『ミスター・ガラス』 ヒーローものなの?
『シックス・センス』などのM・ナイト・シャマランの最新作。
『スプリット』において最後に明かされたのは『アンブレイカブル』とのつながりだった。本作はその2作を受け継いだ完結篇的な位置づけとなっている。

『スプリット』では警察の捜査から姿をくらました多重人格者のケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)は、懲りずに悪事を繰り返している。それを察知したデイヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)は、ケヴィンの犯罪を阻止し、ふたりは対決することとなる。
ケヴィンの24番目の人格・ビーストとダンの肉弾戦が始まると、そこに横から介入する者が現れ、ふたりは身柄を拘束され病院へ収容される。そこにはミスター・ガラス(サミュエル・L・ジャクソン)がいて、三人が揃い踏みすることになるのだが……。
三人を預かることになったステイプル博士(サラ・ポールソン)の目的は、彼らの妄想を否定することだ。ステイプルの扱う専門分野は「自分のことをスーパー・ヒーローだと勘違いしているという精神病患者」ということになる。ステイプルは彼らの超人的な能力に対して難癖をつけ、この世界にはスーパー・ヒーローなんてものはないんだということを納得させようとする。
※ 以下、ネタバレもあり! ラストにも触れているので要注意!!

この作品のラストではビーストとダンの超人的な対決動画が拡散されることで、「どこかに眠っているかもしれないヒーローの可能性」というものに希望を抱かせ有終の美を飾る。しかし、この感動的とも言えるラストには違和感を覚えなくもなかった。ヒーロー礼讃がこの3部作の意図するところだったのかと疑問に感じたからだ。
『アンブレイカブル』はデイヴィッド・ダンというヒーローの誕生物語でありながら、最後はそれを見つけ出したミスター・ガラスの不遇な人生のほうを強烈に印象付けて終わっていた。というのは、自分がガラスのようにもろい身体を持って生まれてきたのには何かの意味があるはずだというミスター・ガラスの妄執は、自ら大惨事を引き起こして、自分とは正反対の壊れにくい(アンブレイカブル)な人間を見つけ出そうという傍迷惑なことにつながっていたからだ。
次の『スプリット』では、ケヴィンの別人格ビーストは「失意の者はより進化した者なのだ」とケイシー(アニヤ・テイラー=ジョイ)に語りかけていた。これは虐待の被害者であるケヴィンもケイシーも単なる弱者ではなく、そのまま別の可能性があるということであり、彼らはトラウマを背負っているが、そのことすらも意味のあることと捉えられることになるだろう。
さらに改めて『アンブレイカブル』に戻れば、フットボールのヒーローだったダンは、それをあきらめ警備員の仕事を続けていくことに虚しさを感じてもいて、ミスター・ガラスによってその能力を見出されたことで人生に意義を感じることになったのだった。
同じ主題は『ミスター・ガラス』でも繰り返されている。それはケヴィンの父親のエピソードだ。ケヴィンの父親は実は『アンブレイカブル』の冒頭で脱線した列車に乗っていたことが明らかになるのだ。夫を亡くしたケヴィンの母親はケヴィンを虐待するようになり、それによって別人格ビーストが誕生したことになる。そうなるとミスター・ガラスはダンだけでなく、ビーストも見出していたということになり、そのことで自分の存在に意義を感じて死んでいくことになったのだ。
しかし、本作では最後に「どこかに眠っているかもしれないヒーローの可能性」に希望を抱かせるようにして終わることになる。もちろん超人的な能力を有する人がいるとすれば喜ばしいことであり、ダンのような善意の存在ならばそれには文句のつけようがないはずだ。ただ、そうではない人もいるはずで、そちらのほうにアクセントが置かれていたのではなかったのだろうか。ヒーローという存在には意義があるのは当然だが、そうでない人たちにだって意義があるという部分だ。たとえばガラスのようにもろい身体を持って生まれてきたり、虐待の被害者でトラウマを抱えている人もいる。そんな「失意の者たちの人生にも意味がある」という点にこそ、アクセントが置かれるべきだったんじゃなかったのだろうか(『アンブレイカブル』『スプリット』の2作においてはそこの部分は共通していた)。
だからこそ、ヒーローの存在を世界に知らしめる部分は蛇足にも感じられたのだ(秘密結社の登場は唐突だったし)。『ミスター・ガラス』では特殊な能力の可能性というごく限られた人に向けてのものになってしまっていて、前2作で扱った主題を矮小化してしまったんじゃないだろうか。
とはいえシャマラン印の作品として楽しめたことも確かで、『アンブレイカブル』の少年がすっかり大人になって登場したり、『スプリット』でインパクトを残したアニヤ・テイラー=ジョイも脇役とは言え顔を出しているし、ジェームズ・マカヴォイの再びの七変化も見どころで、シャマラン・ファンはもちろん見逃せないことは言うまでもない。

『スプリット』において最後に明かされたのは『アンブレイカブル』とのつながりだった。本作はその2作を受け継いだ完結篇的な位置づけとなっている。

『スプリット』では警察の捜査から姿をくらました多重人格者のケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)は、懲りずに悪事を繰り返している。それを察知したデイヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)は、ケヴィンの犯罪を阻止し、ふたりは対決することとなる。
ケヴィンの24番目の人格・ビーストとダンの肉弾戦が始まると、そこに横から介入する者が現れ、ふたりは身柄を拘束され病院へ収容される。そこにはミスター・ガラス(サミュエル・L・ジャクソン)がいて、三人が揃い踏みすることになるのだが……。
三人を預かることになったステイプル博士(サラ・ポールソン)の目的は、彼らの妄想を否定することだ。ステイプルの扱う専門分野は「自分のことをスーパー・ヒーローだと勘違いしているという精神病患者」ということになる。ステイプルは彼らの超人的な能力に対して難癖をつけ、この世界にはスーパー・ヒーローなんてものはないんだということを納得させようとする。
※ 以下、ネタバレもあり! ラストにも触れているので要注意!!

この作品のラストではビーストとダンの超人的な対決動画が拡散されることで、「どこかに眠っているかもしれないヒーローの可能性」というものに希望を抱かせ有終の美を飾る。しかし、この感動的とも言えるラストには違和感を覚えなくもなかった。ヒーロー礼讃がこの3部作の意図するところだったのかと疑問に感じたからだ。
『アンブレイカブル』はデイヴィッド・ダンというヒーローの誕生物語でありながら、最後はそれを見つけ出したミスター・ガラスの不遇な人生のほうを強烈に印象付けて終わっていた。というのは、自分がガラスのようにもろい身体を持って生まれてきたのには何かの意味があるはずだというミスター・ガラスの妄執は、自ら大惨事を引き起こして、自分とは正反対の壊れにくい(アンブレイカブル)な人間を見つけ出そうという傍迷惑なことにつながっていたからだ。
次の『スプリット』では、ケヴィンの別人格ビーストは「失意の者はより進化した者なのだ」とケイシー(アニヤ・テイラー=ジョイ)に語りかけていた。これは虐待の被害者であるケヴィンもケイシーも単なる弱者ではなく、そのまま別の可能性があるということであり、彼らはトラウマを背負っているが、そのことすらも意味のあることと捉えられることになるだろう。
さらに改めて『アンブレイカブル』に戻れば、フットボールのヒーローだったダンは、それをあきらめ警備員の仕事を続けていくことに虚しさを感じてもいて、ミスター・ガラスによってその能力を見出されたことで人生に意義を感じることになったのだった。
同じ主題は『ミスター・ガラス』でも繰り返されている。それはケヴィンの父親のエピソードだ。ケヴィンの父親は実は『アンブレイカブル』の冒頭で脱線した列車に乗っていたことが明らかになるのだ。夫を亡くしたケヴィンの母親はケヴィンを虐待するようになり、それによって別人格ビーストが誕生したことになる。そうなるとミスター・ガラスはダンだけでなく、ビーストも見出していたということになり、そのことで自分の存在に意義を感じて死んでいくことになったのだ。
しかし、本作では最後に「どこかに眠っているかもしれないヒーローの可能性」に希望を抱かせるようにして終わることになる。もちろん超人的な能力を有する人がいるとすれば喜ばしいことであり、ダンのような善意の存在ならばそれには文句のつけようがないはずだ。ただ、そうではない人もいるはずで、そちらのほうにアクセントが置かれていたのではなかったのだろうか。ヒーローという存在には意義があるのは当然だが、そうでない人たちにだって意義があるという部分だ。たとえばガラスのようにもろい身体を持って生まれてきたり、虐待の被害者でトラウマを抱えている人もいる。そんな「失意の者たちの人生にも意味がある」という点にこそ、アクセントが置かれるべきだったんじゃなかったのだろうか(『アンブレイカブル』『スプリット』の2作においてはそこの部分は共通していた)。
だからこそ、ヒーローの存在を世界に知らしめる部分は蛇足にも感じられたのだ(秘密結社の登場は唐突だったし)。『ミスター・ガラス』では特殊な能力の可能性というごく限られた人に向けてのものになってしまっていて、前2作で扱った主題を矮小化してしまったんじゃないだろうか。
とはいえシャマラン印の作品として楽しめたことも確かで、『アンブレイカブル』の少年がすっかり大人になって登場したり、『スプリット』でインパクトを残したアニヤ・テイラー=ジョイも脇役とは言え顔を出しているし、ジェームズ・マカヴォイの再びの七変化も見どころで、シャマラン・ファンはもちろん見逃せないことは言うまでもない。
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