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『ファースト・マン』 月までの推進力

 『ラ・ラ・ランド』『セッション』デイミアン・チャゼルの最新作。
 アポロ11号の月面着陸を成功させ、人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングを描いた作品。

デイミアン・チャゼル 『ファースト・マン』 ニール・アームストロング船長を演じるのはライアン・ゴズリング。

◆成功の裏側
 月面着陸と聞けば、誰もがアメリカが成し遂げた偉業だと刷り込まれていると思うのだが、当時から「そんな無駄なことに金を使うなんて」といった反対意見もあったようだ。しかし、今では反対意見は忘れ去られていったらしい。
 『ファースト・マン』では、その偉業を達成する前に犠牲となった多くの人々についても描かれている。莫大な予算を蕩尽しつつも簡単には成し遂げられない月面着陸という計画を、黒人たちは「俺は病院代を払えない。なのに白人は月に行く」と非難することにもなる(「whitey on the moon」という曲らしい)。
 その流れのなかで作家のカート・ヴォネガットも少しだけ顔を出していた。そう言えば、ヴォネガットは『タイタンの妖女』(1959年)の冒頭で宇宙開発のことを皮肉っていた。

 これらの不幸な手先(引用者注:宇宙開発のために送り出した先遣隊)が見出したものは、すでに地球上でもいやというほど見出されているもの――果てしない無意味さの悪夢だった。宇宙空間、無限の外界の報賞は、三つ――空虚な英雄趣味と、低俗な茶番と、そして無意味な死だった。


 ヴォネガットが言うように、人類史上初めて月面を歩いたニール・アームストロングは英雄として崇められることになったし、今では偉業の影で忘れられている“無意味な死”も多かった。宇宙開発の当事者たちは“無意味な死”とは言わないだろうが、ともかくも大きな犠牲が払われたことも確かなのだ。冷戦時代における国家の威信をかけた戦いだったのかもしれないのだが、同じことを再びやろうとしないのは、その犠牲があまりにも大きかったことの証左とも言えるのかもしれない。だからだろうか、アポロ11号という輝かしい成功を収めたミッションを描きつつも、本作はどこか陰鬱でもある。

『ファースト・マン』 ニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)と妻ジャネット(クレア・フォイ)。ジャネットはアポロ11号発射前に怒り狂う?

◆期待の若手デイミアン・チャゼルの最新作
 『セッション』『ラ・ラ・ランド』と立て続けに満足度の高い作品を世に送り出したデイミアン・チャゼルにしては、本作は評判があまり芳しくないようだ。『セッション』『ラ・ラ・ランド』が音楽を題材にしたすこぶる気分が高揚する作品だっただけに、陰鬱な雰囲気に戸惑ったということかもしれない。
 同じアポロ計画を題材とした『アポロ13』は、実際には月に着陸できなかった失敗したミッションであるにも関わらずエンターテインメント作品となっていたのと比べると、本作のアプローチは意外だったようにも思える。ただ、チャゼルは初めからエンターテインメントなどやる気はなかったようでもある。
 『アポロ13』のようなハラハラドキドキの展開のためには、客観的な情報が不可欠だろう。そのために『アポロ13』では宇宙船を外から見た描写が度々挟まれるし、地上の管制室でのスタッフのやりとりによって状況を説明したりもする。それによって「酸素がなくなるから対策を」とか、「電源を節約して地球まで帰還するには」といった問題設定も明確になり、それを克服していくというスリルが生まれる。
 それに対して『ファースト・マン』は、X-15航空機でもジェミニ8号でもアポロ11号でも、ほとんどがアームストロングの目線になっていて、狭いコックピットのなかからカメラが動くことがないのだ。だからアームストロングたちがどういう状況にあって何をなすべきなのかもよくわからない。観客はその息苦しいほどの狭さと船体が軋むほどの揺れのなかで恐怖を感じたとしても、困難な障害を克服していくといったエンターテイメント性には欠けるのだ。

◆月までの推進力
 『宇宙からの帰還』という本を書いた立花隆によれば、ニール・アームストロングは「精神的に健康すぎるほど健康な人で、反面人間的面白みにはまるで欠けた人物」なのだそうだ。本作でライアン・ゴズリング演じるニール・アームストロングは確かに面白みに欠けている。しかもバズ・オルドリン(コリー・ストール)の軽口をたしなめる生真面目もあって、無駄口を叩くこともない。そんなアームストロングがどれほどの想いを月面着陸に抱いているのかがその冷静な表情からは読み取れなかったのだが、月面でのある行動によって急に本作の憂鬱さも理解できるものとなったような気がする。
 アームストロングは技術屋と呼ばれたりもして、飛行機や宇宙船の操縦の腕前はずば抜けているし、危機的な状況においても常に冷静さを保つという精神力も兼ね備えている。ただ、それだけでは何人もの犠牲者を目の当たりにしても、彼が月に行くことをあきらめようとはしなかったことがよくわからない。チャゼルはそこにフィクションをひとつ付け加えた(もしかしたら本当だったのかもしれないのだが)。アームストロングは月のクレーターに亡くなった娘カレンの遺物を置いてきたのだ。
 上記のアームストロングの行動から推測するに、彼は娘に近づくために宇宙飛行士となり、月へ向かったとも言えるのだ。宇宙飛行士の訓練には困難がつきまとい、様々な事故によって同僚も犠牲になっている。さらには月に行って、そこに着陸するという前代未聞の事柄にはさらなる困難が予想される。もしかするとアームストロングは“死の世界”に近づくことで娘に近づけると考えていたのかもしれないし、向こう側に行ってしまっても構わないとすら考えていたのかもしれない。
 そんなふうに推測するのは、アポロ11号の発射前の妻ジャネット(クレア・フォイ)の怒りっぷりが異様なほどだったからだ。アームストロングが家に残していくふたりの息子ではなく、亡くなったカレンのいる“死の世界”に魅せられているようにすら見えたからこそ、ジャネットとしては再び地上に帰還することを彼に釘を刺しておきたかったのだろう。国家の威信をかけた旅に出る旦那に対しての態度としては場違いにも思えたのだが、アームストロングが“死の世界”に魅せられていたとすれば、“生の世界”に引き戻すためにも息子たちの前に彼を引きずり出すというジャネットの行動も理解できるのだ。
 そしてアームストロングにとっては、月こそが“死の世界”ということなのだ。(*1)アームストロングは“死の世界”にたどり着き、カレンの存在を身近に感じることができたのだろうか。とりあえず言えることは、チャゼルの描いたアームストロングにとっては、娘への想いが月にまでたどり着くための推進力になっていたということだろう。だからこそ本作は気分が高揚するような展開ではなく、どこか陰鬱とした雰囲気を選んだのだ。アームストロングは国家の威信のためではなく、“死の世界”にたどり着き娘の近くに行きかったからこそ月へと向かったのだから。

 様々な困難のあとにたどり着いた月面世界はIMAXで撮られているとのこと。しかもコックピット内から出た瞬間からそこには無音の世界がある。ただ何もなく無闇に広い岩だらけの空間。生命が存在することのできない領域。この場面はずっと狭いコックピットからの視線に慣らされていただけにインパクトがあった。チャゼルは音楽を題材としたエンターテイメント作品だけに留まる監督ではなかったようだ。

(*1) たしか星野之宣の漫画で月にたどり着いた宇宙飛行士が、そこを「死の世界だ」と感じる作品があったと思うのだが……。

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Date: 2019.02.21 Category: 外国映画 Comments (15) Trackbacks (3)

『ラ・ラ・ランド』 ひとときの夢のような……

 『セッション』デイミアン・チャゼル監督の最新作。
 第89回アカデミー賞には史上最多タイの14部門でのノミネートという前評判の高い作品。

デイミアン・チャゼル 『ラ・ラ・ランド』 ミア(エマ・ストーン)とセブ(ライアン・ゴズリング)は街が見える丘の上で踊り出す。名作『バンド・ワゴン』をイメージしているらしい。

 原題の「La La Land」は、「LA」つまり作品の舞台となるロサンゼルスやハリウッドのことを指す。町山智浩によれば、「彼女はラ・ラ・ランドに住んでいるんだ」という使い方をすると、「彼女は夢見がちなんだ。現実を見ていないんだ」といったニュアンスになるらしい。
 『ラ・ラ・ランド』はそんな夢見がちな主人公たちの物語だ。ミア(エマ・ストーン)はオーディションを受けまくっているけれどまったく相手にされない女優の卵。セブ(ライアン・ゴズリング)は自分が好きな古臭いジャズの店をやりたいと考えているけれど、実際には資金もなくて退屈な音楽を弾く仕事に甘んじている。そんなふたりが出会って恋に落ちる。

 映画は所詮虚構なわけだけれど、ひとときの夢を与えてくれたりもする。そんな映画が好きだからこそ映画に関わる人もいる。ハリウッドはそんな人たちの街なのだろう。ミアが現実的で稼ぎもありそうな彼を棄ててまでセブのもとに走るのも、「Audition」という曲で「どうか乾杯を 夢追い人に」と歌い上げるのも、夢見がちな人に対する共感があればこそだろう。だからこそ『ラ・ラ・ランド』はハリウッドでとてもウケがいい。
 劇中では瀕死のジャズという言葉があるが、ミュージカル映画というのも今では瀕死の状態にあるらしい。この作品の製作も難航したようで、チャゼル監督が「資金集めをするときには、ミュージカルやジャズは、映画の要素として人気がないということを嫌というほど思い知らされたし、興行成績も見こめないと何度も言われた」と明かしている。
 それでもチャゼル監督は『セッション』でも題材としたジャズが好きなのと同じように、ミュージカル映画が好きなのだろう。ハリウッドが夢の世界をつくりあげる場所として君臨していた古き良き時代、『ラ・ラ・ランド』はそのころのミュージカル映画に対するオマージュに溢れていている。そんな王道のミュージカルを見事に復活させたからだろうか、アカデミー賞でも本命視されているとのこと。

『ラ・ラ・ランド』 ふたりは夜空高く舞い上がって踊る。まさに夢のようなシーン。

◆ふたりだけの夢の世界
 なぜミュージカル映画が瀕死の状態にあるのかといえば、登場人物が突然歌い出すという通常ではあり得ない設定に違和感を覚える観客が多いからなのだろう。個人的には冒頭のハイウェイ上のモブシーンは唐突でちょっと違和感を覚えた。
 ここでは渋滞に巻き込まれた人々がそのイライラを解消するかのように踊り出す。果てしなくつながる車列とその上で踊る人々を優雅に移動するカメラの長回しで捉えつつ、主人公ふたりのすれ違いまでを一気に見せてしまう手腕は見事なのだけれど、あまりに唐突で気分が盛り上がってこないのだ。

 ミュージカル映画で登場人物が歌い出すのには理由があるはずで、それは何かしらの感情が湧き上がってきたからだろう。それによって舞台は現実から非現実的な夢の世界へと移行し、登場人物はその感情を歌に込め、踊りとして表現する。だから観客を主人公たちの感情に惹きつけることができれば、歌い出すことも不自然ではなくなるのだ。
 ミュージカル映画では主人公たちが歌う必然性が最初から設定されている場合もある。たとえば『ムーラン・ルージュ』のように主人公がキャバレーの踊り手とその曲の作り手だったとすれば、主人公たちが歌い出すのに何の不思議もない。ただこれはミュージカル映画独特の現実から夢の世界への移行という部分がない分おもしろみにも欠けるのかもしれない(『ムーラン・ルージュ』は大好きだけれど)。
 この作品ではミアとセブが出会ってからの展開には惹き込まれた。再会したふたりがそれまでのすれ違いもあって微妙な駆け引きをしながらも近づいていき、街を見下ろす丘の上で踊り出すころにはすでに夢の世界にどっぷりと浸っていた。

 ふたりが恋に落ちると、そこにはふたりだけの夢のような世界がある。ふたりが見つめあうと周囲は暗くなり、周りの人の存在も消え失せ、世界はミアとセブのふたりだけになる。そして、ふたりは歌い踊る。こうした設定はミュージカル映画だからこそで、夢の世界では星がきらめく夜空まで舞い上がることでさえも可能になる。
 ただ現実はやはり厳しくて、夢を追うことには犠牲が必要だ。ラストではふたりそれぞれが夢を実現しているわけだけれど、それによって失ったものもまた大きかったとも感じさせる。5年ぶりに会ったふたりの視線が交錯する瞬間が何とも切なくて涙を禁じ得なかった。

◆アカデミー賞の結果発表
 レビューをアップするのにもたついていたらアカデミー賞の結果が出てしまったようだ。大方の予想を覆し、作品賞は『ムーンライト』だった。『ラ・ラ・ランド』は監督賞と主演女優賞と、歌曲賞(「City of Stars」)・作曲賞(ジャスティン・ハーウィッツ)・撮影賞(リヌス・サンドグレン)・美術賞を獲得した。6部門受賞というのは立派だが、前評判では作品賞も確実視されていたようだし大波乱といった印象。しかも何の因果か進行側の手違いで最初は『ラ・ラ・ランド』の名前が読み上げられてしまい、その後に撤回されるという前代未聞の出来事まで起こってしまったらしい。製作陣はひとときの夢にぬか喜びということになったわけだ。
 『ムーンライト』はまだ日本では公開されていないから詳細はわからないけれど、黒人が主人公で製作総指揮にはブラッド・ピットということで『それでも夜は明ける』のようなシビアな話が予想される。アカデミー賞は娯楽作よりもメッセージ性のあるものを選びがちだから順当なのかもしれないけれど、「アカデミー賞は白人偏重だ」という批判もあったようだからそのあたりが影響しているのかどうか……。個人的には夢のある作品が作品賞になったっていいと思うのだけれど。

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Date: 2017.02.28 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (12)

『セッション』 男同士の戦いの到達点を体感せよ

 第87回のアカデミー賞において助演男優賞(J・K・シモンズ)・編集賞・録音賞の3部門を受賞した作品。
 監督・脚本は『グランドピアノ 狙われた黒鍵』の脚本を担当していたデイミアン・チャゼル。原題は「Whiplash」。これは劇中に使用されるジャズの曲名で、「むち先のしなやかな部分」のことを指す。

デイミアン・チャゼル 『セッション』 J・K・シモンズ演じるフレッチャーはニーマンに檄を飛ばす。


 全米屈指の音楽院に入学したアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は、ある日、フレッチャー教授(J・K・シモンズ)の目に留まり彼のスタジオ・バンドに誘われる。最初は褒めるような言葉ももらしていたフレッチャーだが、練習に入るとニーマンのドラムにダメ出しを連発し、ニーマンを追い込んでいく。

 冒頭、ニーマンでフレッチャーとの出会いが描かれるが、ここでは向かい合ったふたりを真正面からの切り返しショットで捉えている。次のエピソードでニーマンが父親と鑑賞する映画が『男の争い』(ジュールス・ダッシン)であることからも、この作品は麗しい師弟関係など描くつもりなどなく、男同士の戦いがテーマであることを示している。
 とにかくJ・K・シモンズ演じるフレッチャーが登場すると場面が締まる。足音からして正確なリズムと刻んでいるようでもあり、手の動きだけでバンドの動きを操り、時計の音が聞こえるほどの静寂までを演出する。そしてメンバーを罵倒するときの圧倒的なテンション! J・K・シモンズはサム・ライミ版『スパイダーマン』の編集長役で知られるが、この作品ではまさにはまり役で助演というよりは主演と言ってもいいくらいだ。

 その一方でフレッチャーが登場しない場面、たとえばニーマンが女の子を誘ってデートするところなどは間延びした感がある。ニーマンは女の子との楽しい時に惹かれもしたものの、幾分退屈もし、ジャズの世界(=フレッチャーとの戦い)へのめり込んでいく。
 ニーマンは音楽的才能があるけれど、彼の家族でそれを理解する人はいない。家族たちは食事となごやかな会話を楽しみ、平穏無事で長生きするという普通の生活が大事なのだ。フレッチャーからはそんな家族は「負け犬」呼ばわりされる。偉大なジャズマンになりたいニーマンにとっても、そんな家族は歯がゆいものであり、ニーマンは「偉大さ」と「平穏さ」を秤にかけて、「偉大さ」を選ぶ。だからデートにまでこぎつけた彼女もあっさりと捨ててしまう。
 一般的にジャズの世界は選民意識が強いとされるようだ。劇中でも「無能なやつはロックへ行け」という言葉が掲げられている。そんなわけで本作は選ばれた人を称揚し、市井の人々の幸せなどコケにするという、なかなか毒のある作品なのだ。

『セッション』 不敵な笑みを浮かべるフレッチャー。

 フレッチャーの指導が音楽的に正しいのかどうかは素人目にはわからないけれど、劇中の生徒たちでさえも何が正解であるのかをわかっていないようにも見える。ニーマンはドラムのテンポの違いで延々と責められる。フレッチャーの難癖のつけ方は音楽的に正しいかどうかよりも、相手を追い込むことに主眼がある。奏者の限界を越えてさらなる高みへ導くことがフレッチャーの意図だ。
 失敗に対し「Good Job(上出来だ)」などとお茶を濁してしまったらそれで終わってしまう。フレッチャーが語るチャーリー・パーカーのエピソードのように、失敗にシンバルを投げつけられたとしても、本物ならめげることはない。必ず這い上がってくる。そんな信念みたいなものに基づいている。
 スタジオ内のフレッチャーは生徒にとっては神のような存在なのだ。“選民”とは神から選ばれたということであり、この作品ではフレッチャーが選ぶ側の役割を果たしている(ちなみにニーマンはユダヤ人)。神の御心が人間ごときには測りかねるように、フレッチャーの指導も何が正しいことなのかは測りかねる。それでも自らが選ばれた人だと思うならば、神のように振舞うフレッチャーに喰らいついていくしかない。
 ただラストへの展開で明かされるフレッチャーの本性を見ると、神と言っても狂った神であり、単なる人格破綻者だったとも思えるのだが、それは措くとしてもラストの対決はやはり圧倒的だったと思う。

 ニーマンを潰しにかかるフレッチャーに対し、ニーマンは一度は父親の元へ逃げ帰るものの、結局は対決を挑む。そしてフレッチャーの指揮を無視して、バンド自体を乗っ取ってしまう。それからのニーマンのドラムソロの高揚感は凄まじいものがあった。「衝撃のラスト9分19秒!」というキャッチコピーもあながち大げさでもない。
 フレッチャーも最初はニーマンの反乱に怒り狂うが、それでも音楽に興がノッてくると話は別だ。途中、カメラがふたりの間を素早いパンで何度か往復するところがあるが、ここではそれまでのふたりの対決姿勢が、その時だけは共犯関係に変わったことを示しているのだろう。ニーマンはそれまでの限界を越え、フレッチャーを心から頷かせることに成功するのだ。フレッチャーにしても「第二のチャーリー・パーカーを育てたい」という言葉だけは真実だったと見え、最後の瞬間、ふたりの表情はひとつの到達点にある充実感に溢れていた。

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Date: 2015.04.21 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (14)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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