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『ドント・ウォーリー』 Don't Worry, Be Happy

 『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』『追憶の森』などのガス・ヴァン・サントの最新作。
 この作品はロビン・ウィリアムズが『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』公開時から映画化を構想していたものとのこと。
 原題は「Don't Worry, He Won't Get Far on Foot」

ガス・ヴァン・サント 『ドント・ウォーリー』 ジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は車椅子の漫画家だ。

 『ドント・ウォーリー』はジョン・キャラハンという実在の漫画家の伝記映画である。彼は車椅子に乗った障害者でありながら、そのユーモアで風刺漫画家として成功した人物。映画の冒頭では、その成功の証しでもあるかのように、ジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)が講演会で語り出すところから始まっている。
 本作は彼のそれまでの人生を振り返っていくことになるのだが、時系列が整然としていないため取り留めのない印象も受ける。ただ、これには理由がありそうだ。というのはキャラハンの人生を順に追っていったとしたら、かなり精神的にキツい作品にならざるを得ないからだ。キャラハンは重度のアルコール中毒者であり、加えて中途障害者でもある。そこから立ち直るのは苦難の道であり、それを順に追い続けたとするならば観客にとっても耐え難い作品になったかもしれない。
 そもそも本作が映画化されたきっかけは、ロビン・ウィリアムズがそれを望んだから。ロビン・ウィリアムズは友人であるクリストファー・リーヴのために本作を作りたかったらしい(ふたりは学生時代からの友人とのこと)。『スーパーマン』の主役として活躍したクリストファー・リーヴは落馬事故で車椅子生活となってしまったわけで、そんな友人を励ますためだとするならば、本作は苦難の克服だけではない希望に満ちた作品にしなければならないということなのだろう。
 その後、ロビン・ウィリアムズはうつ病の影響で自殺してしまうことになったわけだが、その遺志を受け継いだガス・ヴァン・サントは、本作をとても前向きなものにするために時系列を操作しているものと思われる。

『ドント・ウォーリー』 原題ともなっている漫画。日本語訳では「心配するな、彼は遠くまで行けないんだから」。

 キャラハンは何よりまずアル中であり、その酷い生活が彼を障害者にしてしまう。その後は障害の克服はもちろんだが、アル中の克服も必要ということで、キャラハンはAA(アルコール依存症患者の自助グループ)の会合に参加することになる。
 キャラハンはその会合で、ある女性に彼の自己憐憫を笑われる。実はその女性はアル中に加え、ガンとも闘っていたのだ。「苦しいのは自分だけ」という自己憐憫は通用しないことになり、キャラハンはその会合に居場所を見つけるのだ。
 AAの会合に出席している人はみんなアル中なのだが、それだけではなくほかにも何かを抱えている。主催者であり、キャラハンを断酒に導くことになるドニー(ジョナ・ヒル)は、ゲイでありエイズを患っていることが後に明らかになる。
 キャラハンはAAの会合に出席し、「12のステップ」をひとつずつクリアしていくことで少しずつ真っ当な人間になっていく。これまでの人生で謝罪しなければならない人に頭を下げ、障害を抱えることになった事故を起こしたデクスター(ジャック・ブラック)を赦し、過去の自分のことも受け入れ、酒を飲み始めた原因でもある彼を捨てた母親のことをも理解するようになるのだ。そうしてたどり着いたのが冒頭に出てきたような講演会での晴れ晴れしい表情ということになる。
 その時点から振り返ると、身体が不自由でなかった時代のほうがかえって暗黒時代のようにすら見えてくるのだ。だから本作は障害を描きつつも前向きなものを感じさせるのだ。

 かつてのキャラハンは、朝起きるとアルコールが切れないうちに酒屋に走るという生活だった。それは事故で一変することになる。車椅子での生活は不便だ。常に介助者が必要とされるからだ。ただ、このことは彼が立ち直ることに一役買っているようにも見える。
 というのも、AAの「12のステップ」では自分がアル中であることを認め、その後は「自分を超えた大きな力」に自らをゆだねなければならないとされる。車椅子での生活が常に誰かの介助を必要とするように、アル中から抜け出すにも自分の無力さを認め、謙虚に「自分を超えた大きな力」を求めることが必要なのだ。キャラハンは介助者がいなければ落ちた酒ビンを拾うことすらできないという状況のなかで、「自分を超えた大きな力」の一端を感じる。車椅子生活になったことが彼の成長のきっかけともなっているのだ。
 ジョン・キャラハンの漫画はブラックユーモアに溢れ、時に人を憤慨させたりもするけれど、同時に自分の障害すらも笑い飛ばしてしまうようなものだ。彼はアル中である自分を受け入れ、車椅子のまま誰よりも速く町を疾走し、ものすごい美人の彼女アヌー(ルーニー・マーラ)と共に人生を楽しんでいた。ここには希望を感じさせるものがある。

 AAの会合がなかなかおもしろい面子で、ソニック・ユースキム・ゴードンも顔を出している(観ているときはまったく気づかなかった)。重要な役柄と見せかけて何もしなかったウド・キアはかえって予想外だった。そして、ジョナ・ヒル演じるドニーが美しく描かれているのが印象的で、最後には聖人のように見えてきた。

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Date: 2019.05.09 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (1)

『ビューティフル・デイ』 望んだ自分にはなれなくて

 監督は『少年は残酷な弓を射る』などのリン・ラムジー
 原題は「You Were Never Really Here」
 カンヌ国際映画祭で男優賞(ホアキン・フェニックス)と脚本賞を獲得した作品。
 前回取り上げた『ファントム・スレッド』と同様に、音楽はジョニー・グリーンウッドが担当している。

『ビューティフル・デイ』 ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)とジョー(ホアキン・フェニックス)のふたり。

 売春組織から少女を救い出す仕事を請け負って生計を立てているジョー(ホアキン・フェニックス)。過去のトラウマで自殺願望を抱くジョーは、ビニールを被り呼吸困難に自らを追いやるなど死に囚われた状態にある。それでも仕事をこなしているのは、老いた母(ジュディス・ロバーツ)がいるからで、母の存在だけがジョーをこの世に引き止めている。
 断片的な映像からはジョーの過去に何があったのかを詳細に知ることは難しい。父親からの虐待や、軍人だったころの悲惨な光景、そんな場面が度々ジョーを襲っては苦しめている。この作品の原題は「You Were Never Really Here(あなたはここにいなかった)」であり、この言葉の指すものはジョーの置かれた状況ということだろう。ジョーは自殺願望で今そこに居ながらも、あの世を見ているようでもあるからだ。「心ここにあらず」というやつだろう。
 そして、ジョーが助けることになるニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)という少女も似たような立場にある。ニーナは売春組織に売られ酷い目に遭ったのか、ジョーがそこから救い出してもほとんど茫然自失の状態にあるのだ。

『ビューティフル・デイ』 ジョーは母親を殺した男を痛め付けるのだが……。

 物語は助けたニーナを巡ってさらに血生臭い事態へと展開していくことになるのだが、監督リン・ラムジーが狙っているのは少女を助けるヒロイズムとか暴力描写にあるのではないようだ。
 妙に印象に残るシーンがある。一度は助けたニーナはある男たちに奪い返され、ジョーの自宅では彼の母親も殺害されている。ジョーは母親を殺した男を問い詰めてニーナの居場所を吐かせることになるのだが、その場面がちょっと変わっている。
 というのも、ジョーが男を残酷な方法で殺し、仇討ちをするわけではないからだ。この場面ではラジオから流れる「I've Never Been to Me」という曲を男が口ずさみつつ、ジョーの手を握りながら死んでいくのだ。
 この曲は日本では「愛はかげろうのように」というタイトルで知られているもの。その歌詞は、夢のような生活をしたこともある女性が自らの過去を振り返って、それでも「本当のわたしにはなったことがない」と語るものだ。意訳をすれば、望んだ自分にはなれなかったということになるだろう。この歌詞が死んでいく男の気持ちを代弁しているのは言うまでもない。
 死んでいく男は、ニーナを食い物にする大物政治家の依頼で仕事をしたものの、そのために自分が死ぬ羽目になる。少女を自分のものにしたいがためにあらゆる手段を使うおぞましい人間のために、なぜ自分が死ななければならないのか。そんな虚しさが「I've Never Been to Me」の歌詞と通じているわけで、その男がジョーの手を握ったのは、ジョーの置かれた状況(「You Were Never Really Here」)を察したからなのだろう。誰もがままならない人生を歩んでいるという部分で共通しているのだ。

 この作品のラストには、一応「一筋の光」のようなものが見出せるのかもしれない。それは前作『少年は残酷な弓を射る』でも同様だった。ただ、ラストの「一筋の光」のほうに重きがあるようには思えないのだ。というのも、『少年は残酷な弓を射る』も『ビューティフル・デイ』も、全体的には圧倒的に嫌な気持ちになる作品だからだ。
 この作品の日本版のタイトルは「ビューティフル・デイ」となっていて、これはニーナが外の景色を見てつぶやいた一言だ。それはあまりに唐突と言えば唐突で、逆説的な意味合いとも感じられた。たとえば「死ぬにはいい天気ね」とでも言っているかのように……。最後に「一筋の光」を見せているようでいて、そこまでの真っ暗闇を描きたかったというのがリン・ラムジーの本音なんじゃないだろうか。この暗さがちょっとクセになる。



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Date: 2018.06.07 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (2)

『インヒアレント・ヴァイス』 監督PTA×原作ピンチョンのアメリカ史

 『マグノリア』『ブギーナイツ』ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作。
 原作はトマス・ピンチョン『LAヴァイス』で、ピンチョン作品の映画化は初めてとのこと。私自身は昔『スロー・ラーナー』という短編集だけは読んだが、“エントロピー”という言葉を知った以外はまったく記憶にない(そのくらいよくわからなかった)。

ポール・トーマス・アンダーソン 『インヒアレント・ヴァイス』 ホアキン・フェニックス演じるドックの風貌も70年代風。


 主人公の私立探偵ドック(ホアキン・フェニックス)の元にかつての女シャスタ(キャサリン・ウォーターストン)が訪ねてくる。シャスタはドックに助けを乞う。シャスタは愛人ミッキー・ウルフマンを誘拐するという陰謀に巻き込まれようとしているのだという。ドックは調査に乗り出すのだが……。

 一応は探偵ものの映画として進んでいくのだが、事件の全貌はまったくわからない。あやしい人物が登場しては去っていくのだが、謎は深まるばかりだし事件の解決もあやふやなままなのだ。
 同じく探偵ものの『ロング・グッバイ』(レイモンド・チャンドラー原作/ロバート・アルトマン監督)の物語の構造を、村上春樹「seek and find」だと要約していた。そして、「見つかったものは変質している」とも。
 一方で『インヒアレント・ヴァイス』では、ドックは何も見つけることができなかったし、世界自体も何も変わらない。すべてはマリファナで朦朧とした頭が生み出した幻覚だったように見えなくもない。シャスタはドックを事件に誘い込んだあとは失踪し、結局、何食わぬ顔で戻ってくる。ドックのしたことと言えば、事件の全貌のなかではごく小さなことだけなのだ(オーウェン・ウィルソン演じるコーイ・ハーリンゲンの家族を救っただけ)。

 音楽を担当しているのはジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)だが、不協和音を響かせていた『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』の重厚な印象とは変わり、“グルービー”な70年代のポップスを選曲している(坂本九の「スキヤキ」なんかも登場する)。凍ったチョコバナナをしゃぶるビッグフット警部補(ジョシュ・ブローリン)とか、歯科医(マーティン・ショート)などコメディ的な要素も多いが、それが爆笑というよりもグダグダした感に終始するのはマリファナがダウナー系のドラッグだからなのだろう。



 時代は1970年代。この作品のエピローグでは「舗道の敷石の下はビーチ! (一九六八年五月、パリの落書きより)」という言葉が示されている。“革命”を目指した学生たちは権力に対して敷石をはがして投げつけたらしい。その下には“自由”な砂浜が広がっていると信じて。
 マリファナとかヒッピーみたいなカウンターカルチャーと呼ばれるものも、それまでの文化に代わる何かとして位置づけられていたということなのだろう(ドラッグによって「知覚の扉」が開かれるみたいなこと)。その後に生まれた者としては、政治的な状況を抜きにしたものとしてそれらの文化を受け取っているわけだけれど……。
 そんな意味でもこの作品は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』とは別のアメリカ史を描いているとも言える。不動産屋であるミッキー・ウルフマンが土地を買い占めると、その度にその土地を追われるネイティブ・アメリカンが存在する。麻薬組織を牛耳っていると思われる「黄金の牙」は、アメリカ近くの海に停泊する船として存在していて虎視眈々と何かを狙っている(『ザ・マスター』でも船は重要な要素だったと思う)。その一方でシャスタが“インヒアレント・ヴァイス”つまり「内在する欠陥」とされるのは、アメリカ内部にそうした欠陥が含まれているということなのだろう。
 ラストではドックとシャスタが車でどこかへと向かっている。ふたりの顔には時折やさしい光が射しこんでくるのだが、周囲の様子はまったく見えず彼らがどこに向かおうとしているのかは判然としない。ここにはその後のアメリカの姿を見て取ることができるのだろうと思う。

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Date: 2015.05.06 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)

PTA監督作 『ザ・マスター』 教祖と信者の主従関係だけでは終わらない

 ポール・トーマス・アンダーソン監督(以下PTA)がヴェネチア国際映画祭で監督賞(銀獅子賞)を受賞した作品。アカデミー賞では監督賞にも作品賞にもノミネートされておらず、一部には批判の声もあるようだ。映画評論家の森直人「作品のボルテージは極めて高い。むしろ前人未到の創造性が規格外に映ったのではないか」と評している。(参考1)

『ザ・マスター』 ポール・トーマス・アンダーソン監督

 第二次世界大戦の終わり、兵役であやしげな自作カクテルでアルコール依存症となって帰還したフレディ(ホアキン・フェニックス)。フレディの母親は精神病院にいるらしく、フレディ自身も病的な様子をしている。極端な猫背はある種の障害にすら見えるし、年齢は若いはずだがやせこけて顔に刻まれたシワも深い。地元デパート内の写真館で勤務するが長続きしない。次にキャベツ畑での収穫作業に従事するが、自作のカクテルで仲間を前後不覚に陥らせて逃げ出すはめになる。たまたま逃げ込んだ先で出会ったのが、新興宗教の教祖マスターであるドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)だった。

◆ 宗教と社会
 不協和音とともに始まる冒頭、海原を進む船が生み出す渦が捉えられる。青とエメラルドが交じったような鮮やかな場面は三度登場する。この海の場面は、社会から逃げ出した(あるいは放逐された)人が見た、社会以外の何かを象徴しているようにも思える。
 フレディは人を殺したかもしれないと思い、キャベツ畑を疾走して社会から逃亡を図る。そして、同じように社会からの攻撃を逃れるため、その土地を離れようとしていた教団の船に紛れ込む。不安定なフレディの内面を象徴するかのような不協和音を響かせていた音楽は、ここで船の上から聴こえてくる楽しげなダンスの伴奏と交じり合う。(*1)
 社会から攻撃を受ける新興宗教団体「ザ・コーズ」は、地上を離れた海の上では信仰を同じくする者の連帯をつくりあげている。しかし、たどり着いた新天地では、周囲の社会には部外者もいるからトラブルが生じることになるだろう。

 常識的な社会からは逸脱したフレディは、その新興宗教のなかでは一時的であるが居場所を見つける。それはマスター(ドッド)に対する信頼がすべてであって、フレディが一般的な社会性を身につけたわけではない。マスターを批判する敵には暴力をふるうような反社会的振舞いは、社会のなかでも一定の地位を築きたいマスターの望むものではない。だが、マスターはフレディを見棄てない。
 以前に取り上げた『汚れなき祈り』でも似たような構図があった。『汚れなき祈り』では、その国の多数派である正教会であったが、教会の場所は街から離れた丘の上だった。社会から離れた場所にあって、社会からこぼれてしまった人の受け皿になっていたのが正教会だった。だから異物であるアリーナを神父は見棄てなかった(それは酷い結果を招いたが)。
 『ザ・マスター』でも、マスター以外の周囲は、フレディを恐れている。マスターの妻はフレディに目標を見出すことを勧め、暗に教団から出ていく方向に導こうとする。また夫には直接的に教団を守るためにフレディの排除を求める。(*2)だが、マスターはフレディを見棄てない。それは宗教的な信念ばかりではないようだ。
 ドッドは教祖だが人格者というわけではなく、自らの教えに疑いを抱く者に対しては容赦なく叱責を加えもする人間である。ただフレディはマスターに対する信頼を最後まで失っていない。だからマスターはフレディを見棄てないとも言えるだろう。しかし、ふたりの関係はそうした信頼ばかりでもないようだ。

フレディ(ホアキン・フェニックス)とマスター(フィリップ・シーモア・ホフマン)

教祖マスターと信者の主従関係
 マスター(ドッド)が掲げる宗教はサイエントロジーという実在の宗教がモデルとなっている。プロセシングという手法は自己啓発みたいなものだが、マスターの矢継ぎ早の質問にフレディが即座に答えていくことで、次第に嘘もつけないような状況に追い込まれ、自らの過去について素直に語りだすことになる。PTAは狭い船室でのふたりのやりとりを、クローズアップと切り返しを多用してじっくりと見せる。主役ふたりの演技は凄みをもって迫ってくる。
 最初はフレディの単なる興味から始まった行為だったが、マスターの手腕はフレディのトラウマを想起させ、儀式を経たあとフレディは涙を流す。マスターに帰依する心が生じた瞬間だろう。

 PTAの映画では様々な父子的関係が描かれている。『ザ・マスター』でも、父と子のような“教祖と信者”の関係がある。教団のなかでは当然マスターが指導者であるが、見た目ではマスターは肉付きがよく若々しく、フレディは老人のような風貌でもあり、単純な父子的関係ではない。マスターはフレディに対し「悪い奴」だとか「(霊的存在である人間と比べ下等な)動物」であると評しながら、一方では「お前は自由だな」と羨望の眼差しを向けたりもする。なかなかやっかいな関係だ。
 フレディはマスターへの信頼の故に、マスターの敵には容赦ないが、その刃がマスターに向かうときもある。留置所での場面だ。フレディはマスターに対する疑念を告白するが、マスターは聞き入れず罵りあいに発展する。「お前の子供だって疑っている」とフレディはマスターにぶちまける。しかしマスターはこう返す。「おれだけがお前を好きなんだぞ」。ここでは主従が逆転している。マスターがフレディを支えているのだ。
 フレディは教祖であるドッドを信頼している。教祖は信者が支持者であり、支持者がいなければ存在意義がない。だから教祖にとっては支持者が命綱だ。信者であるフレディがマスターを支持しなければ、マスターの地位にはいられなくなる。ここでは関係が逆転しかけている。それでもマスターにはほかに多くの支持者がいる。フレディが居なくてもその存在は揺らがないはずだ。それに対してフレディの支持者はマスターだけだ。だからマスターを疎かにできないし、マスターに対する信頼を手放すわけにはいかない。こうして一時は逆転しようとした主従関係は元通りになる。(*3)
 しかし、PTAの構想するふたりの関係は、そんな主従の関係ばかりではないようだ。(*4)マスター(ドッド)が掲げる宗教では輪廻転生が謳われている。ラストでふたりは別れることになるが、来世での再会を誓う。そのときフレディはドッドの敵となるだろうとも予言されている。だから、例えばPTAの前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で描かれた男同士の確執のような関係も、『ザ・マスター』での信頼関係も、ふたりの深い縁の別の現れ方に過ぎないのだろう。ただ人と人との濃密な関係がスクリーンに現れればいい、そんなことをPTAは考えているのかもしれない。
 前作では衝撃的なラストがあったが、『ザ・マスター』ではそれもない。フレディはマスターに出会うことで救われたかと言えば曖昧だし、悲劇が起きるわけでもない。フレディとマスターが出会い、そして別れただけとも言える。とても一般受けがいいとは思えないし、拷問と感じる人もいるだろうが、私は目を瞠ってふたりの演技に釘付けになった。

 ドッドがフレディに期待した「マスターのいない初めての人間」。これは難しい課題だろう。ドッドと別れたフレディは、バーで出会った女を相手にマスターの真似事をしている。恐らく新たなふたりの間でも主従関係を巡る闘争があるだろう。映画自体も冒頭の兵役時代のビーチの場面に戻って終わる。元の場所に戻ってしまうのだ。ここにも「マスターのいない初めての人間」の不可能性が表現されているのかもしれない。

(*1) 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でも不安を駆り立てる音を響かせたジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)が音楽を担当している。一定の秩序を保つ教団のなかに、異物であるフレディが不協和音と共に入り込むのだ。

(*2) マスターの妻ペギーは陰でマスターをも支配している。信者の女に手を出す悪い癖を知っているペギーは、夫の性的興奮を見て取ると自らの手技で夫の性欲も処理してしまう。教祖としての夫が世間の悪い噂の的にならないようコントロールしているのだ。

(*3) 「主人と奴隷の弁証法」などを思い浮かべることもできるだろう(私自身はどこかで聞きかじっただけだけれど)。

(*4) 別れの前に、マスターがフレディに向けて歌うのは『中国行きのスロウ・ボート』。その歌詞はどう読んでもラブ・ソングだ。と言ってもふたりの関係はホモセクシャルではないが……。

(参考1) 引用元はこちら


ザ・マスター [DVD]


ポール・トーマス・アンダーソンの作品
Date: 2013.04.17 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)
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Author:Nick
新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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