『The NET 網に囚われた男』 もどかしい現実を直視する

 キム・ギドクの最新作(第22作目)。今回も監督・脚本・編集・撮影までこなしている。
 この作品は個人的には今年一番の注目作なのだが、さらに監督第21作目の『STOP』もこの3月に公開予定とのことでそちらも楽しみ。

キム・ギドク 『The NET 網に囚われた男』 ナム・チョル(リュ・スンボム)は事故によって韓国に流されスパイとして捕えられてしまう。


 北朝鮮で漁師をしているナム・チョル(リュ・スンボム)は、妻と娘の3人で貧しいながらも平穏な生活を営んでいた。ところがある日、漁の最中に船のスクリューに網がひっかかってしまう。全財産である船を捨てることもできずにいるうちに軍事境界線を越えて韓国側へと流されてしまったナム・チョルは、捕えられてスパイの疑いをかけられることになる。

 ナム・チョルは韓国側から取り調べを受けることになる。彼は漁師であり、妻子のためにも北朝鮮に戻りたいと説明しても簡単には信用されない。取り調べ官(キム・ヨンミン)は始めから疑ってかかっていて、無実の人でもスパイに仕立て上げようとするからだ。というのも取り調べ官は朝鮮戦争で親を亡くしているために、北朝鮮に対して個人的な怨恨を抱いているのだ。
 もちろん韓国側のすべてが北朝鮮に対して強硬な姿勢というわけではなく、取り調べ官の上司はもっと現実的に事態を判断しているし、警護官のオ・ジヌ(イ・ウォングン)はナム・チョルのことを信じてやりたいと考えている。
 しかし韓国側にはナム・チョルに対してのスパイ嫌疑が晴れたとしても、北朝鮮という独裁国家にナム・チョルを帰すことにもためらいがある(これは善意の押付けでもある)。できればナム・チョルを転向させて亡命を申請させることで、自分たちの陣営に取り込もうとする。そのために近代化したソウルの街をナム・チョルに見せることで、独裁国家ではない自由な社会の素晴らしさをアピールすることになるのだが……。

 ※ 以下、ネタバレもあり! ラストにも触れているので要注意!!


『The NET 網に囚われた男』 ナム・チョル(リュ・スンボム)と韓国側の取り調べ官(キム・ヨンミン)。同じ構図は北朝鮮においても繰り返される。

◆南北分断の問題
 ギドクが南北分断を描いた作品は最近では『プンサンケ』『レッド・ファミリー』があるし、初期の監督作『コースト・ガード』『ワイルド・アニマル』でもその問題が取り上げられている。今回の『The NET 網に囚われた男』は、最も直接的に南北分断について描いているし、より一層シリアスで政治色が強いものになっている。
 ナム・チョルはアクシデントで軍事境界線を越えてしまうことになるが、紆余曲折を経て北朝鮮に戻ってくることになる。しかし北朝鮮に戻ったナム・チョルが受けた仕打ちは、韓国側で受けた仕打ちとまったく同じものだ。これらのシークエンスは意図的にそっくりに描かれていて、ナム・チョルの後ろに陣取った南と北の取り調べ官が語ることも似通っている。国家というリヴァイアサンを前にしては、個人の存在がいかに踏みにじられるのかということが示されていて、それは韓国であろうと北朝鮮であろうと変わりがないのだ。
 さらに韓国は独裁国家にはない自由な社会があると喧伝するものの、ナム・チョルがソウルで出会った女性は弟のために売春をして仕送りをしなければならない境遇にあった。自由であるはずの資本主義社会でもそうした矛盾が生じているわけで、ギドクはどちらに対しても批判的な態度をとっている。

◆絶望的なラスト?
 北朝鮮当局の取り調べを終えたナム・チョルは、ようやく妻と娘の待つ家へと帰り着く。しかし元のような生活が戻ってくることはない。ラストの展開はあまりにも暗い。作品の冒頭では朝から夫婦の営みに励んでいた精力旺盛なナム・チョルは、今回のトラブルの精神的なダメージなのか妻(イ・ウヌ)の豊満な胸を前にしても性的不能な状態に陥ってしまう。さらには漁師としての仕事も取り上げられたナム・チョルは、ほとんど自暴自棄のような形で死んでいくことになる。

 なぜここまで夢も希望もないような終わり方だったのか?
 ギドクの初期作品では夢や幻想が主人公たちの「救い」となっていた。たとえば『鰐』では川の下の龍宮のような場所(=ユートピア)があったし、『うつせみ』では主人公たちが幽霊のような非現実的な存在になる。現実とは異なる虚構の何かが作品内部には存在して、その意味ではまだ逃げ場が残されていたのかもしれないのだが、『The NET』にはそうした場所はどこにもない。
 ギドクが自伝的要素を盛り込んでつくったとされる『受取人不明』と同様に、『The NET』には「救い」というものがないのだ。『受取人不明』がギドクが生きてきた現実を描いているとするならば、『The NET』は南北分断国家のありのままの現実を描いているということになるのだろう。
 
 前作の『殺されたミンジュ』では、暴走した謎の組織のリーダーは最後に自分が殺されることを覚悟している。リーダー曰く、「人間は本当に哀れだ。生きるのは苦しくて疲れる」。このリーダーの悲哀に満ちた言葉は、『The NET』のナム・チョルの姿と被る。
 『殺されたミンジュ』では自警団がある事件の犯人たちに復讐するという大枠が嘘っぽかったのだけれど、そのほかの部分は意外にもリアルだった。今回の『The NET』もリアルな路線をはみ出していくことはない。この作品のなかで一番嘘っぽいのは、ひとつの民族が南北に分断された国家に住んでいるという“現実そのもの”だったとも言えるかもしれない。
 『The NET』では、ナム・チョルは韓国の取り調べ官にスパイでないことを信じてもらえずに「もどかしい」という言葉を口にする。また、ナム・チョルを転向させようとする女性取り調べ官(ソン・ヒョナ)も同じように「もどかしい」と漏らしている。国や政治の状況がおかしいことはわかっているのに、個人はそれをどうすることもできない。そんな想いが北と南の両者の「もどかしい」という言葉に凝縮されているようだ。この作品はそんなもどかしい現実を観客に直視させる。だからこの作品のラストが絶望的だとするならば、それはとりもなおさず現実が絶望的ということにほかならない。

 『魚と寝る女』のような水の上の船というイメージを登場させながらも、今回も美学とは無縁の政治的なメッセージのほうへと舵を切ったギドクだが、前作『殺されたミンジュ』よりはすんなりと受け入れられたし、撮影までひとりでやってしまうという無理もそれほど違和感はなかったと思う。
 主演のリュ・スンボムは『ベルリンファイル』などにも出演している韓国スターらしいのだが、本当に漁師のように見えて役柄にはまっていた。韓国側の取り調べ官を演じたキム・ヨンミンは初期の『受取人不明』などにも登場しているギドク作品の常連さん。『The NET』での取り調べ官が絶叫する国に対する想いが調子外れに響くのが印象に残る。ナム・チョルが北朝鮮に戻ったときの万歳三唱も同様に白々しいものだったが、これらは初期の『コースト・ガード』のラストの歌に南北統一への想いが込められていたのとは対照的なものだったと思う。今は希望的観測を描くよりも、現実を直視するほうが重要ということだろうか。


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Date: 2017.01.08 Category: キム・ギドク Comments (0) Trackbacks (5)

ギドクの最新作 『殺されたミンジュ』 メッセージあるいは美学

 キム・ギドクの最新作。この作品はギドクの第20作目で、製作総指揮から脚本・撮影・編集までひとりでこなしている。原題は「ONE ON ONE」
 ちなみに“ミンジュ”というのは韓国語では“民主”を意味するとのこと。
 出演陣には『俳優は俳優だ』にも顔を出していたマ・ドンソク『春夏秋冬そして春』の秋の場面に出ていたキム・ヨンミンなど。キム・ヨンミンはなぜか8役もこなしている。

キム・ギドク最新作 『殺されたミンジュ』 待ちに待った監督第20作目。オウム真理教強制捜査のときの装備を思わせる風貌の男。


 5月9日、ミンジュという女子高生が男たちに殺される。男たちは役割を分担し協力してミンジュを追いつめ、ためらうこともなく彼女の命を奪う。
 その後しばらくして下手人のひとりが謎の集団に拉致される。迷彩服に身をまとったその集団は「去年の5月9日、何をしたかすべて書け」と迫る。こうして謎の集団はミンジュ殺害に関った7人をひとりひとり拷問して悪事を白状させていく。

 ミンジュを殺した男たちは、快楽殺人者でもなければミンジュに恨みを抱いていたわけでもない。男たちは仕事としてミンジュを殺しただけである。上の者に指図されたから、その指示に唯々諾々と従ったのだ。指示を出した者に責任があるのは当然だが、下手人に何の責任もないのかと言えばそんなことはないはずで、謎の集団シャドーズは正義の鉄拳を振るい、事件に関わった7人を糾弾していく。

◆責任の所在
 “ミンジュ”という名前に託された「民主主義」は、国民に主権があるということだ。そして、その反対には「独裁制」がある。独裁者がすべてを取り仕切っていれば責任の所在は明らかだ。たとえば北朝鮮という国ならば誰でもその責任者の名前を知っている。一方、民主主義では国民に主権があるのが建前なわけで、責任の所在が見えにくくもなるのかもしれない。
 『殺されたミンジュ』では、民主主義であるはずの韓国社会で、上の命令に従順に従うばかりの無責任な個人が制度そのものをダメにしている様子を描いていく。主権者であるはずの国民がそれぞれの意見を引っ込めて命令に従うばかりでは、上の者に支配されているのと変わらないわけで、そんな体制が独裁制とどこが違うのか。そんな疑問をギドクは投げかけるのだ。

 『殺されたミンジュ』の韓国社会では、あちこちに小さな独裁者が顔を出す。シャドーズのメンバーたちはそうした小さな独裁者に苦しめられる側にいる。そして、小さな独裁者に対抗しなければ社会がダメになってしまうと憤るのがシャドーズのリーダー(マ・ドンソク)なのだ。彼は支配する側にも問題はあるが、それを許す側にも問題があると考えるのだ。
 リーダーの憤りが一番よく表れているのが、暴力を振るう恋人から離れられない女のエピソードだろう。(*1)DVにおいては暴力を振るったあとに急にやさしくなる時(ハネムーン期)がある。女はハネムーン期を思い、「我慢しているといいこともある」と小さな独裁者である恋人を許してしまう。リーダーにそれが許せないのは、個人が忍耐することで、独裁者がさらに幅を利かせることになるからだ。

(*1) 暴力的な恋人の男をキム・ヨンミンが演じている。キム・ヨンミンはシャドーズたちを苦しめる小さな独裁者たちの8役をこなしている。最初にシャドーズに拷問されるのがキム・ヨンミンだからちょっとわかりにくいのだが、キム・ヨンミンの演じる役は全て権力側に属している。

◆制度圏(権力側)と非制度圏
 ミンジュを殺した実行犯7人は社会的な成功者で権力側にいる。それに対してシャドーズはドロップアウトした側にいる。これをギドクの言葉で言えば「非制度圏」の人間ということになる。シャドーズのリーダーはネットの掲示板などを通して正義を行使するメンバーを集めたのだが、表向きの活動意義と現実の活動は次第に乖離していく。悪党を拷問して悪事を自白させる過程は、メンバーたちにシャドーズの正義に疑問を抱かせるのには十分で、リーダーは次第に孤立し、シャドーズ内部の独裁者となっていく。
 権力側とシャドーズとは何が違うのか? シャドーズの面々は活動時にコスプレのごとく衣装を変えている。最初は海兵隊の姿だったが、次はヤクザ風の面々に化け、アメリカ軍や国家情報院の姿になったりする。作品内では「本物と偽物」の違いが何度も話題になるが、どちらにもあまり差はないのだ。シャドーズがコスプレによって外見を整えてしまうとその違いはほとんどなくなり、やっていることも似通ってくる。双方が茶番劇を繰り広げているようにも見えてくるのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

『殺されたミンジュ』 キム・ヨンミン演じるミンジュ殺害の実行犯は拷問を受ける。

◆ドジョウとライギョ
 リーダーが権力側に対抗するのには理由がある。ミンジュはリーダーの娘だったのだ(もしかすると妹かも)。彼にとって、シャドーズの仕事は“正義”ではなく“私怨”である。そのことを理解しているから、リーダーはシャドーズの活動をメンバーに強要できなくなる。一方の権力側の7人はミンジュ殺害の理由をまったく知らない。ただ、国家的な戦略ということで命令に従ったのだ。「国家のため」という名目だけしかなかったからこそ、仕事ができたのかもしれない(女子高生を殺さなければならない正当な理由があると思えないが)。
 リーダーはシャドーズとしての仕事の最後に「ドジョウとライギョ」の話をする。ドジョウはドジョウだけで水槽に飼われているとすぐに死んでしまう。しかし、ライギョと一緒に飼われると、ドジョウはライギョから逃げ回ることで健康になり長生きする。敵がいたほうがエネルギーが増大するということだろう。ここでは権力側は必要悪のようなものとして認められているわけで、シャドーズの末路はいかにも苦いものとなる。とはいえ、リーダーが望んだのは「復讐の連鎖」でも、「権力の転覆」でもないわけで、リーダーにとってそうなることは予想できていたことであり、だからこそ余計に後味は苦いものだった。

◆メッセージあるいは美学
 この作品のラストは『春夏秋冬そして春』のそれを思い出させた。『春夏秋冬そして春』では、ギドク自身が演じた主人公が運び上げた仏像が下界のすべてを見下ろすようにして終わる。それは一種の悟りの風景のようだった。『殺されたミンジュ』では、達観したように下界を見下ろす位置にいたリーダーは、惨たらしく権力側のひとりに殺されることになる。その姿はギドク自身が『春夏秋冬そして春』の悟りの位置から叩き落され、地上に戻ったかのような印象でもある。
 最近の『レッド・ファミリー』では南北問題を取り上げ、『鰻の男』では食の安全という問題から始まって東アジアの国々同士の偏見を扱っていた。そして『殺されたミンジュ』も現実的な社会の問題を扱っている。ギドクは『アリラン』で自らを改めて見直した結果、より幅広く現実的な社会へも関心を向けているようだ。

 それにしてもこの作品は雑だし、ヘタでもある。洗練からほど遠いのだ。撮りたい作品がたくさんあることは素晴らしいことだが、クオリティを度外視しているようにも思えなくもない。弟子に監督を任せ脚本や製作だけの作品が続いたのも、今回のように撮影まで自分でこなしてしまうのも、作品を効率よく発表するためなのだろう。
 前作の『メビウス』は奇想天外な展開に圧倒されたけれど、「観念的な骨組みばかりが目立ってしまった」ようにも感じられた。『殺されたミンジュ』も、ギドクが訴えるメッセージは拝聴すべきものがあるとは思うのだが、そのメッセージばかりに頼りすぎで映像に艶っぽいところがまったくないのが残念だった。かつての『魚と寝る女』『春夏秋冬そして春』『うつせみ』あたりは審美的な方向にも重点があったと思うのだが、ギドクはそうした方向には興味を失ってしまったのだろうか。

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↑ 6月にはこんなのが出るらしい。『魚と寝る女』まで入っている。
Date: 2016.01.21 Category: キム・ギドク Comments (0) Trackbacks (7)

ギドク脚本作 『鰻の男』 中国産の食物は本当に汚染されているのか?

 キム・ギドクが脚本と製作総指揮を担当した作品。
 監督はギドクの弟子らしきキム・ドンフ『レッド・ファミリー』では製作を担当)。
 妙な邦題になっているが、原題は「Made in China」である。

キム・ギドク脚本 『鰻の男』 主演のパク・ギウンは韓国では人気者だとか。彼が演じるのは中国人チェン。


 中国で鰻の養殖業を営むチェン(パク・ギウン)は、韓国へ輸出した自分の鰻が検査で水銀が検出されたことを知る。自分の鰻にプライドがあったチェンは、生きた鰻を持って韓国へ密航する(通常のルートでは生きた鰻は持ち込めないらしい)。韓国の食品安全庁へ辿り着いたチェンは、再検査を求めて女性監視員ミ(ハン・チェア)に掛け合うことになる。

 『鰻の男』では、中国と韓国との関係が描かれる。さらに中国のなかの朝鮮族も登場する(中国にいながらも朝鮮語=韓国語を話すらしい)。韓国は資本主義国として中国からの出稼ぎ労働者を受け入れてきたようだ。密航船では中国人と朝鮮族が韓国に希望を抱いて渡ろうとする。
 それでも韓国は彼らに厳しい。中国はなりふり構わずに近代化を進めたが、その分環境汚染問題などはおろそかになった。隣国の韓国でも中国産の食物は汚染されたものとして、ゴミのような扱いを受けるのだ。主人公チェンの持ち込んだ鰻もそうで、再検査をしてみてもやはり水銀が検出される。
 チェンのプライドにも関わらず、中国産の食物は汚染されていたのだ。中国人としてのチェンは、そうした事実に自分も中国の人間として汚染されているのかと問いかける。一方で韓国のミは、中国産の鰻を閉め出しつつ、実は裏ではその廃棄すべき鰻で金儲けをしている(ヤクザ者も絡んでいる)。廃棄すべき鰻に群がって儲けようとする裏社会の人間、さらには安ければ何でも構わないという消費者もいる。
 しかも、監視員ミはチェンのことを気に入ってその体を求めてしまう。憐れみを覚えたのかもしれないし、若い男が欲しかっただけかもしれない。中国産の食品は毛嫌いしているのに、中国の男はいいのか? チェンはまた問いかける。
 そんな中国人チェンからの問いかけに、韓国のミは自己を省みつつ悩む。中国が汚染されているのではなくて、実は韓国の自分たちのほうが汚染されているのではないか。魂が汚れきっているのではないか。このへんの自虐的とも言える展開はギドクらしい気がする。

『鰻の男』 女性監視員ミを演じるハン・チェア。

 食品の安全をテーマにしているようにも見えるが、ギドクの意図はそれだけじゃないだろう。ギドクはこの作品について「食物に対する偏見は、食物が作られた国に対する偏見でもあるのではないか」と語っている。同じ食物でも「メイド・イン・チャイナ」とか「メイド・イン・コリア」など差別化がなされ、それによって評価が変わったりする。それはその国で生まれた人間も同じことであり、日本を含むアジアの国々でも、それぞれの国に対して偏見を抱いているのではないか。ギドクはそんな方向へ議論を進めようとする。
 ただ、ギドクがこの脚本を書いたのは約5年前とのことだが、その間に中国産食品に対する信頼はガタ落ちになってしまったのだ。たとえば、某ファストフードの中国の加工工場ではとんでもないチキンナゲットがつくられていた。これは大きな話題になったし、某ファストフードでは中国製のナゲットをやめてタイ製に変更した。事実としてこうした報道がなされるとさすがに偏見とだけも言えなくなるわけで、ちょっとタイミングが悪かったような気もする。
 「中国産の食物は本当に汚染されているのか?」という問いかけは、「いや、そうじゃない。」と反語的な意味合いを含んでいたはずが、現実を反映したためか「そうです、汚染されています。」という結論になってしまったわけで、妙に据わりが悪い。チェンは最後には鰻に対する愛情ばかりに支配されているように見え、他国に対する偏見というテーマは忘れ去られてしまったようだ。
 チェン役のパク・ギウンは韓国では人気者だとか(前売りを買ったらポストカードが付いてきた)。相手役のハン・チェアは最後まで厳しい表情を崩さないが、なかなか顔立ちの美人さん。

 『魚と寝る女』のように半身を切られた魚が泳いだりする場面がある。また、チェンは自分の汚染度合いを測るために、自らの肉を切り取り検査機にかける(『嘆きのピエタ』にもそんなシーンがあった)。こうした悪趣味さはギドクの脚本に書かれていたものだろう。
 最近のギドクは、あまり出来の良くない脚本を弟子に監督させているんじゃないかとも思える節もある。この脚本も出来がいいとは言えない。密航の際に助けられた男の恩返しのために、復讐に向かうというエピソードがあるけれど、あまりに説得力に欠けるし、偏見というテーマとも関わってこないので、監督も困ったんじゃないだろうか。弟子にチャンスを与えているのだろうが、その弟子たちがきちんと育っているのかまでは伝わってこないようだが……。

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Date: 2015.06.22 Category: 外国映画 Comments (0) Trackbacks (0)

『私の男』 近親相姦という顰蹙を買いそうな題材だが……

 桜庭一樹が直木賞を受賞した同名小説の映画化。
 監督は『海炭市叙景』などの熊切和嘉
 主演には浅野忠信二階堂ふみ。中学生から結婚間近の女までをごく自然に演じ、かなりきわどい役を乗りこなしている二階堂ふみはやっぱりすごい。モスクワ映画祭で主演男優賞を獲得した浅野忠信は、銀座の街を赤い傘を差しながらサンダルで歩くという落ちぶれた姿がよかった。『さよなら歌舞伎町』でもエロかった河井青葉は、この映画でも後ろから攻められている(背中の傷を見せるために)。
 昨年6月に劇場公開され、今月DVDが発売された。

熊切和嘉 『私の男』 主役の浅野忠信と二階堂ふみ。殺人を犯したふたりは逃亡生活に入る。


 奥尻島を襲った津波で家族を喪った少女・花(山田望叶)は、避難所で遠い親戚である淳悟(浅野忠信)に拾われる。ここからふたりの生活が始まる。津波の記憶にPTSDに襲われる花に対し、淳悟は「俺はお前のものだ」と囁き、その小さな手をそっと握る。

 震災で孤児になった少女を助ける行為は、「あしながおじさん」的な善意を感じさせる。淳悟も震災で家族を亡くしており、「家族が欲しいんです」という彼の言葉に嘘はないだろう。しかし彼をよく知る大塩(藤竜也)には「あんたには家族のつくり方なんてわからんよ」と否定されるような一面も持つ。
 家族を知らない淳悟と花のふたりが一緒に暮らしていくということは、ごく一般的な家族の結びつきとは違うものとなる。映画のなかで詳しい説明があるわけではないが、このふたりは実は本当の父娘である。同じ血が流れているということをふたりは感じているし、そのことが互いをかけがえのない存在にしている。そして普通の家族を知らないふたりには、小さな手を握り締めたやさしさがやがて愛撫へと変っていくことを阻む障壁はとても低い。
 インセスト・タブーを侵犯する行為は、たとえば『オイディプス王』では行為者たちがそれを知らなかったから成立したわけで、その事実が判明したときオイディプス王は盲になって荒野をさまよう。そのくらい忌まわしいタブーとされているわけで、それを認識しながら侵犯する行為はさらに背徳的だと言える。

 『私の男』は冷たい冬の海から流氷に這い上がる花(二階堂ふみ)の笑みから始まる。この笑みは中盤に描かれる出来事で明らかにされる。淳悟と花の関係を知ってしまった世話焼きの大塩は、その関係を「神様が許さない」と咎めるが、花は「私は許す、何したって。あれは私の全部だ。」と絶叫する。そう言い切った満足感があの笑みだ。
 そんなわけで養父に手篭めにされたとも見える花だけれど、彼女は単なる被害者ではない。淳悟はもしかすると少女好きの変態なのかもしれないが、花はそんな男が育ててしまった社会性の欠如した一種のバケモノである(その後の淳悟はダメな男になっていく)。

『私の男』 陸に接岸する流氷が広がる。撮影はさぞかし大変だったろうと思う。

 最初の殺人は流氷の上で行われる。流氷は陸地と海の境界に位置している。花は一度は津波に襲われながらも、海から陸地へと這い上がってきた。そしてこの映画の冒頭でも、大塩を流氷の上に放置して、自分は海を渡って流氷の上に這い上がり、再び陸地まで戻ってきた。流氷は生と死の境目にあるもので、花はそうした境界をうろつきつつ“生”のほうへ戻ってくる(戸籍上の父の「生きろ」という言葉に促されて)。
 そうした境界線はほかにもあって、それは社会という枠組みの境目だろう。花と淳悟はその枠組みから外れたところにいる。ただ完全にその枠組みから逃れては生きることはできない。ギリギリのところで踏みとどまるしかない。だから社会的なタブーからも完全に自由になれるわけでもなく、ふたりが交わるシーンで血の雨が降るのはそうした後ろめたさからだろう。ラストのふたりだけの世界は、そんなギリギリのところで“生”のほうに踏み止まったふたりの妥協としてあるわけだし、最後の瞬間に鈍い輝きを増す、そんな輝きだったのかもしれない(あの先にふたりの未来はないわけだから)。

 『私の男』に歓喜させられたのは、このラストシーンがギドクの『うつせみ』のそれとよく似ているからだ。以下はキム・ギドクのファンとして……。
 花は生きるために生活力のある男のもとへ嫁ぐことになるが、心のなかではいつも淳悟とつながっている。『うつせみ』で夫との結婚生活に戻った女が、夫ではなく幻想の男を見つめているところと被っているのだ。そして『私の男』の花が最後に淳悟に語りかける言葉がミュートされているのは、『うつせみ』でそれまで一言もしゃべらなかった女が最後に言葉を発する逆を狙ったのかと妄想した。
 監督の熊切和嘉がそれを意識しているかどうかは知らない。『海炭市叙景』はとても真っ当ないい作品だったが、一方で『私の男』と同時に発売された『鬼畜大宴会』は大いに顰蹙を買うような作品となっている。(*1)『私の男』もタブーに切り込んでいったあたりは顰蹙を買う部分もあるだろうし、いつも顰蹙ものの作品となってしまうギドクを意識している可能性もないこともないような……。
 ギドクが『メビウス』で来日したころの雑誌のインタビューでは、『私の男』や原作者・桜庭一樹の名前への言及があって、ギドクがこの作品に自分に近いものを感じていたということなのだろうと思う。(*2)

(*1) PFFで準グランプリとなった『鬼畜大宴会』は、連合赤軍のリンチ殺人事件をスプラッターでパロディにするという作品。大学の卒業制作ということもあって、悪ふざけの部分も多分に感じられる。顰蹙を買うのが狙いだったところもあるようで、実際にこの映画を見せると「中途半端な付き合いだったヤツは本当にみんなサーっと引いていった」んだとか。さもありなん。

(*2) このページを読むと原作者はギドクのファンということで、原作のほうがギドクの世界に惹きつけられているのかもしれない。

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Date: 2015.02.28 Category: 日本映画 Comments (0) Trackbacks (3)

キム・ギドクの最新作『ONE ON ONE(原題)』の予告編など

 今さらだが東京フィルメックスという映画祭で、キム・ギドクの新作『ONE ON ONE(原題)』が上映されていたとのこと(のちに『殺されたミンジュ』と改題)。実はこの映画の予告編もすでに公開されていたようだ。情報収集能力に長けているわけではないので、あとになって知ることも多い。ぜひとも観たかったのに残念……。



 この予告編を観ると、『俳優は俳優だ』でヤクザのエピソードが余計なものにも関わらず、結構なボリュームだったのも頷ける。というのも『ONE ON ONE』で重要な役どころを担っていると思われる人物が、『俳優は俳優だ』でヤクザを演じているマ・ドンソクだからだ。ちょっとプロレスラー川田利明を思わせる悪党面はいい味を出していたから、新作『ONE ON ONE』の予告という意味でも、物語の展開を度外視して残しておきたかったキャラクターだったのだろうか。

 先日『メビウス』の2度目を観てきた。サービスデーだったにも関わらず、客席は結構空いていた。題材が題材だけに客足が伸びる要素に欠けているのかもしれない。インタビューでは「みなさんが囚われていることは、すべて観念でしかないんですよと伝えたくて」と語っているのだが、作品自体も観念ばかりで出来上がっている印象を受けた。
 1度目はその荒唐無稽な展開に圧倒されたのだけれど、セリフもない音楽もないというなかでは情感に欠け、その脚本の観念的な骨組みばかりが目立ってしまったように、今回は感じられた。
 『メビウス』はたった6日の撮影だったとのこと。撮影にもっと時間をかけられるような環境が整えばいいのだが、興行収入が悪ければそれもなかなか難しいのだろう。以前はもっと時間をかけて撮っていたわけで、ヴェネツィアの金獅子賞を獲得したにも関わらずそんな状況なのは不思議な気もするが、それだけ観客におもねることのない姿勢を貫いているということなのだろうとも思う。
Date: 2014.12.21 Category: キム・ギドク Comments (0) Trackbacks (0)
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新作映画(もしくは新作DVD)を中心に、週1本ペースでレビューします。

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