『ファニーとアレクサンデル』 イングマール・ベルイマンについてあれこれ

 長い間、イングマール・ベルイマンの最後の作品とされてきた『ファニーとアレクサンデル』(本当の遺作はその約20年後に撮られた『サラバンド』)の5時間版のDVDが近くのTSUTAYAでも登場した。
 この作品は3時間版と5時間版があり、5時間版はテレビ用として製作されたもので、劇場公開は3時間版とのこと。ただ日本ではベルイマンの人気が高かったため、5時間版が公開された(日本公開は1985年)。
 私は前に3時間版のビデオは観ているのだが、5時間版は今回が初めて。3時間版の記憶が薄れているので、両者の差がどのあたりにあるのかはよくわからない。約2時間も違うのだから色々と3時間版ではカットされているはずだけれど……。第1部はクリスマス・イブのエクダール一家が描かれるのだが、このあたりはエクダール家の様々な面々をゆったりとした流れで紹介していて、3時間版では色々とカットされているのかもしれない。また、亡霊オスカルの登場回数は5時間版のほうが多かったような気がする。

ベルイマン作品 『ファニーとアレクサンデル』 アレクサンデルの頭上に掲げられているのは「悩むより楽しめ」という言葉。


 少年アレクサンデル(バッティル・ギューヴェ)の目を通して描かれるエクダール一家のドラマ。エクダール一家はアレクサンデルの父オスカルを中心に劇場を経営しながら、豊かで満ち足りた日々を送っていた。しかし、オスカルは芝居の稽古中に倒れて亡くなってしまう。葬式が盛大に執り行われ、しばらく経ったころ、葬儀の際に式を仕切った主教(ヤン・マルムシェー)がアレクサンデルの新しい父としてやってくる。

◆ベルイマンの集大成であり自伝的な物語
 冒頭では「悩むより楽しめ」という言葉が提示される。ベルイマン作品にしては意外な感もある。ごく一般的なベルイマンのイメージとしては、題材はいつも重苦しく、主人公たちは苦悩しているという印象があるからだ。「神の不在」を扱った3部作『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』や、男女や親子の愛憎関係を描いて痛ましかった『ある結婚の風景』『秋のソナタ』あたりは到底楽しめるようなものではない。
 しかし、『ファニーとアレクサンデル』は人生すべてを肯定的に描いていて楽しい作品になっていると思う(後半には児童虐待みたいな部分もあるが)。ベルイマンの自らの映画作品の集大成としてそうした題材を選んだのであり、この作品は彼の自伝的な要素も含んだものになっている。5時間と聞けばさすがに尻込みしそうだが、『仮面/ペルソナ』みたいな難解さはまったくないし(*1)、観始めれば長尺ということも忘れてしまうほど魅力的な作品だ。
 後半のイサク・ヤコビ(『サラバンド』でも主役だったエルランド・ヨセフソンが演じる)が長々と語るおとぎ話はまさに人生そのものだが、このおとぎ話はベルイマンが祖母から聞かされたものとのこと。『ベルイマンは語る』という本でも、これとほとんど同じ話が収録されている。

 主人公のアレクサンデルの風貌はベルイマンによく似ている。アレクサンデルはベルイマンの少年時代がモデルなのだろう。そして後半に義父として登場する主教は、ベルイマンの父親がモデルとなっているように見える。しかし『ベルイマン (Century Books―人と思想) 』という本によると、ベルイマン自身は「アレクサンデルよりもむしろ主教の中に、自分のイメージがたくさんある」と語っている。
 ベルイマンは牧師の息子として生まれ、アレクサンデルと同じように父や父が担う宗教的なものに反発しつつ自己を形成していった。この作品のなかでは、最後に主教の側の目線になって「アレクサンデルが怖い」と言わせているのは、老年に達して(製作時には64歳)父親側の気持ちにも理解を示していたということだろう。(*2)

 主教のなかにベルイマンの分身がいるとすれば、エクダール家の三兄弟もどれもそれぞれにベルイマンの分身のようにも思えてくる。長男のオスカルは劇場主として演劇を愛している。これはベルイマンが自らの仕事は演劇のほうだと考えていたことと一致しているかもしれない。映画監督として世界的に著名なベルイマンだが、映画のほうは仕事というよりも自己表現だと考えていたようだ。
 次男カールはアルコール依存でいつも妻を罵倒さざるを得ない。それでいて妻に頼らざるを得ない弱みを見せるときもある。こうしたキャラは『ある結婚の風景』などでもたびたび登場してくる、ベルイマン作品では馴染みのあるキャラクターだ(『冬の光』の牧師にもそうしたところがあると思う)。
 そして三男のグスタフは妻がいながらも、召使いのマイにも子供を産ませ、妻と愛人との間で行き来しつつも人生を楽しむ術を持っている。ベルイマンは五度の結婚をしたらしいし、浮気が得意だったのかどうかはわからないけれど、過去に付き合った女優たちは別れてからも彼の映画に出ている。
 『リヴ&イングマール ある愛の風景』でかつての恋人ベルイマンについて語っていたリヴ・ウルマンは、別れたあとにも遺作『サラバンド』の主役を演じていた。『叫びとささやき』では、かつてのベルイマンのミューズであるハリエット・アンデション(『不良少女モニカ』)とその後のベルイマンの恋人リヴ・ウルマンが共演しているわけだから、グスタフみたいな部分もベルイマンにはあったのかもしれない。エピローグではグスタフが長い演説をすることになるが、この部分には冒頭の「悩むより楽しめ」という人生を肯定するメッセージに満ちていて感動的だった。

(*1) 私は英語字幕版の『仮面/ペルソナ』しか観ることができていないので、余計に理解できていないのだが、日本語字幕があっても難解だとか……。

(*2) 主教のような宗教的人間が、エクダール家のような俗世の人たちに屈服したというような見方もできるのかもしれない。アレクサンデルは神の存在を否定しているけれど、第5部が「悪魔たち」という題名になっているのは、神はいなくても悪魔は存在するということだろうか?

『ファニーとアレクサンデル』 エクダール家の様々な面々。豪華なセットにも驚かされる。

◆印象的な幻視のシーンなど諸々
 冒頭のシーンで早くもベルイマンの世界に引き込まれるようだ。誰も居ない大邸宅のなかでアレクサンデルがひとり登場する。時計の針の音が響く静けさのなか、アレクサンデルは白昼夢を見る。白い彫像が動き出し、死神が大鎌を引きずっていく……。
 こうした幻想のシーンは多くはないけれど、それだけに効果的に使われている。イサクのおとぎ話のあとにアレクサンデルが見る幻想もインパクトがある(カラー版の『第七の封印』のよう)。それから隠れ家では神が登場する場面もある。これはこけおどしだと判明するわけだけれど、これまで散々「神の不在」を描いてきたベルイマンだけに気が効いた冗談だったと思う。
 アレクサンデルはなぜか亡霊を見ることができるのだが、それを怖がってもいる。このあたりは『シックス・センス』のようでもあり、白塗りの亡霊たちは怖いというよりはユーモラスな部分もある。また、亡霊となり息子を見守るオスカルに、アレクサンデルは「見てるだけなら早く天国へ行きなよ」みたいな暴言を吐くのだが、ここでの父親の立場は「神の沈黙」と似たようなものなのかもしれない。オスカルは沈黙しているわけではないが、結局役に立たないという意味で「神の不在」と同じことだからだ。存在は感じるけれど、単に見ているだけというのも腹立たしいのだろう。
 最後は幸福感に満ちた終わり方だが、同時に主教の亡霊も姿を現しているところは、『夏の遊び』を思い出させる。“生の充溢”のただなかにも常に死の影が存在しているのだ。

 舞台設定としては、クリスマスの場面では赤を基調にした絵づくりがなされている(『叫びとささやき』を思わせる)。また、光溢れる夏の場面では、白を基調にした別荘が舞台となる(誰もが白い服を着ている)。後半の主教館は牢獄のようで寒々しく、そこから逃げ出したアレクサンデルたちが身を寄せる隠れ家は迷路のようで妖しい雰囲気を醸し出している。撮影監督のスヴェン・ニクヴィストはそれぞれの舞台を鮮やかに捉えていて素晴らしい。
 とりとめのない書き方になったが、書きたくても触れられなかった部分はほかにも多々ある。とにかくベルイマン作品には惹かれるものがたくさんあるということは確かだ。

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その他のベルイマン作品

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Date: 2015.03.29 Category: イングマール・ベルイマン Comments (0) Trackbacks (0)

『神々のたそがれ』 神様もつらいが観客もつらい

 『フルスタリョフ、車を!』などのアレクセイ・ゲルマン監督の遺作。
 原作はタルコフスキー『ストーカー』の原作者でもあるストルガツキー兄弟のもので、原題は「神様はつらい」
 
『神々のたそがれ』 アレクセイ・ゲルマン監督の遺作である


 舞台は地球とは別の惑星である。そこは地球より800年ほど進化が遅れ、中世の暗黒時代を思わせる。王国の首都アルカナルでは知識は危険なものとされ、本は焼かれ知識人は抹殺されていた。地球から派遣されたドン・ルマータはゴラン神の子だと名乗り、神のように崇められていた。

 一応、物語の概要としてはこんなところ。ただ、物語を追うことは途中で意味がないことだとわかるだろうし、この映画をつつがなく観終わったとしてもそうしたあらすじが入ってくるものでもない。ぼんやりとわかることは神であるドン・ルマータ(レオニード・ヤルモルニク)が策略にはまり、最後にぶちキレて誰も彼もを皆殺しにするということだけだ。
 しかし最後の殺戮が特段にすごいというわけでもない(かえって拍子抜けするかもしれない)。というのも殺戮の前からその世界はすでに地獄であったからだ。ブリューゲルが白黒で描いた地獄があるとすればこんな感じになるのかもしれない。観客は延々と3時間に渡り、ドン・ルマータとともにそこを引き回されることになる。

 中世には衛生という考え方がなかったのかどうか知らないが、ましてやそこは別の惑星であるから地球の常識は通用しないらしい。この世界は汚物にまみれている。知識人のひとりは肥溜めのなかに突っ込まれて殺される。地面はいつも泥でぬかるんでいるし、動物や人間の糞尿をそこかしこにあるようで、いつも悪臭を放っている。登場人物たちはいつでもどこでも唾を吐き、鼻汁を飛ばし、とにかく不潔極まりないし、最後は血にまみれ臓物が流れ出すことにもなる。そのなかでドン・ルマータだけは清潔で乾いた布を手にしているが、泥を自分の顔に塗りたくってみたり、匂いを嗅いでみたりと、彼の行動も地球の常識では測れないようだ。
 そんなドン・ルマータの姿をカメラが追っていくわけだが、このカメラの設定が奇妙である。地球から派遣された学者がその惑星を研究のために撮っているという設定なのか、登場人物たちはカメラの存在を意識して視線を向けてきたりもする。それから室内の場面に顕著なのだが、この作品ではカメラとドン・ルマータとの間を別の対象物が遮ることが頻発する。カメラの背後からドン・ルマータの姿を隠すように別の人物が入り込んできたり、天井から吊り下げられたソーセージなんかがゆらゆらと揺れていたりもする。
 ここで意識されていることは画面の「縦の構図」ということなのだろうと思う。つまりは画面の深さ(奥行き)の利用だ。中心となるドン・ルマータの姿だけでなく、手前では干した魚が揺れ、奥では裸の尻が配置されたりもし、狭い室内の場面はさらに密度を高めるように感じられるのだ。そうした濃密に構成された画面により、観客は逃げ場もないような気分になり、ドン・ルマータの地獄巡りと同様のつらい3時間を経験することになるだろう。
 蓮實重彦「これを見ずに映画など語ってはならない」と煽っているし、ほかにも多く絶賛の声が出ているが、ごく一般的にはお薦めできる作品とも思えない。多分、拷問に感じる人も多いだろう。この作品を公開しているユーロスペースではどうやら「リピーター割引」があるようだが、そんな物好きはいるんだろうか? そんな疑問は感じつつも、観始めてしまうとそのわけのわからないパワーに圧倒されて、3時間まったく目が離せなかった。とはいえ、もう一度観たいとは思わないけれど……。

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Date: 2015.03.22 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『グレート・ビューティー/追憶のローマ』  聖なるものと俗なるもの

 監督は『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』などのパオロ・ソレンティーノ。アカデミー賞では外国語映画賞を獲得した。去年8月に劇場公開され、今月DVDが発売となった。
 主役のダンディな65歳を演じているのは『眠れる美女』トニ・セルヴィッロ。『眠れる美女』のときの枯れた感じとは違い、トニ・セルヴィッロは色艶のいいエロジジイになりきって派手なスーツを見事に着こなしている。

パオロ・ソレンティーノ 『グレート・ビューティー/追憶のローマ』 トニ・セルヴィッロ演じる主人公。黄色のジャケットを着こなせる人はそんなにいないだろう。


 主人公のジェップ・ガンバルデッラ(トニ・セルヴィッロ)は、ローマのコロッセウムを見下ろす豪華なマンションでメイド付きの一人暮らしをしている。かつては処女小説が評価されたジェップだが、今はジャーナリストの真似事のようなことをしつつパーティに明け暮れる日々を過ごしていた。

 かつて栄華を極めたローマという都市には、古代の建築物が未だそのままの形で残っている。ジェップは高級スーツに身を包み豪勢なパーティのなかにいても、そんな時代の名残を感じているのかもしれない。現代の喧騒もフェリーニ『サテリコン』で描いた酒池肉林の宴とはほど遠いわけで、古の人々と比べれば卑小な輩に過ぎないといった意識にも駆られることがあるのかもしれない。
 冒頭では神に捧げる聖なるミサ曲が流れるのだが、それは突然の悲鳴とともに俗っぽいトランス系ミュージックへと変化する。古代の建物と最新鋭のファッションがローマに混在するように、『グレート・ビューティー/追憶のローマ』では「聖と俗」といった対照的なものが同時に存在している。
 エピソードは祝祭的で断片的なもので、フェリーニ作品の『甘い生活』あたりを思わせる。登場するキャラクターの多くはセレブ然としているが、ファニー・アルダンが一場面だけ優雅な姿を見せてくれるのも嬉しい。ソレンティーノ作品に特徴であるらしい縦横無尽な移動撮影もたっぷりと堪能した。

『グレート・ビューティー/追憶のローマ』 ヌードダンサーはガンに侵されている。

 ジェップはセレブリティのように振舞っているけれど、同時に俗物であることも自認している。パーティでは誰とでも親しく言葉を交わし、その場その場を楽しむ術に長けている。しかし時に辛辣になるときもあり、そんなときは嫌な奴になることもできる。ジェップが忌み嫌うのは自分が俗物であることを認めない人だろう。
 高尚な芸術家を気取る女や、社会主義リアリズム小説を書いていたと勘違いしている小説家、食べ物のことばかりに囚われている枢機卿などはジェップにやり込められることになる。自らを俗物ではないと虚飾を張りたがる人たちは、ジェップによって“俗”のほうへと引き落とされるわけだ。
 他方でジェップは世俗の人々に見せる態度はとても温かく、初恋の人の死を報せに来た彼女の夫にはとても親切だ。そんなジェップだから104歳になるという修道女の存在には何かしら共感するものがあったのだろうと思う。
 このマザー・テレサのような修道女は、生きてはいてもほとんどミイラのようにも見える。儀式のときは退屈なのか椅子の上で子供のように足をブラブラさせているという人で、ボケたババアなのかと思っていると、口を開けば至極真っ当なことを言う。彼女は法王に担ぎ出されて聖女にされているだけで、本人としては貧しい人と同じように床に寝て彼らに愛情を注ぐことだけを気に掛ける世俗の人なのだろう。そんな修道女にも促されてジェップは次の作品を書くことを決意することになる。

 この作品内では何人もの登場人物が死んでいく。冒頭に描かれる日本人観光客の突然死。初恋の人の死。友人の息子の自殺。そして新しい恋人であるヌードダンサー(サブリナ・フェリッリ)も病死する。それからイタリアで起きた豪華客船の座礁事故が登場するのも死を思わせる。
 ジェップは最後にこんなふうに語る。「幕切れは決まって死である。だが、それまでは生があった。…(略)…彼岸が存在するが、私は彼岸には関わらない。」俗物の王としては、あくまで俗世にこだわったものを書くという宣言なのだろうと思う。そうして出来上がるであろう作品がトリックだというのは、マジシャンがキリンを消すことと同じように、それがまやかしであっても人を楽しませようとする意図なのだろうか(最後の表情からしてそれが諦念とは感じられない)。

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Date: 2015.03.21 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 天才チューリングの孤独

 現代のコンピュータ誕生に大きな役割を果たしたとされる、イギリスの数学者アラン・チューリングの人生を描いた作品。アップル社のロゴマークである「かじられたリンゴ」は、チューリングへの敬意の表れだとか。
 主役のチューリング役にはベネディクト・カンバーバッチ。監督はモルテン・ティルドゥム。アカデミー賞では作品賞・主演男優賞(ベネディクト・カンバーバッチ)・助演女優賞(キーラ・ナイトレイ)ほか8部門にノミネート。最終的には脚色賞(グレアム・ムーア)を受賞した。
 題名は「チューリング・テスト」という、チューリングが考案した人工知能判定のためのテストからとられている。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 チューリングたちはエニグマ解読に成功する。

 天才数学者の目には、世界は凡人とは別のあり様をしているのかもしれない。アラン・チューリングもかなりの変り者で、自分が世間一般の人とは違うことを意識させられて生きてきたようだ。
 チューリングの言葉の捉え方も独特で、言葉の発せられた状況などを一切無視して、単に意味内容だけしか読み取らない。仲間が「俺たちはお昼に行くよ」と声をかけても、チューリングはその言外の意味をまったく読み取らない。通常ならば「俺たちはお昼に行くよ」と言葉の裏には、「君もどうだい?」といった誘いがあるわけだけれど、チューリングは仲間の言葉を「ランチに行く」という単なる宣言としてしか受け取らないのだ。こんな変人だから冗談なんかは言えないし、皮肉とか褒め殺しなんてものはまったく理解できないだろう。
 ただそんな奇人・変人だから成し遂げられることがあって、それがドイツの暗号機「エニグマ」の解読だった。暗号というのは一定の規則で言葉を変換することだから、そこでは言葉は一対一で対応しているはずで、情緒的な思考ができなかったチューリングだからこそ偉業を成し遂げることができたのかもしれない。(*1)

 どんな天才でもひとりですべてをこなすことは無理で、変人チューリングはエニグマ解読チームの面子と様々な衝突を引き起こす。それを変えたのがジョーン(キーラ・ナイトレイ)という聡明な女性で、チューリングは彼女と知的な会話をすることが楽しみとなっていき、次第に世間一般的な常識や言葉のやりとりも学んでいく。
 一時はジョーンと婚約までしたチューリングだったが、それを解消する場面では「君の才能だけを必要としていた」みたいな悪態をつくほどになる。これはもちろんジョーンを守るための嘘であり、チューリングの成長が見られるのだ。(*2)そんなチューリングのチームへの歩み寄りもあり、またチームの面子のチューリングへの理解もあり、彼らはエニグマを解読することに成功する。

 ※ 以下、ネタバレもあり。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 チューリングを演じるベネディクト・カンバーバッチと、エニグマを解読したマシン「クリストファー」。

 『イミテーション・ゲーム』は、戦後の1951年と、エニグマ解読に励む戦争末期、さらにチューリングの少年時代、そんな3つの時代を行き来しながら展開していく。1951年にチューリングがある人物に話したことが、この映画の物語となっていく。この設定はやむを得ず秘密を持つことになったチューリングの人生をドラマチックに描くためだろう。チューリングが明かす秘密が、彼の孤独さを浮き彫りにしていくのだ。
 映画で中心となってくるのはエニグマ解読に至る経緯だが、ここは数学者としてのチューリングの最も活躍した部分であり、プロジェクトの成功は歓喜に満ちている。しかしこの映画はそれ以外にも興味深いテーマを含んでいる。それがエニグマを解読したあとの苦悩だ。
 これはこの部分だけを取り上げても1本の映画ができてしまうくらいのテーマだ(事態はチューリングの手を離れた大事になってしまうために、作品内の分量としては小さい)。エニグマ解読をドイツ軍に悟られてしまっては、せっかくの武器も意味のないものになってしまう。だからイギリスとしてはドイツがいつどこに攻撃を仕掛けてくるのかを把握していても、知らないフリを装わなくてはならない。それでいて決定的な部分ではうまくその情報を利用して戦果をあげなくてはならない。イギリスが(あるいはエニグマを解読したごく一部の人間だけが)、誰かの命を助け、誰かの命を無視するかの選択権を握っているわけだ。
 これはいかにも不遜な振舞いだが、戦争終結のためには致し方ないことでもある。それでも親しい人がかなりの高い確率で死ぬとわかっていても、それを助けることはできないといったことも生じるわけで、神ではない普通の人間としてはかなりの苦痛を伴う状況なのだ。イギリスはそんな作戦を2年間続け、それによって戦争の終結が早まったとも言われているようだ。しかも第二次世界大戦が終わっても次の戦争がないとも限らないわけで、エニグマ解読の事実はしばらくの間は国家機密となり、チューリングたちの成果も秘密にされ公に認められることもなかった。

 さらにこの作品が盛りだくさんなのは、チューリングのごく個人的な秘密も描かれているからだ。チューリングは寄宿学校時代に暗号についての本を親しい友人から教わる。そのころのチューリングの友人を見る目付きが妙にじっとりとしたものだったのだが、実はチューリングは同性愛者だったのだ。
 エニグマ攻略のために作ったマシンをチューリングは「クリストファー」と名付けるのだが、それは彼が愛していたその友人の名前なのだ(このマシンは現実では「ボンベ(bombe)」と呼ばれていたようで、この部分は脚色なのかもしれない)。その時代のイギリスでは同性愛は犯罪とされており、チューリングは有罪とされ、ホルモン注射の投与をされることになる。そして、チューリングは41歳の若さで自殺したとのこと(映画では描かれないが、毒を塗ったリンゴをかじったとされる)。
 とにかく2時間の映画としては盛り込みすぎなくらいの材料を盛り込んでいるのだ。しかし、これは実際にチューリングの人生に起きた出来事である。誰にも言うことのできない秘密を抱えたまま孤独に死んでいった天才の姿には涙を禁じえないと思う。

(*1) まったく関係ないが、最近読んでいた安部公房『友達・棒になった男』の解説には、「言語はあくまでもデジタルな記号だ」という当たり前かもしれないが興味深い指摘があった。安部公房は小説をデジタルなものと考えているわけではなく、アナログ的な要素があるから解釈しつくすことができないとも指摘している。ただ、それを表現する道具である言語はデジタルなものなのだ。これは解説者の中野孝次が言うように、文学者においては独特な考え方だとも思う。言語は記号にしかすぎなくても、それを読み込む人間はそれを様々に解釈するわけで、一対一に対応するものではない。

(*2) 最初のほうで警察を追い返すために暴言を吐いたりするのも、こうした学習の成果ということなのだろう。


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Date: 2015.03.15 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (13)

『サボタージュ』 アーノルド・シュワルツェネッガー作品の変化球?

 政治の世界から足を洗って映画界に復帰してからも何となく遠のいていたアーノルド・シュワルツェネッガー作品だが、『ターミネーター』の新シリーズも始まるということで『サボタージュ』を。昨年11月に劇場公開され、今月DVDがレンタル開始となった。
 監督は『エンド・オブ・ウォッチ』『フューリー』デヴィッド・エアー

デヴィッド・エアー 『サボタージュ』 アーノルド・シュワルツェネッガー主演作。


 麻薬取締局(DEA)で“破壊屋”の異名を持つジョン・ウォートン(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、ある仕事で麻薬組織の金をネコババし、チームの仲間と山分けしようと企む。しかし、その金は何者かに奪われ、仲間がひとりずつ消されていくことになる。

 冒頭の派手な銃撃戦のなかでもおもしろかったのが、壁を挟んでの撃ち合いだ。麻薬組織に突入しているわけだから当然なのかもしれないが、相手は壁の向こう側から見当をつけてジョンたちを撃ってくる。応戦する側もDEAに向けて発砲してくる奴は当然悪者だからという決めつけで、壁の向こう側を確認もせずに障害物を挟んでの銃撃戦となる(こうした場面は後半にも繰り返される)。かなり荒っぽいやり方だが、冒頭のスピーディな展開には引き込まれた。
 シュワルツェネッガーのアクションにキレはないし年齢的な衰えも感じるが、おびただしい血が流れる猟奇殺人の博覧会みたいな部分もあって飽きさせない。サングラスでマシンガンを構えたり、葉巻を燻らせる姿はいかにもシュワルツェネッガーらしい仕草だし、こっそり忍ばせた『RAMBO』のパロディポスターなんかもあり、マッチョなアクションスターが今より華やかだったころのファンへの目配せも忘れていないのも嬉しいところ。

 ※ 以下、ネタバレもあり。

『サボタージュ』 サム・ワーシントンとミレイユ・イーノスは一応夫婦役。

 金を横取りし、仲間を殺したのは誰か?
 考えられるのは麻薬組織の復讐か、仲間の裏切りかということ。一応謎解き(フーダニット)の体裁をとっているが、真相は映画が終わっても釈然とはしないと思う。
 仲間のトライポッドをジョンが助けに行った場面では、麻薬組織に殺されるトライポッドの過去の映像が重ね合わされる。さも誰かが真相を見てきたように描かれているが、これは残された証拠から推測されることでしかない。実はまったくの嘘であり、ここでは嘘をヌケヌケと映像化することで観客を騙している。真犯人は殺しを麻薬組織の仕業にしようと画策しているわけで、観客はまんまと罠に引っ掛かったマヌケが思い描くものを見せられているのだ。
 有名な『映画術』という本では、ヒッチコック“偽りの回想(フラッシュ・バックの嘘)”は禁じ手だと語っている。映画のなかの登場人物が嘘をつくことはよくあることだけれど、「フラッシュ・バックで語られる内容が嘘だと観客はまるっきりうけつけない」のだという。
 『サボタージュ』のこの場面は回想シーンではないのだが、過去の出来事をジョンがそのまま感じたかのように描かれているという意味では回想とよく似ている。もちろん“偽りの回想(フラッシュ・バックの嘘)”がほかの映画で皆無というわけではないけれど、その場合は真相を描いた場面を挿入して、嘘を真相で上書きするのが一般的だろうと思う。しかし、この映画では真相に興味がないと言わんばかりに、麻薬組織の連中の死体を見せるだけだから、結局のところそれが誰の仕業なのかはよくわからないままなのだ(ジョンなのか、リジーなのか)。
 ジョンが「あの金は俺が取った」と打ち明けるところも、リジーを怒らせて撃たせるつもりで言ったもので、実は嘘なのかと一瞬思ったのだが違ったようだ(前半でジョンを陥れようと挑発した同僚がいたから)。金をメキシコで賄賂に使うだけならば、仲間が殺される前に高飛びすればいいわけだから、単純にジョンの狂気がその原因ということなのだろうか。色々とデタラメな部分も多いのだが、予想を裏切る展開とも言えるわけで意外に楽しめる映画だったと思う。ラストのメキシコでの銃撃戦は自殺行為なわけで、それでも死ぬ場面までは見せなかったのは、シュワルツェネッガーが死ぬにはまだ早いということなんだろう。

 ジョンが率いるチームの面々は麻薬組織に潜入したりもするらしく、見た目も行動もならず者でサム・ワーシントン(『アバター』『ターミネーター4』)などはいいところがなかったが、その妻リジーを演じていたミレイユ・イーノス(『デビルズ・ノット』)が大活躍だった。リジーは麻薬捜査官なのにドラッグ漬けで、カーチェイスでのラリった表情はなかなか見物だった。

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Date: 2015.03.13 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『幕が上がる』 ももクロ主演の王道の青春映画

 原作は平田オリザ
 監督は『踊る大捜査線』シリーズなどの本広克行
 主演には人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の5人(百田夏菜子、玉井詩織、佐々木彩夏、有安杏果、高城れに)。

本広克行監督 『幕が上がる』 主演は「ももいろクローバーZ」の5人。<br />

 劇作家が書いた原作というので、勝手に舞台劇を映画化したのかと思っていたのだが、舞台っぽくないので首をひねっていたら、これは平田オリザが書いた初めての小説の映画化とのこと。高校演劇部を題材にした王道の青春映画となっている。
 主役は人気アイドルのももクロということでアイドル映画ではあるけれど、私のようにももクロをほとんど知らなくても楽しめる作品だと思う。もちろん彼女たちのファンにだけわかるネタもあるらしく、百田夏菜子と玉井詩織がベッドで一緒に語り合う場面は、ももクロのシングル曲「シングルベッドはせまいのです」を思わせるのだとか。脚本は『桐島、部活やめるってよ』喜安浩平で、ももクロのメンバーそれぞれにキャラをあてがきをしているので、ファンにはより一層楽しめる作品なのかもしれない。

 某テレビ局が関わっているからだろうか、テレビ番組やCMあたりから引っ張ってきたようなネタも多い。たとえば松崎しげるの白い歯が暗闇で光るとか、天龍源一郎のダミ声が聞きづらいとか、ナイスボイスな志賀廣太郎(平田オリザの舞台では常連だとか)の壁ドンとか。
 これはテレビとの相乗効果でヒット作を生み出してきた本広克行監督としては外せない部分なのだろうか。幅広いウケを狙ったのか、様々な関係先に配慮したことなのかはわからないけれど、やや大衆に迎合しているようにも見えなくもない。まあ平田オリザのお面とか、自分の作品のパロディとかも交じっているので単におもしろがっているだけかも。何だかんだ言っても全体的にはとてもいい映画だったと思う。

『幕が上がる』 教師役の黒木華とさおり役の百田夏菜子。

 年に一度の演劇会も終わって3年生が引退し、そのあとを引き継ぐことになる新3年生たちが主な登場人物だ。なし崩しに部長にされたさおり(百田夏菜子)は、ちょっとした空白の状態にある。あこがれでもあった先輩も去り、顧問(ムロツヨシ)はほとんど名目だけで演劇のことは何もせず、さおりは自分が部長として何をどうすればいいか皆目わからない。そもそも自分がどうして演劇をやっているのかすらわからない。この映画はそんな若い時期にありがちな感覚から始まる。
 そんなとき発奮のきっかけになるのが新任教師の吉岡だ。吉岡は演劇経験があり、指導者のいない演劇部に確かな助言を与える役目を果たす。この教師を演じるのが黒木華で、先日テレビで放映していた『小さいおうち』とはまったく異なる役柄をこなしている。『小さいおうち』では女中として主人たちに控えめに付き従う側だが、『幕が上がる』では高校生たちを先導して全国大会まで引っ張っていこうとする。そんなわけで『幕が上がる』の黒木華は、声のトーンまで低くして高校生たちに威厳を見せるような振舞いをしている。
 予告編なんかでは灰皿を投げまくってキレる演出家みたいなキャラになっているが、あれは演出を担当するさおりが不安のあまりに見た悪夢のなかであり、実際はもっと真っ当で生徒たちを見守りつつ自らも刺激を受けてしまう「学生演劇の元女王」である。黒木華は脇役だがいい味を出している。

 物語としては青春映画にありがちな枠組みだ。ももクロの元気なイメージからか恋愛は省かれているけれど、将来に対する不安とか、仲間内での嫉妬や思いやり、そんなあれこれが描かれる(西新宿の高層ビル群を前にして演劇人の夢を語るところがよかった)。
 とにかく何だか泣けてくる部分があって、それがどんな場面だったかというとまったく思い出せないのだけれど、「若いって素晴らしい」みたいな何かがそこかしこに溢れていたのかもしれない。特によかったのは、ももクロ演じる高校生たちが短い間に目に見えて成長していくところだろう。
 『キネマ旬報 2015年3月上旬号』によれば、この映画は撮影の期間を1カ月半もとったそうだ。忙しい人気アイドルたちとしては破格のことじゃないだろうか。しかもその期間に順撮りで撮影が行われたということだ(これは平田オリザの叔父である大林宣彦が指摘していること)。そんなわけで彼女たちの撮影中での成長も感じられるし、登場人物たちが舞台上での演技に自信を育んでいくところがいっしょくたになったドキュメンタリーのようにも感じられるのだ。 「若いって素晴らしい」というのはそんなところにもあって、もう若くはなく凝り固まって頑固になりがちな者としては、まっすぐに伸びていく彼女たちが羨ましく見えて泣けてきたのかもしれない。

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キネマ旬報 2015年3月上旬号 No.1683


Date: 2015.03.05 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)
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