『新宿スワン』 園子温の作品というよりは綾野剛の作品か

 同名の漫画を原作にした園子温監督の最新作。
 主演には『白ゆき姫殺人事件』『そこのみにて光輝く』で昨年度のキネマ旬報誌の主演男優賞を獲得している綾野剛

園子温 『新宿スワン』 白鳥龍彦(綾野剛)は真虎(伊勢谷友介)からスカウトのイロハを教わる。


 人生の最下点にいた白鳥龍彦(綾野剛)は歌舞伎町にやってくる。帰る電車賃もない状況で、歌舞伎町は一から始めるにはぴったりのところ。チンピラに絡まれて大喧嘩をしていたところを、真虎(伊勢谷友介)という男に助けられスカウトマンとして働くことになる。

 歌舞伎町のスカウト業界の裏側を描いた作品。女の子への声のかけ方を学ぶところから始まり、紹介した女の子の行く末や、業界内の縄張り争いなんかもあって、普段は見ることのない世界を垣間見られる。
 物語の中心となるのは、真虎と龍彦たちのスカウト会社バーストと対立するハーレムとの抗争。スカウトたちの裏にはヤクザも絡んでいて、“殺し”まではしないもののやってることはかなり危ない。睨まれたら二度と歌舞伎町に近づきたくないくらいの痛い目には遭わされる。
 それでも一応はスカウトという商売は、歌舞伎町に集まる女の子にキャバクラや風俗やAVの仕事を紹介すること。龍彦は彼女たちのすべてに幸せになってもらいたいが、そうでない場合もあって、リストカット癖のあった栄子(真野恵里菜)は自殺し、助けてやったアゲハ(沢尻エリカ)もクスリ漬けとなってしまう。

『新宿スワン』 修羅場を逃げ出したアゲハ(沢尻エリカ)と龍彦。沢尻エリカは下着姿で走り回っている。

 私は原作を読んでいないのでどれだけオリジナルを反映しているかはわからないけれど、映画版『新宿スワン』はスカウト陣の面々がバラエティに富んでいる。抗争を煽るために敵陣でボコボコにされるのを楽しんでいるみたいな関玄介(深水元基)は、バカと紙一重みたいだけれど意外にも会社のことを考えている(真虎に出し抜かれたりもするわけだが)。ハーレム側の幹部で頭がキレる葉山豊は、腹に一物ありそうな様子。演じるのは『東京難民』でも裏社会の人物を演じていた金子ノブアキで、またあやしい雰囲気を醸し出している。続篇ができたとすれば真虎と葉山豊の関係はもっと踏み込んで描かれそう(原作は38巻まであり、先は長そう)。
 そんななかでも綾野剛演じる龍彦のキャラはよかったと思う。ほかのキャラのようにカッコよいわけではなく、直情径行型の甘ちゃんなんだけれど憎めないところがあった。半年だけ先輩の洋介(久保田悠来)をおちょくるあたりは、これまでの綾野剛のキャラと違って笑える。評判の高かった『そこのみにて光輝く』みたいな役柄ばかりではなくて、こんな役もできるのかとちょっと驚いたところ。
 最後は昔の因縁が絡む南秀吉(山田孝之)との対決へと進んでいく。龍彦がビルの谷間を跳躍する場面は、『GO』の窪塚洋介みたいでカッコいいのだけれど、着地が決まらないでずっこけるあたりは愛らしい。ケンカしたあとに空を見つめて仲直りというベタな展開はどうかと思うけれど、そんな龍彦の甘さが悪いほうに転がるという意味では、あのベタさは龍彦の甘さそのものだったのかもしれない。

 園作品は『地獄でなぜ悪い』『TOKYO TRIBE』とバカ騒ぎばかりが目立つ作品が続いたけれど、この作品もメジャー系のものとして園子温の独自色が強いものではない。それでも漫画が原作で脚本にもタッチしていない作品を、そつなくこなしてしまう器用さも感じられた。
 最初のほうでは横長の画面の中央に龍彦の顔がアップになると、左右がスカスカなのが妙に気になったのだけれど、最後の階段でのアクションでは横長の画面をうまく使っていたと思う。

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園子温の作品
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Date: 2015.05.31 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (9)

『パラダイス3部作 愛/神/希望』 ウルリヒ・ザイドルという監督

 オーストリアの映画監督ウルリヒ・ザイドルの作品。ウルリヒ・ザイドルはドキュメンタリー作家としても国際的に評価されているとのことだが、この3部作は劇映画であり、それぞれカンヌ・ヴェネチア・ベルリンの映画祭に出品されて話題となった。
 日本では昨年2月から劇場公開され、先月DVDが発売となった。

ザイドル3

 この3部作は一応『パラダイス:愛』『パラダイス:神』『パラダイス:希望』という順番になっているようだが、それぞれは独立した作品であり、どれから観ても問題ない(私はたまたまレンタルできた順に『神』⇒『希望』⇒『愛』と鑑賞)。
 それぞれの作品の主人公にはつながりがある。『愛』でケニアのリゾート地で黒人たちを漁る中年女性テレサは、『神』で信仰に生きるアンナ・マリアの姉である。そして『希望』においてダイエット合宿で中年医師に惚れてしまうメラニーはテレサの娘だ。
 『神』のアンナ・マリアは性的放埓に陥る人を見て「罪深い人をお赦しください」などと祈っているのだが、これは正当な順番で観た人には『愛』で黒人を金で買っていた姉テレサのことを指すようにも感じられるのだろう。3部作は夏休みという時間を共有しており、それぞれの作品のなかに別作品の登場人物も顔を出す。
 それぞれの主人公たちは身体性が意識されているようだ。『愛』のテレサは贅肉の充実ぶりで際立っていて、ルノワールの裸婦(『浴女たち』)のようなふくよかさを見せる。『希望』のメラニーも親ゆずりのぽっちゃりで、母親テレサがケニアにいる間にダイエット合宿へと送り込まれる。『神』のアンナ・マリアの場合は、夫が事故で半身不随になったことにより信仰に目覚め、禁欲的な生活を送るようになる。しかも自らの背中を鞭で打ってみたり、腹部に棘を巻いて苦行めいたことをしてみたりもする。

 3部作のなかでザイドルという監督のスタイルが最も特徴的に表れていたのは『パラダイス:神』だったように思える。『神』の冒頭では、アンナ・マリアの満ち足りた生活が描かれる。カメラは固定され、アンナ・マリアの姿を静的に捉えていく。掃除が行き届き余計なものがない部屋で、イエスへの愛に満ちた静かな日々。画面の構図は左右対称を基本として、中心にはアンナ・マリアが配置されたりイエスの姿があったりする。
 ザイドルの作品はどれも広角レンズを使用しているようで、被写界深度が深い画面をつくっている。通常のカメラならば背景よりも中心のアンナ・マリアに焦点が当たるわけだが、ザイドル作品では背景にもアンナ・マリアにもくまなく焦点が合っているために、左右対称を意識された画面が際立つようだ。

ザイドル2

 『神』では、2年間も不在していたという夫ナビルが戻ってくると、アンナ・マリアの静かな生活は崩れる。どういう事情かは説明されないが、ナビルはムスリム(イスラム教徒)である。ナビルは2年前事故で車椅子の生活となったようで、事故をきっかけに酒に溺れたわけだが、アンナ・マリアはそうした試練によって信仰に目覚めたらしい。
 アンナ・マリアはイエスへ愛を捧げている。休みの日にはマリア像を抱えて布教に励んだりもする。実に敬虔なキリスト教徒なのだが、アンナ・マリアのイエスへ向ける視線は艶めかしいものがある。イエスを恋人のように想っているらしく、挙句の果てにはベッドにまで十字架像を誘い込んでハレンチな行為をしてみたりもする。一方、戻ってきたナビルは妻の愛が一向に自分へ向かわないことに不満を感じる。アラーを信じるムスリムとしてはイエスのことが忌々しい。
 宗教的不寛容というよりも互いの自分勝手さが爆発したとき、ふたりはくんずほぐれつの取っ組み合いとなる。ナビルは性的には不能のくせにアンナ・マリアを押し倒そうとし、アンナ・マリアはそれに対抗する(ふたりは必死だが傍から観ている側としては笑うしかない)。最後にアンナ・マリアは試練ばかりで救ってくれそうにないイエスに対して唾を吐きかける。
 こんな構図は『パラダイス:愛』にもある。テレサは太っていても白人である。テレサには黒人は白人女性に憧れを抱いているという優越意識がある。そして言葉が通じないからと差別的な言葉も吐きもする。そんな不愉快な白人が結局は黒人に騙されているというのがおもしろい。黒人はテレサに甘い言葉を囁きながらも、内心では彼女を“シュガーママ(パトロン)”としか考えていないのだ。白人は不愉快だけれど、黒人もずる賢い。そんなふうに関係は相対化される。
 『神』のアンナ・マリアは敬虔さを見せていた。一方で夫ナビルはムスリムが禁じられているはずの酒を飲んだりもする普通の男。アンナ・マリアはイエスを信じきれず試練に耐えきれなかった点で、ナビルと同じ位置にまで引きずり降ろされている。結局、どっちもどっち。同じ穴の狢にすぎない。そんなことが感じられてちょっと残酷でもあり、虚しくもなったりもする……。

 『パラダイス:希望』では、ダイエット合宿なのに「幸せなら肉たたこう」と歌わせられる子供たちの姿はどれも微笑ましい。とても痩せるとは思えないけれど……。主人公のメラニーはまだ13歳だけれど、中年医師に夢中になる。医師はすぐに手を出したりはしないのだが、やっぱり変態チックなところが顔を出す。
 同時にリリースされた『インポート、エクスポート』(2007年)は、貧しいウクライナから自分を花嫁としてオーストリアにインポートしたい女と、物不足のウクライナにオーストリアからのガラクタをエクスポートして儲けたい男の話。『神』でアンナ・マリアを演じていたマリア・ホーフスタッターは、こちらでもバーリトゥードばりの取っ組み合いをやらかしている。

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Date: 2015.05.30 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『サンドラの週末』 とてもシンプルだけれど静かな感動が

 『ロゼッタ』『少年と自転車』などのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の最新作。原題は「DEUX JOURS, UNE NUIT(2日と1夜)」
 タイトルロールのサンドラにはマリオン・コティヤール。サンドラの夫マニュにはダルデンヌ兄弟作品の常連ファブリツィオ・ロンジョーネ『息子のまなざし』などのオリヴィエ・グルメも顔を出す。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督 『サンドラの週末』 マリオン・コティヤールはすっぴんでサンドラを演じる。


 体調不良で休職していたサンドラ(マリオン・コティヤール)は、週明けの月曜からの復職が決まっていた。しかし会社側は不況を理由に、サンドラが復職するとなると従業員のボーナスが払えなくなると言い出す。ボーナスを選ぶか、仲間の復職を選ぶか。会社側は従業員に対して二者択一の投票を求める。サンドラは週末に同僚たちに会い、「ボーナスをあきらめ、自分に投票してくれるように」と説得に回ることになる。

 『サンドラの週末』はとてもシンプルな物語だ。サンドラは月曜の投票までの「2日と1夜」の間に、16人の同僚のひとりひとりと接触を試みる。そして、ダルデンヌ兄弟の過去作品と同様に、カメラは主人公サンドラの姿を追い続けることになる。
 カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作『ロゼッタ』では、主人公ロゼッタはもっと図太いところがあったが、サンドラはとてもか弱い。突然の電話で投票のことを知らされると、「泣いちゃダメ」と自分に言い聞かせたりもする。ただサンドラには支えてくれる家族がいる(ロゼッタにはアル中の母親だけだった)。夫マニュはいつもサンドラを励まし、前を向かせ、一歩足を踏み出すための後押しをしている。加えてまだ幼いふたりの子供もいるわけで、いつまでも休職しているわけいかない理由もある。もちろん自分のためにボーナス断念を要求するのは気が引ける行動だが、サンドラにとってはこの戦いは前に進むために必要なものなのだ。

 サンドラは同僚のひとりひとりに会いに行くが、その対応は様々。事情を理解し同情はするものの、それぞれの事情もあって簡単にはボーナス1000ユーロ(約13万円)を放棄することはできない。なかには居留守を使う者もいるし、如実に嫌悪感を表す者もいる。それでも一部はサンドラに投票することを約束してくれる者も現れる。
 こうした同僚との接触というエピソードは、その後、何度も反復される。ダルデンヌ兄弟はそれぞれの交渉をワンカットで描いていく。同僚と顔を合わせ、なぜ会いに来たかを説明し、サンドラが自らの窮状を訴え、相手からの反応を得る。ときにそれは乱闘にも発展するのだけれど、ダルデンヌ兄弟のカメラはカットを割ることなく追い続けていく。
 観客はサンドラ訪問の理由を知っている。それでも、この作品ではサンドラが同僚にそれを説明する部分も省略することはない。状況が微妙に変化し、サンドラに味方する人も少しずつ増えてはいくものの、サンドラは繰り返し繰り返し「ボーナスをあきらめ、自分に投票してくれるように」と訴えていく。(*1)このあたりはシンプルで、単調さ厭わないその方法論に監督の強い意志を感じる。

(*1) 参考にさせていただいたこちらのブログによれば、サンドラと同僚との間で背景を変えるという細かい演出をしているようだ。下のスチールを参照するとよくわかる。

『サンドラの週末』 サンドラは同僚に会いにいき交渉する。

『サンドラの週末』 どちらの背景もサンドラと同僚とでは異なっている。なるほど!

 サンドラは鬱病だ。その病状はよくなっても、まだ薬を手放すことはできない。頻繁に仮眠をとるのも、喉が渇くために常にペットボトルの水を携帯しているのも、薬の副作用だろう。また、サンドラのベッドメイクを見ていると、とても几帳面な様子が窺える。自殺を図ったときも、大量に服用した薬のゴミを丁寧に箱に戻してからキャビネットにしまっている。そんな細部にもリアリティがあったと思う(几帳面な人は鬱病になりやすいらしい)。だから同僚の反応に激しく浮き沈みするのも、サンドラの病気のせいだと思えば理解しやすいし、唐突な自殺もわからなくはない(そのあと急に回復するのはどうかと思うけれど)。

 結局、サンドラは投票で過半数を取ることができない。しかし従業員内での不和を心配した社長は、サンドラに妥協案を提示する。サンドラを復帰させ、ボーナスも支給するが、代わりに短期契約の同僚を解雇するというのだ。サンドラとしては誰かを押しのけてまで復職するつもりはないわけで、その社長からの提案を断ってしまう。それでもサンドラは善戦したことを夫に伝えるとしっかりとした足取りで歩き出す。そんなラストには静かな感動があった。
 『ロゼッタ』では、ロゼッタは葛藤の末に友人リケ(『サンドラ』の夫マニュ役のファブリツィオ・ロンジョーネが演じている)を押しのけてその職を奪うわけだが、サンドラはそれをしない。前作『少年と自転車』でも希望に満ちたところがあったわけで、ダルデンヌ兄弟が厳しさを失ったように思えなくもないけれど、戦っているものが違うからだろうとも思う。
 ロゼッタはキャンピングカーでギリギリの生活をしていた。仕事を持つことがロゼッタの目標だった。一方、サンドラはそばには助けてくれる夫がいる。家賃は高いけれど、かつての公営住宅に戻ることはしたくないとも考えている。サンドラが戦っているのは鬱病という病のほうであり、復職へ向けての交渉は前に進むための試金石に過ぎないのだ。その戦いで善戦したサンドラは自信を取り戻しただろうし、鬱病が完治して元気を取り戻せば、ほかの仕事だってできる。まさに「元気があれば、何でもできる!(by アントニオ猪木)」わけだから……。

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Date: 2015.05.25 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (9)

『はなればなれに』 ゴダール×アントニオーニ×その他諸々

 小津安二郎の研究者だという下手大輔監督のデビュー作品。
 製作年度は2012年で、海外の映画祭や東京国際映画祭などでは上映されたらしい。昨年4月に劇場公開され、今月になってDVDも登場した。今回、私が観たのは86分版だが、100分版もごく一部で公開されたらしい。

はなればなれに

 題名からもわかるようにゴダールの『はなればなれに(Bande à part)』を意識している。本家がそうだったように下手監督版『はなればなれに』にも筋らしい筋はないし、女ひとり(城戸愛莉)と男ふたり(斉藤悠中泉英雄)の三角関係の話であるのも同じ。そんなふうに要約してもあまり意味はないという点でも本家とよく似ている。偶然出遭った3人がいつの間にか仲良くなり、車で走り出すと舞台はたちまち伊豆大島になっていて、閉館した旅館を借りてしばしの共同生活を送ることに……。

 とにかくシャレている。ファッション誌から抜け出たような登場人物たちは騒ぎ回っていても汗なんかかきそうにないし、やる気なさげなのに妙に楽しそうにも見える。そんなスカした姿にちょっとイラッとさせられるところもあるのだけれど、そうした雰囲気が好きな人がいるというのも想像がつく気もする。
 それはともかくとして、この作品は様々な作品の引用からできているようだ。ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』、アントニオーニの『欲望』、エドワード・ヤンの『恐怖分子』とか諸々。ほかにも「どこかで観たような」と思わせる場面があるから、映画史に詳しい人はにんまりするかもしれない。地層が見える崖を3人が支えるシーンは、思い出せなくて調べてみると長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』だった(こちらのサイトで監督がインタビューに答えている)。

 ゴダール作品が好きとは到底言いかねるけれど、『はなればなれに(Bande à part)』はとても楽しい作品だったと思う。特に有名なダンスシーンは、ダンス自体も楽しそうなのだけれど、賑やかな音楽が消えて登場人物の声が入ってくるところも斬新だった。この場面は、タランティーノの『パルプ・フィクション』のトラボルタとユマ・サーマンのダンスシーンに影響を与えているし、ほかにもハル・ハートリーの『シンプルメン』のそれはあからさまにパクっている(でも個人的には好き)。
 この下手監督版『はなればなれに』でも暮れかけた空のもとで登場人物たちが踊り狂うところがあって、この場面はやはり楽しい。踊るというよりもノリきれてなくてただデタラメに身体を揺らしているだけだけれど、そのあたりのゆるい感じもよかった。
 主人公3人の間に闖入してくる女子高生役を演じていたのは『こっぱみじん』『恋に至る病』我妻三輪子。『恐怖分子』風の写真の被写体となっているのは松本若菜。パン屋の主人役では諏訪太郎なども登場して、脇も意外と賑やかだった。



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Date: 2015.05.23 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『真夜中のゆりかご』 善人がなぜ苦しまなければならないのか?

 デンマークの監督スサンネ・ビアと脚本アナス・トーマス・イェンセンのコンビによる最新作。
 このコンビは『未来を生きる君たちへ』ではアカデミー賞の外国語映画賞を獲得しているし、『ある愛の風景』も評価が高く、ハリウッドで『マイ・ブラザー』としてリメイクされている。
 出演はニコライ・コスター=ワルドー、マリア・ボネヴィー、リッケ・メイ・アンデルセンなど。スサンネ・ビア作品の常連ウルリッヒ・トムセンやニコライ・リー・コスも出ている。

スサンネ・ビア 『真夜中のゆりかご』 主役ニコライ・コスター=ワルドー以下の出演陣もとても個性的でよかった。

 刑事のアンドレアス(ニコライ・コスター=ワルドー)には愛する妻と幼い息子がいて、湖畔のたたずむ家で幸せな生活を送っている。他方で麻薬中毒者のカップルの家では、彼らの幼い息子ソーフスが汚物にまみれたまま泣き喚いている。刑事のアンドレアスは同僚とともに麻薬中毒者の家に踏み込んで、ソーフスの悲惨な姿を目の当たりにする。この状態が続けばソーフスがどうなるかは明らかだが、法が足かせとなって麻薬中毒の親から子供を取り上げることもできない。
 そんなとき偶然生じるのがアンドレアスの息子の突然死だ。なぜ善良な刑事であるアンドレアスが子供を奪われなければならないのか。アンドレアスはここで決断をする。麻薬中毒のクズが彼らの子供をネグレクトで殺してしまうくらいなら、すでに亡くなってしまった息子を彼らの息子ソーフスと取り替えてしまおうと……。

 ビア&イェンセンのコンビがつくる作品は、観客にも考えさせるような状況設定が用意されている。たとえば『ある愛の風景』では、戦場で死んだとされていた夫がある日突然戻ってきたらという状況を描いている。未亡人としての新生活もスタートしていたところへ、戦争によるPTSDで人格も変わったような夫が帰ってきたら、それまでと同じように夫を愛することができるのか?
 『真夜中のゆりかご』にも、そうした状況設定がある。アンドレアスが投げ込まれた状況には、「虐待されている子供を放っておいていいのか?」「善人である自分がなぜ苦しまなければならないのか?」といった問題が盛り込まれている。
 アンドレアスは自分の行動が間違ったことだと理解している。それでも息子の死に取り乱した妻アナを救う必要があったし、酷い環境で暮らしているソーフスを助けることにもなると、自らの行動を正当化することになる。
 それでも行動をしてしまったあとには、後悔が襲う瞬間もある。ソーフスを連れて自宅に帰る途中では様々な葛藤が頭を巡り、危うく対向車とぶつかりそうになる。その時、アンドレアスが表した怒りは何に向けられていたのか? 幼い子供を突然奪われたことか。刑事なのに犯罪に手を染めたことか。ぼんやりして助けようとしたソーフスともども死にそうになったことか。アンドレアスと妻のアナはどのように自分たちの犯した罪と折り合いをつけて生きていくのか。

 ※ 以下、ネタバレあり! 結末についても触れていますのでご注意ください。


『真夜中のゆりかご』 夜中の乳母車は不気味な雰囲気がある。


 この作品を観ながら、上記のような展開を勝手に予想していた。『ある愛の風景』は主人公が投げ込まれた状況のなかで葛藤する話だったし、『未来を生きる君たちへ』(原題は「復讐」)でも暴力を振るうような人間との折り合いのつけ方を巡って、善良な主人公たちが葛藤する様子が描かれていたからだ。一方でこの作品は違った方向へと進んだような気もする。
 最初からアンドレアスの妻アナ(マリア・ボネヴィー)の取り乱し方は異常だった。それでもアンドレアスに重大な決断を迫り、状況設定を整えるため、アナの狂気が必要なのだろうと私は考えていた。しかし、アナはアンドレアスを見捨てて自殺してしまう。アンドレアスは妻のためもあって犯罪に手を染めたわけだが、一緒に秘密を守っていくはずのアナはそこから逃げ出してしまうのだ。

 もしかすると、この段階でも妻のアナを疑わない観客というのは、夫のアンドレアスと同様にお人好しなのかもしれない。私はまったく疑わず、アナが死んだのは鬱的な性質のせいだとばかり思っていた。しかし、アンドレアスとアナの息子の遺体が発見されたあとで、それが間違いだったことがわかる。
 アナは育児ストレスによる虐待で息子を殺してしまっていたのだ。アナの狂気は虐待の事実を隠すためのものだったわけで、夫の驚きぶりも凄まじかったけれど、私も驚いた。そうとなると最初の問題設定からして違ってくることになるわけで、ビア&イェンセンの作品としてはちょっと意外にも感じられた。「善人がなぜ苦しまなければならないのか?」という最初の問題設定は間違いだったわけだ。虐待の結果として息子が死んだわけで、苦難が与えられても当然とも言えるのだから。(*1)
 ただ、妻のアナが楽しんで幼児虐待をしていたわけではないはずで、アナの悩みにまったく気づいていなかったアンドレアスはお人好しというかマヌケということにもなる。だから衝撃の事実が発覚したあとで彼が窓ガラスをぶち破るのは、妻に対する怒りというよりは自らに対する怒りだったのだろうか。

 この映画を人間ドラマではなく、驚愕の事実が発覚するミステリーとして見ると、事件に粗がありすぎる気もする(主人公に葛藤を迫るための状況設定ならば別だが)。アンドレアスが間違って本当の息子の名前を口走ってボロを出したり、同僚が真実にたどり着くところも妙にあっけないのだ。
 最後に成長したソーフスの姿を見せたのは、「虐待されている子供を放っておいていいのか?」という問題に一応の答えを出したということだろう。その点では安堵させられもしたものの、全体としては暗澹たる気持ちになる作品だった。
 冒頭から湖面の暗い色が繰り返しインサートされていて、不穏な雰囲気を醸し出している。だからアナが突然自殺しても納得させる部分がある。それにしても乳児が寝付かないからといって車で出かけたり(車の揺れで寝付くらしい)、乳母車で夜中に散歩に繰り出したりするものだろうか。北欧では一般的なのかは知らないけれど、その辺も夫婦の距離感を示していたのかもしれない。
 アナの背景に詳しい説明はないが、自殺後に登場するアナの両親はどこか冷たい。夫のアンドレアスを責めることもなく、アナの棺桶の相談を始めるのだから……。ごく個人的に嬉しかったのは、ここでアナの母親を演じていたのがエヴァ・フレーリングだったこと。エヴァ・フレーリング『ファニーとアレクサンデル』で葬儀の夜にひとり慟哭していたエミリーを演じていた人。ほんとにちょっとだけしか映らないけれど……。

(*1) 現実には善人が報われるとは限らないわけで、だからこそ「善人がなぜ苦しまなければならないのか?」という問いも生じるわけだけれど、これだと単に自業自得みたいになってしまう。

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スサンネ・ビアのその他の作品
Date: 2015.05.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『寄生獣 完結編』 寄生生物による自己弁護?

 前作『寄生獣』を受けた完結編。
 監督は、第38回日本アカデミー賞では『永遠の0』で作品賞や監督賞などを総なめにした山崎貴(ちなみに最優秀アニメーション作品賞の『STAND BY ME ドラえもん』も共同監督)。

山崎貴 『寄生獣 完結編』 深津絵里演じる田宮良子の役回りは大きい。

◆“寄生獣”とは何か? (以下、さっそくネタバレしてます)
 田宮良子の存在は本作でもやはり大きい(深津絵里の哄笑がいい)。田宮良子は前作で冒頭ナレーションの役割を担わされていた。「地球上の誰かがふと思った。人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか?」云々というやつだ。本作でもそうした田宮の問いは続いていて、「なぜ生まれてきたのか?」といった人間的な問いへとつながっていく。
 田宮の出した答えは、「寄生生物と人間は一つの家族だ。我々は人間の子供なのだ」というものだった。そのうえで田宮は「我々はか弱い。だからあまりいじめるな」と訴えつつ、自らの子供を新一に託して死んでいく。このエピソードと同時に進行しているのが、市役所でのSAT(特殊部隊)による寄生生物たちの駆逐の場面である。
 寄生生物は個体の存続しか考えない(ミギーが新一を助けるのもミギー自身の生存維持のため)。一方、人間にはそうではない部分がある。前作でもポイントとなっていた“母性”がそうだし、本作で“巨大な脳”と呼ばれるものもそうだ。“巨大な脳”というのは、人間は自分の脳以外にもうひとつの脳を持っているということ。つまり、人間は集団となって社会というものを構築して生きていく存在だということだ。そんな“種としての人間”が、か弱い寄生生物を選り分けて殲滅していく場面が、田宮の訴えと同時に描かれていく。「あまりいじめるな」という田宮の言葉に説得力を持たせる構成として素晴らしかったと思う。
 そして最強の寄生生物である後藤(浅野忠信)が田宮の言葉を引き継ぐ。冒頭のナレーションで「地球上の誰かが」という部分に対し、漫画以上に踏み込んで答えを提示している。寄生生物の誕生を望んだのは、ほかでもない人間たちということだ。人間が増えすぎて困るなどと考えるのは人間以外の動物ではないわけで、われわれ人間だけなのだ。だから間引きのために「人間を食い殺せ」という指令を受けた寄生生物が誕生した、そんなふうに後藤は語る。(*1)
 原作漫画の冒頭では、寄生生物が宇宙から飛来したようにも読める。しかし、映画版ではそれは海のなかから出現したことになっている。これは寄生生物が外部からもたらされたものではなく、地球の内部から生み出されたということだ。かと言って、地球が人間の駆逐を望んだわけではないだろう(地球に意志はないわけだから)。そのうえで万物の霊長を自認する人間が寄生生物誕生を望んだと意味づけしたことで、よりテーマが明確になったと思う。題名である“寄生獣”とは、地球という惑星に寄生した人間のことなのだから……。と言いつつも、新一はやはり人間の側(というよりも親しい人の側)に立たざると得ないということも。

『寄生獣 完結編』 染谷将太と橋本愛のラブシーンは無理やりねじ込んだ感も……。

◆エンターテインメント作品として
 前作の娯楽性に比べ、本作『寄生獣 完結編』は上記のようなテーマ性に重きを置いているようにも感じられる。たとえば後藤対SATや、三木対ヤクザなど原作でも特に血生臭い場面はまるごとカットされている。これは多分にレイティングの問題によるのだろう。『寄生獣』二部作はPG-12指定となっていて、私が『完結編』を観た劇場でも少年たちのグループが結構いた。そういう観客のもとでは、後藤が人間たちを散らかしたり、三木(ピエール瀧)が訓練と称してヤクザ狩りをする場面は無理だったということだろう。
 とはいえ、この作品はお子様向けのものではなく、寄生生物たちが人間を捕食するグロいシーンもあるし、新一(染谷将太)と村野里美のラブシーンも意外にもきわどい部分があった。里美を演じた橋本愛がこの作品でそこまでやるとは予想外だったのでちょっと驚いた。そんなわけで果敢に攻め込んでいる部分もあるのだけれど、レイティングの問題で描ききれない部分もあって、前作ほどの盛り上がりには欠けたかもしれない。
 前作は東出昌大の暴走や母親(余貴美子)との対決を中心にアクションが盛りだくさんだったわけだけれど、本作では新一とミギーが闘うのは後藤と三木だけだし、この部分のおもしろさはアクションというよりも、『遊星からの物体X』的なVFXの部分だった。三木の頭に足が生えたり、後藤が分裂して妙な姿に変形していくあたりは『遊星からの物体X』だったわけで、それはそれで楽しめたのだけれど……。
 だから最後の浦上(新井浩文)のエピソードがとってつけたみたいな印象になってしまっても、それを残しておいたのは、あのアクションシーンをやりたかったんじゃないかとも思えた。(*2)新一が浦上をなぎ倒し、次の瞬間にビルから落ちてゆく里美を間一髪で救い出すというものだ。この部分のスローモーションは安易に決定的瞬間を引き延ばすだけになっておらず、次のアクションへとつないでいて見応えがあった。

(*1) 一方で人間はどんな指令も受けておらず、「なぜ生まれてきたのか?」なども悩んだりもするわけだが……。

(*2) 人間の間引きのために寄生生物が必要だったとするならば、同様に快楽殺人者・浦上の存在も必要とされることになる。寄生生物と人間との中間に位置する新一に浦上が聞きたかったのは、そんな浦上の存在を肯定するような新一の言葉だったのだろう。


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Date: 2015.05.10 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『インヒアレント・ヴァイス』 監督PTA×原作ピンチョンのアメリカ史

 『マグノリア』『ブギーナイツ』ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作。
 原作はトマス・ピンチョン『LAヴァイス』で、ピンチョン作品の映画化は初めてとのこと。私自身は昔『スロー・ラーナー』という短編集だけは読んだが、“エントロピー”という言葉を知った以外はまったく記憶にない(そのくらいよくわからなかった)。

ポール・トーマス・アンダーソン 『インヒアレント・ヴァイス』 ホアキン・フェニックス演じるドックの風貌も70年代風。


 主人公の私立探偵ドック(ホアキン・フェニックス)の元にかつての女シャスタ(キャサリン・ウォーターストン)が訪ねてくる。シャスタはドックに助けを乞う。シャスタは愛人ミッキー・ウルフマンを誘拐するという陰謀に巻き込まれようとしているのだという。ドックは調査に乗り出すのだが……。

 一応は探偵ものの映画として進んでいくのだが、事件の全貌はまったくわからない。あやしい人物が登場しては去っていくのだが、謎は深まるばかりだし事件の解決もあやふやなままなのだ。
 同じく探偵ものの『ロング・グッバイ』(レイモンド・チャンドラー原作/ロバート・アルトマン監督)の物語の構造を、村上春樹「seek and find」だと要約していた。そして、「見つかったものは変質している」とも。
 一方で『インヒアレント・ヴァイス』では、ドックは何も見つけることができなかったし、世界自体も何も変わらない。すべてはマリファナで朦朧とした頭が生み出した幻覚だったように見えなくもない。シャスタはドックを事件に誘い込んだあとは失踪し、結局、何食わぬ顔で戻ってくる。ドックのしたことと言えば、事件の全貌のなかではごく小さなことだけなのだ(オーウェン・ウィルソン演じるコーイ・ハーリンゲンの家族を救っただけ)。

 音楽を担当しているのはジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)だが、不協和音を響かせていた『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』の重厚な印象とは変わり、“グルービー”な70年代のポップスを選曲している(坂本九の「スキヤキ」なんかも登場する)。凍ったチョコバナナをしゃぶるビッグフット警部補(ジョシュ・ブローリン)とか、歯科医(マーティン・ショート)などコメディ的な要素も多いが、それが爆笑というよりもグダグダした感に終始するのはマリファナがダウナー系のドラッグだからなのだろう。



 時代は1970年代。この作品のエピローグでは「舗道の敷石の下はビーチ! (一九六八年五月、パリの落書きより)」という言葉が示されている。“革命”を目指した学生たちは権力に対して敷石をはがして投げつけたらしい。その下には“自由”な砂浜が広がっていると信じて。
 マリファナとかヒッピーみたいなカウンターカルチャーと呼ばれるものも、それまでの文化に代わる何かとして位置づけられていたということなのだろう(ドラッグによって「知覚の扉」が開かれるみたいなこと)。その後に生まれた者としては、政治的な状況を抜きにしたものとしてそれらの文化を受け取っているわけだけれど……。
 そんな意味でもこの作品は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』とは別のアメリカ史を描いているとも言える。不動産屋であるミッキー・ウルフマンが土地を買い占めると、その度にその土地を追われるネイティブ・アメリカンが存在する。麻薬組織を牛耳っていると思われる「黄金の牙」は、アメリカ近くの海に停泊する船として存在していて虎視眈々と何かを狙っている(『ザ・マスター』でも船は重要な要素だったと思う)。その一方でシャスタが“インヒアレント・ヴァイス”つまり「内在する欠陥」とされるのは、アメリカ内部にそうした欠陥が含まれているということなのだろう。
 ラストではドックとシャスタが車でどこかへと向かっている。ふたりの顔には時折やさしい光が射しこんでくるのだが、周囲の様子はまったく見えず彼らがどこに向かおうとしているのかは判然としない。ここにはその後のアメリカの姿を見て取ることができるのだろうと思う。

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インヒアレント・ヴァイス(字幕版)



LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)


Ost: Inherent Vice


Date: 2015.05.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)
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