『ジュリエッタ』 言えなかったこととは何か?
『オール・アバウト・マイ・マザー』『私が、生きる肌』などのペドロ・アルモドバルの最新作。
原作はノーベル文学賞受賞者のアリス・マンローの短編作品。

マドリードでひとり暮らしをしているジュリエッタ(エマ・スアレス)は、恋人のロレンソとポルトガルで老いることを決断したところ。しかし、街角で会った知人に12年前に消えてしまった娘の話を聞くと、突然、ポルトガル行きを断念し……。
ジェリエッタはすでに中年を迎えていて残りの人生は別天地で過ごそうと考えている。しかし娘の消息を知るとその計画を中止する。恋人のロレンソ(ダリオ・グランディネッティ)は理解ある男でジュリエッタの過去に関して追求することはないのだが、彼に隠している何かがあるということだけはわかる。やがてジュリエッタはかつて自分が暮らしていた場所へと戻り、「今まで言えなかったすべてを話すわ」という言葉と共に娘へ宛てて日記を書き始める。
※ 以下、ネタバレもあり!

理解ある恋人との生活をふいにしてまですることが、娘アンティアへの日記を書くことだというのだから余程の秘密が語られるのではないかと推測させる。それから若い頃のジュリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)が登場し、娘の父親ショアン(ダニエル・グラオ)と出会うところから回想へと移行していく。彼女の半生はそれなりに波乱に満ちているのだが、娘に告白するべき秘密らしきことはない。「言えなかったすべて」というのは、一体何のことだったのだろうか?
問題となるのはアンティアの父親ショアンが漁に出て嵐に遭って死んでしまうところだろう。これは事故死なのだが、アンティアは父親の死の原因が母親ジュリエッタにあると考えている。後にわかることだが、お手伝いの女がアンティアに何かしらを吹き込んでジュリエッタを悪者に仕立てたのかもしれない。それでもジュリエッタ自身はそうしたことには気づいていないために、アンティアがなぜ姿を消したのかがわからない。秘密があるとすれば娘のアンティアのほうなのだから、ジュリエッタの日記には告白することなどあるはずもなく、ただ自分の過去を振り返るだけということになる。
ちなみにチラシでは若い女性が年老いた女性を労わるような構図になっているのだが、これは母と娘のふたりではなくてどちらもジュリエッタである。手前が年老いたジュリエッタ(エマ・スアレス)で、後ろにいるのが若い頃のジュリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)だ。ここには娘の存在はないわけで、結局は過去を振り返り、過去の自分に慰められているだけにも思える。
アルモドバルの作品では母と娘の関係は重要な要素となってくるわけだけれど、『ジュリエッタ』では娘のことは単なるきっかけにしか見えなかった。最後は今後の明るい展開を予想させるけれど、メインディッシュ前にディナーが終了してしまった感じで、胃がもたれるくらいのアルモドバルの諸作品と比べるとちょっと食い足りない。
ジュリエッタにギリシャ神話の講義をさせ、魔女めいたお手伝いの女(ロッシ・デ・パルマ)が予言らしき言葉をもらして宿命のようなものをほのめかしたり、なぜか自殺する男に遭遇して罪悪感に駆られたりもする。しかし、そうした主題が中途半端に浮かんでは消えていくばかりでまとまりに欠けたように思えた。強烈な色使いは健在だし、カッコいい女優陣の活躍は楽しめるのだけれど……。

原作はノーベル文学賞受賞者のアリス・マンローの短編作品。

マドリードでひとり暮らしをしているジュリエッタ(エマ・スアレス)は、恋人のロレンソとポルトガルで老いることを決断したところ。しかし、街角で会った知人に12年前に消えてしまった娘の話を聞くと、突然、ポルトガル行きを断念し……。
ジェリエッタはすでに中年を迎えていて残りの人生は別天地で過ごそうと考えている。しかし娘の消息を知るとその計画を中止する。恋人のロレンソ(ダリオ・グランディネッティ)は理解ある男でジュリエッタの過去に関して追求することはないのだが、彼に隠している何かがあるということだけはわかる。やがてジュリエッタはかつて自分が暮らしていた場所へと戻り、「今まで言えなかったすべてを話すわ」という言葉と共に娘へ宛てて日記を書き始める。
※ 以下、ネタバレもあり!

理解ある恋人との生活をふいにしてまですることが、娘アンティアへの日記を書くことだというのだから余程の秘密が語られるのではないかと推測させる。それから若い頃のジュリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)が登場し、娘の父親ショアン(ダニエル・グラオ)と出会うところから回想へと移行していく。彼女の半生はそれなりに波乱に満ちているのだが、娘に告白するべき秘密らしきことはない。「言えなかったすべて」というのは、一体何のことだったのだろうか?
問題となるのはアンティアの父親ショアンが漁に出て嵐に遭って死んでしまうところだろう。これは事故死なのだが、アンティアは父親の死の原因が母親ジュリエッタにあると考えている。後にわかることだが、お手伝いの女がアンティアに何かしらを吹き込んでジュリエッタを悪者に仕立てたのかもしれない。それでもジュリエッタ自身はそうしたことには気づいていないために、アンティアがなぜ姿を消したのかがわからない。秘密があるとすれば娘のアンティアのほうなのだから、ジュリエッタの日記には告白することなどあるはずもなく、ただ自分の過去を振り返るだけということになる。
ちなみにチラシでは若い女性が年老いた女性を労わるような構図になっているのだが、これは母と娘のふたりではなくてどちらもジュリエッタである。手前が年老いたジュリエッタ(エマ・スアレス)で、後ろにいるのが若い頃のジュリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)だ。ここには娘の存在はないわけで、結局は過去を振り返り、過去の自分に慰められているだけにも思える。
アルモドバルの作品では母と娘の関係は重要な要素となってくるわけだけれど、『ジュリエッタ』では娘のことは単なるきっかけにしか見えなかった。最後は今後の明るい展開を予想させるけれど、メインディッシュ前にディナーが終了してしまった感じで、胃がもたれるくらいのアルモドバルの諸作品と比べるとちょっと食い足りない。
ジュリエッタにギリシャ神話の講義をさせ、魔女めいたお手伝いの女(ロッシ・デ・パルマ)が予言らしき言葉をもらして宿命のようなものをほのめかしたり、なぜか自殺する男に遭遇して罪悪感に駆られたりもする。しかし、そうした主題が中途半端に浮かんでは消えていくばかりでまとまりに欠けたように思えた。強烈な色使いは健在だし、カッコいい女優陣の活躍は楽しめるのだけれど……。
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