『AUTOMATA オートマタ』 そしてネクスト・ステージへ
人工知能を題材にしたSF作品。監督・脚本はスペインのガベ・イバニェス。

時代は2044年。太陽風の増加で地球は砂漠化が進み、人類は滅亡を前にしている。街では人間に代わる労力として人型ロボット(オートマタ)が活躍していて、人工知能を搭載されたそれには制御機能(プロトコル)が組み込まれている。
このふたつのプロトコルがある限りオートマタは人間にとってコントロール可能な存在だったはずだが、ある日、そのプロトコルが無視され自身の身体を改造しているオートマタが発見される。オートマタの製造会社の保険部から派遣されたジャック・ヴォーカン(アントニオ・バンデラス)は、オートマタを背後で操る黒幕を追うことになる。
数少ない人類は砂漠のなかに壁を築いて暮らしている。人工的に雨を降らせるため空には飛行船らしきものが浮かび、夜になるとなぜかホログラムのあやしげな女が踊り狂う世界。雨が降る街をヴォーカンがレインコートでうろつく様子は『ブレードランナー』を思わせる。オートマタの造形はどこかで見たような印象ではあるのだが、ヴォーカンの丸坊主の頭と並ぶと妙に人間に似ている感じがしてくるところがよかった。破壊されたオートマタも血の代わりにオイルを流すような人間的な描き方になっている。
※ 以下、ネタバレもあり!

『AUTOMATA オートマタ』で重要となってくるのは、プロトコル2の「自他のロボットの修正(改造)の禁止」のほうだ。人工知能が自分やほかのオートマタを修理・改造することを学ぶとどうなるか? ヴォーカンが調査の最中に出会ったデュプレ博士(メラニー・グリフィス)によれば、われわれ人間が猿から700万年かかった進化の過程をオートマタは数週間でたどることになり、それからの進化は予想もつかないと言う。
『生物と無生物とのあいだ』という本では、「生命とは何か」という問いのとりあえずの答えとして挙げられるのが「自己複製を行うシステム」というものだった(その本ではそこから始まってさらに別の答えへとたどり着く)。オートマタは自分や他のオートマタを修理・改造することでさらに何かを学び、ついには新しいオートマタを生み出してしまう。人間が子供を産むことで自分の遺伝子を複製していくように、オートマタも「自己複製を行うシステム」となって限りなく生物に近づいていく。しかも8日目には人間と会話が通じなくなるほどの知性を兼ね備えているわけで、人間以上の存在へと進化していくのだ。
生き残った人間たちがどうなるかは示されていないのだが、子供が産まれたヴァーカンたち家族が海を発見するところはラストで声だけで示されるだけで、どこか嘘っぽく感じられる。一方でオートマタは人間の手の届かない土地へとしっかりとした足取りで去っていく。人間が猿から何がしかを受け継いで進化したように、人間が人に似せて生み出したオートマタには人類の何がしかが受け継がれた。新生オートマタが人間を傷つけるのは、人間の凶暴性から自らの身を守る術を学んだということなのだろうと思う。おそらく人類は滅び、オートマタが次代を担うのだろう。
ただ、そのオートマタの新形態は人間とは似ても似つかないものなので、人間としては複雑ではある。それにしてもアレはしぶとく生き延びるものだなあと感心する。オートマタ改造の黒幕の謎は会話で語られるだけでわかりづらいようにも思えたのだけれど、『幼年期の終わり』や『第四間氷期』のような人類のネクスト・ステージを描いた作品として興味深かった。
アントニオ・バンデラスは以前のギラついた感じはなかった。滅亡しつつある人類の生き残りだからかもしれないし、白い砂漠のなかを延々と引き回されたからかもしれないのだが、元奥様のメラニー・グリフィスとの離婚寸前の共演作品ということで精神的に疲れていたということもあるのかも。






時代は2044年。太陽風の増加で地球は砂漠化が進み、人類は滅亡を前にしている。街では人間に代わる労力として人型ロボット(オートマタ)が活躍していて、人工知能を搭載されたそれには制御機能(プロトコル)が組み込まれている。
プロトコル1:生命体への危害の禁止
プロトコル2:自他のロボットの修正(改造)の禁止
このふたつのプロトコルがある限りオートマタは人間にとってコントロール可能な存在だったはずだが、ある日、そのプロトコルが無視され自身の身体を改造しているオートマタが発見される。オートマタの製造会社の保険部から派遣されたジャック・ヴォーカン(アントニオ・バンデラス)は、オートマタを背後で操る黒幕を追うことになる。
数少ない人類は砂漠のなかに壁を築いて暮らしている。人工的に雨を降らせるため空には飛行船らしきものが浮かび、夜になるとなぜかホログラムのあやしげな女が踊り狂う世界。雨が降る街をヴォーカンがレインコートでうろつく様子は『ブレードランナー』を思わせる。オートマタの造形はどこかで見たような印象ではあるのだが、ヴォーカンの丸坊主の頭と並ぶと妙に人間に似ている感じがしてくるところがよかった。破壊されたオートマタも血の代わりにオイルを流すような人間的な描き方になっている。
※ 以下、ネタバレもあり!

『AUTOMATA オートマタ』で重要となってくるのは、プロトコル2の「自他のロボットの修正(改造)の禁止」のほうだ。人工知能が自分やほかのオートマタを修理・改造することを学ぶとどうなるか? ヴォーカンが調査の最中に出会ったデュプレ博士(メラニー・グリフィス)によれば、われわれ人間が猿から700万年かかった進化の過程をオートマタは数週間でたどることになり、それからの進化は予想もつかないと言う。
『生物と無生物とのあいだ』という本では、「生命とは何か」という問いのとりあえずの答えとして挙げられるのが「自己複製を行うシステム」というものだった(その本ではそこから始まってさらに別の答えへとたどり着く)。オートマタは自分や他のオートマタを修理・改造することでさらに何かを学び、ついには新しいオートマタを生み出してしまう。人間が子供を産むことで自分の遺伝子を複製していくように、オートマタも「自己複製を行うシステム」となって限りなく生物に近づいていく。しかも8日目には人間と会話が通じなくなるほどの知性を兼ね備えているわけで、人間以上の存在へと進化していくのだ。
生き残った人間たちがどうなるかは示されていないのだが、子供が産まれたヴァーカンたち家族が海を発見するところはラストで声だけで示されるだけで、どこか嘘っぽく感じられる。一方でオートマタは人間の手の届かない土地へとしっかりとした足取りで去っていく。人間が猿から何がしかを受け継いで進化したように、人間が人に似せて生み出したオートマタには人類の何がしかが受け継がれた。新生オートマタが人間を傷つけるのは、人間の凶暴性から自らの身を守る術を学んだということなのだろうと思う。おそらく人類は滅び、オートマタが次代を担うのだろう。
ただ、そのオートマタの新形態は人間とは似ても似つかないものなので、人間としては複雑ではある。それにしてもアレはしぶとく生き延びるものだなあと感心する。オートマタ改造の黒幕の謎は会話で語られるだけでわかりづらいようにも思えたのだけれど、『幼年期の終わり』や『第四間氷期』のような人類のネクスト・ステージを描いた作品として興味深かった。
アントニオ・バンデラスは以前のギラついた感じはなかった。滅亡しつつある人類の生き残りだからかもしれないし、白い砂漠のなかを延々と引き回されたからかもしれないのだが、元奥様のメラニー・グリフィスとの離婚寸前の共演作品ということで精神的に疲れていたということもあるのかも。
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