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石井隆監督 『フィギュアなあなた』 男と女の関係はどこに?

 『死んでもいい』『ヌードの夜』などの石井隆監督の作品。今年5月に劇場公開されたもの。残念ながら映画館では見逃したが、10月25日にDVDが発売となった。
 主役のオタク青年を演じるのは柄本佑。裸のシーンばかりのフィギュア役を演じたのはグラビアアイドルの佐々木心音

石井隆監督作品 『フィギュアなあなた』 健太郎(柄本佑)は廃墟のなかでフィギュアを見付ける

 今年は2本の石井隆作品が公開された。この『フィギュアなあなた』と、もう一本は9月から公開されている『甘い鞭』だ。『フィギュアなあなた』を撮影後約2週間の休みを入れ、さらに『甘い鞭』を撮影して2本の映画を完成させたのだとか。ちなみに『甘い鞭』で主役を演じる壇蜜間宮夕貴のふたりは、『フィギュアなあなた』にもちょっと顔を出している。エロさと暴力性では『甘い鞭』のほうがすごいが、男の妄想を叶えてくれる女(?)が登場する点では『フィギュアなあなた』のほうが石井隆らしい気もする(『甘い鞭』は原作が石井隆ではない)。


 ※ 以下、ネタバレあり。オチにも触れているので、要注意!


『フィギュアなあなた』 健太郎の窮地に立ち上がるフィギュアを演じる佐々木心音


 最初からオチをばらしてしまうと、『フィギュアなあなた』はリストラされた青年が見る夢である。主人公・内山健太郎が自ら夢オチを疑うくらい、あからさまにオタク青年の都合のいい夢なので、それほど隠すべきオチではないとは思うが……。
 人形に魂が宿る映画は、最近では是枝裕和監督の『空気人形』があった。『空気人形』では自意識に目覚めた女は人間のように振る舞うが、『フィギュアなあなた』はちょっと違う。それは魂を吹き込んだのがオタク青年だからかもしれない。“心音”と名付けられたフィギュアは自意識に目覚めたようでいて、好き勝手な行動はできない。意識はあっても身体の自由がなく、しどけなく横たわっているだけだ。
 健太郎が初めて心音を見付けたときも、健太郎はスカートの奥の秘部を心行くまで眺め、胸をまさぐり、絶頂に至るまでされるがままになっているフィギュアを楽しむ。健太郎は動かないままでいることを望んでいるようだ。動かず、黙って、好きにさせてくれる女、フィギュアが好きな彼が望むのはそんな女なのだ。
 ただ暴漢に追われ死にそうになったときだけ、心音に助けを求める。(*1)彼の窮地を救うため立ち上がった心音は、ロボコップみたいにぎこちない動きながらも暴漢を蹴散らしていく。心音は健太郎のなかの夢の女だから何でも可能なのだ。健太郎が望めば、心音は空も飛ぶ。ふわりと螺旋階段を降下しながら暴漢を殺し、股間から光を放ちながら再び空を舞うのだ(バイオレンスというよりもファンタジックで楽しいシーン)。
 死んでいった暴漢なども蘇っての雨降る夜の結婚式では、心音も人間らしい表情を見せるようになる。(*2)しかし、結局のところ心音は夢の女で、すべてはオタク青年の最期の夢に過ぎない。『ヌードの夜』もラストは夢オチだったが、『フィギュアなあなた』のようにおめでたい祝祭的な夢ではなかった。もっと具体的な男女の関係が存在した。観ていない作品もあるので早急な判断かもしれないが、石井隆の映画に何かしら変化が見られる気もする。(*3)
 『甘い鞭』では、冒頭の拉致監禁は男の手前勝手な暴走に過ぎないし、その関係はごく一時的なものに終わる。また、それによって傷を負った女(壇蜜)のその後の行動も、性的な研究には熱心なのに男との具体的でステディな関係には向かわず、事件の際に生じた「甘い味」を探し求めるというものだった。『フィギュアなあなた』においても、すべてはオタク青年の妄想的な夢だった。どちらの映画の主人公も独り善がりで、男女の関係などとは無縁なのだ。石井隆の映画と言えば、『天使のはらわた』シリーズや『ヌードの夜』のような“名美と村木”的などろどろした男と女の関係ばかりだと思っていたが、この2本の映画を観るとそうは言えないようだ。今のような時代では、もう以前のようなメロドラマを描くのは不可能だということなのだろうか。

(*1) 暴漢のひとり“ヨっちゃん”を演じているのが風間ルミ。ちょっと前の女子プロレスブームのころを知っている人には懐かしい顔だ。風間ルミは神取忍などを擁したLLPWという団体で社長をしながら、レスラーとしても活躍していた人物で、この映画でも往年の蹴り技で健太郎をボコボコにしている。実際は女性らしい風貌のレスラーだったが、ここでは長い髪をひっつめてオナベ役になっている。

(*2) この場面の「Love Me Tender」のメロディがいい。石井隆の映画には古くさい音楽がよく似合う。

(*3) 宮台真司はそうした変化を「石井隆による「頓馬な石井ファン」の排除」だと記しているが、ちょっとこれは難しくてよくわからない。多分、私も「頓馬な石井ファン」なのだろう。


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石井隆監督の作品
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Date: 2013.10.31 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『シュガーマン 奇跡に愛された男』 奇跡よりもロドリゲスの歌に酔いしれる

 アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞の受賞作。監督のマリク・ベンジェルールはスウェーデン・ストックホルムを中心にドキュメンタリーを製作している。原題は「Searching for Sugar Man」。

『シュガーマン 奇跡に愛された男』 「シュガーマン」を歌ったシクスト・ロドリゲス

 南アフリカにシーガーマンという男性がいた。彼のあだ名は“シュガーマン”だった。略して“シュガー”。南アフリカでは誰でも知っている歌の題名「シュガーマン」が、彼のあだ名の由来だ。シーガーマンは、その大ヒット曲を歌うロドリゲスについて何も知らないということに疑問を抱く。南アフリカでは、ロドリゲスはステージ上で拳銃自殺を図ったという都市伝説が語られ、幻のような存在だったのだ。シーガーマンはシュガーマン探しを開始する。シーガーマンやその他の仲間は、ようやくロドリゲスを見つける。ロドリゲスはアメリカのデトロイトで未だ健在だったのだ。

 アーティストが海外で先に認められることはそれほど珍しいわけじゃない。たとえば日本なら少年ナイフとか。もちろん少年ナイフは自分たちが海外で認められたことを知っている。この映画で奇妙なのは、ヒット曲を作詞・作曲したロドリゲス本人が南アフリカでの盛り上がりをまったく知らなかったことだ。もちろん、かの時代は今のようなIT社会でもないから事情は異なるが、やはりこれは奇妙なことだ。南アフリカではローリング・ストーンズよりも有名だったとされながらも、ロドリゲスは南アフリカでのブレイクを知ることなく、『コールド・ファクト』『カミング・フロム・リアリティー』という2枚のアルバムだけを残して音楽業界から去った。
 ロドリゲスの音楽業界での活躍は69~70年ころ。70年代の中頃、南アフリカでは「エスタブリッシュメント・ブルース」などの反体制的なロドリゲスの歌詞が、アパルトヘイトへの抵抗として受け止められて大ヒットを飛ばす。90年代になってようやくファンにより南アフリカから発見され、南アフリカで奇跡のようなライヴをするのは1998年(エルビスが蘇ったみたいな騒ぎに)。この間、およそ30年だ。2012年にこの映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』が公開され、サンダンス映画際やアカデミー賞で様々な賞を獲得。世界的な名声を得ることになったが、今もデトロイトで質素な生活をしている。



 映画が始まって半分あたりでようやくロドリゲス本人が姿を現すことになるが、彼は哲学者とか老賢人みたいな雰囲気を漂わせている。映画のなかで語られるように、このロドリゲス探しで主人公的な役割を担ったシーガーマンは、いつの間にかレコード屋を経営することになるし、ロドリゲスの娘は南アフリカの男性と結婚することになる。誰もがみんな変っていくなか、ロドリゲス本人だけは何も変らずにいる。彼はアメリカではアーティストとしての成功には至らなかったが、腐ることもなく真っ直ぐに生きていた。
 ドキュメンタリーとして衝撃的な事実が明らかにされるわけではない(ロドリゲスが知らない間に海外でスターだった以外は)。南アフリカでの金の流れにはあやしい部分もあるが、この映画はそこに深く突っ込まない。あくまでも主題は埋もれてしまったはずのロドリゲスというアーティストの発見にある。

 ロドリゲスはインタビューでこんなことを語っている。

ディランのヴォーカルには、聴いたらそれと直ぐわかるシグネチャーがある。ロッド・スチュワート、ミック・ジャガー、みんなヴォーカル・シグネチャーを持っている。ヴォーカル・シグネチャーを生み出せたら、アーティストはアーティストとして、ある地点に到達したと言えると思う。


 ロドリゲスはその音楽性からボブ・ディランと比較されることも多いようだが、ロドリゲスの声にもボブ・ディランとは違う独特のシグネチャーがある。アルバムを聴くとそれぞれの曲の完成度は高いし、スタジオでのアレンジなどにも力が入っている印象を受ける(素人考えだけれど)。業界での評価もよかったし、周囲の期待も高かったようなのだが、タイミングが悪かったのか、周囲の敵が凄すぎたのか、とにかく売れなかった。実際にはそういう不遇なアーティストは多いのかもしれない。ひとりのスターの陰には幾千の埋もれていった才能があるのかもしれない。しかし、ロドリゲスは30年の年月と大西洋を越えたまったく知らない場所から奇跡のような復活を果たした。その足跡を辿るというだけでこの映画には観る価値があったと思うし、何より彼の音楽を聴くことには感動がある。


 ↑ なぜかベルイマンの『不良少女モニカ』に合わせてのロドリゲス

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Cold Fact


Coming from Reality


Date: 2013.10.24 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

白石和彌監督 『凶悪』 常識的人間にも潜む凶悪さ

 “上申書殺人事件”とも呼ばれる実話をもとにした映画。原作は雑誌「新潮45」で連載されベストセラーになり、すでに文庫化もされている。監督の白石和彌は故・若松孝ニ監督の弟子で、今回が初の長編映画とのこと。脚本は白石和彌と高橋泉が共同で担当。出演には山田孝之、ピエール瀧、リリー・フランキーなど。

白石和彌監督作品『凶悪』 死刑囚が告発した史上最悪の事件

 映画『凶悪』は、事件を追うことになる雑誌記者の目を通して構成される。冒頭の須藤(ピエール瀧)の悪行は、死刑囚である須藤の公判ですでに明らかになっている犯罪なのだが、観客は突然悪行の数々をダイジェスト版で見せられる。これは須藤に会いに行く前の記者の状況と同じで、後に記者の調査によって詳しい状況が判明し、その背後に「先生」と呼ばれる男(リリー・フランキー)が存在することが明らかになる。記者は死刑囚と協力し上申書を提出し、未だ娑婆でのうのうと暮らしている先生を追い詰めていく。

 原作は未読だが、この映画は原作の事件のエピソードとは別に、雑誌記者である藤井(山田孝之)の存在が加えられている。そこが映画『凶悪』の相対的にいい部分だとは思う。というのは、事件のエピソードだけでは、物語としてもたないからだ。
 「ぶっこんじゃう」という言葉の正しい意味は知らないけれど、焼却炉に人を放り込んでみたり、簀巻き状態の人を川に投げ込んだりと、あまり愉快な言葉でないことは明らかで、須藤がそんな言葉を吐く場所には決して居合わせたくないし、そんな凶暴な須藤をうまく利用して、老人を金に変える錬金術師である先生にも、その眼鏡の奥の冷ややかな目には見据えられたくない。後半で事件の共犯者がたまたま事故に遭って死んでしまうのも現実に起きたことのようだし、とにかく描かれていることの凄さには目を疑うほかない。
 あくまで現実をモデルに描いているのだが、そこに物語にするほどの深みはない。彼らは一種のモンスターであり、ジェイソンが人を襲う程度の理由しか持ち合わせていないからだ。子どもや女には優しく、弟分のことを常に気をかける須藤の存在にはリアリティもあるのだが、同時に気に入らなくなると何でも「ぶっこんじゃう」存在でもあり、結局信頼していた先生にも最後は牙を向くわけで、その存在はリアルではあるかもしれないが、無茶苦茶すぎるだけで面白みにも欠ける。つまりそこからは映画にするほどの物語性など皆無なのであって、そのために雑誌記者の存在が必要だったように思えたのだ。
 もちろん物語なんてなくてもいいのだが、その場合はその欠如を補うような別の何かが必要だろう。『凶悪』は、事件の猟奇性から園子温の『冷たい熱帯魚』を連想させる。園作品のなかで『冷たい熱帯魚』を高く評価するものではないが、というのはこの作品も異常な事件という題材に引きずられすぎていると思えるからだが、それでも『冷たい熱帯魚』では事件の描写に圧倒的な熱量を感じて目を離すことができなかった。『凶悪』にはそうしたものが足りないのか、事件の描写を冷めた目で観てしまっていた。
 記者の藤井が先生の事務所に辿り着いた場面から、この映画は事件の渦中に移行していく。このスムーズな過去への移行は素晴らしいし、記者が目撃してしまう先生の絞殺シーンもリアルだったが、96度のウォッカを無理やり飲ませて老人を殺す場面では、その最期の瞬間をスローモーションで処理しているのにちょっと感興をそがれる気がした。また、冒頭のダイジェストは中盤での種明かしの伏線みたいなものだが、経緯を省いて唐突に露悪的な場面が展開するものだから、圧倒されるよりあざといものを感じるだけだった。観客の評判も高い作品だし、ほかの邦画の水準も超えているとは思うのだが、期待値が高かったせいか今ひとつノレなかったというのが正直な感想だ。

『凶悪』 リリー・フランキー演じる“先生”は塀の中へ

『凶悪』 山田孝之演じる藤井は塀の外だが、見た目ではどちらが囚われの身かはわからない

 事件のエピソードから比べれば、藤井の家庭でのエピソードには派手さはない。アルツハイマーの母親とそれを介護する嫁(池脇千鶴)、藤井は仕事を理由に家庭で進行する事態から目を背ける。追い詰められた嫁はボケた義母に対して暴力を振るうようになっていく。無理やり付け加えられた枠物語であり、その出来も決していいとは言えないのだが、映画が終わってみればそちらのほうが印象に残った。
 須藤や先生はいかに現実の存在とはいえ、常識的人間からすれば程遠いモンスターなわけで、それだけでは共感性に乏しい。そこに雑誌記者の藤井の存在が加わることで、凶悪なモンスター的存在をノンフィクションや映画などで垣間見ようとする常識的人間にも潜む凶悪さも明らかになる。
 ちなみに藤井はたまたま事件に遭遇してのめり込んでいったわけではない。藤井が登場する場面は、冒頭の須藤の殺人事件の後だ。藤井が被害女性の父と面会するというシーンだが、観客は須藤の事件を追って被害者の父に会いに来たと思うだろう。しかし、この被害女性は冒頭の事件とは別の被害者なのだ。そのあとに藤井が出版社に戻ると、初めて須藤からの手紙を渡されるからだ。観客をミスリードするような編集になっているが、ここで理解されるのは、藤井という記者はもとから猟奇的な事件に惹かれているということだ。上司からは芸能人のゴシップ記事を求められるが、雑誌の売り上げに貢献するような仕事には興味はなく、藤井の何かしらの性なのか、凶悪な犯罪に惹かれている。つまり藤井は自ら凶悪な事件を求めていたのだ。
 もちろんそれは“正義”という仮面を被ってはいるが、犯罪者を許さないという“正義”と凶悪なものに惹かれる性は切り離すことはできない。最後にそれを先生に見透かされる。先生が去ったあとに面会室に残される藤井の姿は、どちらが囚われの身になっているのか怪しくなる。先生が「おれを殺したいと一番思ってるのは」と指差すのは、藤井の存在を越えてスクリーンを見つめているわれわれ観客にも向けられている。

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Date: 2013.10.13 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

是枝裕和監督 『そして父になる』 福山雅治という存在に泣かされる?

 『誰も知らない』の是枝裕和監督作品。出演は福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキーなど。カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した作品。すでにスピルバーグのドリームワークスがリメークするのも決定している。

是枝裕和監督作品 『そして父になる』 主役の福山と出演者たち

 是枝裕和はテレビのドキュメンタリーから出発した人だ。テレビという媒体では、たまたま番組を目にした視聴者をも引き込むような番組作りの必要があるだろう。そうした経験からかはわからないが、是枝作品には、観客それぞれに考えさせるような問題が提起されることが多い。
 たとえば『ワンダフルライフ』では“一番大切な思い出”が問いかけられ、『奇跡』では“自分が望む奇跡”が問いかけられた。この『そして父になる』も、観客はそこで提起される問題を、自分に引き付けて考えざるを得ないだろう。
 この映画では「子どもの取り違え」が題材とされる。主人公の野々宮良多(福山雅治)と妻のみどり(尾野真千子)は、これまで6年間育ててきた慶多が自分たちの子どもではないことを知らされることになる。
 
 「血のつながりか、共に過ごした時間か」。事件の渦中にある2つの家族は、そうした選択を迫られることになる。“選択”とは記したが、実際のこういうケースでは、ほぼ100%で「血のつながり」が選ばれることになるようだ。だから選択の余地はないのかもしれないのだが、「共に過ごした時間」も簡単には捨てることのできないものだろう。そこにはやはり葛藤が生じ、ドラマが生まれる。そして観客は家族というものを改めて考え直すことになるだろう。
 先の言葉は、通常あり得ない事件のため生じた通常あり得ない葛藤だが、教育心理学の知見では、人の個性をつくりあげるのは「遺伝か、環境か」という論点がある。もちろんどちらも重要な要素に違いない。この映画でも、慶多は育ての父親であった良多に似ずに、人にやさしい部分を遺伝的に持っているし、良多の本当の息子である琉晴は生育環境のせいでしつけもなっていないし、ストローを噛んで潰してしまうところは育ての親の癖そのものだ。だから「遺伝か、環境か」というのは、どちらとも容易には言いかねる。(*1)
 どちらにしても本当の子どもを自分の手元に置きたい気持ちは当然だし、それまで築いてきた情をまったくなしにすることもできない。選択のしようがないのだ。この映画でもはっきりとした決断の瞬間はない。ふたりの子どもを一時的に交換するところからスタートし、ある日からそれが固定的なものになるのだが、子どもに取り違えの事実を説明することもないし、親たちが子どもの交換を自分たちの4人の決定として認めるようなシーンもない。頭で考える良多は「なるべく早いほうがいい」と言うのだが、ほかの3人はやさしさゆえに情に流され、うやむやのままにしている。また、良多は父親の言葉や、常識的考えに流されているとも言える。とにかく正しい答えなどないわけで、そうした意味でこの作品は観客に問いかけるものがあるのだ。

『そして父になる』 いかにも二枚目といった感じの嫌な奴、福山雅治

 『そして父になる』には4人の親が登場するが、やはり主役は福山雅治だ。『そして父になる』というタイトルの主語は、当然リリー・フランキー演じる雄大ではなく、福山=良多なのだ。雑誌「CUT」に掲載されたインタビューによると、この映画はもともと福山主演というのが先にあって、いくつかの題材のなかから福山自身がこの題材を選んだのだとか。是枝監督は福山を主役にして脚本をあて書きしたのだ。
 映画の最初のほうでは、リリーがごく自然に電気屋のオヤジになりきっているのに対し、福山はCMやテレビで見る福山のイメージそのものだ。東京タワーが見えるモデルルームみたいなタワーマンションという、いかにもスノッブな場所で、福山が気取った台詞を吐くものだから少々唖然とするかもしれない。しかし、映画を観終わってから考えれば、これも是枝監督の術中にはまっていたということだと思う。良多は福山のイメージをうまく利用した主人公なのであり、そんな福山的存在が事件によってどんなふうに苦しみ、変わっていくかが描かれるのだ。本当の主題は子どもの取り違えという事件よりも、こちらにあるのかもしれない。

 タレント福山雅治はかなりの二枚目で、十人並み以上の成功を手にしている。同様に、彼が演じる良多も、やはり二枚目で成功を手にしている。そして福山も良多もどこか嫌な奴なのだ。嫌な奴というのは、誰もが福山みたいな存在になれるわけではないと嫉妬させる奴という意味だ。ちなみに事件の原因は、福山たち夫婦があまりに幸せそうに見えたという、看護婦の悪意によるものだった。事件のもう一方の当事者であるリリーからは「負けたことない奴ってのは、ほんとに人の気持ちがわからないんだな」と小突かれる。そのくらい福山は嫌な奴なのだ。(*2)
 福山の嫌な部分はそれだけではない。どこか冷たくてあまりに理知的に事を運びすぎ、金や弁護士の力で何でも解決しようとする。そういった鼻持ちならない性格は成功を掴むために遮二無二頑張ってきたということでもあるが、遺伝によるものも大きいだろう。先ごろ亡くなった夏八木勲が演じる父の存在が効いている。出番は少ないが、どこか近寄りがたい雰囲気を持つ父親の存在は、6年間育ててきた息子(慶多)に対する福山の接し方にも影響を与えている。そして、ここが重要だが、福山が抱く父に対しての嫌悪感は、同時に自分の欠点だとも彼は気づきはじめているのだ。
 福山は勝ち組だと自ら信じていたはずだったのに、それを事件によって打ち砕かれ、少しずつ変らざるを得ない。最後には息子に向かって自分を「できそこない」だと語るが、自らの非を認めたことで、福山=良多は本当に父になっていくのだろうと思う。そしてこの映画が泣かせるのは、福山が嫌な奴だったように、われわれ観客も同じように嫌な部分を抱えているからじゃないだろうか。(*3)映画のなかで福山がそれに気づいていくように、観客もそれに気づかされるのだ。
 事件の発端となった看護婦と福山が会う場面や、その後、福山が義母に電話する場面などに泣かされる。ここで是枝監督は、福山に何か感動的なことを言わせるわけではないのだが、それまでの福山の姿を追ってきた観客には彼の言いたいことが痛いほどわかるだろう。福山雅治という存在に泣かされるとは思わなかったのだが、くやしいのだけれど終わってみたら映画のなかの彼に共感していたみたいだ。

(*1) 環境閾値説という考え方によれば、環境がある一定の水準に達していれば、遺伝的要因が顕在化する可能性が高いのだとか。だからどうしても「血のつながり」は捨てられないのだろうか。

(*2) 「やっぱり、そういうことか」、福山は取り違えの事実を知ったときにつぶやく。これも福山の嫌なところであり、後に妻とのいさかいの原因となるのだが、ストリンドベリの戯曲『父』ではないが、男は子どもを自分のものとは信じられないのかもしれない。母親と違い、自分で子どもを産むわけではないから。ストリンドベリの場合は妻への不信や狂気がそうさせ、福山の場合は取り違えという事件よりも、自らへの過信と子どもへの高い期待がそうさせたのかもしれない。

(*3) どこかのブログで拝見したのだが、是枝作品で“良多”という名前の主人公は、この作品のほかにもいくつかあるのだそうだ。そして“良多”という名前の主人公は、是枝監督自身に近しい存在であるのだという。だからこの福山=良多という存在も、タレント福山という絶対的な勝ち組のイメージではなく、嫌な部分を抱えた人間という意味で、われわれ観客にも近しい存在でもあるのかもしれない。もちろん是枝監督自身もどう考えても勝ち組なんだけれど……。

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是枝裕和の作品
福山雅治の作品
Date: 2013.10.05 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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