『麻雀放浪記2020』 タイミングがね……
『麻雀放浪記』(和田誠監督)のリメイク。
監督は『止められるか、俺たちを』『孤狼の血』などの白石和彌。
1984年の白黒作品『麻雀放浪記』は傑作として名高いわけで、それを今さら素直に作り直しても無謀なことは製作陣も当然わかっているわけで、オリジナルとはまったく毛色の違った作品になっている。
舞台となるのは2020年で、日本が戦争に負け、予定していた東京オリンピックも中止となってしまったという無茶な設定。オリジナルの舞台が1945年の第二次大戦後だったわけで、『麻雀放浪記2020』は新たな戦後という設定なのだが、それが特段活かされているわけでもなく、そんな時代に1945年から坊や哲(斎藤工)がタイムスリップしてきたらというコメディとなっている。
学ランに腹巻で首にはタオルというスタイルの坊や哲は、メイド姿のコスプレーヤーのドテ子(チャラン・ポ・ランタンのボーカル・もも)に拾われるものの、1945年の人間とは思われず、奇妙な設定のコスプレ男とみなされてしまう。しかも賭け麻雀は違法だからと禁止されていて、ゲームとしての麻雀しかない2020年の世界に坊や哲は失望することになる。
来年の2020年はすでに「令和」の時代。そこに「平成」を飛び越えて「昭和」の男がやってきてしまう。そのズレが生み出すアレコレはなかなかおもしろい。テレビの麻雀番組でふんどし姿で人気者となる斎藤工の姿は、イロモノという自覚が潔い感じすらした。ただ、後半の見せ場となるはずの「麻雀オリンピック」の場面が盛り上がりに欠けたようにも思えた。
というのも坊や哲の目的は、勝負そのものよりも九蓮宝燈を揃えて元の時代に戻るということだけだから。オリジナルでは命のやりとりめいた勝負ごとも、本作ではコンプライアンスへの配慮からかゲームとしての麻雀となってしまっているし、オリジナルでは登場人物が自分の女を売り飛ばしてまで勝負するのと比べると、『麻雀放浪記2020』は何かを失うかもしれないヒリヒリするような感覚がほとんどなかったのは残念なところ。
オリジナルの『麻雀放浪記』はもちろんのこと、マット・デイモン主演の『ラウンダーズ』とか、ヒッチコック劇場の「南から来た男」あたりには、そうしたヒリヒリする感覚があってギャンブルにはまったく縁のない人間でも引き込まれるところがあったように思う。
◆公開前のいざこざについて
『麻雀放浪記2020』は公開前に別のことで話題となってしまった作品でもある。出演者のピエール瀧が麻薬取締法違反容疑で逮捕されたからだ。しかも保釈されてメディアの前で謝罪したのは公開日の前日だったりもする。某国営放送なんかは有料配信サービスでピエール瀧出演作品を配信停止にしたりもしているなかで、配給会社の東映の社長は「作品に罪はない」としてそのまま公開することになったようだ。
ここでもしピエール瀧の出演場面をカットするなどの配慮をするとなると、過去の作品にまで影響が出る可能性もあるからだろうか。白石作品には欠かせない役者となっていたとも言えるピエール瀧だけに、その他の作品を守るためにもそうした釈明が必要とされたということなのかもしれない。
ただ、ちょっとタイミングが悪かったような気もする。「作品に罪はない」と大見得を切って公開した作品が、いざフタを開けてみると悪ふざけとも思えるコメディで、一部ではかえって反感を買っているようでもある(もちろん製作陣は真面目に悪ふざけをしているわけだけれど)。たとえば評判のよかった『孤狼の血』(ピエール瀧も出演)のときだったら釈明も受け入れやすいんじゃないかと思うのだが、何ともタイミングが悪いのだ。
それから本作には世間で注目を浴びた役者がほかにも顔を出している。AIユキを演じたベッキーと、大会の解説者として本人役で登場する舛添要一元都知事だ。今回のピエール瀧の逮捕も重なって、妙にスキャンダラスな顔ぶれになっているのだ。しかも劇中では「謝罪会見なんて形だけやればいい」みたいな場面もあって、先ほど触れた東映社長の会見さえも形だけのものと受け取られかねない状況とも言えるのだ。
確かにほかの白石作品と比べると出来がいいとは言いかねる作品とはいえ、色々と不運が重なった作品とも思えた。一方で話題づくりにもなっていたとも言え、私自身はクリスチャン・ベールの化けっぷりが見事な『バイス』と迷っていたのだが、最終的にこちらを選んでしまったわけで一応客を呼ぶ効果はあったのかもしれない。
監督は『止められるか、俺たちを』『孤狼の血』などの白石和彌。
1984年の白黒作品『麻雀放浪記』は傑作として名高いわけで、それを今さら素直に作り直しても無謀なことは製作陣も当然わかっているわけで、オリジナルとはまったく毛色の違った作品になっている。
舞台となるのは2020年で、日本が戦争に負け、予定していた東京オリンピックも中止となってしまったという無茶な設定。オリジナルの舞台が1945年の第二次大戦後だったわけで、『麻雀放浪記2020』は新たな戦後という設定なのだが、それが特段活かされているわけでもなく、そんな時代に1945年から坊や哲(斎藤工)がタイムスリップしてきたらというコメディとなっている。
学ランに腹巻で首にはタオルというスタイルの坊や哲は、メイド姿のコスプレーヤーのドテ子(チャラン・ポ・ランタンのボーカル・もも)に拾われるものの、1945年の人間とは思われず、奇妙な設定のコスプレ男とみなされてしまう。しかも賭け麻雀は違法だからと禁止されていて、ゲームとしての麻雀しかない2020年の世界に坊や哲は失望することになる。
来年の2020年はすでに「令和」の時代。そこに「平成」を飛び越えて「昭和」の男がやってきてしまう。そのズレが生み出すアレコレはなかなかおもしろい。テレビの麻雀番組でふんどし姿で人気者となる斎藤工の姿は、イロモノという自覚が潔い感じすらした。ただ、後半の見せ場となるはずの「麻雀オリンピック」の場面が盛り上がりに欠けたようにも思えた。
というのも坊や哲の目的は、勝負そのものよりも九蓮宝燈を揃えて元の時代に戻るということだけだから。オリジナルでは命のやりとりめいた勝負ごとも、本作ではコンプライアンスへの配慮からかゲームとしての麻雀となってしまっているし、オリジナルでは登場人物が自分の女を売り飛ばしてまで勝負するのと比べると、『麻雀放浪記2020』は何かを失うかもしれないヒリヒリするような感覚がほとんどなかったのは残念なところ。
オリジナルの『麻雀放浪記』はもちろんのこと、マット・デイモン主演の『ラウンダーズ』とか、ヒッチコック劇場の「南から来た男」あたりには、そうしたヒリヒリする感覚があってギャンブルにはまったく縁のない人間でも引き込まれるところがあったように思う。
◆公開前のいざこざについて
『麻雀放浪記2020』は公開前に別のことで話題となってしまった作品でもある。出演者のピエール瀧が麻薬取締法違反容疑で逮捕されたからだ。しかも保釈されてメディアの前で謝罪したのは公開日の前日だったりもする。某国営放送なんかは有料配信サービスでピエール瀧出演作品を配信停止にしたりもしているなかで、配給会社の東映の社長は「作品に罪はない」としてそのまま公開することになったようだ。
ここでもしピエール瀧の出演場面をカットするなどの配慮をするとなると、過去の作品にまで影響が出る可能性もあるからだろうか。白石作品には欠かせない役者となっていたとも言えるピエール瀧だけに、その他の作品を守るためにもそうした釈明が必要とされたということなのかもしれない。
ただ、ちょっとタイミングが悪かったような気もする。「作品に罪はない」と大見得を切って公開した作品が、いざフタを開けてみると悪ふざけとも思えるコメディで、一部ではかえって反感を買っているようでもある(もちろん製作陣は真面目に悪ふざけをしているわけだけれど)。たとえば評判のよかった『孤狼の血』(ピエール瀧も出演)のときだったら釈明も受け入れやすいんじゃないかと思うのだが、何ともタイミングが悪いのだ。
それから本作には世間で注目を浴びた役者がほかにも顔を出している。AIユキを演じたベッキーと、大会の解説者として本人役で登場する舛添要一元都知事だ。今回のピエール瀧の逮捕も重なって、妙にスキャンダラスな顔ぶれになっているのだ。しかも劇中では「謝罪会見なんて形だけやればいい」みたいな場面もあって、先ほど触れた東映社長の会見さえも形だけのものと受け取られかねない状況とも言えるのだ。
確かにほかの白石作品と比べると出来がいいとは言いかねる作品とはいえ、色々と不運が重なった作品とも思えた。一方で話題づくりにもなっていたとも言え、私自身はクリスチャン・ベールの化けっぷりが見事な『バイス』と迷っていたのだが、最終的にこちらを選んでしまったわけで一応客を呼ぶ効果はあったのかもしれない。
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