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『赤い雪 Red Snow』 紅白だけどめでたくはない話

 映像作家・アートディレクターの甲斐さやかの脚本・監督作。

甲斐さやか 『赤い雪 Red Snow』 主演の永瀬正敏以下、出演陣は意外と豪華。

 ある雪の降る日、少年が行方不明になる。その少年の兄である白川一希(永瀬正敏)は、弟を追いかけていき見失ったということだけを覚えている。あの日、一体何があったのか?
 30年も前の出来事のことを追って記者の木立(井浦新)がその村にやってくる。木立はその出来事の目撃者である江藤早百合(菜葉菜)の居場所を見つけたらしく、その事実をわざわざ白川に知らせにきたのだ。
 白川の弟が行方不明となった日には火事も起きていて、そこからは少年の骨も出てきたという。その日を境に村から姿を消した早百合とその母親が、失踪と火事の両方に関わっているというのが木立の見立てなのだ。それに対し白川は、何も覚えていないし、目撃者にも会いたくないというのだが……。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『赤い雪 Red Snow』 弟が消えたアパート付近では雪に赤サビが交じり合って赤い雪になっている。

 冒頭、真っ白な雪のなかを赤いセーターを着た少年が駆けてゆく場面が印象的。兄である白川はその赤い点のような姿を追いかけていくのだが、曲がり角で見失ってしまう。弟はどこに消えたのか。
 これが本作の始まり部分なのだが、この部分はゲームの『サイレントヒル』の導入部とよく似ている。タイトルにもなっている“赤い雪”というのは、弟が消えたアパート付近で赤サビが雪に交じり合っている状態のことを指すのだろう。このあたりの雰囲気も『サイレントヒル』の裏世界を意識しているように感じられた。
 冒頭シーンでちょっと凝っているのは、弟を追って走っていく白川の姿は見えないのだが、息づかいが途中から変わるところ(記憶違いかもしれないが)。最初は永瀬正敏演じる大人になった白川のものだが、途中から少年時代のそれへと変化するのだ。これは大人になった白川がうなされるように見ている夢と、少年のときに体験した記憶の部分がつながっていくという演出だ。そして、ゲームというかアニメのようでもある夢の部分から、いつの間にかに写実的な映像へと変化していく。白川は未だにあの出来事に縛られているのだ。

 ちなみに白川は漆塗りの職人であり、何度も塗りなおしていく漆の赤と、降り積もっていく雪の白さのイメージは重なってもいる。共に下にあるものを隠してしまうという点で似通っているのだ。そこに何が隠れているかと言えば、あの出来事にまつわることになる。白川が漆を剥がして漆器の木目が露になり、白川と同様にあの出来事に執着する理由を持っている木立が雪を掘り下げていくと、隠されていたもの顔を出してしまうことになる。
 知らなければ済んでいたのに知ってしまうと耐えがたいというのは、オイディプスっぼいと言ったら言い過ぎだろうか。だから都合よく記憶喪失になって自分を守るという防衛規制もあったわけだが、妙な横槍が入って悲劇は拡大してしまう。

 悪女というよりは愛想のない荒んだ女を演じた菜葉菜の印象がこの『赤い雪 Red Snow』のトーンとなっていて、何とも陰鬱な作品となっている。母親役の夏川結衣もこれまでとはまったく違う役柄で、出番が少ないのがちょっと惜しいところ。佐藤浩市は普通のおじさんっぽく見えるのだが、実は諸悪の根源とも言うべき役柄で、これを楽しそうに演じている。
 すべては巡り合わせでひとつのピースでも違ったら、こんなことは起きなかった。そんなことを述べさせる物語は果敢に攻めている。そこは悪くはないのだが、正直なところ説得力には欠けるところがあるように感じられた。

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Date: 2019.02.06 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『止められるか、俺たちを』 何者かになりたかった女性の青春

 2012年10月に急逝した映画監督・若松孝二を描いた作品。
 監督は若松プロダクション出身で、最近は『孤狼の血』『彼女がその名を知らない鳥たち』などでも活躍著しい白石和彌

若松孝二 『止められるか、俺たちを』 白黒のタイトルバック。門脇麦演じる吉積めぐみと、オバケと呼ばれている秋山道男(演じているのはタモト清嵐)。

 若松孝二の伝記映画だと勝手に思っていたのだけれど、実際にはちょっと違っていて、若松を中心とした若松プロダクションに集まった面々の一時期を描いた作品だ。主人公は助監督として若松プロに入ったばかりの吉積めぐみ(門脇麦)である。
 本作では当時の若松プロに出入りしていた人物が実名で登場する。中心となる若松孝二を演じるのは井浦新。実際の若松孝二がどんな人物だったのかは知らないが、井浦新の演じる若松は飄々として惚けた味がある。ほかにも後に日本赤軍に合流することになる足立正生や、『荒野のダッチワイフ』大和屋竺や、雑誌「映画芸術」編集長で『この国の空』の監督でもある荒井晴彦など、様々な映画人が顔を出す。
 それからめぐみを若松孝二に紹介したオバケは、その本名を秋山道男と言い、後には無印良品とかチェッカーズのプロデュースをした人物とのこと。『ゆけゆけ二度目の処女』では秋山未痴汚という名前でクレジットされていて、劇中で彼が口ずさむ歌がいつまでも耳に残る(『止められるか、俺たちを』でも使用されている)。この歌は中村義則という詩人が書いた「ママ 僕、出かける」から始まる詩に節をつけて歌ったものとのこと。
 とにかく当時の若松プロには様々な才能を持つ人物が出入りしていたということはよくわかる。そんな人たちが寄り集まって若松作品を生み出していったのだ。そんななか若松孝二に怒鳴られながらも、次第に若松組のなかで助監督としての地位を確立していっためぐみだが、その先のことは見えないでいた。映画監督にはなりたいけど、何を撮ればいいのかわからないという鬱屈を抱えることに……。

『止められるか、俺たちを』 手前の吉積めぐみ(門脇麦)と、中心にいるのが若松孝二(井浦新)。

 「政治と文学」という言い方があって、もはやそんなのは死語なのかもしれないけれど、文学をやることが政治ともつながっているということが信じられていた時代があった。そして、それは映画をやることも同様だったのだろう。元ヤクザで警官を殺すことができるから映画監督になったという若松孝二も、映画という武器で世の中と闘うことを目論んでいる。
 本作にも何度か顔を出す大島渚も元々全学連として学生運動に参加していて、後に『日本の夜と霧』(1960年)という政治的な作品を撮り、松竹を辞めて独立プロでやっていった監督だった。映画は単なる職業という以上のもので、映画を撮ることが世の中を変えていこうという運動でもあったということなのだろう。

 本作は若松作品で言えば、『処女ゲバゲバ』『ゆけゆけ二度目の処女』などが公開された1969年あたりから、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』が出来上がった1971年あたりまでの出来事が追われる。この間、世間では連合赤軍事件があったり三島由紀夫の自殺があったりするが、本作がこの期間で区切られているのは主人公の吉積めぐみが亡くなってしまうから。若松プロでは「3年経てば監督に」と言われていたが、めぐみはその前に死んでしまうことになる。
 若松プロは厳しい世界で「男でももたない」と言われていて、実際に劇中でも辞めていく人はいる。しかし、その理由は様々だ。満島真之介が演じた真っ直ぐな男は、弱小プロダクションが生き残るために金儲けを狙った作品に幻滅して飛び出していくし、映画のなかでやれることはやったと感じたオバケは別の世界での再出発を求めることになるし、大和屋竺はテレビ作品(『ルパン三世』の脚本を書いていたらしい)に足場を移すことになる。
 めぐみのなかでは「何者かになりたい」という漠然とした望みはあっても、自分のなかから湧き出るような表現すべき“何か”は見つからない。周囲にエネルギッシュで才能ある人が多かっただけに、余計に焦燥感を覚えたのかもしれない。そして、同時期に若松プロの同僚との間に子供ができてしまったことも問題だった。ただ、めぐみは子供を堕ろすこともできなかったし、子供を産んで家庭に収まることも望まなかった。その結果がまるで自死のような最期だったということなのだろう。

 白石和彌作品としては毒気が薄まった感じではあるけれど、「何者かになりたい」ひとりの女性の青春映画として、吉積めぐみに対する愛惜の気持ちが素直に感じられる作品となっているところがよかったと思う。個人的には同じ時代に書かれた『二十歳の原点』という本を思い出したりした。この時代の若者は答えを性急に求めすぎてしまっていたのかもしれないなどと感じたりもした。現代の若者だって「何者かになりたい」とは感じているけれど、『ここは退屈迎えに来て』(門脇麦はこっちにも登場する)を観ると、そこまで切実な焦燥感はなさそうに見える。

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その他の若松孝二作品


二十歳の原点 (新潮文庫)


Date: 2018.10.28 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『二十六夜待ち』 月に願いを

 監督は『アレノ』『海辺の生と死』越川道夫
 原作は佐伯一麦の同名短編(『光の闇』所収)。

越川道夫 『二十六夜待ち』 杉谷(井浦新)と由美(黒川芽以)のふたり。


 震災ですべてを失った由美(黒川芽以)は叔母(天衣織女)のもとに身を寄せる。まだ若いのに引きこもりがちな由美のことを気にかける叔母の言葉もあり、外で働くことにした由美は小料理屋での仕事を見つける。物静かな店主の杉谷(井浦新)はかつて記憶を失い、身体が覚えていた料理の腕でその店を営んでいた。

 過去を失い自らの存在をつかみかねている孤独な男と、震災の忌まわしい記憶を忘れたいと考えている女。心に傷を負っているふたりが出会い惹かれていく。というよりも共に傷を負っているからこそ寄り添うことができるということだろうか。
 タイトルの「二十六夜待ち」は、江戸時代の風習。今でも十五夜とか十三夜を愛でる風習は有名だが、かつては二十六夜にも月見が行われていたのだとか。そして、二十六夜の際には阿弥陀、観音、勢至菩薩の三尊が現れると言われていたのだという。三尊にすがるように、男は女に、女は男に、すがるような関係性が描かれていく。
 『アレノ』でも濃密な濡れ場が印象的だったのだが、この作品も何度も繰り返される濡れ場を長回しで描いていく(黒川芽以の脱ぎっぷりは控え目)。最初の唐突とも思える絡みから始まり、次第に関係性が深まっていくということになる。ただ、その繰り返しにそれほどのバリエーションがあるということもないところが惜しい気がする。ほとんど会話らしい会話もないのに、ふたりが小料理屋のカウンターのなかに並ぶととても雰囲気がよかったので、そこまで濡れ場に拘らなくてもよかったんじゃないかという気もするのだが……。

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Date: 2018.01.12 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『光』 冥府へと続く道しるべ

 原作は『舟を編む』『まほろ駅前多田便利軒』などの三浦しをんの同名小説。
 監督は『まほろ駅前多田便利軒』や『さよなら渓谷』などの大森立嗣

大森立嗣監督 『光』 主要な4人のキャスト。井浦新、瑛太、長谷川京子、橋本マナミ。


 故郷の島でかつて起きた殺人事件。中学生だった信之は、恋人の美花が森のなかで犯されているのを見つけ、相手の男を殺してしまう。25年後、島を出て妻子と暮らしていた信之の前に、事件を知っている幼なじみのたすくが現れる。

 美花と信之は恋人同士だが、信之の近くにはいつも輔がいた。輔は暴力的な父親に殴られてばかりだが、信之のことを“ゆきにぃ”と呼んで跡を追い回している。信之は鬱陶しく思いつつも、父親から酷い目に遭わされている輔のことを不憫にも思ってもいるようだ。そして、暑い夏のある日、事件は起きるのだが、その後津波が発生して島は壊滅状態になったために、殺人事件の証拠は輔が撮った写真以外は流されてしまう。
 25年後、信之(井浦新)は市役所で働き、妻・南海子(橋本マナミ)と娘とで暮らしている。南海子はある男と浮気をしているのだが、この男が成長した輔(瑛太)である。輔は信之の弱味を握るために南海子に近づいたのだが、単純に金ばかりが目的ではなさそうでもある。というのも金が欲しければ最初から昔の殺人事件のことを持ち出せばいいわけで、実際に輔の父親(平田満)が現れると、そのことをネタに今では女優となって活躍している美花(長谷川京子)と信之を脅すことになる。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

大森立嗣監督 『光』 信之(井浦新)と輔(瑛太)は幼なじみ。輔は信之の秘密を握っている。

◆タイトルの“光”とは?
 輔が信之に近づくのは金だけじゃないというのは、何らかの親しみを感じているということもあるのだが、それ以上に信之ならば自分のことを殺してくれるだろうという予感があるからだ。信之が一度殺人を犯しているということもあるが、父親の暴力には未だに恐れを抱いているところを見ると、殺されるならば相手は信之でなければならないという執着のようなものすら感じられるのだ。
 なぜ輔がそんな破滅願望を抱くことになったのか。輔は島の暑い夏のせいにしてみたりもするのだが、どうにも説得力には欠ける。輔が魅入られたのは津波の夜に海を照らしていた月の光なのだろうと思う。

 たまたま今年の邦画でまったく同じタイトルを持つ河瀨直美監督の『光』では、“光”とは弱視の主人公が感じたであろう太陽の光を指していた。そして、その“光”は何かしら希望のメタファーとして捉えられることになるだろう。しかし、今回の大森立嗣版の『光』においては、“光”とは月の光であり、暗いなかに浮かび上がる青白い光なのだ。
 タイトルバックでも木の洞のなかに青白いものが浮かび上がり“光”という文字を形作っていた。この作品の“光”は明るい希望を指し示すのではなく、暗闇のなかに浮かび上がる光であり、それは冥府へと続く道しるべのようなものなのだ。

 輔は信之に殺されることを望んでいるし、信之も死んだように冷たい目をしている。そして信之は未だに執着を断ち切れずにいた美花に突き放されることになると、感情を露わにして自殺めいた場面を演じたりもする(投身自殺したかのように地面に横たわる信之の周りを赤い椿の花が散っている)。
 輔を彼の希望通りに始末し、妻と子供の待つ家に戻った信之は一体何をしに帰ったのか。父親の帰宅にうるさいくらいにはしゃぎまわる娘の椿(早坂ひらら)は信之の暴力的衝動を引き出そうとするかのように喚き続ける。椿が描いた絵には暗い夜に輝く月が描かれていたことも示されているわけで、娘にもそうした死への願望めいたものが受け継がれているのかもしれないとすら思わせるシーンだった。

大森立嗣監督 『光』 橋本マナミが演じるのは信之の妻・南海子。

◆島の自然と人為的な音楽
 冒頭、鬱蒼とした緑が生い茂る島の風景が描写されていくのだが、この場面の劇伴はジェフ・ミルズの大音量のテクノ・ミュージックで、とにかく違和感この上ない。島の自然と対比される人為的な音。音楽はすべて人の生み出すものなのかもしれないが、たとえば鳥の鳴き声を模したメロディとか自然に似つかわしいものだってあるはずだが、この作品のテクノはまったく自然にそぐわないのだ。
 人間だって本来は自然の一部のはずだが、岸田秀(『ものぐさ精神分析』)的に言えば人間は本能が壊れてしまっているから自然のなかの異物となっている。この作品のテクノの異物感は、自然のなかの異物としての人間を示しているように感じられた。
 そうした異物としての人間が抱えているのが過剰な“暴力”というものであり、この作品では“暴力”が重要な主題となっている。「暴力には暴力で返すしかないんだよ」というのは信之の言葉だが、最初に信之の暴力を誘発した美花は「暴力に暴力で返した者は、この世界には居られないのかも」とつぶやいたりもする。美花は周囲の男を手玉に取るという能力を駆使して生き残ってきた。それでも「あの日以来、何も感じないの」と語るなど、その表情には壊れたようなところもあり、輔や信之と同じように死に近いところにいるのかもしれない。
 ラストシーンでは家のなかを突き破るようにして大木が育っている様子が描かれる。ただそれだけのシーンなのだが人為的なものが滅び、自然が再び盛り返した“終末世界”のようにも感じられた。この作品の青白い“光”が導くところはそうした世界なのだろうか。

 怖いくらい冷たい目をした井浦新と、やけっぱちのように笑う瑛太のやりとりは緊張感があって見応えがあった。撲殺シーンでの効果音の使い方が結構怖くて、頭が潰れる音が一撃ごとに微妙に違ってくるように、断末魔のうめき声も悲痛さも増していくようだった。劇伴のテクノの使い方はかなり挑戦的な試みで、それがぴったりはまったかどうかは微妙なところだけれど、心意気はいいと思う。それから長谷川京子のラストの壊れた表情と、橋本マナミのおしりも見逃せない(ついでに言えば平田満のおしりもたっぷり拝める)。

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Date: 2017.11.29 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (2)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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