『美しい星』 どこまで本気なのか

 原作は『金閣寺』『憂国』などの三島由紀夫。
 監督・脚本は『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』などの吉田大八

吉田大八 『美しい星』大杉重一郎(リリー・フランキー)はある日火星人として目覚め……。 

 ある平凡な家族が宇宙人として覚醒するという何とも荒唐無稽な話。父親の大杉重一郎(リリー・フランキー)は火星人、長男・一雄(亀梨和也)は水星人、妹・暁子(橋本愛)は金星人であることに突然気づく。なぜか母親の伊余子(中嶋朋子)は相変わらず地球人のままなのだが、ほかの家族が宇宙人になったものだから最後まで彼らに付き合うことになる。
 お天気キャスターをしている重一郎は空飛ぶ円盤を見て以来、火星人としての使命に目覚め、番組内で地球人に向けて訴えかける。地球は温暖化によって危機的状況になっている。今、悔い改めなければ大変なことになる。しかし、重一郎の訴えに真っ向から反対する勢力もいる。温暖化なんて嘘だと言い切る連中の側には黒木(佐々木蔵之介)という議員秘書がいて、実はこの男も宇宙人である。

 空飛ぶ円盤と宇宙人というネタは古臭く感じるが、それもそのはずで原作は約50年も前に書かれたもの。そのころはそんなネタが流行りだったらしい。今回の映画では舞台は現代であるし、中身もかなり今風にアレンジされている。当時の差し迫った危機は原水爆だったのに対し、映画のほうでは地球温暖化になっていたりもする。
 原作者の三島由紀夫はこの作品を「実にへんてこりんな小説」と言っていたようだが、この映画のほうもそれに負けずへんてこりんなものを見せてくれる。金星人たる橋本愛が同郷仲間(若葉竜也)とUFOを呼び寄せる場面はノリノリに仕上がっているし、火星人リリー・フランキーのキメポーズも繰り出すたびにおかしくなってくる。
 どこを見てしゃべっているのかわからない佐々木蔵之介も宇宙人らしさを醸し出していたし、“美しさ”のあまり周囲にとけこめない橋本愛はとても金星人らしくて、『PARKSパークス』で吉祥寺をうろついている橋本愛よりも似つかわしく感じられた。

 ※ 以下、ネタバレもあり!


『美しい星』 暁子(橋本愛)は金星人として目覚め、処女懐胎することに……。こちらは金星人のポーズ?

 重一郎(リリー)と黒木(佐々木蔵之介)は環境問題を論じてはいるけれど、根っこには人間は滅びるべきか否かという対立があるのだろう。黒木は「“美しい自然”と人間が言うときに、そのなかに人間は含まれていない」みたいなことも語っていて、黒木は人間なんて救う価値もないと考える。しかし重一郎はそんな人間を守りたいと考えていて、重一郎がその最期に“美しさ”を見出すのは人間たちがつくったネオン街の明かりだった。
 それでもそうした対立に決着はつかず、ラストでは空飛ぶ円盤が大杉家の面々を出迎えることになる(映画では円盤内部まで描かれる)。宇宙人として覚醒するという突拍子もない設定は、頭のおかしな人間の妄想だったというオチをつけることもなく、実際に彼らは宇宙人だったという何とも説明のつかない終わり方をすることになるのだ。それにしても原作者の三島由紀夫はどんなつもりでこれを書いたのだろうか。

 三島由紀夫の最期は誰でも知っているけれど、当時、実際にクーデターを企てたりするとまで考えていた人はいたのだろうか。三島とほぼ同い歳の評論家・吉本隆明は事件後、こんな文章を書いているようだ(ウィキペディアから引用したもの)。

 三島由紀夫の劇的な割腹死・介錯による首はね。これは衝撃である。この自死の方法は、いくぶんか生きているものすべてを〈コケ〉にみせるだけの迫力をもっている。この自死の方法の凄まじさと、悲惨なばかりの〈檄文〉や〈辞世〉の歌の下らなさ、政治的行為としての見当外れの愚劣さ、自死にいたる過程を、あらかじめテレビカメラに映写させるような所にあらわれている大向うむけの〈醒めた計算〉の仕方等々の奇妙なアマルガムが、衝撃に色彩をあたえている。そして問いはここ数年来三島由紀夫にいだいていたのとおなじようにわたしにのこる。〈どこまで本気なのかね〉。つまり、わたしにはいちばん判りにくいところでかれは死んでいる。この問いにたいして三島の自死の方法の凄まじさだけが答えになっている。そしてこの答は一瞬〈おまえはなにをしてきたのか!〉と迫るだけの力をわたしに対してもっている。   — 吉本隆明「暫定的メモ」


 事件が起きるまでは三島の政治的活動は「どこまで本気なのか」と思われていたのだろう。そして、事件が起きてからは「そこまで本気だったのか」と驚かせたのだろうか(同時代を生きているわけではないので推測でしかないのだが)。三島は自己演出にも長けた人だったのだろうとは思うのだけれど、さすがにまったくの冗談で割腹自殺はするはずもないだろうし、やはり本気なのだろう。

 この『美しい星』という作品も、三島という人と同じように受け止められた部分があるようにも思える。リアルタイムで読んでいた人は、三島は「どこまで本気なのか」と思ったのかもしれない。そして呆気に取られる結末は一体どんなふうに受け止められたのだろうか。
 この作品において主人公の重一郎が宇宙人でなければならない理由は、大局的な視点から地球というものを見るためだろう。小説のほうにはこんな文章もある。

 未来を現在に於て味わい、瞬間を永遠に於て味わう、こういう宇宙人にとってはごく普通の能力を、何とかして人間どもに伝えてやり、それを武器として、彼らが平和と宇宙的統一に到達するのを助けてやる、これが私の地球へやってきた目的でした。   『美しい星』 新潮文庫 p.283


 この「未来を現在に於て味わい」というあたりは、前回取り上げた『メッセージ』の異星人のものの見方とそっくりだし、ヘプタポッドがそうした能力を「武器」として人間に与えて手助けしてくれるというのもよく似ている。宇宙人は人間より進化した存在であるから、大局的に地球を見て近視眼的な人間を導いてくれるというのが、どちらの作品にも共通しているところだ。
 三島は重一郎と同様に、宇宙人のような視点で日本を見ていたのかもしれない。そして宇宙人・三島からすれば日本は危機的な状況にあって、何を措いても行動をしなければという憂国の情に駆られていた。
 『美しい星』でも重一郎が地球の問題を解決することはなかったけれど、最後に重一郎が宇宙人であることだけは明確に示された。これは言い換えれば、大局的な視点から地球を憂慮していることは明確にされたということだろう。それと同様に三島も、クーデターは失敗に終わることになったけれど、その衝撃的な自死で憂国の志だけは明確に示したということなのだろうか。
 映画はそんな面倒なことを考えずとも笑わせてくれるへんてこりんな作品になっているのだけれど、三島の最期と合わせるとそんなことも思う。

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Date: 2017.05.31 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『古都』 京都人の自信のほどがうかがえる作品

 川端康成原作の『古都』は過去に二度映画化されているが、今回はさらにその続きの物語も含めて現代風にアレンジされている。
 監督はYuki Saito。ハリウッドで映画製作を学んできた人物らしい。名前は某女性タレントっぽいけれど恐らく男性。

Yuki Saito 『古都』 佐田千重子(松雪泰子)と舞(橋本愛)。京都の観光名所が色々登場する。


 京都で古くから続く呉服店を切り盛りしているのは佐田千重子(松雪泰子)。周囲は次第に新築マンションなどが立ち並ぶようになり、京都の街並みも変わりつつある。そんななか千重子が呉服店存続にこだわるのは、彼女が佐田家にたまたま拾われた捨て子だったから。次の世代を担うかもしれない舞(橋本愛)は現在就職活動中で、家を継ぐよりも自分の可能性を試したいと考えているのだが……。

 原作は読んだことがないのだが、1980年の市川崑版の『古都』だけは観ることができた(1963年の中村登版も評判がいいらしい)。この作品は生き別れた双子の物語で、一方の千重子は名家のお嬢さんとして育てられ、他方の苗子は北山杉を育てる苦労人として育っていく。たまたま縁があって祇園祭の日に出会ったふたりだが、身分の違いなどもあって一晩だけ一緒に過ごしただけで別れることになる。
 今回の現代版『古都』では、生き別れた双子の話も回想シーンとして描きつつも、中心となるのはそれぞれの娘たちの話となる。千重子の娘・舞(橋本愛)と、苗子の娘・結衣(成海璃子)は互いのことを知らない。それぞれ人生の岐路にあり、舞は社会へ出ることを望んで家業を継がせたい母親と対立し、結衣は絵画を学びにフランスへ留学したものの壁にぶち当たることになる。

 もともと川端康成の原作の意図は、変わりつつある京都の姿を残すことにあったらしい。この作品でも京都自体が主役となっている。回想シーンのくすんだ色の紅葉が、現代へと移行するとともに赤く色づいていき、鴨川を自転車で疾走する舞の姿からそのまま京都の情景を上空から捉えるという連なりには、京都そのものが主役であるという意識が表れていたと思う。
 ただ市川版と比べてしまうと、京都の町屋のなかの陰影がほとんど感じられなかったようにも思える。とはいえ、すでにもう町屋自体がなくなりつつあって、残ったものも外国人観光客のツアールートになっているとなると、変わりつつある京都を捉えているとも言えるのかもしれない。

『古都』 舞(橋本愛)はほんまもんの帯を締めて日本舞踊を舞う。

 もともと捨てられた子であった千重子は恵まれた生活があったものの佐田家の存続というものに縛られることになり、それは娘の舞にも受け継がれる。一方で貧乏暮らしだった苗子には比較的自由があり、その娘の結衣も特段何かに縛られることはない。それでも舞と結衣に共通するのは、自分が何をしたいのかがまだわかっていないということ。
 こんなことは若いうちには誰にでもあることなのだけれど、これに関しての舞の父親(伊原剛志)の説明がふるっている。京都人は「ほんまもん」に囲まれて「ほんまもん」を見抜く力がある。しかし目が肥えているからこそ、かえって自分で何をすればいいのかわからなくなる……。
 ほとんど傲慢スレスレの理屈なのだが、それだけに京都人の自信のほどがうかがえる。「ほんまもん」などわからない田舎もんとしては皮肉も言いたくなのだが、そんな皮肉すらも京都人のほうが堂に入っているわけでちょっと太刀打ちできそうにない。

 とにもかくにもこの作品にはそんな「ほんまもん」が様々登場する。京都自体が「ほんまもん」なのだろうし、パフォーマンスを披露する書道の先生だとか、お茶だとか日本舞踊だとか、京都が世界に誇る「ほんまもん」を見せてくれる。東山魁夷の絵画「北山初雪」から着想されたらしき帯もそうした「ほんまもん」のひとつだろう。
 最後はその帯を締めた橋本愛がフランスで日本舞踊を披露する。長い髪をアップにして舞を見せる橋本愛がとても凛々しくて見惚れた。セーヌ川沿いに着物で佇むという構図はよくわからないけれど……。

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Date: 2016.12.11 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『寄生獣 完結編』 寄生生物による自己弁護?

 前作『寄生獣』を受けた完結編。
 監督は、第38回日本アカデミー賞では『永遠の0』で作品賞や監督賞などを総なめにした山崎貴(ちなみに最優秀アニメーション作品賞の『STAND BY ME ドラえもん』も共同監督)。

山崎貴 『寄生獣 完結編』 深津絵里演じる田宮良子の役回りは大きい。

◆“寄生獣”とは何か? (以下、さっそくネタバレしてます)
 田宮良子の存在は本作でもやはり大きい(深津絵里の哄笑がいい)。田宮良子は前作で冒頭ナレーションの役割を担わされていた。「地球上の誰かがふと思った。人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか?」云々というやつだ。本作でもそうした田宮の問いは続いていて、「なぜ生まれてきたのか?」といった人間的な問いへとつながっていく。
 田宮の出した答えは、「寄生生物と人間は一つの家族だ。我々は人間の子供なのだ」というものだった。そのうえで田宮は「我々はか弱い。だからあまりいじめるな」と訴えつつ、自らの子供を新一に託して死んでいく。このエピソードと同時に進行しているのが、市役所でのSAT(特殊部隊)による寄生生物たちの駆逐の場面である。
 寄生生物は個体の存続しか考えない(ミギーが新一を助けるのもミギー自身の生存維持のため)。一方、人間にはそうではない部分がある。前作でもポイントとなっていた“母性”がそうだし、本作で“巨大な脳”と呼ばれるものもそうだ。“巨大な脳”というのは、人間は自分の脳以外にもうひとつの脳を持っているということ。つまり、人間は集団となって社会というものを構築して生きていく存在だということだ。そんな“種としての人間”が、か弱い寄生生物を選り分けて殲滅していく場面が、田宮の訴えと同時に描かれていく。「あまりいじめるな」という田宮の言葉に説得力を持たせる構成として素晴らしかったと思う。
 そして最強の寄生生物である後藤(浅野忠信)が田宮の言葉を引き継ぐ。冒頭のナレーションで「地球上の誰かが」という部分に対し、漫画以上に踏み込んで答えを提示している。寄生生物の誕生を望んだのは、ほかでもない人間たちということだ。人間が増えすぎて困るなどと考えるのは人間以外の動物ではないわけで、われわれ人間だけなのだ。だから間引きのために「人間を食い殺せ」という指令を受けた寄生生物が誕生した、そんなふうに後藤は語る。(*1)
 原作漫画の冒頭では、寄生生物が宇宙から飛来したようにも読める。しかし、映画版ではそれは海のなかから出現したことになっている。これは寄生生物が外部からもたらされたものではなく、地球の内部から生み出されたということだ。かと言って、地球が人間の駆逐を望んだわけではないだろう(地球に意志はないわけだから)。そのうえで万物の霊長を自認する人間が寄生生物誕生を望んだと意味づけしたことで、よりテーマが明確になったと思う。題名である“寄生獣”とは、地球という惑星に寄生した人間のことなのだから……。と言いつつも、新一はやはり人間の側(というよりも親しい人の側)に立たざると得ないということも。

『寄生獣 完結編』 染谷将太と橋本愛のラブシーンは無理やりねじ込んだ感も……。

◆エンターテインメント作品として
 前作の娯楽性に比べ、本作『寄生獣 完結編』は上記のようなテーマ性に重きを置いているようにも感じられる。たとえば後藤対SATや、三木対ヤクザなど原作でも特に血生臭い場面はまるごとカットされている。これは多分にレイティングの問題によるのだろう。『寄生獣』二部作はPG-12指定となっていて、私が『完結編』を観た劇場でも少年たちのグループが結構いた。そういう観客のもとでは、後藤が人間たちを散らかしたり、三木(ピエール瀧)が訓練と称してヤクザ狩りをする場面は無理だったということだろう。
 とはいえ、この作品はお子様向けのものではなく、寄生生物たちが人間を捕食するグロいシーンもあるし、新一(染谷将太)と村野里美のラブシーンも意外にもきわどい部分があった。里美を演じた橋本愛がこの作品でそこまでやるとは予想外だったのでちょっと驚いた。そんなわけで果敢に攻め込んでいる部分もあるのだけれど、レイティングの問題で描ききれない部分もあって、前作ほどの盛り上がりには欠けたかもしれない。
 前作は東出昌大の暴走や母親(余貴美子)との対決を中心にアクションが盛りだくさんだったわけだけれど、本作では新一とミギーが闘うのは後藤と三木だけだし、この部分のおもしろさはアクションというよりも、『遊星からの物体X』的なVFXの部分だった。三木の頭に足が生えたり、後藤が分裂して妙な姿に変形していくあたりは『遊星からの物体X』だったわけで、それはそれで楽しめたのだけれど……。
 だから最後の浦上(新井浩文)のエピソードがとってつけたみたいな印象になってしまっても、それを残しておいたのは、あのアクションシーンをやりたかったんじゃないかとも思えた。(*2)新一が浦上をなぎ倒し、次の瞬間にビルから落ちてゆく里美を間一髪で救い出すというものだ。この部分のスローモーションは安易に決定的瞬間を引き延ばすだけになっておらず、次のアクションへとつないでいて見応えがあった。

(*1) 一方で人間はどんな指令も受けておらず、「なぜ生まれてきたのか?」なども悩んだりもするわけだが……。

(*2) 人間の間引きのために寄生生物が必要だったとするならば、同様に快楽殺人者・浦上の存在も必要とされることになる。寄生生物と人間との中間に位置する新一に浦上が聞きたかったのは、そんな浦上の存在を肯定するような新一の言葉だったのだろう。


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Date: 2015.05.10 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『リトル・フォレスト 冬・春』 神様に奉納するもののリスト

 原作は五十嵐大介の同名マンガ。『重力ピエロ』などの森淳一が監督。
 出演陣は橋本愛、三浦貴大、松岡茉優、桐島かれん。
 『リトル・フォレスト 夏・秋』の続き。構成は前作のときと同じ。いち子(橋本愛)のナレーションから始まり、小森(リトル・フォレスト)の美しい「冬と春」が描写される。今回もそれぞれの季節の食材を活かした料理が数多く登場する。

『リトル・フォレスト 冬・春』 主役の橋本愛はまたも出ずっぱり。フォトジェニック!

 今回は冬から始まるわけだが、冬には季節の食材というものも限られてくる。冬の寒さが重要となる凍み大根なんかも登場するけれど、あとは保存が効く食材をうまく活用している。じゃがいもがそのいい例で、保存用のじゃがいものためには雪がふる前に準備が必要になる。
 まず畑が雪解け水で水浸しにならないように農業用ビニールをかけておく。雪が融けたらビニールを裂いて種芋を植え、暖かくなって芽が出ても芽の数を調整したり(小さくなりすぎないように)して、ようやく一冬を越せるようなじゃがいものストックができる。冬を越すためには、その1年前の雪が降る前に準備をしておかなければならないのだ。
 田舎の生活では、冬のあとには春が来るし、その後再び冬が巡ってくること揺るぎはない。都会の会社勤めなら職場環境は変わるだろうし、1年後のことはよくわからないかもしれない。田舎では変らない生活がある。だから1年先のことを考えてじゃがいも作りに励むことができる。そこに居を構え生活していく者にとっては、季節はそれぞれ別の相貌を表すけれど、つながっていくものもあるわけで、田舎の生活は繰り返される季節のサイクルと密接に結びついている。
 母親・福子の手紙のなかには“円”だとか“螺旋”だとかいう言葉が記されていた。福子もいち子と同様に色々なことに失敗し、それでもまた同じことを失敗してみたりもし、結局同じところを“円”のように回っているようにも感じるけれど、実はそれは“螺旋”なんじゃないかと考えるのだ。かなり抽象的だが、これも季節が巡ることと似たようなものなのかもしれない。前作のときも書いたことだけれど、それぞれの季節が毎年の繰り返しであるのと同時に、新たな始まりでもあるということだ。“円”のように同じところを回っているようでもあるけれど、“螺旋”ならば少しずつどこかへ向かっているわけで、そうやって季節のサイクルを繰り返すことで、時は流れていくということだ。

『リトル・フォレスト 冬・春』 手にしているのはじゃがいもパン。結局ふたりはそれぞれのレシピを持つことになる。

 「秋」篇の最後では、いち子の失踪した母親・福子(桐島かれん)からの手紙が届いた。「冬」篇と「春」篇ではそのあたりが掘り下げられるのかと推測していたが、ちょっと違ったようだ。結局、最後まで一皿ごとの料理の紹介というスタイルは崩さず、後日談はデザートということになっている。
 それでも心地いい場面ばかりだった『リトル・フォレスト 夏・秋』から比べると、『リトル・フォレスト 冬・春』は幾分いち子の内面にも踏み込んでいる。いち子は周囲の友人に「人と向き合っていない」とか「大事なことから逃げている」などと非難されることになるからだ。ただその具体的な対象が何かはよくわからない。誰と向き合っていないのか、大事なこととは何かという点になると曖昧なのだ。田舎を出て行った母親との関係があるのかもしれないけれど、はっきりと明示されるわけではない。
 だから「大事なことから逃げている」というのは、もしかしたらこの映画そのものとも言えるのかもしれない。いち子は突然村を去ることを決め、後日談として描かれる5年後に旦那と一緒に村に帰ってくる。いち子が自らの問題をどのように解決して、村で生きる決意をしたのかはまったく描かれないのだ。
 ただ「傷ついた人の再生」といったテーマは、なぜか日本映画にはありふれているわけで、むしろそういった食傷気味な部分はあえて避けているのかもしれない(だからとても口当たりがいい)。福子がパン・ア・ラ・ポム・ド・テール(じゃがいもパン)のレシピをいち子に教えようとしないのも、福子には福子のレシピがあり、いち子にはいち子のレシピがあるという信念であり、自分の問題には自分の解決法を見つけ出せという意味とも考えられるからだ。

 いち子の歩んだ道程は、ユウ太(三浦貴大)の跡を辿っている。ユウ太も一度村を出た上で、村で生きることを決意して戻ってくる。いち子は街の生活から逃げるように小森に戻っていた。この4部作で描かれる1年は傷ついたいち子の充電期間だったわけで、いち子は積極的な選択として村を選び直すために、「春」篇の最後で再び村を去らなければならない(田舎は都会で傷ついた人を癒す場所ではないということか)。
 いち子は5年の月日を経て小森に帰ってくるわけだが、決意を持って戻ってきた人にとって小森は神様から与えられた楽園のようなもの。だから最後には、いち子は神様に捧げる踊りである“神楽”を舞うことになる。そんなふうに考えると、季節ごとに見目麗しく提示され数え上げられていく料理も、神様に奉納するもののリストとしてあるようにも思えてきた。そんな意味では、田舎礼賛のための四季と料理のカタログのような映画で、それはとても心地いい感覚に溢れている。(*1)料理好きの人ならば、何かこの映画をヒントに何か作ってみたくなるだろうし、田舎暮らしに憧れを抱く人もいるだろうと思う。個人的には“ばっけみそ(ふきみそ)”がとても美味しそうだった。

(*1) 前作のときには単純な「田舎礼賛ではないかも」と推測していたのだが、ここでも予想は外れた。一応は「都会の人の癒しの場所ではない」とクギも刺しているわけだけれど。

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Date: 2015.02.15 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (5)

『リトル・フォレスト 夏・秋』 田舎に流れるゆったりとした時間

 原作は五十嵐大介の同名マンガ。『重力ピエロ』などの森淳一が監督。
 出演陣は橋本愛、三浦貴大、松岡茉優、温水洋一、桐島かれん。

『リトル・フォレスト』 夏⇒秋⇒冬⇒春と続く4部作。主演は橋本愛。

 冒頭、緑に囲まれた小森(リトル・フォレスト)という地域が主人公・いち子(橋本愛)のナレーションで紹介される。周囲は山と沢と田畑ばかりで、商店は山を自転車で1時間半も下った駅前にしかなく、郊外型のスーパーに行くとすれば1日がかりになるらしい。そんな山の中の一軒屋にいち子はひとりで暮らしている。
 この『リトル・フォレスト 夏・秋』は、いち子の田舎暮らしを描いており、季節の食材を使った料理の一種のレシピ集としても目論まれているようだ。いち子の食べる料理は彼女のナレーションによって丁寧に手順が追われていく。グルメ番組ではないからいち子が料理の出来に気の効いたコメントをするわけではないが、その美味しさは映像だけでも伝わってくる。

 いち子は会社勤めをしているわけではなく、イワナの放流など臨時のバイト以外は金銭収入はなさそう。ただ農家だから毎日農作業をやっているため、食べるものはある。田んぼで米も作るし、芋類や青菜は家の前の畑で間に合う。裏山に足を延ばせば木の実やら果物など自然の恵みが得られる。自給自足で何とも豊かな生活なのだ。
 普段は食べないグミを砂糖と煮詰めてジャムにしたり、アケビの皮をトマトと合わせて調理してみたり、夏の暑さに合う米サワーを作ったり、工夫しながら楽しんでもいる。レシピは具体的で、たとえばジャム作りではグミに対する砂糖は60%では酸っぱいとか、煮詰め具合の目安など、実践的な情報も盛り込まれている。また、母のありがたみを知るのも料理で、青菜の炒め物も意外なところに一手間かけられていたことを、いち子は自分が料理をする立場になった今になって発見する。
 登場人物はごく限られているし、物語の起伏もないのだが、「生きる 食べる 作る」という営みがそれぞれの料理に凝縮されていて、田舎に流れるゆったりとした時間に同化したように心地よい感覚に浸れる映画だった。

 この映画全体は夏⇒秋⇒冬⇒春という4部作という体裁で、今回公開された「夏」と「秋」も独立した作品である。「夏」篇が終わるとエンディングロールが流れ、「秋」篇が一から始まる。小森の場所を示す冒頭のナレーションは同じだが、切り取られる風景はそれぞれの季節の彩りを示している。観客はエンディングロールも二度観ることになるわけだが、これはそれぞれの季節が毎年の繰り返しであるのと同時に、新たな始まりであることを意識させる。それは人の生命も同じで、キッチンに立ついち子と母の姿が重ね合わされるように、母から娘への生命のつながりは人の営みの繰り返しとも言えるが、いち子と母、それぞれの生はまったく新しい始まりであることをも示しているのだろう。

『リトル・フォレスト 夏・秋』 夏の農作業では帽子に汗が染み出している。

 いち子がなぜひとりで田舎暮らしをしているかは詳しく語られるわけではない。一度は街で男の人と暮らしたが、別れて実家である小森に戻ったこと。母は5年前に彼女を残して家を出たらしいこと。そんなことがいち子の独白で知らされる。近所のユウ太(三浦貴大)は田舎に積極的な意味を見出して戻ってきた。田舎の大人たちは、生活のなかで獲得した実のある言葉を使っていて信頼できるというのが彼の評価だ。一方でいち子は街が合わなくて逃げ帰ってきた面があるようだ。
 「秋」篇の最後には、出て行った母親からの手紙が届けられる。母親はなぜ小森を去ったのか、いち子はなぜ一度は去った田舎に戻ったのか、そんな疑問を残して終わる。オシャレなスローライフ風の田舎生活だが、いち子の母のように出ていくものもいるわけだし、単なる田舎礼賛ばかりでは終わらないような気もするがどうだろうか? 原作マンガを読んでいるわけではないので今後の展開はわからないが、「冬」篇と「春」篇も楽しみだ。

 田舎の自然とその恵みを背景にして、主演の橋本愛はほとんど出ずっぱり。容姿端麗ぶりは衆目の一致するところかと思うが、そんなイメージを捨ててほとんど化粧っけもなしに作業着姿で野良仕事に勤しんでいる。夏の場面では、脇汗ばかりか被った帽子にまで汗が染み込むほど。小森の自然を捉えた映像はもちろん美しいが(*1)、そのなかに入り込んだ橋本愛もとても自然な姿で美しかった。

(*1) 夏の場面が印象的だった。盆地である小森は湿気も溜まるらしく、湿った空気が山から降りてくる場面は、ドキュメンタリー『ニッポン国 古屋敷村』の一場面を思い出した。

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橋本愛の作品

Date: 2014.09.05 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)
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