをがっかりさせちゃいけないんだけど……トクちゃんもその時に言ったの。小豆の言葉なんて聞こえるはずがないって。でも聞こえると思って生きていれば、いつか聞こえるんじゃないかって。そうやって、詩人みたいになるしか、自分たちには生きていく方法がないんじゃないかって。現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには、囲いを越えた心で生きるしかないんだって」


 「私達には生きる意味がある」という言葉も、そうした葛藤の末にぎりぎりで搾り出した言葉であり、「すべてに意味がある」というのは、「そう思いたいという願い」なのだ。
 映画版ではそのあたりの屈折がなく、さらっとストレートに口に出された感じがしたのだ。しかもその言葉は千太郎やワカナにも共通するものとして述べられている。もちろんそれは間違いではないけれど、背負っているものが明らかに違うわけで、徳江の言葉ということでなければ説得力を欠くと思う(中学を卒業したばかりのワカナがそんなことを語ったとしたら素直に受け取れるわけがない)。
 河瀬監督が描く自然のあり様は都会を舞台にしても魅力的で、療養所の木々の上に浮かぶ月は作られたものみたいに幻想的だったし、患者たちの墓標でもある木が本当に息をしているように見える場面には目を瞠った。それだけにちょっと遠慮気味な部分が残念……。

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Date: 2015.06.11 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『リピーテッド』 前向性健忘というループに囚われる

 ニコール・キッドマン主演のミステリー。
 監督・脚本はローワン・ジョフィ。原作はSJ・ワトソンのベストセラー「わたしが眠りにつく前に」

『リピーテッド』 ニコール・キッドマン主演のミステリー作品。


 クリスティーン(ニコール・キッドマン)は知らない部屋のベッドで目が覚める。しかも隣には見知らぬ男。一体何が起きたのかわけもわからずにその場を逃げ去ると、バスルームにはクリスティーンが結婚した証拠写真がある。隣に寝ていた男は実は彼女の旦那であり、クリスティーンは記憶障害ですべてを忘れてしまっているのだという……。

 “前向性健忘”という障害を題材として扱った作品には『メメント』がある。この『リピーテッド』のクリスティーンの障害も“前向性健忘”である。『メメント』の場合は10分程度の記憶しか保てなかったが、『リピーテッド』は約1日という設定。夜眠ると次の日にはすべてを忘れてしまう。正確には20代くらいまでの記憶はあるのだが、それ以降の記憶はすべてなくなり、新しく覚えたことを次の日に持ち越すことはできない。
 クリスティーンにとっては毎日が記憶障害と初めて向き合う1日になるわけで、邦題が『リピーテッド』となっているのは、この作品が“ループもの”のように見えるからだろう。“ループもの”は同じ時間が延々と繰り返されるという類いの作品のことだ。
 有名なのは『恋はデジャ・ブ』で、主人公フィルはある1日に囚われ、そこから逃れることができない。フィルの記憶は継続していくわけだが、その世界はいつまでも同じ1日を繰り返す。フィル以外の人間はすべてがリセットされるから、フィルはループする時間を利用して悪事を働いたりもする。それでも次の日には誰も何も覚えていないから問題はない。
 『リピーテッド』もそうしたルールに則っている。ただこの場合すべてがリセットされてしまうのは主人公のクリスティーンのほうで、世界の時間は普通に流れている。だから『メメント』にもあったように記憶障害を利用してクリスティーンに別の記憶を植え込もうとするような悪い人物がいないとも限らない。

 あやしい人物はほとんどふたりに絞られている。まずはコリン・ファースが演じる夫ベンだ。結婚式の写真を見せられ、14年前に結婚したと説明されるわけだが、初めて知った男を急に信用できるわけもない。それでも記憶障害のあるクリスティーンの世話をし、毎日繰り返されているはずの朝の行事(記憶障害であることの告白)にも優しさが感じられなくもない。
 半信半疑のうちに今度は医師を名乗る男ナッシュ(マーク・ストロング)から連絡がある。それによるとクローゼットの奥に記録用のカメラがあるのだという。ナッシュは夫には内緒でクリスティーンを治療しているのだとも語る。そしてカメラに残された映像からは過去のクリスティーンが、その記憶を失ったクリスティーンに語りかけている。

『リピーテッド』 クリスティーンは記録を残すためにカメラに向かって語りかける。

 ※ 以下、ややネタバレな部分あり!

 夫の言葉は本当なのか? 医師の目的は治療なのか? そうした疑心暗鬼が渦巻く設定はとてもおもしろい。“前向性健忘”をうまく使って“ループもの”のジャンルに寄せているのはいいアイディアだと思うのだが、そこから先が何もなかった。『メメント』とか“ループもの”を観ている人には、あらかた予想がつくのではないだろうか。
 結婚式の写真など作ろうと思えばどうにでもなるわけで、『メメント』の主人公が自分の身体に記録を刻み込んでいたのは今さらながらよく考えられていたものだと、別のことに感心してしまう(脚本はジョナサン・ノーラン)。映像から語りかけてくるのが記憶を失う前の自分だというのは、『トータル・リコール』あたりを思わせるのだけれど、映像のなかの自分が今の自分を騙そうとするような予想外の展開があるわけでもなく、真相が明らかにされてもそれほど驚きというものは感じられなかった。
 “ループもの”は同じことが繰り返されるわけで単調になる部分もある。この作品では意味もなく観客を驚かせるような場面が挿入される。たとえばクリスティーンが車に轢かれそうになってクラクションを鳴らされるとか。このあたりは物語の展開でうまく引っ張っていけない苦渋の策みたいにも感じられた。

 ニコール・キッドマンもさすがにもういい年齢だと思うのだが、朝起きたら見知らぬ男に抱かれているという驚きの部分は妙にうぶっぽく見えなくもない。クリスティーンはまだ20代というつもりだからかもしれないのだが、容貌にはやや衰えが見える(本当は40代だし、かすかに殴られた跡もある)のは、ニコール・キッドマン自身の衰えというよりはクリスティーンの驚きを表現したものだろうか。
 『記憶探偵と鍵のかかった少女』でも記憶を探っていたマーク・ストロングは渋くていいのだけれど、ほとんどキャラが同じようにも見えるのが難点か。

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Date: 2015.06.04 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (4)
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