『シン・ゴジラ』について好き勝手に論じること
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昨年大ヒットした『シン・ゴジラ』に関しては、公開当初からムック本が書店にいくつも並んでいた。それらは『ゴジラ』シリーズについての解説だったり、新作についての話題づくりだったのだが、公開して時間も経った最近になって様々な論者が『シン・ゴジラ』について論じた本も登場している。年末年始の休みに私が読んでいたものは、『「シン・ゴジラ」をどう観るか』と『ユリイカ2016年12月臨時増刊号 総特集Ω『シン・ゴジラ』とはなにか』の2冊だが、ほかにも色々と関連本が出版されているようだ。
こういった本がいくつも登場するのも、監督が庵野秀明ということもあって作品中に散りばめられた謎が話題になっているからなのだろう。たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』のように庵野作品には膨大な情報が詰め込まれているから、論者は好き勝手な読み方をすることも可能で、だからいろんな人がいろんなことを言いたくなる。そう言えば『新世紀エヴァンゲリオン』が話題をさらったときも、解説本らしきものが雨後のタケノコのように出版されていた。
ちなみに『シン・ゴジラ』における謎とは、たとえば牧教授が『春と修羅』を残していたことの意味合いとは何かとか、ラストでゴジラのしっぽから飛び出しそうになっていたものは何かとか、最後に凍結したゴジラが再び動き出した際の核攻撃のリミットはなぜ3526秒なのかなど様々ある。
ただ、こうした本を読んでもそれらの謎が解けるわけではない。というのもこれらの答えを知っている人は庵野監督だけだからで、監督自身はそれについて解説したりはしないから。とにかく一度観ただけでは到底すべてを把握できるはずもなく、論者たちはさすがに何度も劇場へ足を運んでいる様子で、一度しか観ていない者としては色々と気づかされる部分も多かった。3月にはソフトがリリースされるようなので改めて確認したいと思う。

個人的に一番興味深く読んだのは大塚英志の論考(『ユリイカ』のほうに掲載されている)。
ゴジラが皇居を襲わないのは戦死者の英霊だからだと論じたのは川本三郎なのだそうが、『シン・ゴジラ』においてもそれは同様で、ゴジラは東京駅で大暴れはするものの皇居までその被害は及ばない。しかし大塚は東京駅前まで仁王立ちとなって凍結されるゴジラの向いている方向に注意を促している。ゴジラが向かおうとしているのは皇居なのではないか。そんなふうに大塚は論を進めるのだが、最後に大塚はそれを否定する。『シン・ゴジラ』の世界は「天皇の断念された世界」なのではないかというのだ。
『シン・ゴジラ』のなかでは天皇について言及されることはないし、ゴジラという怪獣も初めて登場したという設定になっていた。日本人の多くが『ジン・ゴジラ』に登場する巨大不明生物を3.11のメタファーのように受け取ったわけだけれど、『シン・ゴジラ』の世界で3.11が起きていたのかどうかはわからない。まだ3.11の記憶が新しい日本人が観ると、どうしてもそれを思い出してしまうのだが、どうやら海外ではそのあたりが理解されないという話もあるようだ。そんな意味では『シン・ゴジラ』の世界が「天皇の断念された世界」として設定されているということもあり得るのかもしれない。大塚はそこに庵野監督の成熟を読み込んでいく。『シン・ゴジラ』論というよりは庵野秀明論になっているのだが、予定されている『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を読み解く上でもためになりそうな感じもする。