荒井晴彦 『この国の空』 わたしが一番きれいだったとき

 『さよなら歌舞伎町』『海を感じる時』の脚本家・荒井晴彦の監督作品。荒井晴彦が監督業をするのは、『身も心も』以来18年ぶりとのこと。
 原作は高井有一が1984年に谷崎潤一郎賞を受賞した同名小説。

 この作品は昭和20年3月から始まり、同年8月14日(つまり終戦の前日)で終わる。今年の夏は戦後70年ということで、戦争を扱った映画がいくつも公開されているが、『この国の空』もそんな1本である。ただこの作品は戦争を直接扱っているわけではなく、銃後の生活が描かれていく。
 舞台は東京都杉並区で、戦時下で防空壕が掘られたりもしているが、かろうじて普通の生活が営まれている。3月10日の東京大空襲では下町で10万人が亡くなったということだが、西の杉並までは被害は及ばなかったようだ。杉並の中央線沿線にはバラックみたいな建物が並んだ飲み屋街が未だにあるが、それは戦災を逃れたからということだろう。

荒井晴彦 『この国の空』 里子を演じる二階堂ふみと、市毛役の長谷川博己。

 そんなわけでこの作品では母とふたりで暮らす里子(二階堂ふみ)と、その隣で妻子を疎開にやってひとりで暮らしている銀行員・市毛(長谷川博己)との関係が追われていく。銃後の生活を描いた映画はあったかもしれないけれど、ほとんどが兵隊に取られた人を待っている側であったりして、銃後にあっても戦地に想い馳せている場合がほとんどだったように思える。そんな意味でもこの作品で里子が戦況に無関心に見えるのは珍しい。
 また、この作品は食べ物に関してのエピソードが多い。食べることが生きることだからだ。横浜の空襲から逃れて里子の家に転がり込んだ叔母(富田靖子)は、里子の母親とけんかをやらかす。そこで問題となるのは常に食糧に関してのことだ。里子が市毛の家で一夜を過ごすときも、トマトが敷居を跨がせるきっかけになる。
 そんな里子の心を占めているのは、空襲警報で眠れぬ夜を過ごす怖さでもなければ、ひもじい思いでもなければ、国に尽くそうといった愛国心でもない。母とふたりで暮らす日々の侘しさなのだ。死の恐怖が差し迫っていない場合、生の味気なさのほうが際立つのだ。
 里子は19歳だ。誰かの結婚の話を聞かされて、「里子もそろそろだね」なんてことを言われるものの、実際にはそんな相手はいない。若い男は戦地に取られ、子供たちは疎開させられる。残ったのは女たちと老人と、徴兵検査で丙種とされた男ばかりなのだから(市毛も丙種のひとり)。里子はもどかしさを感じながら、畳の上をゴロゴロと転げ回る。満たされない何かが身をよじらせるわけで、周囲で唯一の壮年男性である市毛に里子が興味を抱くのも当然のこと。夏になればセミが鳴き出すのと同じように、生物として自然な成り行きということだろう。

『この国の空』 里子はもどかしさを抱えて転がる(これは2度目の転がり)。

 里子は戦況に無関心のようにも見える。叔母が空襲の惨劇を語っているときも、缶詰のパイナップルを丁寧に味わっているし、市毛が極秘情報として終戦が迫っていると告げるときも、食卓を片付けていて話を聞いていない。終戦になれば市毛の妻と子供が戻ってくるということもあって、単純に終戦を喜べないということはもちろんだろう。だがそれだけではなく、里子の態度には誰かが勝手に始めた戦争に対する“怒り”もあるのだと思う。
 市毛と里子が始めて唇と重ね合わせる場所には神社が選ばれていて、“天皇”という言葉がわざわざ第三者から持ち出されている。(*1)ここにはこの作品の製作陣の戦争に対する批判が見て取れるだろう(公式ホームページには、戦後批判」という言葉が示されていて、戦争責任の問題とも絡めている)。荒井晴彦が脚本を担当した『共喰い』では、原作にはなかった“あの人”という存在について登場人物に語らせている。“あの人”とは“昭和天皇”のことである。
 また、8月14日の夜に戦争が終わるらしいという情報が告げられても、それすらも誰かが勝手に終わらせたように里子には感じられているのだと思う。荒井晴彦脚本の『戦争と一人の女』では、終戦が決まったあとに、「日本中がやられるまでやめちゃダメだ」と泣き叫ぶ登場人物がいた。やめるんだったら何故もっと早くやめないのかというほうが本心であり、誰かが勝手に戦争を始めたり終わらせたりしているという感覚があるのだ(このことはもちろん戦争責任の問題につながっていく)。
 だからこそ里子の表情に迫っていくラストでは、その表情に強い意志と共に“怒り”が感じられた。エンドロールで朗読される茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」も同様だ。「わたしが一番きれいだったとき」を蹂躙する権利なんか誰にもない。そんな里子の“怒り”がその詩にはたしかに表現されている。『共喰い』『戦争と一人の女』のような直接的な批判よりも、里子のごく個人的な感情のほうが私には滲みるものとして感じられた。

(*1) 市毛が里子に迫る場面の演出が笑いを誘うようなものだったのは、揶揄が交じったものなのか、単に失敗だったのかは私には測りかねた。

 里子を演じた二階堂ふみは後姿のヌードまで披露しているのだが、そんな娘を後押しする形になる母親(工藤夕貴)が夏の日差しを浴びる川辺で諸肌を脱ぐ場面では、腋の黒々とした様子が背中からでも窺えて、こちらも鮮烈な印象だった。
 加えて言えば、二階堂ふみは昭和の女に見えるのだが、いかんせん長谷川博己はコスプレのように見えてしまった。『進撃の巨人』のイカれた戦士シキシマとか、『ラブ&ピース』ではダメ男からロックスターまで違和感なくこなしていた長谷川博己だけれど、この作品の市毛には無理があったような……。

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Date: 2015.08.09 Category: 日本映画 Comments (2) Trackbacks (5)

園子温 『ラブ&ピース』とは、「愛と平和」ではなくて……

 『ヒミズ』『恋の罪』『希望の国』など園子温監督の最新作。

園子温 『ラブ&ピース』 主人公の良一を演じる長谷川博己と、寺島裕子役の麻生久美子。


 かつてはロック・ミュージシャンを目指していた鈴木良一(長谷川博己)は、今では冴えないサラリーマン。同僚の寺島裕子(麻生久美子)に想いを寄せるものの、声をかけることもできない。そんな良一の真の姿を知っているのはミドリガメの「ピカドン」のみだった。ある日、良一は会社の同僚たちにからかわれた末に、血迷ってピカドンをトイレに流してしまう。ピカドンは下水道を流れ、謎の老人のもとに辿り着く。

 今年はほかにも『リアル鬼ごっこ』『みんな!エスパーだよ!』という作品も控えている園子温。5月末から公開された『新宿スワン』みたいな請負い仕事は違って、この『ラブ&ピース』は園子温が好き勝手にやっているという感じが伝わってくる作品だった。『トイ・ストーリー』的ファンタジーと『ガメラ』のような怪獣特撮映画に加え、いじめられっ子が忌野清志郎のみたいなロック・スターに変貌するという展開もあり、ごった煮でハチャメチャな作品に仕上がっている。

 良一はロック歌手として成功するのだが、そのバンド名は「レボリューションQ」。このバンド名は現実世界で園監督自身がボーカルを務めるバンドの名前でもあるらしい(園子温は芸人みたいなことをしてみたりと、どこへ向かわんとしているのかは謎だ)。
 ところで「ラブ&ピース」と聞くと、ビートルズ好きならば、良くも悪くもジョン・レノンを思いだす。「ホワイト・アルバム」に入っているジョンの曲には「レボリューション9」という迷曲がある(前衛すぎてあまり聴かないけれど)。この曲が「レボリューションQ」の元ネタだろう。ここでは「9」が「Q」にズレているわけで、この作品では様々な言葉の意味合いも横滑りしていく。
 「ピカドン」は通常は「原爆」を意味するが、この作品ではミドリガメの名前でもある。良一はそんな「ピカドン」が忘れられなくて、「ピカドンを忘れない」と歌ったものだから、プロテストソングと勘違いをされて評判になってしまう。さらにバンドとしてメジャーデビューをするときには、あまりにも直接的すぎるというプロデュース側の判断で「ラブ&ピースを忘れない」にズレていく。(*1)
 良一の会社は楽器の部品を作っていて、会社名はうろ覚えだが「ピース(piece)・オブ・ミュージック」とかで、良一は「piece」という名札を付けている。また、巨大化したカメは「ラブちゃん」と呼ばれる。つまり「ラブ&ピース」とは、「愛と平和」ではなくて、「カメと良一」のことにもなるのだ。美辞麗句を並べ立てたスローガンを打ち出しながら、そこからは意味をズラして実はごく個人的なことを語っている作品なのだと思う。
 この脚本は園監督が25年前に書いたもので、自ら「魂の集大成」と位置づけているものだけに個人的なものになるのも理解できる。園映画のファンは、やはり園子温という存在そのものに興味を抱いているところがあるわけで、オリジナル脚本の作品はぶっ飛んでいるところがあっていいと思う(この作品は子供っぽい部分がちょっと苦手だけれど)。

(*1) ジョン・レノンの曲「ノルウェーの森」も本当は別の歌詞だったという話を思い出させる。「Isn't it good, Norwegian Wood」という歌詞は、実際には「Isn't it good, knowing she would(彼女がやらせてくれるってわかっているのは素敵だよね)」だったという。

『ラブ&ピース』 イラストで表現されているのが古代インドの世界観。

 地下に住む老人(西田敏行)は不思議なアメを調合して、オモチャたちに言葉を話させたりするのだが、ピカドンには間違って願い事が叶うアメをあげてしまう。ご主人様の良一が大好きなピカドンは良一の願いを叶えるのだが、叶えれば叶えるほどピカドンの身体は巨大化していくことになり、ガメラのようになって街を破壊していく。
 この作品のポスターでは、亀が世界を支えている。これは古代インドの世界観だ。なぜ古代インド人が亀の甲羅の上に世界があると考えたのかは想像もつかないが、園子温の解釈によれば、人間の欲望を一身に引き受けた亀が世界を支えるほど巨大化してしまったということになるだろうか。つまりは欲望が世界を支えているということだ。しかし巨大化した欲望を飼い馴らすことなどできるわけもなく、結局破綻はやってくる。
 ロック・スターから元のわびしい部屋に戻った良一は、もとの大きさに戻ったミドリガメと再会し、想いを寄せていた寺島裕子も姿を見せる。結局、成功以前のところへ戻ったわけで、ラストは巨大化する欲望を戒めるもののようにも感じられた。園監督版の仏教説話みたいな趣きもあるし、今では映画監督として成功を手にした園子温自身の郷愁にも感じられる。
 ただ、長谷川博己が冴えないサラリーマンからロック・スターに変貌して、怪演を披露しているのに、ヒロインである麻生久美子が最後まで変貌することなくダサいままだったのはちょっと残念な気もした。多分、帰るべきところの存在として地味な寺島裕子がいるのだろうとは思うのだけれど……。

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Date: 2015.07.05 Category: 園子温 Comments (0) Trackbacks (10)
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