『さよなら歌舞伎町』 いろいろな人生が通り過ぎた場所

 監督はピンク映画でデビューした『ヴァイブレーター』『軽蔑』などの廣木隆一
 脚本は『赫い髪の女』など、日活ロマンポルノの脚本を多く執筆している荒井晴彦(最近では『共喰い』『海を感じる時』)。

 題名が『さよなら歌舞伎町』となっているのは、歌舞伎町がまさに再開発の時期にあるからだ。歌舞伎町の中心とも言える場所にあった新宿ミラノ座は、日本一の座席数を誇る映画館だったが、昨年末に閉館した。(*1)広場を挟んだ対面にあった新宿コマ劇場(新宿コマ東宝も)もすでになく、跡地にはTOHOシネマズ新宿が入ったビルが出来るようだ(ゴジラの顔がランドマークとなる予定とか)。
 そんなわけで歌舞伎町は多分これまでと一変するだろう。ちょっと前までのいかがわしくて猥雑な空間はもしかすると消えてしまうかもしれないわけで、そんな姿を残しておきたいという想いの感じられる映画だ。
 新大久保のコリアン・タウンから主人公が自転車に乗って歌舞伎町へと抜けると、映画の舞台となる実在するホテル・アトラスがあるラブホテル街が登場する。最後には新宿を離れるバスに乗った主人公からの新宿の風景も捉えられている。バッティング・センターや花園神社など歌舞伎町らしい場所もあちこち登場する。歌舞伎町を中心にした今の新宿の街が主役とも言えるのだ。新大久保でのヘイトスピーチとか、震災後の福島といった時事ネタが盛り込まれているのは、変わりつつある歌舞伎町の今を意識させるためなんだろうと思う。

『さよなら歌舞伎町』 主役のふたり染谷将太と前田敦子。ふたりは自転車で歌舞伎町方面へと向かう。

 ラブホテルを舞台としたグランドホテル方式の映画である。
 そうした映画の元祖である『グランド・ホテル』のように普通のホテルならば、様々な人が集う場所として客同士の交流なんかも生じたりするわけだけれど、『さよなら歌舞伎町』の場合はラブホテルだから事情がちょっと違う。そこを訪れるカップルはいそいそと情事のためにそれぞれの部屋と向かうわけで、この映画では狂言回しのラブホテルの店長(染谷将太)がそれらをゆるく結びつける役目を果たす。
 その日は店長にとって盛りだくさんな一日だった。フロアごと貸し切って行われたAVの撮影には、店長の妹(樋井明日香)が女優として参加していたり、ミュージシャン志望の彼女・沙耶(前田敦子)はメジャーデビューをちらつかせたプロデューサーとそのホテルにやってきて店長と鉢合わせをする。また従業員の女(南果歩)は実は指名手配犯を匿っていて(オウムの事件を思わせる)、たまたまやってきた刑事カップルと騒動を起こす。顔見知りのデリヘル嬢ヘナ(イ・ウンウ)は今日を最後の仕事に韓国へと帰るらしいし、家出少女は男に置き去りにされて店長は料金を取り損ねるかもしれない。

『さよなら歌舞伎町』 デリヘル嬢のイ・ウンウ。客からも愛されてプレンゼントを受け取る。

 群像劇がおもしろいのは、端的に言えば「人生いろいろ」を示せるからだろうか。たとえば韓国人カップルの話などはもっと膨らませて1本の映画にすることもできるかもしれない。ただそれでは1組のカップルだけの例にすぎないわけで、人生のある一面しか見えない。(*2)ほかのカップルが加わることで、言わば効率的に多くの人生のサンプルに触れることができる。
 韓国から来日し貯金のためにデリヘル嬢をしているヘナは、穢れてしまった自分のことを彼氏に謝ることになる。これはこれで殊勝な態度だが、そんな人ばかりではないわけで、この映画には別のあり方も描かれている。プロデューサーと寝ることでデビューを勝ち取った沙耶は、「枕営業なんだから仕方ないじゃない」と彼氏である店長に開き直ってみせるのだ。
 身体を売った点では同じでも、その捉え方は違うし、それぞれの背負う事情も違う。もしかすると後々の沙耶は今のヘナみたいな心境になるのかもしれないけれど、今はまだそうではない。それぞれの人生は相対化されることにはなるけれど、多くのサンプルが登場することで偏ったものにはならないという点はいいところだと思う。この映画ではどの人生にも暖かい眼差しが注がれているようで、「人生いろいろ」のそれぞれが肯定され、ちょっとだけ暖かい気持ちになる。

 多くの登場人物のなかでもっとも印象に残るのがイ・ウンウ(『メビウス』のときの表記はイ・ウヌだった)。『メビウス』でも一人で二役に化けてみせたのだが、この映画でも別人のように見える。たどたどしい日本語もかわいらしいし、脱ぎっぷりもよくデリヘル嬢のサービスをやってみせる(とはいえ一番エロいのは女刑事役の河井青葉)。それでもイ・ウンウの一番の見せ場は、デリヘル嬢としての最後の客となった彼氏(アン・チョンス)とのバスルームでのシーンだろう。極端な長回しでじっくりとヘナの後悔と謝罪を描いていく難所をうまく演じていたと思う。
 逆にほかのエピソードとも関わりがなくて、やや浮いていたようにも見えて残念だったのは、チキン・ナゲットが大好きな家出少女の話。我妻三輪子『こっぱみじん』『恋に至る病』)と忍成修吾(記憶にあるところでは『リリイ・シュシュのすべて』)の組み合わせはよかったのだけれど……。昨今の騒動もあって、チキン・ナゲットを積極的に食べたいという人はあまりいないんじゃないだろうか。そんな意味ではちょっと時期が悪かったかもしれない。

(*1) 最後に新宿ミラノ座で観たのは『ローン・サバイバー』だったろうか。最近は新宿ならほかのシネコンに行くことのほうが多かったので久しぶりだったのだが、カップルシートみたいな席があってびっくり。色々と差別化を図っていたのだろうが、やはりちょっと残念な気もする。あんなデカイ劇場は貴重だったと思うのだが……。

(*2) たとえばこの映画と同じ荒井晴彦脚本の『海を感じる時』でも、一組のカップルの行く末を追って行くわけだけれど、偏った特殊なふたりとしか見えない部分もあって、それにノレなければどうしようもない。

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Date: 2015.01.31 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『ビッグ・アイズ』 ファンタジックな嘘つき野郎

 ティム・バートン監督の最新作。
 かつてブームを巻き起こした“ビッグ・アイズ”シリーズを描いた実在の画家についての物語。脚本は『エド・ウッド』スコット・アレキサンダー&ラリー・カラゼウスキーが担当。

 “ビッグ・アイズ”シリーズの絵は、60年代アメリカのポップアート界を席巻し、批評家には貶されもしたけれど、今でも様々なところに影響を与えてもいるようだ(絵画のコピーを安価で売るという手法もここから)。
 たとえば、アンディ・ウォーホルも褒めていたとも言われるし、町山智浩も指摘していたことだけれど、世界的にも評価されているという奈良美智の絵も“ビッグ・アイズ”にどこか似ている。ディズニーのアニメーターでもあったティム・バートンの絵も、このシリーズに影響を受けているわけで、“ビッグ・アイズ”が好きだからこそこの映画を手がけたということなのだろう。

ティム・バートン 『ビッグ・アイズ』 右がゴーストとなるマーガレット。

 マーガレット(エイミー・アダムス)は旦那の下を離れ、自由なサンフランシスコにやってくる。そこでウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)という画家崩れと出会って再婚することになる。マーガレットの絵が売れたとき、たまたまウォルターが作者のフリをしたことがきっかけとなり、旦那は表の顔になり、妻は裏でゴーストペインターとなる。
 ウォルターは外交的で親しみやすく、商才にも長けている。そんなウォルターがいればこそ“ビッグ・アイズ”シリーズの成功もあった。しかし、実際に絵を描いているマーガレットはそれを自分の娘にすら秘密にしなければならず、苦しむことになる。日本でも話題になったあのゴーストライター騒動と同じようなことが描かれていく。
 意外にいい奴とも思えたウォルターだが、次第に化けの皮がはがれていく。画家だと名乗っていたウォルターだが、自分の作品が売れないことにも傷つく様子もない。マーガレットの絵で稼ぐことばかりに熱心なのが奇妙だったのだが、実はウォルターはまったく絵なんて描いたことがないことも判明してくる。

『ビッグ・アイズ』 実写でやると結構不気味に見えてくるのがおもしろい。

 ティム・バートン映画がジョニー・デップ主演の『シザーハンズ』『チャーリーとチョコレート工場』『アリス・イン・ワンダーランド』みたいなファンタジックな作品が特徴だとすれば、この『ビッグ・アイズ』はバートンらしくはないのかもしれない。箱庭のように作り上げた世界や、奇抜でカラフルなキャラクターもない、ごくごくリアリスティックな世界だからだ。実在の映画監督を描いた『エド・ウッド』ですら、B級映画の撮影現場そのものがファンタジックだったわけで、『ビッグ・アイズ』はちょっとこれまでとは毛色が違う作品とも見える。
 ただこの映画では、後半に到ってファンタジックな相貌を見せ始める。それはウォルターの驚くべき嘘つきぶりにある。マーガレットがゴーストであることを世間にばらし、事態は裁判へともつれ込むわけだが、ウォルターは自ら弁護を買って出て聴衆を唖然とさせる。“ビッグ・アイズ”誕生物語も、ウォルターは「ベルリンで戦争後の孤児たちの目を見て」などと感動を煽り世間の耳目を集めたわけで、嘘の才能があるのだ。結局、真実は明らかにされてしまうわけだが、そこに到っても厚顔無恥に言い訳をかますあたり、ウォルターは世間もびっくりのファンタジックなほどの嘘つき野郎なのだ。
 そんなこんなで、どちらかといえばウォルター演じるクリストフ・ヴァルツのほうに興味を惹かれてしまう。嘘がばれてからのウォルターのとぼけた感じをクリストフ・ヴァルツがうまく演じている。彼が何のために画家だと言い張っていたのかは最後までわからず仕舞いだったのだが、そんなわけのわからなさもファンタジックだった。
 一方で、バートンが愛情を持って描いたはずのマーガレットのほうはインパクトが弱かったような気もする。もっとも“ビッグ・アイズ”という絵をさらに世の中に知らしめるには十分だったわけで、最後にはマーガレット本人が彼女を演じたエイミー・アダムスと一緒に画面に収まる姿を見せてくれている。

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Date: 2015.01.28 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『ジミー、野を駆ける伝説』 大地と自由と歴史と

 『ケス』『麦の穂をゆらす風』『天使の分け前』などのケン・ローチの最新作。
 原題は「Jimmy's Hall」で、これはジミーたちが作り上げた集会場のこと。このホールは「ピアース&コノリー・ホール」が正式名称で、独立運動の指導者の名前から付けられている。ジェームズ・コノリーについては『麦の穂をゆらす風』でも話題となっていた。
 『ジミー、野を駆ける伝説』の冒頭では、アイルランドの歴史的背景が字幕で説明されているが、そのあたりの事情はカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した『麦の穂をゆらす風』に詳しい。
 『麦の穂をゆらす風』は、イギリスの支配からの独立を勝ち取るため、義勇軍として戦うことになる兄弟を描いている。彼らはイギリスから休戦協定を得たものの、北アイルランドを認めるか否かで袂を分かち、兄弟は内戦のなかで敵味方に別れて争うことになる。『ジミー、野を駆ける伝説』は、その内戦から約10年を経たあとの話で、ジミー・グラルトンは実在した人物である。

ケン・ローチ 『ジミー、野を駆ける伝説』 主役のバリー・ウォードはなかなか渋い。


 1932年、アメリカからジミー・グラルトン(バリー・ウォード)が帰ってくる。ジミーは地域のリーダー的存在で、ホール建設でも中心的役割を果たしていた。10年ぶりに祖国の地を踏んだジミーは、そこで年老いた母親とのんびり過ごそうと考えていたのだが……。

 リーダーになる人物には、どこか人をひきつける魅力があるようだ。ジミー・グラルトンもそうで、彼が強固な政治的信念を持っていたようには見えないのだが、彼の行くところには人が集まってくる。ホールの再開もジミーが積極的に働きかけたものではなかった。かつてそのホールの活動のおかげで教会から目の敵にされ、国外へと逃げざるを得なくなったのだから。
 けれども何もないアイルランドの片田舎で、そのホールのことは伝説となっていて、ジミーも噂の人となっていた。若者たちは教会の監視の下に健全なダンスしたいわけではなく、自分たちの自由な場所を求めていたのだ。それを可能にしてくれるのがジミーであると信じられ、ジミーは人々の先頭に立つことになる。
 そんなホールの再開を快く思わないのが、カトリック教会のシェリダン神父(ジム・ノートン)だ。ジミーたちがホールですることは、ダンスや歌、芸術やスポーツなど様々だが、それが唯一の権威である教会を揺るがすとでも言うように、ジミーたちをあからさまに弾圧していく。ジミーたちにとって教会とその取り巻きはファシストに思えるが、教会から見るとジミーたちは危険な共産主義者に見えるようだ。そうした対立は幾分か誤解も含んでいるように思えるが、両者は歩み寄ることはできない(その後の歴史の趨勢を見れば、誤解とは言えないのかもしれないが)。

『ジミー、野を駆ける伝説』 ジミーは演説で人々に訴えかける。

 シェリダン神父は保守的で、カトリックの教えを守ることが村やアイルランドのためになると信じている。ジミーは教会に反対するわけではないが、「ただ生存するためではなく、喜びのために生きよう、自由な人間として」という演説の言葉にもあったように、“自由”を何よりも重んじている。シェリダン神父とジミーは真っ向から対立しあいながらも、一方では認め合う部分もある。
 ケン・ローチの視線はいつも労働者階級や弱者に向けられている。この映画も当然ジミーたちの側に寄り添っている。しかし、シェリダン神父がまったくの敵対者として描かれるわけでもない。神父は「あなたの心の中には、愛よりも憎悪が多い」というジミーの言葉に心動かされもする。神父には神父なりの信念があり、その強引な押し付けも善意によるものということなのだろう。
 『麦の穂をゆらす風』では、兄弟が内戦で殺し合うことになってしまうわけだが、それぞれの立場には言い分があった。どちらかが完全に間違っているなどというわけではない。(*1)『ジミー』においても、神父の側が完全に悪とされているわけではない。それぞれの立場での正義のせめぎ合い、その結果として歴史がつくられていく、ケン・ローチはそんな見方をしているのかもしれない(「歴史に善悪はない」などとも言うのだとか)。
 ジミーはまた国外へと追放されてしまうが、“自由”への想いは皆に伝わっているわけで、悲劇としか言いようがない『麦の穂をゆらす風』の時代よりは一歩前進したように思えた。ジミーと昔の恋人(シモーヌ・カービー)との暗闇のなかのダンスが地味ながら印象的で、ふたりの心のなかだけに音楽が流れ出すといった演出もよかった。

 ケン・ローチ監督の作品では新鮮な顔が登場することも多い。『リフ・ラフ』で主役だったロバート・カーライルは、その後『トレインスポッティング』『フル・モンティ』などで活躍するような俳優になった。前作『天使の分け前』ポール・ブラニガンは素人だったようだが、その後『アンダー・ザ・スキン』にも顔を出していた。『ジミー』のバリー・ウォードは演劇の出身だそうだが、映画では初主演とのこと。なかなか渋い男で、今後は映画のほうでも活躍しそうな感じもする。

(*1) 『麦の穂をゆらす風』では、アイルランドの義勇軍のひとりは、イギリスでの収容所生活が最高の日々だったとも語っている。支配者であるイギリスの良さも認めているのだ。
 『麦の穂をゆらす風』はアイルランドの映画だが、監督であるケン・ローチはイギリス人であり、複雑な立場だ。

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ケン・ローチの作品
Date: 2015.01.21 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『夏の遊び』 ベルイマン作品のDVDがレンタルにも

 以前、『リヴ&イングマール ある愛の風景』について書いたときも、ベルイマン作品のDVD化を望んでいたのだが、今までVHSばかりだったイングマール・ベルイマン作品も、ようやくTSUTAYAのDVDレンタルに登場した。今年1月7日からレンタル開始となったのは、『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』『夏の遊び』『夏の夜は三たび微笑む』『冬の光』という充実の6作品。今回は前に一度観ただけの『夏の遊び』に関して。
 この映画はゴダールが「最も美しい映画」と絶賛したらしいし、ベルイマン本人もお気に入りだったようで、『第七の封印』は頭でつくったが、『夏の遊び』は心でつくったということを言っていたようだ。

イングマール・ベルイマン 『夏の遊び』 回想シーンの輝くような夏の想い出。


 主人公のマリー(マイ・ブリット・ニルソン)にある人の日記が届けられる。マリーはそれに導かれてある島へと渡る。その島は日記を書いたかつての恋人ヘンリック(ビルイェル・マルムステーン)とマリーが、若かりし頃にひと夏を過ごした場所だった。

 ベルイマン作品のなかでも特に評価が高い『野いちご』のように、現在と回想を行き来する構成となっている。マリーは現在ではバレエで主役を務めているけれど、もう若くはない。バレエは肉体を酷使する芸術だけに、いつまで続けられるかわからない。それでもマリーも今の恋人も互いの仕事ばかりに熱心で、相手のことを省みないために関係はうまくいっていない。そんな現在に対して、回想のなかのマリーとヘンリックの姿はいかにも輝いている。
 今回改めて観直して気がついたのは、マリーにより「宝石のような日々」とも表現され、“生の充溢”そのもののような回想シーンにも、ときおり死の影のようなものが漂っているということだ。マリーが島に渡ると、そこにはカラスの鳴き声とともに黒ずくめの老婆が歩いていて、その姿は『第七の封印』の死神のような風貌をしている。後半に登場するヘンリックのおばはガンで死を間近にしながらも、醜悪な姿で生に執着している。また、原因不明の臭いが二度登場するが、これは多分“死の腐臭”のようなものなのだろうと思う(だからそれに気がつく人とそうでない人がいる)。
 それから日記をマリーに送りつけたマリーのおじさんも、若くて「今を生きている」マリーと対照的な存在として配置されている。“現在”と“過去”、“生”と“死”、“若さ”と“老い”、そんな対比によってこの映画は成り立っている。
 おじさんは「出来ることなら教えてやりたい。人生の奥深さを。」と語るようにマリーの先達であり、かつてはマリーの母親の崇拝者だったらしいが、今ではそうした想い出のなかに浸って生きている。回想のマリーはおじさんと対照的な存在だったが、現在時のマリーは幾分か疲れて先行世代へと近づいている。“現在”は常に“過去”と移り変わるし、“生”は日々“死”へと近づき、“若さ”は次第に“老い”へと向かう。誰でもそうした時の流れには逆らえないのだ。

『夏の遊び』 現在のマリー(マイ・ブリット・ニルソン)は夜の劇場で不穏な何かを感じ取る。

 おじさんが日記を隠したのはなぜか? そして、今になってそれを送り付けた理由は? そのあたりに具体的な説明はない。ただ衰えを感じる時期だからこそ、日記によって想起された夏の想い出がより一層際立つ。多分、若いころにはその夏の素晴らしさには気づかない。もしかすると永遠にそんな夏が続くという勘違いをしているかもしれない。光が際立つのは闇があるからであり、生を感じられるのは死を身近に感じたからなのかもしれない。そして『夏の遊び』は陰鬱とした現在のパートがあるからこそ、回想部分の明るさのほうが印象に残る作品になっているのだと思う。
 北欧の太陽の輝きや、ローアングルで捉えられた穏やか湖畔の様子など、短い夏が美しく描かれているし、マリーとヘンリックの快活な戯れも微笑ましい。そしてベルイマン作品のなかでもとりわけほのぼのとしたアニメーション部分も忘れがたい。

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Date: 2015.01.15 Category: イングマール・ベルイマン Comments (2) Trackbacks (0)

『トラッシュ! この街が輝く日まで』 ゴミの山が宝の山になる

 監督は『リトル・ダンサー』スティーヴン・ダルドリー
 脚本は『アバウト・タイム』リチャード・カーティス
 昨年末にぴあの試写会で鑑賞。劇場公開は本日(1月9日)から。

『トラッシュ! この街が輝く日まで』 スティーヴン・ダルドリーとリチャード・カーティスのタッグによるおとぎ話。


 主人公のラファエルはリオデジャネイロのゴミ山で暮らしている。そこで拾った財布が物語の発端だ。財布にはお金のほかに、IDカード、ポケットカレンダー、少女の写真、ロトカード、コインロッカーの鍵が入っている。次の日、それを捜しに警察が現れたことで、ラファエルはその財布の重要性を悟り、ゴミ山に住む友達2人と共にその謎を探っていくことになる。

 冒頭、少年たちの告白ビデオが流される。少年たちは「この映像を見ているということは、ぼくたちは死んでいるかも」と訴える。財布に秘められたヤバい謎と、その財布を追う警官たちとの追いかけっこもあって、ハラハラドキドキさせる展開で引っ張っていく。
 『アバウト・タイム』では多幸感溢れるタイム・トラベルもので評判となったリチャード・カーティスの脚本は、謎解きにはさほどおもしろみがないし、『アバウト・タイム』と同様ご都合主義の部分もあるのだけれど、ゴミの山が宝の山になるというおとぎ話として楽しめると思う。
 『リトル・ダンサー』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』でも少年を描いてきたダルドリーは、今回も素人の3人をうまく使っている。『めぐりあう時間たち』のような文学臭さはなく、ゴミ山やリオデジャネイロの迷路のような街を走り回る娯楽作である。

 ※ 以下、ネタバレもあり。

『トラッシュ! この街が輝く日まで』 フェデリコを演じたセルトン・メロ。

 少年たちやその他多くの人々は貧しい生活をゴミ山で送っている。一方でごく一部の政治家は、私利私欲のために汚職に走り豪邸暮らし。さらに警察は庶民の味方ではなく、汚職政治家の用心棒と成り果てている。
 現実のリオデジャネイロにフィリピンのスモーキーマウンテン(今は閉鎖されたのだとか)のような場所が実在するのかは知らないが、貧富の格差はたしかに存在するのだろうし、『トラッシュ!』はそんな現実に対する異議申立ても意図されている。
 少年たちが拾ったのは、正しい行いをしようとする人の残したバトンで、それらは少年たちによって引き継がれ、世間に拡散されることになる。少年たちには揺るぎない正義がある。そして、皆が立ち上がれば、何かが変るというメッセージも真っ当なものだ。
 ただ、貧しい彼らがどうして正義の側に立つことができたのかは、いまひとつわからない。貧しさは不正にも結びつきやすそうだけれど、この映画の少年たちは自らの貧困からの脱出に留まらず、真っ直ぐに正義へと向かうのだ。
 現実においては、政治家はもちろんのこと、われわれは善も悪もどちらの部分もあるわけだけれど、この映画では善と悪とは截然と分かれている。そんな単純な対立は絵空事にすぎないし、現実に“革命”を煽るようなラストもちょっと勇み足な気もした。それなりに楽しめる映画なのだけれど、理想論できれいにまとめすぎたようにも……。

 悪役フェデリコを演じるセルトン・メロはよかった。悪役なのに非情になりきれず、最後には子供たちにゴツンとやられることになるわけで、仕返しも何だかほのぼのとしている。脇にはマーティン・シーンルーニー・マーラもいるが、今回は子供たちの引き立て役に徹している。

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スティーヴン・ダルドリーの作品
リチャード・カーティスの作品
Date: 2015.01.09 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (9)

モーリス・ピアラ 『愛の記念に』ほか ソフィー・マルソーにつられて……

 日本ではあまり知られていないモーリス・ピアラの4作品が、ようやく昨年12月にレンタルも開始された。モーリス・ピアラは本国フランスでは評価が高く、ゴダール『ヴァン・ゴッホ』の際にその作品を賛辞する手紙をピアラに送っているのだとか。

モーリス・ピアラ 『愛の記念に』 シュザンヌを演じるのはサンドリーヌ・ボネール(右側)。

『愛の記念に』
 今回観ることのできた4作品のなかで、特に気に入ったのは『愛の記念に』。この作品はピアラが日本で初めて紹介された作品とのこと。
 主人公シュザンヌ(サンドリーヌ・ボネール)の奔放な男性遍歴の話とも言えるし、シュザンヌの家族たちの話とも言えるのだが、その展開はかなり混沌としている。
 シュザンヌはひとりの青年を愛しているのだけれど、彼と寝ることはせずにほかの男ばかりを相手にする。行きずりの男とは寝ても、そのあとに彼に怒られると涙を見せたりする。自分のやっていることがよくわかっていないのだ。それと同じようにこの映画の展開も混沌としているのかもしれない。
 父親(モーリス・ピアラ本人が演じる)が「うんざりした」と言い出して突然家出をしてしまうと、家族の関係もおかしくなる。母親は狂いだし、家長を任された兄は父親の役割をしようとしてかシュザンヌに強権的に振舞うようになる。このあたりの家族の壊れっぷりは凄まじい。シュザンヌに結婚相手が決まり、ようやく家庭に落ち着きが戻ったころ、父親がふらりと戻ってくる。そして、場をわきまえない発言をして家族たちをやりこめていく。

 モーリス・ピアラは『悪魔の陽の下に』という作品でカンヌ映画祭のパルムドールを獲得したときの発言が有名とのこと。観客のブーイングに対して、ピアラは「あなた方が私を嫌うなら、私もあなた方が嫌いだ」だと言い放ったらしいのだが、その偏屈なところが『愛の記念に』もよく出ている気がする。人間嫌いというか、決まりきった社会規範みたいなものにうんざりしているのだろうか。ピアラ本人が演じる父親は、母親や兄よりも自由奔放でトラブルメーカーのシュザンヌには優しい顔を見せる。そのあたりに共感できる人にはお薦めかと思うが、ほどよく常識的な感覚の持ち主には反感を買うかもしれない。私はもちろん共感した。

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モーリス・ピアラ 『ポリス』 主人公を演じるソフィー・マルソーは何だか妙な髪形。

『ポリス』
 この作品は以前にビデオで販売されていて、かつては『ソフィー・マルソーの刑事物語』という題名だった(結局ソフトは『ソフィー・マルソーの刑事物語』という昔の名前で出ている)。私もその昔ソフィー・マルソー目当てで観た記憶はあるのだけれど、『ラ・ブーム』のようなソフィー・マルソーとはまったく違っていてがっかりだったような……。
 今回久しぶりに観直してみると、後半のソフィー・マルソーとジェラール・ドパルドューのふたりに焦点が合ってきてからがよかった(前半は登場人物も多く、ドパルドューはあちこちの女に気を回しているし、何だかよくわからない)。ソフィー・マルソー演じる主人公は麻薬を扱うアラブ人たちと、その悪徳弁護士と、それを追う刑事とを、それぞれ手玉に取るような悪い女なのだけれど、それを自覚しているようでもない。
 変な髪形とおしゃれとはかけ離れた衣装で、周囲の男たちを振り回すほどの魅力のあるようには見えないのだ。それでも保身のためにドパルドューに身を任せるようになると、それを自身が本気で信じてしまっているようにも感じられ、「愛なんて」と語っていたドパルドューでなくとも引き込まれるところがあったと思う。

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『悪魔の陽の下に』
 神とか悪魔とか奇跡とか、日本に住む凡庸な人間としてはなかなか共感性に乏しい作品。寒々しい雰囲気の撮影はよかったと思う(カメラはウィリー・クラン)。
 それから独特の編集にはまごついた。ドパルドュー演じる神父が視線を上げると、その視線の先に登場するのがサンドリーヌ・ボネールなのだが、実際に神父が彼女を見ているわけではなく、まったく別の場面が展開している(その後、ふたりは出遭うことになるわけだけれど)。ほかの作品にもそうした編集はあって、ピアラ作品独特のものらしい。
 『ポリス』や『愛の記念に』にも登場するサンドリーヌ・ボネールは、この作品でもどこか邪悪なものを感じさせる。パトリス・ルコント『仕立て屋の恋』なんかではとてもきれいという印象しかなかったのだが、ピアラ作品のサンドリーヌ・ボネールは邪悪なものを感じさせつつ、どこか無垢なものを残しているという厄介な存在のようだ。人間がそうした両極端な部分を持つからこそ、神とか悪魔とかが題材とされているのだろうか?

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『ヴァン・ゴッホ』
 ピアラ後期の傑作とされる作品。
 ゴッホの最後の2週間を描いているのだが、自殺することになるゴッホは、酒場でのダンスなど充実した生活をしているようにも見える。印象派の絵画のような美しい場面が続く(印象派のことはよく知らないけれど)。
 ゴッホを「親しい人だった」と振り返るマルグリットを演じたアレクサンドラ・ロンドンが個人的には好みだった。

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Date: 2015.01.06 Category: 外国映画 Comments (2) Trackbacks (0)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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