『鑑定士と顔のない依頼人』 絢爛豪華な引きこもり
『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品。先月、DVDが発売となった。

天才的な能力を持つ鑑定士ヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、ある女性から鑑定依頼を受ける。姿を現さず、約束も守らない依頼人に苛立ち、何度もその依頼を断ろうとする鑑定士だが、屋敷で見付けた奇妙な部品に惹かれて作業を進めることとなり、次第に若い女性である依頼人の存在が気にかかるようになっていく。
構成はミステリー仕立てになっていて、なぜ依頼人クレアが姿を見せないのかという謎が物語を牽引していくわけだが、多くの人はその謎がどうにもきな臭いのに気が付くだろう。
トルナトーレ監督が映画化する前に書いた小説では、この作品の誕生にかかるエピソードが序文に載せられている。最初のアイディアでは、部屋にこもった極端に内向的な少女の姿があり、そのモチーフからこの作品はスタートしているようだ。出来上がった作品は最初のモチーフとは離れた形ではあるが、引きこもった女と引きこもった男(鑑定士は隠し部屋で絵画に囲まれて悦に入っている)がつながる物語となっている。
引きこもりを外部の社会と結びつけるのは難しい。村上龍の引きこもりをテーマにした小説『最後の家族』では、部屋の穴から覗いた異性の姿がその後の展開を呼び込んだ。これもかなり無理のある展開ではあるのだが、そうでもしないと引きこもりの物語は動き出さないわけだ。
この『鑑定士と顔のない依頼人』でも、広場恐怖症だとして引きこもっていたクレア(シルヴィア・ホークス)が姿を現すと、急激にその病気を克服していくのはどこか不自然な感じは否めない。引きこもり脱出のきっかけが異性であることはよくある話だとしても、その相手はすでに老境に達した男だし、クレアが興味を持つとすれば鑑定士が持つ金銭以外ないわけで、自ずとその後の展開は推測できる。
※ 以下、ネタバレあり。

結末から言えば、鑑定士に近づいたクレアは詐欺師たちのひとりで、鑑定士はものの見事に騙されることになる。鑑定人ヴァージルの周りにいた人たちはほとんどすべてが詐欺師たちであり、金持ちの老人である鑑定士は秘かにコレクションしていた高価な絵画を根こそぎ奪われる。美術品に関しては天才的な鑑定眼を持つヴァージルだが、女性に関してはド素人で、「慣れないことに手を出すと碌なことがない」といった教訓譚とも言える。
哀れな老人はすべてを奪われ、失意のなかでその後の余生を過ごす。そんな終わり方にも思えるのだが、それと同時に別の印象も残る。騙されたとはいえ、童貞だった鑑定士がうら若き女性と短い逢瀬でも過ごすことができたのはかけがえのないことなのかもしれないとも感じさせるラストなのだ。
クレアは鑑定士に「たとえ何があってもあなたを愛してるわ」と涙ながらに告白しているが、そうしたことが未だに鑑定士の心に刻まれている。そのため鑑定士は詐欺被害を警察に届けることはしなかったし、「何らかの事件に巻き込まれて、クレアは自分に会いに来ることができない事態にあるのかもしれない」といった妄想にすら囚われているのかもしれない。
「いかなる贋作の中にも必ず本物が潜む」という言葉は、完全なコピーを作るはずの贋作者でもその作品のなかに「自分の“印”を残したくなる」という、鑑定士としてのヴァージルの知恵だ。クレアがもう一度訪ねたい場所と語っていた、プラハの「ナイト・アンド・デイ」という店は実際に存在していたわけで、鑑定士はその部分にクレアを名乗っていた女の真実の部分を見出し、「もしかすると偽りの愛のなかにも本当の愛がなかっただろうか」という妄想のなかに浸るのだ。
潔癖症のため手袋をしたまま、自分専用の食器で孤独で豪華な食卓に着く鑑定士は、それなりに満ち足りた姿だった。それと同じ構図のラストだが、その中身はまるで違う。すべてを失い、女との逢瀬を反芻しつつ、戻っては来ない女を待ち続ける姿。一体、どっちが幸福なのだろうか。そんな複雑な印象を残すラストだった。
ちなみに事件の首謀者はビリー(ドナルド・サザーランド)という鑑定士の相棒で、ビリーは鑑定士に作品を認められなかったことを恨みに思って犯行に及んだとみられる。ビリーは何年にも渡る壮大な詐欺の計画を練っているものの、ところどころで鑑定士にすべてが嘘であるという“印”も示しているように思える(計画的に小出しにされる自動人形の部品とか、クレアという偽名の出所とか)。クレアが姿を消したときには、「愛さえも偽造できる」のだと、彼女の感情が偽りだった可能性をわざわざ鑑定士に示唆したりもするのだ。
また、屋敷にはビリーの描いた肖像画が掛けられていた。鑑定士はその絵を価値がないと見抜いていたが、ビリーの作品とまでは気付かなかった。鑑定士がビリーに敬意を払い、その作品の特徴にも充分な注意を払っていたら、もしかすると詐欺事件の裏にいるビリーの存在に辿り着いたかもしれない。ビリーの贈った肖像画の裏には「親愛と感謝を込めて」と記されていた。これは皮肉なのだろうが、ビリーは鑑定士に自らの存在を認めてほしいといった願望もあって、様々な“印”を残していたのだろうか?



天才的な能力を持つ鑑定士ヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、ある女性から鑑定依頼を受ける。姿を現さず、約束も守らない依頼人に苛立ち、何度もその依頼を断ろうとする鑑定士だが、屋敷で見付けた奇妙な部品に惹かれて作業を進めることとなり、次第に若い女性である依頼人の存在が気にかかるようになっていく。
構成はミステリー仕立てになっていて、なぜ依頼人クレアが姿を見せないのかという謎が物語を牽引していくわけだが、多くの人はその謎がどうにもきな臭いのに気が付くだろう。
トルナトーレ監督が映画化する前に書いた小説では、この作品の誕生にかかるエピソードが序文に載せられている。最初のアイディアでは、部屋にこもった極端に内向的な少女の姿があり、そのモチーフからこの作品はスタートしているようだ。出来上がった作品は最初のモチーフとは離れた形ではあるが、引きこもった女と引きこもった男(鑑定士は隠し部屋で絵画に囲まれて悦に入っている)がつながる物語となっている。
引きこもりを外部の社会と結びつけるのは難しい。村上龍の引きこもりをテーマにした小説『最後の家族』では、部屋の穴から覗いた異性の姿がその後の展開を呼び込んだ。これもかなり無理のある展開ではあるのだが、そうでもしないと引きこもりの物語は動き出さないわけだ。
この『鑑定士と顔のない依頼人』でも、広場恐怖症だとして引きこもっていたクレア(シルヴィア・ホークス)が姿を現すと、急激にその病気を克服していくのはどこか不自然な感じは否めない。引きこもり脱出のきっかけが異性であることはよくある話だとしても、その相手はすでに老境に達した男だし、クレアが興味を持つとすれば鑑定士が持つ金銭以外ないわけで、自ずとその後の展開は推測できる。
※ 以下、ネタバレあり。

結末から言えば、鑑定士に近づいたクレアは詐欺師たちのひとりで、鑑定士はものの見事に騙されることになる。鑑定人ヴァージルの周りにいた人たちはほとんどすべてが詐欺師たちであり、金持ちの老人である鑑定士は秘かにコレクションしていた高価な絵画を根こそぎ奪われる。美術品に関しては天才的な鑑定眼を持つヴァージルだが、女性に関してはド素人で、「慣れないことに手を出すと碌なことがない」といった教訓譚とも言える。
哀れな老人はすべてを奪われ、失意のなかでその後の余生を過ごす。そんな終わり方にも思えるのだが、それと同時に別の印象も残る。騙されたとはいえ、童貞だった鑑定士がうら若き女性と短い逢瀬でも過ごすことができたのはかけがえのないことなのかもしれないとも感じさせるラストなのだ。
クレアは鑑定士に「たとえ何があってもあなたを愛してるわ」と涙ながらに告白しているが、そうしたことが未だに鑑定士の心に刻まれている。そのため鑑定士は詐欺被害を警察に届けることはしなかったし、「何らかの事件に巻き込まれて、クレアは自分に会いに来ることができない事態にあるのかもしれない」といった妄想にすら囚われているのかもしれない。
「いかなる贋作の中にも必ず本物が潜む」という言葉は、完全なコピーを作るはずの贋作者でもその作品のなかに「自分の“印”を残したくなる」という、鑑定士としてのヴァージルの知恵だ。クレアがもう一度訪ねたい場所と語っていた、プラハの「ナイト・アンド・デイ」という店は実際に存在していたわけで、鑑定士はその部分にクレアを名乗っていた女の真実の部分を見出し、「もしかすると偽りの愛のなかにも本当の愛がなかっただろうか」という妄想のなかに浸るのだ。
潔癖症のため手袋をしたまま、自分専用の食器で孤独で豪華な食卓に着く鑑定士は、それなりに満ち足りた姿だった。それと同じ構図のラストだが、その中身はまるで違う。すべてを失い、女との逢瀬を反芻しつつ、戻っては来ない女を待ち続ける姿。一体、どっちが幸福なのだろうか。そんな複雑な印象を残すラストだった。
ちなみに事件の首謀者はビリー(ドナルド・サザーランド)という鑑定士の相棒で、ビリーは鑑定士に作品を認められなかったことを恨みに思って犯行に及んだとみられる。ビリーは何年にも渡る壮大な詐欺の計画を練っているものの、ところどころで鑑定士にすべてが嘘であるという“印”も示しているように思える(計画的に小出しにされる自動人形の部品とか、クレアという偽名の出所とか)。クレアが姿を消したときには、「愛さえも偽造できる」のだと、彼女の感情が偽りだった可能性をわざわざ鑑定士に示唆したりもするのだ。
また、屋敷にはビリーの描いた肖像画が掛けられていた。鑑定士はその絵を価値がないと見抜いていたが、ビリーの作品とまでは気付かなかった。鑑定士がビリーに敬意を払い、その作品の特徴にも充分な注意を払っていたら、もしかすると詐欺事件の裏にいるビリーの存在に辿り着いたかもしれない。ビリーの贈った肖像画の裏には「親愛と感謝を込めて」と記されていた。これは皮肉なのだろうが、ビリーは鑑定士に自らの存在を認めてほしいといった願望もあって、様々な“印”を残していたのだろうか?
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