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『ヴィクトリア』 ワンカット撮影で登場人物の時間を体験する

 140分のワンカット撮影というチャレンジングな作品。
 監督は役者としても活躍しているというセバスチャン・シッパー

セバスチャン・シッパー 『ヴィクトリア』 ヴィクトリアを演じたライア・コスタ。


 ベルリンの街に来たばかりで友達もいないヴィクトリア(ライア・コスタ)は、クラブで声をかけられた男たちと仲良くなる。マンションの屋上で盗んできたビールを飲みながら下らない話で盛り上がったヴィクトリアは、夜明け前のひと時を楽しく過ごす。一度は彼らと別れるものの、男たちはドラブルを抱えており、ヴィクトリアもそれに巻き込まれることに……。

 ワンカットで撮影された作品というのはこれまでにもないわけではない。全編ワンカットで話題になった『バードマン』はCG技術でうまくつないでワンカットを装っているし、ヒッチコック『ロープ』も画面を遮るなどして編集点を作ってワンカットに見せかけている。松江哲明『ライブテープ』は74分ワンカットで撮影されているが、これは吉祥寺を舞台に歌いまくるミュージシャンのドキュメンタリーであって、役者が何かを演じて物語を構成するわけではない。『ヴィクトリア』は正真正銘140分のワンカット撮影で、しかも物語を語るというのだからなかなかスリリングな体験だったと思う。

 映画で描かれる物語はある期間に生じた出来事を凝縮して語ることが普通だろう。3日間の出来事をワンカットで撮影したならば、上映にも3日かかることになるし、そのなかには物語にとって意味のない時間もあるわけで、そんな部分は省略されることになる。そんなふうに選択されものをつなぎあわせて2時間程度にまとめたものが作品となる。
 その反対に登場人物によって重要な出来事はスローモーションなどで時間が引き延ばされる場合もあるし、ハリウッド映画によくある決定的な瞬間に至る過程を細かなカットをつなぐことで引き延ばすという手法もある。そういう意味では時間を省略したり引き延ばしたりという操作は、映画にとっては最も基本的であり重要な要素なのだろうと思う。『ヴィクトリア』はそうした操作はせずに、ヴィクトリアが体験する特別な140分を延々と追い続けることになる。
 たとえば『ニック・オブ・タイム』やテレビドラマ『24』シリーズなどは、作品内時間と現実の時間が一致するとされているが、これらの作品はカットを細かく割っているためいくらでも操作が可能になる。登場人物が体験する時間を真に体験させるとすれば、撮影を中断したりせずにワンカットで撮影することが必要だ。『ヴィクトリア』ではすべてをワンカットで捉えているために、作品内の時間と現実の時間が一致している。ライア・コスタという女優はヴィクトリアという役柄に成りきったまま最後まで演技を続け、暗闇が支配する早朝4時ごろから始まった物語は、陽が昇り明るくなったベルリンの街が動き出すまでをノンストップで映し出していく。(*1)『ヴィクトリア』はベルリンの街を舞台にした一幕物の演劇をカメラが追い続けたようなものなのだ。

(*1) ヒッチコックの『ロープ』では、作品内の時間進行とともに背景が夕焼けに染まって行くが、これはセット撮影で時間経過を演出しているわけで現実の時間と一致しているわけではない。

『ヴィクトリア』 ヴィクトリアはクラブで知り合った男たちと仲良くなるのだが……。

 ヴィクトリアはなぜあんなチンピラたちについて行くのか。「どう考えてもロクなことになりそうにはないからやめとけよ」と観客としては思うだろう。しかし、彼らとグダグダしたときを過ごしたあとで、ヴィクトリアがピアノの演奏するシーンでその理由が示される。
 ヴィクトリアはリストの「メフィスト・ワルツ」を素晴らしい音で聴かせる。その演奏は単なる趣味を超えている。彼女は長い間ずっとピアノをやっていて、それが無駄に終わったのだ。ベルリンにいるのも新しい人生を模索していたところだったのかもしれない。そんな空虚な心に忍び寄るのが“寂しさ”なのだ。
 ヴィクトリアはクラブのバーテンにも声をかけたりしていたくらいで、ベルリンの街に友達がいない。だからチンピラたちにも付いて行ってしまうのだ。ピアノ演奏のあとのヴィクトリアの表情は、それだけで彼女の内面をよく示していて、その後のゾンネ(フレデリック・ラウ)へ向けての語りが不必要に思えるくらいだった。このあたりはそこまでワンカットで見せてきたからこその場面で、長回しで撮影する意味がある部分だったと思う。
 しかし一方で長回しでの撮影が足かせになっている部分もあったと思う。移動しながらの撮影はブレが多いのはやはり気になるし、向かい合ったふたりの会話シーンをカメラが首を振って追いかけるというのは何ともいただけない。
 『ロープ』という擬似ワンカット作品を監督したヒッチコックは、その後のインタビューでこんなふうにもらしている(『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』より)。

 「いまふりかえって考えてみると、ますます、無意味な狂ったアイデアだったという気がしてくるね。というのも、あのようなワン・カット撮影を強行することは、とりもなおさず、ストーリーを真に視覚的に語る秘訣はカット割りとモンタージュにこそある、という私自身の方法論を否定することにほかならなかったからなんだよ。」


 結局、ヒッチコックもその後は無謀な長回しは控えることになるわけで、やはりどんな手法にも効果的な使い方というものはあるのだろう。多分、『ヴィクトリア』の監督たち製作陣もそれはわかっているはずで、140分をワンカットで撮影しようという無謀な挑戦は「誰もやってないことをやってやろう」という意地みたいなものだったのかもしれない。監督のセバスチャン・シッパーは次の作品ではさすがにワンカット撮影はやらないと語っているらしいし……。

 個人的に疑問を感じたのはラストの部分。長い1日を終えたヴィクトリアがひとりになってカメラの前から去っていくのだけれど、そのときヴィクトリアは拘束を解かれたかのように羽ばたくような仕草をしている。ヴィクトリアという役柄から解放されるライア・コスタの仕草としては理解できるのだけれど、ヴィクトリアという役柄の立場ならばそうはならなかったように思える。寂しさを抱えたヴィクトリアが140分という濃縮した時間でさらに一層寂しさを意識したとすれば、ヴィクトリアの歩いていく表情をそのまま追ったほうがよかったんじゃないだろうか。
 それからワンカットで撮影された映像でも、台詞を消して音楽を被せるとその部分は異質なものに感じられるというのが不思議だった。直線的な時間の流れをしているはずなのに、なぜかそこだけは別の時間のように感じられるのだ。
 ともあれ滅多にない試みだし、一度は観ておいても損はないだろうと思う。あんなことが140分で立て続けに起きることはないだろうが、ライア・コスタは緊張感を最後まで維持したままの熱演だった。

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Date: 2016.05.15 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (5)
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