『ケープタウン』 アパルトヘイトの残滓が引き起こす復讐劇

 『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズなどで日本でも人気者のオーランド・ブルームが汚れ役に挑んだ作品。もうひとりの主役には『大統領の執事の涙』のフォレスト・ウィテカー
 監督はジェローム・サルというフランス人。原作はフランスでは推理小説大賞など多くの賞を受賞した小説「Zulu」で、この題名はズールー族のことを表している。

『ケープアウン』 ワイルドなひげ面のオーランド・ブルーム


 ケープタウンで撲殺された女性の遺体が発見される。捜査を担当するアリ(フォレスト・ウィテカー)とその部下ブライアン(オーランド・ブルーム)が犯人の足取りを探っていくと、背後には麻薬組織がいることがわかってくる。また、子供たちの失踪事件も相次いでいて、そちらでも新種の麻薬が見つかっていた……。

 映画のなかに麻薬組織が登場すると、途端に血なまぐさい描写が多くなる。たとえばメキシコ/アメリカを舞台にした『野蛮なやつら/SAVAGES』『悪の法則』でも、タイを舞台にした『オンリー・ゴッド』でも、麻薬組織に関わった人間は惨たらしい目に遭うことになる。南アフリカを舞台にしたこの映画も同様で、人がほとんどいない美しい浜辺で麻薬組織が登場すると、途端に血が流れることになる。
 南アフリカを舞台にした映画『第9地区』では、エイリアンの姿にアパルトヘイト政策で虐げられる黒人の姿が重ね合わされていた。この映画でもそうしたことは根強く残っていることが感じられる。プール付きの豪邸に住む白人たちの地域と、貧しい黒人たちの住むバラック小屋が並ぶ地域が対照的に描かれている。『ケープアウン』はそうしたスラム街で撮影された初めての映画とのこと。
 虐げられる側である黒人のアリは、マンデラ大統領の「もし敵と平和を作りたければ、敵と働け。そうすれば敵はあなたのパートナーになる。」という言葉を胸に、いけ好かない白人の上司ともうまくやろうと努力している。同僚たちには復讐してしかるべきだとけしかけられても、アリには「許してやる知能と勇気がある」からそんなことはしないのだと評されている。アリは融和的で模範的とも言える黒人なのだ。

 ※ 以下、ネタバレあり。

『ケープアウン』 ケープタウンのスラム街で撮影した初めての映画。

 捜査の末に明らかになってくるのは麻薬組織の陰謀だが、マッド・サイエンティストが登場するあたりはリアリティがあるとは思えない。新種の麻薬によって凶暴さを増し、最後は自殺願望まで抱くようになるというのは、かなり荒唐無稽だと思う。マッド・サイエンティストが作っていた科学兵器は、黒人だけを殺す兵器だったというのだが、それは一体どんな効果で人種を区別するのだろうか?
 ただ、映画の冒頭で空撮によっても捉えられるように、ケープタウンでは人種ごとに住んでいる地域が分断されているため、黒人の住む地域だけに麻薬を流入させることで、そうしたことも絵空事ではないのかもしれないとも思える。この映画では麻薬を流すのは子供たちだけに限定していた(冒頭の殺人事件はその決まりを破った売人の犯行で、彼は組織に殺されることになる)。それはホームレスの子供が失踪したり、勝手に殺しあったり自殺したりしても、誰も気にも留めないからだ。

 この映画で悲惨なのは、裏で糸を引くのは白人なのにも関わらず、表立って犠牲になるのは黒人たちだということだ。アリたちはズールー族であり、麻薬が蔓延る地域を治めている黒人ギャング・キャットもズールー族だ。キャットはアリに追い詰められると「相手が違う」と指摘するが、確かに同じ民族で殺し合うことになってしまう原因を作っているのは、裏で糸を引く一部の白人たちなのだ。
 アリを演じるフォレスト・ウィテカーは、『大統領の執事の涙』でも白人に従順な執事役を演じていたが、そうした面では融和的なアリというキャラクターも似たようなイメージを引き継いでいるとも言える。ただ物事には限度があるわけで、母親のことを殺されたときには復讐せざるを得ないのだ。
 『ケープアウン』のラストの復讐劇は『眼には眼を』(1957年)を意識しているのだろう。(*1)アリの執拗なまでの追跡は、『眼には眼を』で主人公が引き回される姿と被ってくるのだ。逃げ場のない砂漠という場所の怖さは『眼には眼を』ほどのインパクトがあるわけではないが、『眼には眼を』では見せなかったふたりの結末を見せられたような気がするし、復讐がテーマとなっているだけに、このオマージュの挿入はうまかったと思う。

 白人と黒人のバディムービーとも言えるこの映画。かたや女ったらしでかたや性的不能者、あるいはろくでなしと人格者と対照的なふたりだが、ブライアンの描き方はもの足りたりない。引き締まった上半身やおしりまで披露しているから、オーランド・ブルームファンへのサービスとしてはいいのかもしれないが、それ以上の役割がないような……。なぜブライアンが父の死にこだわっていたのかわからないから、最後はちょっと締まらない印象だった。

(*1) ラストが衝撃的な『眼には眼を』という映画は、『トラウマ映画館』町山智浩)などで紹介されたのがきっかけとなって、最近になってDVDでも観られるようになった作品。

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Date: 2014.08.31 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

アブデラティフ・ケシシュ 『クスクス粒の秘密』 狂熱の腹踊り?

 『アデル、ブルーは熱い色』アブデラティフ・ケシシュ監督作品。
 『クスクス粒の秘密』は2007年の作品だが、カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作『アデル、ブルーは熱い色』が話題になったからか、限定的にしか公開されていなかった過去作DVDが発売されたものと思われる。

アブデラティフ・ケシシュ 『クスクス粒の秘密』 おいしそうなクスクスが食べ散らかされている。

 フランスに住むチュニジア移民たちの物語。『アデル』でもそうだったが、クローズアップでそれぞれの顔を捉える手法で、主人公スリマール(アビブ・ブファール)を中心にした移民たちの面々が紹介されていく。スリマールを蝶番として、かたや彼の元妻とその子供たち、かたや彼の恋人とその娘リム(アフシア・エルジ)、それから同じ移民仲間などで構成されるコミュニティの姿が描かれていく。女たちは皆エネルギッシュで騒がしく、その間にいるスリマールは終始うつむき加減というあたりは、かの国でも男の居場所がなくなっているということだろうか。
 映画のタイトルにもなっている“クスクス”という料理は、チュニジアの伝統的な料理で、アラブ社会ではよく食べられているパスタの一種とのこと(見た目はピラフのようだが)。スリマールの元妻の家でクスクスを食べる場面では、親戚一同が集まって賑やかなパーティーのようになる。別居しているスリマールにもクスクスは届けられ、アラブ系移民として皆で助け合っている様も伝わってくる。そんな社会では自分勝手はエゴイストと罵倒されるようで、何度かその言葉が女たちから吐き出されるのだが、そのくらい密接で助け合いを重視したコミュニティを形成している。

 物語は中盤から動き出す。リストラされたスリマールが、彼の夢である船上レストラン開店へと行動し始めるのだ。恋人の娘リムや周囲の協力もあって、船上レストランはプレオープンの日を迎えることになるが、そこで大きな問題が……。スリマールの浮気性の息子のしょうもない行動で、メイン・ディッシュであるクスクスが届かないという致命的な事態に陥るのだ。

『クスクス粒の秘密』 リム役のアフシア・エルジ。

 たとえばこれがハリウッド映画なら、グリフィス的ラスト・ミニット・レスキュー(最後の瞬間での救出劇)でハラハラさせる映画になるだろう。いつまでも出てこないメイン・ディッシュに招待客たちが怒り出す直前、息子は発見され、クスクスが客に振る舞われ、誰もが大満足のハッピー・エンディングというわけだ。しかし、この映画はそうはならない。
 問題解決のためにバイクで走り回るスリマールは、息子の嫁に会うと息子の浮気についての愚痴を永遠と聞かされることになる。しかもそうしている間に貴重な足であるバイクを盗まれて、今度は盗人少年たちと追いかけっこに興じることになる。問題解決に向けてハラハラさせるというよりは、論点がまったく違う方向へとズレていき、主人公も観客をもイライラさせる映画なのだ。

 同じころレストランではリムが文字通り一肌脱ぐ。招待客の無聊を慰めるためベリーダンスを始めるのだ。アラブ的な音楽に合わせてダンス、その狂熱がこの映画のキモだろう。衝撃的(?)なのは、リムのお腹である。妊娠かと思わせるくらいにリムのお腹は膨れている。しかもカメラはそれをここぞとばかりにクローズアップで捉える。ベリーダンスの腰の振りに合わせてお腹の脂肪も揺れに揺れる。リムは踊るにつれて上気してくるようで、長い髪もしっとり汗に濡れてくるにつれて艶っぽくなり、招待客たちもクスクスを待つことも忘れて夢中になり、映画はそのまま終わる。
 『アデル』ではセックスシーンが何度も執拗に追われていたが、そのセックスはレズビアンの恋愛が成就したことを示す以上に、過剰な何かがあった。『クスクス粒の秘密』のダンスもそうした熱を帯びたシーンなのだ。
 ちなみにリム役のアフシア・エルジは、映画の冒頭に登場したときと比べ、ベリーダンスのときには明らかに体重アップしている。15キロほども体重を増やしてダンスの場面を撮影したらしい。そのお腹の膨れ具合は美学的観点からすればかなり微妙で、腹踊りのように見えなくもないのだが、そのインパクトで目が離せなくなる。

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Date: 2014.08.28 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『ソニはご機嫌ななめ』 ホン・サンス・ズームとは?

 『3人のアンヌ』ホン・サンス監督の最新作。
 私が観に行った日はサービス・デーということもあって劇場内は満席だった(小さな劇場だけど)。
 上映後には『桐島、部活やめるってよ』吉田大八監督のトークショーも行われた。

ホン・サンス 『ソニはご機嫌ななめ』 ソニは元彼と出会って酒を酌み交わす。

 主人公ソニは3人の男を翻弄する。教授には留学先への推薦状を書いてもらう(しかもダメ出しして二度も書かせる)。元彼にはたまたま街であい酒を酌み交わす。先輩である映画監督ともそうなる。この映画も今までのホン・サンスのスタイルだが、さらに一層先鋭化しているようで、余計なものはまったくないくらいに簡潔なものになっている。人が人と会って酒を酌み交わしながら向かい合って話す。ただそれだけなのだ。
 構成としては繰り返しのコントみたいなもので、それぞれの場面の最後は、絶妙なタイミングで演歌調(?)の曲が流れて締めくくる。また台詞にも繰り返しが多いが、先の場面では人から聞かされていたはずの言葉を、次の場面では自分の言葉として語っているというおもしろさがある。ホン・サンスの映画では登場人物が大概酔っているから、そんなこともありそうだ(撮影現場で使われているのは本物の酒とのこと)。

『ソニはご機嫌ななめ』 ソニに翻弄される3人の男たちが勢揃いしてしまう。 

 上映後のトークショーでは、吉田大八監督はホン・サンス好きを公言して憚らなかったが、そのおもしろさを伝えるとなるとなかなか苦戦している様子でもあって、たしかにホン・サンスの映画のおもしろさをうまく語るのは難しいと思う。とにかく独特なスタイルで、明確な理論的背景があってそのスタイルが選択されているというよりは、デタラメにも見えるところがある。
 たとえば吉田監督が「ホン・サンス・ズーム」と呼んでいた独特なズーム。ソニが男と会って酒を飲み始めると、カメラはちょっと遠目から向かい合うふたりの姿を見つめているのだが、ふとした拍子にカメラはズームしてふたりに近づく。しかし、それによって何か特別なことが語られることもなく、ダラダラとした会話はそのまま続くという……。
 通常カメラがふたりに近づきたいならば、一度ふたりの切り返しショットなどを入れてから、次のカットでふたりに近づくというのが一般的で、それをせずに一気にズームでふたりに近づくというホン・サンスの手法はかなり珍しい。しかも通常ズームすべきと考えるところは絶対に外してくるというのも独特。ほかの映画監督が真似したら絶対に酷いことになるだろうというのが吉田監督の感想で、たしかに誰もやらない(やれない)だろうと思う。
 吉田監督曰く『ソニはご機嫌ななめ』は、繰り返し観るとおもしろさがわかるような作品とのこと。同時に公開されている『ヘウォンの恋愛日記』のほうが、ホン・サンス初心者には受け入れやすりだろうという意見もあった。(*1)私としては『ソニはご機嫌ななめ』はあまりに決まったスタイルにはまっているため、ちょっと単調だとは思えた。でもDVDになったらまた観てみたい。
 『トガニ』や過去のホン・サンス作品『教授とわたし、そして映画 』でも個人的にお気に入りのチョン・ユミは、主演にも関わらずあまり印象には残らないかもしれない。ご機嫌ななめでブスッとした表情なのもあるかもしれないが、ほとんどの場面で男と対面して語っているだけだから横顔ばかりだからだ。これはちょっと残念。もっとも吉田監督も「大事なことを話している人の顔が見えない」などと語っていたし、これもいつものホン・サンス映画といえばそうなのだが。
 
(*1) トークショーで吉田監督が指摘していたことだが、最後に3人の男が顔を合わせる場面では、2人の服が臙脂色となっていて、色が被ってしまっている。通常は差異をつけるべきところなはずだが、ホン・サンスはあまり気にならないのかどうなのか。同時に公開されている『ヘウォンの恋愛日記』(私は未見)のスチールを見ると、ソニの茶色のコートとまったく同じようなコートをヘウォンが着ている。意図的なものなのか、単に予算の関係で使いまわしただけのかは謎だ。

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ホン・サンスの作品
Date: 2014.08.23 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

大林宣彦 『この空の花-長岡花火物語』 大林映画というワンダーランド

 大林宣彦監督の41作目の映画。2012年4月から劇場公開された作品だが、ようやく今年の7月にレンタル開始になった。時期的には新作とはズレてしまったけれど、とてもよかったので……。

大林宣彦 『この空の花-長岡花火物語』 

 昔の男から手紙を受け取った遠藤玲子(松雪泰子)が、それに導かれて長岡市にやってくる。この映画は、「遠藤玲子のワンダーランド 長岡感情旅行 2011年 夏」という題のムービーエッセイであることが冒頭で示される。観客に向けて真っ直ぐに語りかけてくる玲子が、タクシーの窓の向こうに戦争の時代の人たちを見つけるころには、私自身もワンダーランドに迷い込んだように夢中になっていた。(*1)
 とにかくワンダーランドに相応しく色々なものが無理やり詰め込まれた映画になっている。情報量が並みではないのだ。まず長岡の歴史がある。そこには長岡が焼け野原にされた戦争が絡んでくるし、戦争を体験した世代の語りがあるし、その鎮魂のために打ち上げられる花火がある。さらには中越地震や東日本大震災までが取り上げられる。通常の映画ではあり得ないほど情報を盛り込んでいる。これは玲子が長岡感情旅行で見たすべてを取り込んだものだからだ。
 膨大な情報を処理するため、物語は早いテンポ進む。説明的な字幕が付いているのは、長岡の歴史や戦争の時代を知らない観客にも、それを効率的に伝えるための手段かと思われる(後段で記すが、知らない人に伝えることが目的だからだ)。言わば教育的な配慮だが、文部省特選的な退屈な映画とは違って、表現に遊び心が溢れていて2時間40分の長丁場もその勢いに圧倒された。歴史の講義あり、CGでの解説あり、紙芝居や演劇も登場するし、チープなアニメと実写との融合もあり、モデルとなった地元の人までも登場するセミ・ドキュメンタリーでもある。大林宣彦は映画界での大御所のはずだが、未だにこんな若々しい映画を創ってしまうことに驚かされる。

『この空の花-長岡花火物語』 元木花を演じる猪股南

 玲子と昔の男・片山健一(高嶋政宏)の別れでは、なぜか唐突に「わたしたち、戦争なんか関係ないのに」という台詞が語られる。あまりの突然さに、片山も「戦争?」と返すことしかできない。そもそもなぜそんな言葉が発せられたのかはわからないのだが、それは18年後に届いた片山からの手紙に結びつく。そこでは演劇『まだ戦争には間に合う』が紹介されている。玲子はその印象的な題に惹かれて長岡への感情旅行に出発するのだ。
 長岡での玲子の見聞がこの映画だが、そこで玲子が学ぶことは「わたしたち、戦争なんか関係ないのに」という言葉が間違っているということだろう。無関係なんてことはあり得ないわけで、「みんなどこかで結ばれている」のだ。
 たとえば被爆者二世である玲子の故郷・長崎と新潟は、原子爆弾でつながっている(長岡市には模擬原子爆弾が落とされた)。新潟の佐渡おけさは、玲子の現住所である熊本県天草市の牛深ハイヤ節が起源となっている。長岡を焼け野原にした焼夷弾と、その鎮魂のための花火は、火薬が詰め込まれたものという意味で似たような構造だ。東日本大震災のとき真っ先に福島に手を差し延べたのは、中越地震のときに世話になっていた新潟県だったのだ。とにかく「わたしたちみんなどこかで結ばれている」のだ。

 さて『まだ戦争には間に合う』とはどういう意味なのか? 「今から再軍備をすれば、次の戦争には間に合う」といった右がかった言説ではないのは言うまでもない。これは長岡の空襲で娘を失った元木リリ子(富司純子)が描いた紙芝居を元にしている。しかし、実際にこの演劇を書いたされているのは元木花(猪股南)という一輪車に乗った少女だ。(*2)途中で明らかになってくることだが、一輪車に乗った少女は元木リリ子の娘であり、1歳半で亡くなった元木花だったのだ。
 大林作品には『異人たちとの夏』という幽霊ものがあるが、この作品のある部分を淀川長治さんが褒めていたと記憶している。幽霊である父と母が家のなかに入っていくと、玄関先ののれんが風に吹かれてゆらゆらと揺れている。淀川さんはのれんが風に揺れる感覚と幽霊の姿とを結び付けた描写を褒めていたのだ。
 『この空の花-長岡花火物語』の元木花は、いつでも一輪車に跨っていて、常にゆらゆらと揺れている。もちろん彼女は幽霊だから揺れているのだ。そうなると緑のなかを一列に並んだ一輪車軍団が走り抜けていく場面は、お盆に提灯の明かりに先導されてこの世に戻ってくる死者たちの姿にも見えてくるのだ。
 元木花は「この舞台は声で出来ています」と宣言する。長岡の空襲で悲惨な目に遭遇した生き残りたちの声が次々と語られるとき、彼女はその場所にふらりと現れては一輪車の舞いを見せる。そして演劇のなかでは自分たち死者の声をも響かせる。
 この演劇は戦争体験者の声や死者の声を聞くことで、戦争の体験を忘れないようにするためにある。戦争を知らなければ、戦争の悲惨さもわからない。そうなると次の戦争が起こらないとも限らない。『まだ戦争には間に合う』というのは、彼らの声を聞いて、次の戦争を回避するための知恵を学ぶのにはまだ間に合うということだ。その知恵というのは、同じような構造でできている花火と爆弾ならば、花火のほうを選ぼうという心構えなんだろうと思う。「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争が無くなるのにな」という言葉は、画家・山下清のものである。

(*1) こっそり言うと、『永遠の0』で語り部が零戦に乗った祖父の姿を目撃する場面と比べると、この映画のうまさが際立つ気がする。

(*2) 一輪車の少女を演じる猪股南は、一輪車の世界チャンピオンなんだそうな。スカートを靡かせてくるくると回る姿が、妙に様になっているのもむべなるかな。


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Date: 2014.08.15 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『ポケットの中の握り拳』 マルコ・ベロッキオ、幻の処女作

 1965年に公開されたマルコ・ベロッキオ26歳の処女作。日本では限定的にしか公開されていなかった作品。すでに劇場での公開は終了したのだが、名画座でやるかもしれないし、そのうちDVD化されることを期待して……。

マルコ・ベロッキオ 『ポケットの中の握り拳』 アレッサンドロは母親の棺桶に足を乗せている。


 北イタリアの田舎のブルジョア家庭、次男アレッサンドロ(ルー・カステル)と妹ジュリア(パオラ・ピタゴラ)は働きもせずに怠惰な日々を送っている。盲目の母親と知的障害を抱えた弟がいるその家では、長男アウグストが父親のような存在で、唯一の希望の星であり、アウグストが何とかその家庭を支えていた。

 アレッサンドロと三男には癲癇の持病があり、アレッサンドロは鬱屈した想いを抱えながら没落寸前のブルジョア家庭で生活を続けている。また妹のジュリアは、父親代わりのアウグストに対してファザコン的な感情を抱いていて、アウグストの彼女に嫉妬して手紙を捏造して関係を壊そうとする。会話もない寒々しい夕食の場面でもわかるように、この家庭はどこか壊れつつある。知的障害のある三男ですら「この家で暮らすことは拷問のようだ」とつぶやくのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり。

『ポケットの中の握り拳』 4人の兄弟が揃う場面だが、みんながバラバラな方向を向いている。

 アレッサンドロが屈折しているのは、長男に対して羨望を抱きつつも、自分もそうなりたいと願うのではなく、自分を長男アウグストに寄生する余計者のように感じていることからもわかる。そんな卑屈さが高じて、アウグストが家庭のくびきから逃れられるようにと、ほかの家族を引き連れての心中計画を練ったりもする。しかし、それが失敗すると、今度は逆に自分たちの足かせになっていると思われる母親に目を向ける。盲目の母親がいなければ、もっと自由になれると考えるのだ。

 『ポケットの中の握り拳』が当時のイタリアで衝撃をもって受け止められたのも何となく理解できる。イタリアはヨーロッパのほかの国と比べても家族を大事にする国らしく(フランスなどは個人主義が強そう)、現代ではわが国と同様に、家族と同居するパラサイト・シングル現象などもあるようだ。そのようなお国柄の場所で、邪魔になった母親を崖から突き落とし、その棺桶に足を架けてふんぞり返ってみたり、その上をあん馬のように飛び回ってみたりするのだから、不敬ぶりは際立っていたのだろうと思う。
 以前取り上げたベロッキオの『眠れる美女』では“尊厳死”がテーマになっていたわけだが、この処女作もそれに通じるものがある。“尊厳死”と言われるもののなかには、実際には様々なケースがあるのだろう。『眠れる美女』には、妻の切実な願いを叶えてやったウリアーノ議員のような場合もあれば、植物状態の姉を邪魔者扱いする弟もいた。実際には“尊厳”という言葉に値しない事態も、“尊厳死”というカテゴリーに分類されて済まされていることもあるのだろう。
 “尊厳死”と殺人がまったく違うのは言うまでもない。それでも“尊厳死”に賛成の立場は、人工呼吸器を止めて患者を死に追いやる点で、役立たずの母を葬り去る『ポケットの中の握り拳』のアレッサンドロの態度と結びつかないこともない。昔の日本なら似たような事態は“姥捨て山”と呼ばれたかもしれないが、現代ではそれを“尊厳死”と呼ぶのかもしれない。わざわざそれに“尊厳”という仰々しい名前を付けるのは、後ろめたさの裏返しでもあるのだろう。

 『眠れる美女』でも対立する立場の両方が描かれたが、『ポケットの中の握り拳』でもそんな対立関係がある。長男のような社会的に有為な側と、無用な存在として切り捨てられる側だ。アレッサンドロとジュリアはその間を彷徨っているわけだが、アレッサンドロは途中から無駄な存在を切り捨てる側に立つ。しかし、その行動には行き過ぎがあり、最後には心理的な共犯者であったジュリアからも見捨てられることになってしまう。家族を切り捨てたアレッサンドロは、その家族に見捨てられることになるのだ。
 ラスト、家族の邪魔者を片付けたアレッサンドロは、オペラ「椿姫」に合わせてひとりで踊り回り、歓喜の高笑いを笑うのだが、それはとても空虚なものに響く。その高笑いがなぜか次第に嗚咽へと変り、癲癇の発作を引き起こすという、残酷で孤独な破滅の描き方がとても素晴らしかった。

 ジュリア役のパオラ・ピタゴラの美しさも印象に残るが、アレッサンドロを演じたルー・カステルが秀逸だった。突然奇声を発してみたり、盲目の母親には見えないことをいいことに小馬鹿にした態度をとってみたり、とにかく何かしらに苛立っている。さらに苛立ちは自罰的態度になったり、他罰に向かったりと忙しなく、常に不安定な状態にいる様を見事に体現しているようだった。

ポケットの中の握り拳 [DVD]


Date: 2014.08.09 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『こっぱみじん』  木っ端微塵になっても、まだ大丈夫

 監督はピンク映画出身の田尻裕司
 出演は我妻三輪子、中村無何有、小林竜樹、今村美乃など。

『こっぱみじん』  主演の我妻三輪子。

 “こっぱみじん”なんて言葉は駄洒落くらいでしか聞かないだろうけれど、なぜ木っ端微塵になってしまうのかと言えば、この映画では人を好きになってもその想いが成就することがないから。なぜ成就しないのかと言えば、自分が勝手に好きになったとしても、好きになった相手が自分のほうを向いてくれることは滅多にないことだからだ。
 ヒロインの楓は一応彼氏も出来たのだけれど、実は幼なじみの拓也のことが気になっている。しかし拓也は実はゲイであり、彼の想い人は楓の兄貴なのだ。その兄貴は彼女の有希と生活しているが、有希には別の男がいて、その男の子供を妊娠している。4人はそんな関係にある。
 楓の好きになったのは、たまたま同性愛者だったからその想いは叶わない。その拓也の想い人である兄貴は有希とのトラブルで精一杯で、有希は二股を反省してひとりで子供を産むことを決心する。楓も実は彼氏の想いを袖にしているわけで、誰の想いもこっぱみじんになる……。

『こっぱみじん』 拓也は有希に対して怒りをあらわに……。楓は拓也の想いを知ることになる。

 舞台は小高い山が周わりを囲み、川が流れ、寂れた商店街と小さな美容室といった風景。あまりにありふれた風景で何の特徴もないと思うのは、私自身が似たような土地の出身だからなのかもしれないが、とにかく退屈そうな場所なのだ(自分もそう感じていたから言うのだけれど)。そんな普通の場所で、ごく普通の男女の、ごく普通の人間模様が描かれる。
 一応ゲイの登場人物が出てくるけれど、拓也がほかの登場人物たちと比べて特に変った存在というわけではない。拓也はゲイだから兄貴に気持ち悪がられるのを恐れていたわけだが、兄貴も自らの状況(同棲している有希がほかの男の子供を妊娠していたということ)のカッコ悪さを挙げて、ゲイという存在が特別にカッコ悪いわけじゃないと慰める。もちろんそれで拓也の想いが成就するわけではないのだけれど、大切な友達としては変らないのだ。

 登場人物たちはみんなそれなりにいい人で、「好きという気持ちを伝えられただけでも満足」という謙虚さは、ストーカーなんて存在とは対極にある。そのつつましさはとても好ましい。
 音楽でごまかすことも、奇を衒った演出もなく、坦々と人間模様を綴っていく。それでも退屈することはないのだけれど、ゲイの拓也が激高するあたりのトラブルを描くとなるとちょっと空々しい感じもした(若手の俳優陣は頑張っていると思うが)。日常のなかに突然生じる特別な出来事を描くには、やはり何らかの演出の工夫があってもよかったとも思える。冒頭の子供の頃のエピソードが、音声だけで処理されるという工夫がされていたように……。ああいう場面にリアリティを持たせるのは余程の演者でなければ難しいのだから。

 主演の我妻三輪子はPFFスカラシップ作品の『恋に至る病』で主役を演じていた子。この映画ではいわゆる“おこげ”とか言われる立場で(たしかそんな題名の映画もあったが)、色恋のトラブルからも離れた位置にあるのだけれど、穏やかなラストにはちょっと心温まる気がした。表情がくるくると変るような我妻三輪子はやっぱりかわいらしい。

こっぱみじん [DVD]


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Date: 2014.08.06 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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