『東京難民』 “ネットカフェ難民”にならないために
原作は福澤徹三の同名小説。監督は『半落ち』『夕凪の街 桜の国』などの佐々部清。
今年2月に劇場公開され、今月17日からDVDがレンタル開始となった。

主人公の大学生・修(中村蒼)は、ある日、学生証が無効になっていることを知る。実は、父親は母親が死んだ後、フィリピン・パブの女にうつつを抜かし、息子への仕送りもほったらかしで、どこかへ失踪してしまっていたのだ。修は住んでいたマンションも追い出され、着の身着のままで東京の街を放浪することになる。
いわゆる“ネットカフェ難民”を主人公にした映画である。能天気な大学生が突然帰る場所を失い、ネットカフェで何とか雨露をしのぎながらの底辺の生活に堕ちてゆく。説明的な部分も多く、決してよく出来た映画とは思えないのだが、「明日は我が身」という点では色々と身につまされる部分もある。
この映画の主人公・修はちょっと間抜け過ぎて、全体にリアリティにも欠けるのだけれど、それは「何も知らないことほど強いものはなかった」と述懐する修を狂言回しにして、観客に底辺の生活という地獄巡りを案内する意図があるからだろう。原作者は様々な経験をしてきた人物のようで、そうした経験から得た情報が物語のなかに織り込まれて、何も知らない若者には有意義な情報提供となる映画かもしれない。
“ネットカフェ難民”にならないために知っておくべき情報も、親切に散りばめられている。たとえば修が住んでいたマンションの契約は賃貸借契約ではなく、部屋の鍵の利用権契約ということになっていること。これだと借主の権利を主張することもできず、追い出されるのはあっという間になるようだ。ほかにもティッシュ配りの極意とか、ホスト界での隠語とか、土工は誰でもできる仕事で時給が安いとか、それぞれの業界の豆知識も盛りだくさんとなっている。
※ 以下、ネタバレもあり。

修は“ネットカフェ難民”となったものの、ほとんど悲壮感もないままにその日暮らしの生活を始める。ティッシュ配りのバイトから始まって、次々と職を変えていく。治験、ホスト、土工と流れていき、結局はどこかの橋の下で、ブルーシートに覆われた掘っ立て小屋に仮住まいをするようになる。
這い上がるきっかけはあった。ただ修はそれを逃した。街で声を掛けられた瑠衣という女に騙され、治験で得た金をホストクラブで巻き上げられるのだ。それでもホストという道で成功を目指せばよかったのに、人の良さからか非情にもなりきれない(ホストの仕事は女から金をむしりとることだ)。そんなふうにして“ネットカフェ難民”からホームレスへと堕ちてゆくのだ。
瑠衣を演じているのは『桐島、部活やめるってよ』で、桐島の彼女というスクールカーストの頂点を演じていた山本美月。この映画の瑠衣は、街でカモを捕まえて、ホストクラブ代をたかるというビッチな役。借金をしたまま逃げ出して、ホストクラブの元締めに「風呂に沈められる(=ソープに売られる)」はずが、修の情けに救われる。(*1)
その代わりに酷い目を見たのは、地味な看護師だったのにホストの修に入れ込んでしまう茜。最後にはソープ嬢にまで堕ちる茜を、脱ぎっぷりもよく演じているのは大塚千弘で、役どころとしてはこっちのほうがおいしかったかもしれない。(*2)
茜はなぜか修にはまり、次第に分不相応な金額をつぎ込むようになる。茜は修を金で買うような形で結ばれる(茜は修を慈しむようにそれを楽しむ)のだが、そんな茜はラストでは金で買われる側に成り下がるのだ。ホームレスとなった修とソープ嬢となった茜の姿は、底辺の者同士が潰しあったり、傷を舐め合ったりしているといった構図で、どちらも人が良いだけにちょっとやるせない。
この『東京難民』で最も教訓的なのは、「金より大事なものがあるとか思ってんのか」というホストクラブの元締め・篤志(金子ノブアキ)の言葉だろう。この言葉は、修の先輩が「中国で運び屋をやる」という決意を語った後に発せられたもので、篤志には同じ仕事をしたいなどとぬかす修の甘さがどうにも腹立たしかったようだ。というのは、中国において麻薬所持で捕まることは死刑の可能性もあるからだ。
「金が大事」だからこそ、金のためには女を「風呂に沈める」ことも辞さない篤志は、人が良くても何も知らない修みたいな人間を慮ってくれているのかも(修はボコボコにされて多少は目が覚めただろう)。そんな意味でとても教訓的な映画なのだ。だって修が瑠衣を助けたりしなければ、茜はソープ嬢にはなかなかっただろうし……。修や茜みたいに人が良すぎたり、あまりに無知だったりすることは褒められたものではないようだ。
(*1) 山本美月はCMなんかにも出ているだけに、イメージダウンは避けたかったのだろうか? 逃げ帰った実家では、こたつに綿入れ半纏姿というかわいいところに収まっている。
(*2) ちなみに大塚千弘の妹さんは『シャニダールの花』に出ていた山下リオなんだとか。

今年2月に劇場公開され、今月17日からDVDがレンタル開始となった。

主人公の大学生・修(中村蒼)は、ある日、学生証が無効になっていることを知る。実は、父親は母親が死んだ後、フィリピン・パブの女にうつつを抜かし、息子への仕送りもほったらかしで、どこかへ失踪してしまっていたのだ。修は住んでいたマンションも追い出され、着の身着のままで東京の街を放浪することになる。
いわゆる“ネットカフェ難民”を主人公にした映画である。能天気な大学生が突然帰る場所を失い、ネットカフェで何とか雨露をしのぎながらの底辺の生活に堕ちてゆく。説明的な部分も多く、決してよく出来た映画とは思えないのだが、「明日は我が身」という点では色々と身につまされる部分もある。
この映画の主人公・修はちょっと間抜け過ぎて、全体にリアリティにも欠けるのだけれど、それは「何も知らないことほど強いものはなかった」と述懐する修を狂言回しにして、観客に底辺の生活という地獄巡りを案内する意図があるからだろう。原作者は様々な経験をしてきた人物のようで、そうした経験から得た情報が物語のなかに織り込まれて、何も知らない若者には有意義な情報提供となる映画かもしれない。
“ネットカフェ難民”にならないために知っておくべき情報も、親切に散りばめられている。たとえば修が住んでいたマンションの契約は賃貸借契約ではなく、部屋の鍵の利用権契約ということになっていること。これだと借主の権利を主張することもできず、追い出されるのはあっという間になるようだ。ほかにもティッシュ配りの極意とか、ホスト界での隠語とか、土工は誰でもできる仕事で時給が安いとか、それぞれの業界の豆知識も盛りだくさんとなっている。
※ 以下、ネタバレもあり。

修は“ネットカフェ難民”となったものの、ほとんど悲壮感もないままにその日暮らしの生活を始める。ティッシュ配りのバイトから始まって、次々と職を変えていく。治験、ホスト、土工と流れていき、結局はどこかの橋の下で、ブルーシートに覆われた掘っ立て小屋に仮住まいをするようになる。
這い上がるきっかけはあった。ただ修はそれを逃した。街で声を掛けられた瑠衣という女に騙され、治験で得た金をホストクラブで巻き上げられるのだ。それでもホストという道で成功を目指せばよかったのに、人の良さからか非情にもなりきれない(ホストの仕事は女から金をむしりとることだ)。そんなふうにして“ネットカフェ難民”からホームレスへと堕ちてゆくのだ。
瑠衣を演じているのは『桐島、部活やめるってよ』で、桐島の彼女というスクールカーストの頂点を演じていた山本美月。この映画の瑠衣は、街でカモを捕まえて、ホストクラブ代をたかるというビッチな役。借金をしたまま逃げ出して、ホストクラブの元締めに「風呂に沈められる(=ソープに売られる)」はずが、修の情けに救われる。(*1)
その代わりに酷い目を見たのは、地味な看護師だったのにホストの修に入れ込んでしまう茜。最後にはソープ嬢にまで堕ちる茜を、脱ぎっぷりもよく演じているのは大塚千弘で、役どころとしてはこっちのほうがおいしかったかもしれない。(*2)
茜はなぜか修にはまり、次第に分不相応な金額をつぎ込むようになる。茜は修を金で買うような形で結ばれる(茜は修を慈しむようにそれを楽しむ)のだが、そんな茜はラストでは金で買われる側に成り下がるのだ。ホームレスとなった修とソープ嬢となった茜の姿は、底辺の者同士が潰しあったり、傷を舐め合ったりしているといった構図で、どちらも人が良いだけにちょっとやるせない。
この『東京難民』で最も教訓的なのは、「金より大事なものがあるとか思ってんのか」というホストクラブの元締め・篤志(金子ノブアキ)の言葉だろう。この言葉は、修の先輩が「中国で運び屋をやる」という決意を語った後に発せられたもので、篤志には同じ仕事をしたいなどとぬかす修の甘さがどうにも腹立たしかったようだ。というのは、中国において麻薬所持で捕まることは死刑の可能性もあるからだ。
「金が大事」だからこそ、金のためには女を「風呂に沈める」ことも辞さない篤志は、人が良くても何も知らない修みたいな人間を慮ってくれているのかも(修はボコボコにされて多少は目が覚めただろう)。そんな意味でとても教訓的な映画なのだ。だって修が瑠衣を助けたりしなければ、茜はソープ嬢にはなかなかっただろうし……。修や茜みたいに人が良すぎたり、あまりに無知だったりすることは褒められたものではないようだ。
(*1) 山本美月はCMなんかにも出ているだけに、イメージダウンは避けたかったのだろうか? 逃げ帰った実家では、こたつに綿入れ半纏姿というかわいいところに収まっている。
(*2) ちなみに大塚千弘の妹さんは『シャニダールの花』に出ていた山下リオなんだとか。
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