『インヒアレント・ヴァイス』 監督PTA×原作ピンチョンのアメリカ史

 『マグノリア』『ブギーナイツ』ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作。
 原作はトマス・ピンチョン『LAヴァイス』で、ピンチョン作品の映画化は初めてとのこと。私自身は昔『スロー・ラーナー』という短編集だけは読んだが、“エントロピー”という言葉を知った以外はまったく記憶にない(そのくらいよくわからなかった)。

ポール・トーマス・アンダーソン 『インヒアレント・ヴァイス』 ホアキン・フェニックス演じるドックの風貌も70年代風。


 主人公の私立探偵ドック(ホアキン・フェニックス)の元にかつての女シャスタ(キャサリン・ウォーターストン)が訪ねてくる。シャスタはドックに助けを乞う。シャスタは愛人ミッキー・ウルフマンを誘拐するという陰謀に巻き込まれようとしているのだという。ドックは調査に乗り出すのだが……。

 一応は探偵ものの映画として進んでいくのだが、事件の全貌はまったくわからない。あやしい人物が登場しては去っていくのだが、謎は深まるばかりだし事件の解決もあやふやなままなのだ。
 同じく探偵ものの『ロング・グッバイ』(レイモンド・チャンドラー原作/ロバート・アルトマン監督)の物語の構造を、村上春樹「seek and find」だと要約していた。そして、「見つかったものは変質している」とも。
 一方で『インヒアレント・ヴァイス』では、ドックは何も見つけることができなかったし、世界自体も何も変わらない。すべてはマリファナで朦朧とした頭が生み出した幻覚だったように見えなくもない。シャスタはドックを事件に誘い込んだあとは失踪し、結局、何食わぬ顔で戻ってくる。ドックのしたことと言えば、事件の全貌のなかではごく小さなことだけなのだ(オーウェン・ウィルソン演じるコーイ・ハーリンゲンの家族を救っただけ)。

 音楽を担当しているのはジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)だが、不協和音を響かせていた『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』の重厚な印象とは変わり、“グルービー”な70年代のポップスを選曲している(坂本九の「スキヤキ」なんかも登場する)。凍ったチョコバナナをしゃぶるビッグフット警部補(ジョシュ・ブローリン)とか、歯科医(マーティン・ショート)などコメディ的な要素も多いが、それが爆笑というよりもグダグダした感に終始するのはマリファナがダウナー系のドラッグだからなのだろう。



 時代は1970年代。この作品のエピローグでは「舗道の敷石の下はビーチ! (一九六八年五月、パリの落書きより)」という言葉が示されている。“革命”を目指した学生たちは権力に対して敷石をはがして投げつけたらしい。その下には“自由”な砂浜が広がっていると信じて。
 マリファナとかヒッピーみたいなカウンターカルチャーと呼ばれるものも、それまでの文化に代わる何かとして位置づけられていたということなのだろう(ドラッグによって「知覚の扉」が開かれるみたいなこと)。その後に生まれた者としては、政治的な状況を抜きにしたものとしてそれらの文化を受け取っているわけだけれど……。
 そんな意味でもこの作品は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』とは別のアメリカ史を描いているとも言える。不動産屋であるミッキー・ウルフマンが土地を買い占めると、その度にその土地を追われるネイティブ・アメリカンが存在する。麻薬組織を牛耳っていると思われる「黄金の牙」は、アメリカ近くの海に停泊する船として存在していて虎視眈々と何かを狙っている(『ザ・マスター』でも船は重要な要素だったと思う)。その一方でシャスタが“インヒアレント・ヴァイス”つまり「内在する欠陥」とされるのは、アメリカ内部にそうした欠陥が含まれているということなのだろう。
 ラストではドックとシャスタが車でどこかへと向かっている。ふたりの顔には時折やさしい光が射しこんでくるのだが、周囲の様子はまったく見えず彼らがどこに向かおうとしているのかは判然としない。ここにはその後のアメリカの姿を見て取ることができるのだろうと思う。

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Ost: Inherent Vice


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Date: 2015.05.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

PTA監督作 『ザ・マスター』 教祖と信者の主従関係だけでは終わらない

 ポール・トーマス・アンダーソン監督(以下PTA)がヴェネチア国際映画祭で監督賞(銀獅子賞)を受賞した作品。アカデミー賞では監督賞にも作品賞にもノミネートされておらず、一部には批判の声もあるようだ。映画評論家の森直人「作品のボルテージは極めて高い。むしろ前人未到の創造性が規格外に映ったのではないか」と評している。(参考1)

『ザ・マスター』 ポール・トーマス・アンダーソン監督

 第二次世界大戦の終わり、兵役であやしげな自作カクテルでアルコール依存症となって帰還したフレディ(ホアキン・フェニックス)。フレディの母親は精神病院にいるらしく、フレディ自身も病的な様子をしている。極端な猫背はある種の障害にすら見えるし、年齢は若いはずだがやせこけて顔に刻まれたシワも深い。地元デパート内の写真館で勤務するが長続きしない。次にキャベツ畑での収穫作業に従事するが、自作のカクテルで仲間を前後不覚に陥らせて逃げ出すはめになる。たまたま逃げ込んだ先で出会ったのが、新興宗教の教祖マスターであるドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)だった。

◆ 宗教と社会
 不協和音とともに始まる冒頭、海原を進む船が生み出す渦が捉えられる。青とエメラルドが交じったような鮮やかな場面は三度登場する。この海の場面は、社会から逃げ出した(あるいは放逐された)人が見た、社会以外の何かを象徴しているようにも思える。
 フレディは人を殺したかもしれないと思い、キャベツ畑を疾走して社会から逃亡を図る。そして、同じように社会からの攻撃を逃れるため、その土地を離れようとしていた教団の船に紛れ込む。不安定なフレディの内面を象徴するかのような不協和音を響かせていた音楽は、ここで船の上から聴こえてくる楽しげなダンスの伴奏と交じり合う。(*1)
 社会から攻撃を受ける新興宗教団体「ザ・コーズ」は、地上を離れた海の上では信仰を同じくする者の連帯をつくりあげている。しかし、たどり着いた新天地では、周囲の社会には部外者もいるからトラブルが生じることになるだろう。

 常識的な社会からは逸脱したフレディは、その新興宗教のなかでは一時的であるが居場所を見つける。それはマスター(ドッド)に対する信頼がすべてであって、フレディが一般的な社会性を身につけたわけではない。マスターを批判する敵には暴力をふるうような反社会的振舞いは、社会のなかでも一定の地位を築きたいマスターの望むものではない。だが、マスターはフレディを見棄てない。
 以前に取り上げた『汚れなき祈り』でも似たような構図があった。『汚れなき祈り』では、その国の多数派である正教会であったが、教会の場所は街から離れた丘の上だった。社会から離れた場所にあって、社会からこぼれてしまった人の受け皿になっていたのが正教会だった。だから異物であるアリーナを神父は見棄てなかった(それは酷い結果を招いたが)。
 『ザ・マスター』でも、マスター以外の周囲は、フレディを恐れている。マスターの妻はフレディに目標を見出すことを勧め、暗に教団から出ていく方向に導こうとする。また夫には直接的に教団を守るためにフレディの排除を求める。(*2)だが、マスターはフレディを見棄てない。それは宗教的な信念ばかりではないようだ。
 ドッドは教祖だが人格者というわけではなく、自らの教えに疑いを抱く者に対しては容赦なく叱責を加えもする人間である。ただフレディはマスターに対する信頼を最後まで失っていない。だからマスターはフレディを見棄てないとも言えるだろう。しかし、ふたりの関係はそうした信頼ばかりでもないようだ。

フレディ(ホアキン・フェニックス)とマスター(フィリップ・シーモア・ホフマン)

教祖マスターと信者の主従関係
 マスター(ドッド)が掲げる宗教はサイエントロジーという実在の宗教がモデルとなっている。プロセシングという手法は自己啓発みたいなものだが、マスターの矢継ぎ早の質問にフレディが即座に答えていくことで、次第に嘘もつけないような状況に追い込まれ、自らの過去について素直に語りだすことになる。PTAは狭い船室でのふたりのやりとりを、クローズアップと切り返しを多用してじっくりと見せる。主役ふたりの演技は凄みをもって迫ってくる。
 最初はフレディの単なる興味から始まった行為だったが、マスターの手腕はフレディのトラウマを想起させ、儀式を経たあとフレディは涙を流す。マスターに帰依する心が生じた瞬間だろう。

 PTAの映画では様々な父子的関係が描かれている。『ザ・マスター』でも、父と子のような“教祖と信者”の関係がある。教団のなかでは当然マスターが指導者であるが、見た目ではマスターは肉付きがよく若々しく、フレディは老人のような風貌でもあり、単純な父子的関係ではない。マスターはフレディに対し「悪い奴」だとか「(霊的存在である人間と比べ下等な)動物」であると評しながら、一方では「お前は自由だな」と羨望の眼差しを向けたりもする。なかなかやっかいな関係だ。
 フレディはマスターへの信頼の故に、マスターの敵には容赦ないが、その刃がマスターに向かうときもある。留置所での場面だ。フレディはマスターに対する疑念を告白するが、マスターは聞き入れず罵りあいに発展する。「お前の子供だって疑っている」とフレディはマスターにぶちまける。しかしマスターはこう返す。「おれだけがお前を好きなんだぞ」。ここでは主従が逆転している。マスターがフレディを支えているのだ。
 フレディは教祖であるドッドを信頼している。教祖は信者が支持者であり、支持者がいなければ存在意義がない。だから教祖にとっては支持者が命綱だ。信者であるフレディがマスターを支持しなければ、マスターの地位にはいられなくなる。ここでは関係が逆転しかけている。それでもマスターにはほかに多くの支持者がいる。フレディが居なくてもその存在は揺らがないはずだ。それに対してフレディの支持者はマスターだけだ。だからマスターを疎かにできないし、マスターに対する信頼を手放すわけにはいかない。こうして一時は逆転しようとした主従関係は元通りになる。(*3)
 しかし、PTAの構想するふたりの関係は、そんな主従の関係ばかりではないようだ。(*4)マスター(ドッド)が掲げる宗教では輪廻転生が謳われている。ラストでふたりは別れることになるが、来世での再会を誓う。そのときフレディはドッドの敵となるだろうとも予言されている。だから、例えばPTAの前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で描かれた男同士の確執のような関係も、『ザ・マスター』での信頼関係も、ふたりの深い縁の別の現れ方に過ぎないのだろう。ただ人と人との濃密な関係がスクリーンに現れればいい、そんなことをPTAは考えているのかもしれない。
 前作では衝撃的なラストがあったが、『ザ・マスター』ではそれもない。フレディはマスターに出会うことで救われたかと言えば曖昧だし、悲劇が起きるわけでもない。フレディとマスターが出会い、そして別れただけとも言える。とても一般受けがいいとは思えないし、拷問と感じる人もいるだろうが、私は目を瞠ってふたりの演技に釘付けになった。

 ドッドがフレディに期待した「マスターのいない初めての人間」。これは難しい課題だろう。ドッドと別れたフレディは、バーで出会った女を相手にマスターの真似事をしている。恐らく新たなふたりの間でも主従関係を巡る闘争があるだろう。映画自体も冒頭の兵役時代のビーチの場面に戻って終わる。元の場所に戻ってしまうのだ。ここにも「マスターのいない初めての人間」の不可能性が表現されているのかもしれない。

(*1) 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でも不安を駆り立てる音を響かせたジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)が音楽を担当している。一定の秩序を保つ教団のなかに、異物であるフレディが不協和音と共に入り込むのだ。

(*2) マスターの妻ペギーは陰でマスターをも支配している。信者の女に手を出す悪い癖を知っているペギーは、夫の性的興奮を見て取ると自らの手技で夫の性欲も処理してしまう。教祖としての夫が世間の悪い噂の的にならないようコントロールしているのだ。

(*3) 「主人と奴隷の弁証法」などを思い浮かべることもできるだろう(私自身はどこかで聞きかじっただけだけれど)。

(*4) 別れの前に、マスターがフレディに向けて歌うのは『中国行きのスロウ・ボート』。その歌詞はどう読んでもラブ・ソングだ。と言ってもふたりの関係はホモセクシャルではないが……。

(参考1) 引用元はこちら


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ポール・トーマス・アンダーソンの作品
Date: 2013.04.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)
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