『羊の木』 魚を埋めると何が芽吹く?

 原作は山上たつひこいがらしみきおの同名漫画。原作は読んでいないのでわからないのだが、映画版は原作とはかなり異なる内容になっているとのこと。
 監督は『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』『美しい星』などの吉田大八

吉田大八 『羊の木』 多種多様な主演者たち。


 寂れた港町・魚深に6人の男女が移住してくる。その受け入れを担当するのは市役所職員の月末(錦戸亮)。実はこの6人は全員が元殺人犯。田舎の過疎問題と、受け入れ先が難しい元受刑者にとっての新天地問題を、この極秘の国家プロジェクトによって一気に解決しようというのだ。

 日々のニュースではあちこちで凶悪な事件が伝えられる。犯人はそれぞれ刑に服することになっているはずだ。しかし、その後の話はニュースなどでは報じられることはない。刑期を終えた元受刑者たちはひっそりと社会のなかに戻ってきているということになるのだろう。
 「犯罪者の更生」はタエマエとしては賛成だけれど、現実的にはどうなのだろうか。確かにまったくやり直しがきかない世の中は息苦しい。この作品に登場する元受刑者のなかには、人を殺してしまったけれど同情を禁じえないようなケースもある。そうした人ならば刑期を終えれば社会に戻ってくるのは当然とも言えるのだが、なかには「犯罪者の更生」という言葉がお題目に過ぎないような元受刑者もいるから、問題は簡単ではないのだろう。隣に住んでいる人が何度も殺人を繰り返しているような人物だったら、あまり落ち着いては眠れないんじゃないだろうか。
 この作品内では市民に元受刑者受け入れプロジェクトのことは知らされていない。偏見なしに元受刑者を受け入れるという意図だが、これはわれわれの社会そのものとも言える。6人は魚深市のなかに溶け込むことはできるのだろうか?

『羊の木』 タイトルとなっている“羊の木”のイメージはこんな感じ。

◆タイトルとなる“羊の木”とは何か?
 映画のなかではタイトルについて特段説明はない。昔、ヨーロッパで羊毛を見た人が、それを綿花と勘違いし羊が生る木があるという想像をしたことから来ているらしい。
 冒頭に引用されているのはこんな文章だった。

   その種子やがて芽吹き タタールの子羊となる
   羊にして植物
   その血 蜜のように甘く
   その肉 魚のように柔らかく
   狼のみ それを貪る 
                『東タタール旅行記』


 ここから推測して勝手なことを述べれば、“羊の木”とは「社会そのもの」ということになるのではないか。子羊たちがいて、狼がそれを貪る。これは作品内で言えば、魚深市の市民が子羊で、犯罪者が狼ということになるだろう。
 魚深市の祭りではのろろ様という神様が祭られている。のろろ様は海からやってくる幻獣で、かつては住民の誰かを人身御供として差し出すことになっていた(幻獣は退治された後に神様として祭られることになる)。つまりは、のろろ様は狼で、住民は子羊ということだろう。どちらにしても、のろろ様や狼という荒ぶる存在を鎮めるためには、誰かが犠牲になる必要があったということになる。

 さらに栗本清美(市川実日子)は土のなかに死んだ鳥や魚を埋めるという奇怪な行動をしているが、この行動は何なのか? これはお墓を作って供養しているわけではない。栗本は魚を二尾買ってきて、一尾を食べたあとに、残ったもう一尾を土に埋める。供養ならば片方を食べてしまうはずもないわけで、栗本は魚や鳥を増やそうとしているのだ。
 昨年の『草原の河』という作品でも同様の場面があった。主人公の女の子がクマのぬいぐるみを増やしたくて、それを土のなかに埋めるのだ。なぜ少女が土に埋めるとクマのぬいぐるみが増えると考えたのかと言えば、麦やジャガイモなどの植物は大地に埋めると、それが芽を出して最初に埋めたもの以上の収穫をもたらすことになることを知っていたからだ。『草原の河』の少女と、『羊の木』の栗本は同じことをやっているのだ。
 人が一定の土地に集まって暮らしていれば、男と女が居ていつの間にかに人は増えてくる。社会は人を生み出す木のような役割をしている。ただそんな場所にも狼はいる。どこからか狼は現れて、住民の一部が犠牲になるのだ。
 羊と狼というのはあくまで比喩であり、人間の場合はちょっと違ってくる。人間の場合は羊の皮を被った狼がいたりもするし、その逆に狼のような面がまえの羊もいるかもしれない。そして、羊という一般市民から狼という捕食者に変貌してしまう場合もあるのかもしれないし、さらに改悛して狼からまた羊の側に戻る人もいるのかもしれない。
 「犯罪者の更生」というタテマエからすれば、それは可能でなければならないはずだ。元受刑者の多くは魚深の一市民として暮らしていくのかもしれないのだが、この作品のある人物の様子を見ているとやはり例外もあるということなのだろう。

 タイトルが呼び起こすイメージは秀逸。ただ元受刑者たちの引き起こす騒動はちょっと地味だったかも。インストゥルメンタルバンドをしている主人公月末と石田文(木村文乃)たちがかき鳴らすギターの音が、田舎の退屈さをやり過ごす手段としていい雰囲気を醸し出している。なぜかエンドロールではニック・ケイブ(この人は『アランフエスの麗しき日々』にもちょっと登場していた)が歌う「Death Is Not the End」が流れるのだが、どういう意図なんだろうか?

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Date: 2018.02.10 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『美しい星』 どこまで本気なのか

 原作は『金閣寺』『憂国』などの三島由紀夫。
 監督・脚本は『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』などの吉田大八

吉田大八 『美しい星』大杉重一郎(リリー・フランキー)はある日火星人として目覚め……。 

 ある平凡な家族が宇宙人として覚醒するという何とも荒唐無稽な話。父親の大杉重一郎(リリー・フランキー)は火星人、長男・一雄(亀梨和也)は水星人、妹・暁子(橋本愛)は金星人であることに突然気づく。なぜか母親の伊余子(中嶋朋子)は相変わらず地球人のままなのだが、ほかの家族が宇宙人になったものだから最後まで彼らに付き合うことになる。
 お天気キャスターをしている重一郎は空飛ぶ円盤を見て以来、火星人としての使命に目覚め、番組内で地球人に向けて訴えかける。地球は温暖化によって危機的状況になっている。今、悔い改めなければ大変なことになる。しかし、重一郎の訴えに真っ向から反対する勢力もいる。温暖化なんて嘘だと言い切る連中の側には黒木(佐々木蔵之介)という議員秘書がいて、実はこの男も宇宙人である。

 空飛ぶ円盤と宇宙人というネタは古臭く感じるが、それもそのはずで原作は約50年も前に書かれたもの。そのころはそんなネタが流行りだったらしい。今回の映画では舞台は現代であるし、中身もかなり今風にアレンジされている。当時の差し迫った危機は原水爆だったのに対し、映画のほうでは地球温暖化になっていたりもする。
 原作者の三島由紀夫はこの作品を「実にへんてこりんな小説」と言っていたようだが、この映画のほうもそれに負けずへんてこりんなものを見せてくれる。金星人たる橋本愛が同郷仲間(若葉竜也)とUFOを呼び寄せる場面はノリノリに仕上がっているし、火星人リリー・フランキーのキメポーズも繰り出すたびにおかしくなってくる。
 どこを見てしゃべっているのかわからない佐々木蔵之介も宇宙人らしさを醸し出していたし、“美しさ”のあまり周囲にとけこめない橋本愛はとても金星人らしくて、『PARKSパークス』で吉祥寺をうろついている橋本愛よりも似つかわしく感じられた。

 ※ 以下、ネタバレもあり!


『美しい星』 暁子(橋本愛)は金星人として目覚め、処女懐胎することに……。こちらは金星人のポーズ?

 重一郎(リリー)と黒木(佐々木蔵之介)は環境問題を論じてはいるけれど、根っこには人間は滅びるべきか否かという対立があるのだろう。黒木は「“美しい自然”と人間が言うときに、そのなかに人間は含まれていない」みたいなことも語っていて、黒木は人間なんて救う価値もないと考える。しかし重一郎はそんな人間を守りたいと考えていて、重一郎がその最期に“美しさ”を見出すのは人間たちがつくったネオン街の明かりだった。
 それでもそうした対立に決着はつかず、ラストでは空飛ぶ円盤が大杉家の面々を出迎えることになる(映画では円盤内部まで描かれる)。宇宙人として覚醒するという突拍子もない設定は、頭のおかしな人間の妄想だったというオチをつけることもなく、実際に彼らは宇宙人だったという何とも説明のつかない終わり方をすることになるのだ。それにしても原作者の三島由紀夫はどんなつもりでこれを書いたのだろうか。

 三島由紀夫の最期は誰でも知っているけれど、当時、実際にクーデターを企てたりするとまで考えていた人はいたのだろうか。三島とほぼ同い歳の評論家・吉本隆明は事件後、こんな文章を書いているようだ(ウィキペディアから引用したもの)。

 三島由紀夫の劇的な割腹死・介錯による首はね。これは衝撃である。この自死の方法は、いくぶんか生きているものすべてを〈コケ〉にみせるだけの迫力をもっている。この自死の方法の凄まじさと、悲惨なばかりの〈檄文〉や〈辞世〉の歌の下らなさ、政治的行為としての見当外れの愚劣さ、自死にいたる過程を、あらかじめテレビカメラに映写させるような所にあらわれている大向うむけの〈醒めた計算〉の仕方等々の奇妙なアマルガムが、衝撃に色彩をあたえている。そして問いはここ数年来三島由紀夫にいだいていたのとおなじようにわたしにのこる。〈どこまで本気なのかね〉。つまり、わたしにはいちばん判りにくいところでかれは死んでいる。この問いにたいして三島の自死の方法の凄まじさだけが答えになっている。そしてこの答は一瞬〈おまえはなにをしてきたのか!〉と迫るだけの力をわたしに対してもっている。   — 吉本隆明「暫定的メモ」


 事件が起きるまでは三島の政治的活動は「どこまで本気なのか」と思われていたのだろう。そして、事件が起きてからは「そこまで本気だったのか」と驚かせたのだろうか(同時代を生きているわけではないので推測でしかないのだが)。三島は自己演出にも長けた人だったのだろうとは思うのだけれど、さすがにまったくの冗談で割腹自殺はするはずもないだろうし、やはり本気なのだろう。

 この『美しい星』という作品も、三島という人と同じように受け止められた部分があるようにも思える。リアルタイムで読んでいた人は、三島は「どこまで本気なのか」と思ったのかもしれない。そして呆気に取られる結末は一体どんなふうに受け止められたのだろうか。
 この作品において主人公の重一郎が宇宙人でなければならない理由は、大局的な視点から地球というものを見るためだろう。小説のほうにはこんな文章もある。

 未来を現在に於て味わい、瞬間を永遠に於て味わう、こういう宇宙人にとってはごく普通の能力を、何とかして人間どもに伝えてやり、それを武器として、彼らが平和と宇宙的統一に到達するのを助けてやる、これが私の地球へやってきた目的でした。   『美しい星』 新潮文庫 p.283


 この「未来を現在に於て味わい」というあたりは、前回取り上げた『メッセージ』の異星人のものの見方とそっくりだし、ヘプタポッドがそうした能力を「武器」として人間に与えて手助けしてくれるというのもよく似ている。宇宙人は人間より進化した存在であるから、大局的に地球を見て近視眼的な人間を導いてくれるというのが、どちらの作品にも共通しているところだ。
 三島は重一郎と同様に、宇宙人のような視点で日本を見ていたのかもしれない。そして宇宙人・三島からすれば日本は危機的な状況にあって、何を措いても行動をしなければという憂国の情に駆られていた。
 『美しい星』でも重一郎が地球の問題を解決することはなかったけれど、最後に重一郎が宇宙人であることだけは明確に示された。これは言い換えれば、大局的な視点から地球を憂慮していることは明確にされたということだろう。それと同様に三島も、クーデターは失敗に終わることになったけれど、その衝撃的な自死で憂国の志だけは明確に示したということなのだろうか。
 映画はそんな面倒なことを考えずとも笑わせてくれるへんてこりんな作品になっているのだけれど、三島の最期と合わせるとそんなことも思う。

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吉田大八の作品
Date: 2017.05.31 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (4)

『紙の月』 お金なんかただの紙。だけどみんなが信用している。

 原作は角田光代のベストセラー小説。監督は『桐島、部活やめるってよ』吉田大八。主演には久しぶりの映画出演となる宮沢りえ

吉田大八監督 『紙の月』 主演の宮沢りえ。きわどいベッドシーンなんかもあった。

 原作は未読だが、映画版は原作とは違う部分も多いようだ。主人公の同僚である隅より子(小林聡美)と相川恵子(大島優子)のキャラクターは、映画オリジナルとのことで、脚本も担当した吉田監督の色が強くなっているものと思われる。
 題材としては銀行での巨額横領事件をもとにしていて、こうした事件はそれほど珍しいということはないだろうし、誰にとっても金は必要なものだから、意図せずに主人公を焚き付けるような言葉を吐く相川が言うように「ありがちな話」ですらある。
 地方銀行に勤める梨花(宮沢りえ)は、顧客の孫である光太(池松壮亮)と駅でばったり会って以来、何となく彼が気にかかるようになる。子供もなく、仕事ばかりの夫とは上辺だけの関係で、そんな梨花はまだ大学生という年下の男に夢中になっていく。このあたりの展開は急で、梨花が光太に入れ込む理由も、光太のために銀行の金を横領することになる理由もよくわからない。

 のちに明らかになるのは、梨花はキリスト教系の学校で育ち、寄付という行為を善行として刷り込まれているということ。梨花がした寄付で、洪水の被害者だというバンコクの子供から感謝の手紙が届く。梨花は弱者を助けるという行為に感銘を受ける。そしてさらなる寄付という大いなる善行を優先するあまり、親の財布から金を抜き取るというちょっとした悪事に手を染めている。梨花が光太に入れ込むのも、光太が資産家の祖父がいるにも関わらず大学の授業料を払えないという境遇にいたからで、梨花は弱者に施しを与えることで自らが満足を味わっていたわけだ。
 恵まれない大学生を助けるというのがスタートでも、途中からは際限なく贅沢を繰り返しているようにしか見えず、40代で少々衰えを見せる容貌だった梨花は、次第にセレブにでもなったような佇まいにもなっていく。ただ、傍から見ればそうした悪事がバレることは目に見えており、そうした豪勢な生活は砂上の楼閣のようなもの。(*1)光太自身もそれを感じていて、別れの際には「いつか終わってしまいそう」だと口にしている。こうなると破滅への道筋も見えてくる。

『紙の月』 梨花は空に浮かぶ月を指で消してしまう。

 しかし、この映画ではここから別の方向へと進んでいく。個人的には、「ありがちな」横領事件や、スローで思い入れたっぷりに描かれる光太とのエピソードには関心しなかったのだが、この方向転換はとてもよかったと思う。
 横領がバレた梨花は刑事告訴されることになるわけで、まさにその瀬戸際で、横領に気づいた隅より子と対決することになる。片や巨額の金を横領して好き勝手にやってきた女と、片や勤続25年のお局様で、煙たがられて本社の閑職に追いやられることが決まった女である。隅はそれでも「行くべきところへ行く」だけだと胸を張るのだが、もちろんできれば閑職などに就きたくはないわけで、これは会社のルールに従うしかないという諦めでもある。
 「どちらがみじめか」という話題では、隅は社会のルールに縛られて逃げ出せない自分をみじめと考えているし、梨花は刑事告訴されるような立場に陥った自分をみじめと考えている。どちらにしても自分をみじめと思い、自分がなれなかったほかの誰かを羨ましく思っている。
 土壇場で銀行の窓ガラスを叩き割った梨花は、その場を逃げおおせ、そのままバンコクへと逃亡する。このとってつけたようなエピソードは、およそ現実的なものではない。少女時代に寄付していた少年と同じ傷を負った男が登場することからも、これは幻想としてあるのだと私には思えた。
 「行くべきところへ行く」という隅に対し、「行きたいところに行った」はずの梨花だが、そのバンコクの場面が幻想に過ぎないとなれば、それは反語的な表現でしかないわけで、つまるところ「どこにも行けない」ということなのだろう。そんな女たちの悲しい姿を見せられた映画だった。

『ペーパー・ムーン』 この映画が“紙の月”の元ネタなのだと思う。

 “紙の月”という題名を原作者がどうして付けたのかは知らないのだが、恐らく映画『ペーパー・ムーン』から取られているのだろう(日本語として通常使わない表現なのは、翻訳語だからだろう)。ただ、その意味するものはまったく違うものになっている。
 『ペーパー・ムーン』では、“紙の月”というのは、舞台などに登場するセットの類いであり、本物の月をかたどったニセモノだった。しかしそのニセモノでも信じることが出来れば、本物になるというのがテーマなのだ。(*2)『ペーパー・ムーン』では、詐欺師とその子供のふりをすることになる少女というニセモノの関係が、いつの間にか本当の親子のような関係になっていくという感動作だった。
 一方で『紙の月』では、梨花は本物の月を空に描かれた絵として消し去ってしまう。梨花にとってお金に象徴される社会のシステムは、“紙の月”のようなニセモノでしかなく、梨花はそれを信じることはなく自分の信じたように「やりたいようにやってしまう」。もちろんお金は単なる紙に過ぎないし、それは約束事でしかない。しかし、自分以外の誰もがそれを信用しているのならば、経済は回っていくし、約束事も崩れることはない。空の月を“紙の月”だとして消してしまうのは、梨花の願いに過ぎないわけだ。
 「ニセモノでも信じることが出来れば、本物になる」というのが『ペーパー・ムーン』なら、「王様は裸だ(=お金なんてただの紙だ)」と真実を叫んだはずなのに誰からも無視されてしまうというのが映画『紙の月』だろうか?

(*1) クレジットのVelvet Underground「Femme Fatale」は、Nicoのヴォーカルの危なっかしい感じが、彼らの砂上の楼閣のもろさを表現しているようだった。加えて言えば、銀行の上司(近藤芳正)が皆にバレているカツラをやめられないのは、ただの紙が世の中でお金として通用していくように、社会的にハゲはみっともないというイメージが浸透しているからなのだろう。

(*2) ジャズの有名な曲に「It’s Only A Paper Moon」というものがあり、そこから『ペーパー・ムーン』という映画の題名も取られている。
 『ペーパー・ムーン』で偽の親子を演じているのは、ライアン・オニールテイタム・オニールという本当の親子で、テイタム・オニールはこの映画で史上最年少のオスカー受賞者になった。ふたりの息の合った掛け合いがとても楽しい映画だし、当時10歳のテイタム・オニールは本当にかわいい。



ペーパー・ムーン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]


Date: 2014.11.24 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (9)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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