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『万引き家族』 童貞なのに父になる?

 『そして父になる』『海街diary』などの是枝裕和監督の最新作。
 カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作。これは日本映画としては『うなぎ』(今村昌平監督)以来21年ぶりの快挙。

是枝裕和 『万引き家族』 カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作。

 タイトルにあるように“万引き”をするシーンもあるけれど、中心となる元ネタとしては2010年に明らかとなった年金不正受給問題が扱われている。是枝監督は『海街diary』とか『そして父になる』のように稼ぎたいどこか(テレビ局?)からの持ち込み企画と思わしき作品をやりつつも、『誰も知らない』や本作のように社会問題を取り上げてみたりもする。
 さらにそのどちらも商業作品としてある程度成功させつつも、映画作家としてかねてからのテーマ「家族のあり方」を問う作品ともなっている。商業性と作家性の両輪をうまく回しているあたりは稀有な存在なのかもしれない。この『万引き家族』は泣かせる作品にもできたのだろうがそうはせず、冷静な目で家族の行く末を追っていく作品となっている。

 年金不正受給のような問題がメディアで取り上げられる際には、皮相だけを見て「けしからん奴らだ」という論調になりがちだ。個人的にはそういった怒りよりも、親の死を隠蔽してまでその年金を受け取り続けなければ生きていけない家族があちこちにいることが驚きだった。是枝監督は、もしかしたら実際にはこんな事情があったのかもというところに想像力を働かせてこの作品を作り出している。
 ここで登場する家族は、治(リリー・フランキー)が作品冒頭で拾ってきたリン(佐々木みゆ)を含めて6名。治が祥太(城桧吏)に教えているのは“万引き”だから清廉潔白ではないにしても、子供を冬空のベランダに放り出して省みないリンの親よりはマシな家族だろうという気にもなる。しかし実際には、この家族は偽りの家族であることが次第にわかってくることになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『万引き家族』 亜紀(松岡茉優)と信代(安藤サクラ)は拾ってきたリン(佐々木みゆ)を家族としてかわいがる。

◆なぜ偽りの家族が必要だったのか?
 息子に見えた祥太は治が拾ってきた子だし、治と信代(安藤サクラ)も夫婦ではない。祖母に見える初枝(樹木希林)と、治あるいは信代との間にも血縁関係はない。亜紀(松岡茉優)は初枝の元旦那が新しい奥さんとこしらえた子供だから、ここにも血縁関係はない。結局、6人に血のつながりは皆無ということになる。
 それではなぜ偽家族が必要なのか。亜紀は実家に居場所がなくて初枝のところで暮らしている。そのほかも似たようなもので、居場所がないからそこにいるということになるだろう。治たちが初枝の年金をあてにしているように、初枝自身も亜紀との関係を利用しているフシもあり、その絆は善意だけのものではない。しかし、たとえ偽家族がそれぞれを利用し合うような関係だとしても、祥太が語る絵本『スイミー』のエピソードではないけれど、みんなで身を寄せ合うことで生き永らえているという意味で偽家族は必要とされているのだろう。
 おもしろいのは治と信代の関係。ふたりの過去には信代の元旦那を治が殺したという事件があった。しかしそれでいて治と信代は肉体関係がなかったらしい。ふたりのセックスのあとに、治は「できたな」と驚いている。最初は「久しぶりにできた」という意味かと私は思っていたのだけれど、『キネマ旬報』金原由佳の作品評によれば、治は童貞という設定なんだとか。なぜふたりがそんな関係だったのかと言えば、治は様々なことを学ぶ機会がなかったからなんじゃないだろうか(真っ当な男女関係のことすら学ばなかった)。

◆祥太の学んだこと
 この偽りの家族が崩壊するのは、祥太が起こした事件がきっかけとなる。自分が“万引き”をするところまでは許容できた祥太も、妹のようなリンを巻き込むことはためらいがある。家族のことが外部の大人に知られてしまうと、家族の関係性そのものが崩壊してしまうというのは『誰も知らない』にもあったシチュエーションだ。
 しかし『誰も知らない』の明(柳楽優弥)には、学ぶべき大人の存在がなかった。一方で『万引き家族』の治には、“万引き”しか教えられないダメな偽りの父親だったとしても近くに大人がいた。治のような親でも反面教師になることがあるわけで、祥太は治を見てこのままではいけないということを悟ったのだろうと思う。その意味では『誰も知らない』の明よりは、『万引き家族』の祥太のほうがずる賢く生きる力を学んだということになるだろう。
 世の中には様々な家族の形がある。リンの家族は血縁関係があるけれど、共同生活は機能しておらず、リンは存在を否定されている。信代たち偽りの家族がハグによって「ここに居てもいいんだよ」とリンに教えたのとは対照的だ。どんな家族が正しいのかに答えなどないわけで、ダメな家族なら逃げ出す自由があったほうがいい。それに縛られて苦しむくらいならそれを捨てて、血縁とは別の家族のあり方を模索するのも悪くはないのだろう。

 JK見学店で働く松岡茉優のいつもの笑顔とは違う役柄も印象的だったし、樹木希林のおばあさん役もさすがで毒のあることをやりつつも何となく許せてしまうあたりは独壇場だった。なかでも一番光っていたのは安藤サクラだろうか。後半警察に捕まってからの表情には憑き物が落ちて生まれ変わったような美しさがあった。

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キネマ旬報 2018年6月下旬号 No.1782


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Date: 2018.06.20 Category: 日本映画 Comments (67) Trackbacks (8)

『三度目の殺人』 「嘘の回想シーン」の受け入れ難さ

 『そして父になる』などの是枝裕和監督の最新作。
 主演は『そして父になる』以来のタッグとなる福山雅治

是枝裕和 『三度目の殺人』 中心となるのはこの3人。よく見ると頬の血の付いているのが福山雅治だけ右頬となっている。


 弁護士の重盛(福山雅治)は友人の摂津(吉田鋼太郎)に頼まれ、殺人の前科を持つ男・三隅(役所広司)の弁護を引き受ける。三隅は解雇された工場の社長を殺し、死体に火をつけたことを認めている。勝ちにこだわる重盛にとっては、この事件に関わることは気が進まない。接見を重ねるたびに三隅の主張はころころと変わり、真実など興味もなかったはずの重盛も事件の真実を追い求めるようになり……。

◆事件のあらまし
 最初から結末に触れてしまうけれど、この映画を最後まで見てもこの事件の全貌がわかることはない。三隅が「空っぽの器」のようだと称されるのは、空っぽだからこそ中身に何でも詰め込めるからだろう。三隅はサイコパスにも見えるし、世界の理不尽な選別に怒る正義漢にも、単なる人のいいおじさんにも見えるのだ。
 三隅の最初の殺人は約30年前に借金取りを二人殺したというもの。この事件の裁判官であった重盛の父(橋爪功)はそのときの判決を振り返って、あのとき死刑にしておけば今回の二度目の殺人は起きなかったと反省の弁を述べる。一方で社会のあり方が犯罪者を生み出すという考えが支配的だったとも語る。三隅は何らかの社会の歪みによって生み出されたモンスターだったということだろう。
 二度目の殺人に関して後半になると明らかになってくるのは、殺された被害者の娘・山中咲江(広瀬すず)が関わっているらしいということ。そして、咲江は殺された父親に性的虐待を受けていたことを重盛たちに告白する。咲江と親しい関係にあった三隅は計画的にその父親を殺し、咲江を虐待から救ったのかもしれないのだ。「空っぽの器」である三隅には何かしらの正義感が入り込んだかのようだ。裁判官であった重盛の父に手紙を出しているところをみると、彼の裁きによって生かされたことの意味を、自分の娘の姿とも重ねられる咲江を救うことに見出したのかもしれない。
 ただ、こうしたことはすべて観客である私の推測だ。三隅が語るように、凡人である多くの人は物事を「いい話」として理解しがちだから、もしかすると真実は別にあるのかもしれないのだ。

『三度目の殺人』 重盛(福山雅治)は三隅(役所広司)との接見を重ねるのだが……。

◆3人の関係性
 三隅が「空っぽの器」だとすれば、重盛もそうだろう。この作品は拘置所でのふたりの対峙が大きなウェイトを占める。繰り返される接見でふたりは次第に近づいていく。ふたりを真横から捉えた場面では、ふたりを遮るガラス板の存在はほとんど無化されて、ふたりの男は鼻をくっ付けんばかりの位置で見つめ合う。さらにその後の場面では、ガラスの映り込みのなかでふたりの顔が重ね合わされることになる。
 重盛の空っぽさはかつて父親のような裁判官を目指していたのに、今では逆の立場である弁護士となっているところにも表れているし、検察官が重盛に放った「犯罪者が罪と向き合うことを妨げている」という言葉を自分のなかに吸収し、今度はそれを三隅に向かって投げかけるところにも表れているだろう。

 3人が雪のなかで雪合戦に興じる妄想の場面では、最後に三人が並んで雪の上に寝転がる。ここでは三隅と咲江が「十字架の形」となっているのに対し、重盛は「大の字」となっている。これは三隅と咲江が何らかの罪を背負っているということなのだろう。三隅と咲江は共謀して咲江の父を殺したのかもしれない。
 また、殺された男の返り血を浴びる場面もそれぞれに描かれている。頬に飛び散った血を、三隅は自分の身体の内側へと向けて拭いさるのに対し、咲江はそれを外側に拭い去る(これは予告編で確認できる)。咲江が降りかかる災難を払いのけるように罪を犯したのに対し、三隅は罪を自ら引き受けたようにも感じられる仕草と言えるのではないだろうか。さらに実際は犯行現場にいるはずもない重盛も返り血を浴びる妄想を抱くのだが、彼は三隅と同様に自分の身体の内側へと拭っている。これは三隅と重盛の立場が同じということでもあるのだろう。タイトルとなっている「三度目の殺人」とは、三隅が自らを死刑にするという結末のことであり、それは重盛の手助けがあって成り立ったのだから。

◆回想の嘘
 裁判の行方は混沌とし、三隅は殺しは被害者の妻(斉藤由貴)に頼まれたからと言い出してみたり、最後には殺人現場には行っていないと裁判の前提部分までひっくり返すまでに至る。これは「いい話」に解釈すれば咲江を守るためということになるわけだが、結局のところ「真実は藪の中」というところに落ち着く。さらにこの作品は返す刀で司法の問題点にまで踏み込んでいき、見どころは多いのだが、なぜだか釈然としない感じも残る。
 作品の冒頭で三隅が男を撲殺し、その死体に火をかける場面が映し出される。神の視点から描かれたかのようなこの場面は、最初の前提となっている。しかし三隅は後半でこの最初の前提をひっくり返すことになる。神の視点かと思われた冒頭の場面は、三隅の証言(=回想)を映像化したものだったということになる。つまりこの作品は「嘘の回想シーン」から始まっていたことになる。
 「嘘の回想シーン」はヒッチコック『舞台恐怖症』という作品で試みていて、それを失敗だったと断じている。

「奇妙なことに、映画のなかである人物が嘘の話をしても、観客はごく自然にうけいれる。あるいはまた、ある人物が過去の話をするときに、それがまた現在起こっているかのようにフラッシュ・バックで描かれても、だれもふしぎには思わない。ところが、フラッシュ・バックで語られる内容が嘘だと観客はまるっきりうけつけない……」(『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』より)

 何が問題なのかと言えば、映像として描かれることは観客にとって真実のように見えてしまうということなのではないか。「私が男を殺しました」と告白するだけならば、証拠はどこにあるのかとすぐには信じがたいわけだが、映像として観客の前に殺人事件が繰り広げられたならば、それが夢でもない限り真実らしいものとして受け入れられてしまう。だからそんな回想シーンが「嘘でした」とひっくり返されるのは観客としてはどうにも受け入れにくいものなのだ。
 もちろん「嘘の回想シーン」をうまく作品に取り込んでいる『羅生門』のような傑作もある。この作品の原作は芥川龍之介『藪の中』だが、この小説ではある事件の当事者3人がそれぞれに異なる証言(回想)をすることになる。つまりは「真実は藪の中」ということだ。しかしこれを映像化するにあたって黒澤明が追加している部分がある。それが当事者以外の木こりの証言だ。
 『羅生門』では当事者3人がそれぞれに自分に「都合のいい話」を語ることになるのだが、それはまるで見てきたかのように映像化されて観客の前に提示される。これはヒッチコックの言う「嘘の回想シーン」ということになる。単なる言葉だけではなく、映像として嘘が展開されると、それは観客には真実とも嘘とも判別することができないし、映像化されたものは真実らしいものとして受け取られることになる。しかし『羅生門』では嘘を並べて終わるのではなく、より客観的な木こりの証言を最後に提示することで真実らしきものを見せ、観客にもすんなりと受け取りやすいものにしていたとも言えるかもしれない(実際には木こりの話にも嘘は存在するのだが)。
 『三度目の殺人』について言えば、「真実は藪の中」というよりも、すべてが嘘ばかりで観客自体も映画そのものに騙されているような気分になってくるのかもしれない。その感覚はラストで重盛がたたずむ十字路と似たようなものなのかもしれないのだけれど、やっぱりモヤモヤしたものを感じてしまう。

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Date: 2017.09.16 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (12)

『海よりもまだ深く』 なりたいものにはなれなくて……

 『そして父になる』『海街diary』などの是枝裕和監督の最新作。

是枝裕和 『海よりもまだ深く』 良多(阿部寛)は台風の夜を元家族と共に過ごすことに……。

 阿部寛樹木希林が共演する是枝作品ということで、『歩いても 歩いても』の姉妹編のような印象。『歩いても 歩いても』のタイトルがいしだあゆみの歌った「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞から採られているように、『海よりもまだ深く』のそれはテレサ・テンの「別れの予感」から来ている。樹木希林扮する母親が阿部寛の袖口あたりを引っ張りながら歩いてゆく場面とか、金のない息子が無理して母親に小遣いを渡すエピソードなどがどちらの作品にも共通して登場するのは、家族の関係が中心にあるからだろう。
 『海よりもまだ深く』で阿部寛が演じる良多はダメな男である。かつては一度文学賞(『死の棘』で有名な「島尾敏雄賞」という設定)を受賞した作家だったのだが、今では落ちぶれて創作のための取材と自分に言い聞かせながら探偵の仕事をしている。そのノウハウを活用して別れた妻・響子(真木よう子)と新しい彼氏(小澤征悦)との関係を探ってみたり、仕事で知った個人情報をゆすりに使ったりもする。未だに大人になりきれず、夢をあきらめきれないままで、さらに元妻や息子(吉澤太陽)には未練タラタラという何とも情けない中年男である。
 そんな良多とその息子、さらには元妻がたまたま母親の家に集まった夜、折からの台風の影響で帰るに帰れなくなった元家族たちはマンションの部屋で一晩を過ごすことになる。

『海よりもまだ深く』 樹木希林が演じる母親と小林聡美が演じる姉。樹木希林は何も演じても樹木希林に見えるけれどそれもまたいい。

 是枝作品はどこにでもある日常を丁寧に描きつつ、さりげない形でそれぞれの登場人物同士で醸成されていくせめぎ合いを見せていく。交わされる会話は普段のそれと同じように「それはあれなのよ」といった曖昧な言い方を連ねたりする一方で、急に人生訓めいたことを言ってドキッとさせたかと思うと、気恥ずかしくなってか笑いに紛らせてみたりする。そのあたりのバランス感覚は絶妙だ。
 作家になりたかった良多は探偵の真似事をして稼ぐしかないし、父親らしいことをしたかったはずなのにそれもなかなか叶わない。なりたかったものにはなれないにも関わらず、嫌っていた父親と同じようにギャンブルにはまって実家の金を漁るようなことまでしてしまう。なりたいものにはなれないけれど、なりたくなかったものになっていく……。そんな感覚はそれなりに歳を重ねた人ならば共有しているものであり、妙に身につまされるところがあった。

 舞台となっている東京都清瀬市の旭が丘団地は是枝監督が実際に住んでいた場所とのことで、脚本には自身の過去も色濃く反映されているのだろう。その分、いかにも自然で血が通った作品になっていると思う。マンガが原作だった前作『海街diary』は、今回のようなオリジナル作品と比べると色々と足かせあって不自由だったんじゃないかという気もした。

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Date: 2016.05.26 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (8)

是枝裕和の最新作 『海街diary』 「皆まで言うな」という感覚

 原作は吉田秋生の同名漫画(連載は現在も不定期に続いているらしい)。
 監督は『そして父になる』などの是枝裕和

是枝裕和 『海街diary』 幸はすずに鎌倉の家で一緒に暮らすことを提案する。


 鎌倉の古い一軒家に住む三姉妹に父の訃報が届く。父は15年前に離婚して家を出ていたのだ。葬式で初めて顔を合わせたのが、母親が異なる歳の離れた妹・すず。血のつながった父と母を亡くしたすずは、姉たちのいる鎌倉にやってくることになる。

 四人の美人姉妹が織り成す四季折々の生活はそれだけで絵になる。すず(広瀬すず)を呼び寄せたのは長女の幸(綾瀬はるか)だし、初めて四人が並んだときも中心は幸とすずになっていて、物語の中心にはこのふたりがいる。
 原作漫画をネットで試し読みすると、幸と異母妹のすずはその風貌からしてよく似ているし、どこか境遇も似ている。ちなみに姉妹を結び付けている父親は、次女・佳乃(長澤まさみ)と三女・千佳(夏帆)によれば「やさしい人」なのだが、長女の幸からすると「やさしくて、ダメな人」
 幸はそんな父が家を出た後、それをきっかけに姉妹を捨てて出奔した、これまたダメな母を目の当たりにして、妹たちのために母親役をやらざるを得なかった。そのため人当たりがきつい部分もある。片や、すずも父親の不倫の末にできた子供という厄介な身の上で、さらにすずを産んだ母親も亡くなり、新しい母親との生活を余儀なくされていたわけで、まだ幼いわりにしっかり者だ。
 幸たちからすれば、すずは家庭を壊した女の娘でもある。いくら血がつながってはいても「犬や猫じゃないんだから」という大叔母(樹木希林)の心配もわからないでもない。ただそんな厄介事を抱えていても、この家ではそれほど事態が深刻になることもないようだ。ムードメーカーといった感じの佳乃や、マイペースな千佳が自然と中和剤となっているからだろうか。

『海街diary』 漫画版と映画版のキャラはこんな感じ。三女だけ妙に雑な感じだが、いい味を出しているのだろうと推測する。

 雑誌「SWITCH」のインタビューでは佳乃役の長澤まさみが、この作品を評して「重い話がさらっと描かれている」と語っている。まさにその通りで、題材としては結構重い。しかし、鑑賞後はそんな重苦しさを感じさせないさわやかな印象が残る。
 原作漫画は未読だが、題名に「diary」とあるように、日記のような小さなエピソードが積み重なっていくのだろう。映画版『海街diary』も大きな主題があるというよりは、様々なエピソードが積み重なっていく。それぞれの恋の話とか、海猫食堂や山猫亭のエピソードなど、サブエピソードも重要な位置を占める。

 修羅場もある。一番の修羅場は幸たちを捨てて出て行った母親(大竹しのぶ)が顔を出す場面。幸と母親は家のことで言い争いを始めるのだが、大叔母の一言はその場を笑いに収めてしまう。次の日に再び顔を合わせた幸と母親は、気まずい雰囲気ながらもそろって墓参りに向かい、いつの間にかに仲直りをしてしまう。
 また、すずは自分の母親に対する批判として「奥さんがいる人を好きになるなんて、お母さんよくないよね」と語るのだが、それは意図せずに幸へ当て付けた形になってしまう(幸もまた妻子ある男性と付き合っているから)。ただ、そうした事態の解決は曖昧模糊としている。正面切って詫びたりするのではなく、次女の佳乃が関係ない与太話をしているうちにうやむやになっていく。ここでは「皆まで言うな」といった感覚が共有されていて、姉妹が互いを気遣っているということが伝われば丸く収まるのだろう。
 作品全体もそこはかとなく何かを匂わせる感じで、言い換えれば突っ込みが足りなくぼんやりしてもいる(個人的にはやや物足りない気もした)。その分、何気ない日常の風景が楽しく、鎌倉という場所の魅力もたっぷり詰まっている。観光地は外しているけれど、シラス丼とか海の見えるカフェなんかを見れば、一度は鎌倉に遊びに行きたくなるだろう。

 四人の女優陣は皆個性的でよかったと思う。何より浅野すずを演じた広瀬すずは、漫画のキャラそっくりだし、名前まで同じというのだからまさにぴったりの役柄(サッカーがうまいのも本当のことらしい)。そんな広瀬すずに惚れこんだのかどうかはわからないけれど、桜のトンネルの場面で彼女の表情をなめ回すように撮るところは、ほとんどアイドルのプロモーションビデオといった雰囲気すらあった。もちろん広瀬すずは掛け値なしに可愛らしいのだけれど……。

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Date: 2015.06.17 Category: 日本映画 Comments (2) Trackbacks (9)

是枝裕和監督 『そして父になる』 福山雅治という存在に泣かされる?

 『誰も知らない』の是枝裕和監督作品。出演は福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキーなど。カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞した作品。すでにスピルバーグのドリームワークスがリメークするのも決定している。

是枝裕和監督作品 『そして父になる』 主役の福山と出演者たち

 是枝裕和はテレビのドキュメンタリーから出発した人だ。テレビという媒体では、たまたま番組を目にした視聴者をも引き込むような番組作りの必要があるだろう。そうした経験からかはわからないが、是枝作品には、観客それぞれに考えさせるような問題が提起されることが多い。
 たとえば『ワンダフルライフ』では“一番大切な思い出”が問いかけられ、『奇跡』では“自分が望む奇跡”が問いかけられた。この『そして父になる』も、観客はそこで提起される問題を、自分に引き付けて考えざるを得ないだろう。
 この映画では「子どもの取り違え」が題材とされる。主人公の野々宮良多(福山雅治)と妻のみどり(尾野真千子)は、これまで6年間育ててきた慶多が自分たちの子どもではないことを知らされることになる。
 
 「血のつながりか、共に過ごした時間か」。事件の渦中にある2つの家族は、そうした選択を迫られることになる。“選択”とは記したが、実際のこういうケースでは、ほぼ100%で「血のつながり」が選ばれることになるようだ。だから選択の余地はないのかもしれないのだが、「共に過ごした時間」も簡単には捨てることのできないものだろう。そこにはやはり葛藤が生じ、ドラマが生まれる。そして観客は家族というものを改めて考え直すことになるだろう。
 先の言葉は、通常あり得ない事件のため生じた通常あり得ない葛藤だが、教育心理学の知見では、人の個性をつくりあげるのは「遺伝か、環境か」という論点がある。もちろんどちらも重要な要素に違いない。この映画でも、慶多は育ての父親であった良多に似ずに、人にやさしい部分を遺伝的に持っているし、良多の本当の息子である琉晴は生育環境のせいでしつけもなっていないし、ストローを噛んで潰してしまうところは育ての親の癖そのものだ。だから「遺伝か、環境か」というのは、どちらとも容易には言いかねる。(*1)
 どちらにしても本当の子どもを自分の手元に置きたい気持ちは当然だし、それまで築いてきた情をまったくなしにすることもできない。選択のしようがないのだ。この映画でもはっきりとした決断の瞬間はない。ふたりの子どもを一時的に交換するところからスタートし、ある日からそれが固定的なものになるのだが、子どもに取り違えの事実を説明することもないし、親たちが子どもの交換を自分たちの4人の決定として認めるようなシーンもない。頭で考える良多は「なるべく早いほうがいい」と言うのだが、ほかの3人はやさしさゆえに情に流され、うやむやのままにしている。また、良多は父親の言葉や、常識的考えに流されているとも言える。とにかく正しい答えなどないわけで、そうした意味でこの作品は観客に問いかけるものがあるのだ。

『そして父になる』 いかにも二枚目といった感じの嫌な奴、福山雅治

 『そして父になる』には4人の親が登場するが、やはり主役は福山雅治だ。『そして父になる』というタイトルの主語は、当然リリー・フランキー演じる雄大ではなく、福山=良多なのだ。雑誌「CUT」に掲載されたインタビューによると、この映画はもともと福山主演というのが先にあって、いくつかの題材のなかから福山自身がこの題材を選んだのだとか。是枝監督は福山を主役にして脚本をあて書きしたのだ。
 映画の最初のほうでは、リリーがごく自然に電気屋のオヤジになりきっているのに対し、福山はCMやテレビで見る福山のイメージそのものだ。東京タワーが見えるモデルルームみたいなタワーマンションという、いかにもスノッブな場所で、福山が気取った台詞を吐くものだから少々唖然とするかもしれない。しかし、映画を観終わってから考えれば、これも是枝監督の術中にはまっていたということだと思う。良多は福山のイメージをうまく利用した主人公なのであり、そんな福山的存在が事件によってどんなふうに苦しみ、変わっていくかが描かれるのだ。本当の主題は子どもの取り違えという事件よりも、こちらにあるのかもしれない。

 タレント福山雅治はかなりの二枚目で、十人並み以上の成功を手にしている。同様に、彼が演じる良多も、やはり二枚目で成功を手にしている。そして福山も良多もどこか嫌な奴なのだ。嫌な奴というのは、誰もが福山みたいな存在になれるわけではないと嫉妬させる奴という意味だ。ちなみに事件の原因は、福山たち夫婦があまりに幸せそうに見えたという、看護婦の悪意によるものだった。事件のもう一方の当事者であるリリーからは「負けたことない奴ってのは、ほんとに人の気持ちがわからないんだな」と小突かれる。そのくらい福山は嫌な奴なのだ。(*2)
 福山の嫌な部分はそれだけではない。どこか冷たくてあまりに理知的に事を運びすぎ、金や弁護士の力で何でも解決しようとする。そういった鼻持ちならない性格は成功を掴むために遮二無二頑張ってきたということでもあるが、遺伝によるものも大きいだろう。先ごろ亡くなった夏八木勲が演じる父の存在が効いている。出番は少ないが、どこか近寄りがたい雰囲気を持つ父親の存在は、6年間育ててきた息子(慶多)に対する福山の接し方にも影響を与えている。そして、ここが重要だが、福山が抱く父に対しての嫌悪感は、同時に自分の欠点だとも彼は気づきはじめているのだ。
 福山は勝ち組だと自ら信じていたはずだったのに、それを事件によって打ち砕かれ、少しずつ変らざるを得ない。最後には息子に向かって自分を「できそこない」だと語るが、自らの非を認めたことで、福山=良多は本当に父になっていくのだろうと思う。そしてこの映画が泣かせるのは、福山が嫌な奴だったように、われわれ観客も同じように嫌な部分を抱えているからじゃないだろうか。(*3)映画のなかで福山がそれに気づいていくように、観客もそれに気づかされるのだ。
 事件の発端となった看護婦と福山が会う場面や、その後、福山が義母に電話する場面などに泣かされる。ここで是枝監督は、福山に何か感動的なことを言わせるわけではないのだが、それまでの福山の姿を追ってきた観客には彼の言いたいことが痛いほどわかるだろう。福山雅治という存在に泣かされるとは思わなかったのだが、くやしいのだけれど終わってみたら映画のなかの彼に共感していたみたいだ。

(*1) 環境閾値説という考え方によれば、環境がある一定の水準に達していれば、遺伝的要因が顕在化する可能性が高いのだとか。だからどうしても「血のつながり」は捨てられないのだろうか。

(*2) 「やっぱり、そういうことか」、福山は取り違えの事実を知ったときにつぶやく。これも福山の嫌なところであり、後に妻とのいさかいの原因となるのだが、ストリンドベリの戯曲『父』ではないが、男は子どもを自分のものとは信じられないのかもしれない。母親と違い、自分で子どもを産むわけではないから。ストリンドベリの場合は妻への不信や狂気がそうさせ、福山の場合は取り違えという事件よりも、自らへの過信と子どもへの高い期待がそうさせたのかもしれない。

(*3) どこかのブログで拝見したのだが、是枝作品で“良多”という名前の主人公は、この作品のほかにもいくつかあるのだそうだ。そして“良多”という名前の主人公は、是枝監督自身に近しい存在であるのだという。だからこの福山=良多という存在も、タレント福山という絶対的な勝ち組のイメージではなく、嫌な部分を抱えた人間という意味で、われわれ観客にも近しい存在でもあるのかもしれない。もちろん是枝監督自身もどう考えても勝ち組なんだけれど……。

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是枝裕和の作品
福山雅治の作品
Date: 2013.10.05 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)
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