『The NET 網に囚われた男』 もどかしい現実を直視する
キム・ギドクの最新作(第22作目)。今回も監督・脚本・編集・撮影までこなしている。
この作品は個人的には今年一番の注目作なのだが、さらに監督第21作目の『STOP』もこの3月に公開予定とのことでそちらも楽しみ。

北朝鮮で漁師をしているナム・チョル(リュ・スンボム)は、妻と娘の3人で貧しいながらも平穏な生活を営んでいた。ところがある日、漁の最中に船のスクリューに網がひっかかってしまう。全財産である船を捨てることもできずにいるうちに軍事境界線を越えて韓国側へと流されてしまったナム・チョルは、捕えられてスパイの疑いをかけられることになる。
ナム・チョルは韓国側から取り調べを受けることになる。彼は漁師であり、妻子のためにも北朝鮮に戻りたいと説明しても簡単には信用されない。取り調べ官(キム・ヨンミン)は始めから疑ってかかっていて、無実の人でもスパイに仕立て上げようとするからだ。というのも取り調べ官は朝鮮戦争で親を亡くしているために、北朝鮮に対して個人的な怨恨を抱いているのだ。
もちろん韓国側のすべてが北朝鮮に対して強硬な姿勢というわけではなく、取り調べ官の上司はもっと現実的に事態を判断しているし、警護官のオ・ジヌ(イ・ウォングン)はナム・チョルのことを信じてやりたいと考えている。
しかし韓国側にはナム・チョルに対してのスパイ嫌疑が晴れたとしても、北朝鮮という独裁国家にナム・チョルを帰すことにもためらいがある(これは善意の押付けでもある)。できればナム・チョルを転向させて亡命を申請させることで、自分たちの陣営に取り込もうとする。そのために近代化したソウルの街をナム・チョルに見せることで、独裁国家ではない自由な社会の素晴らしさをアピールすることになるのだが……。
※ 以下、ネタバレもあり! ラストにも触れているので要注意!!

◆南北分断の問題
ギドクが南北分断を描いた作品は最近では『プンサンケ』『レッド・ファミリー』があるし、初期の監督作『コースト・ガード』や『ワイルド・アニマル』でもその問題が取り上げられている。今回の『The NET 網に囚われた男』は、最も直接的に南北分断について描いているし、より一層シリアスで政治色が強いものになっている。
ナム・チョルはアクシデントで軍事境界線を越えてしまうことになるが、紆余曲折を経て北朝鮮に戻ってくることになる。しかし北朝鮮に戻ったナム・チョルが受けた仕打ちは、韓国側で受けた仕打ちとまったく同じものだ。これらのシークエンスは意図的にそっくりに描かれていて、ナム・チョルの後ろに陣取った南と北の取り調べ官が語ることも似通っている。国家というリヴァイアサンを前にしては、個人の存在がいかに踏みにじられるのかということが示されていて、それは韓国であろうと北朝鮮であろうと変わりがないのだ。
さらに韓国は独裁国家にはない自由な社会があると喧伝するものの、ナム・チョルがソウルで出会った女性は弟のために売春をして仕送りをしなければならない境遇にあった。自由であるはずの資本主義社会でもそうした矛盾が生じているわけで、ギドクはどちらに対しても批判的な態度をとっている。
◆絶望的なラスト?
北朝鮮当局の取り調べを終えたナム・チョルは、ようやく妻と娘の待つ家へと帰り着く。しかし元のような生活が戻ってくることはない。ラストの展開はあまりにも暗い。作品の冒頭では朝から夫婦の営みに励んでいた精力旺盛なナム・チョルは、今回のトラブルの精神的なダメージなのか妻(イ・ウヌ)の豊満な胸を前にしても性的不能な状態に陥ってしまう。さらには漁師としての仕事も取り上げられたナム・チョルは、ほとんど自暴自棄のような形で死んでいくことになる。
なぜここまで夢も希望もないような終わり方だったのか?
ギドクの初期作品では夢や幻想が主人公たちの「救い」となっていた。たとえば『鰐』では川の下の龍宮のような場所(=ユートピア)があったし、『うつせみ』では主人公たちが幽霊のような非現実的な存在になる。現実とは異なる虚構の何かが作品内部には存在して、その意味ではまだ逃げ場が残されていたのかもしれないのだが、『The NET』にはそうした場所はどこにもない。
ギドクが自伝的要素を盛り込んでつくったとされる『受取人不明』と同様に、『The NET』には「救い」というものがないのだ。『受取人不明』がギドクが生きてきた現実を描いているとするならば、『The NET』は南北分断国家のありのままの現実を描いているということになるのだろう。
前作の『殺されたミンジュ』では、暴走した謎の組織のリーダーは最後に自分が殺されることを覚悟している。リーダー曰く、「人間は本当に哀れだ。生きるのは苦しくて疲れる」。このリーダーの悲哀に満ちた言葉は、『The NET』のナム・チョルの姿と被る。
『殺されたミンジュ』では自警団がある事件の犯人たちに復讐するという大枠が嘘っぽかったのだけれど、そのほかの部分は意外にもリアルだった。今回の『The NET』もリアルな路線をはみ出していくことはない。この作品のなかで一番嘘っぽいのは、ひとつの民族が南北に分断された国家に住んでいるという“現実そのもの”だったとも言えるかもしれない。
『The NET』では、ナム・チョルは韓国の取り調べ官にスパイでないことを信じてもらえずに「もどかしい」という言葉を口にする。また、ナム・チョルを転向させようとする女性取り調べ官(ソン・ヒョナ)も同じように「もどかしい」と漏らしている。国や政治の状況がおかしいことはわかっているのに、個人はそれをどうすることもできない。そんな想いが北と南の両者の「もどかしい」という言葉に凝縮されているようだ。この作品はそんなもどかしい現実を観客に直視させる。だからこの作品のラストが絶望的だとするならば、それはとりもなおさず現実が絶望的ということにほかならない。
『魚と寝る女』のような水の上の船というイメージを登場させながらも、今回も美学とは無縁の政治的なメッセージのほうへと舵を切ったギドクだが、前作『殺されたミンジュ』よりはすんなりと受け入れられたし、撮影までひとりでやってしまうという無理もそれほど違和感はなかったと思う。
主演のリュ・スンボムは『ベルリンファイル』などにも出演している韓国スターらしいのだが、本当に漁師のように見えて役柄にはまっていた。韓国側の取り調べ官を演じたキム・ヨンミンは初期の『受取人不明』などにも登場しているギドク作品の常連さん。『The NET』での取り調べ官が絶叫する国に対する想いが調子外れに響くのが印象に残る。ナム・チョルが北朝鮮に戻ったときの万歳三唱も同様に白々しいものだったが、これらは初期の『コースト・ガード』のラストの歌に南北統一への想いが込められていたのとは対照的なものだったと思う。今は希望的観測を描くよりも、現実を直視するほうが重要ということだろうか。






この作品は個人的には今年一番の注目作なのだが、さらに監督第21作目の『STOP』もこの3月に公開予定とのことでそちらも楽しみ。

北朝鮮で漁師をしているナム・チョル(リュ・スンボム)は、妻と娘の3人で貧しいながらも平穏な生活を営んでいた。ところがある日、漁の最中に船のスクリューに網がひっかかってしまう。全財産である船を捨てることもできずにいるうちに軍事境界線を越えて韓国側へと流されてしまったナム・チョルは、捕えられてスパイの疑いをかけられることになる。
ナム・チョルは韓国側から取り調べを受けることになる。彼は漁師であり、妻子のためにも北朝鮮に戻りたいと説明しても簡単には信用されない。取り調べ官(キム・ヨンミン)は始めから疑ってかかっていて、無実の人でもスパイに仕立て上げようとするからだ。というのも取り調べ官は朝鮮戦争で親を亡くしているために、北朝鮮に対して個人的な怨恨を抱いているのだ。
もちろん韓国側のすべてが北朝鮮に対して強硬な姿勢というわけではなく、取り調べ官の上司はもっと現実的に事態を判断しているし、警護官のオ・ジヌ(イ・ウォングン)はナム・チョルのことを信じてやりたいと考えている。
しかし韓国側にはナム・チョルに対してのスパイ嫌疑が晴れたとしても、北朝鮮という独裁国家にナム・チョルを帰すことにもためらいがある(これは善意の押付けでもある)。できればナム・チョルを転向させて亡命を申請させることで、自分たちの陣営に取り込もうとする。そのために近代化したソウルの街をナム・チョルに見せることで、独裁国家ではない自由な社会の素晴らしさをアピールすることになるのだが……。
※ 以下、ネタバレもあり! ラストにも触れているので要注意!!

◆南北分断の問題
ギドクが南北分断を描いた作品は最近では『プンサンケ』『レッド・ファミリー』があるし、初期の監督作『コースト・ガード』や『ワイルド・アニマル』でもその問題が取り上げられている。今回の『The NET 網に囚われた男』は、最も直接的に南北分断について描いているし、より一層シリアスで政治色が強いものになっている。
ナム・チョルはアクシデントで軍事境界線を越えてしまうことになるが、紆余曲折を経て北朝鮮に戻ってくることになる。しかし北朝鮮に戻ったナム・チョルが受けた仕打ちは、韓国側で受けた仕打ちとまったく同じものだ。これらのシークエンスは意図的にそっくりに描かれていて、ナム・チョルの後ろに陣取った南と北の取り調べ官が語ることも似通っている。国家というリヴァイアサンを前にしては、個人の存在がいかに踏みにじられるのかということが示されていて、それは韓国であろうと北朝鮮であろうと変わりがないのだ。
さらに韓国は独裁国家にはない自由な社会があると喧伝するものの、ナム・チョルがソウルで出会った女性は弟のために売春をして仕送りをしなければならない境遇にあった。自由であるはずの資本主義社会でもそうした矛盾が生じているわけで、ギドクはどちらに対しても批判的な態度をとっている。
◆絶望的なラスト?
北朝鮮当局の取り調べを終えたナム・チョルは、ようやく妻と娘の待つ家へと帰り着く。しかし元のような生活が戻ってくることはない。ラストの展開はあまりにも暗い。作品の冒頭では朝から夫婦の営みに励んでいた精力旺盛なナム・チョルは、今回のトラブルの精神的なダメージなのか妻(イ・ウヌ)の豊満な胸を前にしても性的不能な状態に陥ってしまう。さらには漁師としての仕事も取り上げられたナム・チョルは、ほとんど自暴自棄のような形で死んでいくことになる。
なぜここまで夢も希望もないような終わり方だったのか?
ギドクの初期作品では夢や幻想が主人公たちの「救い」となっていた。たとえば『鰐』では川の下の龍宮のような場所(=ユートピア)があったし、『うつせみ』では主人公たちが幽霊のような非現実的な存在になる。現実とは異なる虚構の何かが作品内部には存在して、その意味ではまだ逃げ場が残されていたのかもしれないのだが、『The NET』にはそうした場所はどこにもない。
ギドクが自伝的要素を盛り込んでつくったとされる『受取人不明』と同様に、『The NET』には「救い」というものがないのだ。『受取人不明』がギドクが生きてきた現実を描いているとするならば、『The NET』は南北分断国家のありのままの現実を描いているということになるのだろう。
前作の『殺されたミンジュ』では、暴走した謎の組織のリーダーは最後に自分が殺されることを覚悟している。リーダー曰く、「人間は本当に哀れだ。生きるのは苦しくて疲れる」。このリーダーの悲哀に満ちた言葉は、『The NET』のナム・チョルの姿と被る。
『殺されたミンジュ』では自警団がある事件の犯人たちに復讐するという大枠が嘘っぽかったのだけれど、そのほかの部分は意外にもリアルだった。今回の『The NET』もリアルな路線をはみ出していくことはない。この作品のなかで一番嘘っぽいのは、ひとつの民族が南北に分断された国家に住んでいるという“現実そのもの”だったとも言えるかもしれない。
『The NET』では、ナム・チョルは韓国の取り調べ官にスパイでないことを信じてもらえずに「もどかしい」という言葉を口にする。また、ナム・チョルを転向させようとする女性取り調べ官(ソン・ヒョナ)も同じように「もどかしい」と漏らしている。国や政治の状況がおかしいことはわかっているのに、個人はそれをどうすることもできない。そんな想いが北と南の両者の「もどかしい」という言葉に凝縮されているようだ。この作品はそんなもどかしい現実を観客に直視させる。だからこの作品のラストが絶望的だとするならば、それはとりもなおさず現実が絶望的ということにほかならない。
『魚と寝る女』のような水の上の船というイメージを登場させながらも、今回も美学とは無縁の政治的なメッセージのほうへと舵を切ったギドクだが、前作『殺されたミンジュ』よりはすんなりと受け入れられたし、撮影までひとりでやってしまうという無理もそれほど違和感はなかったと思う。
主演のリュ・スンボムは『ベルリンファイル』などにも出演している韓国スターらしいのだが、本当に漁師のように見えて役柄にはまっていた。韓国側の取り調べ官を演じたキム・ヨンミンは初期の『受取人不明』などにも登場しているギドク作品の常連さん。『The NET』での取り調べ官が絶叫する国に対する想いが調子外れに響くのが印象に残る。ナム・チョルが北朝鮮に戻ったときの万歳三唱も同様に白々しいものだったが、これらは初期の『コースト・ガード』のラストの歌に南北統一への想いが込められていたのとは対照的なものだったと思う。今は希望的観測を描くよりも、現実を直視するほうが重要ということだろうか。
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