『あゝ、荒野 前篇』 昭和95年を生きる

 原作は歌人・劇作家として知られ、いくつもの映画作品も残している寺山修司。この原作は寺山唯一の小説作品とのこと。
 監督は『二重生活』でデビューした岸善幸。『二重生活』には門脇麦演じる主人公の彼氏役で菅田将暉も顔を出していたから今回の主役での起用ということだろうか。もうひとりの主役には『息もできない』のヤン・イクチュン

岸善幸 『あゝ、荒野 前篇』 主役は菅田将暉とヤン・イクチュンのふたり。原作は寺山修司。

 原作は未読なのだが、その時代背景は寺山修司がこの小説を書いた60年代ということになるのだろう。それに対して映画版の時代設定は2021年という未来となっている(どちらも東京オリンピックの後の時代ということにもなる)。ただ、未来の設定とは言え雰囲気的には昭和の匂いが感じられる。というのも舞台が新宿を中心としているからかもしれないのだが、そこでは未だに猥雑で古臭い場所が残っていたりもし、2021年というよりは昭和の時代がまだ続いていて昭和95年というべき世界になっているのだ。この泥臭い感じは寺山修司っぽいと言えるかもしれないし、サイドストーリーの一部には前衛演劇が登場するのも寺山修司を意識しているのだろう。
 この世界では新宿のど真ん中で爆破テロが発生したりもするし、奨学金を返せない貧乏学生は社会奉仕と称して自衛隊に入隊させるといったような物騒な世の中となっている。そのテロがどんな類いの主義主張を持つものなのかは不明なのだけれど、世の中は閉塞感に満ちていて、自殺者も絶えることがない。
 この作品の主人公となるふたりの男もそれぞれに鬱屈を抱えている。親から棄てられた身の上もあり、オレオレ詐欺で高齢者から金を巻き上げていた新宿新治(菅田将暉)。床屋で働く吃音と赤面症のモテナイ男のバリカン健二(ヤン・イクチュン)は、暴力的な父親に反抗することができないでいる。そんなふたりがそれぞれにボクシングに出会うことになる。

『あゝ、荒野 前篇』 かつての新治(菅田将暉)はオレオレ詐欺グループの一員だった。

 直情径行型の新治と、いつもへどもどしてばかりで頼りない健二。対照的なふたりがジムでの共同生活とトレーニングの日々と経るうちに兄弟のような関係となっていく。この作品は前篇だけで2時間37分もある。後篇はさらに2時間以上あり、前後篇合わせて5時間を超える大作だ。それでも少しも退屈するところがないのがすごいところで、前篇が終わるとすぐにでも後篇を観たくなる。そんな作品だ。
 さらに後篇ではふたりの関係にも変化が生じるらしい(前篇終了後に予告編もある)。ボクシングとは要は殴り合いだ。相手を憎むことができなければ勝つことはできない。そのことが何度も強調されている。新治のボクシングを始めるきっかけは、自分が慕っていた男を身障者にしたボクサーの男を殺すためだ。ボクシングをすること自体がそうした衝動から始まっているから、相手を憎むことは当然であり、憎むことが強さにもなる。しかし、バリカン健二は試合相手を憎むことができない。どんなにひどい父親でも反抗することができなかったように……。そんな健二が本気でボクシングをするとすれば、どんなことがきっかけとなるのだろうか。そんな疑問を残しつつ前篇は終わる。

『あゝ、荒野 前篇』 サイドストーリーの自殺抑止研究会の面々。右がリーダーの男。

 ふたりのエピソード以外のサイドストーリーとしては「自殺防止フェスティバルの夜」を開催しようとする自殺抑止研究会の動向も追われていく。この団体のリーダーの男は「自殺防止フェスティバル」を盛り上げようと奔走しているように見せつつ、自分ではそれを「自殺フェスティバル」とも呼んでいて、公開自殺を図るというとんでもない行動に出る。
 彼の目的は自殺の抑止ではなく、何も持たない人間の最後の武器としての自殺の効用を世間に知らしめることであったのかもしれないのだが、このサイドストーリーが本筋にどのように絡んでくるのだろうか。
 リーダーの男・川崎を演じた前原滉は、かつて現実世界の年越し派遣村の村長としても有名になった湯浅誠氏の風貌とよく似ている。弱者に対する味方という表の顔のイメージからこの役者さんが選ばれたということだろうか。
 それから新治の恋人として登場する芳子のスレたキャラもおもしろく、演じる木下あかりの顔も何となく昭和を感じさせる一因となっているような気がしないでもない。この作品がR-15指定となっているのは脱ぎっぷりがいい木下あかりと、これまたほとんど丸出しの菅田将暉の熱っぽいベッドシーンがあるからだ。

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Date: 2017.10.17 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『亜人』 永遠の命を授かったら何をする?

 原作は桜井画門の同名コミック。すでにアニメ化もされているらしい。
 監督は『踊る大捜査線』シリーズや『幕が上がる』などの本広克行

本広克行 『亜人』 キレのあるアクションが楽しめるエンターテインメント作となっている。

 “亜人”というのは絶対に死ぬことのない人間の亜種ということらしい。主人公の永井圭(佐藤健)は交通事故で一度は死亡するものの、直ちに生き返り日本国内3例目の亜人であることが判明する。亜人と判明すると日本政府に保護されるというタテマエとなっているのだが、裏では亜人の特殊能力を使って人体実験が繰り返されている。
 「人類の進化の鍵を解明するため」などという調子のいい理由のもとに実験は正当化されるわけだけれど、実験材料となる亜人にとっては堪らない。どのみち生き返るからと腕を切断してみたり足を切断してみたりとやりたい放題なのだが、亜人も人と同じように痛みは感じるわけで、死に至る痛みを何度も体験するという地獄のような状況に置かれることになる。

 死に対する恐怖というのは自分が存在しなくなってしまうことに対する恐怖でもあるけれど、単純に死に至る苦しみが怖いということでもあるわけで、その恐怖を何度も味わう亜人は何ともかわいそうなばかり。不老不死を求める始皇帝のような気持ちもわからないではないけれど、亜人を見る限りあまりいいことはなさそうに思えてしまう。
 原作は読んでないのだけれど、だいぶ端折られているらしい。亜人発生の原因などの前提抜きで、“死なない人間”と“普通の脆い人間たち”とのアクションに展開していくのがスピーディでよかった(後半は亜人同士の闘いとなる)。ゲームのキャラと同じで、亜人は死んだらすべてがリセットされることになる。中途半端にケガをしたりして動きが鈍ったら一度リセットし(=死んで)やり直せばいいということになる。人間側としては動きを止めるために麻酔銃などと応戦するほかなく劣勢が続く。

『亜人』 亜人同士の闘い。永井(佐藤健)と佐藤(綾野剛)のふたりの決着は?

 物語は実験材料となっていた永井を、佐藤(綾野剛)という亜人が助けるところからスタートする。佐藤は人間を殺すことなど何とも思っていない(彼も過去に実験材料となっていたこともあり人類に対しての恨みがあるようだ)。一方で永井は妹の病気を治すために医者を志すような殊勝な若者だから、人類に牙を剥くような佐藤と手を組むことはできずふたりは対決することになる。
 亜人になってしまったことを悩むことになる主人公・永井のキャラよりも、前半から飛ばしまくるテロリストのような佐藤のキャラがとても魅力的。とはいえ佐藤は死なないことをいいことに人間を殺しまくる狂気の持ち主で、悪趣味極まりない厚生労働省への飛行機での自爆攻撃など人間の理解の範疇を超えてもいる。
 佐藤演じる綾野剛はかなり意図的に大袈裟な台詞回しをしているっぽく、「私はねえ、殺すのが結構好きなんだよ」なんて不気味な台詞もかえって笑えてくる。この作品では亜人は何度も自殺をしているようなものだし、結構グロテスクな部分もあるために、あえてマンガチックにしている部分もあるのかもしれない(最後の最後もそんな感じだった)。原作に対しての思い入れもないしエンターテインメントとしてはそれでいいんじゃないかと思えた。
 亜人のなかの紅一点として体を張ったアクションを展開するのは川栄李奈。なぜか厚生労働省の役人・戸崎(玉山鉄二)のボディガードらしきことをしているのだが、戸崎のサドっ気ある態度に惚れ込んでいるような関係がなかなかよかった。

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Date: 2017.10.06 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『エイリアン:コヴェナント』 エイリアンのつくり方

 リドリー・スコットの最新作にして『エイリアン』シリーズの最新作。
 タイトルの「covenant」とは「契約」の意味。

リドリー・スコット 『エイリアン:コヴェナント』 ダニエルズ(キャサリン・ウォーターストン)の格好はリプリーのそれを思わせる。

 『プロメテウス』は『エイリアン』の前日譚だったわけだけれど、この作品はその続篇であり、『エイリアン』のシリーズ第1作目へとつながる作品となっている。個人的にはごちゃごちゃしていて不明点も多かった『プロメテウス』よりも『エイリアン:コヴェナント』のほうが楽しめた。
 監督のリドリー・スコットは、一応の主役であるダニエルズ(キャサリン・ウォーターストン)にはリプリーのパロディのような格好をさせてみたりして楽しそう。前作の生き残りであるアンドロイドのデヴィッド(マイケル・ファスベンダー)にはウォルター(マイケル・ファスベンダーの二役)という瓜二つのアンドロイドを登場させて妖しい雰囲気で戯れてさせてみたりもする。『悪の法則』ほどではなくとも、それなりに嫌な気持ちになるラストも好みだった。

『エイリアン:コヴェナント』 デヴィッド(マイケル・ファスベンダー)誕生の場面。この場面は『プロメテウス』より前の話ということになる。

『エイリアン:コヴェナント』 今回登場するエイリアンの姿。第1作目に登場したエイリアンとよく似ている?

 冒頭はアンドロイドのデヴィッドと、それを生み出した創造主たるウェイランド(ガイ・ピアース)との会話となっている。創造主はデヴィッドにその力関係を見せつけようとしているのだが、その雲行きはあやしい。創造主と被造物の関係がこの作品のキモとなってくる点で『ブレードランナー』にも似通ってくる(『ブレードランナー』では、被造物であるレプリカントが創造主たるタイレル博士を殺すことになる)。
 前作『プロメテウス』では、人類の創造主がエンジニア(=スペースジョッキー)と呼ばれる宇宙人だったということが明らかになった。エンジニアは人類を創造し、人類はアンドロイドを創造した。『コヴェナント』ではそうした関係性のなかにエイリアンの存在も位置づけることになる。
 『プロメテウス』ではエイリアンはエンジニアが生物兵器として生み出したものであることは示されてはいるものの、『エイリアン』に登場したような完成態のエイリアンはまだ登場していなかった。『コヴェナント』ではエンジニアの星に到着したデヴィッドが様々な実験を経て、エイリアンを進化させていったことが語られる(エンドクレジットのなかには「The Selfish Gene(利己的な遺伝子)」と記載があったような気がする)。創造主である人間に「創造すること」を禁じられたはずのアンドロイド・デヴィッドが創造主になるのだ。
 思えば『エイリアン』シリーズの前四部作はエイリアンの退化の過程だったように思えなくもない。リドリー・スコットはこのシリーズの創造主でもあるわけだが、以後の作品の監督はそれぞれその時の旬の監督が担当することになった。雑誌のインタビューでは、『エイリアンVSプレデター』で『エイリアン』シリーズは燃え尽きてしまったなどとも語っているようだ。創造主としては複雑な想いもあったのだろう。
 シリーズの最終章に位置づけられる『エイリアン4』では、リプリーの遺伝子を受け継いだエイリアンが登場することになるのだが、その姿はグロテスクな失敗作にしか見えなかった。リドリーは新たに前日譚をつくることで、燃え尽きてしまった完成態エイリアンを再創造させたかったのだろう。
 実はこのシリーズの次作の製作も噂されているようで、その作品は『プロメテウス』と『コヴェナント』の間の話になるのだとか。今さら時間を遡って何を描くのかは謎だけれど、意外と楽しみな気もする。

『エイリアン』シリーズ
リドリー・スコットの作品
Date: 2017.09.28 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (3)

『サーミの血』 選ばれない者の怒りと憧れ

 第29回東京国際映画祭で審査委員特別賞と最優秀女優賞を受賞した作品。
 公式ホームページによれば、サーミとは「スカンジナビア半島北部の北極圏を中心に、トナカイ遊牧民として知られる少数先住民族」のこと。
 監督のアマンダ・シェーネルはスウェーデン人とサーミ人とのいわゆる“ハーフ”とのこと。

アマンダ・シェーネル 『サーミの血』 サーミ人の民族衣装を着たエレ・マリャ(レーネ=セシリア・スパルロク)と、奥にいるのが妹ニェンナ(ミーア・エリカ・スパルロク)。ふたりは本当の姉妹とのこと。

 1930年代、スウェーデンでは先住民族のサーミ人は劣等民族として扱われていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校で学ぶのはスウェーデン語なのだけれど、スウェーデン人との同化を求めているわけではないらしい。主人公の少女エレ・マリャ(レーネ=セシリア・スパルロク)が進学を望んでもそれが叶えられることはないのは、親切そうに見える女教師ですら「サーミ人の脳は文明に適応できない」という差別的な考えに支配されているからだ。
 支配者の側に立つスウェーデン人にとっては、サーミ人はトナカイの放牧をしている臭い奴らであり、教師にしても伝統的な生活を守り続けている民族という貴重な研究対象としてしか見ていない。もう思春期の年頃のエレ・マリャですらも丸裸にされて写真を撮られるという辱めを受けることになる。焚かれたフラッシュの光と音がエレ・マリャに深い傷痕となって刻まれたからか、彼女はサーミ人として生きることをやめる決意をすることになる。

『サーミの血』 エレ・マリャたちサーミ人が住んでいる山の上の風景。トナカイの放牧がサーミ人の仕事だ。

 民族衣装を脱ぎ捨て、それらしいフリをすればエレ・マリャもスウェーデン人たちに紛れることもできる。ただ、やはり明白な違いもある。背の高いスウェーデン人たちと一緒になると、ずんぐりむっくりしたエレ・マリャの姿は結構目立つのだ。エレ・マリャは夏祭りで出会ったニクラス(ユリウス・フレイシャンデル)という青年だけを頼りに街へと飛び込んでいくことになるのだけれど、何の計画性もない行動であったために居場所を失ってしまうことになる。
 
 エレ・マリャのスウェーデン人に対する感情は複雑だ。道端で悪口を言い放つ青年には「発言を取り消せ」と怒りを露わにしたりもするけれど、その青年は夏祭りで出会ったニクラスとどことなく似た風貌だ。サーミ人であるエレ・マリャには自分も支配者側になりたいという“憧れ”と、理不尽に差別されることに対する“怒り”がどちらも存在するということなのだろう。
 冒頭と最後に登場する年老いたエレ・マリャ(マイ=ドリス・リンピ)の描写からすると、エレ・マリャは“憧れ”のほうを優先し、サーミ人としてのアイデンティティを捨てクリスティーナという名前で生きることを選んだということになる。それは山の上の伝統的な生活のなかに留まった妹ニェンナ(ミーア・エリカ・スパルロク)とも別れることになり、そのことを深く後悔しているようでもあった。
 サーミ人に対する差別的な扱いについては怒りを禁じえないのだけれど、多分日本でも似たようなことはあるのだろうとも思う。そしてスウェーデンでサーミ人があまり知られていないように、日本でもそうしたことはあまり知られていないのだろう。
 エレ・マリャを演じたレーネ=セシリア・スパルロクの素朴な魅力もあって引き込まれる部分も多いのだけれど、如何せんちょっと真面目すぎたか。サーミ人としての生き方を捨てたことは後悔だけしか生まなかったわけではなかっただろうと思うのだけれど、そのあたりまで踏み込むには尺が足りなかっただろうか。
Date: 2017.09.24 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『散歩する侵略者』 人類最強の武器は?

 『岸辺の旅』『クリーピー』などの黒沢清の最新作。
 原作は前川知大が主宰する劇団イキウメの舞台とのこと。

黒沢清 『散歩する侵略者』 真治(松田龍平)と鳴海(長沢まさみ)の夫婦、ジャーナリストの桜井(長谷川博己)が主要な3人。

 黒沢清と言えば、その作品の多くが幽霊が出てくるホラーということになるわけだけれど、今回はSFである。幽霊の話は狭い範囲のものになりがちだ。幽霊は誰かを恨みに思ったり、場所に憑いたりはするけれど、生者の世界の転覆までは考えないからだ(『回路』はそれを狙っていたらしい)。それに対してSFであるこの作品は、宇宙人の侵略を描くことになるために、国家が関わったりもしていて派手なアクションもあったりするエンターテインメントになっている(コメディタッチの部分も多い)。
 土台となっているのはジャック・フィニイの原作『盗まれた街』を映画化した『SF/ボディ・スナッチャー』あたりのボディ・スナッチものなのだけれど、おもしろいのはその侵略者たる宇宙人が人間から“概念”を収集していること。
 たとえば「仕事」という概念を奪われると、奪われた人間は「仕事」という“概念”だけがすっぽりと抜け落ちた人間になってしまう。また「自分」という“概念”を奪われた人間は、「自分」と「他人」といった二分法の考えから解放されることにもなる。“概念”は人間にとって物事を説明するために便利なものであると同時に、それによって縛り付けられて不自由にもなっているということが仄めかされることになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『散歩する侵略者』 真治(松田龍平)は散歩しながら概念を収集している。

 松田龍平はいつも何を考えているんだかよくわからない印象な気もするのだけれど、今回の役柄は宇宙人に乗っ取られた加瀬真治という男。病院で保護された旦那を迎えに来た妻の鳴海(長沢まさみ)は様子がおかしいことには気がつくものの、真治の浮気が発覚したばかりということもあって、心配するよりは怒ってばかりいる。
 『盗まれた街』では、自分の伴侶が「外見はまったく変わらなくとも中身が別のものになってしまったら」というところに恐怖があったのだけれど、『散歩する侵略者』の加瀬夫婦の場合はちょっと違う。憎むべき中身が変わったから関係性も新たになるのだ。宇宙人に乗っ取られて今はまだ修行中のような新・真治が真っ当に成長してくれれば鳴海は構わないらしい(これも愛の為せる業なのかもしれないが)。
 もうひとつの筋では、ジャーナリストの桜井(長谷川博己)が作品冒頭に起きる一家惨殺事件を追う過程でふたりの宇宙人に出会う。ひとりは一家惨殺事件の生き残りである女子高生・立花あきら(恒松祐里)と、彼女を探していた天野(高杉真宙)という青年。こちらではなぜか桜井と宇宙人である天野との間に友情関係のようなものが成立してしまう。

 結末は製作に名を連ねている某テレビ局の「愛は地球を救う」のスローガンのように展開していくことになるのだが、そもそも「愛」という“概念”がなぜ宇宙人をやっつけたのか。
 宇宙人たちは奪った“概念”を共有していたようでもあるし、個体の「死」というものに恐怖を感じてはいなかったように思う。もしかすると個体差みたいなものは彼らにはないのかもしれない。分裂したひとつが真治であり、天野であり、あきらである。もともとひとつのものだし、分裂しても互いに通じているものがあるから個体の「死」にもあまりこだわりはない。
 「愛」の反対は「憎しみ」とか「無関心」だとか言うけれど、どのみち個体差がなければ「愛」も「憎しみ」も「無関心」もない。だから「愛」という“概念”も理解不能だったのかもしれない(だからと言って逃げ帰る必要があるのかはわからないけど)。ただ、真治だけは妻である鳴海と常に一緒に生活していただけに、鳴海という人間から何かを学んで「愛」を感じることができるようになったのかもしれない。

 東出昌大はこの作品ではゲスト的な出演だが、牧師姿で「愛」を語るというおいしいところを演じている。ちなみに東出昌大はこの作品のスピンオフドラマ『予兆 散歩する侵略者』のほうにも出演するらしい。個人的に一番ツボだったのは、長沢まさみの「いやんなっちゃうなあ、もう」という台詞が、古い映画に出てくる杉村春子あたりが言いそうな口ぶりだったところ。

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Date: 2017.09.19 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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