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『新宿スワンⅡ』 ガキのケンカに何か御用ですか?

 13億円という興行収入を上げたという『新宿スワン』の第2弾。
 『ヒミズ』『希望の国』などの園子温監督作品。

園子温 『新宿スワンⅡ』 綾野剛演じる白鳥龍彦と豪華なキャスト陣。

 綾野剛演じる白鳥龍彦は、前作でどん底から這い上がり歌舞伎町でスカウトとして成り上がる。今回は舞台を新宿から横浜に変えて、またもや大騒ぎすることになる。
 ただ今回の横浜篇に関しては、物語の中心となるのは関玄介(深水元基)と滝マサキ(浅野忠信)の関係となっている。この作品の顔である綾野剛の龍彦を脇に退けるわけにはいかないという配慮から、横浜での関と滝の因縁に無理やり龍彦を絡ませたり、ついでにあまり必然性もないヒロイン(広瀬アリス)も関わってくるものだから、物語がとっちらかってしまった印象。

 スカウトたちがケンカしているばかりでさっぱりおもしろみが感じられないのはなぜかと思っていると、龍彦自身がそれを見越したような台詞を吐く。龍彦はスカウト同士のトラブルに顔を出してきたヤクザに向かって「ガキのケンカに何か御用ですか?」と言ってのける。
 スカウトたちは威勢はいいけれど、結局のところ大人たちが決めた安全なテリトリーのなかで無邪気に遊んでいるようなものなのだろう。この作品の冒頭でも龍彦は渋谷から出てきた森長千里(上地雄輔)と派手にケンカをするけれど、ケンカをすれば気が済んでなぜか仲良くなってしまう。それは前作の敵・秀吉(山田孝之)との関係もそうだったし、横浜での関と滝の関係も同様なものだ。
 龍彦たちはヤクザのように命を張ったりはしないし、拳銃とかクスリとか危ないものには手は出さない。そのあたりが中途半端と言えば中途半端で、いつまでもガキのケンカを続けていたかった関と滝の関係は悪くはないのだけれど、だったらもっとふたりの関係を重点的に描いたほうがよかったような気もする。
 主人公の龍彦の視点から見ると前作のようなどん底の焦燥感もなければ、がっぷり四つに組む秀吉のような敵もおらず、おちょくる相手だった洋介(久保田悠来)はクスリ漬けになってしまったこともあって、いまひとつ龍彦のキャラが活きてない気がした。滝を相手に決めた場外への垂直落下式ブレーンバスターだけは破壊力がありそうだったけれど……。

 本作ではガキのケンカに終始したわけだけれど、スカウト会社のなかには大人も混じっていて、裏で何かを企んでいる人物もいる。真虎(伊勢谷友介)とか葉山(金子ノブアキ)は前回同様にあやしいのだが、そうした裏側が明らかにされるまでシリーズが続くのかは疑問。前作は13億円のヒットとなったらしいが、本作の出来は決して褒められたものではないので続編があるのかどうか。
 ヒロインの拙いダンスとか、なぜか演歌「津軽海峡・冬景色」を披露する女とか、首を傾げてしまうようなところが結構ある。龍彦に頼りきるほど悲惨な印象もなく、恋愛対象とも違うヒロインは作品のなかに居場所がない感じで、演じた広瀬アリスがちょっとかわいそうだった。

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Date: 2017.01.27 Category: 園子温 Comments (0) Trackbacks (8)

『リアル鬼ごっこ』 トリンドル玲奈をいじめる園子温

 園子温監督作品。
 今年はほかにも『ラブ&ピース』『新宿スワン』なども公開されている園作品の1本。
 7月に劇場公開され、11月20日にDVDがリリースされた。

園子温監督 『リアル鬼ごっこ』 3人の主演女優。真野恵理菜、トリンドル玲奈、篠田麻里子。

 『リアル鬼ごっこ』というシリーズはかなり量産されているらしいが、この作品はそれからインスパイアされただけでシリーズとはほとんど関係ない。実は件のシリーズは1本も観てないのだけれど、園監督自身も「観ていない」と居直っているくらいだから別にいいのだろうと思う。
 捕まったら死刑という鬼ごっことは関係なく、この映画では風が女子高生たちを襲うことになる。修学旅行でバスに乗って騒いでいる女子高生たちが一陣の風によって惨殺される。胴体から上をまるごと持っていかれるというシーンのインパクトはすごかった。血が噴き出した下半身が並ぶなかに、たまたま生き残ってしまったミツコ(トリンドル玲奈)が唖然として立ち尽くす……。
 血の量では新宿駅が血の海になる『自殺サークル』や、おぞましい人体解体をリアルに描いた『冷たい熱帯魚』には及ばないが、1シーンのインパクトとしては園作品のなかでも一番なんじゃないかと思う。
 風が人体を切り裂くのもわからないけれど、突如パラレルワールドに移行したり、学校の先生が銃を手に虐殺を始めたりという、その後に起きる出来事もわけがわからない。園子温はわざわざシュールと呼ばれる女の子(冨手麻妙)を登場させて言い訳をしている。この映画はシュールな展開で行くからついてこいという宣言だろう。そんなわけでミツコはなぜかケイコ(篠田麻里子)に変身してウェディングドレスで格闘し、いずみ(真野恵理菜)というマラソンランナーにもなって追ってくる何かから逃げ続けることになる。

『リアル鬼ごっこ』

 物語にはオチらしいものもある。女だけの世界で進行していた物語が、アキ(桜井ユキ)という友達の手を借りて出口を見つけると男だけの世界に到達する。その世界を操っているのが斉藤工演じる老人=男子高校生で、白いビキニパンツでトリンドル玲奈をベッドに誘う。そんなものすごい展開は、男が操る世界でクローン化された女の子たちがゲームのキャラとして遊ばれているとも解釈できる。「わたしたちで遊ぶな」という叫びは女の子側からの非難だろうが、そんなメッセージがそれほど重要な映画でもないようにも思う。
 この映画はトリンドル玲奈をいじめ尽くす映画だからだ。普段はモデルさんとして活躍している人気ハーフタレントをこれでもかというほど走らせ、血みどろの惨劇を体験させ、わけのわからない展開のなかで追い込み、感情をむき出しにさせ、涙と鼻水でグチョグチョにするというサディスティックな作品なのだ。
 園映画の演出では追い込んで俳優から演技を引き出す。たとえば『ヒミズ』二階堂ふみ『恋の罪』神楽坂恵あたりはそうやって演技を引き出されていたんじゃないかと推測する。それでも最近はあまりそういう手法を採っていなかった。『希望の国』などは特に過剰な園色を抑えていた(そんな自然な演出を園監督自身はオーガニックな演出などと呼んでいるらしい)。この『リアル鬼ごっこ』は久しぶりに園子温のサディスティックな部分が前面に出ているところが見どころで、それを引き出してしまったトリンドル玲奈には天性の何かが備わっているのかもしれない。個人的には『ラブ&ピース』『新宿スワン』よりも楽しかった。
 
 風の部分の演出にはドローンが使われているらしい。クレーンよりも高い位置からの空撮となっているし、撮影の自由度も格段にアップしているように見えた。ヘリでの空撮をするほどの予算はないのだろうし、使い方によっては可能性も広がりそうな気もする。

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園子温監督の作品
Date: 2015.11.22 Category: 園子温 Comments (0) Trackbacks (3)

園子温 『ラブ&ピース』とは、「愛と平和」ではなくて……

 『ヒミズ』『恋の罪』『希望の国』など園子温監督の最新作。

園子温 『ラブ&ピース』 主人公の良一を演じる長谷川博己と、寺島裕子役の麻生久美子。


 かつてはロック・ミュージシャンを目指していた鈴木良一(長谷川博己)は、今では冴えないサラリーマン。同僚の寺島裕子(麻生久美子)に想いを寄せるものの、声をかけることもできない。そんな良一の真の姿を知っているのはミドリガメの「ピカドン」のみだった。ある日、良一は会社の同僚たちにからかわれた末に、血迷ってピカドンをトイレに流してしまう。ピカドンは下水道を流れ、謎の老人のもとに辿り着く。

 今年はほかにも『リアル鬼ごっこ』『みんな!エスパーだよ!』という作品も控えている園子温。5月末から公開された『新宿スワン』みたいな請負い仕事は違って、この『ラブ&ピース』は園子温が好き勝手にやっているという感じが伝わってくる作品だった。『トイ・ストーリー』的ファンタジーと『ガメラ』のような怪獣特撮映画に加え、いじめられっ子が忌野清志郎のみたいなロック・スターに変貌するという展開もあり、ごった煮でハチャメチャな作品に仕上がっている。

 良一はロック歌手として成功するのだが、そのバンド名は「レボリューションQ」。このバンド名は現実世界で園監督自身がボーカルを務めるバンドの名前でもあるらしい(園子温は芸人みたいなことをしてみたりと、どこへ向かわんとしているのかは謎だ)。
 ところで「ラブ&ピース」と聞くと、ビートルズ好きならば、良くも悪くもジョン・レノンを思いだす。「ホワイト・アルバム」に入っているジョンの曲には「レボリューション9」という迷曲がある(前衛すぎてあまり聴かないけれど)。この曲が「レボリューションQ」の元ネタだろう。ここでは「9」が「Q」にズレているわけで、この作品では様々な言葉の意味合いも横滑りしていく。
 「ピカドン」は通常は「原爆」を意味するが、この作品ではミドリガメの名前でもある。良一はそんな「ピカドン」が忘れられなくて、「ピカドンを忘れない」と歌ったものだから、プロテストソングと勘違いをされて評判になってしまう。さらにバンドとしてメジャーデビューをするときには、あまりにも直接的すぎるというプロデュース側の判断で「ラブ&ピースを忘れない」にズレていく。(*1)
 良一の会社は楽器の部品を作っていて、会社名はうろ覚えだが「ピース(piece)・オブ・ミュージック」とかで、良一は「piece」という名札を付けている。また、巨大化したカメは「ラブちゃん」と呼ばれる。つまり「ラブ&ピース」とは、「愛と平和」ではなくて、「カメと良一」のことにもなるのだ。美辞麗句を並べ立てたスローガンを打ち出しながら、そこからは意味をズラして実はごく個人的なことを語っている作品なのだと思う。
 この脚本は園監督が25年前に書いたもので、自ら「魂の集大成」と位置づけているものだけに個人的なものになるのも理解できる。園映画のファンは、やはり園子温という存在そのものに興味を抱いているところがあるわけで、オリジナル脚本の作品はぶっ飛んでいるところがあっていいと思う(この作品は子供っぽい部分がちょっと苦手だけれど)。

(*1) ジョン・レノンの曲「ノルウェーの森」も本当は別の歌詞だったという話を思い出させる。「Isn't it good, Norwegian Wood」という歌詞は、実際には「Isn't it good, knowing she would(彼女がやらせてくれるってわかっているのは素敵だよね)」だったという。

『ラブ&ピース』 イラストで表現されているのが古代インドの世界観。

 地下に住む老人(西田敏行)は不思議なアメを調合して、オモチャたちに言葉を話させたりするのだが、ピカドンには間違って願い事が叶うアメをあげてしまう。ご主人様の良一が大好きなピカドンは良一の願いを叶えるのだが、叶えれば叶えるほどピカドンの身体は巨大化していくことになり、ガメラのようになって街を破壊していく。
 この作品のポスターでは、亀が世界を支えている。これは古代インドの世界観だ。なぜ古代インド人が亀の甲羅の上に世界があると考えたのかは想像もつかないが、園子温の解釈によれば、人間の欲望を一身に引き受けた亀が世界を支えるほど巨大化してしまったということになるだろうか。つまりは欲望が世界を支えているということだ。しかし巨大化した欲望を飼い馴らすことなどできるわけもなく、結局破綻はやってくる。
 ロック・スターから元のわびしい部屋に戻った良一は、もとの大きさに戻ったミドリガメと再会し、想いを寄せていた寺島裕子も姿を見せる。結局、成功以前のところへ戻ったわけで、ラストは巨大化する欲望を戒めるもののようにも感じられた。園監督版の仏教説話みたいな趣きもあるし、今では映画監督として成功を手にした園子温自身の郷愁にも感じられる。
 ただ、長谷川博己が冴えないサラリーマンからロック・スターに変貌して、怪演を披露しているのに、ヒロインである麻生久美子が最後まで変貌することなくダサいままだったのはちょっと残念な気もした。多分、帰るべきところの存在として地味な寺島裕子がいるのだろうとは思うのだけれど……。

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Date: 2015.07.05 Category: 園子温 Comments (0) Trackbacks (10)

園子温 『希望の国』 “希望”と“絶望”の関係

 『ヒミズ』でも東日本大震災の被災地での撮影を敢行した、園子温の最新作。

園子温監督 『希望の国』

 『希望の国』は原発事故を題材としている。そこにはかなりデリケートな問題が含まれているようだ。最近はヒット作を連発している園子温の映画ですら、制作費が日本だけでは賄えないほどなのだ。
 園監督は被災地に入り綿密な取材を行っているが、それでも一部の人からの非難は避けられないだろう。この映画はフィクションだが、題材が題材だけに、それを現実と照らし合わせて考えざるを得ないからだ。現実の側から映画という虚構を批判するのだ。
 これは当然の反応でもあるだろう。この問題は、この国に住む人ならば、少なからず自分の問題として受け止めざるを得ないからだ。そして被災者からすれば、自分の体験した現実と違うと思うかもしれないし、想い出したくない部分もあって不愉快に感じるかもしれない。
 当然のことながら、この映画の意図は被災者を不快にさせるためにあるのではない(もちろん映画の感想を記す私も同じだ)。この映画は、原発事故という未曾有の事態を忘れないよう記録するためなのだ。
 
 『希望の国』は原発事故の被災者となった3組の男女の姿を描く。避難区域の境界線に位置する小野家の老夫婦(泰彦と智恵子)と、その息子夫婦(洋一といずみ)、さらに隣家の若いカップル(ミツルとヨーコ)だ。老夫婦は妻智恵子がアルツハイマーを患っていることから、故郷を去ることを拒否する。洋一といずみは未来を見据え、渋々ながらも故郷の家から避難する。ミツルとヨーコは津波で行方が知れないヨーコの親を探し回ることになる。
 物語のなかには原発批判や政府批判もあるし、放射能を浴びた被災者への差別も描かれるのだが、この映画はそれらのプロパガンダではない。
 例えば、最初は放射能を浴びたとして差別されることに苛立ついずみだが、子供ができたことを知ると今度は極端な放射能恐怖症になり自ら防護服を着るようになる。また、情報公開しない政府を糾弾する言葉もあるが、ラストの洋一の行動は生きていくために情報を遮断するという決断なのだ(逃げる場所もない現状においては、放射能に過剰に敏感だと生きていけない)。『希望の国』という映画は、“脱原発”だとかの特定のメッセージを声高に叫ぶものでない。被災地で生きている人たちの現実の姿を描くものなのだ。(*1)
 監督がどういう思想・信条を持っているかは別にして、監督自身が実際に被災地で見聞きした情報を物語として提示しているのだ。園監督は問題に対する答えを示したり偏った立場を主張せず、ただ題材を提示して観る人に問いかけている。

 『希望の国』に見出せるのは、天上から燦燦と差し込む明るい光のようなものではない。老夫婦には悲劇が訪れる。(*2)若夫婦もお腹の子供も放射能から逃げる場所はない。ヨーコの親はいつまでも見付かることがない。ほとんど絶望的な状況だ。ではなぜ、この映画が『希望の国』と名付けられているのか。
 

 希望は常に、絶望のすぐそばに寄り添って存在する。


 村上龍は『希望の国』に上記の言葉を贈っている。(*3)
 不躾かもしれないが極端な言い方をすれば、まったく酷いことに何もかもなくなってしまったから希望しか残っていない。堕ちるところまで堕ちてしまったから、あとは昇るしかない。『希望の国』にあるのは、絶望の淵ぎりぎりにあって最後に反転して芽生えてくるような、そんな希望なのだろうと思う。
 『ヒミズ』では、原作の絶望的なラストを一気に反転させて希望を思わせた。「住田、がんばれ」という言葉は、震災直後だったからこその言葉だ。津波で甚大な被害を受けたその場所を、映画のなかでも現実でも目の当たりにしていたからだ。
 現在、大震災から1年半がすでに経過した。現実に原発は再稼動を始め、原発事故は風化しつつある部分もある。だからこそ、それを忘れないためにこの映画があるのだ。希望を詠うよりも、今は絶望を見つめなければならないのだと園子温は言うのだ。そして絶望のそばにこそ希望があるはずだと。
 ミツルとヨーコは、津波で流された親の捜索をあきらめる。そして「一歩、一歩」と前に向かって進もうとする。(*4)ここには僅かながらも希望がある。

(*1) 『希望の国』は、これまでの園子温映画らしくはない。これまでの作品では、役者の演技のすさまじいエネルギー(でんでん、富樫真など)が作品を牽引している部分があったが、今回、園監督はそうした過度な演出は控えているようだ。そうした演出は、映画を完全に園監督の色に染めてしまうから(そうなれば原発問題が見えなくなる)。
 しかし、園子温色が薄れた分、バスでのエピソードや被災者に対する差別描写なんかは、どこかとってつけたような印象があったと思う。

(*2) 智恵子は「おうちに帰ろうよ」と執拗に繰り返す。その場所は老夫婦が結婚して洋一を育ててきた家なのだから、ほかに帰るべきところなどないはずだ。監督によればこの言葉は、原発事故によって住んでいた土地を追われた被災者たちの言葉を代弁しているのだという。
 しかし、私には「本来の姿(場所)に戻ろう」という意味にも感じられた。「本来の姿(場所)」とは、自分が生まれる落ちる前の姿ということだ。夏目漱石『門』のなかで記している「父母未生以前本来の面目」というやつだ。
 「おうちに帰ろうよ」という言葉が何度も響いていたから、ラストの悲劇は唐突なものとは感じられなかった。老夫婦は「死のうか?」「死ぬのか」と、呼吸を合わせるように意思の疎通を図ることができたのだ。

(*3) 村上龍は『希望の国のエクソダス』で、「この国には何でもある、ただ希望だけがない」と登場人物に語らせている。これを逆転させれば「何もないから、希望だけがある」となる。

(*4) このイメージは園子温の初期作品にあった気がするが、どの作品だったろうか?


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Date: 2012.10.28 Category: 園子温 Comments (0) Trackbacks (0)

園子温 『恋の罪』

 桐野夏生『グロテスク』でも題材にされた実際の事件を題材にした作品。事件とは、先日、再審が決定されたことでも話題となった、いわゆる東電OL殺人事件のこと。

園子温 『恋の罪』

 題名『恋の罪』を英語で記すと「Guilty of Romance」となる。園監督によれば、“恋”とは「ロマンス」のことであり、それは“愛”とは別の“何か”を表現したものだ。主人公の3人の女性はそうした“何か”を抱えている。“愛”とは生活に密着した穏やかなものである。一方、“恋”が表現する“何か”は、監督曰く「トキメキ」であり、女性を縛る“抑圧から解放”だ。有名作家の妻である菊池いずみ(神楽坂恵)も、事件を追う刑事である吉田和子(水野美紀)も“何か”を求めてしまう。その“何か”が罪になるのは、いずみも和子もそこそこ満ち足りた結婚生活を送っているはずなのに、旦那以外の男と関係を持ってしまうような厄介なものが“何か”には含まれているからだろう。

 この“何か”は一言では言い難い。『ボヴァリー夫人』だって、その“何か”を扱っている。昼ドラにだってありがちだろう。また、同じ事件を扱った『グロテスク』であれば、それは“心の闇”などと呼ばれるかもしれない。
 『恋の罪』の3人のなかで最もその“何か”に囚われてしまったのが、現実の事件の被害者がモデルの尾沢美津子というキャラクターだ。美津子は昼には大学助教授として文学を教え、夜は渋谷円山町で街娼として客をとる。夜の美津子は、その“何か”をカフカを参照して「城」(永遠に辿り着けない場所)だと語る。また昼の美津子はその“何か”をある詩のなかに見出している。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
                      (田村隆一「帰途」)



 これは「言葉のない世界」への憧憬を詠った詩だ。「帰途」の解説(渋沢孝輔)にはこうあった(『現代の詩人3 田村隆一』より)。

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」という1行はとりわけ印象的である。平易な日常語で書かれたこの1行は、大げさに言えば、人間の条件と宿命に真直ぐに届くところを持っているからである。人間は言葉をおぼえることによって文化を作ったが、そのおかげでまた、他人や事物の世界に直接触れることができなくなってもいる。

 
 もう“恋”とかを越えて人間の根本的な部分に対する洞察なのだ(ラカンを想起させもする)。美津子は「言葉のない世界」への憧憬を語りながらも、その不可能性にも気付いており、「城」という象徴的な言葉をもって“何か”を表そうとするのだ。

 さて、本題はここから。上に記したようなことは映画のなかの言葉の解釈に過ぎないのだが、それではこの映画を説明したことにはならないようだ。
 園子温の映画を観ているとそれまで観ていた内容がわからなくなってくるような時がある。『冷たい熱帯魚』では殺人鬼の挑発に反撃した主人公が、(家族の元に戻るのではなく)偽りの集まりだった家族にも手にかける。『紀子の食卓』では「自殺サークル」が食物連鎖になぞらえられる詭弁によって、なぜか自殺が高次のステップとして正当化される。挑発が殺人へ、詭弁が自殺へ結び付くには大きな“隔たり”がある。園監督はその展開をロジックで説明しようとは考えていないのだ。
 この映画でもそうだった。いずみは美津子から「城」や「言葉のない世界」の話を聞き、美津子がその“何か”を飼いならす術を持っている人間だと考える。私は美津子がいずみをどこかへ導く先導役をしているのかと思っていると、買春客として現れたいずみの夫と美津子の関係が明らかになって混乱してくる。美津子はいずみの夫と昔から関係があり、そうした情事が作家である夫の創作を支えていたのだという。美津子は「何の講義がしたくてわたしが親切心を出すと思ってたんだよ、このボケ」といずみを罵倒する(文字にすると凡庸だが、吐き出されるテンションたるや凄まじい)。同類相憐れむ的なものではなくて、単なる女の嫉妬心なのか、だとすれば途端に昼ドラみたいなアホらしい話になる。と思う間もなく、美津子は急にしおらしくなって、自分を殺すようにいずみに仕向ける。
 このあたりの展開は突拍子もなく、わけがわからずに笑えてくるほどだ。例えば『グロテスク』なら主人公の成育環境、持って生まれた素質、社会的な差別、丹念な心理描写を通じて「さもありなん」と納得させようとするだろう。園監督はそうではない。“何か”を示すそれらしい表現は提出しているが、“何か”によって美津子が死に赴いたり、“何か”によっていずみが娼婦に身を落としたとは描かない。“何か”とそれぞれが行き着いた先には“隔たり”があるのだ。
 いずみは海辺の町に流れ着く、娼婦として。いずみ自身は「詩」と「城」によって“何か”が説明された気になっている。そして出会った客にその話を聞かせる。しかし客にはそんな御託ごたくは関係なく、「クソみたいな詩だ」と否定されたあげくボコボコにされてしまう。そんな言葉で安易に“何か”を説明した気になるなという監督自身の戒めにも感じられる。
 園子温の映画はロジカルなものではなく、有無を言わせぬ力技なのだ。その過剰なまでのテンションは“隔たり”を飛び越えていく。チープでけばけばしい悪夢のような円山町のホテル街の雰囲気と、演者たちの迫力で強引に映画を引っ張っていく。『冷たい熱帯魚』の殺人鬼(でんでん)も恐ろしいが、美津子を演じた富樫真は化け物じみた存在で迫ってくる。その世界では美津子がだれに殺されたとか、いずみがなぜ娼婦になっていくのかはどうでもいいことに感じられてくる。解釈とか説明なんて考えず、ただ圧倒されて園世界そのワールドを体験すればいいのだ。その強引さに幻惑されるところが心地よくなれば、あまた存在する園子温ファンの一員だろう。

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園子温監督の作品
Date: 2012.06.14 Category: 園子温 Comments (2) Trackbacks (0)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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