『ヒストリエ』と岩明均作品
“ヒストリエ(HISTORIĒ)”とは、ギリシャ語で「歴史書」だそうです。主人公が読む本のなかにもヘロドトスの名前があり、作者は“歴史”を語ることを意識しているようです。歴史とは「現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である」なんて有名な言葉もありますが、そうなると歴史を現在のわれわれの生き方に活かそうといったお勉強的な印象が強くなりますが、『ヒストリエ』は単純におもしろい。歴史に無知な私でも物語として楽しめる。
主人公のエウメネスはアレクサンドロス大王の書記官を務めた歴史上の人物。アレクサンドロス大王のほかにもアリストテレスなどの有名な人物が登場しますが、エウメネスの若かりし頃の話は伝わっていないらしく、作者の自由な創作の部分が多いようです。
現在まだ連載中でアレクサンドロスも大王にはなっておらず、先は限りなく長いのが明らかだからまとまったことを語るのも難しいのだけど、そうなるといつまでも書く機会がなさそうなので……。

エウメネスという主人公はギリシャで育てられるが、生まれはスキタイという遊牧騎馬民族であり、ギリシャ人でもあればスキタイでもある(あるいはどちらでもない)という位置にいます。
これは『寄生獣』で主人公シンイチが人間と寄生獣の間に位置したことと同じ。完全に寄生された人間ではなく、右手だけに寄生され、シンイチと寄生した何かは共生して中途半端な存在になる。シンイチは人間と寄生獣の間に立って葛藤しもするが、最後は人間のほうに傾く。
『七夕の国』でも、主人公南丸は「手が届く」能力を持ちつつも、結局その能力を使わないことを選択する。南丸はカササギ(宇宙人?)が与えた「手が届く」能力によって次第にカササギに近づいていくが、その能力を捨てて人間にとどまることを選ぶ。
『ヒストリエ』のエウメネスは、ギリシャ人から見ると蛮族(バルバロイ)であるスキタイの出身だが、育ちはギリシャのお坊ちゃまなため、たまたま出会った剣の達人や夢のなかの母の姿に見られるスキタイにも憧れを抱いているように見える。「文化が違う」という台詞が何度も出てきますが、ギリシャ人にとって蛮族は“理解不能な他者”であり、その存在は寄生獣やカササギなどと同様の役割をしていくのかもしれない。
今後の展開はどうなるかわからないけれど、エウメネスは奴隷に身を落としたりもしたもののギリシャ文明圏内に戻ってきているが、そこにスキタイなど蛮族(バルバロイ)がどんなふうに関わってくるか気になるところです。

ちなみに、私は岩明作品では『七夕の国』がお気に入りです。時代劇風に始まってSF的に宇宙へと物語が展開していくところがいい。得体の知れない能力が謎として提示され、「丸神の里」の祭りや旗のなかに謎解きのためのヒントが見出される。次第に明らかになる「手が届く」能力は、始めは武器として登場するが、それが「窓の外」(あの世? 別の宇宙?)につながるものとされ、最後にはその能力を授けたカササギに会うための「玄関」へと意味が変化していく。
その先に何が待っているかわからない「玄関」に飛び込んでいくことは、主人公南丸によって否定されます。作者のメッセージも踏みとどまるほうにあるようですが、飛び込むほうに魅力を感じてしまう人たちもいるわけです。「手が届く」能力によって自ら消えうせた丸神頼之という厄介な危険人物が、「玄関」の向こう側で見た世界がどんなものなのか? 「もしかしたらユートピアがそこに」ってこともないとは思いますが、あり得ないことではないような……。
『ヒストリエ』とその他の岩明均作品

主人公のエウメネスはアレクサンドロス大王の書記官を務めた歴史上の人物。アレクサンドロス大王のほかにもアリストテレスなどの有名な人物が登場しますが、エウメネスの若かりし頃の話は伝わっていないらしく、作者の自由な創作の部分が多いようです。
現在まだ連載中でアレクサンドロスも大王にはなっておらず、先は限りなく長いのが明らかだからまとまったことを語るのも難しいのだけど、そうなるといつまでも書く機会がなさそうなので……。

エウメネスという主人公はギリシャで育てられるが、生まれはスキタイという遊牧騎馬民族であり、ギリシャ人でもあればスキタイでもある(あるいはどちらでもない)という位置にいます。
これは『寄生獣』で主人公シンイチが人間と寄生獣の間に位置したことと同じ。完全に寄生された人間ではなく、右手だけに寄生され、シンイチと寄生した何かは共生して中途半端な存在になる。シンイチは人間と寄生獣の間に立って葛藤しもするが、最後は人間のほうに傾く。
『七夕の国』でも、主人公南丸は「手が届く」能力を持ちつつも、結局その能力を使わないことを選択する。南丸はカササギ(宇宙人?)が与えた「手が届く」能力によって次第にカササギに近づいていくが、その能力を捨てて人間にとどまることを選ぶ。
『ヒストリエ』のエウメネスは、ギリシャ人から見ると蛮族(バルバロイ)であるスキタイの出身だが、育ちはギリシャのお坊ちゃまなため、たまたま出会った剣の達人や夢のなかの母の姿に見られるスキタイにも憧れを抱いているように見える。「文化が違う」という台詞が何度も出てきますが、ギリシャ人にとって蛮族は“理解不能な他者”であり、その存在は寄生獣やカササギなどと同様の役割をしていくのかもしれない。
今後の展開はどうなるかわからないけれど、エウメネスは奴隷に身を落としたりもしたもののギリシャ文明圏内に戻ってきているが、そこにスキタイなど蛮族(バルバロイ)がどんなふうに関わってくるか気になるところです。

ちなみに、私は岩明作品では『七夕の国』がお気に入りです。時代劇風に始まってSF的に宇宙へと物語が展開していくところがいい。得体の知れない能力が謎として提示され、「丸神の里」の祭りや旗のなかに謎解きのためのヒントが見出される。次第に明らかになる「手が届く」能力は、始めは武器として登場するが、それが「窓の外」(あの世? 別の宇宙?)につながるものとされ、最後にはその能力を授けたカササギに会うための「玄関」へと意味が変化していく。
その先に何が待っているかわからない「玄関」に飛び込んでいくことは、主人公南丸によって否定されます。作者のメッセージも踏みとどまるほうにあるようですが、飛び込むほうに魅力を感じてしまう人たちもいるわけです。「手が届く」能力によって自ら消えうせた丸神頼之という厄介な危険人物が、「玄関」の向こう側で見た世界がどんなものなのか? 「もしかしたらユートピアがそこに」ってこともないとは思いますが、あり得ないことではないような……。
『ヒストリエ』とその他の岩明均作品

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