『マジック・ユートピア』 “あの世”というユートピア

 共同監督として名前を連ねているのは遠山昇司丹修一
 遠山昇司が企画・脚本を兼ね、丹修一は編集・コンセプトアーティストという部分の担当になっている模様。

遠山昇司・丹修一共同監督 『マジック・ユートピア』 デリヘル嬢のリサを演じるのは『ローリング』に出ていた柳英里紗。

 デリヘルの女と待ち合わせた佐藤(米村亮太朗)は、そのデリヘル嬢のリサ(柳英里紗)に亡くなった友人マユミの面影を見る。そして、リサはなぜかマユミがかつて佐藤に語った白い象の話を始める。
 リサには霊媒師のような能力があるようで、どこからともなく聞こえてくる物語を佐藤に聞かせたのだ。そうした能力はリサの母親ゆずりで、リサの母親は精神的な病と診断されていた。リサの母親は「身体が宙に浮くようになったらユートピアが現れる」とリサに語っていたらしい。そんな母親の話を信じてはいなかったリサだが、佐藤と一夜を過ごしたあとリサの身体は宙に浮くことになる。

◆抽象的な映像
 冒頭では緑色の何かと白い何かが描かれている。ただ、それらが具体的に何を示すのかは不明だ。白い和紙に緑色の液体が染みこんでいくようにも見える。タイトルバックの絵柄も何かが何かと交じり合うようなイメージとなっているし、リサが喫茶店で頼むクリームソーダの色合いにも似ている。
 この映画では白のイメージが全体を覆っている。リサの母親は白い霧のなかに去っていくし、最後に登場する白い象も霧のなかに現れる。さらに加えれば亡くなったマユミは目の病を患っていて、色彩がなくなり暗闇ではなくすべてが白に覆われていく。この作品では白は“あの世”の示す色なのだろう。
 白が“あの世”で緑が“この世”(このイメージは不鮮明だけれど)ならば、冒頭に示されたように白と緑の世界は次第に交わり境界は曖昧になることが予想され、実際にこの作品では“あの世”にいるはずの人から知らせが届くことになる。

 状況設定を手ごろに伝えるためにはカメラを引いて全景を見せるというやり方が一般的だが、この『マジック・ユートピア』では極端に対象に接近している部分があって、スクリーンに映っているものが何なのかはっきりしない部分もある。このあたりはコンセプトアーティストという役割の丹修一監督が関わっている部分なのかもしれない。
 たとえば喫茶店のテーブルを真上から切り取った構図は、四角いキャンバスに3つの丸(コーヒーと水と灰皿)が描かれた抽象画にも見えてくる。工場での捨てられた卵の殻や、削られた鉄くずだけを捉えたカットも、カメラはそれ以外のものをスクリーンの枠から排除しているために幾何学模様のようにも見えてくる(工場にはなぜかゆで卵を食べ続ける男がいる)。
 それから公園でリサにつきまとう男に佐藤が刺されるシーンでは、致命傷を負った佐藤がリサに向かって這っていく姿を真上から捉えている。カメラはスクリーンの上部へと這っていこうとする佐藤の姿を追い越してしまい、何もない地面だけを捉えて進んでいくために、映し出される地面は抽象的な模様のようにしか見えない。
 ただこの抽象的な映像は、リサという女へ佐藤が向かう場面であり、そのリサは死んだマユミを思わせる存在であることを考えれば、佐藤はマユミに会いに地面の下(死の世界)にもぐっていったようにも、あるいは上へ上へという運動からは空(天国)に向かって昇っていくようにも見えるのだ。

『マジック・ユートピア』 高校時代の佐藤とマユミのシーン。全体的に白のイメージ。

◆“あの世”というユートピア
 なぜ佐藤が殺される必要があったかと言えば、この作品では“あの世”がユートピアとされているからだろう。それは後半に登場する老作家(和田周)のエピソードでより明確になる。
 この老作家はリサからの留守電メッセージを受け取っていたリサの祖父であり、娘(リサの母)の亡霊と会話をすることになる。恐らくリサと佐藤の物語は老作家の書いた小説ということなのだろう。しかし、どこまでが現実でどこまでが老作家の書いた小説なのかは曖昧だ。
 常識的には人は宙に浮かんだりすることはないし、亡くなった人が“あの世”から電話をかけてきたりもしない。また、リサの母が語るようなユートピアは、医者(島田雅彦)が説明するように字義通り「存在しえない」ものだ。
 しかし老作家の想像力は“あの世”をユートピアと読み替えることになる。一般に死は忌むべきものだとされるが、本当にそうなのかと老作家は考えるのだ。老作家の亡くなった娘は、港を離れる船を見つめながら「離れていきますね。もしかしたら、何かへと惹きつけられているのか。そうも見えますね」と語る。
 死んでいく者は意思に反して“この世”を去らなければならなかったのだと、残された者は考える。しかし、“あの世”がユートピアだったとすればどうだろうか。亡くなった者はそれに惹かれるようにして“この世”を去っていったのかもしれないではないか。老作家は娘の死を受け入れるために、そうした希望をリサと佐藤の物語に託したのだろう。だから佐藤は死ぬことで“あの世”というユートピアにいるマユミに会うことができたのだろうと思う。

 この作品ではなぜか小説家の島田雅彦が重要な役柄を演じていて、劇中でもユートピアについて論じているのだが、ついでにチラシにも文章を寄せている。そこでは「ユートピアに暮らす死者と対話するマジックのことを祈りと呼ぶ」といかにも的確にまとめているのだが、この映画そのものが脚本を書いた遠山監督の祈りのようにも感じられた。そして丹監督の映像は観客の様々な読みを可能にするような魅力的なものになっていて、ふたりの監督のコラボレーションは結構はまっていたと思う。
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Date: 2016.07.19 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)
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