トルストイ 『コザック ハジ・ムラート』
『コザック』は『幼年時代』(1852)『少年時代』(1854)の後に書かれたトルストイの初期作品。
『ハジ・ムラート』はトルストイが死んでから発表された作品である。

『コザック』
「コザック(コサック)」とは、領主の支配の強化を嫌って辺境のステップ地帯に逃亡した農民の集団からなり、19世紀に入って「貴族・聖職者・農民・商人とならぶ階級の一つとなり、税金免除の引き換えに騎兵として常の兵役の義務が課された」(Wikipediaより)軍事共同体だという。『戦争と平和』でもナポレオン軍を迎え撃つコサック兵が描かれているが、『コザック』でもチェチェン人との戦いの先陣を切る役割を果たしている。
『コザック』では、オレーニンという若者の青春時代が描かれる。モスクワでの貴族生活を捨ててカフカーズ(コーカサス)へとやってきた主人公は、そこに暮らすコザックたちのなかで生活することになる。オレーニンは「ここいらで見る人間は、人間ではない。彼らのうちには、誰ひとりおれを知るものもなければ、将来だって、おれのいたモスクワの社交界などへ出入りする気づかいはないのだから、おれの過去を知るはずもないのだ。」などと考え、過去からの解放感を覚えつつ新たな土地で新たな出発を夢見る若者なのだ。そこでの生活には人生をいかに生きるべきかという悩みがあり、チェチェン人との戦いがあり、猟に耽溺する楽しみがあり、そして初めて愛するということを知ることになるのだ。
ここでは著作『ロシア的人間』でトルストイを論じている井筒俊彦の言葉を借りたい。「まず何よりも地的な、純粋に地上的な「生」に対する素朴で無羞恥な愛、一日一日を生きていくことの尽きせぬ悦び、ここにこそトルストイの真の偉大さがある。」と井筒俊彦は記している。そしてそんな「人間における自然性」を体現した存在が、『コザック』におけるエローシカだと論じている。
そして「自然と一つに成ること」が、「エローシカ的モラル」だと井筒は記し、「ちょっと見ると何の訳もない簡単なことのように思われるけれど、実はここにこそ人生の意義に百八十度の旋廻を強いる大きな意味が含まれている」と続けている。井筒は『ロシア的人間』において、トルストイの章の大半を『コザック』に費やしている。『戦争と平和』でもなく、『アンナ・カレーニナ』でもなく、『コザック』にこそトルストイの「生の肯定」が表れていると考えているのだ。
また、この本の解説において、『ドストエフスキー』という著作もある山城むつみはこう記している。「ドストエフスキー本人は、天がトルストイ作品に与えたとしか言いようのない極上の恵みに比べれば自分の書くものなど、健全さに欠けた、ヤクザな二流品ではないのかと心のどこかで疑っていたと思います」。トルストイの健全さは、ドストエフスキーを嫉妬させもするのだが、一方で表面的には道徳的で安易な印象を与えかねない(日本ではドストエフスキーのほうが人気のようだ)。井筒俊彦もトルストイが誤解されてきたことに注意を促している。ここでは詳しく触れる余裕はないから、あの『意識と本質』(手元に置きたい本とはまさにこの本!)を書いた井筒俊彦が絶賛しているのだからトルストイは素晴らしい、とその権威にすがって言っておこう。
『ハジ・ムラート』
『ハジ・ムラート』は『コザック』から30年以上のちに記されたトルストイ最後の小説。冒頭、作者と思わしき「私」が、野道を散歩していると「だったん草(野アザミ)」を見つける。それは車輪の下敷きになったらしく、ひどく痛めつけられ傷ついていた。その草はこう描写される。
この印象的な場面から、ひとつの出来事を思い出し回想に入っていく。それが「ハジ・ムラート」という実在の人物の物語だ。
ハジ・ムラートがチェチェン人の村に秘かに現れる冒頭から始まって、ハジ・ムラートの投降を受け入れるロシア側のざわめきに場面を展開していきつつ、イスラム神秘主義者たちの反ロシア運動に巻き込まれるハジ・ムラートの人生も語られていく。ハジ・ムラートはロシアとイスラム勢力の狭間を行き来し、寝返りを繰り返す。ラスト、母親たちを助けるためにロシア側から逃げ出してイスラム側に戦いを挑もうとするが、ロシア側の兵士に囲まれて壮絶な最期を遂げるのだ(藪のなかに立てこもり反撃する場面は西部劇のよう)。このハジ・ムラートの姿が冒頭の「だったん草」に描写されるものなのだ。
トルストイ作品の登場人物が自伝的要素を含んでいることはつとに指摘されているが、最晩年に記したハジ・ムラートの姿にも、トルストイは自分の姿を見ていたのだろうか。
トルストイは「だったん草」に対し、≪なんという精力だろう!≫≪人間はすべてに打ち勝ち、幾百万の草を絶滅したが、これだけはついに降参しようとしないのだ≫と記す。これはそのままハジ・ムラートについての評言だ。だがそこには生の肯定というよりは、つまり降参しなかったことの賛美よりは、痛めつけられる「だったん草」(=ハジ・ムラート)に対する悲哀のほうが強く感じられるのは私だけだろうか。
トルストイは『ハジ・ムラート』を書き上げた6年後、すべてを捨てて家出をし、旅先の駅で野垂れ死ぬようにこの世を去るわけだ。
トルストイの作品

『ハジ・ムラート』はトルストイが死んでから発表された作品である。

『コザック』
「コザック(コサック)」とは、領主の支配の強化を嫌って辺境のステップ地帯に逃亡した農民の集団からなり、19世紀に入って「貴族・聖職者・農民・商人とならぶ階級の一つとなり、税金免除の引き換えに騎兵として常の兵役の義務が課された」(Wikipediaより)軍事共同体だという。『戦争と平和』でもナポレオン軍を迎え撃つコサック兵が描かれているが、『コザック』でもチェチェン人との戦いの先陣を切る役割を果たしている。
『コザック』では、オレーニンという若者の青春時代が描かれる。モスクワでの貴族生活を捨ててカフカーズ(コーカサス)へとやってきた主人公は、そこに暮らすコザックたちのなかで生活することになる。オレーニンは「ここいらで見る人間は、人間ではない。彼らのうちには、誰ひとりおれを知るものもなければ、将来だって、おれのいたモスクワの社交界などへ出入りする気づかいはないのだから、おれの過去を知るはずもないのだ。」などと考え、過去からの解放感を覚えつつ新たな土地で新たな出発を夢見る若者なのだ。そこでの生活には人生をいかに生きるべきかという悩みがあり、チェチェン人との戦いがあり、猟に耽溺する楽しみがあり、そして初めて愛するということを知ることになるのだ。
ここでは著作『ロシア的人間』でトルストイを論じている井筒俊彦の言葉を借りたい。「まず何よりも地的な、純粋に地上的な「生」に対する素朴で無羞恥な愛、一日一日を生きていくことの尽きせぬ悦び、ここにこそトルストイの真の偉大さがある。」と井筒俊彦は記している。そしてそんな「人間における自然性」を体現した存在が、『コザック』におけるエローシカだと論じている。
人間における自然性を、その窮極的形態に捉えて、これを見事に生きた人間として受肉させたトルストイ芸術のすぐれた創造物の一つである。絶対に無条件な存在の受容、徹底した生の肯定、それがこの老コサックの精神である。
そして「自然と一つに成ること」が、「エローシカ的モラル」だと井筒は記し、「ちょっと見ると何の訳もない簡単なことのように思われるけれど、実はここにこそ人生の意義に百八十度の旋廻を強いる大きな意味が含まれている」と続けている。井筒は『ロシア的人間』において、トルストイの章の大半を『コザック』に費やしている。『戦争と平和』でもなく、『アンナ・カレーニナ』でもなく、『コザック』にこそトルストイの「生の肯定」が表れていると考えているのだ。
また、この本の解説において、『ドストエフスキー』という著作もある山城むつみはこう記している。「ドストエフスキー本人は、天がトルストイ作品に与えたとしか言いようのない極上の恵みに比べれば自分の書くものなど、健全さに欠けた、ヤクザな二流品ではないのかと心のどこかで疑っていたと思います」。トルストイの健全さは、ドストエフスキーを嫉妬させもするのだが、一方で表面的には道徳的で安易な印象を与えかねない(日本ではドストエフスキーのほうが人気のようだ)。井筒俊彦もトルストイが誤解されてきたことに注意を促している。ここでは詳しく触れる余裕はないから、あの『意識と本質』(手元に置きたい本とはまさにこの本!)を書いた井筒俊彦が絶賛しているのだからトルストイは素晴らしい、とその権威にすがって言っておこう。
『ハジ・ムラート』
『ハジ・ムラート』は『コザック』から30年以上のちに記されたトルストイ最後の小説。冒頭、作者と思わしき「私」が、野道を散歩していると「だったん草(野アザミ)」を見つける。それは車輪の下敷きになったらしく、ひどく痛めつけられ傷ついていた。その草はこう描写される。
まさにからだの一部をむしりとられ、腸を露出し、片手をもがれ、眼をとびださせられているのであった。しかも彼は、依然として立ち、周囲の同胞をことごとく滅ぼしつくした人間に、降参しようとはしていないのであった。
この印象的な場面から、ひとつの出来事を思い出し回想に入っていく。それが「ハジ・ムラート」という実在の人物の物語だ。
ハジ・ムラートがチェチェン人の村に秘かに現れる冒頭から始まって、ハジ・ムラートの投降を受け入れるロシア側のざわめきに場面を展開していきつつ、イスラム神秘主義者たちの反ロシア運動に巻き込まれるハジ・ムラートの人生も語られていく。ハジ・ムラートはロシアとイスラム勢力の狭間を行き来し、寝返りを繰り返す。ラスト、母親たちを助けるためにロシア側から逃げ出してイスラム側に戦いを挑もうとするが、ロシア側の兵士に囲まれて壮絶な最期を遂げるのだ(藪のなかに立てこもり反撃する場面は西部劇のよう)。このハジ・ムラートの姿が冒頭の「だったん草」に描写されるものなのだ。
トルストイ作品の登場人物が自伝的要素を含んでいることはつとに指摘されているが、最晩年に記したハジ・ムラートの姿にも、トルストイは自分の姿を見ていたのだろうか。
トルストイは「だったん草」に対し、≪なんという精力だろう!≫≪人間はすべてに打ち勝ち、幾百万の草を絶滅したが、これだけはついに降参しようとしないのだ≫と記す。これはそのままハジ・ムラートについての評言だ。だがそこには生の肯定というよりは、つまり降参しなかったことの賛美よりは、痛めつけられる「だったん草」(=ハジ・ムラート)に対する悲哀のほうが強く感じられるのは私だけだろうか。
トルストイは『ハジ・ムラート』を書き上げた6年後、すべてを捨てて家出をし、旅先の駅で野垂れ死ぬようにこの世を去るわけだ。
トルストイの作品

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