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ソダーバーグ監督 『マジック・マイク』 昼の世界と夜の世界

 引退を表明したスティーブン・ソダーバーグ監督の作品。今年は、この『マジック・マイク』のほかにも『サイド・エフェクト』『恋するリベラーチェ』と、3本のソダーバーグ作品が日本で公開された。『マジック・マイク』は8月に劇場公開され、12月20日にDVDがリリースされた。
 出演はチャニング・テイタム、アレックス・ペティファー、マシュー・マコノヒー、コディ・ホーンなど。

『マジック・マイク』 個性豊かなキャラ。左からアレックス・ペティファー、マシュー・マコノヒー、チャニング・テイタム

 ヒッチコック流サスペンスを見せてくれた『サイド・エフェクト』マイケル・ダグラスの熱演が見事だった『恋するリベラーチェ』は、きらびやかな芸能の世界でのゲイ・ムービー。そして、この『マジック・マイク』は男性ストリッパーの話だが、予告編にあるようなサクセスストーリーというよりは青春映画といった印象。多彩な3作だが、個人的な好みとしては『マジック・マイク』が一番よかった(特段、男性ストリップが好みなわけではないが)。


 主人公マイク(チャニング・テイタム)は夜には“マジック・マイク”と呼ばれるストリッパーだが、昼には起業家としての顔を持ち、将来は手作り家具の商売を目論んでいる。ストリッパーは起業のための資金集めの手段でしかない。ある日、マイクは19歳のアダム(アレックス・ペティファー)と出会い、ストリップ・クラブの仕事を紹介する。アダムは姉ブルック(コディ・ホーン)と同居しているニートみたいなものだが、ストリップの仕事をするようになって次第にその世界にはまっていく。


 “昼の世界”と“夜の世界”。マイクはその世界の違いを弁えている。というよりも30代のマイクには、ストリップで女性客を沸かせ、その後3Pを楽しむような放蕩生活には限りがあることを知ってしまっているのかも。ストリップ・クラブの経営者ダラス(マシュー・マコノヒー)には“夜の世界”で生きていくという決意があるが、マイクはそうではない。だから、朝が来れば「確かな人生がほしい」と陽の光の下を起業家として活動したりもする。どこかで真っ当な世界への憧憬を捨てきれないようなのだ。マイクがたまたまその世界に引き込むことになってしまったアダムは、もしかすると“夜の世界”から抜け出せなくなってしまう側の人間なのかもしれない(はたまた、マイクと同じような経緯を辿って“昼の世界”に回帰するのかもしれない)。

ソダーバーグ監督 『マジック・マイク』 黄色い色調の“昼の世界”

 昼の場面は、フロリダの太陽で灼かれたかのような黄色い色調に統一されている。ちなみにフィルターを使ったこの撮影もソダーバーグが担当している。この手法は『トラフィック』でも3つのエピソードを区別するのにうまく活用されていた。“昼の世界”に憧れるマイクは、アダムの母代りの姉ブルックに好意を抱くが、ブルック家のシーンでは照明の影響で夜でも黄色系の暖かい印象になっている。
 ソダーバーグの演出はそつがなく、様々なアクションを同時に処理して過不足がない。たとえばタンパでの最後のショーの場面。マシュー・マコノヒーが尻を丸出しで女たちに揉みくちゃにされているのと同時に、“昼の世界”への逃走を図るマイクが描かれ、マイクが明け渡した“夜の世界”のメインアクトに登りつめるアダムも姿までもしっかり押さえているのだ。
 これはどちらもひとつの達成であり、それがその場限りのものに過ぎないとしても、後味は悪くない。マイクが“夜の世界”を捨て朝食愛好家のブルックのもとに走るラストは、ベタなラブシーンだけれどちょっとにんまりさせる。

 主役の“マジック・マイク”を演じるのは、『サイド・エフェクト』にも出演していたチャニング・テイタム。『マジック・マイク』のアイディアは、チャニング・テイタムが若い頃の経験を基にしているのだという。『サイド・エフェクト』ではあっけなく殺される犠牲者役だったが、この作品でのストリップ=ダンスシーンでは、身体能力の高さを発揮して圧倒的なパフォーマンスを見せている。それから『ペーパーボーイ』でもびっくりさせたマシュー・マコノヒーは、この作品でもエロ担当といった感じで、女性サービスに徹している。とはいえ、ストリップシーンはなかなかどぎつい部分もあるので、微笑ましかった『フル・モンティ』なんかよりはターゲットが狭いようにも思えなくもないが、アメリカでは女性客に大人気だったらしい。

マジック・マイク DVD


ソダーバーグの作品
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Date: 2013.12.31 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『リヴ&イングマール ある愛の風景』 ベルイマン作品のDVD化を!

 題名の通り、リヴ・ウルマンイングマール・ベルイマンとの関係について語ったドキュメンタリー。監督のディーラージ・アコルカールは、リヴ・ウルマンの自伝を読んで感動し、自ら手紙を出してこの企画を実現させた。

『リヴ&イングマール ある愛の風景』

 他人の想い出などわざわざ映画にするほど価値があるとは思えないけれど、その想い出が世界的に重要な人物と密接な関わりがあるとなれば話は別だ。前々回に取り上げた『愛しのフリーダ』のフリーダ・ケリーの場合は、その重要人物とはビートルズだった。この『リヴ&イングマール ある愛の風景』のリヴ・ウルマンの場合は、それはイングマール・ベルイマンという映画監督だ。もしかすると一般的な知名度はビートルズほどではないかもしれないが、映画の世界ではベルイマンという名前はゆるぎない。
 『愛しのフリーダ』にしても、『リヴ&イングマール ある愛の風景』にしても、作品としての出来が際立っているとは思えない。インタビューを中心に構成されたオーソドックスなドキュメンタリーである。ただそんな出来とは別に、その取材対象そのもの(その間に特定の媒介者はいるが)への興味のほうが先に立つわけで、そうなると見逃すわけにはいかない。私にとってベルイマンはそんな対象だ。

『ある結婚の風景』は、リヴとベルイマンの関係が反映されている?

 『リヴ&イングマール ある愛の風景』では、たとえば撮影中の演出法とか、ベルイマン的な「神の沈黙」といったテーマなど、そうした彼の映画論に関して一切触れられない。アコルカール監督が意図したのは、あるいはリヴが関心を持っていたのは、偉大な映画監督としてのベルイマンではなく、リヴと愛し合ったイングマールというひとりの男との関係のほうなのだ。
 だからこの映画では、そんな偉大な監督のイメージとは異なる様子が垣間見られる。撮影中にリヴとカメラに向かってじゃれあうような姿もある。どちらかと言えば重く陰鬱な印象のある彼の作品群からは見えてこない愛嬌のある姿だ。また、けんかしたふたりがまるでキューブリック『シャイニング』みたいに、浴室の扉を挟んでいがみ合うエピソードも語られる。結局はベルイマンがぶち破った扉の穴からスリッパだけが浴室に入り込み、リヴと互いに笑いあって仲直りしたらしい。結末だけは微笑ましいが、実際にはなかなか過酷な状況で、『ある結婚の風景』の激しいけんかを想起させる。というよりも、リヴとの関係が先にモチーフとしてあったから、『ある結婚の風景』のような作品ができたのだろう。
 アコルカール監督はリヴのインタビューとベルイマン作品の一場面をコラージュしていく。リヴがベルイマンとのコンビで生み出した『仮面/ペルソナ』『狼の時刻』『恥』『沈黙の島』『叫びとささやき』『ある結婚の風景』『秋のソナタ』『サラバンド』といった作品が度々引用されるのだ。実際に彼らが結婚生活のなかで感じていたことが、映画に反映しているのだろう(あるいはそんなふうに編集されているのだろう)。
 たとえば『ある結婚の風景』は一番わかりやすい。『ある結婚の風景』は結婚生活の愛憎劇を描いたものだが、それには実際に一度は愛し合ったものの別れてしまったふたりの関係が透けて見える。その約30年後の続編であり遺作となった『サラバンド』に至っても、リヴとイングマールの関係は続いている。映画のなかでリヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソンが演じた役柄と同じように、親しい友人として大切な存在となっているのだ。そしてベルイマンの臨終には、リヴは『サラバンド』の台詞と同じように、何だか呼ばれた気がしてベルイマンのもとに駆けつけたのだという。今度は、ベルイマンが映画として創作したものが、現実でもくり返されることになったということだ。そのくらいふたりの関係は創作活動と密接に結びついていたということかもしれない。

 この映画の主な舞台はスウェーデンのフォール島である。もちろんフォール島はベルイマンの居住地であり、『フォール島の記録』などでも舞台になった場所だ(残念ながら観てないが)。島の風景を捉えた映像は美しい。砂浜から海を捉えたシーンでは雲間から陽光が射し、『冬の光』の一場面をイメージさせる。
 また、この映画では日本未公開の『沈黙の島』(原題は『情熱』)の映像なども登場する(観たことがないから推測だが)。マックス・フォン・シドーがリヴ・ウルマンに斧を振り上げる物騒な場面など、夫婦関係のいざこざが描かれているようだ。カラーの映像もスヴェン・ニクヴィストらしい色合いと思える。日本では観る機会がないのが何とも残念だ。『狼の時刻』『恥』はようやくDVDが出たが、まだまだ未発売の作品も多い。この際だから、ぜひともソフト化を期待したいものだ。

イングマール・ベルイマンの作品
Date: 2013.12.19 Category: イングマール・ベルイマン Comments (0) Trackbacks (0)

アルフォンソ・キュアロン 『ゼロ・グラビティ』 とにかくすごい!!

 監督・脚本には『天国の口、終りの楽園。』『トゥモロー・ワールド』のアルフォンソ・キュアロン。出演はサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーのふたりのみ。しかもクルーニーはワンシーンしかまともに顔が映らないという助演的な扱い。あとはほとんどサンドラ・ブロックのひとり舞台だった。

アルフォンソ・キュアロン 『ゼロ・グラビティ』 この場面もどこかへその緒の付いた胎児を思わせる

 すごい!! それしか言葉が見つからないくらい。
 『ゼロ・グラビティ』は映画だけれど、どこかの遊園地のアトラクションなみにスリル満点で、本当の宇宙体験をしたかのような感覚を味わえる作品だ。それは3D映画のご意見番キャメロンも絶賛する、革新的な3D作品となっているからだろう。
 無重力状態での活劇はどうやって撮影したのかわからないが、CGだとしてもそれを感じさせない。『ライフ・オブ・パイ』では海を舞台に3Dをうまく利用していた。この『ゼロ・グラビティ』の舞台は宇宙であり、空気がないためどこまでも先が見渡せ、上下が無意味になる無重力空間だ。そんな舞台ではより一層3Dの効果が際立つように思えた。観客に向かって飛んでくる人工衛星の破片は、3D映画のお約束だけれどやはり楽しい。

『ゼロ・グラビティ』 美しい映像。しかし一体どうやって撮影したのか?

 キュアロン監督はここぞという時に長回しを使う。『トゥモロー・ワールド』でのジュリアン・ムーアが殺される襲撃シーン。これにはどうやって撮影したのかと驚かされた。『天国の口、終わりの楽園。』では3人のダンスシーン。音楽と酒と年上の人妻にのせられた悪ガキふたりが、男同士でなぜかキスしてしまう(翌日には吐くのだが)。そんな場の雰囲気を長回しが醸成していた。キュアロンはあるインタビュー「人物と環境の関係をリアルタイムで描きたいときに」長回しになると語っている。カットを割らずに対象を捉え続けるから、そこには臨場感が生まれるのだ。
 この『ゼロ・グラビティ』もそんな長回しから始まる。
 眼下に広がる青い地球。暗い闇のなかから宇宙船らしきものがゆっくりと現れる。それはハッブル望遠鏡で、宇宙飛行士たちはその修理の任務に当たっている。マット(ジョージ・クルーニー)はその周囲を遊泳しながら地上との無駄話を楽しみ、ライアン(サンドラ・ブロック)はせっせとその修理に勤しんでいる。ふたりの会話でベテランのライアンと新人マットの関係を素描しながら、無重力空間での日常を垣間見せる。そして、突然の緊急事態の発生。爆破された人工衛星の破片が飛散して大惨事となるのだ。ここまで15分くらいだろうか。それをワンカットで見せてしまう力技だ。(*1)
 美しい宇宙の姿から、突然牙を向く無重力の世界へ。この冒頭でそんな変化をまざまざと見せつける。宇宙から見た地球の美しさ、その向こうに広がる漆黒の静けさをゆっくりと捉えつつ、さらに上下のない無重力空間を遊泳する宇宙飛行士たちをカメラが自由自在に撮り、観客も宇宙遊泳しているような感覚に誘うのだ。そして、アクシデント以降は危機また危機の連続で、最後まで片時も目を離すことができない。91分という上映時間はあっという間だが、緊張の連続で観終わった後には身体が強張るほどだった。
 『2001年宇宙の旅』では、宇宙飛行士が暗い宇宙空間に放り出されたシーンが恐ろしかった。『ゼロ・グラビティ』はそんな人間の恐怖を描くわけだが、哲学的で観客を選ぶであろう『2001年宇宙の旅』とはまったく違い、サスペンスの連続というハリウッドらしい娯楽作品に仕上がっている。

『ゼロ・グラビティ』 主演のサンドラ・ブロック。羊水に浮かぶ胎児のように見える。

 キュアロンはあるインタビューでは、「本作は、「逆境をくぐり抜けて再生する」という普遍的なテーマを描いた作品です。」と語っている。この映画でサンドラ・ブロック演じるライアン・ストーン博士は娘を失った女性で、生きる意味を失っている部分もある。そんなライアンが放り出された宇宙から宇宙船内に逃げ込んだ場面、宙に浮いた彼女の姿は胎児のようだ。お腹のあたりからはへその緒のようなものが延びている。また、宇宙船内の狭い通路は産道を思わせなくもない。このイメージは最後の場面に結び付く。
 何度も助けられたマットを失い、ひとり取り残されたライアンは死を覚悟する。(*2)しかし奇想天外なことが起り、再び生きる意志を取り戻し、奇跡的に地球に帰還するのだ。そして水のなかから這い上がったライアンは、重力を感じながら子供のようによちよちと歩き出す。この映画は、生きる意味を失いかけていたライアンが再び生まれること――再生(rebirth)を描いた物語なのだ。
 とは言っても、そのテーマは映画の物語のなかにうまく溶け込んでいて、ハラハラドキドキの楽しみを奪うようなものではない。さりげなくそんな普遍的なテーマも盛り込んでいるのだ。そのあたりも娯楽作としてよく出来ている。

(*1) 私はこういうこれ見よがしなところが大好きだ。「こんなこともできるんだよ」とでも言っているキュアロンの誇らしげな顔が目に浮かぶ。

(*2) そのときたまたま無線がつながった相手とのやととりがショート・ムービーになっている。このショート・ムービーの監督は、『ゼロ・グラビティ』で脚本を担当したホナス・キュアロン。アルフォンソ・キュアロンの息子さんのようだ。

ゼロ・グラビティ ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産)2枚組 [Blu-ray]


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Date: 2013.12.16 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『愛しのフリーダ』 ある女性のちょっと特別なビートルズの想い出

 ザ・ビートルズの秘書だったフリーダ・ケリーという女性が、初めてビートルズについて語ったドキュメンタリー。監督はライアン・ホワイト

『愛しのフリーダ』 当時の写真。リンゴとジョージに挟まれているのがフリーダ。

 “5人目のビートルズ”という呼ばれる人がいる。もちろんビートルズは4人だ。ジョン・レノンポール・マッカットニーリンゴ・スタージョージ・ハリスンが正式メンバーで、5人目は存在しないのだが、ビートルズに非常に近い立場にある人物がそんなふうに呼ばれることがある。
 有名なのはジョージ・マーティンで、プロデューサーとして音楽面でビートルズを支えた。この映画にも登場するマネージャーのブライアン・エプスタインもそのひとりで、ビートルズが世界的な成功を獲得するための戦略面で大きな役割を果たした(たとえば野暮ったい皮ジャン姿から、スマートなスーツにイメチェンした)。ほかにも『バック・ビート』という映画でメインのキャラクターにもなった、元メンバーのスチュワート・サトクリフも“5人目のビートルズ”と呼ばれることがある。
 この『愛しのフリーダ』の主人公フリーダが“5人目のビートルズ”と呼ばれたわけではないが、ビートルズと近いところにいたという意味では負けていないかもしれない。フリーダはブライアン・エプスタインの秘書として、またファンクラブの会長として、ビートルズ結成前から解散に至るまで、彼らと一緒にいた。映画のなかでは、フリーダとビートルズのメンバーそれぞれの家族との写真が登場する。フリーダは彼らの妹的存在として可愛がられたようだ。

 リアルタイムのファンではない私はまったく知らなかったが、当時はポールとの根も葉もない噂をゴシップ紙に書かれたりして話題になったこともあるらしい。だから一部の人には知られていたのかもしれないが、音楽には相当詳しいはずの音楽評論家ピーター・バラカンもフリーダのことは知らなかったようなので、ビートルズファンの間でもそれほど一般的な名前ではないのかもしれない。それでもフリーダがビートルズのすぐ側にいたのは、映画で使用される当時の写真でよくわかる。
 そんなフリーダだからうまく立ち回れば一財産稼ぐことも夢ではなかったのだが、彼女は今までほとんどビートルズについて語ることはなかったようだ。それは「わずかなお金で魂を売る気はない」という誠実さなのだが、その誠実さはビートルズへの限りない崇拝があるからだろう。フリーダはビートルズのキャバーン・クラブでのライヴに足しげく通っていた。300回近く行われたライヴのうち、フリーダは190回以上も見ているというのだから筋金入りのファンなのだ。今でもビートルズへの崇拝はそのままで、彼らへの配慮からかこの映画も内幕暴露的な話題はない。「メンバーの誰かとデートしたのか」なんて質問は、笑いながらはぐらかしてしまう。
 だからこの映画にビートルズについての隠された真実なんてものを求めるとしたら、何も得られないだろう。フリーダがこの映画に参加するきっかけになったのはごく個人的なことであり、今まで子供たちにもあまり語っていなかったビートルズとの交流を孫に伝えたいということなのだ。その意味で非常に個人的な想い出の域を出ないと言ってもいい。
 ただフリーダのいいところは誰の悪口も言わないことだ。メンバー4人に平等に恋していたみたいに、ひとりひとりの魅力を語るあたりは、その人のよさが出ている。解散についてもブライアン・エプスタインの死が影響していると語るだけ。ありがちなポールのスタンドプレーとか、オノ・ヨーコが云々とか、そんな話はまったく出てこない。フリーダが言うには、ポールが主導した『マジカル・ミステリー・ツアー』も、ブライアンという精神的支柱を失ったビートルズを結束させるためだったのだとか。悪者になりがちなポールを弁護している。そして、金が欲しいという欲求にキリがないように、夢の舞台も長続きはしないなどと語って、ビートルズの解散も誰かを悪者にすることもなく必然的な流れとして受け止めている。フリーダは物事を前向きに捉えることのできる人であるようで、そんな真っ直ぐな生き方だからこそビートルズのメンバーに愛されたのだろうと思わせる。とにかくビートルズを語るフリーダは本当に楽しそうだった。

 

 この映画にはビートルズの曲はそれほど使用されていない。どうやら著作権の問題があるようだ。しかし、ビートルズメンバーが出演しない映画に4曲もビートルズナンバーが使用されるのは異例のことなんだとか。(*1)個人的にはクレジット前の「I Will」が沁みた。「どれだけ君を愛してきたか……」なんてポールが歌うわけだけれど、それがフリーダに向けて歌われているように編集されていて泣かせる。

(*1) 実際にはリンゴ・スターがエンドクレジットに出演している。ポールはツアーで忙しかったのだろうか? ちなみにピーター・バラカンは日本で行われたポールのコンサートでフリーダ本人とばったり出会ったのだとか。フリーダが映画の宣伝で来日したのと、ポールの来日が重なったのだろう。

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Date: 2013.12.14 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『ウォールフラワー』 まぶしいくらいの青春

 原作『The Perks of Being a Wallflower』は『ライ麦畑でつかまえて』の再来とか言われる小説だとか。この映画版『ウォールフラワー』も原作者スティーブン・チョボスキーが監督を務めている。出演はローガン・ラーマン、エマ・ワトソン、エズラ・ミラーなど。

『ウォールフラワー』 主役の3人。左からエズラ・ミラー、エマ・ワトソン、ローガン・ラーマン。

 一言で感想を済ませば、あまりノレなかった。それは『ライ麦畑』が描いたような瑞々しい感性を自分のものと引き受けるほど若くはないこともあるが、妙に都合のいい話に思えたからだ。ローガン・ラーマン演じるチャーリーは内気な青年だが、サム(エマ・ワトソン)とパトリック(エズラ・ミラー)に出会ってからは、彼らのおかげで誰もが得られるわけではないような充実した高校生活になるのだ。内気な青年が上級生に自分から声をかけるのも意外だけど、受け入れるサムとパトリックもチャーリー対しての思いやりに溢れている。世の中があんな善意に満ちた人ばかりだったらいいとは思うのだけれど……。
 主役の3人はとてもよかったと思う。『少年は残酷な弓を射る』のエズラ・ミラーはあやしい存在感があるし、『ハリー・ポッター』シリーズのエマ・ワトソンはちょっぴり大人になった。トビー・マグワイア似のローガン・ラーマンは内気な青年がよく似合っていた。

 『ウォールフラワー』に描かれる時代は、テープをダビングしてオリジナルテープを作ったりするころだ。「Come On Eileen」にのせてのダンスは楽しいし、個人的にはCrowded Houseの「Don't dream It's over」がとても懐かしかった。ただ、キネマ旬報ではある評者が、ザ・スミスを愛する人がボウイの「Heroes」を知らないってことが腑に落ちないみたいなことを記していて、たしかに恣意的ではあるとは思う。そのデタラメさはセンスのよさを誇るような印象でもあるのだが、それが若さに特有のイタイ感じを出しているのか、はたまた本気なのかは測りかねた。

※ 以下、ネタバレあり。



『ウォールフラワー』 ピックアップ・トラックの上で無限を感じる瞬間。

 チャーリーは高校入学前に病気で入院していたことになっている。これは精神的なもので、友人の自殺がその原因のように描かれている(実はほかにも原因がある)。病気がひどいときは幻覚が生じるようなのだが、とりあえずサムとパトリックと出会うことで気持ちも安定し緩解期にある。
 青春時代が苦痛に満ちていなくてもいいのだけれど、この映画では病気など忘れたように高校生活を満喫することになる。3人で車に乗って、カーラジオから素晴らしい音楽が流れ出すと、そこに“無限”を見出してしまう、そんな絵に描いたような青春なのだ。(*1)
 それなりに年齢も重ねまっとうにひねくれた観客としては、映画のなかの青春の輝きに目が眩みそうでなかばうんざりしていたのだが、ラストでは隠されていた事実が明らかになる。ただ、ここの描き方はかなり曖昧であっさりとしすぎているため、全体としてはトラウマよりもそれを乗り越えた輝きばかりが残る。
 チャーリーが慕っていた叔母は交通事故で亡くなるのだが、チャーリーはそれを自分のせいだと考え、それがトラウマになっている。というのは、チャーリーは叔母の死をどこかで望んでいて、それはなぜかと言えば、叔母はチャーリーに性的虐待をしていたからだ。自分がされていることがわからないくらいの子供のころの話だけれど、サムとの初めての性的な接触でそのことに気がつくのだ。
 この映画は、誰かに向けたチャーリーの手紙から始まっている。その相手も不明なのだが、そこに書かれた内容も、相手の存在が疑われるのと同様に疑わしいように思えてくる。誰にも気がつかれない“壁の花”だったチャーリーが急に友達を得て、エマ・ワトソンみたいな素敵な女の子ともキスをして、仲間を助けるために一瞬にしてアメフト選手たちをのしてしまう。ひどく妄想的な展開じゃないだろうか。それとも映画全体がチャーリーの幻覚だったということだろうか。

(*1) 映画のあとに原作を読んだのだが、トンネルの歌(「Heroes」)については、名前は伏せるという配慮がなされている。それはチャーリーたち三人が、あの瞬間だけにしか感じられなかった感覚だからだ。
 カフェテリアでの乱闘は、小説ではそれなりの説明がなされている。チャーリーの兄と父親は誰にも負けないくらいケンカが強いらしい。また、チャーリーの病気には「受動攻撃性人格」などという名前も与えられている。


ウォールフラワー [DVD]


ウォールフラワー (集英社文庫)


Perks of Being a Wallflower

  ↑ これはサントラ。
Date: 2013.12.08 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)
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Author:Nick
新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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