『フューリー』 わたしをそんなところに遣わせないでください。
ブラッド・ピットが製作総指揮と主演を務めた戦争映画。
『ウォールフラワー』でうぶな高校生役を演じていたローガン・ラーマンが、今回も戦場で成長していくノーマンを演じている。
監督には海兵隊出身だというデビッド・エアー(『エンド・オブ・ウォッチ』『サボタージュ』など)。

1945年4月、第二次世界大戦。5月には降伏するドイツ軍との最後の激闘さなかにある米軍。“フューリー”と名づけられた戦車を自らの家と考える主人公ウォーダディー(ブラッド・ピット)のもとに、先の戦闘で死んだレッドの代わりに、新米兵士ノーマン(ローガン・ラーマン)が配置されてくる。
戦争映画に詳しいわけではないからよくわからないけれど、戦車という存在は脇役でしかなかったような気もする(雑誌『映画秘宝』には「戦車映画」が特集されていたから、戦車が主役の映画もあるのだろう)。『プライベート・ライアン』では最後に印象的な使われ方をしていたものの、やはり脇役の扱いだった気がする。
この『フューリー』は戦車がメインとなる戦いが描かれていて、戦車が堂々と主役を張っていると言ってもいいくらいだった。そのくらい戦車バトルは迫力があった。というのも、この映画では本物の戦車を使用しているらしく、ほかの映画とは一線を画しているのだ。
特にドイツ軍のティーガー(タイガー)戦車というのは6輌しか現存していないそうで、しかも唯一走行可能なティーガー戦車を実際の撮影に使用している。町山智浩によれば、ティーガー戦車は米軍のシャーマン戦車が5台くらい束になって戦わないと敵わないくらい凄かったのだとか。
この映画でも中盤の見せ場で、ティーガー戦車とシャーマン戦車との壮絶な戦いが描かれている。本当の戦場を知るわけでもないけれど、やっぱり迫力があってスクリーンにくぎ付けになった。私には到底現実の戦場は無理そうで、映画の世界で本当によかったと思う。最初のほうに出てきたオレンジと緑のレーザーみたいなのは、閃光弾と言うらしい。ちょっとSFチックだが、本物なのだろうか?

この映画はノーマンの成長物語としてもある。銃ではなくタイプを打つ訓練をしてきた若者が、次第に“マシン”と呼ばれる兵士となっていく姿を追っていく。第二次大戦のころは、訓練もせずに実地で戦争を学ぶというシステムでやっていたらしく、ノーマンは最初まったく役に立たない。そのせいで子供のように幼いドイツ兵からの銃弾を受け、仲間を失うことになる。
ウォーダディーは「仕事をしろ」とノーマンを怒鳴りつけ、無理やりドイツ兵を殺させる通過儀礼を行う。そんな非人間的なことでもして、意識の変容をしないと普通の人が人殺しにはなれないということだろう。第二次大戦の米軍の発砲率は15~20%という話もあるようで、多くの兵士が敵を殺さないように狙いを外していたのだとか。
ベトナム戦争時にはこうした経験があればこそ、『フルメタル・ジャケット』の前半部に描かれたように、訓練で殺人マシンを作り出すシステムが出来上がったのだろう。その甲斐があってか、ベトナム戦争時の発砲率は格段に上がったのだとか。
『フューリー』という映画では、先ほどの“仕事”という言葉には、神から与えられた“天職”という意味が込められているかのように、兵士たちは神のことを話題にしている。ナチスが救われるか否かなんて話題も世間話として登場する。フューリーに乗る5人は、ドイツ兵を躊躇いなく殺す。しかし、それと同時に信心深い人間もなかにはいるのだ。
とりわけシャイア・ラブーフ演じるバイブルというキャラはそのいい例だ。ほかの仲間が肉塊となっていくところを目の当たりにし、それでもなぜか生き残っていくという体験は、バイブルの信仰心をさらに強固なものにしている。神に選ばれ、神から遣わされていると考えるからだ。
同じように生き残ってきたウォーダディーも、バイブルが諳んじた言葉をイザヤ書からのものだと理解するほど聖書に通じている。だから戦争という“天職”を与えられたからには、それが絶望的な仕事でも、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」というイザヤ書の言葉通り、与えられた職場に踏みとどまることになるわけだ。
とても感動的な場面ではあるけれど、あまりにヒロイックでちょっと鼻白む感もあった。冒頭ですでに死んでいたレッドは、顔のかけらが戦車内部にこびりつくというリアルさだったのに、ヒーローの死に様のきれいだったことといったらなかった。


『ウォールフラワー』でうぶな高校生役を演じていたローガン・ラーマンが、今回も戦場で成長していくノーマンを演じている。
監督には海兵隊出身だというデビッド・エアー(『エンド・オブ・ウォッチ』『サボタージュ』など)。

1945年4月、第二次世界大戦。5月には降伏するドイツ軍との最後の激闘さなかにある米軍。“フューリー”と名づけられた戦車を自らの家と考える主人公ウォーダディー(ブラッド・ピット)のもとに、先の戦闘で死んだレッドの代わりに、新米兵士ノーマン(ローガン・ラーマン)が配置されてくる。
戦争映画に詳しいわけではないからよくわからないけれど、戦車という存在は脇役でしかなかったような気もする(雑誌『映画秘宝』には「戦車映画」が特集されていたから、戦車が主役の映画もあるのだろう)。『プライベート・ライアン』では最後に印象的な使われ方をしていたものの、やはり脇役の扱いだった気がする。
この『フューリー』は戦車がメインとなる戦いが描かれていて、戦車が堂々と主役を張っていると言ってもいいくらいだった。そのくらい戦車バトルは迫力があった。というのも、この映画では本物の戦車を使用しているらしく、ほかの映画とは一線を画しているのだ。
特にドイツ軍のティーガー(タイガー)戦車というのは6輌しか現存していないそうで、しかも唯一走行可能なティーガー戦車を実際の撮影に使用している。町山智浩によれば、ティーガー戦車は米軍のシャーマン戦車が5台くらい束になって戦わないと敵わないくらい凄かったのだとか。
この映画でも中盤の見せ場で、ティーガー戦車とシャーマン戦車との壮絶な戦いが描かれている。本当の戦場を知るわけでもないけれど、やっぱり迫力があってスクリーンにくぎ付けになった。私には到底現実の戦場は無理そうで、映画の世界で本当によかったと思う。最初のほうに出てきたオレンジと緑のレーザーみたいなのは、閃光弾と言うらしい。ちょっとSFチックだが、本物なのだろうか?

この映画はノーマンの成長物語としてもある。銃ではなくタイプを打つ訓練をしてきた若者が、次第に“マシン”と呼ばれる兵士となっていく姿を追っていく。第二次大戦のころは、訓練もせずに実地で戦争を学ぶというシステムでやっていたらしく、ノーマンは最初まったく役に立たない。そのせいで子供のように幼いドイツ兵からの銃弾を受け、仲間を失うことになる。
ウォーダディーは「仕事をしろ」とノーマンを怒鳴りつけ、無理やりドイツ兵を殺させる通過儀礼を行う。そんな非人間的なことでもして、意識の変容をしないと普通の人が人殺しにはなれないということだろう。第二次大戦の米軍の発砲率は15~20%という話もあるようで、多くの兵士が敵を殺さないように狙いを外していたのだとか。
ベトナム戦争時にはこうした経験があればこそ、『フルメタル・ジャケット』の前半部に描かれたように、訓練で殺人マシンを作り出すシステムが出来上がったのだろう。その甲斐があってか、ベトナム戦争時の発砲率は格段に上がったのだとか。
『フューリー』という映画では、先ほどの“仕事”という言葉には、神から与えられた“天職”という意味が込められているかのように、兵士たちは神のことを話題にしている。ナチスが救われるか否かなんて話題も世間話として登場する。フューリーに乗る5人は、ドイツ兵を躊躇いなく殺す。しかし、それと同時に信心深い人間もなかにはいるのだ。
とりわけシャイア・ラブーフ演じるバイブルというキャラはそのいい例だ。ほかの仲間が肉塊となっていくところを目の当たりにし、それでもなぜか生き残っていくという体験は、バイブルの信仰心をさらに強固なものにしている。神に選ばれ、神から遣わされていると考えるからだ。
同じように生き残ってきたウォーダディーも、バイブルが諳んじた言葉をイザヤ書からのものだと理解するほど聖書に通じている。だから戦争という“天職”を与えられたからには、それが絶望的な仕事でも、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」というイザヤ書の言葉通り、与えられた職場に踏みとどまることになるわけだ。
とても感動的な場面ではあるけれど、あまりにヒロイックでちょっと鼻白む感もあった。冒頭ですでに死んでいたレッドは、顔のかけらが戦車内部にこびりつくというリアルさだったのに、ヒーローの死に様のきれいだったことといったらなかった。
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