『T2 トレインスポッティング』 同病相憐れむ?
1996年に公開された『トレインスポッティング』の20年ぶりの続編。
監督ダニー・ボイル、脚本ジョン・ホッジ、原作アーヴィン・ウェルシュ、そしてキャスト陣も前作の面々が顔を揃えている。

前作の彼らは本当にどうしようもない連中だった。イギリスの支配下にあるスコットランドを罵倒しつつ、そんな場所で生きていくための健全な選択としてヘロイン中毒となり、赤ん坊や仲間まで見殺しにしつつもすべてを忘れて酩酊状態に陥るというクズっぷり。それでいて語り部のレントンが腐れ縁の仲間たちを出し抜きクソまみれな状況から抜け出すというラストでは、ちょっとだけ希望を感じさせてしまうという不思議な作品だった。そして、センスのいい音楽とシャレたポスターのイメージで大ヒット作となった。
あれから20年、レントン(ユアン・マクレガー)はスコットランドへと戻ってくる。元シック・ボーイことサイモン(ジョニー・リー・ミラー)は恐喝まがいのことをしているし、スパッド(ユエン・ブレムナー)は妻と子供から見放され自殺まで図る(スパッドは前作でこっそり分け前をもらったのにかえって逆効果だったらしい)。さらには乱暴者のベグビー(ロバート・カーライル)は予想通り刑務所にいる。
20年ぶりのスコットランドには変わった部分もあるし、まったく変わっていない場所もある。けれども人は一様に歳をとるわけで、彼らは病気を抱えたり、頭髪が寂しくなったり、勃起不全に陥ったりで、要はみんなオヤジとなっている。しかし、ただ老けただけで立派な人間になったわけではなかったようだ。
一応は前作で亡くなった赤ん坊やトミーについても言及され、少しは悔恨の表情を見せるもののレントンとサイモンはヘロインに手を出すし、脱走したベグビーは息子を前に反省したりもするものの暴力衝動は抑えることができない。結局ほとんど成長してないというのが彼ららしいところだ。
一番ツボだったのはプロテスタントたちの集会に紛れ込んで盗みを働き、即興で「ノー・モア・カトリック」とぶちまけて喝采を浴びるというエピソード。町山智浩の解説によれば、この集会はユニオニストというイギリスとの統一を望む人たちの集まりとのこと。レントンは前作でもイギリスの子分となっているスコットランドについて愚痴っていたわけで、敵陣のなかに入り込んでそれをおちょくる毒気がいかにもイギリス映画っぽい。レントン役のユアン・マクレガーは『ムーラン・ルージュ』でも聴かせた歌声を披露して楽しませるし、ちょっと悪ノリの感もある編集もあって笑わせる場面になっている。


前作では語り部のレントンが「Choose your future. Choose life.」などと人生訓めいたものを語るところがあった。この台詞は麻薬撲滅キャンペーンとして使われていたものをレントンが冗談めかして使っていたものらしい。本作でもその2017年版とも言えるバージョンが登場することになる。
レントンの言葉はもちろん前作のほうが威勢がいい。というのは前作のときにレントンの目の前にあったのは「これからの人生」だったわけだが、本作においては「これまでの人生」を振り返ることになるからだ。様々な選択をしてきたあとで、その結果がどうにも惨めなものとなっただけに歯切れがよくないのだ。
それでもちょっとだけ救いがあったのは、そんなレントンの言葉がスパッドを立ち直らせるところだろうか。俺たちはヘロイン中毒だったけれど、誰でも何かに依存しているじゃないか。そんなレントンの開き直りは意外にも核心を突いていて、スパッドは自分たちの過去を小説にするという、ヘロインに代わる嗜癖(addiction)を見つけることになる。
考えてみれば誰にもそんなaddictionがあって、レントンたちにはもちろんヘロインがあり、ベグビーには暴力衝動があり、それが良くも悪くもその人の生きる糧になっていた。ほかにはサッカーに入れ込む人もいるだろうし、SNSにはまる人もいるし、仕事中毒という人だっているのかもしれない。そう言えばサイモンは前作のときはショーン・コネリーに夢中だったけど、本作ではそれは忘れられたようで、時代と共にaddictionも変わっていくのかもしれない。
前作を観たのは昨年閉館したシネマライズだったのかはちょっと思い出せない。20年も前となるとそんなものだろう。当時は渋谷にもよく行っていたのでシネマライズだったのかもしれないし、二番館の早稲田松竹とかギンレイホールとかの二本立てで観たのかもしれない。とにかく何とも懐かしい想いで4人の姿を追っていたのだけれど、それを観ている自分もあまり変わっていないということもまた感じることになり、身につまされるところもあった。
そのころから自分にとっては映画が一種のaddictionだったと思うのだけれど、今になってもこんなブログなんてやってみたりと、ほとんど成長もしないというのが何とも歯がゆい気分で、前作を観たときの高揚感とは別のものを感じざるを得なかったのだ。それでも『T2 トレインスポッティング』のちょっと苦々しい感じを嫌いになれないのは、やはりレントンやベグビーのように観る側の自分も歳をとったということで、同病相憐れむといった気持ちになるからなのだろう。
何だかんだと言いつつも前作を楽しんだ人は絶対に楽しめる作品になっているし、前作同様サントラも手に入れたくなることは間違いないと思う。








監督ダニー・ボイル、脚本ジョン・ホッジ、原作アーヴィン・ウェルシュ、そしてキャスト陣も前作の面々が顔を揃えている。

前作の彼らは本当にどうしようもない連中だった。イギリスの支配下にあるスコットランドを罵倒しつつ、そんな場所で生きていくための健全な選択としてヘロイン中毒となり、赤ん坊や仲間まで見殺しにしつつもすべてを忘れて酩酊状態に陥るというクズっぷり。それでいて語り部のレントンが腐れ縁の仲間たちを出し抜きクソまみれな状況から抜け出すというラストでは、ちょっとだけ希望を感じさせてしまうという不思議な作品だった。そして、センスのいい音楽とシャレたポスターのイメージで大ヒット作となった。
あれから20年、レントン(ユアン・マクレガー)はスコットランドへと戻ってくる。元シック・ボーイことサイモン(ジョニー・リー・ミラー)は恐喝まがいのことをしているし、スパッド(ユエン・ブレムナー)は妻と子供から見放され自殺まで図る(スパッドは前作でこっそり分け前をもらったのにかえって逆効果だったらしい)。さらには乱暴者のベグビー(ロバート・カーライル)は予想通り刑務所にいる。
20年ぶりのスコットランドには変わった部分もあるし、まったく変わっていない場所もある。けれども人は一様に歳をとるわけで、彼らは病気を抱えたり、頭髪が寂しくなったり、勃起不全に陥ったりで、要はみんなオヤジとなっている。しかし、ただ老けただけで立派な人間になったわけではなかったようだ。
一応は前作で亡くなった赤ん坊やトミーについても言及され、少しは悔恨の表情を見せるもののレントンとサイモンはヘロインに手を出すし、脱走したベグビーは息子を前に反省したりもするものの暴力衝動は抑えることができない。結局ほとんど成長してないというのが彼ららしいところだ。
一番ツボだったのはプロテスタントたちの集会に紛れ込んで盗みを働き、即興で「ノー・モア・カトリック」とぶちまけて喝采を浴びるというエピソード。町山智浩の解説によれば、この集会はユニオニストというイギリスとの統一を望む人たちの集まりとのこと。レントンは前作でもイギリスの子分となっているスコットランドについて愚痴っていたわけで、敵陣のなかに入り込んでそれをおちょくる毒気がいかにもイギリス映画っぽい。レントン役のユアン・マクレガーは『ムーラン・ルージュ』でも聴かせた歌声を披露して楽しませるし、ちょっと悪ノリの感もある編集もあって笑わせる場面になっている。


前作では語り部のレントンが「Choose your future. Choose life.」などと人生訓めいたものを語るところがあった。この台詞は麻薬撲滅キャンペーンとして使われていたものをレントンが冗談めかして使っていたものらしい。本作でもその2017年版とも言えるバージョンが登場することになる。
レントンの言葉はもちろん前作のほうが威勢がいい。というのは前作のときにレントンの目の前にあったのは「これからの人生」だったわけだが、本作においては「これまでの人生」を振り返ることになるからだ。様々な選択をしてきたあとで、その結果がどうにも惨めなものとなっただけに歯切れがよくないのだ。
それでもちょっとだけ救いがあったのは、そんなレントンの言葉がスパッドを立ち直らせるところだろうか。俺たちはヘロイン中毒だったけれど、誰でも何かに依存しているじゃないか。そんなレントンの開き直りは意外にも核心を突いていて、スパッドは自分たちの過去を小説にするという、ヘロインに代わる嗜癖(addiction)を見つけることになる。
考えてみれば誰にもそんなaddictionがあって、レントンたちにはもちろんヘロインがあり、ベグビーには暴力衝動があり、それが良くも悪くもその人の生きる糧になっていた。ほかにはサッカーに入れ込む人もいるだろうし、SNSにはまる人もいるし、仕事中毒という人だっているのかもしれない。そう言えばサイモンは前作のときはショーン・コネリーに夢中だったけど、本作ではそれは忘れられたようで、時代と共にaddictionも変わっていくのかもしれない。
前作を観たのは昨年閉館したシネマライズだったのかはちょっと思い出せない。20年も前となるとそんなものだろう。当時は渋谷にもよく行っていたのでシネマライズだったのかもしれないし、二番館の早稲田松竹とかギンレイホールとかの二本立てで観たのかもしれない。とにかく何とも懐かしい想いで4人の姿を追っていたのだけれど、それを観ている自分もあまり変わっていないということもまた感じることになり、身につまされるところもあった。
そのころから自分にとっては映画が一種のaddictionだったと思うのだけれど、今になってもこんなブログなんてやってみたりと、ほとんど成長もしないというのが何とも歯がゆい気分で、前作を観たときの高揚感とは別のものを感じざるを得なかったのだ。それでも『T2 トレインスポッティング』のちょっと苦々しい感じを嫌いになれないのは、やはりレントンやベグビーのように観る側の自分も歳をとったということで、同病相憐れむといった気持ちになるからなのだろう。
何だかんだと言いつつも前作を楽しんだ人は絶対に楽しめる作品になっているし、前作同様サントラも手に入れたくなることは間違いないと思う。
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