『ブレイン・ゲーム』 あの作品の続編?
監督は『トゥー・ラビッツ』のアフォンソ・ポヤルト(もしくはポヤート)。
製作総指揮には主演も務めるアンソニー・ホプキンスが名前を連ねている。
原題は「Solace」で「慰め」という意味。

証拠もなく行き詰った連続殺人事件の捜査ため、FBI捜査官ジョー(ジェフリー・ディーン・モーガン)と相棒キャサリン(アビー・コーニッシュ)はある人物に助けを乞う。ジョーの旧友クランシー(アンソニー・ホプキンス)は一種の超能力者であり、彼の能力を借りて犯人を見つけ出そうというのだ。
クランシーの能力は、触れたものの過去や未来のことがわかってしまうというもの。一般的には「サイコメトリー」などと呼ばれるものらしい。クランシーはジョーと一緒にFBIで働いていたこともあったのだが、ある悲劇によって引退してひきこもった生活をしていた。
その悲劇とは娘の死だ。クランシーは娘の未来を予知することができたわけだが、娘の病(白血病)は彼の能力によってもどうすることもできない。クランシーは娘の闘病を横で見つめるだけで何もできず、ただ娘が苦しんで死ぬのを見守るだけだったのだ。
そんな状況のクランシーは捜査への協力を拒むものの、たまたま触れてしまったキャサリンの未来の姿(血を流した姿)を見てしまい、前言撤回してジョーたちに協力することになる。
しかし連続殺人に証拠は何も残っておらず、被害者に共通点も見当たらない。犯人は一体どんな目的で犯行を続けているのか?
※ 以下、ネタバレあり! 結末にも触れているので要注意!!

被害者に共通点は何もない。そう思われていたのだが、クランシーは被害者の共通点を発見する。それは被害者が不治の病によって死ぬ運命にあったということ。それがわかったのはクランシーの特殊能力があってのことであり、つまりは犯人も同じような能力の持ち主ということもわかってくる。そして、犯人はクランシーたちの動きをすべて読んでいると宣言するような挑発的な手紙を送りつけてくる。
実は犯人役のコリン・ファレルはなかなか登場しないのだが、その犯行動機はちょっと珍しいタイプのもの。というのも犯人チャールズは快楽殺人とか自己顕示とは無縁だから。彼は自分の連続殺人を、病によって苦しむはずの患者を事前に救ってやっている“慈悲殺人”だと考えているのだ。さらには「大いなる善には痛みが伴う」みたいな妄言を吐いてクランシーを驚かせる。
そんな言葉を聞いたクランシーはもちろん反論する。被害者たちの時間を奪う権利はないはずだと。しかし、クランシーは結局チャールズの手のひらの上で踊らされていたようにも見える。というのも回想シーンでわかるのは、クランシーにとってチャールズの行動が「慰め」のようになっているからだ。
チャールズの考えは極端すぎるし、ほとんど世間に受け入れられることはないだろう。当然クランシーもそれを否定するのだけれど、実際にはクランシーは痛みに苦しむ娘の声を聞き、それが耐えがたくて娘に死の平安を与えていた。その意味ではふたりにはどこかに共感がある。だからクランシーの予知のなかでチャールズは十字架の前に立つ姿で現れる。クランシーにとってチャールズは傍迷惑な存在ではあるけれど、同時に救い主のように見えたのだろう。
最後に思い出したのは『デッドゾーン』の主人公の孤独だ。彼は未来が見えるために、未来を変えるか否かで逡巡する。未来が見えるのは彼だけであり、彼の未来を変えてしまう行動は誰にも理解されることはない。そんな男の孤独を癒すために、『ブレイン・ゲーム』がつくられたんじゃないかとも思えた。実際には本作は『セブン』の続編として企画されたものとのことらしいし、主人公がアンソニー・ホプキンスだけに『羊たちの沈黙』シリーズを思わせたりもするのだけれど……。
未来が断片的に描かれる短いカットの連続などはMTV的で派手さもあって悪くないのだけれど、カーチェイスのスピード感のなさにはガッカリさせられたりもしたり、超能力者ふたりが対峙する場面には拍子抜けしたのだけれど、総じて楽しめる作品となっていたと思う。



製作総指揮には主演も務めるアンソニー・ホプキンスが名前を連ねている。
原題は「Solace」で「慰め」という意味。

証拠もなく行き詰った連続殺人事件の捜査ため、FBI捜査官ジョー(ジェフリー・ディーン・モーガン)と相棒キャサリン(アビー・コーニッシュ)はある人物に助けを乞う。ジョーの旧友クランシー(アンソニー・ホプキンス)は一種の超能力者であり、彼の能力を借りて犯人を見つけ出そうというのだ。
クランシーの能力は、触れたものの過去や未来のことがわかってしまうというもの。一般的には「サイコメトリー」などと呼ばれるものらしい。クランシーはジョーと一緒にFBIで働いていたこともあったのだが、ある悲劇によって引退してひきこもった生活をしていた。
その悲劇とは娘の死だ。クランシーは娘の未来を予知することができたわけだが、娘の病(白血病)は彼の能力によってもどうすることもできない。クランシーは娘の闘病を横で見つめるだけで何もできず、ただ娘が苦しんで死ぬのを見守るだけだったのだ。
そんな状況のクランシーは捜査への協力を拒むものの、たまたま触れてしまったキャサリンの未来の姿(血を流した姿)を見てしまい、前言撤回してジョーたちに協力することになる。
しかし連続殺人に証拠は何も残っておらず、被害者に共通点も見当たらない。犯人は一体どんな目的で犯行を続けているのか?
※ 以下、ネタバレあり! 結末にも触れているので要注意!!

被害者に共通点は何もない。そう思われていたのだが、クランシーは被害者の共通点を発見する。それは被害者が不治の病によって死ぬ運命にあったということ。それがわかったのはクランシーの特殊能力があってのことであり、つまりは犯人も同じような能力の持ち主ということもわかってくる。そして、犯人はクランシーたちの動きをすべて読んでいると宣言するような挑発的な手紙を送りつけてくる。
実は犯人役のコリン・ファレルはなかなか登場しないのだが、その犯行動機はちょっと珍しいタイプのもの。というのも犯人チャールズは快楽殺人とか自己顕示とは無縁だから。彼は自分の連続殺人を、病によって苦しむはずの患者を事前に救ってやっている“慈悲殺人”だと考えているのだ。さらには「大いなる善には痛みが伴う」みたいな妄言を吐いてクランシーを驚かせる。
そんな言葉を聞いたクランシーはもちろん反論する。被害者たちの時間を奪う権利はないはずだと。しかし、クランシーは結局チャールズの手のひらの上で踊らされていたようにも見える。というのも回想シーンでわかるのは、クランシーにとってチャールズの行動が「慰め」のようになっているからだ。
チャールズの考えは極端すぎるし、ほとんど世間に受け入れられることはないだろう。当然クランシーもそれを否定するのだけれど、実際にはクランシーは痛みに苦しむ娘の声を聞き、それが耐えがたくて娘に死の平安を与えていた。その意味ではふたりにはどこかに共感がある。だからクランシーの予知のなかでチャールズは十字架の前に立つ姿で現れる。クランシーにとってチャールズは傍迷惑な存在ではあるけれど、同時に救い主のように見えたのだろう。
最後に思い出したのは『デッドゾーン』の主人公の孤独だ。彼は未来が見えるために、未来を変えるか否かで逡巡する。未来が見えるのは彼だけであり、彼の未来を変えてしまう行動は誰にも理解されることはない。そんな男の孤独を癒すために、『ブレイン・ゲーム』がつくられたんじゃないかとも思えた。実際には本作は『セブン』の続編として企画されたものとのことらしいし、主人公がアンソニー・ホプキンスだけに『羊たちの沈黙』シリーズを思わせたりもするのだけれど……。
未来が断片的に描かれる短いカットの連続などはMTV的で派手さもあって悪くないのだけれど、カーチェイスのスピード感のなさにはガッカリさせられたりもしたり、超能力者ふたりが対峙する場面には拍子抜けしたのだけれど、総じて楽しめる作品となっていたと思う。
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