『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』 天才チューリングの孤独
現代のコンピュータ誕生に大きな役割を果たしたとされる、イギリスの数学者アラン・チューリングの人生を描いた作品。アップル社のロゴマークである「かじられたリンゴ」は、チューリングへの敬意の表れだとか。
主役のチューリング役にはベネディクト・カンバーバッチ。監督はモルテン・ティルドゥム。アカデミー賞では作品賞・主演男優賞(ベネディクト・カンバーバッチ)・助演女優賞(キーラ・ナイトレイ)ほか8部門にノミネート。最終的には脚色賞(グレアム・ムーア)を受賞した。
題名は「チューリング・テスト」という、チューリングが考案した人工知能判定のためのテストからとられている。

天才数学者の目には、世界は凡人とは別のあり様をしているのかもしれない。アラン・チューリングもかなりの変り者で、自分が世間一般の人とは違うことを意識させられて生きてきたようだ。
チューリングの言葉の捉え方も独特で、言葉の発せられた状況などを一切無視して、単に意味内容だけしか読み取らない。仲間が「俺たちはお昼に行くよ」と声をかけても、チューリングはその言外の意味をまったく読み取らない。通常ならば「俺たちはお昼に行くよ」と言葉の裏には、「君もどうだい?」といった誘いがあるわけだけれど、チューリングは仲間の言葉を「ランチに行く」という単なる宣言としてしか受け取らないのだ。こんな変人だから冗談なんかは言えないし、皮肉とか褒め殺しなんてものはまったく理解できないだろう。
ただそんな奇人・変人だから成し遂げられることがあって、それがドイツの暗号機「エニグマ」の解読だった。暗号というのは一定の規則で言葉を変換することだから、そこでは言葉は一対一で対応しているはずで、情緒的な思考ができなかったチューリングだからこそ偉業を成し遂げることができたのかもしれない。(*1)
どんな天才でもひとりですべてをこなすことは無理で、変人チューリングはエニグマ解読チームの面子と様々な衝突を引き起こす。それを変えたのがジョーン(キーラ・ナイトレイ)という聡明な女性で、チューリングは彼女と知的な会話をすることが楽しみとなっていき、次第に世間一般的な常識や言葉のやりとりも学んでいく。
一時はジョーンと婚約までしたチューリングだったが、それを解消する場面では「君の才能だけを必要としていた」みたいな悪態をつくほどになる。これはもちろんジョーンを守るための嘘であり、チューリングの成長が見られるのだ。(*2)そんなチューリングのチームへの歩み寄りもあり、またチームの面子のチューリングへの理解もあり、彼らはエニグマを解読することに成功する。
※ 以下、ネタバレもあり。

『イミテーション・ゲーム』は、戦後の1951年と、エニグマ解読に励む戦争末期、さらにチューリングの少年時代、そんな3つの時代を行き来しながら展開していく。1951年にチューリングがある人物に話したことが、この映画の物語となっていく。この設定はやむを得ず秘密を持つことになったチューリングの人生をドラマチックに描くためだろう。チューリングが明かす秘密が、彼の孤独さを浮き彫りにしていくのだ。
映画で中心となってくるのはエニグマ解読に至る経緯だが、ここは数学者としてのチューリングの最も活躍した部分であり、プロジェクトの成功は歓喜に満ちている。しかしこの映画はそれ以外にも興味深いテーマを含んでいる。それがエニグマを解読したあとの苦悩だ。
これはこの部分だけを取り上げても1本の映画ができてしまうくらいのテーマだ(事態はチューリングの手を離れた大事になってしまうために、作品内の分量としては小さい)。エニグマ解読をドイツ軍に悟られてしまっては、せっかくの武器も意味のないものになってしまう。だからイギリスとしてはドイツがいつどこに攻撃を仕掛けてくるのかを把握していても、知らないフリを装わなくてはならない。それでいて決定的な部分ではうまくその情報を利用して戦果をあげなくてはならない。イギリスが(あるいはエニグマを解読したごく一部の人間だけが)、誰かの命を助け、誰かの命を無視するかの選択権を握っているわけだ。
これはいかにも不遜な振舞いだが、戦争終結のためには致し方ないことでもある。それでも親しい人がかなりの高い確率で死ぬとわかっていても、それを助けることはできないといったことも生じるわけで、神ではない普通の人間としてはかなりの苦痛を伴う状況なのだ。イギリスはそんな作戦を2年間続け、それによって戦争の終結が早まったとも言われているようだ。しかも第二次世界大戦が終わっても次の戦争がないとも限らないわけで、エニグマ解読の事実はしばらくの間は国家機密となり、チューリングたちの成果も秘密にされ公に認められることもなかった。
さらにこの作品が盛りだくさんなのは、チューリングのごく個人的な秘密も描かれているからだ。チューリングは寄宿学校時代に暗号についての本を親しい友人から教わる。そのころのチューリングの友人を見る目付きが妙にじっとりとしたものだったのだが、実はチューリングは同性愛者だったのだ。
エニグマ攻略のために作ったマシンをチューリングは「クリストファー」と名付けるのだが、それは彼が愛していたその友人の名前なのだ(このマシンは現実では「ボンベ(bombe)」と呼ばれていたようで、この部分は脚色なのかもしれない)。その時代のイギリスでは同性愛は犯罪とされており、チューリングは有罪とされ、ホルモン注射の投与をされることになる。そして、チューリングは41歳の若さで自殺したとのこと(映画では描かれないが、毒を塗ったリンゴをかじったとされる)。
とにかく2時間の映画としては盛り込みすぎなくらいの材料を盛り込んでいるのだ。しかし、これは実際にチューリングの人生に起きた出来事である。誰にも言うことのできない秘密を抱えたまま孤独に死んでいった天才の姿には涙を禁じえないと思う。
(*1) まったく関係ないが、最近読んでいた安部公房の『友達・棒になった男』の解説には、「言語はあくまでもデジタルな記号だ」という当たり前かもしれないが興味深い指摘があった。安部公房は小説をデジタルなものと考えているわけではなく、アナログ的な要素があるから解釈しつくすことができないとも指摘している。ただ、それを表現する道具である言語はデジタルなものなのだ。これは解説者の中野孝次が言うように、文学者においては独特な考え方だとも思う。言語は記号にしかすぎなくても、それを読み込む人間はそれを様々に解釈するわけで、一対一に対応するものではない。
(*2) 最初のほうで警察を追い返すために暴言を吐いたりするのも、こうした学習の成果ということなのだろう。


主役のチューリング役にはベネディクト・カンバーバッチ。監督はモルテン・ティルドゥム。アカデミー賞では作品賞・主演男優賞(ベネディクト・カンバーバッチ)・助演女優賞(キーラ・ナイトレイ)ほか8部門にノミネート。最終的には脚色賞(グレアム・ムーア)を受賞した。
題名は「チューリング・テスト」という、チューリングが考案した人工知能判定のためのテストからとられている。

天才数学者の目には、世界は凡人とは別のあり様をしているのかもしれない。アラン・チューリングもかなりの変り者で、自分が世間一般の人とは違うことを意識させられて生きてきたようだ。
チューリングの言葉の捉え方も独特で、言葉の発せられた状況などを一切無視して、単に意味内容だけしか読み取らない。仲間が「俺たちはお昼に行くよ」と声をかけても、チューリングはその言外の意味をまったく読み取らない。通常ならば「俺たちはお昼に行くよ」と言葉の裏には、「君もどうだい?」といった誘いがあるわけだけれど、チューリングは仲間の言葉を「ランチに行く」という単なる宣言としてしか受け取らないのだ。こんな変人だから冗談なんかは言えないし、皮肉とか褒め殺しなんてものはまったく理解できないだろう。
ただそんな奇人・変人だから成し遂げられることがあって、それがドイツの暗号機「エニグマ」の解読だった。暗号というのは一定の規則で言葉を変換することだから、そこでは言葉は一対一で対応しているはずで、情緒的な思考ができなかったチューリングだからこそ偉業を成し遂げることができたのかもしれない。(*1)
どんな天才でもひとりですべてをこなすことは無理で、変人チューリングはエニグマ解読チームの面子と様々な衝突を引き起こす。それを変えたのがジョーン(キーラ・ナイトレイ)という聡明な女性で、チューリングは彼女と知的な会話をすることが楽しみとなっていき、次第に世間一般的な常識や言葉のやりとりも学んでいく。
一時はジョーンと婚約までしたチューリングだったが、それを解消する場面では「君の才能だけを必要としていた」みたいな悪態をつくほどになる。これはもちろんジョーンを守るための嘘であり、チューリングの成長が見られるのだ。(*2)そんなチューリングのチームへの歩み寄りもあり、またチームの面子のチューリングへの理解もあり、彼らはエニグマを解読することに成功する。
※ 以下、ネタバレもあり。

『イミテーション・ゲーム』は、戦後の1951年と、エニグマ解読に励む戦争末期、さらにチューリングの少年時代、そんな3つの時代を行き来しながら展開していく。1951年にチューリングがある人物に話したことが、この映画の物語となっていく。この設定はやむを得ず秘密を持つことになったチューリングの人生をドラマチックに描くためだろう。チューリングが明かす秘密が、彼の孤独さを浮き彫りにしていくのだ。
映画で中心となってくるのはエニグマ解読に至る経緯だが、ここは数学者としてのチューリングの最も活躍した部分であり、プロジェクトの成功は歓喜に満ちている。しかしこの映画はそれ以外にも興味深いテーマを含んでいる。それがエニグマを解読したあとの苦悩だ。
これはこの部分だけを取り上げても1本の映画ができてしまうくらいのテーマだ(事態はチューリングの手を離れた大事になってしまうために、作品内の分量としては小さい)。エニグマ解読をドイツ軍に悟られてしまっては、せっかくの武器も意味のないものになってしまう。だからイギリスとしてはドイツがいつどこに攻撃を仕掛けてくるのかを把握していても、知らないフリを装わなくてはならない。それでいて決定的な部分ではうまくその情報を利用して戦果をあげなくてはならない。イギリスが(あるいはエニグマを解読したごく一部の人間だけが)、誰かの命を助け、誰かの命を無視するかの選択権を握っているわけだ。
これはいかにも不遜な振舞いだが、戦争終結のためには致し方ないことでもある。それでも親しい人がかなりの高い確率で死ぬとわかっていても、それを助けることはできないといったことも生じるわけで、神ではない普通の人間としてはかなりの苦痛を伴う状況なのだ。イギリスはそんな作戦を2年間続け、それによって戦争の終結が早まったとも言われているようだ。しかも第二次世界大戦が終わっても次の戦争がないとも限らないわけで、エニグマ解読の事実はしばらくの間は国家機密となり、チューリングたちの成果も秘密にされ公に認められることもなかった。
さらにこの作品が盛りだくさんなのは、チューリングのごく個人的な秘密も描かれているからだ。チューリングは寄宿学校時代に暗号についての本を親しい友人から教わる。そのころのチューリングの友人を見る目付きが妙にじっとりとしたものだったのだが、実はチューリングは同性愛者だったのだ。
エニグマ攻略のために作ったマシンをチューリングは「クリストファー」と名付けるのだが、それは彼が愛していたその友人の名前なのだ(このマシンは現実では「ボンベ(bombe)」と呼ばれていたようで、この部分は脚色なのかもしれない)。その時代のイギリスでは同性愛は犯罪とされており、チューリングは有罪とされ、ホルモン注射の投与をされることになる。そして、チューリングは41歳の若さで自殺したとのこと(映画では描かれないが、毒を塗ったリンゴをかじったとされる)。
とにかく2時間の映画としては盛り込みすぎなくらいの材料を盛り込んでいるのだ。しかし、これは実際にチューリングの人生に起きた出来事である。誰にも言うことのできない秘密を抱えたまま孤独に死んでいった天才の姿には涙を禁じえないと思う。
(*1) まったく関係ないが、最近読んでいた安部公房の『友達・棒になった男』の解説には、「言語はあくまでもデジタルな記号だ」という当たり前かもしれないが興味深い指摘があった。安部公房は小説をデジタルなものと考えているわけではなく、アナログ的な要素があるから解釈しつくすことができないとも指摘している。ただ、それを表現する道具である言語はデジタルなものなのだ。これは解説者の中野孝次が言うように、文学者においては独特な考え方だとも思う。言語は記号にしかすぎなくても、それを読み込む人間はそれを様々に解釈するわけで、一対一に対応するものではない。
(*2) 最初のほうで警察を追い返すために暴言を吐いたりするのも、こうした学習の成果ということなのだろう。
![]() | イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 コレクターズ・エディション[初回限定生産]アウタースリーブ付 [Blu-ray] |

![]() | イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 コレクターズ・エディション(2枚組)[初回限定生産]アウタースリーブ付 [DVD] |

スポンサーサイト